東京・江東

      ≪墨田区、江東区≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪墨田区≫
緑4−11−9 五柱稲荷神社 4/26 神輿  
千歳2−4−8 初音森神社 5/12 神輿   
儀式殿は中央区東日本橋2−27−9。これは当時の鎮座地は、初音の里と呼ばれていた現在の儀式殿のあたりで、初音稲荷と称していたが、浅草見附門の建設のために社地の半分を削られ、さらに明暦の大火の後、郡代屋敷建設のため、現在本社がある墨田区千歳へと遷座した。氏子は元の土地に残ったため、神社と氏子が離れる結果となった。祭礼の時など、わざわざ隅田川を渡って神輿を運び、氏子地域を巡ったという。
このような不便を解消すべく、昭和23年(1948)かつての初音の里に神社を建立。さらに48年(1973)神殿・儀式殿を備えたビルとした。
千歳1−8−2 江島杉山神社 5/中旬
(2年毎に本祭)
宮神輿
神輿 千歳1丁目、千歳2丁目(中央町会)
子供みこし
太鼓山車
東向島3−5−2 白髭神社 6/7頃の土日
( 3年毎に本祭)
小型山車1台 休止中  
山車1台 昔は黒牛に曳かせた
獅子 江戸期の作
神輿  
宮付き=小型山車、太鼓山車(休止中)
東図子(太鼓山車)、六壱(底抜け屋台)
氏子は11町会で、ここの氏子町は「図子」と呼んでいる。西図子(宮本)、東図子、中図子、南図子、北図子、辰巳図子、番場図子、巴図子、堤図子、玉ノ井図子、八雲図子(向島8丁目)。
宮神輿=嘉永元年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法4尺3寸。
押上2−37−9 高木神社 6/7頃の土日
( 3年毎に本祭)
神輿 四睦、上睦、下睦
旧・寺島村新田の鎮守
四睦=旧・寺島四丁目、上睦=旧・寺島村上町、下睦=旧・寺島村下町
浅草橋2−29−16 須賀神社 6/1金土日(元・8)
( 隔年に本祭)
神輿   
宮神輿=昭和30年制作。作者不詳。神田・宮惣の作。台輪寸法二尺五寸。
東向島6−27−7 長浦神社 6/1土日 太鼓山車 長浦宮本、長浦西睦、八広町
神輿 長浦宮本、長浦西睦、八広町
墨田4−38−13 隅田稲荷神社 6/15前の土日
( 3年毎に本祭)
獅子頭の曳き物 トラック山車も出る。
万燈神輿、町神輿
宮神輿=大正5年制作。台輪寸法3尺9寸。高さ約2m。
万燈神輿=昭和50年(1975)復活。大正4年(1915)以来約60年ぶりの復活。
村人が開拓の祖である江川善左衛門の徳を讃え、元治年間(1864〜65)頃に万灯に善左衛門の開拓縁起の絵を描き、神輿として担いだのが始まりという。そのため入口近くの玉垣の中に「万燈神輿発祥之地」の碑がある。
堤通2−23−4 隅田川神社 6/15頃の土日
( 4年毎に本祭)
神輿 前回は2010年 
底抜け屋台、太鼓山車  
底抜け屋台・太鼓山車=墨田中睦、墨田中央町会、鐘ヶ淵、梅若睦。                                           
宮神輿=明治4年制作。作者不詳。台輪寸法4尺5寸。氏子8ヵ町を練り歩く。
文花2−5−8 香取神社 9/1土日
(4年毎に本祭)
神輿
宮神輿=嘉永3年制作。作者不詳。台輪寸法3尺7寸。
小村井村総鎮守。氏子11ヶ町
立花6−19−17 白髭神社 9/1土日
(5年毎に本祭)
神輿
町内神輿4基? 宮元町、東五
獅子頭
宮神輿=大正4年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法3尺2寸。
葛西川村総鎮守。氏子4ヶ町
押上2 押上天祖神社 9/中旬 神輿  
宮神輿=明治21年5/5制作。明治44年9月、宮惣が修復。台輪寸法3尺4寸。
向島2−5−17 三囲神社 9/15頃の日曜
(5年毎に本祭)
神輿 氏子は牛嶋神社氏地と重なっている 
社名は田中稲荷神社→三囲稲荷神社→三囲神社(明治6年)と社名は変わっていった。
一之宮は慶応2年制作。作者不詳。台輪寸法3尺3寸。銅葺き延軒屋根に擬宝珠。
二之宮
は明治期制作。作者不詳。台輪寸法3尺1寸。
業平2−13−13 天祖神社 9/15
(本祭は不定期)
神輿
宮神輿=明治21年制作。作者不詳。台輪寸法3尺4寸
押上2−39−6 飛木稲荷神社 9/3土日(元・16)
(3年毎に本祭)
神輿 請地村鎮守 
向島1−4−5 牛嶋神社 9/連休土日
(5年毎に本祭)
前回は2007年
山車廃絶 祭礼番組24番中、出し23本の他、番外の出し3本の計26本
本所2−2−10 牛嶋神社若宮 神輿46基    
本所総鎮守。氏地は墨田区南西部。旧本所一帯の50町会。本祭は5年ごとで、西暦では末尾が2と7の年がそうである。
 【山車廃絶】
『武江年表 巻之六』に「安永8年(1763)9/15、牛御前祭礼神輿を渡し、産子町々より出し練物出しけるが、其の後中絶す」とある。
天保9年刊の『東都歳時記』には「出しねりものは安永8年より出る事なし」とある。

『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページ「寛政9年(1797)。隔年。安永8年(1763)以来休み。31ヶ町、24番組及び番組外3ヶ町村にて山車26本」とあり。
( )は現在の地名。


一番=本所花町(緑4丁目)

二番=本所長崎町(緑4丁目、亀沢4丁目)

三番=本所吉田町・本所新坂町(石原4丁目)

四番=本所吉田町・本所吉岡町(石原4丁目)

五番=本所亀沢町(亀沢1丁目、両国4丁目、緑1丁目)

六番=南本所元町・本所尾上町(両国1丁目)

七番=本所横網町(両国1・2・4丁目、横網1丁目)

八番=本所石原町(石原1丁目、横網2丁目)

九番=本所外手町(本所1・2丁目)

十番=本所荒井町(本所1・2丁目、東駒形1・2丁目)

十一番=南本所出村町・北本所出村町・中ノ郷代地町(太平1丁目、錦糸1丁目)

十二番=南本所番場町・北本所番場町(本所1・2丁目、東駒形1丁目)

十三番=北本所表町(本所3丁目、東駒形1・2・3丁目、吾妻橋1丁目)

十四番=中ノ郷竹町(東駒形2・3丁目、吾妻橋1・2丁目)

十五番=中ノ郷竹町(東駒形2・3丁目、吾妻橋3丁目)

十六番=本所元町(東駒形3丁目、吾妻橋1・2丁目)・本所八軒町(東駒形3丁目、吾妻橋3丁目)

十七番=本所原庭町(東駒形2・3丁目、吾妻橋1・2丁目)

十八番=本所瓦町(吾妻橋1・2・3丁目)

十九番=本所横川町(本所4丁目、東駒形4丁目)

廿番=小梅代地町(吾妻橋3丁目、東駒形4丁目)

廿一番=本所松倉町(本所3・4丁目、東駒形3・4丁目)

廿二番=本所新町(本所2・3丁目、石原2・3丁目)

廿三番=本所三笠町(亀沢3・4丁目)

廿四番=本所長岡町(亀沢4丁目、石原4丁目)

番外=須崎町(向島2、3丁目)

     押上村(押上1・2丁目)

     小梅村(向島1・2・3丁目)

以上31町3村
ただし十一番はだし無しとあり。
 【神輿】
 ≪先駆
向島1丁目宮元睦会=詳細不詳。
 【神輿】
 ≪第一組≫
両国1丁目町会昭和27年制作。本所石原・宮信の作。台輪寸法2尺5寸。

両国2丁目町会
=制作年、作者不詳。八ッ棟神輿。台輪寸法2尺。

同2丁目松元会
両国2丁目両横会(小泉会)=戦後制作。浅草・宮本重義の作。

両国3丁目町会
=昭和10年制作。金子光清の作。

両緑敬神講
=大正10年制作。後藤直光の作。

亀沢1丁目町会
=詳細不詳。

亀沢2丁目町会
=昭和10年制作。金子光清の作。台輪寸法3尺1寸。

亀沢3丁目町会
=昭和10年9月制作。牧野田志賀・安部長次郎の作。台輪寸法2尺8寸。

亀沢4丁目町会
=昭和10年制作。宮本重義の作。平成8年、宮本卯之助商店で修復。

緑4丁目町会
=昭和33年制作。南部屋五郎右衛門の作。

錦糸1丁目町会
=詳細不詳。
 ≪第二組≫
太平1丁目町会、横川1丁目町会=詳細不詳。

横網町会
=詳細不詳。

石原町1丁目町会=昭和15年制作。八ッ棟神輿。佐藤岩次郎の作。台輪寸法2尺8寸。

石原2丁目町会
=詳細不詳。

石原3丁目町会
=昭和3年制作。鳥越の牧野田由好の作。台輪寸法3尺1寸。

石原4丁目町会=浅子周慶の作。

本所1丁目町会
本所石原・宮信の作。

本所2丁目町会=宮本重義の作。

本所3丁目町会=宮本重義の作。

本所4丁目町会=宮本重義の作。

東駒形1丁目町会=詳細不詳。


東駒形2丁目町会
=宮本重義の作。

東駒形3丁目町会
=昭和27年、宮本重義の作。

東駒形4丁目町会
=戦前制作。宮本重義の作。台輪寸法2尺9寸。

吾妻橋1丁目町会
=詳細不詳。

吾妻橋2丁目町会
=神輿(大小)、曳太鼓。

吾妻橋3丁目町会
神輿(大小)、曳太鼓。

横川2丁目町会
=平成9年4/27搬入。5/3御披露目。後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。
 
供みこしも同時に新調。以前のは台輪寸法2尺。

横川3丁目町会
神輿(大小)、曳太鼓。
 ≪第三組≫
向島1丁目町会=詳細不詳。

業平1丁目町会=昭和57年9/18お披露目。野州・石橋町・小川清次の作。台輪寸法2尺3寸。

業平2丁目町会
=昭和60年制作。浅子周慶の作。制作費は約3000万円と聞く。

業平3丁目北町会
=南部屋五郎右衛門の作。

業平3丁目南町会
=宮本重義の作。

業平4丁目町会
=詳細不詳。

業平4丁目南町会
=詳細不詳。

押上1丁目町会
=伊吹敬造の作。子供みこし、太鼓あり。


仲之郷町会
=浅子周慶の作。

小梅1丁目、小梅2丁目、小梅3丁目町会
=詳細不詳。

向島2丁目睦・3丁目町会=昭和10年9月吉日お披露目。墨書きには「製作人・東両国、左甚五郎流、彫刻師・金子光清」とある。台輪寸法2尺3寸。

向島2丁目・3丁目=詳細不詳。

向島4丁目南町会
=宮本重義の作。

向島5丁目東睦
=詳細不詳。
東墨田3−13−24 白髭神社 9/19頃の日曜
(3年毎に本祭)
神輿  
宮神輿=昭和20年代制作。作者不詳。台輪寸法2尺3寸。
下木下村総鎮守。

 ≪江東区≫  
亀戸3−38−35 亀戸天祖神社 9/連休日祝
(5年毎に本祭)
宮神輿 旧・柳島村の鎮守(本所柳島、亀戸柳島新田)
町内神輿 13基
獅子 宮元、亀戸三
宮神輿=昭和24年制作。行徳・後藤直光の作。
横川二、横川三、横川四、横川五、業平四南、業平五南、業平五北、太平二、太平三、太平四、亀戸一、亀戸二、錦糸
亀戸4−11−9 亀戸水神宮 6/1土日(元・10 山車廃絶  
5艘の船に山車を飾り付けて、堅川から大川筋を漕ぎまわった。
夕方より水神太鼓。舞踊、演歌ショーなど。
亀戸9−15−7 亀戸浅間神社 8/1日曜
(4年毎に本祭)
神輿 氏地は亀戸9丁目 
宮神輿=寛政2年制作。桃ノ井源弥の作。台輪寸法3尺5寸。
亀戸3−57−22 香取神社 8/10頃の土日
(4年毎に本祭)
宮神輿あり 氏子は16ヶ町
神輿 上瓦、東部、西部
午後、亀出神社(大島3−31−15)を出て明治通りを担がれて香取神社に宮入りする。
宮神輿=明治11年制作。亀戸3丁目・矢沢の作。台輪寸法3尺9寸。4年に一度。
上瓦(亀戸1丁目)=宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。

亀戸7丁目北部町会=明治末期か大正初期の作。作者不詳。台輪寸法3尺」5寸。

東部、西部=詳細不詳。
亀戸3−6−1 亀戸天神社 8/25頃の土日
(4年毎に本祭)
山車廃絶 祭礼番組21番中に出し18本あった 
神輿 2基
町内神輿 22基
 【山車廃絶】
『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページ「寛政9年(1797)。隔年。安永7年(1762)以来休み。
37ヶ町、21番組にて山車18本」とあり。

『武江年表 巻之十』「安政6年(1859)2/25 (去年8月の祭礼延びたるを、今年二月御忌の祭を兼ねて執行あり。(中略)産子町々より車楽(だし)17輌、踊台五荷、地走り踊り等等出す。」とある。
一番=本所相生町壱丁目 
二番=
同町弐・三丁目
三番=同町
四・五丁目
四番=同松井町壱丁目
五番=同町弐丁目
六番=本所
緑町壱丁目・弐丁目・三丁目
七番=同町五丁目
八番=同所林町一丁目・二丁目
九番=同町三丁目・四丁目・五丁目
十番=同花町
十一番=同
徳右衛門町壱丁目・弐丁目
十二番=同菊川町壱丁目〜四丁目
十五番=同町弐丁目・五丁目
十七番=同町三丁目
十八番=
深川北松代町壱丁目・弐丁目
十九番=同町三丁目・四丁目
廿番=
本所亀戸町
廿一番=同小泉町

 ≪だし無し
十三番=同柳原壱丁目
十四番=同町三丁目・四丁目  
十六番=同茅場町一丁目・二丁目
 【文化3年(1806)の祭礼番附】
一番=本所相生町壱丁目⇒松に恵比寿の出し。
二番=相生町弐丁目⇒松梅竹の出し。
三番=相生町三・四・五丁目⇒猩々の出し。
四番=本所亀戸町⇒井筒に蓬莱の出し。
五番=柳島町⇒岩に柳の立木小野道風人形の出し。
六番=深川北松代町壱丁目・弐丁目⇒岩に松竹梅菅丞相の出し。
七番=深川北松代町三丁目・四丁目⇒松梅の立木鹿島人形大鯰の出し。
八番=本所相生町四・五丁目⇒桃太郎人形の出し。附祭りとして西王母桃の花車引物、吉原雀踊屋台。
九番=本所松井町壱丁目太郎⇒浦島人形の出し。
十番=本所松井町弐丁目⇒岩に箙人形の出し。
 本所緑町三丁目⇒岩組法性坊の出し。
十一番=本所緑町壱丁目⇒花籠に松竹梅の出し。 
 本所緑町四丁目・五丁目⇒三宝積の造物の出し。
十二番=本所緑町弐丁目⇒石橋人形の出し。
十三番・十四番=番号無し。
十五番=本所花町⇒松の立木花の出し。
十六番=本所徳右衛門町壱丁目・弐丁目⇒紅葉狩りの出し。
十七番=本所菊川町壱丁目〜四丁目⇒菊慈童の出し。
十八番=本所林町一丁目・二丁目⇒武蔵野の出し。
十九番=本所町三・四・五丁目⇒三宗睦みの出し。附祭りとして菊慈童の踊屋台。五節句の引万灯。
廿番=本所柳原一・弐・五・六丁目⇒三宝に松竹梅の出し。
廿一番=本所柳原三・四丁目⇒虎に和藤内の出し。
廿二番=本所茅場町一丁目・二丁目⇒松梅天神宮の出し。
廿二番=本所茅場町参丁目⇒松に冠傘の出し。
 【御鳳輦渡御祭】
他の神社でいう神幸祭のことであり、4年に一度だけ天神様が御鳳輦に移り、氏子中を巡り町の平安を祈る。
7:30神社出発。11:30JR両国駅付近。正午駐輦祭(両国小学校)。15:40JR 錦糸町駅前。17:00神社還御。約15km。

 渡御祭の次第は
神社旗、稚児行列、木遣り、先導神職、先導、総代旗、総代、総代旗、総代馬車、幟旗、神職、鉄杖、大麻神職、曳太鼓、猿田彦、榊、社名旗、四神旗、獅子頭山車、前駆神職、火鉾・水鉾、弊物櫃、弊物員、日像旗、月像旗、五色弊、白弊、禰宜、風流傘、弓、醫、随身、市女、曳牛、鳳輦、鳳輦警護、神職、童女、伶人、宮司馬車、神饌櫃、盾、翳、花笠、後導神職。
 【神輿】
町内神輿は25基と記されていることは多いが、番外2番に神輿4番・9番・14番・19番・24番が欠番で正式には22基。
本神輿=緑4丁目・初右衛門の作。台輪寸法4尺2寸。
 ≪南部≫
立川1丁目
=昭和36年制作。台輪寸法3尺3寸。3代目。
 戦後、町内の建具屋が白木の神輿を創建。
 二代目は小ぶりの神輿。

立川2丁目
=昭和56年、南部屋五郎衛門の作。台輪寸法3尺。

立川3丁目
=昭和63年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法1尺8寸。

立川4丁目
=昭和9年、行徳・後藤直光の作。
 以前のは関東大震災で焼失。

菊川1丁目=昭和56年、8/1御披露目。
 
以前のは昭和20年、戦災で焼失。

菊2町会
=昭和25年頃制作。浅草・宮本重義の作。この時に神輿(中小)2基、山車も購入。

菊二睦
=昭和50年発足と同時に製作着手。翌年5月完成。地元有志の作。台輪寸法2尺8寸。
 昭和55年に2号基を製作。

菊川3丁目
=昭和27年5月御披露目。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺6寸。
 ≪西部≫
両国相一会=昭和58年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺1寸。
 以前のは昭和20年、戦災で焼失。

両国相二会=昭和22年、浅草の宮本卯之助商店に展示の神輿を購入。戦前の作。
 以前のは昭和20年、戦災で焼失。

両国三小泉会⇒神輿蔵は昭和12年に神社境内に建造。
=大正11年、神田黒門町の宮惣の作。関東大震災の際は立浪部屋の土蔵に保管され焼失を免れる。
 平成元年、大修復。

両国四天神講=昭和27年の菅公1050年大祭に合わせ制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿もあり。


緑一天神講=昭和9年制作。本所両国緑町・宮尾の作。台輪寸法3尺1寸。
 子供神輿もあり。

緑2丁目=昭和27年の菅公1050年大祭に合わせ制作。行徳、後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。

緑3丁目==昭和27年の菅公1050年大祭に合わせ、浅子神輿店にて大小神輿、山車を製作。
 以前のは昭和20年、戦災で焼失。

緑四天神講=昭和28年制作。宮信の作。台輪寸法2尺6寸。
 以前のは昭和20年、戦災で焼失。
 ≪東部≫
宮元会
=昭和30年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺。

大平四大平会
平成20年4月新調。小野勝の作。黒漆塗延屋根、勾欄造り。台輪寸法2尺3寸。
 先代は浅草・宮本重義の作。

錦糸四天神講
=昭和33年制作。浅草・南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法2尺3寸。隔年開催。

亀戸一天神講=昭和26年、行徳、後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿もあり。
 
以前のは昭和20年、戦災で焼失。

江東橋1丁目
=昭和26年、行徳、後藤直光の作。台輪寸法2尺7寸。

江東橋2丁目
=昭和27年の菅公1050年大祭に合わせ制作。行徳、後藤直光の作。台輪寸法2尺2寸。

江東橋3丁目
=浅草・宮本重義の作。


江東橋4丁目=昭和30年頃制作。浅草小島町・鹿野喜平の作。台輪寸法3尺1寸。

江東橋5丁目=昭和27年の菅公1050年大祭に合わせ制作。行徳、後藤直光の作。
 同時に大太鼓、山車も新調。
 以前のは昭和20年、戦災で焼失。
森下1−3−17 深川神明宮 8/17頃の日曜
(3年毎に本祭)
鳳輦
宮神輿
山車廃絶 関東大震災で焼失
曳太鼓(山車) 新大橋三丁目 など
町内神輿 12基
本祭りは宮神輿の巡幸があり、氏子12町神輿の連合渡御がある。
陰祭りは本殿で神事を行う。町神輿を担ぐ町もあるが、町内のみの巡幸。
鳳輦=昭和15年の紀元2600年を記念して新調。
宮神輿=昭和9年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法4尺。昭和52年、修復して復活。
森下一丁目(宮元町会)=昭和12年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺8寸。屋根は梨地塗り、白木延型。平成15年、修復。
 子供神輿、山車もあり。

森下二丁目=浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。平成21年、大小神輿修復。屋根は金梨地塗り延神社型。
 山車もあり。

森下三丁目=昭和15年(皇紀2600年記念)制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺2寸。
 
子供神輿、山車もあり。

森下四丁目
=昭和初期制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。行徳・中台神輿店で修復。
 子供神輿、山車もあり。

森下五丁目=昭和30年頃制作。行徳の後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。屋根は段葺き屋根延型。
 先代は戦災で焼失。子供神輿、山車もあり。

常盤一丁目=昭和50年、大小2基制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。屋根は延型で金板貼り。平成21年、締め直し。
 山車もあり。

常盤二丁目=昭和32年制作。大小の神輿で制作費は150万円。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺8寸。屋根は青界をちりばめた黒塗り破風型。
山車は昭和27年制作。平成21年、源氏車の鉄輪と楫、ブレーキの補修。
 往古は後藤直光の作。戦災で焼失。山車もあり。

高森=昭和55年制作。行徳・後藤直光最後の作。台輪寸法2尺5寸。屋根は24金の厚メッキ、梨地塗り破風型。

新大橋一丁目(安宅町)
⇒幕府の軍艦「安宅丸」が繋留されていたことから、旧町名は深川安宅町と称し、半纏に「あたか」と記している。
=平成3年、行徳・浅子周慶の作。屋根は段葺き黒塗り延型。
 以前のは岡田屋布施の作。台輪寸法2尺。

新大橋二丁目
⇒江戸期に幕府の御船蔵があったことから深川御船蔵前町と呼ばれていた。
=平成元年、行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。屋根は段葺き黒塗り延型。
 以前のは鹿野喜平の作。台輪寸法2尺。子供神輿、山車もあり。

新大橋三丁目
=昭和11年制作。流山・石井常吉の作。彫物も石井師の作。台輪寸法2尺8寸。屋根は梨地塗り延型。
 
子供神輿、山車もあり。

千歳三丁目(松井会)
昭和32年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺。屋根は梨地塗り破風型。

 子供神輿、山車もあり。
常盤1−1−1 正木稲荷神社 5/午の日 神輿?
猿江2−2−17 猿江神社 8/14頃の土日
(3年毎に本祭)
神輿3基 住吉2、毛利町、猿江1
■日曜は神輿連合渡御(8:00〜11:00)、各町神輿巡行(13:00〜16:30)。
住吉2=昭和28年頃制作。
 先代は神社内の神輿庫に保管していた。神輿庫はコンクリートだったが、戦災の熱で神輿は骨組残して焼失した。

毛利町=詳細不詳。

猿江1=昭和27年制作。行徳・後藤神輿店(後藤直光)の作。
 先代は戦時中に埼玉に売却。
大島2−15−4 愛宕神社 8/1土日
(4年毎に本祭)
神輿2基 1丁目奉賛会、2丁目敬神会
氏地は大島1、2丁目。旧・中之郷出村の鎮守。中之郷は墨田区。
宮神輿=昭和30年代制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。
大島7−24−1 東大島神社 8/1土日
(4年毎に本祭)
宮神輿 大中
戦災により消失した東大島地区にあった五つのお社(永平神社・子安神社・小名木神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社)を戦後合併し、五社のほぼ中心に建てられた。氏子は大島5、6、7、8、9丁目。
宮神輿=大は昭和25年頃制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺2寸。
中は2尺1寸。本祭、中祭は大神輿。小祭は中神輿を出す。

 神輿の創建は大正期。
富岡1−20−3 富岡八幡宮 8/14頃の土日
(3年毎に本祭)
宮神輿2基
トラック改造の屋台1台 巴美会
神輿54基 氏子は74ヶ町 
氏地は富岡1・2丁目、清澄1・2丁目、白池1〜4丁目、扇橋1丁目、石島、千石1丁目、佐賀1・2丁目、福住1・2丁目、深川1・2丁目、三好1〜4丁目、平野1〜4丁目、冬木、永代1・2丁目、木場2〜5丁目、東陽1〜7丁目、牡丹1〜3丁目、古石場1〜3丁目、越中島1〜3丁目、塩浜1丁目、豊洲1〜5丁目、枝川1丁目;中央区日本橋箱崎町、新川1・2丁目。
 【山車廃絶】
 大正ころまでは人形山車が15台あった。人形は新川が「酒を呑む猩々」 など。

昭和62年、江東区総務部発行の江東ふるさと文庫A「古老が語る江東区の祭りと縁日」の69ページには昭和5年撮影の牡丹町の山車が写っている。
『武江年表 巻之七』に「寛政7年(1795)8/15、深川八幡宮祭禮、産子町々より出し練物等を出す。」とある。
『武江年表 巻之十二』に「明治三年8/15、富が岡八幡宮祭礼、車楽(だし)十輌程、伎踊台練物出て、十四より賑ヘリ」とある。
祭礼番組11番は、深川町13番中、出し16本。霊岸島9番中、出し9本。
 【文化4年(1807)の祭礼番附】
深川分 
初番=霊岸寺門前町⇒龍宮貝鯛の山車(万燈型)。
一番=海辺大工町⇒坂田金時の山車(万燈型)。羅生門の曳物。龍の山車(万燈型)。船に大工道具の曳物。
二番=清住町⇒鹿嶋要石の山車(万燈型)。鳥の曳万燈。
三番=佐賀町⇒佐々木四郎の山車(万燈型)。源頼朝の曳物。千羽鶴の曳物。また附祭として踊り屋台。
四番=相川町⇒戸隠人形の山車(万燈型)。花に難の曳物。
五番=熊井町⇒岩に大鯛恵比須の山車(万燈型)。蛸の曳物。
六番=冨吉町⇒蓬莱山の山車(万燈型)。三方盃の曳物。
七番=諸町⇒武蔵野に牡丹桜の山車(万燈型)。
八番=大嶋町⇒桜に御所車の山車(万燈型)。大鯛の曳物。
九番=中嶋町⇒大津絵弁慶の山車(万燈型)。福禄寿の曳物。
十番=北川町⇒虎に和唐内の山車(万燈型)。
十一番=黒船町⇒武内宿禰の山車(万燈型)。神功皇后花篭の曳物。
十二番=蛤町⇒龍神の山車(万燈型)。船河童蛸の曳物。
十三番=木場町・平野町⇒蓬莱山の山車(万燈型)。
十四番=万歳町1,2丁目・富久町・元木場⇒馬乗り人形の山車(万燈型)。大牛の曳物。
永代橋前分
一番=北新堀町⇒武内宿禰の山車(万燈型)。松竹梅の曳物。
 箱崎1丁目⇒松に上り兜の小山車。  
 箱崎2丁目⇒菊に岩組の小山車。
二番=大川端町⇒神功皇后の小山車。龍神の造物。
三番=銀町1丁目⇒岩組に鶏山車(万燈型)。  
 銀町二丁目⇒梅に神鏡の小山車。束帯人形の造物。
四番=四日市町⇒鳥居に源頼朝の山車(万燈型)。鳥龍鶴の造物。
五番=塩町⇒仁田四郎
山車(万燈型)。岩組に猪の造物。

六番=浜町⇒梶原源太の山車(万燈型)。梅兜の造物。
七番=南新堀1丁目⇒天の岩戸戸隠人形山車(万燈型)。兜蓑鶏の造物。  
 南新堀二丁目⇒
幣に鈴の小山車。
八番=長崎町1丁目⇒岩に頼義の山車。  
 長崎町二丁目=鶴岡の景小山車。  
 霊岸島町=鏡兜小山車。
九番=東湊町1丁目⇒舟に鯨の山車。  
 東湊町二丁目⇒熊坂長範の山車(万燈型)。松に月の造物。
附祭=霊岸島総町より踊り屋台、底抜け屋台。 
明治44年、春陽堂刊の「東京年中行事」には『一昨年の本祭の如きは、四十何ヵ町の氏子が揃いも揃って七百万乃至千五百円ずつの金を出し合い、各町神輿を新調した数が驚くなかれ大42台、小12台これに獅子3台、花車五本を加えて、午前6時の花火を合図に深川座前に集合して、黒江町の鉄漿獅子を先頭とし、獅子には消防夫52人、金棒木遣節にて付き添い、これに従う神輿は順次列をなして黒江橋を渡り』とある。
一之宮は平成3年、佐川急便の佐川清会長の奉納。行徳・浅子周慶の作。66年ぶりの復活だったが、大きすぎて町内渡御に適さず。台輪寸法5尺。
二之宮は平成9年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法4尺5寸。高さ10尺8寸。
 往古は江戸期の豪商・紀伊国屋文左衛門奉納した神輿が3基あったが、関東大震災で焼失。
 ≪一部会≫
宮元(富岡一)=戦後すぐ制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。

佐賀=行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。
フランス万博出展のために造られたが、第二次世界戦争により万博中止となり、時価200万円で購入。

 昔の神輿は
台輪寸法4尺5寸。

仲町二(門前仲町二丁目)
=平成2年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。

永代一⇒昭和6年、相川町、小松町、冨吉町、諸町、熊井町が合併して出来た深川永代1丁目が元になった町
=昭和29年制作。深川・才川の作。台輪寸法2尺5寸。

永代二北
=昭和2年制作。八丁堀・秋山三五郎の作。台輪寸法2尺8寸。


永代二南⇒江戸期は蛤町・大島町と呼ばれた漁師町。
=昭和55年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。

 山車(曳太鼓)には浦島太郎が載っている。

福住=昭和2年制作。八丁堀・秋山三五郎の作。台輪寸法3尺。
 昭和59年、大修理。

富岡二
⇒江戸期に三十三間堂があり、通し矢の数を競う弓の競技が行なわれていたことで、数矢町よ称されていた。
=平成元年制作。行徳・浅子周慶の作。平成20年、行徳・中台神輿店で修復。台輪寸法2尺5寸。

 
復活に先立ち昭和55年、地元の宇佐美七郎による子供神輿が作られた。
 
神輿は戦災で焼失。また長谷川万治氏が寄進された猿田彦の像の山車があったが、現在は宮城県の神社に奉納。

仲町一(門前仲町一丁目
昭和31年制作。行徳・後藤の作。2代目。平成20年(2008)、行徳・中台神輿店による。10年ぶりに修復。
台輪寸法2尺5寸。

 大きな獅子頭があったが、関東大震災で焼失。
 ≪二部会≫
中木場(木場3・4丁目)⇒現在は木場3・4丁目。旧・町名は鶴歩町・茂森町。
昭和27年制作。行徳・後藤の作。台輪寸法2尺8寸。

深川一⇒昭和15年、亀住町、和倉町、万年町1丁目、万年町2丁目の一部が合併された亀住町が元になり、昭和16年に深川1丁目と改称。
=昭和31年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺2寸。平成17年修復。
 往古の神輿は戦災で焼失。当時は台輪寸法3尺だった。

深川二南
⇒深川2丁目南町会は1〜11番地。旧・町名は深川和倉町。
昭和27年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。

深川二北
(旧・亀住町・萬年町)⇒深川二丁目の内、葛西橋通り以北の12番地〜30番地。
=浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺3寸。

冬木
=昭和37年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法3尺。
 以前のは昭和26年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。

木場五=昭和26年制作。行徳・浅子周慶の作。八ツ棟。台輪寸法2尺5寸。

下木場⇒現在は木場2丁目と5丁目の一部。
=昭和26年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法3尺。
 ≪三部会≫
千石一丁目=昭和34年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺3寸

扇橋(扇橋1丁目)⇒扇橋は1〜3丁目あるが、1丁目のみ富岡八幡宮氏子。
=昭和25年頃制作。行徳・後藤直光の。台輪寸法2尺8寸。
 子供神輿・山車(曳太鼓)あり。

石島昭和29年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺3寸。

東陽一丁目⇒旧・洲崎弁天町。昭和33年までは洲崎パラダイスとして賑わった花街。
平成23年8月、町会会館に併設で神輿・山車蔵建造。
=昭和25年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。
 山車は神輿と同時に製作。曳太鼓に神武天皇が載っている。

東陽二丁目(旧・加崎町)⇒旧・加崎町。
=平成5年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺8寸。
 
お仮屋にはパリで担がれた初代神輿(昭和55年、浅子の作)・小神輿・山車(応神天皇を抱く神功皇后)が飾られる。

東陽三丁目
=昭和27年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。
平成24年修復。

東陽四丁目
=昭和61年制作。東向島・志布景彩の作。台輪寸法2尺5寸。

東陽五丁目
昭和27年復元新調。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。

 往古の神輿は戦災で焼失。
 ≪四部会≫
牡丹一(牡丹一丁目)=平成5年制作。2代目。行徳・浅子周慶の作。彫物は仏師・北沢一京の作。台輪寸法2尺3寸。

牡丹二三(牡丹二・三丁目)
=大正15年制作。後藤直光の作。八ツ棟。台輪寸法2尺8寸。
平成24年、浅草・宮本卯之助商店により修復。
小神輿も八ツ棟。


古石場東(古石場1丁目東)
⇒旧町名は古石場2丁目。
=昭和32年制作。2代目。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺1寸。

古石場西(古石場1丁目西)
=昭和34年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。

古石場二(古石場二丁目)
=昭和58年制作。二代目。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺3寸。

琴平(古石場3丁目)
⇒住宅表示では古石場3丁目。金比羅神社があり、琴平町と呼ばれた。
=昭和31年制作。浅草・南部屋の作。台輪寸法2尺5寸。平成15年修復。
 往古の神輿は金刀比羅神社・神楽堂に保管されていたが戦災で焼失。


越中島
=昭和61年制作。2代目。市川・中台製作所の作。台輪寸法2尺5寸。

深濱⇒かつての深川浦漁業組合の漁師たちが作った神輿保存会で、組合は昭和37年に解散したが、祭りのときに復活する。
=昭和27年制作。行徳・後藤の作。台輪寸法3尺5寸

 往古の神輿は台輪寸法4尺8寸。昭和4年頃制作するが、戦災で焼失。
 ≪五部会≫
豊洲⇒
大正期末期より埋立開始、昭和7年5/10完成。
=昭和29年制作。不動前・井上の作。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿、曳太鼓あり。

枝川⇒昭和3年埋立して成立。1丁目が富岡八幡神社氏子。2、3丁目は洲崎神社氏子。連合渡御の時は1つになる。
=昭和28年制作。浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法1尺8寸。

平成23年修復。
 子供神輿あり。
 ≪六部会≫
清澄二=制作年は不詳。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。
 曳太鼓あり。

清澄三
=平成24年は清澄三南町と北町が合同で参加。今回は北町の神輿を出した。
 ■清澄三北
=昭和27年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。
 ■清澄三南
⇒平成10年、清澄中央・南部・東部の3町会が合併して成立。新町誕生後に祭礼参加。
=浅草・岡田屋の作。台輪寸法2尺。

三好一
=浅草・岡田屋の作。台輪寸法2尺。

三好二
=昭和27年制作。行徳・後藤の作。台輪寸法2尺3寸。
 
曳太鼓あり。

三好三・四
=昭和26年制作。行徳・後藤の作。昭和58年修復。台輪寸法2尺8寸。

白河一丁目=昭和51年制作。葛飾・市川の作。彫師は町内在住の岸本忠雄師。台輪寸法2尺3寸。

白河二丁目
=昭和27年制作。行徳・浅子周慶の作。平成11年、大修復。台輪寸法2尺7寸。

白河三丁目
=昭和49年制作。行徳・後藤の作。平成24年、大修復。台輪寸法2尺3寸。

平野一=昭和61年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。
平成17年修復。

平野二丁目
昭和20年代後半制作。行徳・浅子周慶の作。平成22年修復。台輪寸法2尺3寸。

平野三丁目
昭和62年制作。行徳・15代浅子周慶の最後の作。台輪寸法3尺。
 ≪七部会≫
新川越一(越前堀一)⇒現在は新川2丁目。旧・町名は越前堀1丁目。
=昭和52年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。

 曳太鼓あり。

新川越二(越前堀二)現在は新川2丁目。旧・町名は江戸堀2丁目。
=平成2年制作。3代目。市川・中台製作所の作。
台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿、曳太鼓あり。

新川一北=行徳・浅古神輿店のレンタル。

新川一東( 新川一丁目東)⇒旧町名は新川2丁目。江戸期は大川端町と呼ばれた。
カンカンと石油缶を打ちならすリズム隊は渡御の名物。

=昭和27年頃制作。作者不詳。台輪寸法1尺5寸。

新川一南(新川一丁目南)
⇒現在は新川1丁目。旧・町名は越前堀3丁目。
=毎回、浅草・宮本卯之助商店のレンタル。

新川一西(新川一丁目西)⇒旧町名は霊厳島2丁目。
=浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法1尺6寸。ただし連合渡御時は宮本のレンタル。
お仮屋に奉られる獅子頭は大正期の作。
 かつて牛が曳くほどの大きな山車はあったが、千葉の某所に譲ったと云われる。

新川霊一(旧・霊厳島1丁目)⇒現在は新川2丁目。旧・町名は霊厳島1丁目。
=昭和49年制作。行徳・後藤の作。台輪寸法1尺8寸。

箱崎昭和51年に旧日本橋箱崎町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目と日本橋北新堀町を併せ、日本橋箱崎町が誕生。
 合併までは北新堀町・箱崎町一丁目、箱崎町二・三丁目、箱崎町四丁目と言った3つの町会組織が存在し、それぞれ独自に祭典行事を行っていたが、合併を機会に三町会の祭典部門を統合し箱崎まつり睦会を結成した。
神輿庫は隅田川大橋の近くにあり、ガラス張りで普段でも見られる。
=昭和13年、旧・箱崎4丁目製作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。制作費は約3900円。

昭和60年、行徳・浅子周慶により修復。

 子供神輿もあり。
木場6−13−13 洲崎神社 8/1土日
(3年毎に本祭)
宮神輿 無し 
神輿4基
木場1・6丁目、枝川2・3丁目町会、塩浜2丁目、潮見1・2町会
千田12−8 宇迦八幡宮 8/15頃の土日
(3年毎の大祭)
神輿5基
曳太鼓
氏地は宮元(千田)町、海辺町、千石2・3丁目、扇橋2丁目、扇橋3丁目。旧・千田新田村鎮守。
大祭は3年に1度。最近は2008。祭礼行列の後を町会神輿5基の連合渡御。宇迦八幡宮を出発して、扇二、扇三、海辺、千石の御神酒所を巡幸して千田御神酒所へ巡幸する。
宮元(千田)町=駒番一番。

海辺町=駒番二番。神輿(大小)、曳太鼓、お囃子の車

千石2・3丁目
=駒番三番。

扇橋2丁目
=駒番五番。

扇橋3丁目
=駒番六番。
北砂2−1−37 志演尊空神社 8/22頃の日曜
(3年毎の大祭)
神輿 大中小
曳太鼓
氏地は北砂1・2丁目。
北砂3−21−11 治兵衛稲荷神社 8月下旬
(4年毎の大祭。2010)
神輿 大、中、子供
曳太鼓
お囃子の車 トラックに乗って囃す
氏地は北砂3丁目。16時頃、宮入り
北砂4−25−15 亀高神社 8/20頃の土日
(3年毎に本祭)
宮神輿2基 一之宮(男)、二之宮(女) 
神輿
氏地は北砂4・7丁目。旧・亀高新田村の鎮守。
一之宮(男)=制作年不詳。岡田屋布施の作。台輪寸法2尺。

二之宮(女)
=制作年不詳。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。 
南砂7−14−8 富賀岡八幡宮 8/20頃の土日
(3年毎に本祭)
山車廃絶  関東大震災の頃まであった
神輿 約30基
氏地は南砂1〜7丁目。旧・砂村新田村鎮守。
 【山車廃絶】
鐘馗様や神武天皇などのの人形山車があって牛に曳かせていた。
宮神輿大神輿=昭和3年制作。八丁堀・秋山三五郎の作。八ツ棟造り。平成18年修復。修復は秋山の孫。本祭に巡幸。台輪寸法4尺。

文化神輿=文化10年(1813)制作。東京都有形文化財。作者不詳。八ツ棟造り。祭礼時も展示のみ。
南砂1・2町=大中小あり全て八ツ棟。大は昭和26年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法三尺。

南砂三丁目町=八ツ棟。
本祭には文化10年(1813)に奉納された鳳輦と神輿渡御、30基前後の神輿連合渡御がある。
東砂3−17−1 生田神社
氏地は東砂1・3丁目。旧・太郎兵衛新田村鎮守。
東砂4−2−18 大塚天祖神社
氏地は東砂4丁目。旧・大塚新田村鎮守。
東砂6−13−4 天祖神社 9/21 神輿
氏地は東砂5・6・7・8(一部)丁目。旧・八郎右衛門新田村鎮守。
 【大江戸神輿まつり IN 木場公園】
平成22年で8回を数える。日本神輿協会主催。10月2日曜、11:00〜16:00、都立木場公園「イベント広場」で開催。
都内・関東周辺の神輿同好会の10団体以上による神輿が、イベント広場から木場公園大橋を経由して噴水広場までを往復する。

 ★展示場     
 【江戸東京博物館公式HPへ
墨田区横綱1−4−1。рヘ03−3626−8600。9:30〜17:30(土曜は9:30〜19:30)。入場は閉館30分前まで。
休館:毎週月曜(月曜が祝日または振替休日の場合は、その翌日) 、年末年始(12月28日〜1月1日)。
※国技館で大相撲本場所開催中は臨時開館。
神田祭8番の須田町2丁目の人形山車原寸大で復元展示。

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