東京

 ≪神田祭≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
外神田2−16−2 神田神社 5/15前の土日
( 本祭は西暦奇数年)
宮神輿
山車6台 諫鼓山車、獅子頭 、羽衣山車 (神田松枝町)、 加茂能人形山車( 築地魚河岸会)、 日本橋室町1 丁目、桃太郎の人形山車(神田元岩井会)
囃子屋台2台 日本橋室町1 丁目、鍛冶町2
トラック屋台 神田囃子保存会、大田市場御囃子会、神田和泉町(泉笑会) 、 橘町(東日本橋3) など
町神輿
神田神社は平将門の首塚(千代田区大手町1丁目)と同じ場所から、山王社と共に駿河台に移され、さらに元和2年(1616)に現在地に移されている。
 氏子町は60ヶ町、山車番組は36本だった。
 【神幸祭行列】
先導、神幸旗、鉄杖、猿田彦、諫鼓山車、祭典委員、供奉員、拍子木、太鼓、氏子鳶頭、御防講、由布籠、 獅子頭山車、先導騎馬神職、真榊、錦旗、神饌辛櫃、賽物櫃、宮鍵講、神部取締役、七色旗、宮司馬車、御楯、御鉾、紫翳、神明旗、錦蓋、一の宮鳳輦、御胡、御弓、菅翳、巫女、氏子総代馬車、七色旗、騎馬神職、騎馬千代田区長、紫翳、随身、神明旗、二の宮神輿、菅翳、七色旗、騎馬神職、騎馬中央区長、御楯、御鉾、紫翳、随身、神明旗、菅蓋、三の宮鳳輦、菅翳、騎馬神職、四神旗、由布籠、乙女、雅楽怜人、神田明神稚児太鼓、ボ―イスカウト千代田第六団、万世橋交通少年団、氏子山車、祭典委員、武者行列、提灯行列
 【宮神輿】
一之宮鳳輦
=大己貴命(だいこく様)のお乗り物。昭和27年、戦後初の神幸祭に備え制作。

二之宮神輿=少彦名命(えびす様)のお乗り物。昭和48年5月制作。菊屋橋 宮松納。(下谷 種谷豊次郎の作)。日本橋三越より創業300年記念として奉納。台輪寸法3尺。昭和52年(1977)に初巡幸。

三之宮鳳輦=平将門命のお乗り物。将門公が神田神社の御祭神として復古された昭和59年に制作。昭和62年(1987)に初巡幸。

神輿=元和3年(1617)2基を幕府より寄進。以降祭礼道具が幕府より新調・修復。
諫鼓山車=平成2年復元。神田明神。神幸祭の先頭を行く一番山車として有名。

獅子頭山車
=昭和58年(1983)、60年ぶりに復興。
 先代は関東大震災で焼失した。 神田明神。

加茂能人形山車(HPへ)
=築地魚河岸会。かつて山王祭り10番の加茂能人形山車を昭和30年に復元。祭礼時に飾り置き。

加茂能
人形山車日本橋室町1丁目。上記に同じ。関東大震災で山車は焼失し、魚市場は築地に移転したので、昭和11年に制作。後藤直光の作。

羽衣山車(神田松枝町)=昭和13年(1938)5月制作。羽衣の人形山車で4輪。足立区花畑の大鷲神社の脇に収納庫があり戦災を免れた。
宮惣の作。人形師は磯貝勝之。長さ3m。幅1、9m。高さ6m。 


桃太郎の人形山車(神田元岩井会=平成19年、約20年ぶりに復活。昭和9年制作。大工は柏原甚吉。
 人形は「桃太郎」。昭和11年制作。人形師は松崎昭玉。
 【往古の祭礼コース】
お茶ノ水の堀端(東京医科歯科病院南側)に集合して神輿を迎えた後、筋違橋門から神田の大通りを南下して、現在のJR神田駅付近から外堀端
の火除け用地(現在の千代田区内神田・錦町・神保町)を経て、靖国通りの一つ北側にある九段中坂上から田安門内に入り、北の丸公園を南下して「吹上上覧所」で将軍の拝礼を受けた。
 その後竹橋門を出て内堀沿いに大手門前を経て、平将門の首塚前で神事を行った。神事が終わると常磐橋門外で山車はそれぞれ各町内に戻り、神輿は氏子町をくまなく巡幸した後に帰社した。
 【文政6年(1823)神田御祭礼番附】
一番=大伝馬町(現・中央区大伝馬町1〜3丁目)⇒諌鼓鶏の山車(吹貫型)
二番=南伝馬町(現・中央区京橋1〜3丁目)⇒猿の山車(吹貫型)  
三番=神田旅籠町1丁目(現・千代田区外神田一丁目)⇒翁の山車(笠付鉾台型)  
四番=同二丁目(現・千代田区外神田一丁目)⇒和布苅龍神の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
五番=鍋町(現・千代田区鍛治町2丁目、神田鍛治町3丁目)⇒神功皇后の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
六番=通新石町(現・千代田区内神田3丁目、鍛治町2丁目)⇒花篭に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
七番=須田壱丁目(現・千代田区神田須田町1丁目)⇒羽衣の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
八番=同二丁目(現・千代田区神田須田町2丁目)武蔵野の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   
九番=連雀町(現・千代田区神田須田町1丁目、淡路町2丁目)⇒岩組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
十番=三河町壱丁目(現・千代田区内神田1〜3丁目、神田司町2丁目)⇒石組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
十一番=豊島町(現・千代田区東神田1、2丁目&岩本町3丁目)⇒蓬莱の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  湯島町⇒金時の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  金沢町⇒鳳凰の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   
十二番=岩井町(現・千代田区岩本町)⇒岩組に牡丹の山車、荷茶屋1基。   
附祭=新革屋町⇒鶴に唐兜宝船の曳物、花篭に牡丹の曳物、石組に牡丹の曳物、占領箱袋巻物軍配団扇の曳物、亀の上福禄寿の曳物、底抜け屋台、踊り屋台、底抜け屋台(3台とも担ぎ)、荷茶屋1基。   
十三番=橋本町1丁目(現・千代田区東神田)⇒二見ヶ浦の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
十四番=同弐丁目(現・千代田区東神田)石組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
十五番=佐久馬町壱丁目(現・千代田区佐久間町)⇒須佐之男命の山車(万燈型)、荷茶屋1基。 佐久間町弐丁目⇒岩組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。 十六番=佐久間町三丁目・四丁目(現・千代田区東神田、佐久間町。中央区日本橋馬喰町)⇒牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  富松町⇒猩々の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
十七番=久右衛門町壱丁目・弐丁目(現・千代田区東神田、中央区日本橋馬喰町)石組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
十八番=多町壱丁目(現・千代田区内神田3丁目)⇒稲穂に蝶の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
十九番=同弐丁目(現・千代田区神田多町2丁目)⇒花篭に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
御雇祭=御蔵町⇒地走り(底抜け屋台付き)、荷茶屋1基、岩組に牡丹唐獅子の曳物、唐卓に松竹梅の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、岩組の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、唐卓に桃の曳物、松に羽衣の曳物、荷茶屋1基   
廿番=永富町(現・千代田区内神田2、3丁目)⇒龍神の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
廿一番=竪大工町(現・千代田区内神田3丁目・鍛冶町2丁目)、⇒棟上の山車(笠付き鉾台型)、荷茶屋1基。

廿二番=蝋燭町・関口町(現・千代田区内神田、神田司町2丁目)⇒紅葉狩の山車、荷茶屋1基。  
廿三番=神下西町(現・千代田区外神田2丁目)⇒大黒天人形の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   
廿四番=新銀町(現・千代田区神田多町2丁目、司2丁目)⇒花篭に牡丹の山車、荷茶屋1基。    
廿五番=新石町1丁目(千代田区内神田3丁目、鍛治町2丁目)⇒松に鶴の山車、荷茶屋1基。
廿六番=新革屋町(現・千代田区内神田町1〜3丁目)⇒弁財天の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
附祭=湯島町1丁目⇒蓬莱の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、軍配に巻物の曳物、住吉の景の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、唐机に鈴の曳物、唐卓に松竹梅の曳物、養老ノ滝の曳物、花樹に短冊の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、岩組に鐘きの曳物、底抜け屋台(担ぎ)、唐卓に短冊の曳物、月宮殿の曳物、底抜け屋台(担ぎ)、岩組に都鳥の曳物、踊り屋台、底抜け屋台(2台とも担ぎ)、荷茶屋20基。    
廿七番=鍛治町1、2丁目(現・千代田区鍛治町1、2丁目 他)⇒石台に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
廿八番=元乗物町(現・千代田区鍛冶町1丁目、北乗物町)⇒佐々木四郎の山車、荷茶屋1基。
廿九番=横大工町(現・千代田区神田多町、司町2丁目)⇒猿田彦の山車、荷茶屋1基。
三十番=雉子町(現・千代田区神田小川町、神田須田町1、神田司町2丁目)⇒雉子の山車(万燈型)、荷茶屋1基
三十一番=三河町四丁目(現・千代田区内神田、神田司町2丁目)⇒岩組に牡丹の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   
附祭=神田鍋町・通新石町・多町1丁目・白壁町・橋本町1丁目・久右衛門町=手持ち万燈、荷茶屋1基。   
三十二番=明神下御台所町(現・千代田区外神田2丁目)紅葉狩の山車(万燈型)、荷茶屋1基

三十三番=皆川二・三丁目(現・千代田区内神田)⇒松梅の山車、荷茶屋1基。   
三十四番=塗師町(現・千代田区鍛冶町1、2丁目)⇒武蔵野の山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
三十五番=白壁町(現・千代田区鍛冶町2丁目、神田鍛冶町3丁目)⇒蛭子の神人形の山車(万燈型)、荷茶屋1基。

三十六番=松田町(現・千代田区鍛冶町2丁目)⇒源頼義人形(万燈型)、荷茶屋1基。 
 【明治3年の山車】
『武江年表 巻之十二』に「明治三年 9/15 神田大神祭礼執行あり 産子町より車楽9輌、伎踊をも催しける」。
『江戸府内絵本風俗往来』によると、
一番=大伝馬町.。諌鼓鶏。
二番=南伝馬町。猿舞。
三番=神田旅籠町。
四番=同二丁目。和布苅龍神。
五番=鍋町
六番=通新石町。年徳神。
七番=須田壱丁目  
八番=同二丁目。関羽人形。
九番=連雀町。熊坂長範。
十番=三河町壱丁目。僧正坊牛若人形。
十一番=豊島町・同金沢町
十二番=菊慈童人形。
十三番=橋本町。二見ヶ浦。
十四番=同弐丁目。乙姫人形。
十五番=佐久馬町壱丁目・弐丁目龍宮唐門。
十六番=同三丁目・四丁目。素盞鳴尊。
十七番=久右衛門町壱丁目・弐丁目。蓬莱の出し。
十八番=石台に稲穂。町壱丁目
十九番=鐘き大人形。同弐丁目  
廿番=永富町。龍神。
廿一番=竪大工町。棟上人形。

廿二番=蝋燭町・関口町。松に大盃。 
廿三番=明神下西町。大黒天人形。
廿四番=新銀町。武蔵野。
廿五番=裏新石町。戸隠人形。
廿六番=新革屋町。弁天。
廿七番=鍛治町  
廿八番=元乗物町。岩に牡丹。
廿九番=横大工町。武蔵野。
三十番=雉子町。白大雉子。
三十一番=三河町四丁目。武内宿禰。
三十二番=御台所町。石橋。
三十三番=皆川二・三丁目。汐汲み。
三十四番=塗師町。猩々人形。 
三十五番=蛭子の神人形。白壁町

三十六番=松田町。源頼義人形。 
 ≪年代別山車台数≫
年号 西暦 山車番数
宝永3年 1706 山車・練物が江戸城内に入り将軍綱吉の城覧に預かる
宝暦13年 1763 山車36本
文政12年 1829 山車36番のうち、武蔵野の山車が14本。
弘化2年 1845 八月十四日神輿修復
慶応元年 1865 幕府の御進発御留守のため、本社には仮の祭典のみで神輿も出ず、恒例の執行も無し。しかし職人など密議して、車楽数輌伎踊ねり物等を催し、十四日より町々を渡す。
慶応3年 1867 天下祭の最後。神輿のみ巡幸。
明治2年 1869 神輿のみ巡幸。
明治3年 1870 山車、伎踊りが出た。
明治4年 1871 山車14本
明治5年 1872 山車35本、踊り台3台、地走りなどが出た。以後隔年に祭礼を催す。
明治7年 1874 10年間神田祭は途絶える。
明治17年 1884 10年ぶりの復活。江戸期に山車が無かった町も山車を作り山車46本、踊り台、飾り物などが出たが、午後からの暴風雨により山車などが倒壊した。
明治19年 1886 多町弐丁目は暴風雨で山車小屋ごと倒壊してケガ人を出し、牛が暴れて死傷者を出す。
明治20年 1887 山車33本、番外7本、踊り台、手踊りが出た。
明治22年 1889 山車14本、踊り台などが出る。本年よりお日本橋魚河岸の水神社祭礼も同時に行われるよになったが、この年以降は山車の本数が激減。
明治25年 1892 例祭日が9月15日⇒5月15日に変更。
明治31年 1898 不景気と電線の影響で各町に飾り置き。
明治33年 1900 黒紋町、鍛冶町、旭町の山車飾り置き。
明治35年 1902 神保町4ヶ町、千代田町、旭町、皆川町、台所町、松田町などから山車が出た。
豊島町、旅籠町の山車飾り置き。
明治38年 1905 12月17日。日露戦争戦勝凱旋記念行進が日比谷から上野公園の間で行われ、万世橋の左手前にで神田・日枝神社氏子町の山車13台が展示されたが、午前8時頃より雨が降り出し昼過ぎは本降りとなった。
大正4年 1915 江戸記念博覧会が上野公園で行われ、山車9本出た。
大正4年 1915 大正天皇即位御大典で神田・日枝神社氏子町の山車展示。神田神社は万世橋際に山車6本、人形1体、積物1出た。
大正8年 1919 江戸祭。山車展示。
大正12年 1923 9月2日。11時58分32秒に関東大震災発生。死者・行方不明者10万5千余り、家屋全壊10万9千余、半潰10万2千余、焼失21万2千余(全半潰後の焼失含む)〔理科年表平成18年度版より〕という未曾有の大災害が発生した。当時の東京市内で約130ヶ所から発生した火事は三日二夜燃え続け、東京全市街の三分の二が完全に焼失したということから当時残っていた山車も大半焼失したと思われる。
江戸・東京から山車が消えた原因の一つに、明治初期に始まった電線の架設があるとする説がある。
しかし、このように年代別の表を作ってみると、たとえ山車が曳けなくても飾り置きにする江戸っ子の心意気が分かるのでは。
 明治22年(1889)の暴風雨で多大な被害を受けたが、大正12年(1923)の関東大震災後には多くの山車が出た資料がないことから、横浜同様に関東大震災で多くの山車が失われたのが東京から山車が消えた大きな要因と思われる。
 【山車の流れ】
 続・江戸型山車のゆくえ(千代田区教育委員会発行)より寛政5年(1793)〜文久元年(1861)の25回実施の山車一覧を記してみると。

一番=大伝馬町(現・中央区大伝馬町1〜3丁目)⇒諌鼓鶏(25回)。
 明治17年(1884)に出す。

二番=南伝馬町(現・中央区京橋1〜3丁目)⇒(25回)
 明治17年(1884)の午後からの暴風雨により破損したので廃棄処分となる。

三番=神田旅籠町1丁目(現・千代田区外神田一丁目)⇒翁(25回)。
     大正4年、大正天皇御即位奉祝には出た。人形は「翁」。

四番=神田旅籠町二丁目(現・千代田区外神田一丁目)⇒和布苅龍神(25回)。  

五番=鍋町(現・千代田区鍛治町2丁目、神田鍛治町3丁目)⇒松に下がり藤(3回)。蓬莱(7回)、石台に梅松(2回)、桜に兜、松竹梅、武蔵野、神功皇后(3回)、岩組に牡丹、松、箙、蓬莱亀(2回)、日の出松の立木
     千葉県鴨川市諏訪講で曳かれている。頼義と交互に曳く。

六番=通新石町(現・千代田区内神田3丁目、鍛治町2丁目)⇒花(2回)、岩に牡丹、花籠に牡丹花(8回)、牡丹、武蔵野(5回)、安宅の松、唐崎松、歳徳神(3回)。

七番=須田町壱丁目(現・千代田区神田須田町1丁目)⇒翁(7回)、住吉(7回)、岩に牡丹(5回)、岩組に蝶(3回)  

八番=須田町二丁目(現・千代田区神田須田町2丁目)武蔵野(2回)、石台に牡丹(5回)、薄に月(5回)、関羽(12回)、三番叟。
     神田・宮惣(村田政親)により復元され江戸東京博物館に展示。

九番=連雀町(現・千代田区神田須田町1丁目、淡路町2丁目)⇒武蔵野(4回)、牡丹(8回)、熊坂(7回)、薄に月(4回)、松に舞鶴(2回)。
     熊坂の頭が現存。震災後に人形も復元された。千代田区指定有形民俗文化財。

十番=三河町壱丁目(現・千代田区内神田1〜3丁目、神田司町2丁目)⇒武蔵野(7回)、薄に月(3回)、僧正坊(2回)、牡丹(11回)

十一番=豊島町(現・千代田区東神田1、2丁目&岩本町3丁目)⇒武蔵野(19回)、造花、岩に牡丹(3回)。 
      明治38年、日露戦争凱旋奉祝いには出た。人形は「豊玉姫」。

      湯島町⇒武蔵野(19回)、牡丹、月に薄、桃太郎人形、金時(4回)。

      金沢町⇒僧正坊(2回)、頼朝人形(4回)、鳳凰(2回)、田村丸(5回)。

十二番=岩井町(現・千代田区岩本町)⇒牡丹(9回)、武蔵野、四季花、安宅の関(8回)、菊慈童(3回)、宝船、筆と軍配(2回)   

十三番=橋本町1丁目(現・千代田区東神田)⇒牡丹桜(2回)、武内宿禰、石台に桜、岩に大鷲、猩々(2回)、二見ヶ浦(17回)、月に薄。

十四番=橋本町弐丁目(現・千代田区東神田)鉢木(9回)、花、牡丹(5回)、浦島太郎(8回)、乙姫(2回)

十五番=佐久馬町壱丁目(現・千代田区佐久間町)⇒牡丹(4回)、龍宮唐門(8回)、須佐之男命(7回)、松竹梅、玉に鉤針、珊瑚。

       
佐久間町弐丁目風流の花、日の出に松、牡丹(6回)、珊瑚樹、土蜘蛛、松竹梅、蛸に立浪

十六番=佐久間町三丁目・四丁目(現・千代田区東神田、佐久間町。中央区日本橋馬喰町)⇒色々の花、鉢木、牡丹(7回)、浦島(7回)、龍神(2回)、月に薄、武蔵野、花籠。

       富松町⇒浦島、石台に花、龍宮亀に猿(2回)、猩々(3回)、武蔵野(4回)。


十七番=久右衛門町壱丁目・弐丁目(現・千代田区東神田、中央区日本橋馬喰町)金太郎(2回)、三番叟、蓬莱(8回)、唐門、牡丹(3回)、花咲爺、岩に花、桜舟、日の出に松、土手際の立木鳥居、松竹梅(2回)、岩組に花籠。

十八番=多町壱丁目(現・千代田区内神田3丁目)⇒稲村に珊瑚樹、不詳、稲穂、石台に稲村(4回)、石台に稲穂(10回)、植木台に稲穂(3回)、稲穂に蝶(3回)。

十九番=多町弐丁目(現・千代田区神田多町2丁目)⇒珊瑚樹(5回)、不詳(2回)、四季の花、島台(4回)、花篭に牡丹(2回)、月に薄(3回)、鐘馗(2回)、武蔵野、松に釼唐冠、■に石■、月に兎。
 明治19年の神田祭りは暴風雨で山車小屋ごと倒壊してケガ人まで出した。  


廿番=永富町(現・千代田区内神田2、3丁目)⇒牡丹、龍神(22回)、武蔵野(2回)

廿一番=竪大工町(現・千代田区内神田3丁目・鍛冶町2丁目)⇒武蔵野(6回)、石橋人形(9回)、棟上(7回)、岩に牡丹、柱松、花籠に牡丹。

      大正4年、大正天皇御即位奉祝には出た。人形は「飛騨の匠」。
      棟上の飛騨の匠の頭が現存。神田祭の期間に町会(現・多一)で飾られることがある。

廿二番=蝋燭町・関口町(現・千代田区内神田、神田司町2丁目)⇒牡丹しだれ桜(3回)、金太郎、牡丹さざれ桜、蓬莱(3回)、紅葉狩(6回)、松に舟、牡丹(3回)、武蔵野、松に杯(3回)、松に盃酒樽、岩組に松に禄。

廿三番=明神下西町(現・千代田区外神田2丁目)⇒武蔵野(5回)、薄に月(3回)、頼朝(2回)、大黒天(5回)、僧正坊、大国主(6回)、月に兎(2回)。

廿四番=新銀町(現・千代田区神田多町2丁目、司2丁目)⇒武蔵野(4回)、桐に鳳凰、浦島、鳥居に分銅(6回)、鶴が丘鳥居(7回)、牡丹(4回)、岩に薄、武蔵野(2回)。

廿五番=新石町(千代田区内神田3丁目、鍛治町2丁目)⇒武蔵野、三方御幣、牡丹(8回)、鈴、戸隠人形(5回)、御幣に鈴、幣束に鈴、松に梅鶴、松竹梅(2回)。
明治42年に現・千葉県鴨川市山王講に売却。この山車は嘉永4年(1851)制作。これは用具収納箱にと伝えられる。なお昭和38年改修時に五島義徳が彫刻を加え大改修。さらに昭和62年も改修。
 人形は埼玉県熊谷市第二本町区の「戸隠」ではないかと思われる。

廿六番=新革屋町(現・千代田区内神田町1〜3丁目)⇒石橋(3回)、花籠(10回)、弁財天(3回)、弁天(4回)、鳥居に琵琶飾り(2回)。

廿七番=神田鍛治町(現・千代田区鍛治町1、2丁目 他)⇒紅葉、牡丹立木、七夕祭り、小鍛冶(19回)、石台に牡丹(3回)。

廿八番=元乗物町(現・千代田区鍛冶町1丁目、北乗物町)⇒武蔵野(2回)、佐々木四郎(9回)、石台に牡丹(12回)、浦島太郎(2回)。

廿九番=横大工町(現・千代田区神田多町、司町2丁目)⇒布袋(2回)、牡丹、箙の梅、松竹梅菊相撲(6回)、建前、棟上、猿田彦(2回)、武蔵野((8回)、松竹梅(3回)。

三十番=雉子町(現・千代田区神田小川町、神田須田町1、神田司町2丁目)⇒雉子(24回)、岩に桜(1回)。
  明治31年の奠都30年祭には神武天皇の山車を出した。(「風俗画報」第163号)。

三十一番=三河町四丁目(現・千代田区内神田、神田司町2丁目)⇒武蔵野(2回)、武内宿禰(10回)、牡丹(5回)、岩に花(3回)、岩組に松竹梅、月に薄、不詳(2回)。
  嘉永元年(1848)9月制作。明治4年頃に青梅市森下町に売却。幕、祭礼道具の箱書きにも三河町四丁目と書かれている。
大正2年に3輪を4輪に改造された。
人形は“武内宿禰”。人形師は仲秀英。制作年は嘉永元年(1848)9月制作と思われる。
武内宿禰の腰の大太刀の鍔に嘉永元年(1848)寄進、大和屋吉右衛門の銘が刻まれている。

三十二番=明神下御台所町(現・千代田区外神田2丁目)⇒義経弓流し(2回)、武蔵野(10回)、薄に月(2回)、仁田四郎(6回)、 紅葉狩、石橋能人形(5回)。
 明治35年(1902)の祭礼に出した。

三十三番=皆川二・三丁目(現・千代田区内神田)⇒武蔵野(5回)、牡丹立木、箙、汐汲(7回)、薄に月(3回)、松梅(2回)、珊瑚樹、義経、不祥、烏帽子汐汲桶、宝尽、桜之立木鎧鼓。
 明治35年(1902)の祭礼に出した。

三十四番=塗師町(現・千代田区鍛冶町1、2丁目)⇒武蔵野(8回)、牡丹立木、造花、月に薄(2回)、猩々(12回)、瓶杯。

三十五番=白壁町(現・千代田区鍛冶町2丁目、神田鍛冶町3丁目)⇒恵比寿(22回)、岩に月に薄、不祥、牡丹?。
  山車の消息は不明だが、「恵比寿」人形は葉県鴨川市山王講にあり。昭和54年の修復で人形の頭の保管箱蓋裏に文政13年(1830)9月吉日。雛屋久五郎と墨書きがあり。

三十六番=松田町(現・千代田区鍛冶町2丁目)⇒武蔵野(16回)、月に薄(3回)、頼朝、源頼義(5回)。
 明治35年(1902)の祭礼に出された。現在は千葉県鴨川市諏訪講所有。神功皇后と交互に曳く。
神田祭花車つくしには当時の花車が描かれている。
かつて神田明神祭礼は、山王祭りと共に“天下祭”といわれ、隔年に交互に祭礼行列が江戸城内に入り、将軍の上覧に供し、36本の山車行列があった。

 【神輿】
※神輿の歴史と台輪寸法等は江都天下祭研究会 神田倶楽部編「明神さまの氏子とお神輿」を多々引用しました。
 ■摂社
◎江戸神社⇒大宝2年(702)江戸に創建された江戸最古の地主神。太田道灌の江戸城築城後は城内に祀られていたが、慶長8年(1603)の江戸城拡張の際に神田神社境内に遷座した。江戸の三天王・一の宮でもある。明治18年、社殿が焼失したのを機会に持ちが南伝馬町から神田青物市場へ変更。そこで神田市場の千貫神輿と称する。
 またこうも書かれている。青果市場が神田田町の地に有った江戸時代から、市場の関係者の間で守られてきた神社。その後、青果市場が昭和の初めに秋葉原に移転してからも、市場にお社があった。平成元年に大田市場に移転したため神田市場の摂社として境内に神輿が祀られている。
例祭日は神輿が昭和33年、復興したのを機会に神田祭と同時に行うようになった。

 江戸神社神輿奉賛会(旧・神田市場)=旧神田市場の関係者で構成。江戸神社とは、
 昭和33年制作。浅草小島町・鹿野喜平の作。台輪寸法3尺8寸。


◎小舟町八雲神社⇒元は江戸城内にあった。祭礼の際に小舟町の御仮屋へ神輿を渡御していたことからこの社名がある。詳細は中央htm参照。

◎魚河岸水神社⇒日本橋魚河岸の守護神として創建され、元和年間に神田明神境内に遷座した。遥拝所は築地中央卸売市場にあり。詳細は下部参照。
 水神社大神輿(築地魚河岸会)=昭和3年(1928)制作。作者は不詳。
 ■神田地区
 ≪外神田地区連合≫
外神田一丁目万世橋町会(万世橋会)⇒外神田一丁目1番地8〜14号、2番地、4番地9〜17号、10〜17番地。
秋葉原駅前中央通りの町会。万世橋が町会の由来。
=昭和35年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。

外神田二丁目宮本町会(宮本町)⇒外神田二丁目16〜19番地、7番1号・4号一部。
かつては湯島の内だったが、神田明神の社頭にあたるので、明治2年に神田明神と併せ、宮本町となる。
=昭和35年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法1尺。

外神田二丁目神台会(神台会)
⇒外神田二丁目5番1〜12号。6〜9番地(ただし7番地1号・4号を除く)。
御台所町。御台所賄い方の武家地だった。
=昭和32年制作。宮信の作。台輪寸法2尺。
 子供神輿は昭和35年制作。宮信の作。台輪寸法1尺1寸。

外神田三丁目金沢会(金沢町)⇒外神田三丁目2・3・4・11番地。
かつて加賀前田家の上屋敷があったが、天和2年(1682)の火事で類焼し、幕府に没収され、その翌年に湯島一丁目の住人が代地を与えられて移転してきて、金澤という町名はそのまま受け継いだ。
=昭和36年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺2寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

外神田三丁目末広町会(末広町)⇒外神田三丁目5〜10番地・14〜16番地。
明治2年に神田平永町・ 神田山本町・柳原岩井町・麹町平川町代地を合併し誕生。
=大正15年制作。多ヾし鉄の作。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

外神田四丁目田代会(田代)
⇒外神田四丁目2〜6番地。
江戸期中頃までは武家屋敷だったが、寛政5年(1793)の大火で神田川周辺にあった町が燃え、町の一部が火除地となり、、その町に住んでいた人々が、旗本永井伊織の屋敷跡を代地として与えられて移転した。当初は神代町だったが、後に神田代地を省略して、田代町と改めた。地内に花房稲荷神社がある。
=昭和35年制作。多ヾし鉄の作。台輪寸法2尺5寸。
 中神輿は昭和11年制作。台輪寸法1尺5寸。小神輿は昭和35年制作。台輪寸法1尺2寸。共に多ヾし鉄の作。

外神田五丁目栄町会(栄町)⇒外神田五丁目1・6番地。
明治2年12月の神田大火後に神田竹町、神田平河町、神田松永町などに、火除地を設置し、秋葉神社)を建立した。これらの町の住民が移転させられ、住民は町の繁栄を願い栄町と名づけた。
=昭和54年制作。松村錺師の作。台輪寸法2尺1寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺1寸。

外神田六丁目町会(五軒町)⇒外神田六丁目3番地5・6号、4〜16番地。
上総久留里藩黒田家上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、信濃上田藩松平家下屋敷と、五つの大名屋敷があったことから名づけられる。
=昭和52年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。
 中神輿も同時に制作。台輪寸法1尺2寸。
 小神輿は昭和28年制作。岡田屋布施の作。台輪寸法1尺。

外神田旅籠町会(旅籠町)⇒外神田一丁目1番地5〜7号、3番地、4番地1〜8号、18〜23号、5〜9番地及び外神田三丁目1・12・13番地。
江戸後期まで街道筋の拠点として旅籠が立ち並ぶ町だった。
=昭和33年制作。南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法2尺5寸。
 台輪寸法2尺5寸。
 曳太鼓もあり。

外神田四丁目松富会(松富町)⇒外神田四丁目6〜13番地。
明治2年松下町二丁目、松下町三丁目、永富町三丁目が合併で誕生。お互いの一字づつ取って松富町となる。
=昭和53年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。

外神田同朋町会(同朋町)⇒外神田二丁目10〜15番地、6丁目1・2番地及び3番地3・4・7・8号。
元は寺地だったが、明暦の大火(1657)後に寺地を外に移し、幕府同朋衆の屋敷とした。また同朋町は妻恋神社の氏子町会にもなっている。
=平成8年3月制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。

外神田五丁目元佐久町会(神田元佐久間町)⇒外神田五丁目2・5番地。
明治3年に秋葉原の火除地となる際に、神田佐久間町一丁目と神田柳屋敷の代地として小笠原家屋敷跡に移転して誕生。
=昭和5年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。
神田山本町⇒平成20年(2008)7/28、外神田4丁目の一部と駅前広場、ダイビル、UDX、東京タイムズタワー、神田消防署のある旧神田青果市場の地域に誕生。
 ≪岩本町・東神田地区連合≫
岩本町一丁目町会(岩本一)⇒東福田町、材木町、東今川町、基亀井町が昭和40年7月の住居表示の実施により、合併して岩本町一丁目になった。
=昭和31年5月制作。行徳・浅子周慶の作。平成15年、江戸開府400年祭に合わせ、大小神輿を行徳・浅子周慶にて修復。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿の制作年、作者不詳。台輪寸法1尺5寸。

岩本町二丁目大和町会(大和町)⇒岩本町二丁目13〜17番地、19番地。
=昭和12年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺3寸。
 曳太鼓もあり。

岩本町二丁目東紺町会(東紺)
⇒東紺屋町、岩本町二丁目1〜4番地。
昭和40年(1965)の住居表示の実施の際に、神田東紺屋町の一部は神田松枝町、神田大和町、神田東松下町の一部、神田元岩井町の一部と合併して、岩本町二丁目となった。
=昭和31年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺2寸。
 戦後しばらくは手作り踊り屋台で自町内を廻った。

岩本町二丁目岩井会(元岩井)=昭和9年制作。山車は桃太郎。神輿と共に柏原甚吉の作。台輪寸法1尺5寸。

岩本町三丁目町会(岩三)⇒岩本町三丁目と神田岩本町全域。
旧・岩本町+東龍閑町が合併して、昭和初期に誕生。
=昭和28年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。
 中小神輿は昭和15年制作。神田・宮惣の作、台輪寸法は1尺5寸と1尺3寸。

東神田町会(東神田町)⇒東神田1丁目1〜5番地、12〜17番地、東神田二丁目8〜10番地。
江戸初期は寺町。後に町家に。1丁目と2丁目から成る。
=大小。昭和29年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺7寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺3寸。

岩本二松枝町会(松枝)⇒岩本町二丁目5〜7番地、10〜12番地。
=昭和13年5月制作。神田・宮惣(村田善三郎)の作。錺は柏原甚吉。彩色は荻原兵助。塗りは石川忠一。台輪寸法2尺。
この神輿は国宝に指定されている奈良手向山八幡の神輿の様式を基にしたと伝わる。
 平成6年に向島・志布で修復。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

東神田豊島町会(豊島町)⇒東神田1丁目〜5番地、12〜17番地、東神田二丁目8〜10番地。
昭和9年(1934)に、橋本町、江川町、富松町、久右衛門町が合併して東神田になり、昭和13年(1938)に東神田町会が誕生。
=昭和31年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供(小)神輿も同時に制作。台輪寸法1尺1寸。
 中神輿は昭和9年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法1尺5寸。
 ≪神田中央連合≫
 ◎錦町⇒大正14年に錦町創立。一之部から八之部まで分かれていた。
錦連合⇒錦町二丁目、錦町三丁目全域、小川町二丁目1・3・5番地。
=神田錦町二丁目町会、錦町三丁目町会、錦町三丁目第一町会、小川町三丁目南部町会の4つの町会の連合。

 ※神田錦町二丁目町会(錦二)⇒三之部と八之部に当たり、錦町2、3丁目となる。戦後、GHQの指令により、町会は解散となるが、昭和29年町会が誕生。鎮守は豊川稲荷社。
=昭和35年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺1寸。
    子供神輿は昭和32年制作。浅草・宮本重義の作?。台輪寸法1尺5寸。

 ※神田錦町三丁目町会(錦三)⇒錦町の五、六、七の部に当る。昭和28年、錦町四、五、六、七部会として再発足し、昭和30年にこれらを併合して現在の錦町三丁目町会を結成した。
昭和30年に最盛期の昭和30年代には770世帯があったが、ビル化が進み平成15年には179世帯となっている。
=昭和8年制作。四世宮惣・村田喜三郎の作。延屋根。二重勾欄。前後階。台輪寸法2尺6寸。
疎開して戦災より守った。
  平成8年、小川政次により修復。
    子供神輿は昭和7年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法1尺5寸。

神田錦町三丁目第一町会⇒錦町の四の部に当る。昭和37年に錦町三丁目より独立して新たに錦町三丁目第一町会を創立した。ワンルームを除く常住世帯は10世帯となった。

 
小川町三丁目南部町会(小川町三南)⇒錦町の四の部に当る。
=昭和30年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法1尺3寸。

猿楽町町会(猿楽町)
⇒幕府御用の猿楽師一座の屋敷地があったことから明治5年み町名になる。
=昭和8年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺。
  子供(中)神輿も昭和8年制作。台輪寸法1尺8寸。
  小神輿は制作年・作者不詳。台輪寸法1尺。

神保町一丁目町会(神一)
⇒神保町一丁目1〜71番地までの奇数番地。
=昭和27年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺1寸。
 子供神輿は制作年、作者は不詳。台輪寸法は1尺5寸。
 ◎小川町⇒戦前、一つの町会で靖国通りを境に北部と南部の2つの町会に分離された。「4・5・6・7の部」(現在の小川町北部1丁目・北部2丁目・北3丁目西町会)が合併して小川町北部町会がとなった。

小川町4ヶ町⇒小川町三丁目西町会、小川町北部一丁目町会、小川町北部二丁目町会、小川町北三町会の4つの町会で揃いの半纏で担ぐ。
=昭和62年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。

 ※小川町三丁目西町会
⇒神田小川町第4班として活動。昭和31年、小川町三丁目西町会が誕生。
=昭和27年5月制作。岡田屋布施の作。台輪寸法1尺3寸。当時は小学校低学年用の神輿、曳太鼓もあった。

 ※小川町北三町会
=江戸期には土浦藩の上屋敷だった。

小川町一丁目南部町会
⇒昭和8年、小川一丁目誕生。昭和30年、一丁目奇数番地1〜11を南として小川町一丁目南部町会が誕生。
=神輿、曳太鼓を17年奉納していたが、昭和47年、養護施設の都立宇佐見児童学園に寄贈した。

 ※小川町二丁目南部町会
=太田姫稲荷神社の氏地
 ≪中神田町13ヶ町連合≫
旭町会⇒内神田二丁目8・9・13・14・16番地、内神田三丁目5・6・8〜11・15・16・24番地。
=昭和27年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。
 
子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

須田町1丁目南部町会⇒
須田町一丁目5・7番地と16〜34番地までの偶数番地。
昭和8年に関東大震災後の土地区画整理事業によって通り新石町、小柳町西一部、須田町一丁目南一部が合併して誕生。
=昭和6年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。

須田町1丁目中部町会
⇒須田町一丁目2〜14番地までの偶数番地。
昭和8年に関東大震災後の土地区画整理事業によって連雀町大部分、差柄木町大部分、旧多町二丁目北一部、雉子町北半分が合併して誕生。
=昭和28年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法1尺5寸。

須田町1丁目北部町会〔連雀町〕⇒須田町一丁目1・3・9〜25番地までの奇数番地と、淡路町一丁目2・4番地、淡路町二丁目2〜12までの偶数番地。
昭和8年に旧・須田町二丁目、旧・須田町一丁目北一部、旧淡路町二丁目東大部分が合併して誕生。地内に出世稲荷神社がある。
=昭和16年制作。浅草小島町・鹿野喜平の作。台輪寸法1尺8寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺。

多町1丁目町会⇒大正11年堅大工町町会誕生。大正12年関東大震災により全町焼失。昭和6年区画整理実施により堅大工町と新石町の一部が合併して多町一丁目町会が誕生。敗戦により町会は解散され、その後赤十字奉仕団として町会有志が運営に当る。
=昭和25年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺。

多町2丁目町会⇒昭和8年、多町1丁目・多町2丁目大部分・新銀町の東一部が合併して成立。
地内に松尾神社、一八稲荷がある。
=昭和54年5/5お披露目。東向島・志布景彩の作。台輪寸法3尺。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺6寸。

淡路町1丁目町会⇒淡路町一丁目の奇数番地。
=昭和40年制作。宮本重義の作。台輪寸法1尺8寸。
 
子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

淡路町2丁目町会
=昭和52年5月制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿は大正14年制作。宮本重義の作。台輪寸法1尺5寸。

司町一丁目町会(司一)⇒美土代町及び内神田一丁目9〜11・16〜18番地と内神田二丁目10〜12・15番地。
司町の町名は昭和10年、神田明神の平田盛胤宮司の命名。
=昭和31年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。
 
子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

司二丁目町会(司二)
⇒昭和10年に三河町三丁目・四丁目全部、佐柄木町、新銀町西大部分、雉子町、関口町が合併して誕生。
=昭和28年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

内神田鎌倉町会(鎌倉町)⇒内神田一丁目一番5〜9・12・14号、5〜8番と内神田二丁目1〜7、内神田三丁目1〜4。
地内に御宿稲荷神社がある。
=昭和38年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。
 曳太鼓もあり。

神田鍛治三丁目町会⇒神田鍛冶町三丁目・内神田三丁目19〜21番地。
昭和8年に黒門町北の一部・上白壁町北の一部・鍋町北の大部分・鍛冶町北の一部・鍋町西横町の内の一部が合併して誕生。
=浅草田原町・岡田屋布施の作。台輪寸法2尺2寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

内神田美土代町会(美土代町)⇒美土代町と内神田一丁目2〜4・12〜15番地。
伊勢神宮に奉納する稲を育てる美土代(みとしろ)があった事から町名へ。
=昭和32年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺3寸。
 ≪神田駅東地区連合≫
北乗物町会(北乗物町)⇒明治2年に元乗物町代地、兵庫屋敷代地、神田紺屋町二丁目横町代地が合併して誕生。往古に駕籠などの乗物を作る職人が住んでいた町で、当時今川橋の付近に南乗物町が有り、そこより北に位置するため、「北乗物町」と名付けられた。
=獅子頭太鼓山車。また雄、雌の獅子頭だけを取り外し、神輿として担ぐことも出来る。昭和36年制作。作者不詳。

鍛冶一丁目町会(鍛冶一)=昭和29年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺3寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

鍛冶二丁目町会(鍛冶二)⇒昭和8年3月の区画整理で黒門町・上白壁町・下白壁町・紺屋町・松田町・鍋町・塗師町・新石町・堅大工町・鍛治町を合わせて神田鍛治町2丁目となる。昭和49年1月の住宅表示変更により鍛治町2丁目となる。
=昭和14年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺6寸。
 
子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺5寸。

紺屋町南町会
⇒紺屋町1〜25。
=平成11年制作。地元の飯田昭次郎の作。台輪寸法2尺3寸。

神田須田町二丁目町会(須田二)
⇒昭和8年3月の区画整理で元柳原町、柳町、柳原河岸、小柳町、平永町などが合併して誕生。
=昭和13年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺3寸。

富山町(富山町)
=昭和30年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法1尺8寸。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺。
 ◎神輿無し
昭和町会
=神輿無し。

富山町会
⇒芝の増上寺門前にあった芝富山町2丁目が火除地として召し上げられ、正徳3年(1713)に神田に代地を与えられたことから成立したと伝えられる。人口は明治初期の資料では、人口1200人強らしいが、千代田区の資料では75人(2007年)となっている。
=神輿無いが、レンタル神輿で宮入りしている。
 ≪秋葉原東部地区連合≫
神田和泉町会(和泉町)⇒明治5年、藤堂和泉守屋敷の存在に因み和泉町の名付けられる。
=昭和29年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。
 子供神輿は昭和25年制作。神田・宮惣の作。台輪寸法1尺3寸。

佐久二平河町会(佐久二平河)⇒佐久間二丁目、神田平河町、佐久間河岸45〜55番。
=昭和27年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法は2尺3寸。平成19年修復。
 子供神輿も同時に制作。台輪寸法1尺3寸。
 曳太鼓もあり。

佐久間町三丁目町会(佐久三)⇒佐久間三丁目、佐久間河岸59〜78号地。
=昭和32年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。

佐久間町四丁目町会(佐久四)=昭和32年制作。行徳・浅子周慶の作。

東神田三丁目町会(東神田三丁目)⇒元の神田八名川町、神田元久右衛門町、神田餌鳥町、神田向柳原町一丁目などより成る。
=平成16年9/5、御披露目。府中市・落合美行が5年の歳月をかけて制作。欅を材料に台座は75cm。、屋根は1、2m。高さ1、65m。重量250kg。
従来はレンタルで済ましていた。
 子供神輿は昭和28年制作。宮松の作。台輪寸法1尺5寸。
曳太鼓もあり。旧称の元久一丁目・元久二丁目・八名川町名が入っている。

秋葉原町会(秋葉原)⇒神田明神氏子唯一の台東区町会。
=昭和33年制作。浅草・宮本重義の作。
 ◎神輿無し
佐久間町1丁目町会=神輿無し。

松永町町会
⇒松永町、花岡町全域。
=戦時中に神輿譲渡、曳太鼓も戦後譲渡。

練塀町
⇒練塀町、相生町。
=神輿無し。
 ≪大手・丸の内将門塚保存会≫
大手町・丸の内町会⇒昭和32年成立。丸の内1、2、3丁目+大手町1丁目(3、4を除く)、2丁目。
大手町1丁目〜丸の内2丁目にかけて就業者は24万人を越すが、住民登録者はいないとされる。
将門神輿=平成15年(2003)80年ぶりに復活。ここには徳治2年(1307)に建立した将門塚がある。
 先代は関東大震災で焼失。
 ■日本橋地区
 ≪日本橋一の部地区≫
室町一丁目町会(室一)⇒日本橋室町一丁目全域。昭和7年に、旧・室町一丁目・二丁目等の町が合併して誕生。
=昭和13年創建。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。
江戸期、当町は魚河岸水神社、小舟町天王祭の宮神輿の町会渡しを行っていた。そこで関東大震災で焼失した魚河岸水神社の宮神輿を模して制作する。
 子供神輿は昭和13年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法1尺5寸。
 ◎神輿無し
本石町町会⇒日本橋本石町全域。

室町二丁目町会⇒日本橋室町二丁目全域。

室町三丁目町会⇒日本橋室町三丁目全域。

室町四丁目町会⇒日本橋室町四丁目全域。

本町1丁目町会⇒日本橋本町一丁目全域。

本町二丁目自治協会⇒日本橋本町二丁目全域。

本町三丁目東町会⇒日本橋本町三丁目6〜11番。

本町三丁目西町会⇒日本橋本町三丁目1〜5。

本町四丁目東町会⇒日本橋四丁目9〜15。

本町四丁目西町会⇒日本橋本町四丁目1〜8。
 ≪日本橋二の部地区≫
大伝馬町一之部町会(大伝馬一)日本橋大伝馬町1〜6番。
=昭和27年制作。関徳の作。台輪寸法1尺8寸。

小伝馬三之部町会(小伝馬三)日本橋小伝馬町14〜21番。
=戦前制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。
曳太鼓は製作年・作者とも不詳。

小舟町町会(小舟町)⇒日本橋小舟町全域。
=昭和13年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺7寸。
 ◎神輿無し
大伝馬町二之部町会
⇒日本橋大伝馬町7〜11番。

大伝馬町三之部町会
⇒日本橋大伝馬町12〜17番。

小伝馬町一之部町会
⇒日本橋小伝馬町1〜6番


小伝馬町二之部町会日本橋小伝馬町7〜13番。

留町一丁目町会日本橋堀留町一丁目全域。

堀留町二丁目町会日本橋堀留町二丁目全域。

富沢町町会⇒日本橋富沢町全域。

人形町三丁目東町会⇒日本橋人形町三丁目8〜13番。
 ≪日本橋三の部地区≫
人形町一丁目町会(人壱)⇒日本橋人形町一丁目8番〜16番。
=昭和28年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法1尺8寸。

砺一自衛会(自衛会)⇒日本橋蛎殻町一丁目29番〜31番、38番・39番。
=昭和33年制作。作者不詳。台輪寸法1尺。

砺一共和会(共和会)⇒日本橋蛎殻町一丁目32番〜37番。
=昭和33年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法1尺8寸。

砺殻町東部町会(砺東)⇒日本橋蛎殻町二丁目全域。
=昭和29年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法1尺3寸。

人形町2丁目三之部町会(人形町二之三)
=昭和60年制作。鈴木金吉の作。台輪寸法1尺8寸。

 子供みこし、曳太鼓も出る。
 ≪日本橋四の部地区≫
 ※東日本橋二・東日本橋三橘町会のみ宮入り。
馬喰町一丁目壱之部、同一丁目二之部、一丁目三之部町会(馬一)⇒日本橋馬喰町一丁目1〜5番+〃6〜8番+〃9〜14番。
=昭和29年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。

馬喰町2丁目町会(馬二)⇒日本橋馬喰町二丁目全域
=昭和32年制作。日本橋・関徳の作。台輪寸法3尺。

横山町会(横山町)⇒日本橋横山町全域。
=戦後制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。

東日本橋三丁目町会(橘町)⇒東日本橋三丁目全域。
=昭和42年に町会有志で寄贈。作者不詳。
 先代は昭和27年制作?。

東日本橋二丁目町会(東日本橋二)⇒東日本橋二丁目全域。
かつては両国と呼ばれていた。元柳町、柳新町、吉川町、米沢町1〜3丁目、薬研堀町、若松町等の全部または一部が含まれる。
=昭和35年制作。浅草・宮本重義の作。

東日本橋一矢の倉町会(東一)⇒東日本橋一丁目4番〜11番。
=昭和28年制作。作者不詳。村松町会と共同利用。土曜日に利用。
 ≪日本橋五の部地区≫
東日本橋村松町会(東一)⇒東日本橋一丁目1番〜3番。
=昭和28年制作。作者不詳。矢ノ倉町会と共同利用。日曜日に利用。

久松町町会(久松)
⇒日本橋久松町全域。
=昭和26年制作。作者不詳。台輪寸法2尺3寸。

浜町一丁目町会(浜壱)⇒日本橋浜町一丁目全域。
=昭和31年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法1尺8寸。

浜町二丁目金座町会&浜町二丁目親合町会(浜二金座&浜二親合)⇒日本橋浜町二丁目10〜13番、32〜41番、60〜62番+日本橋浜町二丁目5〜9番、14〜18番、31番、42番。
=昭和29年制作。作者不詳。

浜町二丁目西部町会(浜二西)⇒日本橋浜町二丁目1番〜4番、19番〜23番。
=昭和34年制作。作者不詳。台輪寸法1尺8寸。

浜二町会(浜二)⇒日本橋浜町二丁目24番〜30番、43番〜59番、日本橋浜町三丁目23番まで。
=昭和34年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法1尺8寸。
 山車人形は加藤清正。

浜町三丁目東部町会(浜三東)⇒日本橋浜町三丁目24番・25番、28番〜45番、26番5号〜10号、11号の一部。
=昭和31年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法1尺8寸。

浜三西部町会(浜三西)⇒日本橋浜町三丁目1番〜22番、26番4号、11号の一部、27番。
=昭和33年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法1尺8寸。

中州町会(中洲)⇒日本橋中洲全域。
=昭和29年制作。作者不詳。台輪寸法1尺8寸。

 ≪中央区≫
築地5丁目 水神社 不定期 神輿
加茂能人形山車 築地魚河岸会
水神社大神輿=昭和3年(1928)制作。作者は不詳。
神田神社内の収蔵庫に保管され、神田祭りに飾り置きされる。魚河岸の守護神。なお“水神祭”は不定期である。山車は昭和30年に制作。

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