大 阪 府【大阪市西部】

 
(此花区、大正区、港区、浪速区)

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪此花区≫
春日出中1−6−21 朝日神明社 7/中旬(元・16) 枕太鼓2台 子供主体 
島屋3−13−28 産土神社 7/22、23 布団太鼓 昭和20年代後半の作。「太鼓正」。  
戦前は大きな枕太鼓(昭和53年の復興時に処分)、子供太鼓(トラック渡御に使用)
西九条1−4−20 西九条神社 7/25、26 神輿
枕太鼓 元・茨住吉神社の御旅所 
伝法2−10−18(伝法南) 鴉宮 7/31、8/1 神輿 あり
宮地車 七福神丸=現在保管中
布団太鼓1台 南2丁目[南上太鼓]
布団太鼓廃絶 酉島〔南下太鼓] …戦災で焼失?
枕太鼓休止 南中太鼓
伝法3−1−6 澪標住吉神社  7/31、8/1 神輿 あり
布団太鼓3台 北1、2丁目[北上太鼓]、北3丁目[北中太鼓]、北5丁目[北五太鼓]高見
布団太鼓廃絶 北4丁目[北下太鼓]
枕太鼓 高見(子供) 
獅子舞 北三
神輿=先代倒壊につき制作。先代は昭和25年のジェーン台風で倒壊。室町期の制作と云われるが?。
宮地車=七福神丸。制作年、作者は不詳。元々、鴻池家にあったが、明治期か大正期に寄進を受ける。
汐組みの船に乗せていたが、土台に車を乗せて祭りの時も出すようになった。昭和30年代初期より休止との声もあるが、車板の裏に昭和38年と修復の時の墨書きがあるので、これ以降に休止と思われる。
平成24年(2012)現在、祭礼でも出ていないが将来復活の意向はある。
南上太鼓⇒太鼓蔵は鴉宮の境内。
=南2丁目。明治37年の祭りの衣裳の写真が残っているので、それ以前よりあった。

昭和55年、布団締め。昭和54年、房新調。
布団台は「龍」、枡合は「四神獣」、土呂幕は「波に兎」
北上太鼓⇒太鼓蔵は第三振興町会集会所併設(伝法2丁目14−22)。
=北1、2丁目。制作年は不祥。彫師は小松一門と云われるが。植山工務店で修復。幕はぬい屋(菅原縫師)の作。
布団台は「龍」と「鳳凰」、枡合は「天の岩戸」、「神功皇后」、「鷲退治」、「虎退治」。土呂幕は「牡丹に唐獅子」と「波に兎」。
北中太鼓⇒太鼓蔵は澪標住吉神社境内。
=北3丁目。大正13年、当時の鴻池組の鴻池忠三郎氏の寄贈。元は四本柱の上下するからくりがあったと云われる。
 以前、北3丁目の蔵には布団太鼓2台あり。そのうち1台が四貫島方面売却とされ、これをして4丁目(北下)の太鼓だったのではとも云われている。
布団台は「雲に鶴」、枡合は「牡丹に唐獅子」、土呂幕には「竹に虎」。

北五太鼓=北5丁目。
高見⇒太鼓蔵は高見公民館(高見3丁目2−16)に隣接。
=平成24年(2012)7月8日、購入入魂式。 以前は枕太鼓。
昭和58年(1983)堺市芦原濱新調。費用950万円。「梶内」の作。
彫物は芦原濱の先代太鼓台の彫物を利用。彫師は松田正幸、中山龍雲。
枡合:正面は「巴御前の奮戦」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「鵯越えの坂落とし」、後ろは「那須の与一扇の的」。


枕太鼓=(大人)昭和44、5年頃創建。昭和60年代火事で焼失。
二代目は先代焼失につき制作。本体は地元の大工の高橋さん。彫物、衣裳は太鼓正。平成23年(2011)まで使われた。保管中。
  (子供)=平成7年創建。子供会主催。
北下太鼓=北4丁目。
 大正末期の伝法夏祭りのお渡りを描いた絵が残っている。そこには、各太鼓[南上、南中、南下、北上、北中、北下、北五]と前に掲げられた提灯[南上は絵の枠外]が描かれている。
また北下は四貫島の方に売った?という言い伝えがある。
梅香3−14−16 四貫島住吉神社 7/19、20 子供神輿 子供神輿会。太鼓、子供神輿を綱で子供が曳く
地車囃子

 ≪大正区≫
三軒家東2−7−18 八坂神社(上の八坂) 7/15、16 枕太鼓   
三軒家東6−14−12 八坂神社(下の八坂) 7/16、17 枕太鼓  
鶴町2−7−29 神明社 7/16、17 枕太鼓   
泉尾2−17−8 泉尾神社 7/22、23 獅子舞
神輿 戦後創建
子供布団太鼓  
獅子舞=昭和3年の御大典に泉尾第二青年団が始める。戦災で焼失するが、戦後、梅田の綱敷天神社氏子の風呂屋さん所有の獅子を借りて再開する。その後新調する。
子供布団太鼓=昭和20年代後半か30年代初期に創建。鋳物屋の坂田氏の作。
明治41年6月、産土神社は西区九条の茨住吉神社に合祀。その当時は茨住吉神社よりお渡りがあった。泉尾の発展につれて氏子の間に氏神社創建の運動が起こり昭和10年12月にまずは御旅所として許可された。社殿は同15年完成したが、戦災で焼失。戦後信者の寄進によって再建された。神社名は昭和22年泉尾神社と改称。この項は大正13年生まれの中川昭太郎氏にお教え頂く。
南恩加島1−13−41 南恩加島天満宮  7/24、25(毎年) 神輿  
太鼓 
 昭和33年4月、都市計画により南恩加島公園内に移転。
渡御は神輿、太鼓(枕は無い)、銅製の牛を台車に乗せて曳行。
小林西2−7−13 産土神社 7/最終土日 枕太鼓     

 ≪港区≫
築港1−5−20 港住吉神社 7/14、15(毎年) 枕太鼓   
磯路2−18−23 三社神社 7/20、21 枕太鼓2台  
昭和11年参集所兼婚儀殿の竣工によって境域は整備され、神輿、鳳輦、御所車などの神幸具を整えたが、昭和20年3/13の空襲により焼失した。
夕凪26−11 三津神社 7/23、24 枕太鼓   
三先1−5−40 三先天満宮(公式HPへ 7/24、25(毎年) 枕太鼓   

 ≪浪速区≫
元町2−9−19 難波八坂神社 7/13、14 神輿 あり
枕太鼓3台 本社A、桜川4、木津川久保吉
船渡御 平成23年(2011)は全22隻
13日は船渡御。江戸時代、天神祭と並んで盛大に行われていたと伝わっている。江戸中期以降、その船渡御も途絶えていたが、平成13年(2001)に氏子衆と地元企業・団体の支援と熱意で230年ぶりに復活した。
18:30〜21:00、道頓堀川の湊町船着場〜道頓堀川〜日吉橋で折り返し〜道頓堀川〜日本橋で折り返し〜湊町船着場の約5kmで船渡御神事を行う。
13日、14日共午後1時より猿田彦・本社太鼓・本社神輿のお渡り。
コースは13日は神社⇒府立体育館⇒ナンバシティ⇒ダオ―レ⇒千日前⇒道頓堀⇒戎橋⇒高島屋⇒元町方面
14日は神社⇒塩草⇒東洋紙業⇒立葉1⇒桜川3⇒桜川4⇒稲荷1⇒南堀江⇒桜川2⇒塩草3⇒元町方面
敷津西1−2−12 敷津松之宮 7/16、17 独特山車 枕太鼓
だいがく廃絶 電線敷設のため明治30年頃に廃絶
 【大国夏祭り】
7/16、17開催。大国町内を14時から山車3台が巡行。(実際は神輿を乗せたものや枕太鼓 など。)主催は大国地域活動協議会。
浪速西3−10−23 浪速神社 7/21、22(毎年) 枕太鼓 宮太鼓
布団太鼓10台 第一町会、浪速東第三町会東、浪速西第六町会、浪速西北第八振興町会、新浪速第二振興町会 など
戦前は八ヶ町より8台の布団太鼓が出たが、空襲により全て焼失。戦後各町内ごとに布団太鼓を作るが、昭和末期より住民が減ってきた影響で参加台数も激減。ちなみに平成19年(2007)ちょうど日曜の17時半に行くが、1町も布団太鼓を出していなかった。
 他の人によると、21日又は22日にJR芦原橋駅前に9時〜10時に出す全台集合→神社→解散の運行。
12時までには小屋を閉める町会が多いとの事。
 2013年は枕太鼓が西中町会。布団太鼓が浪速子供会、第一町会、第三町会、3丁目東町会、第六町会だった。
第四町会、第10町会は永らく休止中。
枕太鼓=昭和35年(1960)太鼓正の作。「枕太鼓のあばれかつぎ」で知られている。一時途絶えていたが、平成13年(2001)に夜に変えて復活となる。
 ■21日
(19:00〜)枕太鼓(神輿と称する)の巡幸開始。小屋は神社西隣りの阪神高速下で小屋開けは18時頃。
 ■22日
(午前中)布団太鼓、枕太鼓巡行(子供みこしと称する)
(19:00〜)枕太鼓(神輿と称する)の巡幸開始。小屋は神社西隣りの阪神高速下で小屋開けは18時頃。
日本橋西2−4−14 広田神社 7/下旬 枕太鼓 恵美、新世界 
布団太鼓 新世界、東西関谷町
独特地車 西成区萩之茶屋3丁目北振興町会
新世界=神輿、樽神輿、枕太鼓(梶内製)、布団太鼓(梶内製。昭和34年制作)
下寺住宅 源九郎稲荷神社 子供の日の次の日曜 太鼓車 11時、13時の2回子供車巡幸。
 戦前に下寺住宅が建設され始まる。古き大阪の名残りが見られる祭りだったが、同住宅建て替えのため平成17年(2005)が最後の祭礼となる。
最後の祭礼見に行くが、この年は4月中旬であった。

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