東京都
≪台東区≫
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
■旧・浅草区 | |||||
浅草2―3―1 | 浅草寺 | 3/18 | 金龍の舞の屋台1台 | 三社祭の金龍の舞の屋台と同じ。但し 飾り付けが異なる | |
5/5 | 宝船1台 | ||||
宝船の山車1台 | 昭和47年より奉納 | ||||
浅草2―3−1 | 浅草神社 | 5/3金土日 “三社祭” |
屋台1台 | 白鷺の舞の屋台 | |
小型屋台9台 | 花川戸1、花川戸2、浅草馬1、浅草馬3、浅三東、浅草2、浅草東、浅一三栄、浅一中央 | ||||
小型の底ぬけ屋台 | 千草 | ||||
宮神輿3基 | |||||
町神輿44ヶ町 | 約100基 | ||||
江戸前期は練物の祭り、江戸後期は山車の祭り、現在は神輿の祭りとなっている。 | |||||
【山車廃絶】 祭礼番組20番中、出し20本。 『武江年表 巻之六』に「天明元2年(1781)3/18、浅草三社権現祭礼久しく絶えたりしが、今年神輿乗船、産子町々より出し練物を出す。(其の後久しく中絶す」とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)、毎年。境内神輿通行。幟。安永10年以前は山車・練物」 とあり。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)、毎年。安永10年以来休み。31ヶ町、20番組にて山車1本づつ」 とある。 一番=浅草茅町壱丁目・同弐丁目 二番=浅草瓦町・同天王町 三番=同旅籠町壱丁目・同弐丁目・浅草御蔵前片町 四番=同黒船町・同三好町 五番=同所並木町・同茶屋町 六番=駒形町 七番=同諏訪町 八番=同三間町 九番=同田原町壱丁目・弐丁目・三丁目 十番=西仲町 十一番=同浅草東仲町 十二番=同南馬道町・同北馬道町 十三番=同材木町 十四番=同花川戸町 十五番=同山之宿町 十六番=同聖天町 十七番=同聖天横町 十八番=同金龍山下瓦町 十九番=浅草町 廿番=浅草田町壱丁目・弐丁目 |
|||||
【文政6年(1823)浅草三社権現祭礼番附】 一番=浅草黒船町・同三好町⇒源為朝人形の山車。碇の曳物。荷茶屋1基。 二番=浅草並木町・同茶屋町⇒宝船の山車。万歳人形の曳物。荷茶屋1基。 三番=浅草駒形町⇒天の岩戸の山車。岩組に鶏の曳物。荷茶屋1基 ≪附祭≫浅草並木町・同茶屋町・同駒形町・同諏訪町⇒踊り屋台(担ぎ)、底抜け屋台3台(担ぎ)、瓢箪に駒の曳物、桜の曳物、練物、荷茶屋3基。 四番=浅草諏訪町⇒鶴岡八幡宮の景の山車。海老の曳物。荷茶屋1基 五番=浅草三間町⇒源頼政人形の山車。管弦太鼓の曳物。菖蒲前の曳物。猪隼太鵺の曳物。荷茶屋1基 六番=浅草田原町壱丁目・弐丁目・三丁目⇒浦島太郎人形の山車。船に碇の山車。珊瑚珠曳物。貝尽くしの曳物。 七番=浅草西仲町⇒弁財天の山車。蜃気楼の曳物。御所車の曳物。北条時政人形の曳物。 八番=浅草東仲町⇒注連縄に羽子板の山車。紅葉に仕丁の曳物。荷茶屋2基 九番=浅草田町壱丁目・弐丁目⇒諌上飾りの山車。諌鼓鶏の山車。荷茶屋2基。 十番=浅草材木町⇒紙雛の山車。蛤の曳物。荷茶屋1基。 十一番=浅草花川戸町⇒揚巻意休門兵衛人形の山車。蛇の目傘提灯の曳物。新吉原大門口之景の曳物。荷茶屋1基。 ≪附祭≫浅草田町1・2丁目・浅草材木町・浅草花川戸町⇒踊り屋台(担ぎ)、底抜け屋台4基、破魔弓の曳物、宝船の曳物、桜に紙雛の曳物、田家の曳物、三宝に糸巻きの曳物、鶏の曳物、菊花の曳物、練物、荷茶屋3基。十二番=浅草山之宿町⇒葱堂の山車。牛の曳物。荷茶屋1基。 十三番=浅草南馬道町・同北馬道町⇒岩組に山姥人形の山車。岩組に金太郎の曳物。荷茶屋1基。 十四番=浅草聖天町⇒蜃気楼の山車。技珊瑚珠の曳物。荷茶屋1基。 十五番=浅草聖天横町⇒岩組に玉藻前人形の山車。荷茶屋1基。 十六番=浅草金龍山下瓦町⇒毘沙門天の山車。弁財天の曳物。延命袋の曳物。荷茶屋1基。 十七番=山谷浅草町⇒猿の山車。からくりの曳物。荷茶屋1基。 |
|||||
宮神輿 一之宮は昭和25年5月制作。宮本重義の作。台輪寸法4尺2寸5分(1、29m)。高さ2、62m。東部12ヵ町有志が奉仕。 二之宮は昭和25年5月制作。宮本重義の作。台輪寸法4尺2寸5分(1、29m)。高さ2、12m。西部16ヵ町有志が奉仕。 三之宮=昭和27年5月制作。宮本重義の作。台輪寸法4尺2寸5分(1、29m)。高さ2、12m。南部16ヵ町有志が奉仕。 往古は三代将軍家光公が三社権現の建物ごと寄進の三基の神輿があったが、昭和になってからはこれは見せるだけで、表には全然出さなかった。 そこで、複製の三基と今戸の材木商「増善」が寄進した神輿が出ていた。しかし、戦災でこれら合計7基の神輿は全て焼失した。 |
|||||
東部12ヶ町 花川戸一丁目=詳細不詳。 花川戸二(花川戸二丁目)=戦後制作。浅草今戸・松村清作の作。塗師は藤戸清兵衛。台輪寸法2尺5寸。 女神輿もあり。 馬道一丁目=昭和56年5/3制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。 馬道二丁目、同三丁目=詳細不詳。 猿若町会⇒昔は中村座、市村座、守田座の猿若三座があり、歌舞伎のメッカだったが、現在は碑が残るのみ。 聖天町会=神輿あり。 田聖睦⇒かつては田町町会。戦後分割されたが、田町の一部と聖天町の一部が祭りの時には田町聖横町という町会で活躍する。 象潟町会、同一丁目=詳細不詳。 浅草象三⇒浅草象潟三丁目。浅草千束三丁目の一部と浅草田町西部を合わせて誕生。行政上は浅草三丁目〜五丁目。 =大中小神輿、曳太鼓あり。 浅五会=神輿あり。 |
|||||
西部14ヶ町 日本堤=詳細不詳。 千草会⇒事務所は浅草5丁目35−2。神輿、囃子屋台あり。 千和会、千一南町会、千二西町会=詳細不詳。 千二光月会=正式名は千束二丁目光月町会。 =神輿あり。 浅草中町会、浅草二丁目=詳細不詳。 浅三東(浅草三丁目東町会)=本当はひがし町会と言うが、俗にあずま町会とも言われる。 西浅三中部町会=詳細不詳。 芝崎東部町会=鎮守は感応稲荷神社(西浅草3−16−2)。曳太鼓あり。 芝崎西部町会、芝崎中部=詳細不詳。 西浅草三丁目北部町会(西浅三北)=神輿、子供神輿あり。 |
|||||
南部16ヶ町 ◎表六ヶ町(浅草6ヶ町) 浅草東町会=詳細不詳。 仲見世町会=平成24年(2012)5月16日、御披露目。67年ぶりの新調。宮本卯之助商店(宮本重義)の作。 先代は昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。以来ずっと観音裏の町会から、担ぎ手不足で持て余して譲り受けた神輿を担いできた。 浅草中央町会=神輿あり。 2011年9月27日発行の東京新聞によると、昭和23年(1948)制作の神輿は新神輿制作に伴い十数年前より神輿庫で保存。 この神輿を2011年9月27日に現地で贈呈式を行った。これは津波で壊滅した福島県いわき市久之浜諏訪神社に寄贈した。 同神社の社殿は全壊を免れたが、近くにある末社の星廼宮(ほしのみや)神社が、収めていた諏訪神社の神輿ごと津波にのまれたためである。 浅草西町会⇒事務所は浅草1丁目16−8。神輿あり。 浅一三栄町会=詳細不詳。 浅草公園町会=昭和48年5月制作。岡田屋布施の作。台輪寸法2尺8寸。 ◎雷門4ヶ町 雷門東部町会=神輿あり。 雷門中部町会=神輿あり。 雷門西部町会=神輿あり。 雷門田原町会=神輿あり。 ◎南六ヶ町 寿一丁目⇒江戸期の桃林寺門前、金蔵寺門前、浄土竜宝寺門前。 =神輿あり。 寿二丁目⇒江戸期の山本屋敷、金六屋敷(田中屋敷)、実相寺門前、常福寺門前、金龍寺門前、高原屋敷、本法寺門前、真砂町。。 =神輿あり。 寿三丁目東⇒江戸期の元鳥越町新地、元旅籠町代地、天王町上ゲ地にあたるが、寿三丁目は第六天榊神社氏地となる。 =神輿あり。 寿四丁目⇒江戸期の黒船町代地、三好町代地、御掃除屋敷、福川町、吹上御庭方拝領屋敷、三島西蔵院門前にあたる。 =神輿あり。 駒形=町会神輿は宮本卯之助商店が預かっている。 西浅草一丁目=詳細不詳。 |
|||||
【西宮稲荷】 例祭は2月初午。浅草寺宝蔵門(仁王門前)にあった。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)。毎年。明和9年以前は神輿」 とあり。 |
|||||
浅草7−4−1 | 待乳山聖天 | 9/20 | 山車廃絶 | 真土山聖天宮ともいう | |
【山車廃絶】 『武江年表 巻之六』に「安永3年(1774) 9/20 真土山聖天宮祭礼、神輿を渡し、産子町々よりだし練物等出す。其の後休む」とある。 天保9年(1838)刊の「東都歳時記」には「今日聖天町同横町金龍山下瓦町等の町々へ神輿を渡す。参詣群集して賑へり」とある。 |
|||||
今戸1―5−22 | 今戸神社 | 6/1土日 (3年毎に本祭) |
神輿 | ||
『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)。隔年。神輿、獅子頭。毎年、幟・行灯」 とあり。 | |||||
宮神輿=平成3年復元新調。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺5寸。 先代は戦災で焼失。 |
|||||
今戸2―13−6 (旧称・吉野町) |
熱田神社 | 6/1土日 (不定期な本祭) |
山車廃絶 | 祭礼番組6番中、出し5本 | |
宮神輿、町神輿 | 各1基 | ||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之五』に「宝暦13年(1763)6/15、山谷熱田明神祭礼、産子町々よりだし練物等出す。其の後休む」とある。 天保9年刊の『東都歳時記』には「宝暦13年(1763)未六月までは、(中略)六番の出しねり物を出しけるが、同じ年より中絶す」とある。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。毎年。宝暦13年(1763)以来休み。5ヶ町、6番組にて山車5本と助祭」 とあり。 壱番=浅草新鳥越町壱丁目 二番=同町之内 三番=同町弐丁目 四番=同町三丁目 五番=同四丁目 六番=同所今戸町等以上五丁なり。 |
|||||
宮神輿=熱田宮。昭和3年頃制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺。 | |||||
吉野町=昭和32年頃制作。浅草・南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法2尺5寸。 | |||||
清川2−13−20 | 玉姫稲荷神社 | 6/1日曜(元・2) (4年毎に本祭) |
神輿 | 氏子7ヶ町 | |
4/28、29&11/最終土日 | 靴みこし | 男・女2基 | |||
氏子は清川、東清、東清南、東浅草2丁目、日本堤1丁目、日本堤2丁目東、日本堤2丁目西の7町会。 | |||||
宮神輿=昭和28年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺3寸。 | |||||
『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)、毎年。獅子頭・幟・行灯」 とあり。 | |||||
【靴のめぐみ祭市】 4/28、29と11月の最終土日、玉姫稲荷神社境内や周辺で行われるイベント、靴神輿、靴供養、靴の修理、靴の即売会 などがある。 この地の周辺にはもともと靴製造業者や靴問屋が多くあり、年末の資金集めとしての即売会として、始まり「こんこん靴市」と言い、春にも行われこれは「靴のめぐみ市」と言われる。 靴みこし2基は初日2回、2日目2回の計4回、境内を練り歩き神社へ奉納。 |
|||||
千束3−20−2 | 吉原神社 | 5/3土日 | 宮神輿 | ||
子供神輿 | |||||
山車 | 曳太鼓のこと | ||||
吉原神社は玄徳稲荷と、遊郭内四隅の守護神である四つの稲荷を合祀し明治5年(1872)年に創建された。 宮神輿はなく、例大祭では町の女神輿が唯一、郭内を練り歩いたという。遊郭が廃止された昭和32年(1957)年以降は、子供神輿と山車が練いた。 70年代後半、例大祭を盛り上げようと若い氏子有志らが「吉原睦」を結成。荒川区南千住の同好会から大神輿を借り受け、町に繰り出すようになった。「夜には三社祭の担ぎ手が合流して、熱気いっぱいでした」と語るのは町のメーン通りで、そば店を営む中谷登さん(58)。当時は神輿とともに、絢爛(けんらん)豪華な花魁道中も行われた。しかし、運営上の問題で五、六年しか続かなかった。 2009年にも、神社の氏子七カ町に唯一現存する揚屋町会の大人神輿を担ぎ出し、往事の熱気をよみがえらせた。 |
|||||
【平成24年(2012)のタイムスケジュール】 ■土曜 (13:00〜)子供神輿、山車巡行(曳太鼓のこと)。 (14:30〜)子供神輿、山車巡行(和太鼓演奏)。 (16:00〜)宮神輿宮出し、宮行列(江戸木遣り、吉原狐 など)、神輿各町渡御。 (20:00〜)宮入り。還御祭。 ■日曜 (10:30〜)子供神輿、山車巡行。 (13:00〜)子供神輿、山車巡行。 (15:00〜)子供神輿、山車巡行。 |
|||||
宮神輿=平成21年(2009)30年ぶりに担がれる。 | |||||
吉原 | 秋葉権現 | 10/15〜19 | 山車廃絶 | ||
『武江年表 巻之八』に「弘化四年(1768) 10月、吉原秋葉権現祭の時、花出しねり物等多く出す」とある。 | |||||
寿4−9−1 | 寿三島神社 | 5/15&〜9/15 | 例祭 | ||
駒形−4−15 | 諏訪神社 | 5/3土曜 | 例祭 | ||
松が谷2−14−1 | 矢先稲荷神社 | 6/中旬土日(隔年) | 渡御 | ||
氏子は松葉町で8区に分けられ、松一、松二、三新会、五葉会、六新会、七冨久会、八笑会からなる。 | |||||
囃子手が乗る屋台が先導し、猿田彦、榊、御幣などに続き、台輪3尺5寸の神輿が巡行する。 | |||||
宮神輿=昭和4年製作。平成12年修復。 | |||||
元浅草3−19−7 | 孫三稲荷神社 | 3/8 | 例祭 | 安部川町・菊屋橋町会によって、社殿が再建 | |
西浅草2−14−15 | 西浅草八幡神社 | 5/3日曜 | 太鼓山車 | 国際通町 | |
神輿 | 田島町 | ||||
氏子は田島町。現在の西浅草2丁目の東町と西町。 | |||||
田島町(西浅草2丁目)=大正10年頃制作。行徳の業者の作と云われている。 | |||||
西浅草3−8−1 | 芝崎日枝神社 | ? | ― | ||
蔵前1−4−3 | 第六天榊神社 | 6/5頃の日曜 | 宮神輿 | あり | |
山車廃絶 | 祭礼番組9番中、出し9本 | ||||
町神輿 | |||||
旧称は第六天神社、明治6月2月改称。現在地に移転したのは昭和3年。 | |||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之六』に「天明元年(1781)6/5、浅草第六天祭禮(現・榊神社)、神輿出し練物出る」とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)、神輿大破につき毎年陰祭。幟・提灯。天明元年以前は、山車・練物。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)、毎年。寛政9年祭礼あり。13ヶ町、9番組にて山車1本づつ」 とある。 天保9年刊の『東都歳時記』には「出しねり物を出せしが、近き頃より中絶す。神輿は天保四巳年よりむかしのごとくわたるなり」とある。 壱番=浅草旅籠町壱丁目・二丁目代地 二番=浅草御蔵前片町 三番=浅草御蔵前片町代地 四番=浅草元旅籠町壱丁目・二丁目 五番=浅草福富町壱丁目・弐丁目 六番=浅草西福寺門前・同浄念寺門前 七番=浅草新旅籠町 八番=浅草吹上御庭方拝領屋敷 九番=浅草森田町 ⇒本町は、松平市正邸跡であった。享保3年蔵前の森田町が延焼し、御蔵火除地 として一部公収された関係で翌年ここに代地を給された。そこで森田町代地といった。町屋は代地となって以来開かれた。その後明治2年森田町代地が改められ新森田町となった。 以上13町 |
|||||
宮神輿=大正15年頃制作。神田元岩井町・柏原甚吉の作。台輪寸法4尺8寸。高さ約2、4m。 往古の宮神輿は関東大震災で焼失。また三代将軍家光が寄進した台輪が9尺もあった大神輿があったと伝えられる。重い米を担ぐ力自慢の担ぎ手が多かったのだろう。 |
|||||
宮元町(蔵前1丁目+浅草橋三町会)=大正期制作。作者不詳。台輪寸法3尺1寸。 寿三町会=昭和8年制作。浅草寿町2丁目12番地・栗山五郎の作。台輪寸法3尺。 蔵前中央町=神輿あり。 新福富町(寿一丁目)=昭和9年6月制作。浅草寿町2丁目12番地・栗山五郎の作。台輪寸法3尺。 三桂町(蔵前四丁目)⇒三筋町+桂町の合併=昭和20年代前半制作。行徳・浅子周慶の作。 元蔵三町(蔵前二丁目)⇒以前は蔵前三丁目=詳細不詳。 |
|||||
蔵前3−14−11 | 蔵前神社 | 6/1土日 (隔年に本祭) |
宮神輿 | 本祭りのみ | |
子供神輿 | |||||
山車(子供用曳太鼓) | |||||
旧・岩清水八幡宮。旧・郷社。例祭は隔年。西暦偶数年。 | |||||
『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは寛政8年(1796)、毎年。行灯・提灯 とあり。 | |||||
宮神輿=昭和30年、志布景彩の作。彫師は佐藤光重。錺師は安部長次郎。鋳物師は大江貞一。台輪寸法2尺8寸。 昭和33年の渡御の際に起こった破損で永らく渡御が行われなかった。 平成11年6/6完全修復式を行い、41年ぶりに渡御した。これには土屋金属工芸鰍ェあたった。台輪寸法も3尺になった。 |
|||||
鳥越2−4−1 | 鳥越神社 | 6/9前の土日 | 屋台2台 | 鳥越1丁目、浅草橋柳2 | |
太鼓山車1台 | 二長町 | ||||
神輿 | 氏子23ヶ町 | ||||
氏子23町は宮元・西三筋・三筋南・小島二東・小島二西・小島一・鳥一・二長町・柳北・浅四・柳二・浅三・東三筋・三桂・三筋北・阿部川・栄久・菊屋橋・北松山・南松山・永住・七軒町・志ん猿。 | |||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之五』に「明和五年(1768)6/9、鳥越明神祭禮神輿を渡す。産子町々より出し練物出す。」とある。 『江戸歳事記 卷之二夏之部』に寛政八年(1796)の番組産子町々左の如し町数廿二丁出し数十七本にねり物を出しけるなり。 天保9年刊の『東都歳時記』には「寛政八辰年(1796)迄は毎年産子の町ゝより出しねり物を渡しけるが、同じ年より中絶す。神輿は隔年今日産子の町ゝを渡す。 寛政8年の番組産子町ゝは町数廿二丁、出し数17本に、ねり物を出しけるなり。 一番=浅草壽松院門前 二番=同所 三番=同猿屋町 四番=同代地 五番=同阿部川丁 六番=同新寺町三ヶ寺門前十二ヶ寺門前 七番=右門前の内 八番・九番=同 十番=浅草花蔵院門前 十一番=下谷小嶋町 十二番=浅草元鳥越町 〔13〜17番〕何れも同町の内より出る」とある。 |
|||||
宮神輿=昭和3年制作。浅草・牧野田由好の作。台輪寸法4尺5寸。高さ約3m。 以前のは関東大震災により、焼失した。 |
|||||
【氏子地域】 宮元(鳥越2丁目)=昭和30年6月、行徳・浅子周慶の作。昭和61年9月修復。台輪寸法2尺8寸。 西三筋(三筋1丁目)=昭和32年、行徳・浅子周慶の作。平成5年修復。台輪寸法2尺6寸。 三筋南(三筋2丁目)=昭和32年6月、土屋金属工芸の作。台輪寸法2尺5寸。 小島二東(小島2丁目東町)=昭和6年、鹿野嘉平の作。台輪寸法3尺1寸。 小島二西(小島2丁目西町)=昭和26年、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。平成3年6月、種谷製作所で修復。台輪寸法2尺4寸。 小島一(小島1丁目)=制作者、制作年は不祥。昭和54年5月、土屋金属工芸で修復。台輪寸法2尺8寸。 鳥一(鳥越1丁目)⇒2つの町会が合併したので大人神輿は2基あり、祭礼時は交互に出す。 東神輿=昭和11年6月制作。神田・宮惣の作。台輪寸法3尺3寸。 西神輿=制作年、作者は不詳。台輪寸法3尺1寸。 二長町(台東1・2丁目)=昭和34年、行徳・浅子周慶の作。平成3年6月修復。台輪寸法2尺8寸。 鳳凰は平等院タイプのブロンズ。 柳北(浅草橋5丁目)=昭和58年5月、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。台輪寸法2尺5寸。 浅四(浅草橋4丁目)=昭和24年4月、宮松商店の作。平成13年4月、種谷製作所で修復。台輪寸法2尺5寸。 柳二(浅草橋5丁目)=昭和10年制作。作者は地元の宮松こと荒井松五郎の作という説もあり。昭和63年、行徳・浅子周慶で修復。台輪寸法3尺。 浅三(浅草橋2丁目町会)=昭和27年頃制作。制作者は不祥。昭和53年修復。台輪寸法2尺5寸。 東三筋(三筋1丁目)=昭和2年、行徳・浅子周慶の作。昭和57年6月、宝珠堂(小川政次)で修復。台輪寸法2尺8寸。 三桂(蔵前4丁目)=昭和30年5月、行徳・浅子周慶の作。平成2年修復。台輪寸法2尺5寸。 三筋北(元浅草3丁目・寿1丁目)=昭和30年6月、土屋金属工芸の作。台輪寸法2尺5寸。 阿部川(元浅草3丁目)=昭和32年、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。平成4年8月、修復。台輪寸法2尺5寸。 栄久(寿1丁目・寿2丁目)⇒寿1丁目12〜14、20、21番。寿2丁目5〜8番。 =昭和32年頃、鈴木工作所(鈴木金吉)の作。昭和62年6月、和泉金属工芸(和泉眞弘)で修復。台輪寸法2尺3寸。 菊屋橋(元浅草4丁目)=昭和32年5月、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。平成4年5月、翠雲堂で修復。台輪寸法2尺8寸。 北桧山(松が谷1丁目)=昭和54年6月、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。平成4年6月修復。台輪寸法2尺5寸。 南松山(元浅草4丁目)=昭和54年6月、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。台輪寸法1尺。 七軒町(元浅草1丁目)=昭和53年6月、鈴木工作所(鈴木金吉)の作。台輪寸法2尺8寸。 永住(元浅草2丁目)=昭和28年6月、宮本卯之助商店(宮本重義)の作。昭和58年6月、野村勝美で修復。台輪寸法2尺8寸。 |
|||||
浅草橋1−29−11 | 銀杏岡八幡神社 | 6/1日曜 | 神輿 | 奉納演芸も | |
例祭日は江戸期は8月15日。明治中期より6月15日に。現在は6月第一土日が多い。氏子は5ヶ町。 | |||||
『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは寛政8年(1796)。「毎年。行灯・提灯」 とあり。 | |||||
■金曜 (20:00〜)本社神輿 御神霊遷し ■土曜 (11:00〜)例大祭。町会神輿。 ■日曜 (8:30〜13:30)本社神輿渡御 |
|||||
宮神輿=昭和30年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺5寸。 | |||||
浅草橋2−29−16 | 須賀神社 | 6/1金土日(元・8) ( 隔年に本祭) |
神輿 | 氏子は5ヵ町 | |
宮神輿=昭和30年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法は二尺五寸。 | |||||
■旧・下谷区 | |||||
東上野3−29−8 | 下谷神社 | 5/11頃の金土日 | 宮神輿 | あり | |
山車1台 | 東上野2丁目 | ||||
囃子屋台 | 東日暮里五丁目 | ||||
神輿約20基 | |||||
旧・郷社。氏子は29ヶ町。 | |||||
東上野2丁目=桃太郎の人形山車。昭和26年制作。 | |||||
【山車廃絶】 祭礼番組16番中、出し15本 『武江年表 巻之七』に「寛政2年(1790)3/11、下谷稲荷社祭礼、産子町々より出し練物出る。(中略)其の後中絶せり」とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは寛政8年(1796)。「毎年。神輿・獅子頭。近辺武家方より供奉槍。幟・提灯 寛政7年以前は隔年で練物」 とあり。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは寛政9年(1797)。「隔年。寛政2年以来休み。9ヶ町、11番組にて山車1本づつ」 とあり。 上野丁、西久保新下谷丁車坂町、神田小柳丁、神田平永丁、神田八軒町、長者町續車坂町、下谷壱丁目、下谷弐丁目、上野御家来屋敷正法院門前、下谷車坂町、屏風坂下車坂町、神田六軒町・下谷六軒町・浅草六軒町、下谷稲荷町、下谷辻番屋敷、浅草幡随院門前 |
|||||
宮神輿=大正15年4月/29新調。上野松坂屋に発注。実際は行徳・後藤直光の作。(台輪4尺1寸、総高さ十尺一寸)。 初代宮神輿は六代将軍側室の月光院の奉納。 7代将軍家継の生母月光院は下谷神社の氏子であった。正確には南稲荷町。現在の稲荷町交差点コーヒーショップ ベローチェ裏側の唯念寺住職の娘″輝子”である。 家継が病弱だった為に下谷神社に健康を祈願し、正徳4年(1714)に神輿を奉納した。 この由緒ある神輿は大正12年9/1、関東大震災で社殿と共に焼失してしまった。震災3日後の火事であった。 しかし神輿の一部が今でも神社に保存されているという。 |
|||||
【順列行】 先導―猿田彦―大太鼓―社号旗―神職―御幣―大祭委員―神輿委員―五番組―拍子木―本社神輿―鳶頭―宮司―神職―世話人 |
|||||
【氏子29町】 南稲荷町(宮元)=戦前制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺1寸。 仲御徒町3・4町会=昭和11年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺8寸。 御徒町1丁目町会=大中あり。連合渡御に参加しない。共に南部屋五郎衛門の作。 御徒町2丁目町会=大中あり。共に後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。 東上野1丁目=神輿あり。 東上野2丁目=囃子屋台、神輿あり。 車坂=神輿あり。 下車坂町=明治2年、下谷車坂町となった際、具足町(幕府の鎧.兜を管理した同心の拝領地)と下谷町一丁目がこの町域に加えられた。また明治五年に上下車坂に分かれた際に、蓮華寺と仙竜寺を合した。 清島南、中竹、竹町睦、竹南=詳細不詳。 外神田5丁目亀住町=曳太鼓。 |
|||||
上野公園4−17 | 五條天神社 | 5/25頃の土日 (3年毎に本祭) |
神輿 | ||
山車廃絶 | |||||
氏子は以下の12町。五條町、三橋町、池之端仲町、元黒門町、数寄屋町、北大門町、広小路町、上野町1・2丁目、上野町3丁目、西黒門町、東黒門町、南黒門町、上野町3丁目、西黒門町、東黒門町、南黒門町。 | |||||
3年に一度、千貫神輿と呼ばれる大神輿の渡御があり、上野公園から上野広小路一帯を猿田彦を先頭に鳳輦と共に社旗、神職、天狗、巫女舞などの大行列となって巡幸する。 | |||||
【山車廃絶】 『江戸町触集成』第13巻に「天保9年(1838)、花山車・踊家台 等」とある。 『武江年表 巻之十』に「安政6年(1859) 今年は下谷五條天神相殿の天満宮、赤城明神、小石川氷川明神、その他祭礼にはねり物等出て賑へり」とある。 『市中取締書留』に万延元年(1860)、山車1本(上野町1・2丁目)、同1本。手踊(同所仁王門前町、同所家来屋敷)、同1本。 同断(同所南大門町、同所北大門町)」とある。 |
|||||
宮神輿=昭和5年制作。松坂屋注文で行徳の後藤直光の作。台輪寸法3尺8寸。 往古は関東大震災で焼失。 |
|||||
台東2−6 | 桜稲荷神社 | 4/中旬金土 | 例祭 | ||
台東4−21 | 佐竹秋葉神社 | 11/2月曜 | 秋葉の火祭り | ||
池之端1−6−13 | 境稲荷神社 | 9/20 | 山車廃絶 | 祭礼番組11番中、出し11本 | |
『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは寛政8年(1796)。毎年。幟・提灯・行灯。宝暦10年以前は隔年にて山車・練物。明和8年(1771)以前は神輿・榊 とあり。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは寛政9年(1797)。隔年。以前より休み。9ヶ町、11番組にて山車1本づつ とあり。 御府内寺社備考には、「祭礼毎年2月後の午日。千年ハ隔年に祭礼練物等いたすよし」とあり。 |
|||||
【山車廃絶】 一番=下谷茅町壱丁目 二番=同町二丁目口組 三番=同町中組 四番=同町奥組 五番=下谷御数寄屋町 六番=上野大門町 七番=池之端七軒町 八番=根津門前町 九番=同宮永町 十番=湯島講安寺門前 十一番=同称仰寺(院?)門前 |
|||||
池之端2−5−47 | 七倉稲荷神社 | 9/20 | 例祭 | ||
9/20頃の日曜 | 宮神輿 | 4年ごと | |||
子供神輿、山車 | |||||
宮神輿=昭和5年制作。行徳の後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。 | |||||
松が谷三丁目10−7 | 秋葉神社 | 5/18 | 例祭 | 旧・郷社 | |
11/6 | 鎮火祭 | ||||
下谷2―13−14 | 小野照崎神社 | 5/3金土日 ( 3年に一度本祭) |
人形山車1台 | 元入谷町 | |
神輿16番 | |||||
氏子は5地区、17ヶ町である。 | |||||
『武江年表 巻之五』に「宝暦7年(1757)8/15、下谷坂本小野照崎明神祭礼、出し練物等出す。其の後中絶す」とある。 天保9年刊の『東都歳時記』には「神輿1基、年々産子町々を渡す。産子の町々十八日より賑ひ、年によりて花出しをどり等出す」とある。 |
|||||
元入谷町=大正10年頃制作。小野篁の人形山車で小型四輪。囃子方は乗せず一対の獅子頭を飾って巡行する。 かつては二重鉾の大型山車。 |
|||||
宮神輿=大正2年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法3尺8寸。 | |||||
■入谷地区 入谷町会=詳細不詳。 元入谷町=大正10年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法3尺。 下谷二丁目町会=詳細不詳。 下谷東町会=子供神輿、曳太鼓。 |
|||||
■中入谷地区 中入谷町会=昭和27年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺4寸。平成2年修復。 入谷中央町会=詳細不詳。 入谷光和会、下谷一丁目本町会=詳細不詳。 |
|||||
■坂本地区 坂本町会=制作年代不詳。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺8寸。 坂本二丁目町会=大正8年制作。神田宮惣の作。台輪寸法2尺5寸。 下谷一丁目町会=詳細不詳。 |
|||||
■北上野地区 北上野一丁目町会(万年町二丁目)=大正12年5月制作。鹿野喜平の作。台輪寸法3尺1寸。 北上野二丁目町会(山伏町)=大正10年制作。作者不詳。台輪寸法2尺1寸。 子供神輿、曳太鼓もあり。 北上野町会(新坂本一丁目)=戦前の作。作者不詳。台輪寸法2尺9寸。平成14年修復。 |
|||||
■松が谷地区 松が谷三丁目町会(入谷二丁目)=浅草・宮本重義の作。 松が谷四丁目(南入谷)=詳細不詳。 松が谷四丁目東栄会=大人神輿、子供神輿2基、曳太鼓。 |
|||||
下谷3−7−5 | 三島神社 | 6/3土日 (元・14、15) |
曳太鼓 | 各町にあり“山車”と称する | |
神輿3基 | 町神輿のみ | ||||
【山車廃絶】 明治44年、春陽堂刊の「東京年中行事」には「今年は殊に三百年祭を兼ねて本祭を行ひ、花山車五本、踊屋台六、馬鹿囃五ヶ所、造庭十二ヶ所、神酒所二十ヶ所の外仁和賀数台を出し、十五日には有名な直径七尺余の大太鼓を出して神輿の渡御を行った」とある。 |
|||||
町神輿⇒金杉1丁目=昭和23年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。 金杉2丁目、金杉上町 |
|||||
竜泉2−19−3 | 千束稲荷神社 | 5/4土日 | 山車廃絶 | ||
宮神輿 | |||||
氏子は千束郷(=竜泉寺町と千束町の一部)。 | |||||
樋口一葉著の「たけくらべ」には、「八月廿日は千束神社のまつりとて、山車屋臺に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内までも入込まんづ勢ひ...」(中略) 「打つや皷の調べ、三味の音色に事かゝぬ塲處も、祭りは別物、酉の市を除けては一年一度の賑ひぞかし、三嶋さま小野照さま、お隣社づから負けまじの競ひ心をかしく、横町も表も揃ひは同じ眞岡木綿に町名くづしを、去歳よりは好からぬ形とつぶやくも有りし、口なし染の麻だすき成るほど太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨、木兎、犬はり子、さまざまの手遊を數多きほど見得にして、七つ九つ十一つくるもあり、大鈴小鈴背中にがらつかせて、驅け出す足袋はだしの勇ましく可笑し、群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半天、色白の首筋に紺の腹がけ、さりとは見なれぬ扮粧とおもふに、しごいて締めし帶の水淺黄も、見よや縮緬の上染、襟の印のあがりも際立て、うしろ鉢卷に山車の花一枝、革緒の雪駄おとのみはすれど、馬鹿ばやしの中間に入らざりき、夜宮は事なく過ぎて..」(後略)などと書かれている。 また平成20年5月には本神社が一葉の「たけくらべ」由来後と言う事にともない氏子が本殿向かって左手に一葉の胸像を建立している。 碑文には「明日ハ鎮守ナル千束神社ノ大礼ナリ今慶ハ珠ニニギハシク山車ナドヲモ引キ出ルトテ人々サワグ」と記されている。 |
|||||
宮神輿=昭和61年制作。南千住の島田正治氏と栃木県石橋市の小川政次氏により寄進される。台輪寸法3尺3寸。 | |||||
松ヶ谷2−14−1 | 矢先稲荷神社 | 6/3土日 (元・15。隔年西暦奇数年) |
宮神輿 | ||
小型屋台1台 囃子屋台1台 |
松葉睦 | ||||
旧・松葉町の祭礼。今の松が谷一丁目〜四丁目である。松葉町は八区に区切られ、松一、松二、三新会、五葉会、六新会、七冨久会、八笑会からなる。神幸祭には、囃子屋台が先導し、猿田彦、榊、御幣などに続き、神輿が巡幸する。 | |||||
宮神輿=昭和4年制作。行徳の浅子周慶の作。平成12年修復。台輪寸法3尺5寸。 | |||||
根岸1丁目7−11 | 元三島神社 | 5/14頃の土日 | 山車1台 | 荒川区東日暮里6丁目本町 | |
神輿9基 | |||||
氏子は15町会。台東区上根岸、中根岸、下根岸&荒川区東日暮里1丁目〜6丁目の9ヶ町。3年に1度本祭りが行われる。 | |||||
『江戸 | |||||
東日暮里6丁目本町=愛知県半田市で見られるような半田型の山車。 | |||||
本社神輿=かつてあったが、今は無い。 | |||||
宮元⇒現在は上根岸・根岸2丁目に分かれる。神輿を交互に担ぐ。また上根岸には中神輿もある。 =(大)は昭和20年代制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。 (中)は昭和30年代制作。行徳・後藤直光の作。 中根岸=昭和20年代制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺6寸。 下根岸=昭和33年5月制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。 |
|||||
東日暮里一・二丁目⇒町会館は東日暮里1丁目38−7。 神輿=昭和30年代制作。鹿野喜平の作。台輪寸法2尺1寸。 子供神輿、曳太鼓もあり。 東日暮里三丁目本町⇒町会館は東日暮里3丁目10−17。 =制作年・作者は不詳。台輪寸法3尺。 東日暮里三丁目南町(日暮里3丁目8番7号〜46番14号)=昭和8年(1933)頃制作。作者不詳。台輪寸法2尺4寸。昭和54年、後藤直光により修復。 東日暮里四丁目(東日暮里4丁目全域) =昭和5年(1930)制作。神田・宮惣の作。台輪2尺9寸。 東日暮里五丁目=昭和60年(1985)制作。足立区の伊吹製作所の作。台輪寸法2尺4寸。 東日暮里六丁目町会⇒東日暮里6丁目22−8〜12、23―5〜14、24―3〜20。 東日暮里六丁目本町(東日暮里6丁目1〜56の大半) =戦後、浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。 |
|||||
【東京時代まつり】 11月3日、13:00〜16:30頃開催。小雨決行、荒天中止。 出発は浅草寺二天門前⇒馬道通り⇒吾妻橋交差点⇒雷門⇒雷門通り⇒浅草寺本堂裏広場で解散。 主催は東京時代まつり実行委員会・浅草観光連盟。平成元年から始まった浅草の一大歴史イベント。 ◎平成24年の順番 先触一 【浅草のよろこび 金龍の舞】江戸囃子 金龍の舞 松慈童 先触二 【びんざさら舞】 先触三 【白鷺の舞】舞人、楽人 守護童子、江戸囃子 一. 東京時代まつり本旗、手古舞 二. 奉行(=役員) 三. 東京のあけぼの 浅草観音示現=十童子、観音像網得の図 四. 在原業平 東下り=在原業平、狩衣侍女、従者 五. 源 頼朝 隅田川陣営=武者行列 源頼朝 豪族・江戸氏 供侍、畠山重忠、千葉常胤、侍大将、武者、土肥実平 六. 北条政子 浅草寺参詣=北条政子 女官 供侍 七. 三社大権現祭礼 船渡御=神輿一之宮、神輿二之宮、神輿三之宮、氏子、巫女、大玉串巫女、三綱、裃奉行 八. 江戸開祖 太田道灌=太田道灌、重臣、従者、山吹娘 九. 江戸城築城 御石曳き 十. 徳川家康 江戸入府=徳川家康・秀忠、小姓、四天王、井伊の赤備え 十一. 徳川家光 三社権現社再建寄進=徳川家光、柳生但馬守、松平伊豆守、土井大炊守、小姓、警備侍 十二. 参勤交代・大名行列=供侍、家老奉行、小姓、奴、露払い 十三. 江戸の人気者=水戸黄門、一心太助、大久保彦左衛門、盥担ぎ、松尾芭蕉、播随院長兵衛、水野十郎左衛門 他 十四. 大岡越前守と江戸町火消=大岡越前守忠相、与力・同心、町火消 十五. 浅草市村座七福神舞=福聚の舞 十六. 猿若三座 江戸歌舞伎=白浪五人男、花川戸助六、児雷他、中村座、市村座、守田座 十七. 江戸芸者=芸者衆 出の衣装 十八. 日野市 新撰組=近藤勇 土方歳三 沖田総司 隊士 十九. 第十五代将軍 徳川慶喜=徳川慶喜、小姓、警備侍 二十. 東北復興支援特別編成隊=山本八重と白虎隊 二十一. 江戸から東京へ=西郷隆盛、勝 海舟、山岡鉄舟、大久保利通、坂本竜馬、彰義隊、官軍 二十二. 文明開化 鹿鳴館=樋口一葉、郵便、巡査 二十三. 浅草奥山風景=飴売り、瓦版売り、玩具売り、唐辛子売り 殿(しんがり)=横断幕、瓦版配布 ※年によっては大奥御殿女中、元禄花見踊り、赤穂浪士の討ち入り、黒船来航・ペリー などが出ることもある。 |