大 阪 府【大阪市・中央】

 (北区、中央区、西区、福島区

           

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪北区≫
天神橋2−1−8 大阪天満宮 7/24、25(毎年) 神輿
地車1台 地車講=天満青果市場
 【宵宮祭=7/24】
 【宵宮祭=7/24】
7時45分   宵宮祭(本殿)
8時50分   鉾流神事(鉾流橋畔)
16時     催太鼓氏地巡行〜宮入り・獅子舞
19時(〜終日)地車囃子・龍おどり(大阪天満宮)
 【陸渡御=7/25】
16時      渡御列発進
【第一陣】 
催太鼓→猿田彦→神鉾→市場地車→大阪天満ライオンズクラブ奉仕講→吉備講→獅子舞→猩々山車→釆女→稚児→敬神婦人会→文車→牛曳童児→錦旗→風流花傘→神饌唐櫃

第二陣】
総奉行→前行(知事)→随員→前衛(市長)→随員→伶人→大真榊→御羽車→御太刀→御錦蓋→御菅蓋→和琴→雅楽器→伶人→御鳳輦→瑞枝童児→斎主(宮司)→後衛→氏子総代→協賛会委員
【第三陣】
鳳神輿→斎部→玉神輿→斎部→天神祭囃子踊
 【船渡御=7/25】
18時     渡御列乗船〜天神橋から出航
19時     船上祭・渡御列上陸
22時     宮入り・還御祭

船渡御列   奉安船・供奉船】
催太鼓船→獅子舞船→神鉾講船→花傘講船→地車船→猩々山車船→福梅船→風流花傘船→御文庫講船→御羽車奉安船→丑日講船→御旗講船→御錦蓋講船→御鳳輦奉安船→献茶船→大阪天満ライオンズクラブ奉仕講船→篝講供奉船→榊供奉船→吉備船→鳳神輿奉安船→玉神輿奉安船
【奉納船・供奉船】
落語船→金幣船→金幣供奉船→どんどこ供奉船→人形供奉船

【列外船】
どんどこ船→お迎え人形船→監視艇→総奉行船→講社連合船
【その他】
奉拝船
日本三大祭りの一つだった“天神祭”。詳細は天神祭のコーナーへ。
神山町9−11 綱敷天神社 7/14、15 地車1台、 枕太鼓 休止中
宮地車=堺型で擬宝珠勾欄付き。平成3年(1991)4月21日に堺市東八田より購入。江戸末期〜明治初期の作と思われる。大工は不詳だが、大正10年頃に「大佐」で修理したのが分かっている。彫師は「服部」あるいは「辻田」と思われる。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、背面は「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「牡丹に唐獅子」。

 ≪腰廻り、見送り廻り≫
枡合:「唐子あそび」。
土呂幕は「二十四孝」、「牡丹に唐獅子」。
見送り:【三国志】正面は「劉備玄徳、壇渓を渡る」、右は「張飛」、左は「諸葛孔明と関羽」。
 ≪木尾市、野口英治郎と綱敷天神夏祭り≫

 『北野村(いまの堂山町)の屈指の地主木尾市兵衛の長子に野口栄治郎というのがいた。この人は道楽半分で自ら好んで演劇道にはいり、気骨があり、快男児なのであった。御霊神社の定席で、堀江栄治郎といって芝居をしていた。 大林由五郎(のちの芳五郎)は堀江の麹屋又兵衛という呉服屋で丁稚奉公をしていたが、丁稚仲間の福松(福本源太郎)と共にこの芝居をいつも見物して、栄治郎をひいきにしていた。
 堀江栄治郎はのち北の大親分となり、知られていたが、奈良と大阪を結ぶ大阪鉄道の亀の瀬トンネルの難工事に土建屋となった大林由五郎が従事した時、大親分だが、丁度レンガ屋として工事現場に来ていた栄治郎と遇然、出会った。以来、栄治郎は由五郎の身によりそって護衛の任にあたった。

 明治二十四年二月木屋市一家は当時堂島の顔役であった「出店の又」一家と争うことになった。「出店の又」は宮相撲では「綾勇」といい、その勇名は大阪地方一円にひびきわたっていた。初めは木屋市の子分だったが、その剛カはしだいにひろまり、やがて、大阪の北部をナワ張りにするようになった。そして木屋市のナワ張りを荒らすようになった。
 そこで木星市一家は「出店の又」を倒そうと機会をねらい、ついに子分同士のケソカが導火線になって、北区堂山町の金台寺裏で乱闘をおこすことになった。この乱闘は木屋市側の勝利に終ったが、子分数人とともに殺人犯として検挙された。しかし木星市自ら手を下したものではないので、明治十四年七月、栄治郎は予審免訴となって出獄した。この出獄の翌月、木屋市が住んでいた土地にある綱敷天神で夏祭りが行われた。親方の出獄をよろこんだ若者たちはダンジリをひきだして大騒ぎをした。これを聞いた顔役はこのダンジリをめでたいから借りたいと申しいれ、天満では「小松山」天神橋南では「山熊」上町方面では「出歯定」というふうに、つぎつぎと大阪全市の顔役がこのダンジリをひきまわして、ついに十日問に及んだ。そして栄治郎は押しも押されもせぬ大親分にのしあがった。また伝法の「伊之助」、寺町の「淡熊」、梅田の「難波福」、九条の「永福」、新町の「小常」、などそうそうたる親分たちと手を握ることが出来た。
 大林芳五郎は木屋市と兄弟分という仲だったので、この親分たちとも関係ができ、これからも群小のヤクザをものともせず、土木請負業界の改革を押し進めることが出来たのである。


 ※この文は昭和39年、ミネルヴア書房発行の「キター中之島・堂島・曽根崎・梅田」の349〜51ページにあたるが、明治14年に綱敷天神夏祭りには地車が出たこと、また10日も廻り持ちながら地車が曳けたことが分かる。
曽根崎中2−5−4 露天神社(お初天神) 7/3金土 役太鼓 枕太鼓のこと  
 宵宮は19:00頃から、地車囃子が拝殿横の特設舞台で始まる。その後舞獅子、傘踊りが入り、役太鼓の宵宮打ちが披露される。
 本宮は10:30から神事。12:00から役太鼓・舞獅子・地車囃子が御祓いを受け宮出する。
まずは役太鼓が出発。阪神百貨店前、ハービス大阪、大阪駅前、お初天神通りなど繁華街からビジネス街の氏地を8時間かけて巡行する。
 少し遅れて舞獅子・お囃子・傘踊りの一団が出発。こちらは女性・子供が中心で地下街も巡行。
20:30過ぎ、舞獅子と傘踊りが宮入する。
中津2−5−10 富島神社 10/2土日 神輿 戦前は、現在の新北野と塚本に富島神社の御旅所があって、神輿が十三大橋を渡り、御旅所まで来ていた。
独自型太鼓台1台
神楽
中津の地車⇒神社例祭とは現在、無関係。
=大阪型。平成21年(2009)9月5日、西淀川区野里東之町より搬入。
文化11年(1814)制作。明治期に北河内より西淀川区野里東之町が購入と云われている。
昭和30年代に三十年代に背を低くし、三枚板式に改造。
平成3年修復し平成21年9/5にお別れ曳行され、その日に搬入。
土呂幕は「日清戦争」。
勾欄合:「牡丹に唐獅子」。
見送り:正面は「宇治川の先陣争い」、右は「那須与一の扇の的」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎に宝剣を奉ず」。
大淀中3−1−23 大仁八阪神社 7/18頃の日曜 子供神輿
枕太鼓  
大淀南3−3−25 浦江八坂神社 7/18頃の土日 独自型町内地車  
子供神輿多数
国分寺1−4−1 淀川天神社 7/18頃の土日 子供神輿  
独自型太鼓
豊崎6−6−4 豊崎神社 7/15までの土日 宮神輿 江戸期の作。平成23年(2011)約50年ぶりに拝殿に飾られる 
例祭日は7/14、15だったが、平成26年より7/15までの直前の土日となる。
 【行事予定】
 ■宵宮(土曜)
(13:00〜)長柄囃子巡行。神社出発。済美地域各町内巡行
(17:00〜)長柄囃子(長柄囃子保存会)
(18:00〜)奉納演舞
(18:30〜)手作り子供みこし体験担ぎ
(19:00〜)創作エイサー:正面参道

 ■本宮(日曜)
(10:00〜)神社にて例祭
(15:30頃)中崎西一町会宮入り、その後中崎町一町会巡行。
(16:00頃)豊崎地区氏子会宮入り
(17:00〜)長柄囃子(協力:長柄囃子保存会)
(19:30頃)本庄奉参会宮入り
氏地は本庄町、山崎町、浮田町、黒崎町、豊崎町、中崎町。各町の神賑わいの神具は神社に保管。神社よりトラックで各町へ。地区内のみ巡行地区もあり。
本庄町=催太鼓、神輿(大小)、傘踊り、獅子舞。

山崎町
=無し。

浮田町=
神輿。地区内に飾り付けのみ。

黒崎町
=独自型太鼓台。

豊崎町
=独自型太鼓台。獅子舞。

中崎町=中心は中崎西一町会。神輿、1ツ屋根だんじり、傘踊り、獅子舞。

長柄3−3−1 南長柄八幡神社 7/20、21 神輿
地車廃絶
地車は戦前にはあった?。昭和20〜30年代に手作りの地車が老朽化のため曳行不能になりいつしか解体廃棄となる。
西天満5−4−17 堀川戎神社 11/20 例祭 地車様の社殿がある。 
境内には通称地車稲荷と呼ばれる榎神社がある。稲荷と言えば狐だが、ここは狸とされる。
昔、吉兵衛という老狸が、榎の大木に住んでおり、毎夜決まった時刻になると、地車囃子の真似をしたと伝えられる。
 そこで地車を模した社殿を造り、吉兵衛を祀った。願い事が叶うと、その夜は地車囃子が聞こえるといわれ、お礼に小さな地車の模型や絵馬を奉納するのが習わしとなっている。
 【川崎東照宮跡】
 滝川小学校(北区天満1−24−15)に川崎東照宮跡の石碑が建てられている。
大坂夏の陣の戦禍で荒廃した大坂市街の復興を命じられ大坂藩主として赴いた家康の外孫に当たる松平忠明が元和4年(1618)4月17日に、東照宮の分霊を勧請した。
大坂城主でなく大坂藩主としたのは、大坂城はあくまで徳川将軍のもので、落城後もそのまま放置され今の国の合同庁舎1号館のあたりに屋敷をかまえたからである。
 さて忠明は生前の家康が訪ねたという織田有楽斎の屋敷跡を神社の地として選んだ。その地は現在の天満一丁目のうち造幣局宿舎から滝川小学校・幼稚園のあたりである。
徳川家康はこの前年没しており、徳川家ゆかりの各地に東照宮を建てており、特に大坂では豊臣氏への思慕の念を払拭するねらいも持っていた。
 ちなみに松平忠明は大坂の再興のめどが立った元和5年(1619)7月に大和郡山に移封され、それ以降は大坂は幕府の天領となる。
毎年4月17日の忌日前後5日間は権現祭が催され、市内随一の祭日になった。
浮世絵師含粋亭芳豊が大坂の年中行事を描いた「花暦浪花自慢」に描かれているが、多くの町民が参拝する光景が描かれているが、祭りの熱気は感じられない。
 慶応4年(1868)正月9日に大坂城は落城するが、これに先立つ正月7日に川崎東照宮の御神霊は埼玉県行田市の忍東照宮に遷された。そして明治6年(1873)に川崎東照宮が廃社となった。
 建造物としては、大阪天満宮に寄附された以外には東光院(現・豊中市南桜塚)に本地堂が移され「あごなし地蔵堂」に、八尾市大田の願立寺に薬医門が移築されている。
 さて、その再興を願う人々は、中津の東光院(現・豊中市南桜塚)に宝物類を預け、さらに明治40年(1907)に至って「葵倶楽部」を結成し、翌々年には空心町二丁目に宮造りして、東光寺に預けていた御鳳輦を遷座した。
しかし、葵倶楽部のメンバ―の高齢化などもあって、その維持も困難となり、昭和9年(1934)3月に鳳輦・鳳輦庫・石灯篭三基・記念碑が大阪天満宮へ寄付され、翌昭和10年5
17日に亀の池埋立地へ鎮座祭が行われた。
 【民俗芸能】
梅田の牛駆け=『大阪の橋ものがたり』(椛n元社発行。という本によると、かつて梅田はのどかな農村。
蜆川(曽根崎川)の梅田橋近くの堤では「梅田の牛駆け」(牛の藪入り)という行事が毎年5月5日に行われていた。
大切な牛に感謝の意を表すための行事で、牛を布や花で飾りつけ、堤の上で放して自由に走らせたと伝えられる。
その際に農家の皆さんが粽をまくが、天然痘除けのおまじないに効くとのことでみんな争って持ち帰ったとか。
 明治以降この行事は途絶えてしまい、明治42年(1909)7月31日の曽根崎大火で罹災面積は120万平方メートル(甲子園球場31個分)に及び、この大火後に蜆川(曽根崎川)は瓦礫の捨て場となり埋め立てられ姿を消した。


 ≪中央区≫
淡路町4−4−3 御霊神社公式HPへ 7/14、15 船渡御 土佐堀川で船渡御。
神幸祭 枕太鼓
船渡御は安永9年(1780)より淀屋橋近くの船着場より、大川筋から木津川を通り下博労町(西区)の御旅所へ向かった。「摂陽奇観」には御迎人形や大篝火などが描かれている。
 この船渡御は、蔵屋敷の廃絶とともに無くなり、明治維新後に陸渡御となるが、平成23年(2011)に約140年ぶりに復活した。
ただし船行列は潮位の関係で中止となる年もある。
「近世大坂風聞集」に宝暦6年6/17の祭礼に福井町地車が芸者の鈎狐之芸の時、見物の小児が怪我をしたと記されている。
※枕太鼓は西浜町より、地車は氏地の浜仲仕によって全盛を競い東堀十二浜からそれぞれ出た。東堀十二浜とは、東横堀川の今橋築地から南本町浜までの十二ヵ所の岸のこと。ちなみに「摂津名所図会」寛政10年(1798)には東堀十二浜の地車が描かれている。
※大田南畝の『芦の若葉』の享和元年(1802)六月二十二日の項にこう記している。『廿ニ日晴 けふは坐摩の宮の祭なり。きのふみし段じり2ツは、朝の内より本町のわたりを引しとぞ。道修町より出せるだんじりは、前の柱に銅の龍まきつけたり。また一ツは十二浜のわたりより出せるなりとぞ。(下略)』道修町は1丁目と2丁目が坐摩神社の氏地で三丁目以西は御霊神社氏地なので、この地車はそのどちらかの町内が出したと思われる。また『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車8番、太鼓4番出たと記されている。

 なお道修町の地車は大正の頃まであったと聞くが?
道修町2−1−8 少彦名神社 11/22、23 神農祭
神農祭=毎年11月22・23日に行われ、大阪の年中行事が今宮戎神社の「十日戎」に始まり、この祭りで終わるので、「とめの祭」とも呼ばれ、現在でも「張子の虎」が配られる。当神社は安永9年(1780)、以前から薬種商たちが道修町の仲間会所に祀っていた神農氏とともに、京都五條天神宮より少彦名命の分霊を勧請・合祀したのが始まりとされる。
博労町4−1−3 難波神社公式HPへ 7/20、21(毎年) 神輿
子供布団太鼓 堀江中学校区子供布団太鼓実行委員会
地車廃絶
寛文6年(1666)の火災により、建物、神宝、神輿が焼失。
近年では昭和20年(1945)の大空襲のときに鳥居と玉垣を残し全焼した。
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車3番出たと記されている。
また近年でも布団太鼓、神輿、菖蒲台、獅子舞、氏地から選出された八乙女が加わっての渡御行列があった。
子供布団太鼓=堀江中学校区子供布団太鼓実行委員会公式HPへ
昭和31年(1956)7月、幸町4丁目として制作。平成12年に奉納した。これは氏地が3警察の管轄並びに国土交通省の指示らしい。
平成23年、堀江中学校区子供布団太鼓実行委員会として復活。もともと幸町だけのお祭りだったが、今では日吉小学校校区、堀江小学校校区と範囲が広がる。
挟間は「龍」4面。
久太郎町4渡辺3 坐摩神社公式HPへ 7/20、21(毎年。元・旧6/14) 枕太鼓  
地車廃絶
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車8番出たと記されている。
西心斎橋2−10−7 御津八幡神社 7/14、15(毎年) 神輿
枕太鼓 旧町名は八幡町
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車3番、太鼓1番。翌3年は太鼓1番出たと記されている。
戦前は神輿あったが戦災で焼失。昭和27,8年頃に子供神輿と共に購入する。
高津1−1−29 高津宮公式HPへ 7/17、18(毎年) 子供神輿  演芸奉納 
だんじり囃子
 ≪2018年の行事予定≫
 ■17日(宵宮)
(9:00〜)献湯神事
(12:00〜)だんじり囃子開始
(15:00〜)宵宮祭
(17:30〜)鳳みこし宮入り
(18:00〜)奉納演芸

 ■18日(本宮)
(8:00〜)献湯神事
(10:00〜)本宮祭
(12:00〜)だんじり囃子開始
(15:00〜)黒門みこし宮入り
(18:00〜)奉納舞台
(18:00〜)鳳みこし宮入り
子供神輿は黒門市場・空堀地域の幼児、小・中学生、専門学校生、地域の方々が曳行し、15時頃と17時に宮入りする。
絵馬殿では午後よりだんじり囃子と龍踊、夕方からは境内で舞踏・歌・演武・楽器演奏等の奉納(無料)、子供絵画の展示。
参集殿では夏祭落語会(18日・有料)が行われる。
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車15番出たと記されている。また最盛期の明治20年頃は14、5台。最終期の31、2年頃は地車7、8台が宮入りした。しかし当地区では地車を保有する町は無く今福や今里あたりから囃子手ごと借りて曳きだしてきた。
元治元年(1864)に西高津新地5・6丁目の「地車一件世話人一札」がある。この他高津4番町、高津新地も地車出したと資料あり。
玉造2−3−8 玉造稲荷神社 7/15、16(毎年)  奉納演芸   
15日は子供神輿の曳行、浪花名産の玉造黒門越(白)瓜の食味祭。
16日は秋田實奉納演芸。これは上方笑いの父である秋田實の出生地の関係。他に小獅子踊り、福引など。
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車5番出たと記されている。
大坂城2−1 豊国神社 8/18、19(毎年) 御神幸廃絶
 かつて中之島から難波御蔵(現在の難波パークス周辺)前の仮行宮まで渡御があった。明治14年(1881)の玉置清七板「豊國神社御祭禮渡御順列」には地車29番、枕太鼓、猿田彦、鎧武者、千成瓢箪の馬印 など賑やかな祭礼が描かれている。
 明治15年(1882)には橋本知板「大阪府下豊國神社御祭礼略図」にも同様に描かれている。この2枚は大阪歴史博物館蔵である。
明治元年(1868)、明治天皇が大阪に行幸の際、豊臣秀吉を尊皇の功臣として、豊国神社をこの大阪の地に造営するよう沙汰があった。しかし、徳川家康によって壊された豊国社のあった京都市民挙げての熱願が実を結び、京都東山の廟社を豊国神社本社として再建が決定し、大阪は別社として明治12年(1879年)中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂のある場所)に竣工がなった。大正元年(1912)中央公会堂の建設に伴い、現在の府立中之島図書館の西側に移転、大正10年(1921)には別社から独立、豊国神社に改称し府社となる。
現在地へは大阪市庁の拡張、増設に伴い昭和36年(1961)に移転した。
長堀橋筋2丁目 船場稲荷神社 7/20、21 大正元年12/28に高津宮に合祀された。
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車5番、太鼓4番出たと記されている?。
 【蔵屋敷内の神社】
 天保6年(1835)には104藩の蔵屋敷があった。この蔵屋敷には領地に関係した神社が祀られ、祭礼時に一般の参拝を認めることがあった。
この蔵屋敷は明治5年の廃藩置県時に蔵屋敷は払い下げられたが、その数135に及んでいた。
京阪大江橋駅にある「中之島界隈蔵屋敷 案内図」で概略が分かる。さて明治維新後の廃藩置県、神仏分離令、神社合祀令、地震・台風・水害・大火の災害、戦災などで廃社し、今は無くなった屋敷神が大半で、辛うじて現在に伝えられた貴重な屋敷神は、最盛期125邸もあった蔵屋敷の中で、僅かに11社である。このうち現地やその付近に存続し続けた屋敷神は5社、移転された屋敷神が1社、他の神さんに合祀された屋敷神が2社、新たな地に遷座された屋敷神が3社伝えられている。
なおかつての所在を示す石碑は10ヶ所建てられている。
 ここでは■藩名、屋敷神、所在地、現在の順である。
鹿児島藩:?。土佐堀2丁目、同5丁目・立売堀西之町。
 上屋敷=三井倉庫。石碑あり。中屋敷=江戸堀やまぐちという料亭。石碑あり。下屋敷=さつま堀公園。と3つ屋敷あり。
明治元年(1868)引渡を幕府から要求され、これを拒絶したため会津藩兵が攻撃してくることを聞き、自ら火を放った。
佐土原藩:?。土佐堀5丁目。
飫肥藩:?。江戸堀4丁目。
高鍋藩:?。江戸堀4丁目。
延岡藩:?。堂島5丁目。
新田藩:?。堂島4丁目。
熊本藩:玉寿稲荷大明神。越中橋北詣(中之島)。三菱倉庫⇒グランキューブ大阪。
人吉藩:?。玉江橋北詰(堂島)。
蓮池藩:?。土佐堀白子町。
佐賀藩:稲荷社。6/14、15
天満11丁目下半町。約5267坪。現・大阪地方裁判所、検察庁。
小城藩:?。現・西天満2丁目(旧・天満11丁目)。現・回生病院。石碑あり。
唐津藩:?。淀屋橋北詰(中之島)。
鹿島藩:?。庄村新四郎町。
島原藩:稲荷大神。日本銀行大阪支店の屋上でで存続。ただし非公開で写真撮影・参拝は特別な許可がいる。
大村藩:?。堂島新地4丁目。現・NTTテレパーク第2ビル。
平戸藩:?。中之島久保島町。現・大阪フェスティバルホール。
五島藩:?。江戸堀5丁目。
対島藩:?。天満11丁目。
■府内藩=大分。?。 中之島築島町。
■時枝藩=?。宇佐市下時枝。永来町。
日出藩=?。中之島西信町。
杵築藩:?。中之島常安町。
岡藩:?。中之島築島町。
豊後森藩:?。中之島西信町。
佐伯藩:?。 天満11丁日。
■臼杵藩:?。玉江橋北詰(堂島)。
■中津藩:?。福島区福島1丁目。中津藩蔵屋敷跡と福沢諭吉生誕地の石碑あり。
■福岡藩:大宰府天神。同社は西成区の生根神社に合祀される。
中之島白子島町。現・三井倉庫、三井ビル。
■小倉藩:稲荷大神。玉吉稲荷として現存。北区・中之島センタービルの植え込み内に鎮座。
柳川藩:?。 中之島常安町。現・住友中之島倉庫 。
秋月藩:大宰府天満宮。中之島久保島町。現・新大阪ホテル。
■久留米藩:水天宮。丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されたが、丸亀藩蔵屋敷も返上されることになったので、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、その後、堂島中二丁目に遷座された。さらに明治42年の露天神社の境内社となる。
元・阪大病院。大阪市立近代美術館の建設予定地。堂島裏町、土佐堀1丁目 、中之島常安裏町。
■土佐藩:土佐稲荷神社(西区北堀江4−9−7)で存続。
■松山藩:?。上中之島町
■大洲藩:?。=中之島久保島町
■新谷藩=
大洲市新谷町。:?。土佐堀1丁目。
■宇和島:和霊神社=平成24年(2012)中之島フェスティバルタワー新築時に13階西側スカイテラスに移設。社名は「朝日稲荷大明神」とす。
藩人の開運を護らす神で、常に信仰を厚くすれば、悪事災難を免れて、開運すると云われて常に参詣人が多かった。毎月24日が縁日だった。例祭日は旧暦6月11日だった。。中之島久保島町。現・朝日新聞社。
■吉田藩:?。大川町(船場)。
■今治藩:?。中之島西信町。現・国際美術館。
■西条藩:?。中之島湊橋町。
■小松藩:?。土佐堀2丁目
■丸亀藩:金刀比羅宮。毎月10日が縁日だった。例祭は8/15。神事能。
同社は高松藩の金刀比羅宮に合祀される。明治42年、北の大火で露天神社境内社の水天宮・金刀比羅宮となる。越中橋北詰。
■高松藩:金刀比羅宮。毎月10日が縁日だった。10月10日の例祭には芝居、ニワカなどの芸能や造り物などもあって町人も多く参詣したと云われる。
同社は北区露天神社に遷座。明治42年、北の大火で露天神社境内社の水天宮・金刀比羅宮となる。
中之島常安裏町。のリーガロイヤルホテルの前庭に石碑あり。
■徳島藩
:二井神。越中橋北詰東。
■富岡藩
:?。江戸堀四丁目。
洲本藩(=徳島藩稲田家老):?。九郎右衛門町。
■長府藩:?。中之島肥後島町。
■萩藩:?。土佐堀1丁目。
■徳山藩:?。立売堀西ノ町。
■岩国藩:?。中之島常安町。
広島藩:厳島神社。約3900坪の最大級。元・阪大病院。大阪市立近代美術館の建設予定地。
福山藩:?。土佐堀一丁目。
岡山藩:?。中之島築島町。電通・江商ビル(大正15年)→日立造船と変遷。
岡田藩=倉敷市真備町岡田:?。堂島中2丁目。
庭瀬藩=岡山市北区庭瀬町。?。堂島裏町。
足守藩=堂島4丁目。
津山藩:?。中之島常安町。
■津和野藩:?。江戸堀4丁目。
浜田藩:?。上中之島町。現・豊国神社。
松江藩:?、6/14。土佐堀白子裏町。
鳥取藩:玉稲荷神社・霜山稲荷。祭礼の際には入船に船を浮かべ、筏をならべて相撲を取った。この霜山稲荷は対岸の旧・堂島浜通3丁目の旧・浪華倉庫ビルの裏手に遷宮するも、戦争で焼失した。中之島宗是町。現・大阪ビル。
■龍野藩:?。中之島塩屋六左衛門町。味の素グループ大阪ビル。
■赤穂藩・三日月藩:?。中之島1−3。現・大阪市役所。
■姫路藩:?。中之島常安町。現・北税務署。
■林田藩:?。土佐堀2丁目。
■安志藩:?。豊前座(中之島)。
■明石藩:柿本人磨神社。3/18、中之島常安町。
■出石藩:?。土佐堀1丁目。
三田藩:荒光稲荷大明神。西区・金光教玉水教会の鬼門角地に鎮座。土佐堀斎藤町。

尼崎藩:?。天満11丁目。
岸和田藩:?。天満川崎1丁目。
高槻藩:?。天満臼屋町。
和歌山藩:?。天神橋南詰(天満)。現・大阪郵政局。
彦根藩:?。北浜過書町。
大垣藩:?。中之島常安裏町。
津藩:稲荷神社。三重県伊賀市本町通へ遷座。天満橋筋鈴鹿町。
伊勢神戸藩:?。南新町一丁目。
桑名藩:?。4/7、堂島4丁目。
福井藩:?。上中之島町。
丸岡藩:?。堂島中三丁目。
金沢藩:天神宮。天王寺区太平寺へ移転。島原蔵屋敷西(中之島)。
富山藩:?。玉江橋北詰西(中之島)。
長岡藩:?。梅田橋南詰(堂島)。

名古屋藩:?。天満唐崎町溝側(江戸堀一丁目・堂島五丁目)。
小田原藩:?。堂島新地四丁目。
忍藩:?。堂島一丁目・長柄町。
水戸藩:?。中之島大江橋南詰。
下館藩:?。近江町。
高崎藩:?。天満九丁目。
沼田藩:?。天満寺町橋西詰。
黒羽藩:?。天満1丁目。
壬生藩:?。下福島。
磐城平藩:?。江戸堀五丁目。
仙台藩:?。上中之島町。
山形藩:?。
盛岡藩:?。北浜過書町。
秋田藩:?。堂島五丁目。
弘前藩:?。天満十一丁目下半町。

■松前藩:?。西国町。

 ≪西区≫
九条1−1−17 茨住吉神社 7/22、23(毎年) 神輿(大小)
枕太鼓  
獅子舞
神輿=当地は昭和20年3/13に空襲があったが、神輿蔵のみが免れた。
子供神輿=平成10年7月新造。
北堀江4−9−7 土佐稲荷神社公式HPへ 7/12(毎年) 枕太鼓(大小)廃絶   
10/12(毎年) 秋祭り

 ≪福島区≫
玉川1−4−5 野田恵美須神社 7/19、20(毎年) 神輿2基 鳳輦
地車1台
鯛鉾 宮附き。元・寿寿芽(すずめ)講
枕太鼓
渡御は昭和12年以降は戦争のため休止。今は扉を開け展示のみ。
往時は太鼓、猿田彦、獅子講、祭主馬車、御神輿、御鳳輦、鯛鉾、地車の順であった。
一番神輿=天明2年の銘あり。昭和7年より台車で渡御。

二番神輿
=大正15年奉納。昭和11年より台車で渡御。

鳳輦=大正15年制作。在郷軍人西野田分団が鎧直垂姿で曳いていた。
地車=大阪型。昭和7年(1932)7月3日、新調入魂式。大工は絹井楠次郎。彫師は川原啓秀。制作費用は5、000円。
往古は野田村は6町よりなり、東之町、弓之町はそれぞれ太鼓台と神輿を、残りの4町の堤町、北之町、大野町、奥之町の4町はそれぞれ地車を保有していたが、大正年間に老朽化したため昭和5年に4町で地車講を作った。
 
平成16年(2004)、72年ぶりに大下工務店で修復。彫師は木下彫刻工芸。本体、彫物修復。錺金具新調。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「雲に麒麟」。
箱棟:「波に龍」。
車板:「鯛釣る恵比寿さん」。
枡合:右は「波に宝珠を噛む青龍」、左は「波に宝珠をつかむ青龍」。
虹梁:【灘波戦記】右は「中村右近の力戦」、左は「岡部大学の勇戦」。
柱巻き:右は「池田左衛門の勇戦」、左は「塙団右衛門の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「梅に山鵠」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
箱棟:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子、角障子:「灘波戦記」。
高欄合:「二十四孝」。
見送り:【大坂夏の陣】正面は「薄田隼人の勇戦」、右は「道明寺の戦い」、左は「後藤又兵衛の勇戦」。
枡合は見送りと一対。
土呂幕:正面は「木下藤吉郎 伊東日向守を討つ」、左右は「難波戦記」。 

三枚板:【大坂夏の陣】正面は「薄田兼相の勇戦」、右は「後藤基次の勇戦」、左は「奥山出羽の勇戦」。
鯛鉾=昭和6年(1931)7月制作。長さ1丈。高さ7丈。胴回り1丈8尺。
京都・松下李静謹製。木彫鯛制作は奈良・吉川政冶。塗師は奈良・片岡。台制作は大阪・上間庄平。
 平成23年(2011)福島区鞄ソ仏により修復。

亀甲町1丁目の有志15名により御大典を記念に寿寿芽(すずめ)講を組織するが、昭和30年に神社に奉納。
海老江6−4−2 八坂神社 7/17、18(毎年) 地車3台 東之町、西之町、南之町
枕太鼓 北之町
10/17、18(毎年) 地車3台・枕太鼓 飾付け
東之町=大阪型。明治初期制作。大工は不詳。彫師は相野伊兵衛直之。金物師は鈴木源右衛門。金具には明治22年6月吉日と刻みがある。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚:「猿」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。虹梁:「?」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「夫婦唐獅子」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「夫婦唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:「鷲に猿」。
勾欄:「風流百花撰」。
土呂幕は「牡丹に唐獅子」。
見送り:【朝鮮の役】正面は「加藤清正の雄姿」、右は「小西行長の雄姿」、左は「後藤又兵衛虎退治」。 
西之町(西之町子供会HPへ)=大阪型。安政2年(1855)3/6棟上。平成8年に大修理。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚:「雲海」。
車板:「張飛の雄姿」。
枡合:「青龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄は「牡丹に唐獅子」。
土呂幕は「牡丹に唐獅子」。
見送り:「三国志」。


 過去の記録では、大正9年(1920)、西野田北之町。昭和24、25年(1949、50)に姫島東ノ町に地車を貸している。
南之町=折衷型。江戸後期〜明治初期の作か?。大工、彫師は不詳。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚:「欠損して無し」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「欠損して無し」。
車板:「牡丹に親子唐獅子」。
枡合:「牡丹に親子夫婦獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄・土呂幕・見送りは「牡丹に唐獅子」。
柱巻:「拝龍」。
脇障子:「昇龍 降龍」。
角障子:「牡丹に唐獅子」。
北之町(海老江北之町HPへ)=太鼓台は昭和63年(1988)6/26新調入魂式。梶内だんじり店の作。台車は昭和51年4月制作。
 先代は練習用に枕保存。
福島2−8−1 福島天満宮 7/24、25(毎年) 神輿 一番神輿〜四番神輿
子供地車1台 姫島より購入か? 
獅子舞 福寿講(5丁目)
地車=小型地車。巡行は24日のみ。2丁目が担当。姫島より購入と伝わる。
 かつて逆櫓、砂町の2台の地車があったが、明治24年の北の大火で焼失したと云われている。
しかし大佐の「地車請取帳」には明治34年以降の項に「大阪 福島天神前 岩井駒三郎様」とあり、地車売却と思われる節もある。
ちなみに「逆櫓の松址」碑が、福島2−2−4 マンションドルミール福島の敷地内にある。

この2台は天神祭にも登場し、上福島さかろ=明治6年は地車2番。
上福島砂町=安永7年(1778)は地車2番。享和元年(1801)は地車1番。
 また天明2年(1782)、寛政12年(1800)も記録あり。
玉川1−4−5 下福島天神社 7/24、25(毎年) 子供太鼓

 ★展示場  
 【大阪歴史博物館】(公式HPへ
中央区大手前4−1−32。 06−6945−5728。開館時間は9:30〜17:00、金曜は9:30〜20:00。(入館は閉館30分前)
休館日は火曜。年末年始(12月28日〜1月4日)。
入館料は大人600円、大学・高校生400円、中学生以下無料。
9階の中世近世フロアに元・住之江区安立7丁目の船だんじりを展示してある。

   

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