東京都
 
≪港区≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪港区≫  
東新橋2−12
(移転前は新橋4−13−9)
日比谷神社 5/上旬金土日
(隔年に本祭。烏森神社と交互)
宮神輿
町内神輿2基 新橋4丁目、5丁目
曳太鼓2台 新橋3丁目、新橋4丁目
山車廃絶 芝口弐丁目、芝口三丁目、源助町
 【山車廃絶】
『武江年表 巻之七』「寛政四年(1792)二月初午の日、芝日比谷稲荷祭礼。産子町々よりだし練物等出す。」とある。町数5町中、出し3本。
『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは、「寛政9年(1797)毎年。寛政4年以来休み。5ヶ町にて山車3本、獅子頭。」とある。
汐留町会⇒東新橋2丁目(3番、4番、8番、9番、13番、14番)

東新橋一丁目町会(東新一)⇒東新橋1丁目(1番、2番)
新橋2−15−5 烏森神社 5/4〜6
(隔年に本祭。日比谷神社と交互)
宮神輿
小型囃子屋台1台 新橋加良寿連
山車廃絶 双葉町、兼房町、桜田備前町、桜田和泉町、桜田鍛冶町
 氏地は、江戸時代は土橋二葉町・同兼房町・櫻田備前町・同和泉町・ 同鍛冶町の5町。
現在は新橋一丁目西部、新橋桜、新橋二丁目兼房、新橋二丁目烏森、新橋三丁目新三、新橋三丁目中部、新橋三丁目西部、田村新交、西新橋1丁目桜正、西新橋1丁目桜、西新橋1丁目南桜、西新橋1丁目親和、南佐二、ニュー新橋ビル、しんちかの15町会。
『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。毎年。天明4年から、寛政5年まで踊り・囃子などあり。5ヶ町にて山車4本。」 とあり
山車=南佐久間二丁目、新橋三丁目西
宮神輿=昭和5年11月、神田・多゛し鉄(山本鉄之)の作。八棟造り。台輪寸法4尺2寸。
昭和57年、神田・宮惣(村田桂一)により修復。
新橋一丁目西部町会新橋1丁目(2番、13番〜17番)

新橋桜自治会
⇒新橋1丁目(1番、18番)西新橋1丁目(3番)

新橋二丁目兼房会
⇒新橋2丁目(1番〜5番、10番〜14番)

新橋二丁目烏森町会
新橋2丁目(6番〜9番、15番)

新橋三丁目新三町会
⇒新橋3丁目(1番〜7番)

新橋三丁目中部町会
新橋3丁目(16番の一部、17番〜21番、25番)

新橋三丁目西部町会
新橋3丁目(8番〜15番、16番の一部)

田村新交町会新橋4丁目(1番〜4番、28番〜31番)西新橋2丁目(20番〜27番、36番〜39番)

西新橋一丁目桜正町会
⇒西新橋1丁目(11番〜15番、16番の一部)

西新橋一丁目桜町会
西新橋1丁目(16番の一部、17番〜19番)

西新橋一丁目南桜町会
西新橋2丁目(5番〜10番)

西新橋一丁目親和町会
西新橋4丁目(7番〜10番、20番〜24番)

南佐二町会
西新橋2丁目(1番〜4番、11番〜15番)

ニュー新橋ビル自治会
⇒新橋2丁目16−1(ニュー新橋ビル)

しんちか自治会
新橋2丁目東口地下街1号
芝4―15―1 御穂鹿嶋神社 3/15 屋台廃絶 本芝1、2、3、4丁目(各1台ずつ)、猟師町
6/10(隔年) 宮神輿 氏子各町会持回り
氏子は本芝、芝浦1丁目、芝浦2丁目、海岸2・3丁目の4町会。
御穂神社の往古の例祭日は3/15で、戦前は本芝の海岸にあった花柳界の芸者衆が総出で、盛大に行われていた祭礼だったが、その後、昭和57年に一度だけ、30年ぶりに復活したが、以後は行われていない。
町会による祭りはバブル期の地上げによる人口減少と共に昭和63年を最後に一度途切れた。
しかし、平成18年「芝四丁目再開発事業」に伴い、鹿嶋神社を合祀し御穂鹿嶋神社となり、11月新社殿を建立、遷座祭が行われ宮神輿渡御を経て、11月26日無事奉祝祭を終えました。これより平成20年6月の祭礼より隔年で、で宮神輿渡御を行うこととなった。
宮神輿=制作年、作者は不詳。なれど希望の塔(現在は神社の脇に移築)に昭和10年本芝神輿会建立と刻まれているのでこれ以前に建立と分かる。
麻布台2―2―14 飯倉熊野神社 6/1日曜(元・3) 宮神輿 氏子4町会合同で担ぐ  
神輿(大小)4基
曳太鼓4台
 【山車廃絶】
『武江年表 巻之十』に「安政6年(1859)飯倉熊野権現祭礼、車楽(だし)ねりも等出て賑へり」とある。
氏子=東麻布飯五町会 など
六本木2−1−16 久国神社 6/8頃の日曜(隔年) 神輿 氏子は1ヶ町 
宮神輿=大正10年制作。作者不詳。黒漆塗り延軒屋根。勾欄造り。台輪寸法3尺2寸。
虎ノ門5−10−14
(旧・芝西久保八幡町)
西久保八幡神社 8/盆前三日
(旧・13〜15
山車廃絶   
曳太鼓、神輿  
天保9年刊の『東都歳時記』には「毎年神輿産子の町を渡し、西久保大通りへ御旅所を設けて十三日より事御旅出あり。今日放生会をなす。町々より隔年踊りねりものを出す事、丑卯巳酉亥の年なり」とある。
 また戦前の大祭では、牛車による宮神輿の渡御が行われるなど祭礼は盛大で、作家・永井荷風が「西ノ久保八幡宮祭礼にて近巷賑かなり」と日記に記している。
近年の氏子内のオフィス化の影響で、旧盆に当たるこの時期は昼夜とも人通りも少なくなり、町会により催す日も違うし、宮本の八幡町は3日間だが、他町は1日が多い。
琴平町会(虎ノ門一丁目)⇒虎ノ門1丁目(2番〜15番)
=神輿(18:00〜20:00)、曳太鼓(14:00〜16:00)

明舟町会(虎ノ門二丁目)
⇒虎ノ門2丁目(3番〜9番)
=神輿、曳太鼓(16:00〜)

巴町会(虎ノ門三丁目)
⇒虎ノ門3丁目(1番〜17番、18番、19番の一部
=13日〜15日は曳太鼓(11:00〜)、14日は模擬店(17:00〜)も


八幡町会(虎ノ門五丁目)⇒虎ノ門5丁目(8番〜11番)
=子供みこし、曳太鼓(1400〜)、神輿(中日の14:30〜)、神社境内で模擬店(17:30〜)、盆踊り(19:00〜)
神谷町町会(神谷町交差点周辺)⇒虎ノ門5丁目1番、2番、3番の一部、12番、13番・3丁目25番の一部
 =模擬店(17:30)
三田3−7−16 御田八幡神社 8/最終土日 山車廃絶 12本あった
神輿 氏子は15ヶ町 
 【山車廃絶】
『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは、「寛政9年(1797)、隔年。寛政8年祭礼あり。13ヶ町、12番組にて山車1本づつ」とある。
『武江年表 巻之八』「天保11年(1840)8/15、芝田町八幡宮祭礼、産子町々よりだし練物等出す。其の後止む」とある。
一番=伊皿子町、同台町
二番=芝田壱丁目
三番=芝田弐丁目
四番=芝田三丁目
五番=芝田横新町
六番=芝田通新町
七番=芝田四丁目
八番=芝田五丁目
九番=芝田六丁目
十番=芝田七丁目
十一番=芝田八丁目
十二番=芝田九丁目    
宮神輿=昭和10年代制作。行徳・後藤直光の作。延軒屋根・勾欄造り。平成21年、岡田屋布施で修復。そのため作人札は岡田屋になっている?。
 氏子区域が広くトラックで9:30〜15:00にトラック渡御。
三田2−13−9 三田春日神社 9/9頃の金土日 宮神輿  
神輿11番
宮神輿=昭和29年制作。浅草・宮本重義の作。寸法2尺。元は地元の町会神輿。
三田豊岡町会⇒三田4丁目(3番、6番、7番の一部)・三田5丁目(2番〜12番、13番の一部、14番の一部)
=大正6年制作。八ッ棟神輿。作者不詳。寸法2尺8寸。子供みこしもあり。

三田綱町自治会⇒三田2丁目(1番〜3番、17番〜22番)
=詳細不祥。

三田寺町
⇒三田4丁目(1番の一部、2番、4番、5番、11番の一部)
=詳細不祥。

三田台町⇒三田4丁目(8番の一部、9番の一部、10番、11番の一部、12番〜17番、18番の一部)・高輪1丁目(5番の一部)
=神輿、お囃子車=トラック仮装で各町へ挨拶に廻る。

同友会(三田二丁目商店会)=詳細不祥。

三田慶南町会⇒三田2丁目(15番、16番)・3丁目(1番〜4番の一部)。

芝五丁目町会⇒芝5丁目(1番〜17番、19番〜28番)
=詳細不祥。

北四国町(芝3丁目)⇒芝3丁目(17番〜43番)

三田二丁目一交会⇒三田2丁目(4番〜12番、13番の一部)
=詳細不祥。

松坂町会⇒三田4丁目(7番の一部、8番の一部)・三田5丁目(3番の一部、14番の一部、15番〜21番)
=神輿、曳太鼓。
高輪2−14−18 高輪神社 9/10頃の日曜
(三年毎本祭)
神輿 氏子は高輪1,2,3丁目 
氏子は高輪北町、高輪台町、二本榎1・2丁目、二本榎本町、二本榎西町の6ヶ町(現在の高輪1、2、3丁目)
宮神輿=大正5年(1916)9月吉日制作。神田黒門町・宮惣の作。黒色延軒屋根。台輪寸法3尺5寸。平成19年修復。
高輪北町親和会=高輪2丁目(10番の一部、12番の一部、13番、14番の一部、21番の一部、高輪3丁目(19番の一部、24番)

高輪台町会=高輪2丁目(1番の一部、2番の一部、3番の一部)

二本榎1・2丁目=??

二本榎本町町会
=高輪1丁目(21番、22番、23番の一部、24番〜26番、27番の一部)・高輪2丁目(3番、4番、5番、8番の一部)

二本榎西町自治会高輪3丁目(1番の一部、2番〜9番)
芝大門 1−12−7 芝大神宮 9/11〜21
(隔年本祭)
子供屋台2台
宮元大門、芝新堀
宮神輿   
神輿15番
 【山車廃絶
『市中取締書留』は「万延元年(1860)、獅子頭。山車。手踊(芝西応寺町)、山車手踊。唐人行列之学(芝金杉町)」とある。
 【平成17年の番付】
魁=宮元大門神輿会=宮神輿。大は寸法2尺7寸。中は浅古周慶の作。寸法1尺5寸。

一番=芝大門一丁目北親会睦芝大門1丁目(1番〜3番、5番、9番の一部)
=神輿

二番=新橋七丁目町会⇒新橋6丁目(19番〜23番)
=神輿

三番=新橋露月町町会⇒東新橋2丁目(2番、5番)
=小神輿

五番=新橋五・六丁目町会⇒新橋5丁目(15番〜19番、26番〜33番)・新橋6丁目(4番〜8番、10〜13番)
=神輿

六番=浜松町一丁目町会⇒浜松町1丁目(1番〜11番、13番、14番)
=神輿

七番=芝浜町会芝大門1丁目(4番、16番)
=神輿

八番=浜三町会芝大門2丁目(4番、5番)
=神輿

九番=芝浜四町会芝大門2丁目(12番)
=神輿

十番=芝大門二丁目仲一町会芝大門2丁目(2番、3番)
=神輿

十一番=芝大門中二町会(旧称は中門前2丁目)⇒芝大門2丁目(6番、7番)
=神輿

十二番=中三三治会芝大門2丁目(10番、11番、13番)
=神輿(大小)

十三番=片門前町会⇒芝大門2丁目(1番、8番、9番)・芝公園2丁目(3番の一部、4番の一部、10番の一部、11番の一部)
=神輿

十四番=芝公園二丁目町会⇒芝公園2丁目(2番、3番の一部、4番の一部、5番〜9番、10番の一部、11番の一部、12番)
=神輿

十五番=芝三丁目松本町会⇒芝3丁目(1番〜3番、7番〜16番)
=神輿(大小)

十六番=芝西応寺町会⇒芝2丁目(15番の一部、23番〜27番、28番の一部、29番の一部、30番)

十七番=芝新堀町会⇒芝2丁目(1番、3番の一部、4番〜12番、14番の一部、15番の一部、16番〜22番、23番の一部、32番)・芝3丁目24番の一部、5番、6番)

十八番=芝金杉町会(旧・芝金杉町会・金三親和会・金四親生自治会・金杉川口町・金浜親睦会)
⇒芝1丁目(1番〜15番)・芝2丁目(2番、3番、13番の一部、14番の一部、27番の一部、28番の一部、29番の一部)

=作札には昭和11年、行徳・後藤直光とあり。

十九番=新門前睦会(旧称は芝新門前町)⇒三田1丁目1番、2番
 【平成17年の連合渡御に不参加】
芝大門一丁目宮本町会芝大門1丁目(6番〜8番、9番の一部、10番〜15番)

新橋六丁目東町会⇒新橋5丁目14番・6丁目9番

東麻布北新睦会(旧称は麻布北新門前町)⇒東麻布2丁目(21番の一部、22番の一部、23番の一部、24番〜27番、28番の一部、30番の一部、31番〜34番、35番の一部)

東麻布二丁目北新睦会⇒東麻布2丁目(21番の一部、22番の一部、23番の一部、24番〜27番、28番の一部、30番の一部、31番〜34番、35番の一部)

東麻布三丁目町会
⇒東麻布3丁目(1番の〜10番)

北四国町
(旧称は三田四国東部町)⇒芝3丁目(17番〜43番)

海岸一丁目町会
⇒海岸一丁目全域
赤坂6−10−12 赤坂氷川神社 9/15頃の土日
(隔年本祭)
宮神輿 戦災により焼失
囃子屋台1台 赤坂5、6丁目
山車3台 赤坂氷川山車保存会
山車8台(休止中) 表伝馬町一丁目、表伝馬町二丁目、裏伝馬町一丁目、裏伝馬町二丁目、田町1・2・3丁目、赤坂一ツ木町、新町2・3丁目、新町4・5丁目
山車廃絶 裏伝馬町三丁目、元赤坂町同代地、西大沢町、新町1丁目
神輿12番 15基
 【山車曳行】NPO法人赤坂氷川山車保存会HPへ
猩々の山車
=平成19年(2007)8/24、完成。9/5、東京ミッドタウンにて御披露目。回車輪等下層部の製作は青梅の車大工 峯岸木工。1台目の山車で約100年ぶりの曳行。
 元々一ツ木町(赤坂一ツ木町会)=10番(一ッ木)・11番(魚棚)・12番(大沢町)。
人形は源頼朝。嘉永2年(1849)桃柳軒玉山こと人形師孫平の作。形の長持には嘉永2年(1849)とある。制作費は高欄と共で53両2分。
修復前は源頼朝の人形と上高欄のみ。

頼義の山車=平成20年(2008)9/3、ACTシアター前にて御披露目。人形は平成20年修復。回車輪等下層部の製作は青梅の車大工 峯岸木工。

 元々裏伝馬町二丁目(伝馬町町会)の山車=4番。
人形は源頼義。弘化3年(1846)松雲斎こと古川徳山の作。明治38年(1905)久月により修復。飾幕は朱の1枚、「岩と波」。
絵馬によると三層の高い山車だった。


神武天皇の山車=平成23年(2011)9月4日、御披露目。約100年ぶりの巡行。
  
元々田町4・5丁目(赤坂田町3、4、5丁目町会)の山車=9番。神武天皇の人形のみ残っていた。大正4年制作。
 安政2年は弁天。文久元年は武蔵野。 
 【山車曳行可能】
表伝馬町一丁目(赤坂表1、2町会)
=1番。人形は明治期の作。九代目団十郎が猩々の能を舞う。

田町1・2・3丁目
(赤坂見附会)=8番。人形は恵比須。昭和初年作。岩組型の山車。

赤坂新町2・3丁目(赤坂新二会)=15番。人形は翁二人立。文久3年(1863)作。安政2年は武蔵野、文久元年は翁千年。

赤坂新町4・5丁目(赤坂6、7丁目町会)=16番。人形は日本武尊。嘉永6年(1853)作。
 【一部のみ保存】
表伝馬町二丁目(赤坂表1、2町会)=2番。人形は弘化2年(1845)。猿、頭のみ。

裏伝馬町一丁目(伝馬町町会)=3番。翁、頭のみ。
 【山車廃絶】
裏伝馬町三丁目=5番。埼玉県に売却したと伝えられる。人形は鶴ヶ岡。後に関羽。

元赤坂町同代地=6番、7番。人形は武内宿禰。

西大沢町=13番。恵比須。

新町1丁目=14番。諌鼓鳥。
 
宮神輿=昭和初期制作。神田・宮惣の作。寸法4尺。戦災で焼失。
 【神輿】
赤坂見附会
⇒赤坂3丁目(1番、2番、8番〜10番)
=昭和56年制作。中台祐信の作。唐破風屋根。台輪幅は尺5寸。


赤坂東一二町会⇒赤坂1丁目(6番、8番、9番の一部、11番の一部)・赤坂2丁目(5番の一部、7番〜10番)
=詳細不詳。

赤坂新一町会⇒赤坂3丁目(20番、21番)
=詳細不詳。

赤坂新二町会⇒赤坂3丁目(16番〜19番)
=昭和34年制作。宮本重義の作。延屋根。台輪幅は2尺4寸。


赤坂新三町会⇒赤坂2丁目(14番)・赤坂3丁目(13番〜15番)・赤坂5丁目(1番の一部、3番の一部)
=昭和28年9月吉日制作。宮本重義の作。彫師は斉藤義一。寸法2尺5寸。


中ノ町・新四町会⇒赤坂5丁目(4番、5番の一部)・赤坂6丁目(1番〜4番、5番の一部、11番〜13番)
=詳細不詳。


赤坂新町五町会⇒赤坂6丁目(14番〜17番)・赤坂7丁目(8番〜11番)
=昭和60年制作。作者不祥。寸法は60cm。


赤坂田町三・四・五町会⇒赤坂2丁目(5番の一部、6番、13番)・赤坂3丁目(3番〜7番、11番、12番)
=詳細不詳。

赤坂五六丁目町会=昭和60年制作。

赤坂一ツ木町会⇒赤坂4丁目(1番〜3番)・赤坂5丁目(1番の一部、2番、3番の一部)
=昭和51年制作。後藤直光の作。延屋根。台輪幅は2尺3寸。

赤坂氷川町会⇒赤坂6丁目(5番の一部、6番、8番〜10番、18番、19番)
=昭和26年制作。関徳の作。台輪幅は2尺3寸。

赤坂7丁目町会⇒赤坂7丁目(1番〜7番)
=詳細不詳。

桧町町会
⇒赤坂8丁目(13番)・赤坂9丁目(1番、2番の一部、3番〜6番)
=詳細不詳。

赤坂福吉町会
⇒赤坂2丁目(11番、12番、15番〜23番)・赤坂6丁目(7番)
=詳細不詳。

アークヒルズ自治会
⇒赤坂1丁目(12番、13番)
=平成元年修復。延屋根。台輪幅は2尺。
白金2−1−7 白金氷川神社 9/3土日 宮神輿
町神輿 氏子は19ヶ町
宮神輿=戦前、台輪4尺5寸の宮神輿があったが、戦災で焼失。そこで白金志田町会が町会神輿を寄進。昭和初期制作。行徳・浅子周慶の作。唐破風軒屋根。勾欄造り。台輪寸法3尺。
神輿は三光第五町会、白高町会など
麻布十番1丁目4−6 十番稲荷神社 9/17頃の土日 宮神輿 三年に一度。2010年は出した。
山車  商店街
神輿10基
元は末広神社(麻布坂下町41)、竹長稲荷神社(麻布永坂町43)の両社があったが、昭和20年4月15日に戦災により焼失。昭和25年6月土地区画整理により、両社境内を現在の麻布永坂48番地(現・麻布十番1丁目4番5号)に換地を隣接指定され移転し、その後両社を合併し、神社名を十番稲荷神社と改称した。
山車〔商店街〕=土日とも14:30分出発。参加自由。
宮神輿=平成12年制作。
山車(曳太鼓)・大人神輿・子供神輿=旧町のそれぞれが保有。
⇒宮村町〔宮村会〕、網代町〔網代会〕、新網2丁目〔新二会〕、宮下町〔宮下会〕、山元町〔山元会〕、坂下町〔坂下会〕、宮下町〔麻布十番睦会〕の各町
 【人数不足でお休み】
永坂町、一本松町、西町
元麻布1−4−23 麻布氷川神社 9/17頃の日曜
(三年毎本祭)
宮神輿
山車廃絶 祭礼番組8番中、出し8本
神輿7基 宮村会、新網二丁目、網代会、宮下町、一本松西町、坂下会、山元町 
麻布本村町町会蔵の昭和10年9月に描かれた「昭和10年御輿新調同渡行実況」と題された絵には、2頭の牛に引かれた宮神輿、雅楽連、騎馬、七色旗、猿田彦(天狗)、牛に引かれた山車には大きな獅子頭とおはやし、木遣りとび職、太鼓、宮神輿のうしろには馬車の行列も描かれている。
 【山車廃絶】
『武江年表 巻之八』に「寛政三年(1791)8/17、麻布本村氷川明神祭礼出し練物等出る(其の後休む)」とある。
『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは、「寛政9年(1797)、隔年。寛政3年以来休み。10ヶ町、8番組にて山車1本づつ」とある。
天保9年刊の『東都歳時記』には「町々より踊りねり物花出し等出す」とある。
壱番=宮下町
弐番=本村仲町

三番=本村上ノ町
四番=一本松町
五番=三軒家町
六番=宮村町新道町
七番=南日ヶ窪町附り北日ヶ窪町
八番=宮下町附り
麻布新網壱丁目同弐丁目
宮神輿=昭和10年制作。神田・宮惣の作。寸法4尺。かつては牛に引かせた大きな神輿。
麻布宮村町会⇒麻布十番2丁目(5番、6番、7番の一部)
=神輿

新網二丁目=詳細不祥

麻布十番網代会
⇒麻布十番2丁目(1番、2番、3番の一部、12番の一部、13番の一部、14番〜20番、21番の一部、麻布十番3丁目(3番、4番の一部、7番の一部)
=神輿

宮下町、一本松西町
=詳細不祥

坂下会⇒麻布十番2丁目(3番の一部、4番の一部、8番の一部、9番の一部、10番、11番、12番の一部、13番の一部)・麻布十番3丁目(7番の一部、8番の一部)
=神輿

山元町会⇒麻布十番2丁目(21番の一部)・麻布十番3丁目(1番、2番、4番の一部、5番、6番、7番の一部、8番の一部、9番〜14番)=神輿
六本木7−7−7 天祖神社 9/3日曜(元・21) 神輿   
宮神輿=昭和62年制作。浅草・宮本重義の作。唐破風軒屋根。台輪寸法2尺。
氏子は六本木町、三河台町、材木町、竜土町。
12時:宮出し。17時宮入り。
西麻布3−2−16 櫻田神社 9/23(元・22) 宮神輿 戦災で消失
神輿 大人、子供 
戦前までの当社大祭には、宮神輿(昭和20年空襲による戦火にて消失)を、現在の新橋内幸町交差点付近に設けられた御旅所まで牛に曳かせ、丸二日を掛けて当社とその間を往復する盛大な神幸祭が斎行された。昭和30年代中頃までは、神振行事の神楽や、盆踊りがあったが、その後の都市化や氏子減少により衰退してしまった。
愛宕1−5−3 愛宕神社 9/24(西暦奇数年。巡幸は23日) 屋台廃絶  
太鼓山車 互親会町会
神輿五番
宮神輿=昭和56年制作。石川県輪島市の神輿師の作。これは奉納された篤志家が石川出身のため。輪島塗の六角神輿。寸法1辺が1尺5寸。
神輿=宮神輿、互親会町会、西新橋二丁目西町会、西新橋三丁目愛二町会、六和町会、愛宕町会

          

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