≪天王寺区、平野区、住吉区、東住吉区、阿倍野区、西成区、住之江区≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪天王寺区≫
生玉町13−9 生国魂神社 7/11、12(毎年) 神幸祭 枕太鼓、中太鼓、子供太鼓、子供神輿、金・銀神輿、子供太鼓、獅子舞 など 
 ≪平成28年(2016)の行事予定≫
 ●宵宮(11日)
(9:30〜)宵宮祭
(10:00〜16:30)枕太鼓
(行宮〜17:00)中太鼓・子供太鼓・子供神輿
(13:30〜17:30)獅子舞
(13:00〜18:00)金・銀神輿
 ■お練り
(19:00〜)獅子舞、(19:30〜)金・銀神輿、(20:00〜)枕太鼓

 ●本宮(12日)
(9:30〜)神幸祭
(10:00〜)渡御巡幸(おわたり)                  
(13:00〜)元宮駐輦〔大阪城内〕   
       行宮祭〔本町橋〕 
(17:30〜)還幸祭
 ■お練り
(19:00〜)獅子舞、
(19:30〜)金・銀神輿、(20:00〜)枕太鼓  
明治より昭和初期には千人を越える渡御列で賑わい、「陸」のいくたまと称されたが、戦火などで御鳳輦など数多くの道具類を失った。
 高張、大太鼓、高張、獅子
 (以上先発)
騎馬警官、高張、列太鼓、各区連合旗、高張、氏子町内委員、先払、箒持、金棒引、高張、口取、猿田彦、怜人、荷太鼓、御楯、御鉾、御弓、御矢、御太刀、御白杖、高張、口取、禰宜、口取、神職、口取、武者三騎、弓矢、高張、子供神輿、高張、氏子総代、御鳳輦、おんさしは、高張、宮司、主典、御鉾、高張、神馬御鞍、御錦蓋(おきんがい)、御菅蓋、口取、主典、八乙女旗、高張、金棒引、供、八乙女、供、高張、真榊、荷鉦鼓、高張、稚児巫、神楽座、高張、大榊、神饌唐櫃、口取、神職、高張、御楯、八本鉾、御弓、御矢、御太刀、口取、神職、白和幣、青和幣、高張、おんさしは、各区連合旗、高張、氏子町内会委員、一般供奉、傘籠、雑式具、騎馬警官。
『近来年代記』には弘化2年(1845)6月の記録に地車15番出たと記されている。元冶元年(1864)の祭礼には地車が3台出た。
東高津町4−8 東高津宮 7/海の日の前の金土
(元・10、11)
子供神輿・子供
枕太鼓
 ■金曜17時、本殿で宵宮祭が始まり、福餅撒き神事が行われる。地車囃子。拝殿では、お神楽奉納。
 ■土曜には、献湯神事や夏大祭のあと、子供神輿・子供枕太鼓が出発し、一帯を巡行する。
(17:00〜)福餅撒き神事。地車囃子や神楽囃子。
(21:00〜)仕舞い神楽で祭典は終了となる。
氏地は東高津南之町、同北之町・上本町五丁目・同六丁目・同七丁目・小橋西之町の一部・中央区天王寺石ケ辻町。
古くは平野社といい、現在の近鉄上本町駅にあったが、昭和7年に東高津町に遷宮された。
子供神輿は天皇陛下在位60周年(昭和61年)の年に寄進されたと云われる。その頃に道頓堀の町会より枕太鼓を譲り受ける。
真法院町24−9 五条 7/15、16 子供神輿、ギャル神輿
町内地車1台 先代の地車は神戸市東灘区高茶屋へ。
獅子舞
ギャル神輿=平成5年から、氏子の大阪信用金庫の女子職員らにより始まる
夕陽丘5−40 大江神社 7/16前の土日 子供神輿、布団太鼓 大江敬神会
7/16前の土日 布団太鼓 日東曳山会=逢下地区。所曳き
10/16 秋祭り 例祭。10〜11時。
 昭和50年代に神社内を通ったところ、神社内に各町(椎寺町、上綿屋町、逢坂伶人町、大岸町、東門町と思われる)の名前の書いた蔵が沢山あった。平成28年(2016)の夏祭りに聞取りしたところ、神社内に各町のだんじり蔵(布団太鼓)があったが、諸般の事情で神社内から退去し置き場所が無くなり下寺町以外は消失した。
下寺町は日東地域活動協議会が日東曳山曳山会として7/16前の土日に所曳き。

椎寺町は椎寺町+元町(=四天王寺)が椎寺元町振興町会として布団太鼓を制作し太鼓台を無くした近隣町が続々参加し大江敬神会となる。
大江敬神会=平成22年新調。二代目。金剛組の作。
大江敬神会とは、椎寺元町振興町会が母体。椎寺町+元町(=四天王寺)が結成し、椎寺元町敬神会を発足。それに東門、上綿屋町、伶人町などが加盟し名称変更。
平成25年に例祭日変更。
日東曳山会=山車(子供布団太鼓)と神輿を出す。下寺町の太鼓台を利用。土曜が南地区(逢下地区)。日曜が下寺地区を所曳き。
勝山2−5−14 久保神社 7/2土日(元・16) 枕太鼓  
町内地車、太鼓台
勝山第6振興町会=二枚屋根型の町内だんじり。町内の大工の作。
 子供神輿もあり。

勝山第7振興町会=手作り布団太鼓。
 子供神輿もあり。

勝山第8振興町会=手作りの一枚屋根の町内だんじり。
大道3−7−3 河堀稲生神社 7/18、19(毎年) 町内地車2台 高松地車講、河堀楽車講
高松地車講(高松地車祭りHPへ)=一つ屋根なので町内地車にしたが、地車に負けない力強い祭りをしている。大枠は平成6年に作られた。
 創建は昭和52年に当時の高松第八町会に「あすなろ子供会」が誕生し、木組みの上に酒樽を置いて紅白テープやティッシュペーパー製造花で飾られただけの「樽神輿」の制作である。ここから歴史は始まる。
 昭和56年に鉄骨製組み立て式構造が誕生。
 翌57年に「布団だんじり」に改造。
 58年はお母さん方によって手作り造花で飾り付たが、数時間後、突然の雨にティッシュペーパー製の造花は。。。。
 59年は「提灯だんじり」に改造。
 昭和61年は数々の失敗と挫折から、「太鼓だんじり」に改造。地車の上で立ったまま向かい合って太鼓を打つという、現在のスタイルとなる。
 平成6年子供会中心だった高松地車祭りを、より安全に管理運営するために、上位組織として「高松地車講」が結成。また結成記念として、だんじりの先頭に、この名を刻んだ銘板が取り付けられました。また大幅な改装と電気系統の設計見直しが検討され、屋根に美しいカーブを持った宮屋根が設置され、側面には100個もの長提灯が増設されました。
 平成10年二度目の改造。前梃子を新構造(岸和田と同タイプ)のものに変更。さらに後梃子の装備。コマ(車輪)の直径を大型にした。
玉造本町14−90 三光神社 7/海の日 枕太鼓 子供神輿 
7/21、22 例祭
茶臼山町1−8 堀越神社 7/3土日 布団太鼓1台  
地車廃絶  
戦後、地車が氏子中を曳き回し、地車囃子が響き盛大に行われていたが、交通渋滞の理由により中止となり、現在は、子供神輿・子供布団太鼓が氏子世話役の指導により、15時頃宮入りして町内を巡る。
地車=大佐の「地車請取帳」には「三百円 天王寺 堀越村 二十八年5/22 売渡し 外二五円祝儀 儀テ亀二郎様」トアル。

 ≪平野区≫
平野宮町2−1−67 杭全神社 7/11〜14 神輿 あり
地車9台 馬場、泥堂、野堂東、野堂南、野堂北、流町、西脇、背戸口、市町
布団太鼓 宮附
7/初旬 地車1台 東住吉区育和
※神輿と布団太鼓は11日と14日、地車は12日と13日に出る
 【延享2年(1745)祭礼控】6月14日。平野郷政所保管。
覚一番 馬場町
 祇園拍子手舁家台(笛吹き4人・三味線弾き4人・太鼓打ち3人・鉦打ち3人・芸子6人)。加茂競馬之荷物 4人、段尻1組 36人、手畳敷引家台 1組 10人。
二番 泥堂町
  祇園拍子手舁家台(笛吹き2人・三味線弾き2人・太鼓打ち2人・鉦打ち2人・芸子6人・鳥さし1人)。
二番之内 馬借若者仲間
  竹馬大名出立 1人、旗持 1人、侍 2人、供1人、箱持 2人、葛籠馬1疋、鳥毛持 1人、之の拍子方 10人。
三番 西脇町
  舞子万歳引家台1組 38人、立花荷物 4人、人形荷物 6人、舞子拍子1組 15人。
四番 背戸口町
  富士見西行引家台1組 25人、毛鑓ふり 4人、国姓爺人形荷物 4人、飛綿 2人、牛若弁慶之練物 2人、いやい 2人。
五番 市町
  獅子舞引家台1組 8人、景清あこや御前人形引家台1組 36人。
六番 流町
  子供角力1組 19人、獅子舞1組 9人、八幡太郎義家人形荷物 4人、花車荷物 4人、羅生門人形荷物 2人、立花荷物 2人。
野堂町
  獅子舞引家台1組 20人、道成寺人形引家台1組 23人、獅子舞引家台1組 13人、八幡太郎義家人形引家台1組 17人、橋弁慶人形引家台1組 13人、段尻1組 30人、和藤内人形荷物 4人、立花荷物 4人、和藤内人形荷物 4人。  
 【壇尻番数記録】寛政6年(1794)では14番。平野郷政所保管。
野堂町ノ内
 田畑組、出屋敷組、魚棚組、樋屋組より壇尻。
流町
 流組より壇尻。
市町
 市組より壇尻。市町小揚中より俄壇尻。
背戸口町
 背戸口南組より壇尻。背戸口北組より壇尻。
西脇町
 西脇西組(西脇組)より壇尻。西脇東組(大西組)より壇尻。
泥堂町
 壇尻。
馬場町
 壇尻2。
野堂町支配出屋敷手伝中
 引屋台 俄。
神輿=創建は不詳だが、神社所蔵の「平野郷牛頭天王祭祭礼図」の奥書には、嘉永6年(1853)冬に往古の祭礼の列書を元に画工に描かせたとあり、この頃には既に神輿があったと思われる。
馬場組⇒地車小屋は昭和22年(1947)永福寺南角より移転。
=大阪型。4代目。明治12年(1879)制作の幕地車を22年三枚板に改造。さらに昭和59年に彫物と2本の柱以外を大改修。
大工は住吉「大佐」と云われているが、「大佐請取帳」には記載が無い。大正9年?に「大佐」で見送り幕を三枚板に改修したのが間違って伝わったか?。
彫師は彫又一門?。昭和59年に吉為工務店による改修の時に取り替えられた彫物は平野区画整理記念会館で展示されている。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「火焔唐獅子」。
拝懸魚:「鷲」。隣懸魚:右は「三好清海入道」、左は「真田大助」。
車板:「青龍」。
枡合:「朝鮮征伐」。
虹梁は「雲海」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲」。隣懸魚:右は「木村又蔵」、左は「加藤清正」。
車板:「鎮西八郎為朝の鷲退治」。
枡合:「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「太閤記」。
縁葛:「近江八景」。
脇障子:右は「熊谷次郎直実」、左は「平敦盛」。
土呂幕:【難波戦記】左は「木村長門守勇戦」、右は「真田大助初陣」、後ろは「後藤又兵衛勇戦」。
見送り:【太閤記】正面は「秀吉の出陣」、右は「福島市松の雄姿」、左は「加藤清正の雄姿」。

 初代の記録は延享2年(1749)にある。
 先代は今林に売却し大正初期まで曳かれるがその後売却。
泥堂組=大阪型三枚板型式。三代目。大正9年(1920)制作。大工は「大佐」12代目川崎宗吉、息子の佐太郎。彫師は赤金由松。費用2736円50銭。
銘板に「細工人 東成郡住吉村 大佐」とある。平成3年、八尾の川井工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「?」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に珠取唐獅子」、
虹梁:【神話伝説】正面は「日本武尊 野火の難」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后肥前松浦の場」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「長坂城の趙雲」。隣懸魚:「飛龍」。
車板:「鎮西八郎為朝の剛弓」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」、
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「雑兵揃い」。
縁葛:「太閤記」。
脇障子:右は「熊谷次郎直実」、左は「平敦盛」。
土呂幕:【灘波戦記】右は「真田大助初陣」、左は「木村長門守勇戦」、後ろは「後藤又兵衛勇戦」。
見送り:【源平合戦】正面は「一ノ谷鵯越えの坂落とし」、右は「義経梶原逆櫓争い」、左は「熊谷次郎直実」。

 初代は寛政6年の「檀尻」番数記録にある。また初代「檀尻」以前に「家台」なるものが曳かれていたらしい。
 2代目は天保年間に作られ大正8年の祭礼で屋根を飛ばす事故を起こしたので新調に踏み切る。この地車は大佐の仲介で154円で和泉市下伯太に売却と伝えられるが、これは伯太の業者と私は思うが?
野堂東組⇒かつては出屋敷組と称した。
=大阪型。平成9年(1997)10月制作。大工は八尾市の川井工務店(川井正勝)。
彫師は柱廻りは井波。土呂幕・懸魚等は岸和田の松本彫刻。その他は醒ヶ井の人。
車板:「飛龍」。

 先代は弘化4年(1846)作で、現・神戸市東灘区森。
野堂南組⇒かつては田畑組と称した。
⇒地車小屋は平成15年(2003)改修。
=平成15年(2003)6月1日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。太平記の統一彫り。
平成25年、大下工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板(飾目)は「楠木正成の初陣」、後ろは「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚・隣懸魚は「楠公子別れ櫻井の駅」。
車板:前は「宝珠をつかむ夫婦龍」、後ろは「正成兵庫へ帝の出迎え」。
枡合:正面は「正成天王寺へ出る」、右は「児嶋高徳、櫻木に歌を詠む」、左は「新田義貞、稲村ヶ崎」。
虹梁:正面「千種忠顕 京の合戦」、右は「住吉合戦」、左は「赤坂城の戦い」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚・隣懸魚は「楠公子別れ櫻井の駅」。
車板:「鞍馬の大天狗」。
枡合:正面は「正成の最期」、右は「正成、義貞と玄合戦の評定をなす」、左は「正成の意見用入れられず討死の覚悟を決める」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:正面は「藁人形計略」、右は「新田が四天王勇戦」、左は「由良、全村の勇戦」、後ろは「正成公の秘水 米・金を施行す」。
土呂幕:正面は「六波羅攻め」、右は「四條畷の合戦」、左は「湊川の合戦」、後ろは「村上義光 錦の御旗奪還」。
猫木:「波」。台木:「波に鯉」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「源平盛衰記」。
脇障子:右前は「畑六郎左衛門」、後ろは「奈良般若寺の本性房の怪力」、左前は「中院中将定平の雄姿」、後ろは「白藤彦七郎の雄姿」。

 先代は住吉型。明治10年新調。平成14年7/21に昇魂式。大下工務店で修復し9/29に東大阪市中小阪で入魂式となる。大工は下川安次郎。明治末期に死亡事故起こし10年ほど曳かれなくなり、大正8年に泉大津市西之町に1000円で売却するが、次に購入の地車がやや小型のため“おんば車”(ベビーカーのこと)と言われたので翌年2000円で買い戻す。大工は下川安次郎。なお小型地車は1000円で生野区四条に売却される。この地車は現・東大阪市長田東之町へ。

 なお昭和35年に老朽化休止。昭和55年修理曳行復活。
野堂北組⇒かつては魚棚組と称した。
=大阪型。3代目。平成4年(1992)制作。大工は川井工務店(川井勝利)。彫師は井宮勇倉。三枚板は井尻翠雲。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「北の文字に蝦蟇仙人(左)と鉄拐仙人」。
拝懸魚:「龍に乗る黄仁覧」、
隣懸魚:右は「雷神」、左は「風神」。
車板:「【漢楚軍談】黄石公と張良」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り:正面は「超雲、江を截って幼主を奪う」、右は「玄徳、天に祈念して巌を斫る」、左は「諸将、勝軍(いくさ)を祝す。孔明、関羽が罪を問う」。
匂欄廻り:「唐子二十四考」、
土呂幕廻り:「海の幸の揃い踏み」、後正面「廬教仙人」。
台木:「玄武」。

 先代は明治初期の作。大工は「大佐」。彫師は不詳。川井工務店に下取られ、平成6年(1994)9/25に神戸市灘区都賀へ。
流組⇒地車小屋は平成15年、新築。
=大阪型三枚板型式。明治末期〜大正初期の作か?。大工は住吉西下川安次郎作。彫師は彫又一門。
平成10年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板(飾目)は「素盞鳴尊の雄姿」。
拝懸魚:「櫛名田姫」。隣懸魚:「八岐の大蛇」。
車板:「雲海にうかぶ青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:正面「雲海」、左右は「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「釣鐘弁慶」。
拝懸魚:「鞍馬山牛若丸修業の場」、隣懸魚は「烏天狗」。
車板:「鞍馬の大天狗」。
枡合:右は「白虎と青龍」、左は「朱雀と玄武」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:【源平合戦】正面は「平知盛の最期」、右は「平景清、東大寺に潜み頼朝を狙う」、左は「佐々木高綱、馬を奪い頼朝に加勢」。
花戸口:「新田義貞、稲村ヶ崎に宝刀を奉ず」。


 慶応年間の地車を明治天皇の御大典に曳いたと言い伝えから先代があったと分かる。
西脇組=大阪型。安政3年(1856)制作。大工は堺・木村一門。彫師は服部清七。
 ≪大屋根廻り≫
獅子噛み:「鬼唐獅子(雌)」。
飾目:「獲物に狙いを付ける鷹」。
拝懸魚:「四獣神・朱雀」。隣懸魚:「雌雄の麒麟」。
車板:「宝珠を掴む青龍」。
枡合:「雌雄の青龍」。
虹梁:「雲海」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「牡丹に唐獅子」。
拝懸魚:「珠取り唐獅子」。隣懸魚:「夫婦唐獅子」。
車板:「朱雀」。
枡合:「雌雄の麒麟」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:【富士の巻狩り】右は「和田義盛の先導太鼓 追われる猿と兎」、左は「愛甲三郎季隆の猪追い 逃げる狐と鼬」、後正面は「馬に跨る工藤庄司景光」。
見送り:【富士の巻狩り】右は「馬に跨り弓を放つ源頼家とそれを見届ける梶原平冶景高」、左は「仁田四郎忠常の猪退治」、後正面は「源頼朝 富士の巻狩り」。
脇障子:「庚申の猿」。
火燈窓:「松に夫婦親子の鶴」。
木鼻:「阿吽の唐獅子 五対」。
舞台柱:「牡丹」。
勾欄:「井出の狩場の賑わい、競演の場面」。
縁葛:「雲海」。
台木:「波頭」。
猫木:「波切り」。

 西脇の最古の記録は寛政6年の「檀尻」番数記録である。また西脇は明治初期まで西脇組と大西組の2台の地車を持っていた。なお南海商店街を境に東西に分かれ東が大西組、西が西脇組であった。大西組の地車小屋跡は西脇口地蔵堂横である。
背戸口組⇒地車小屋は平成16年1月18日改築。
=大阪型。4代目。明治7年(1874)制作。大工は西岡一門。彫師は堺の彫又?。
平成3年(1991)、川井工務店にて修復。長さ4、09m。幅2、18m。高さ3、5m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 初代は安永4年(1775)の堺・大定作のだんじり。
 2代目は寛政6年(1794)の作。
 3代目は嘉永4年(1851)作の先代は幕式地車で組立式で桑津に売却するが、大正8年に解体処分される。
市組⇒地車小屋は昭和54年区画整理のため、平野宮町2−6−4へ移転。
=大阪型。弘化3年(1846)制作。大工は「柳屋」三代目柳兵衛忠良(市町)。彫師は柳原清蔵、清三郎。費用は銀100両。
飾目:「鞍馬の大天狗と烏天狗」。
車板:「飛龍」。
土呂幕:「神功皇后三韓の役」。
見送り:「朝鮮の役」。


 先代は船地車。
また「文政6年檀尻番数記録」によると市組は南北で2台あった。
【杭全神社摂社 三十歩神社夏祭り】   7/31&8/1
 戦前は出し物がなかったけれども、道筋には沢山の夜店が並び賑やかな祭りだった。戦時中に祭りが中止になり、戦後は寂れていたが、昭和56年に三十歩神社敬神会により“御祓い祭り”が復活した。まずは昭和63年に野堂東東友会(内)敬神会により子供太鼓が出され、現在は4町より子供地車が出されている。
 ≪子供太鼓≫
野堂南町(敬神会)=昭和63年創建。地元の大工の作。
 ≪子供地車
野堂南町=菊崎一恒氏が仕事の合間に制作し、町に寄付し、狭間清氏がそれに彫物を施した。その後部材を利用し新調と言ってもいい改修をする。

背戸口町(平野本町地車子供会)=有志7、8人で制作。彫刻は加地 保による。

野堂北町=平成元年(1989)制作。野堂南町、背戸口町の刺激を受け有志で制作した。大工は桧木康司。彫物は岡島光男。助は大石元、藤美守彦。
平成4〜6年にかけ彫物交換、追加などの改修。

西脇組=有志の作成。
 昭和3年にも子供地車制作するも行方不明。
馬場町=平成4年、初参加。蛇草英三氏が知人を通じ天満宮より私費で子供地車を購入し、3年ほど馬場町の子供に開放していた。
諸事情により曳かれなくなり、自社(大阪オートサービス)に展示。
【育和地区】
 育和地区は、旧平野本郷の人が近郷に田畑を作りに出作し、それが住まいから遠いので、そこに家を建てて生活するようになった。そこで氏神も同じとなるが例祭日は7月初旬である。この育和地区は今川、杭全、今林の三村よりなり、今川と今林の「イ」と杭全や桑津の「ク」とを合わせて「育」とし、この各地区が仲良く手を握って、子供たちを健全に育てることを願って「育和」にした。
地車=大正3年に二上山山麓の村より泉大津市出屋敷町が購入。新地車新調につき平成5年10月31日、曳き納めされ購入。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「義経八艘飛び」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「鷲に猿3匹」。
枡合:「牡丹に親子唐獅子」。
虹梁:【賤ヶ岳の合戦」。正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「源三位頼政鵺退治」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「加藤清正虎退治」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
勾欄:「唐子二十四考」。
縁葛:「太閤記」。
土呂幕:「源平合戦」。
見送り:【賤ヶ岳の合戦】正面は「加藤清正、山路将監の血戦」、右は「加藤嘉明の雄姿」、左は「福島市松の雄姿」。

 以前は手作り布団太鼓を曳いていた。

 先代は平成元年5/2に高石市綾井より購入。現・地車購入につき守口市大庭町へ。
◎今川(旧・今在家)=往古よりだいがくを出したが、明治中期に破損した。

◎杭全(旧・新在家)=明治28年10/19中期に住吉「大佐」で地車創建。しかし大正期に売却。
 2代目は昭和28年に四天王寺の「梶内」で地車購入するが、2、3年の曳行の後十年近く休止のあと処分した。その後、桑津の地車を借りたりもした。

◎今林=明治12年頃に馬場組の地車新調につき、その先代地車購入するが、大正初期まで曳くがその後に売却する。地車小屋は今の今林会館。
加美正覚寺1−17−30 旭神社 7/15、16(毎年) 神輿   
地車1台 加美北東
子供地車2台 正西、加美北1丁目(乾町)
布団太鼓(宮太鼓) 地車の無い町が輪番で奉仕。
7/3土日 地車1台 加美正覚寺
加美北東⇒地車小屋は駐車場内。
=堺型。平成11年(1999)12月5日、和泉市富秋町より搬入。手入れの後翌12年5月14日、購入入魂式。長さ4m。幅1、8m。高さ3、8m。
平成21年5月31日、修復入魂式。板谷工務店による。

 先代は町内地車。15年間使われたか?購入につき解体処分。
加美正覚寺⇒地車小屋は川沿い。
=住吉型。平成9年(1997)6月1日、和泉市王子町より購入入魂式。
明治中期〜大正初期の作。「大佐」の作か?元々昭和41年八尾の某所より購入の地車。
平成26年(2014)6月29日、入魂式。大下工務店で修復。
 前回は平成18年(2006)、井上工務店で修復。締め直し、柱取替。
 先代は大佐の「地車請取帳」には明治28年7/4に引き渡しとある。この地車は大正2年に泉大津市宮本町に売却。現・東大阪市長田中地車。
正覚寺西町(正西)⇒地車小屋は神社裏。
=平成11年(1999)の作。河合工務店の作。
 先代は加美北1丁目。

加美北1丁目(乾町)=平成11年に正西より購入。
布団太鼓(宮太鼓)=昭和32年「梶内」で制作。
加美鞍作1−5 菅原神社 7/23、24(毎年) 地車1台 加美細田町 
布団太鼓廃絶
細田町⇒地車小屋は保育所横。
=板勾欄出人形三枚板式堺型。大工は河村新吾。彫師は彫又。
平成4年(1992)6/14に和泉市池上町より購入入魂式。明治43年に同市黒鳥辻小路(下村)より購入の地車。
 彫物は≪神話伝説、灘波戦記≫。水板があり、土呂台は「波に龍」。
瓜破5−4−19 瓜破天神社 7/19、20 布団太鼓風子供山車 中之町、北之町、北之町東
地車は昔より無かったが、昭和50年頃より中之町子供会が曳き出して始まる。
中之町は布団太鼓風で大小2台。北之町東(北第二町)は布団太鼓風、北之町は地車風。
瓜破東2−7 成本天神社 10/18 例祭
氏地の成本(なしもと)町は昔より神事のみだが、10月中旬日曜に宮入りせず“子供まつり”として子供神輿を町会の助けを得て子供会が曳く。
長吉川辺1−4−38 川辺八幡神社 9/連休土日 子供地車、布団太鼓
布団太鼓=昭和60年頃に梶内で新調。同時に地車も購入。
 初代は淡路型で明治中期に購入するが、ジェーン台風で潰れた。
長吉長原2−8−23 志紀長吉神社 10/16以前の土日 神輿 以前の神輿は江戸期の作。保管している。
布団太鼓1台 昭和55年制作。明治期より伝わる
子供だんじり3台   
女神輿 美鈴会
長吉出戸(東)6−10−14 産土神社 10/16以前の土日 町内地車1台 昭和57年制作。
長吉出戸(西)4−4−36 天照皇大神社 0/16以前の土日 町内地車1台 昭和57年制作。
長吉六反1−14−24 赤坂神社 10/16以前の土日 地車1台
地車⇒地車小屋は神社横。
=神戸型。昭和53年に奈良県広陵町の個人より購入。初代に当たる。長さ4.5m。高さ2.7m。
経路は某所新調。昭和3年に住吉の中島畳店より芦屋市三条が購入するが、昭和39年に35万円で万徳商事に売却。さらに奈良県広陵町の個人が200万円で購入。村に受け入れてもらえず、1度も曳かれず、屋根が落ちたままで保管されていた。この地車をみんなの力で600万円かけて修復した。

幕は昭和61年購入。

 ≪住吉区≫
住吉2−9−89 住吉大社 7/31、8/1 神輿 あり  
地車廃絶
枕太鼓 堺市宿院の頓宮へ神幸がある。
 【神輿の通行時間(2006年)】
13時30分  第一本宮発輿祭
    35分  発輿 本殿前 神輿 差回し
14時15分  粉浜電停前
    30分  鳥居前出発
    40分  安立1丁目着 差回し
    50分  安立北公園着 休憩
15時00分  安立北公園出発
    20分  安立商店街南 差回し
    25分  阿弥陀寺着 休憩
    35分  阿弥陀寺出発
    40分  安立4丁目南通過
    45分  大和川着(大阪側)
          川渡り練り回し(大阪側)
16時15分   神輿受渡式
    55分  大和川出発(堺側)
西町奉行内藤矩佳の公用人横山平馬の妻桂子(かつらこ)の記録の第三集「葦の葉風」は葦の地大坂の歳時記であるが、
その中に「住よしの御神は月毎に御祭にきはしく年に七十五度御祭有とかや、されども水無月つこもりを大まつりと唱へ、其賑はひ大方ならす、はた所々の御神もいとにきはしく、町々を引きもてあるく車楽(だし)のはやしたつる音は、日々、天地にとどろき、かしましきまでで目覚しく」とある。

ちなみに内藤の任期は文政3年(1820)から12年(1829)3月である。
 【住吉北祭】
本によっては、例大祭を“住吉南祭”と書かれているのもある。これは
北祭があったからである。これは築港は明治36年に竣工をみたので、それを記念して5月15日海上を渡御、築港桟橋に上陸、松島行宮に神幸、16日駐輦、17日還幸の行事が行なわれた。また船舶の出入りが頻繁となるに従って、42年より9月15日住吉浦より回航して築港桟橋に上陸し、松島の行宮に向うという海陸にまたがる神事を行なうことになった。これが『北祭』であるが、海陸にわたる渡御は経費がかかるし、住吉浦も年をおって海岸線が遠ざかり、往年の景観も失われ、海上渡御の状を拝観するすべもなくなった故もあって、大正4年で廃絶した。
庭井2−18−16 大依羅神社 10/12頃の土日 花車2台 我孫子、杉本町 
我孫子⇒鎮守は我孫子神社。現在は大聖寺境内の一部。
花車と称している。これは軽トラックベースで村の大工が昭和40年代後半に作る。青年会の初代会長が親類が高石にいるので高石の花車をイメージして作る。宮入りもする。


杉本⇒鎮守は奴能太比売神社・八阪神社。共に杉本町青年会館(現・杉本町会館)敷地となる。杉本町会館内に神社址の石碑あり。
=花車は昭和59、60年頃に制作。所曳きのみ。
地車は地元では戦時中に何処かに売却と伝えられる。そこで昭和13年頃に東大阪市箕輪に売却か?

大佐の「地車請取帳」には明治元年頃〜7年頃に「杉本村 地車新 〆銀三貫五百目」とある。
苅田⇒鎮守は式内社の草津大歳神社。明治40年11月1日合祀し、敷地は苅田町青年会館(現・福祉会館)となる。苅田福祉会館の裏庭に『式内 草津大歳神社趾』との石碑がある。
=昭和終期に花車を作るが廃絶。


浅香明治期は曳いたが大正より休止し大正4,5年頃に売却。地車あったときは山ノ内・杉本まで曳いた。龍の彫物があり、曳くと雨がよく降った。
 その後大正8年頃に馬力に舟の型拵えて曳いた。
庭井⇒鎮守は大山咋神社。明治41年11月1日合祀し、敷地は現在は私有地(庭井町111)。

山之内=鎮守は山内神社。現在は山之内青年会館。
氏子6か村のうち、文献では杉本、我孫子で戦前に地車があったことが確認される。しかしながら庭井、苅田、山の内も含め氏子6ヶ村に地車あったという言い伝えあり。
住吉2−3−15 生根神社 7/18、19 枕太鼓2台
地車、布団太鼓廃絶
◎住吉=道北、西辻、氏神、出屋敷、上之町、中辻、辻子、大日などより地車が出たが明治後期から昭和初期にかけて売却となる。
道北は大佐の町内で明治7年頃の「地車請取帳」には「志らげ 〆 金百十円也」たある。
上住吉浅沢町(旧・青蓮寺村)、新町村、阪之井町、鳥井村、大領村よりなる。

浅沢町(現・住吉2丁目)=布団太鼓は昭和初期に老朽化で廃絶。

阪之井村=地車廃絶。大佐の「地車請取帳」には明治7年と明治33年以降に修復とある。
地蔵盆に合わせて聞き取りに行くが地元では言伝え残っていない。
今在家村=元の粉浜中之町にあたる。『大佐請取帳』には修復とある。東粉浜では戦後神社倉庫に保管していた小型布団太鼓を復活させたが、世話人の不在のため昭和30年代前半より中止となり、いつしか処分されてしまった。
沢之町1−10−4 若松神社 7/11、12 所曳き 沢之口、殿辻
10/7、8 神輿あり
地車廃絶 沢之口、浜口、千躰、殿辻、遠里小野、島、安立   
神輿=平成19年(2007)約半世紀ぶりに復活。
沢の口墨江東3丁目振興町会にあたる。現在は子供会が毎年“神輿屋台”を作って11日18時30分より曳いている。雨の時は翌12日に曳く。

かつて大佐の作の地車あり
大佐の「地車請取帳」に明治元年頃に「沢之口 地車新 〆銀六貫目 但し 一円百八十銭金」、33年以降に修復した。
 地車売却してからも売却先より借りてきて秋祭りに千躰や殿辻も交えて曳いていた。地車小屋は神社境内にあった。
地車は明治23年頃に堺市平岡に売却。しかしながら
昭和28年までは秋まつりに平岡より地車を借りて祭礼を行った。この地車は小屋の雨漏りによる老朽化のため昭和41年が最後の曳行。昭和44,5年に焼却処分となる。

殿辻墨江東2丁目振興町会にあたる。辻口地蔵尊のあたり。
子供布団太鼓を夕方曳いている。保存は学校近くの小屋で解体保存。この太鼓は大正期に青年団が制作。戦争のため休止となるが、やがて大阪復興祭(昭和25、6年)で復活。36年に修復。布団は平成17年(2005)新調。コースは所曳きで宮入りはしない。


 地車は明治末に堺市福町に売却との言い伝えがあるが。
千躰=堺市深井中町では大正期に千躰より有志が地車を購入という言い伝えがある。この地車は昭和24、5年頃まで曳かれそれより休止となり、遂には野々宮神社奉納となるが、昭和63年に尼崎市築地本町3丁目(本三)に60万円で払下げる。

浜口=戦前まで小屋が残っていたが、喜連敷津線の道路用地となる。中華料理店と白井工芸の間。南浜口も交えて曳いていた。『大佐請取帳』には明治33年10月に15円で修復明治末期より休止となり、大正5年頃に売却したとされる。この地車は堺市陶器北の地車と思われる。陶器北は墨江村より購入と伝えられる。

遠里小野=地車は昭和15年頃に津久野(堺市家原寺)に売却と伝えられる。しかし売却後も2、3度売却先より地車を返してもらい秋祭りを行う。大体昭和26年くらいまでである。曳行コースは村中の熊野街道の往復と宮入りで安立や浜口には行かなかったようである。地車小屋はユニライフ住吉遠里小野の隣になる。(遠里小野5−12−3)。現在は民家。戦後の売却先より返してもらった時は中野氏の庭に仮設の小屋を建てた。(遠里小野5−10−4) 経路は遠里小野⇒堺市家原寺⇒東大阪市川島である。

(現在の住之江2丁目)=大佐の「地車請取帳」には安立町嶋村町は明治10年9月請取。11年7月渡しとある。
安立=戦前には1〜10丁目に各々やや小ぶりの地車があった。なかには連合で曳く地車もあった。
様々な理由で明治後期から戦時中に大半が処分された。
1丁目=現・1丁目北町。地車事故も目撃した町会長の鈴木三郎氏によると1丁目は昔よりなかったと思われる。

2丁目=現・1丁目中町。明治末まで地車があった。大佐の「地車請取帳」は明治元年頃に「安立町二丁目 地車新 〆 銀四貫目」と新調の記載あり。
 地車小屋跡は関西電力〜豆腐を卸すにがり屋を経て隣接の山側の法輪寺記念会館の駐車場になった。

3丁目=現・1丁目南町。大佐の「地車請取帳」には明治8年に60円で修復しているが、明治末期には既に無し。

4丁目=現・2丁目北町。地車はあったと思われる。詳細は不明。

5丁目現・2丁目南町。大佐の「地車請取帳」には明治10年9月請取。11年8月渡しとある。大正14年生まれの人の話では見た事ないことから、明治末期に売却か?売却後もよそから借りて曳いたこともある。地車小屋跡は安立2丁目10−15の理容藤であるこの地車は安立町より明治44年頃に約105円で購入した堺市津久野中組(現・門真市打越)と思われる。昭和25,6年に地車の借用が申し込まれ古巣の祭礼に里帰りして、一度曳きだしたこともあるという。 

6丁目=現・3丁目北町。地車はあったと思われる。詳細は不明。

7丁目=現・3丁目南町。船地車があった。寛政年間に地車大工と船大工の合作と伝えられる。大工・彫師は不詳。大正初期に淡路島の洲本の某村に売却されるが、昭和7年に買い戻す。昭和26年が最後の曳行。昭和51年に大阪市立博物館に寄贈。寄贈に先立ち同年9月18日にお別れ曳行。現在は大阪歴史博物館9階に常設展示。
小屋は住之江2丁目9にあたり、現在は駐車場になっている。

8,9,10丁目
現・4丁目北町、中町、南町。三町連合で曳いていたが、昭和10年頃に若松神社の宮入りの後、住吉大社に行く途中(りそな銀行の1、2軒向う)窪みに片輪がはまりで横転してしまい曳いていた子供(浅阪 冨ニ)が死亡したので大和川の河原で焼却した。時代の検証は平成13年の聞き取りで76歳の人が小学校2年まで曳いたと言われたことや1丁目北町町会長の鈴木三郎さんの目撃談から計算した。安立南霊園には墓があり、昭和12年10月建立。8,9,10町内と書かれている。
 なお大佐の「地車請取帳」には9丁目は明治10年9月に受注し明治11年6月に引渡しとあるのでこの地車を3町で曳いたと思われる。

先代地車は下取りされた。地車小屋跡は安立4丁目11のヘヤ―サロン林である。
 【安立校下夏まつり】 
平成13年より始まる。8/最終土曜だった。。安立校下青少年指導員会主催。校下布団太鼓は第一回御堂筋パレードに出た時に作った。その後住吉大社に預かってもらっていたが、管理を返上され安立小学校で保管になりこのイベントをすることになった。2回は行った。3回目は不明。
平成19年(2007)8/最終日曜に再開。安立小学校の会場には校下布団太鼓が飾られたが、路上を曳くことは無かった。
※瀧徳
安立4−2−16の蕎麦屋。(水曜日が定休日)。4代目前の当主(当時は大黒屋)がどこからか(大佐?)より購入。
地車小屋まで作ったが、戦前に解体され、戦争中に薪代わりに燃やされる。
 しかし今も車板、縁葛、旗台等が店を飾っている。
西長居町676 神須牟地神社 7/20、21(毎年) トラック渡御
枕太鼓廃絶 旧・寺岡村
現在は隔年(西暦奇数年)に約10台ほどで、トラック渡御(神輿、獅子、太鼓 など)。出ない年は神輿等の飾付け。
枕太鼓は神社の建替え(昭和43年)前に処分したということから、昭和40年頃が最後か?
長居東1−14−17 保利神社 7/17、18
10/15、16
神輿 昭和31年制作。平成14年12/11、修復清祓式。
だいがく 旧・堀村
だいがく=平成12年。80年ぶりに復活。またかつて「堀のだいがく、矢田部のだんじり」として知られていたが、いつの頃か廃絶し明治4年の記録では勝間村(現在の玉出)より1両で借りたとある。

 ≪東住吉区≫
桑津3−4−17 桑津天神社 7/16、17 地車1台 桑津天神社地車保存会
10/16、17 枕太鼓、布団太鼓 宮付き。休止中。
 【祭礼日】
夏祭りは7/16、17。16日は夜に町内曳行。17日は夜に境内でお囃子奉納。
秋祭りは10/16、17。16日は夜に町内曳行。17日は夜に境内でお囃子奉納。また2日曜に一日かけて町内曳行。
また元旦の朝に新春地車曳行として小屋から神社まで約15mほど曳き、午前中は展示される。
三代目。明治元年3月泉大津市下之町新調。大工は木村孫兵衛。彫師は彫又二代目西岡又兵衛。
昭和8年7月に現・地車を泉大津市下之町より購入。引取り時には桑津村の長老と青年団が牛2頭をもって引取りに行き、約6時間かけて曳行し持って帰ったと伝えられる。

平成6年に平野区喜連の「大市」こと河合工務店で修復。土呂幕の左右は「豊臣軍記」。見送り三枚板の正面は「加藤清正の雄姿」、左は「後藤又兵衛」。右は「薄田隼人」。また新・彫物として平成11年、柱巻きの龍、平成14年、匂欄、脇障子を追加。彫師は木下賢治。長さ4、1m。幅2、1m。高さ3、45m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「獅子の谷渡り」。
枡合・虹梁:上段は「青龍」、中段は「牡丹に夫婦唐獅子」、下段は「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「梅福仙人」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「青龍」。
枡合:右は「牡丹に唐獅子」、左は「獅子の谷渡り」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻き:「宝珠をつかむ青龍」。
縁葛:「合戦物」。勾欄は「鯉」。
脇障子:右は「獅子の谷渡り」、左は「獅子の子落とし」。角障子は「松に鶴」。
土呂幕:正面は「福島市松の雄姿」、左右は「大坂夏の陣」。
見送り:正面は「加藤清正の雄姿」、右は「薄田隼人の雄姿」。左は「後藤又兵衛の虎退治」。

旗差し:「力士と猿」。

 文政3年4月に地車保存会が結成。初代は平野(背戸口?)より購入した組立式で大正8年頃まで高津宮の秋祭りに参加した。この地車が破損した後で見性寺の山門にこの地車のしがみが使われている。 
 2
代目として淡路より紫檀・黒檀の地車を購入するが、訳あって2年後に大和郡山方面に売却。
 地車の無い
空白期間は平野や田島より地車を借りた。
枕太鼓、布団太鼓は宮付きで、トラック渡御されていたが、平成13年頃よりトラック渡御が中止になっている。
針中野2−3−58 中井神社 7/12、13 枕太鼓2台 例祭日の前の日曜に巡幸。例祭日は飾り置き。
枕太鼓、神輿巡幸は13日の前の日曜。12:00〜17:30。12、13日は18:00〜22:00、福引き、夜店。
枕太鼓大)=制作期、制作者不詳。小より古い。泥台に彫物あり、ガラスケースで保護。 (小)=昭和59年、「太鼓正」より購入。
枕太鼓、神輿2基で巡幸。
鷹合4−5−22 鷹合神社公式HPへ 7/13、14(毎年) 神輿
台がく休止
布団太鼓   
10/12、13(毎年) 布団太鼓
布団太鼓=制作年、大工 等は不詳。昭和33年頃より休止。
その後、布団太鼓は屋根が欠落してビニールで覆って境内に展示。
2012年、45年ぶりに復活。翌2013年、布団を3段⇒5段に増やし主催を鷹合地域活動協議会とし運行は前の日曜に行うようになった。
平成27年(2015)、従来夏祭りに出していたが、子供の集まり具合や秋祭りは例祭のみだったので、秋祭りに変更。ただし曳行は前の日曜で運行はPTA主体。
夏祭りは飾付けのみ。ただし布団は載せていなかった。

挟間:「五条大橋 弁慶と義経の出会い」、「弁慶?」、「神功皇后平産す。武内宿禰」、「?」。
だいがく=昭和33年頃より休止。平成27年(2015)の聞き取りでは部材は老朽化が著しいが揃っている。組立は出来るが永年組んでいないので解体が難しいので当面は解体保存の意向。なお太鼓と車輪付きの台座は据え太鼓として利用。
山阪町2−19−23 山阪神社 7/20〜22 布団太鼓 田辺本通商店会
子供太鼓 西田辺
地車廃絶 南田辺、北田辺、西田辺、松原新田
地車囃子 平成27年(2015)、60年ぶり復活
獅子舞巡行 平成27年(2015)、40年ぶり復活
 【地車廃絶】
南田辺=明治中期には既にあり。大正7年頃まで曳かれ、和泉市下伯太(の業者?)に約70円で売却。

北田辺明治中期には既にあり。大佐の「請取帳」に大正8年10月以降に修理したと記載あり。昭和初期まで曳かれた。その後休止され昭和20年頃に売却。

西田辺小型地車があった。

松原新田
=小型地車があった。
湯里4−17 住吉神社 7/31、8/1 布団太鼓1台 休止
布団太鼓=昭和50年代初期。加美正覚寺の人の作。平成9年まで渡御に神輿、太鼓も付いたが以降休止となり、飾付けもしていない。 
【だいがく廃絶】
大正初期までだいがくあり。鷹合、中野、湯里より宮入り。
矢田7−6−18 阿麻美許曽神社 10/16、17 例祭
以前聞き取りに行くが、この神社では神事だけと言われたが、矢田の言伝えから往古はだいがくがあったと思われる。
矢田(旧・富田新田)=胴が栗の木の巨大な太鼓があり、秋祭りの際にだいがくの上でたたいた。同村は差別のため阿麻美許曽神社に宮入りをさせてもらえなかったので、大和川の堤防で聞こえとばかりに叩いたと伝えられる。
この太鼓は大正9年(1920)の光明寺(矢田6−10−34)の火事の時に焼失してしまった。
氏子は東住吉区(旧・矢田村)住道、矢田部、枯木、富田新田と
松原市(旧・天美村)⇒油上(天美西3丁目)、池内(天美東8丁目)、芝(天美西2)、城蓮寺(天美北5丁目)。

 ≪阿倍野区≫
阿倍野元町9−4 阿倍王子神社 7/27、28(毎年) 町内地車1台 王子連合
囃子山車 金塚連合、阪南獅子
枕太鼓 阿倍野連合
王子連合=平成元年制作。2代目。大工等は不詳。ハンドル付きの町内地車。
鬼板は「獅噛み」。枡合は「虎」。脇障子は「牡丹」。三枚板は無く幕式。
氏子は阿倍野連合の全16町会、金塚連合の全15町会、王子連合の全13町会。
阪南連合の内15町会、常盤連合の内11町会、文の里連合の内8町会、晴明丘連合の内4町会、円山連合の内4町会、長池連合の内1町会。
 ※阿倍野区全体の約7割にあたる87町会で8地区約2万
世帯が氏子。
王子連合壇尻囃子委員会⇒王子連合町会周辺。
町内地車1台


晴明丘地区子供神輿委員会
⇒阿倍野元町・晴明通周辺。
神輿1基、囃子太鼓山車1基。


金塚連合猿田彦委員会⇒金塚連合町会周辺。
枕太鼓1基。


阿倍野連合神輿委員会⇒阿倍野連合町会周辺。
大神輿1基。


阿倍野連合枕太鼓委員会⇒阿倍野連合町会周辺。
枕太鼓1基。


阪南獅子委員会⇒阪南中六町会周辺。
獅子舞の山車。
北畠3−7−20 阿倍野神社 7/21、22(毎年) 神幸祭 猿田彦をはじめ、神輿、八乙女、枕太鼓 など
町内地車1台、枕太鼓 獅子を乗せた山車タイプの引き物もある。 
 ■21日(宵宮)
(9:00〜16:00) 獅子舞巡行
(9:30〜13:00) 子供太鼓巡行
(18:00〜21:00)夏越し神楽祈祷
(18:30〜) 奉納大正琴
(19:00〜20:00) 奉納舞踊
(20:00〜) 奉納おわら風の盆
 ■22日(本宮)
(9:00〜) 発輦祭斎行
(10:30〜) 御旅所祭斎行
(12:30〜) 渡御式終了
(18:00〜21:00) 夏越し神楽祈祷
(18:00〜20:30) 素人演芸会
町内地車は購入年のみ曳いたが後年は飾り付けのみ。
 【帝塚山まつり】
  例年8月下旬にに読売テレビの『24時間テレビ 「愛は地球を救う』と同日に開催している。
1987年8月、南港通りに面した旧ウジタオートセンターの駐車場で手づくりの「お〜きに祭り」と銘うって実現されたのが始まり。
1989年から名称を「帝塚山まつり」とし帝塚山病院の駐車場も会場になる。
2000年からは帝塚山子供だんじりの巡行もしている。
このだんじりは太鼓正製で所有しているかレンタルかは不明。

 ≪西成区≫
津守3−4−1 津守神社 7/20、21 枕太鼓
曳太鼓
 
玉出西2−1−10 生根神社 7/24、25(毎年) 神輿 トラック渡御
だいがく4基 小さいのは近所の公園にある 
枕太鼓・魔除獅子3台 神社保有。氏子の千本、岸ノ里、玉出地区に分け巡行させる。
 ≪2018年の行事予定≫
■24日(宵宮)
魔除獅子、枕太鼓巡行((玉出地区・岸里地区・千本地区を巡行)
(19:30〜)だいがく担ぎ、だいがく音頭奉納

■25日(本祭)
(12:30〜)例祭
(13:00〜16:30)神輿渡御列:広報車、先導車、役員車、枕太鼓大(3台)、お稚児台、御鳳輦、御神輿
(夕方)だいがく踊り奉納
24日は魔除獅子、枕太鼓が氏地内を巡行。25日は13時より神輿渡御。夕方よりだいがく踊り。
神輿=昭和33年(1958)制作。以前のは戦災で焼失。
※江戸時代14基⇒明治初年には6基⇒さらに5基⇒電線の架設で廃絶。だいがくの道具は玉出小学校に寄贈。⇒3基(昭和3年復活。東山町、山町、新町)⇒2基は戦災で焼失。但し岡山に疎開していた山町は無事で昭和27年に持って帰って復活。現在小さめの2基も加え、平成16年にはギャルだいがくも増え祭礼を行っている。
【一町一台ずつ出した】蛭子町、東町、大道町、船前町=提灯の紋は三つ巴、西之町、南西町、的屋町、新町=提灯の紋は元禄模様、北町、北中町
【二町内より一台出した】東山町=提灯の紋は蛇の目、中小路町、大力町、山町=提灯の紋は鉢巻、草屋町、今屋敷町=提灯の紋は陣太鼓。
岸ノ里東2−3−19 天満宮 7/24、25(毎年) 神輿 あり
枕太鼓2台   
紅梅鉾 廃絶
1台は枕付き。天三町ので昭和36年購入。もう1台は据え太鼓。
紅梅鉾=絵馬殿に飾られて絵馬には京都の鉾が描かている。顧問として元・代議士の田中藤作とあり。氏子役員に聞くと、戦後に千石船の帆柱で作っただいがくの様な山車とのこと。田中藤作氏は昭和20年の帝国議会で代議士だったので、戦後の作は間違いは無いようだ。
橘通り 敷津松之宮御旅所 7/16、17 枕太鼓  
だいがく=木津6ヶ町より各々青年男子数百人にてかつぎ出されたが、電信電話線が普及して明治30年頃に廃止となる。

 ≪住之江区≫
北加賀屋5−2−4 加賀屋天満宮 7/24、25(毎年) 神輿 あり
枕太鼓2台
獅子舞
 西暦奇数年は宵宮は住吉川地区。本宮は加賀屋地区、加賀屋東地区の巡行。偶数年は逆に廻る。両日とも夜は演芸大会。  
南加賀屋4−15−3 高崎神社 7/中旬土日(元・26) 神輿 あり
布団太鼓1台
布団太鼓=昭和59年「梶内」より購入。どこかの太鼓台だったらしい。大工は柏木福平。彫師は川原啓秀。
平成16年(2004)梶内だんじり店にて大改修。
 先代(初代)は明治7年頃に若中が中心になり新調するが、現・太鼓購入につき下取りされる。
北島3−14−12 高砂神社 7/16、17 獅子神輿 平成16年(2004)創建。獅子は宮司の手作り。
枕太鼓2台 布団太鼓は昭和36年に太鼓正に売却し子供枕太鼓に変更
 【ポートタウン祭り】
7月に南港地区公園で南港4連合町会が行うイベント。民謡踊り、コンサート、花火、バトントワリング、子供みこしなどが出る。

 ★展示場
 【平野区画整理記念会館
東住吉区中野2−7−16。9:15〜21:00。休館は月曜・火曜・祝日。
杭全神社夏祭り展示コーナ―の他、馬場組が昭和59年の修復の際に入替えた鬼板、懸魚、虹梁、木鼻、台木などを展示。

inserted by FC2 system