大 阪 府【大阪市】

 (淀川区、西淀川区、東淀川区)

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪淀川区≫
加島4―4―20 香具波志神社 7/22、23(毎年)
10/23
(毎年)
神輿
獅子舞
■22日:獅子舞、傘踊り、地車囃子
■23日:雅楽、現代雅楽奉納、地車囃子
※布団太鼓は氏子各地区に各々あった物が奉納され組み合せて新たに作ったもので大人用。枕太鼓は子供用。
トラック渡御で氏地のところどころは下に下ろして担がれる。また氏地の田川地区、三津屋などでは子供用に布団太鼓が出るそうです。
加島=大正期は9ヶ町に分かれていたらしく、多くの町会に(枕)太鼓があり秋祭りに巡行した。太鼓は今の町、上の町にはあった。
西の町は大正14年(1925)に氏子入りが認められ太鼓の宮入りが出来るようになった。
三津屋=区民まつりに子供会の手作り山車出るのみ。昭和30年代前半までは村祭りに出していた。中三町会は枕太鼓。解体保存していた。堀上南は枕太鼓。中西町会は布団太鼓だった。
塚本2−2−7 塚本神社 7/19、20(毎年) 神輿無し
地車1台  
独特型太鼓3台 駅前、宮前、4丁目
宮付地車=昭和41年7月「梶内」より購入。堺型。明治初期作。元々堺方面の地車か?
 獅子舞もあり。獅子頭は平成21年(2009)新調。
 往古は明治中頃より地車があったが戦災で焼失。
 先代は昭和23年に地元の大工北野伊之助作の町内地車を5年間曳いた。
駅前太鼓=2丁目2振興町会。子供みこしもあり。

宮前太=2丁目3振興町会。


4丁目太鼓
=昭和34年頃の作。
 昭和29年創建当時は3丁目。東淀川区より淀川区が独立した際に表示変更。
十三東2−6−39 神津神社公式HPへ 5/3土日
7/22、23(毎年)
枕太鼓1台 宮附き=平成9年 
獅子舞 平成8年の秋祭りに約30年ぶりに復活
 【氏地】
小島=現在の十三東。宮本にあたる。
木川=現在の木川、木川南。
野中=現在の野中。
新在家=現在の新高。
=現在の十三本町。
今里=現在の十三元今里、田川1丁目。
堀上=現在の三津屋南1丁目、野中の一部。
枕太鼓保存会=平成6年復活。10年に枕太鼓保存会結成。春祭り、夏祭り、淀川区民まつりに出す。
※かつて野中、新高、堀上地区の青年が大太鼓を叩きながら町内を巡幸し宮入りしたが
諸般の事情で昭和40年代前半に取りやめになった。現在神社には昭和37年に堀上(十三西之町会)より奉納された太鼓を宮太鼓として利用されている。
他の地区はと言うと、元今里は売却。新高は村で保存。野中も神社に奉納だが、太鼓は恵比寿さんに保管。枠は倉庫にある他に木川、木川南にも太鼓があった。平成9年より子供による枕太鼓。また平成10年より13日と日曜が重なる日を“十三参り”として祭典を行っている。
野中連合子供会=枕太鼓。昭和60年代制作。区民まつりに出す。

新高連合子供会=町内地車。平成13年8月吉日制作。宮田工務店の作。

木川(木川西二北町会)=枕太鼓。昭和34年7月制作。

木川南連合(木川西二南子供仲)=枕太鼓。
新北野2丁目12 成小路神社 7/4土日 町内地車1台 成小路神社地車講
成小路神社地車講=昭和55年7月創建。日南自動車滑贈。
東三国2丁目18−12 蒲田神社 10/24   神輿
枕太鼓 休止中
昭和20年代に有志が枕太鼓購入するが、40年代に沙汰止みとなり、今や祭りでも太鼓収納の小屋に入れたままである。
 【淀川区民まつり】
9月第一土曜開催。平成27年(2015)で40回を数える。主催は淀川区役所。運営は淀川区民まつり実行委員会。
淀川区民センター、野中南公園が会場で子供会主催の子供みこし、枕太鼓、町内地車が出る。

 ≪西淀川区≫
野里1−15−12 野里住吉神社 7/31、8/1(毎年) 神輿
地車3台 東之町、西之町、中之町
枕太鼓1台 北之町
子供みこし 姫里
 【2018年の行事予定】
■31日(宵宮)
(8:30〜)神事
(9:30〜)宮出
(19:30〜)四町手打ち
(20:00〜)追い合い

■1日(本宮)
(20:00〜)追い合い
(21:30)北太鼓宮入り
(21:50)中之町宮入り
(22:10)東之町宮入り
(22:30)西之町宮入り
東之町(東之町地車運営委員会)=平成22年(2010)5月30日、新調入魂式。大阪型。
大工は平野区喜連の河合工務店(河合伸一)。彫物・錺金物・化粧幕などは潟~ドー製作所。
制作費は3000万円と聞くが?。
前幕:「神功皇后 と阿曇磯良」。
前幕:「牡丹に唐獅子」。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚・隣懸魚(一体):「朱雀・桐」。
欄間:妻は「夫婦龍」、平は「親子龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「鍾馗」。
拝懸魚・隣懸魚(一体):「蓑亀・海馬」。
箱棟「雲に左三つ巴紋」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「牡丹に唐獅子」。
角障子:表は「応龍」、裏は「?」。
脇障子:右は「紅葉狩り」、左は「羅生門」。
見送り:妻:「八幡太郎義家 勿来の関」、右は「源頼義 霊水を得る」、左は「多田満仲 九頭龍退治」。
台木:「波・大蛤」。

 先代は住吉型。文化11年(1814)制作。明治期に北河内より購入と云われている。
昭和30年代に三十年代に背を低くし、三枚板式に改造。
曳行されず子供太鼓が曳かれていた時期もあったが、昭和63年に復活。平成3年修復し平成21年(2009)9月5日、昇魂式並びにお別れ曳行され、北区の富島神社(中津)の有志に売却されるが、受け入れられず今度は某所に嫁入り予定。
西之町(西之町地車運営委員会)=大阪型幕式。江戸末期の作。大工、彫師は不詳。(一部で云われている高松彦四郎ではない)
大正期に池田より購入。
昭和33年、植山工務店(植山義正)で修復。彫師は木下舜次郎。これで現在の形に改修。
平成16年(2004)、河合工務店で修復。本体、彫物修復。

最近では平成30年(2018)3月4日、修復入魂式。
文化庁認定 地域活性化事業により大下工務店で修復。

 見送り幕:平成20年(2008)10月18日、新調入魂式。梶内だんじり店の作。「岩見重太郎狒々退治」。
以前は「義経 八艘飛び」。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「鍾馗」。
拝懸魚:「猿を掴む龍」。隣懸魚:「飛龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「富士の巻狩り」。
脇障子:「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」。
台木:「波に鯉」。

中之町(中神車運営委員会)折衷型。昭和30年(1955)制作。大工は植山義正。彫師は木下舜次郎・金光要・筒井和男。
昭和53年1/11(残り戎の夜中)に放火により黒焦げになる。平成元年復活。長さ5m。幅2、6m。高さ3、6m。
見送り:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正の虎退治」、左は「日本武尊の熊襲征伐」。

 先代は解体処分。この地車の彫師が高松彦四郎。
北之町(北太鼓運営委員会)=枕太鼓。昭和63年制作。
 往古は布団太鼓だが電線の敷設のため大正初期より枕太鼓へ。文久3年の古文書あり。慶応3年に布団太鼓新調。
これは城村に売却。  
姫里(姫里地域社会福祉協議会)⇒もともと、野里と姫島の一部だったが、昭和初期の区画整理で姫ノ里となる。
=子供神輿。神社境内に小屋があり、夏祭五町会に参加しているが、追い合い等の行事には参加していない。
31日午前中に神社を出発し、姫里2丁目・3丁目を中心に練り歩き1日午後に境内の小屋に戻る。
姫島4−14−2 姫島神社 7/20頃の土日 地車3台
(大中小)
姫島地車保存会  
 【戦前】
地車が13台⇒北町、東町、西町、中町、南町、中内、浦脇、宮前、宮西、宮浦、寅島、中小路、小松
子供地車3台⇒中町、南町、浦脇

昭和20年6月15日の空襲で大半が焼失。残った数台も水害等で姿を消し昭和38年頃にはすっかり姿を消した。
その後、昭和60年代より子供会中心の手作り山車が多く出た。⇒松南、新道、番殿、宮一など。もちろん姫島地車保存会の大垣会長を始めみなさんの御尽力は大きいがこの子供会の手作り山車も姫島の地車復活の一因と私は思う。
大地車=板高欄出人形住吉型。堺市神野組より購入。
明治20年以前の作。大工は「大佐」川崎仙之助。彫師は彫又一門。平成10年
月2日搬入。
経路は住吉区安立町の1町
⇒堺市神野(大正3年〜平成11年)⇒姫島
柱巻は「渡辺綱 羅生門禁札立て」。
見送り:正面は「加藤清正虎退治」、右は「金汝吻の雄姿」、左は「後藤又兵衛の奮戦」。
中地車=大阪型(幕式)。大正9年頃制作。大工は不詳。彫師は小松一門。
元・中町の地車。
小地車=大阪型(幕式)。大正9年頃制作。大工は不詳。彫師は小松一門。
元・浦脇の地車。
地車復活=平成5年2/20午後2時に試験曳きとしてに子供地車1台を30数年ぶりに出した。その年は5/3(中学校の同窓会)、7/19,20(御祭礼)/7の“西淀川区民まつり”10/31(姫島小学校の同窓会)と復活した。平成6年5/8にもう1台の小だんじり(大正9年10月制作)の棟上式、7/3に入魂式をし2台となった。
元・東町地車の見送り幕=明治初期、千円の巨費で制作したと云われる昭和20年6/15の空襲で東町地車は神社と共に焼失するが、見送り幕は他所に保管のため戦禍を免れる。戦後は飾られることも無く、神社に保管されていたが、平成18年(2006)に京都・川島織物で修復され、三分割され特大の額に納められ、神社拝殿に飾られている。図柄は「神功皇后新羅神征」。
 【嫁入りした地車】
中町
=現・福町。福町では昭和30年代に購入と伝わる。

寅島
=現・尼崎市今福。大阪型小型。棒鼻の丸金具に寅の文字あり。
福町2−15−6 福住吉神社 7/31、8/1 神輿
子供地車1台 福地車保存会
福町=昭和30年代に購入。姫島より購入か?。姫島での聞き取りでは中町の子供地車が売却されたと伝わるが。
 往古は地区は南所、北所、中所(なかんじょ)に分かれ各々地車があったと云われるが、新淀川の開削等で村が小さくなり地車が無くなり、戦前は地車を伝法や尼崎の初島より借りたそうである。
花川2−1−12 鼻川神社 7/中旬(元・18 地車1台 鼻川神社青年会
枕太鼓1台  地車、枕太鼓、神輿の三位一体で祭礼運行。
地車=板高欄出人形住吉型。平成13年10月8日、購入入魂式。収納は9月9日。試験曳きは9月23日
明治期の作か?大工は不詳。彫師は彫又一門。
44年ぶりの復活。経路は堺市平井⇒富田林市伏山⇒鼻川。

 創建は不詳だが、大正15年の写真には地車が写っている。
 先代は宮附けの地車。昭和32年に解体処分に。
大和田5−20−20 大和田住吉神社 7/31、8/1(毎年) 子供神輿 太鼓台の無い町が交代で曳く
布団太鼓3台 西1、2、3
西一之町会⇒太鼓蔵は神社境内。
=貝塚市某町が明治期に新調。大正11年に堺市鍛冶屋町より1、000円で購入。大工は不詳。彫師は高松彦四郎の墨書きがあるらしい。
貝塚型だが、マラではなくトンボが付いている。

西二町会⇒行政上は大和田6丁目周辺。
=昭和33年制作と聞く。幕は昭和56年制作と記されている。

西三町会=昭和63年、太鼓正より購入。以前は小さな太鼓台があった。
戦前には地車4台(南下之町、城之町、奥之町、内川町)。布団太鼓7台(西下之町、西上之町、内川町〔親と子供太鼓〕、北之町、東之町、奥之町)があったが、西下之町(現・西一之町)を残して全て戦災で焼失。
百島1−3−98 大野百島住吉神社 7/31、8/1 子供地車廃絶    
昭和33年頃に17万円で尼崎市築地若中より購入するが、昭和48年尼崎市西桜木に売却。その後、神戸市東灘区中御影(柳)⇒東京都府中市寿町。
また戦前は尼崎より地車を借りて祭りをした。
1−18−14 田蓑神社
公式HPへ
7/31、8/1(毎年) 神輿廃絶
布団太鼓2台(大小) 田蓑神社氏子青年会
10/16、17 奉納子供相撲大会 夕刻開催
以前は南之町が地車(神戸市東灘区山田より購入)北之町が布団太鼓だったが、老朽化のため両町の相談で昭和35年に神社に奉納。これを処分し子供太鼓を購入。
 やがて昭和44年に
大型の布団太鼓を購入。
「摂州西成郡佃村 田蓑神社記録」91ページ(大阪市史編纂所)に天保2年(1831)9月、神輿改修 細工人大坂安土町筋北御堂門前大和屋吉右衛門」 村取締世話人には北之町、紺や町、小山町、中之町、南之町の11人の名前が載っている。このように修復までした神輿だったが、慶応元年(1865)の水害により神具一式を流失してしまい、翌年より中止を余儀なくされた。御旅所跡碑が千船病院前に建てられている。
中島1−2−8 五社神社 10/26頃 梵天太鼓1台 中島太鼓保存会=平成27年(2015)新調 

 ≪東淀川区≫
柴島3−7−30 柴島神社 7/14、15(毎年) 神輿(大小)
町内地車1台 軽トラックベースだが昔の小型地車の彫物を一部使用。
枕太鼓1台  
10/14、15(毎年) 枕太鼓・地車囃し奉奏
■宵宮:(18:00〜21:00)枕太鼓・だんじり囃子の境内奉奏。
■本宮:(10:00〜10:45)社殿にて祭典斎行。
(13:30〜19:00)枕太鼓・子供神輿・だんじりの合同巡行。
(19:00〜21:30)枕太鼓・だんじり囃子の境内奉奏。
 『東淀川区史』昭和32年発行には「柴島神社の夏祭り(明治45年までは5月15日、大正以降は7月15日に行う)村政時代まではこの地は西中島村の中心であったために神事も盛んで、遠くからも見物に来たといわれる。お祭りの前々日の13日には神輿を淀川川辺に担ぎ出して神輿洗があり、15日当日の神幸式には神輿・枕太鼓・鎧武者・錦の幟を捧げた力士その他数々の道具・旗・提灯 等が出て賑やかで、中でも柴神輿は当社の神輿が初めて柴島へ柴に乗って流れ着いたとの故事によったものである。
 また子供の地車は明治30年頃までは7月7日の七夕祭に担ぎ出され七夕の地車と云われ、その地車囃子に使用する鉦には享保10年の銘がある」とある。
巡行区域は柴島2〜3丁目・東淡路1〜4丁目の一部
町内地車=昭和50年代後半〜60年代制作。軽トラックベースで中央に上地車の半分が乗せてある。昔の小型地車がはめられている。
小松4−15−38 松山神社 10/25 ギャル神輿
枕太鼓2台 宮付き
明治42年には、大隅神社に合祀され廃社となるも、昭和19年、地元の復帰運動で熱意により分離独立した。その際に四条畷神社の旧社殿を移築する。
東中島4−9−41 中島惣社 10/18? 神輿 子供町神輿2基
地車焼失
枕太鼓 氏子各村より出たが、昭和37年より渡御は休止。
戦前は宮神輿、地車と氏子各村より(枕)太鼓が出たが、昭和20年6月7日の第三回大阪大空襲で焼失したと思われる。
 『東淀川区史』昭和32年発行には「中島惣社春祭渡御式は戦前相当に盛大で5月18日10時から、大祭に準じて祭典を執行し(前日の17日宵宮から鳳輦・神輿を拝殿内に安置)祭典終了後御神霊の神輿移御式を行い、13時から正面松原を徐行し、17時に南方町の行宮所へ着御の上祭典を行い、神楽を供して玉串奉奠後一時休憩し、18時から還御の祭典を行い、各提灯並びに松明へ点灯し正面一の鳥居から本社へ御着、19時〜20時mあでの間において再び御神霊を本社へ移御し祭典後奉仕者一同は解散する」とある。
菅原2−3−27 菅原天満宮 10/25 神輿    
大桐5−14−81 大隅神社 10/23 献湯、神楽  
御旅所は井高野明神跡(井高野2−7)。
大道南3−2−2 大宮公式HPへ 10/22 例祭   
上新庄2−20−15 春日神社 10/25 例祭   
 【井高野地域まつり】
9月2日曜開催。1975年開始。井高野地域一円を獅子神輿と町内だんじりが練りまわる。
井高野福祉会館前(むつみ会館集会所前)を起点に、市営井高野住宅、北江口第二住宅を経由する前後半合わせて5kmを練り歩く。
 【東高野地域まつり】
6月2日曜開催。布団太鼓風と手作り神輿が練りまわる。
井高野福祉会館前(むつみ会館集会所前
 【東淀川区民まつり】
9月中旬日曜(平成27年は9/13)に行われる。会場は区役所前こぶし通り。13:00〜16:10。2015年で41回を数える。
主催は東淀川区民まつり実行委員会・財団法人大阪市コミュニティ協会東淀川区支部協議会。
区民パレードには区内17連合の創作みこし、だんじり、フロート、バトントワラー、ブラスバンド、旗隊 などが出る。
町内地車は豊新連合、東井高野連合などがある。

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