大 阪 府

      ≪高石市≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
高師浜4−1−19 高石神社
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10/連休土日 神輿 2基
地車9台 小高石、高磯、南、元町、北新町、高師浜、北、匠、新村
宮入りは輪番制で1区小高石・2区高磯・3区南・4区元町・6区高師濱・5区北・新町・7区北村・8区匠・9区新村。
かつては宮本である6区高師濱が最後に宮入りしたり、一番に宮入りしたりした。
神輿=昭和37年までは担いでいた。当番で担がれ最後の時が北村だった。なお当時は2区、6区は神輿当番には当らなかったようだ。
平成22年(2010)の宵宮の宮入り時に高石神社氏子による紀州街道地車連合会での25周年式典の中で、神輿担ぎが復活した。
 それまでは地車の宮入り後、神輿をトラックに乗せ氏子総代が小高石の御旅所(八幡神社跡)まで渡御する。

2基あり。新しい神輿が飾られているが、古い神輿は倉庫の奥に眠っているらしい。
小高石(1区。高石南村の小高石)⇒千代田4〜6丁目と綾園5丁目にあたる。鎮守は八幡神社。合祀され、御旅所となる。
=岸和田型。平成元年(1989)9月17日、新調入魂式。
地車としては30年ぶりの復活。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治。助は十場祐次郎、中山慶春。平成16年、大下工務店で修復。
長さ4.15m。大屋根幅2.5m。高さ4.15m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「佐久間玄蕃 秀吉本陣乱入す」、右は「加藤清正 山路将監の血戦」、左は「本能寺の変」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
番号持ち:「勧進帳」。
松良:右は「鵯越の逆落とし」、左は倶利伽羅峠の戦い」。
土呂幕:正面は「安宅の関 弁慶 義経を徴打す」、右は「八岐大蛇退治」、左は「大江山 頼光の木渡り」
見送り:上段は「川中島の合戦」、下段は「大坂夏の陣」。

 初代?(先々代)は大正初期に河内より中古地車を購入するが、昭和30年代に老朽化解体。
 先代は花車で昭和40年代に制作。平成2年に橋本市原田に売却。既に引退。
高磯(2区)⇒千代田3、4丁目と綾園3丁目にあたる。
地車小屋は神社境内。平成20年(2008)1月27日、移転。
=岸和田型。平成12年(2000)5月7日搬入。5月14日、購入入魂式。岸和田市南町より2500万円で購入。
購入に先立ち、平成11年、大下工務店で修復。
大正7年岸和田市南町新調。制作費は約6、000円。大工は朝代市松、田端辰次郎の合作。彫師は玉井行陽、一元林峯。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「神武東征八咫烏」、右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「村上義光錦御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太閤記】正面は「清洲会議」、右は「五右ェ門金しゃち盗り」、左は「薄田隼人、木村又七召捕り」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関弁慶義経徴打」。
大連子:【曽我物語】正面は「曽我五郎大磯驀進」、右は「曽我兄弟由比ヶ浜」、左は「曽我兄弟討入り」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「不破数右衛門赤穂へ馳せ付ける」、右は「原惣右衛門赤穂へ早馬で注進」、左は「義士討入り」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松、拝郷郷五左衛門を討つ」、左は「加藤嘉明功名」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 地車は昭和27年に綾井西より購入するが1年のみで9区に売却され現存せず。
 先々代は昭和48年頃制作の花車で老朽化廃絶。

 先代は昭和61年に子供会育成会の役員37名が3/3より日曜日ごとに交代で制作し、費用は付属品込みで300万円と安いが心のこもった地車である。朝日荘園に売却されるが、平成25年(2013)が最後の曳行で平成26年(2014)5月に解体。
南(3区。南の土居)⇒地車小屋は神社境内。平成20年(2008)1月27日、移転。
=岸和田型。平成4年(1992)5月5日、購入入魂式。岸和田市磯之上町より購入。購入時に大下工務店で修復。昭和7年泉佐野市日根野久ノ木新調。大工は絹井楠次郎。彫師は田沼源次郎。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「曽我十郎勇戦」、右は「曽我五郎大磯驀進」、左は「畠山重忠と五郎」。
虹梁:「青海波」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「落首札立」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「楠正成の雄姿」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「源平盛衰記」、左は「頼光の木渡り」。
縁葛:「唐子千人遊び、目隠し遊び、鞠遊び」。
大連子:【太閤記】正面は「加藤清正勇戦」、右は「加藤嘉明勇戦」、左は「堀尾茂助勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「上野介召捕り」、右は「双方乱戦の図」、左は「清水一学奮戦」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「大岩砦、中川清秀の最期」、右は「後藤又兵衛勇戦」、左は「福島市松勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 三先代は東大阪市中石切の某氏に売却。某氏は村に寄贈する気だったが村は受け取らず今や家の一部になる。
大佐の「地車請取帳」には大正10、15年に「泉北郡高石町字南 青年會長 行山茂様」とあり、古地車売却と思われる。
 先々代は花車で取石住宅に売却。
 先代は昭和61年に池内工務店で折衷型地車を制作。地車としては43年ぶりの復活だが現地車購入につき河内長野市下西代に売却。
元町(4区)⇒地車小屋は神社境内。平成20年(2008)1月27日、移転。
=岸和田型。平成14年(2002)7月21日、購入入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。
昭和12年岸和田市包近町新調で平成13年10月14日曳き納め。植山工務店で修復後に搬入。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「波に千鳥」、後ろは「波」。
車板:正面は「雲に鶴」、後ろは「雲海」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「神武天皇東征」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に浦島太郎」。
車板:「雲海」。
枡合:正面は「忠臣蔵 顔世御前 兜改め」、右は「仮名手忠臣蔵 大序」、左は「吉良邸討入り」。
 ≪腰廻り≫
大連子:正面は「今川義元の最期」、右は「朝比奈三郎 足利義氏の血戦」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:正面は「義経 八艘飛び」、右は「平景清 錣曳き」、左は「鎮西八郎の剛弓」。
松良:右は「安宅の関 弁慶義経を徴打す」、左は「大江山の鬼退治」。
勾欄合:「波に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「福島正則 拝郷五左衛門討取り」、左は「後藤又兵衛奮戦」。
台輪:「唐草伊勢込み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
虹梁:正面は「曽我兄弟夜討ち」、左右は「牡丹に唐獅子」。
木鼻:「牡丹」。
脇障子物見:「牡丹に鳳凰」。
大脇物見・竹の節:「親子獅子」。
縁葛:正面は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、右は「?」、左は「?」。
水板:「波」。

 三先代は昭和20年代に泉大津市助松ミナキに売却するが老朽化廃絶。
 先々代は花車で朝日荘園に売却されるが、現存せず。
 先代は忠岡町濱之町より昭和59年1月15日、購入入魂式。
平成14年6月23日、昇魂式をし、堺市深井中町西へ。
北新町(5区。北村の北新田)=高師浜3、4丁目と加茂1丁目にあたる。
⇒地車小屋は神社境内。平成20年(2008)1月27日、移転。
=岸和田型。平成6年(1994)9月25日、新調入魂式。大工は天野工務店。彫師は井波の松並義孝。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「素盞嗚尊 八岐大蛇退治」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「村上義光 錦の御旗奪還す」、右は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
縁葛:「伊勢込みに波」。
松良:「安宅の関 弁慶義経を徴打す」。
土呂幕:正面は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
見送り:「難波戦記」。

 初代は堺市菱木白木より購入するが、大きすぎるのですぐに、堺市下石津に売却。現存せず。
 先々代は現・大阪市生野区八坂神社の中地車。明治12年に新調するが、昭和初期に和泉市上町に売却。東大阪市中新開の“水滸伝”の展示品⇒大下工務店⇒八坂神社の中地車
 その後は花車でD地区に譲渡するが焼失。 
 先代は昭和58年に「太鼓正」の地車を購入し高南に売却。
高師浜(6区)=高師浜2、4丁目にあたる。
=平成26年(2014)5月11日、搬入。5月18日、購入入魂式。長さ3.3m。幅1.27m。高さ3.3m。
昭和5年泉佐野市日根野西出新調。大工は山内安太郎。彫師は田沼征信、一元正。制作費は2、500円。
その後は春木旭町⇒春木大国町。春木大国町は平成元年搬入。平成2年(1990)5月27日、購入入魂式。平成14年大下工務店で修復。
昇魂式(曳行せず)は平成25年(2013)3月24日。
 ≪大屋根廻り≫
不詳?
 ≪小屋根廻り≫
不詳?
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:三面とも「松に雀」。
土呂幕:正面は「家康を追う真田幸村」、左右は「難波戦記」。
見送り:「難波戦記」。

 往古は花車で加茂に売却。
 先代は折衷型。昭和63年(1988)池内工務店より購入。経路は奈良の豪農が地車3台を所有。そのうち1台を堺市百舌鳥梅北町に住む親類の石田氏が譲り受け梅北で曳き、昭和5年に500円で大阪狭山市山本に売却。山本は池内工務店での新調の下取りに出す。
平成15年、若野工務店による修復で完全な上地車より折衷型になる。
平成25年(2013)10月20日、昇魂式。現・東大阪市新家西町。ここの入魂式は平成26年(2014)9月21日。
北(7区)=岸和田型。平成元年(1989)5/3、購入入魂式。しかし収納は昭和63年。昭和14年岸和田市岡山町東出小路新調。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎。助は松田正幸。7区時代の改修で岸田恭司が彫物を新たに加えている。
長さ3.81m。幅2.405m。高さ3.6m。内幅1.09m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「菱の紋」。
懸魚:「夫婦岩」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「秀吉の香炉を盗む石川五右衛門」、左は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「浦島太郎」。
枡合:正面は「兜改め」、右は「村上喜剣を足蹴にする」、左は「刃傷松の廊下」。
 ≪腰廻り≫
土呂幕:正面は「太閤記」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「加藤清正九州征伐」。
松良:右は「鵯越逆落とし」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常の猪退治」、左は「狩場風景」。
大連子:【大江山鬼退治】正面は「酒宴の場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
見送り:「難波戦記」。

 初代(三先代)は、村の若衆が新しい地車(先々代)ほしさに、近所の川(芦田川)に落として壊してしまったらしい。
 先々代は慶応3年(1867)か明治初期に新調し昭和38年まで曳く。昭和42年に和泉市太町に売却。現・柏原市今町。
地元では
明治の初め頃、住吉から牛に引かれて来たらしいと云われている。住吉の大工(大佐?)が中古の地車を組合せて製作したと伝えられる」。
大佐の「地車請取帳」には大正14、5年の項に「泉北郡 高石町北 初田治三郎様 山内豊松様」と記載あり。
 昭和46年、花車誕生。高石で1番最初に製作した町で3,4年毎に新調した。最初は花車。次は船型。最後は地車タイプだった。
 先代は地車としては16年ぶりの復活となる。
昭和58年に岸和田市中尾生町より購入し昭和63年同市8区に売却。岸和田市南上町を経て現・堺市中山。
匠(大工村。8区)=岸和田型。平成6年(1994)9月25日、新調入魂式。平成9年9月23日、完全完成入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は木下頼定、森 西鶴。
長さ3.88m。大屋根幅2.45m。内幅1.16m。高さ3.8m。重量4トン。
彫物は【源平合戦】で統一。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲海、社紋」。
懸魚:「波濤、朝日」。
枡合:正面は「源 義経、梶原景時、逆櫓の激論」、右は「鎮西八郎為朝の強弓」、左は「平重盛 父の不忠を諌める」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「武蔵坊弁慶」。
松良:右は「安宅の関 弁慶、義経懲打」、左は「大江山 頼光の木渡り」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「那須与一の扇の的」、左は「宇治川の先陣争い」。
小連子:「曽我物語」。
土呂幕:正面は「源頼朝の初陣」、右は「斉藤実盛 手塚光盛の大奮戦」、左は「巴御前の雄姿」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
脇障子:右は「鵯越えの武蔵坊弁慶」、左は「平 知章」。
竹の節:「獅子」。
摺出し:「常盤御前の都落ち」。摺出し鼻:「麒麟」。
大脇:右は「畠山重忠 夕月を担ぐ」、左は「生田の森の梶原景時」。

 先々代は昭和58年「太鼓正」より購入するが、同市西取石7丁目へ。

 先代は同市7区より購入し平成7年5月7日、曳き納めのあと岸和田市南上町へ。現・堺市中山。
新村(9区)=岸和田型。平成4年(1992)9月20日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝司)。彫師は中山慶春。
平成17年、大下工務店で修復。
長さ3.8m。幅2.4m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「神武天皇東征 八咫烏」。
虹梁:「青海波に浜千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「鶴ヶ岡八幡宮の場」、右は「戦勝祈願兜奉納」、左は「布引四段目 小桜責め」。
虹梁:正面は「牡丹」、左右は「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶、義経徴打す」、左は「大江山頼光四天王」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「狩場風景勢子の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「「巴御前の雄姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「大坂夏の陣 本多出雲守荒川熊蔵の血戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「川中島の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 三先代は大正末期に堺市小阪か深井方面より購入するが戦前にばらして彫物は村の人で分けた。
 先々代は昭和27年頃に綾井西⇒2区より購入するが7区との喧嘩や老朽化のためわずか2,3年の曳行で解体して売却。
 永らくの暗黒時代の後、昭和39年頃より樽みこしが出た。
 先代は花車で昭和51年に作られ旭ヶ丘に売却。
取石2−1448 等乃伎神社公式HPへ
神輿
10/1金土日 地車1台 富木
10/連休の土日 地車4台 綾井、大園、新家、土生
宮本は富木であるが、堺市西区の鳳連合所属により、祭礼初日(金曜日)の午前中に宮入り。
綾井・大園・新家・土生は高石市祭礼で、順番は毎年輪番。
 【鳳連合曳きに参加】
富木
=岸和田型。平成12年(2000)9/17、新調入魂式。平成13年9/2完全完成入魂式。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。長さ4..25m。大屋根幅2.5m。内幅1.2m。高さ3.85m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「三つ巴」。
懸魚:正面は「夫婦岩に旭日」、後ろは「浪」。
車板:正面は「神武天皇東征」、後ろは「取石池」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「八岐大蛇」、左は「天之日矛悪鳥退」。
虹梁:「浪千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲龍」。
車板:「義経、鞍奉納」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
枡合:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「弁慶、闘鶏によって源平主従を占う」、左は「釣鐘弁慶」。
屋根虹梁:「竹に虎」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「弁慶」。
幟台:「八方睨み龍」。
松良:右は「安宅の関、弁慶義経徴打す」、左は「義経 吉野山千本桜」。
縁葛:正面は「五郎十郎、工藤を討つ」、右は「工藤陣屋討入り」、左は「巻狩りにて工藤陣屋知る」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「義経逆櫓争い」、左は「宇治川の先陣争い」。
小連子:正面は「頼光、酒呑童子を討つ」、右は「坂田金時、丸木橋をかける」、左は「大江山酒盛りの場」。
土呂幕:正面は「義経弓流し」、右は「衣川の戦い」、左は「堀川夜討ち」。
勾欄合:「古事記」。
水板:「波濤」。
後縁葛:正面は「仁田四郎大猪退治」、右は「頼朝陣屋」、左は「狩場風景」。
後連子:正面は「那須与一 扇の的」、右は「安徳天皇入水の場」、左は「勧進帳 安宅の関」。
後半良松:「波に玄武」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
見送り虹梁:正面は「黄瀬川の対面」、右は「静御前」、左は「牛若丸 鞍馬山修業の場」。
竹の節:「阿吽の獅子」。
脇障子:右は「平師盛」、左は「平知盛」。
摺出:右は「畠山重忠」、左は「土肥実平」。

 大佐の「地車請取帳」には明治13年10月に「いツみ とき村」に350円で売却したとある。これが先々代か?
(堺市陶器説もある。私は陶器説を採りたい)。 
 先代は明治38年9月に堺市七道(旧名・海船の浜)より購入し、平成12年2/13引渡し。尼崎市西町(北出西町)へ。
 【高石祭りに参加】
綾井
⇒地車小屋は2009年7月建造。
=折衷型。平成2年(1990)10月6日、新調入魂式。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は栗田剛、藤森昇二。獅噛みは川原和夫。錺金具師は宮村春夫。
長さ4.7m。幅2.3m。高さ3.5m。

 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「加藤清正 虎退治」、後ろは「布袋和尚」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「日本武尊草薙剣」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「義経八艘飛び」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「宇治川の先陣争い」、右前は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右後ろは「平維盛の強力」、左前は「八幡太郎義家奥州征伐」、左後ろは「巴御前の勇戦」。
見送り:「難波戦記」。

幟台:「唐獅子牡丹」。

 明治18年に市場村(綾井東)と南出村(綾井西)が合併して成立。
の地車小屋は加茂郵便局前で、現・井上邸となっている。歴史はまず5区より購入し、当地区を経て、和泉市上町⇒楽車(東大阪市中新開130の居酒屋)⇒大下工務店⇒平成18年(2006)6月11日、大阪市生野区の生野八坂神社宮付き地車(大)。
 祭礼組織の合併で、2区に売却。1年後に9区に売却。9区では7区との喧嘩などで老朽化が進み、わずか2、3年の曳行で解体して売却。
西は地車登場以前は馬力に提灯をつけ曳いたと云われる。
綾井として昭和28年より祭礼をすることになり、東の地車を売却。西の地車を綾井として曳く。
この初代地車は昭和38年に和泉市尾井に売却。現・神戸市東灘区柳へ。
 その後、地車が廃れ花車が再登場まで曳かれる。
初代は1974年、昭和20年会を中心とした有志が軽トラックに手作りの装飾を施した花車を親交会が引取り祭礼を再開するが、老朽化解体。
二代目は昭和61年、土生に売却され平成13年まで曳かれる。

 先代は昭和58年、「太鼓正」新調。平成元年5/2に大阪市東住吉区育和社会福祉協議会(連合町会の上部団体)に売却。現・守口市大庭町へ。
大園=地車小屋は自治会館隣り。
=平成25年(2013)5月18日、購入入魂式。
 入魂式に先立ち植山工務店で、台木の新調交換、本体の洗い・締め直し など。
木下彫刻工芸で彫物の欠け継ぎや見送り内の彫刻の新調追加が行われた。
昭和9年(1934)岸和田市流木町新調。流木は平成24年(2012)11月11日、昇魂式。
大工は絹井楠次郎。彫師は開正藤、生a親子。助は玉井行陽。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「児島高徳 忠義桜」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「雪だるま遊び」、右は「鬼ごっこ」、左は「舟遊び」。
大連子:正面は「加藤清正 四方田但馬守の血戦」、右は「鬼小嶋弥太郎の奮戦」、左は「山本勘助の勇戦」。
小連子:三面とも「?」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 往古は住吉型で昭和28年に旧国道26号線でトラックにぶつかったことや曳き手減少等で昭和32年(30年説もあり)の祭りが最後であった。
その後、村の人に売り、その人は地車を解体し彫物を売却した。大佐の「地車請取帳」には大正13、4年に「泉北郡大園村 他川様」とあり。この時に作事(修復)したと思われる。
 その後花車時代があり、昭和50年〜地車復活まで6代にわたり登場した。

 先代は岸和田型。昭和61年(1986)9/21新調入魂式。(屋根廻りに少し、古い彫物利用)。
大工は吉為工務店(吉野為雄)。彫師は筒井和男。助は岸田恭司、近藤晃。本体2035万円。(広報たかいしより)。
平成24年(2012)10月14日、昇魂式。11月4日、搬出。
嫁入り先は兵庫県淡路市郡家里組で、平成25年(2013)2月11日、里壇尻曳継式が行われた。
搬入は前年11月4日。
新家⇒地車小屋は取石4−4(新家自治会館〔取石4−13−2〕向い)。
=堺型。制作年、大工、彫師 等不詳。昭和60年(1985)堺市深井沢町より有志3名が150万で購入し12月に新家地車保存会を発足し1350万で修復した。この地車は大和より中古で購入と沢では伝えられている。
平成12年、小松工務店(小松宏行)、松本彫刻(松本幸規)で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「素盞鳴命八岐大蛇退治」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
虹梁:「雲に龍」。
車板:正面は「雲に龍」、後ろは「獅子」。
隅出すは「四神獣」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「清洲城修築功名」、右は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、左は「醍醐の花見」。
 ≪見送り廻り≫
三枚板:【慶長の役】正面は「加藤清正虎退治」、右は「小西行長」、左は「李舜臣」。
脇障子・隅障子は「太閤記」。
摺出し:「唐獅子牡丹」。
摺出し鼻:「獅子」。

 先代は昭和26年に売却。地車の無い間は花車。
土生⇒会館・地車小屋新築落成式は平成16年(2004)3月27日。取石6−20−11。
=平成23年(2011)5月22日、購入入魂式。搬入は2月20日。
岸和田型。昭和55年(1980)堺市小阪新調。この年は箱だんじり。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下頼定。助は十場祐次郎、松本幸規。
ただし地車の大屋根、小屋根、台木、小連木、脇障子等は大修理したときに出た岸和田市上松町のを利用。
 平成17年(2004)に大下工務店にて修復。屋根・台木を交換。
小阪は平成22年(2010)10月24日に昇魂式を行う。
その後、大下工務店に搬入され修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征す」、左は「神功皇后 応仁天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「?」、右は「弁慶義経、五條大橋の出合い」、左は「新田義貞、宝刀を稲村ヶ崎に奉ず」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山」、左は「安宅の関 弁慶義経を懲打す」。
縁葛:正面は「頼朝本陣褒賞の場」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「狩場風景、勢子等の活躍」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「?」、左は「?」。
小連子:正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入」、左は「清水一学奮戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正朝鮮の役」、左は「巴御前の勇姿」。
番号持ち:「勧進帳」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 明治期以前に地車があったという記録が文献にあると聞くが? 
 初代の地車は明治末期に購入するが大正12年を最後に曳くのをやめる。そこで70円で鳳の北王子に売却を決めるが、地車購入時のメンバ―である徳やんが反対し売らずにしていたが、室戸台風で西光寺にあった地車小屋ごと倒れてしまった。

 三先代は昭和51年に制作し、和泉市舞町に売却し現存せず。
 先々代は花車。昭和61年綾井より購入。現・地車購入につき堺市石津地区の十三町会に譲られるが、ここは太鼓台地区のため曳かれることもなく、南海電鉄高架下敷地内で保管されていたが、解体される。
 先代は平成14年購入。昭和57年堺市深井中町が「太鼓正」より購入の町内地車。その後、深井中町西に売却された。
平成22年(2010)11月7日、昇魂式。和泉市納花町に売却。

羽衣5−2−6 羽衣浜神社 10/連休の土日 神輿
地車2台 羽衣、東羽衣十三区
町内地車 10区
宮入りは羽衣・東羽衣の順で宮入し毎年固定。
羽衣=岸和田型。平成11年(1999)5月30日、購入入魂式。岸和田市三田町より購入。
明治23年(1890)制作。大工は絹井嘉七。彫師は安田卯ノ松 等。費用は800円。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎、高井三郎の血戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「木曽義仲の最期」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は昭和63年に泉大津市西之町より購入。平成11年の祭りまで使われ翌10/11には東大阪市横枕の祭りに出ていた。
 先々代は昭和51年に軽トラック改造の花車。地車購入につき廃棄処分。
 往古は大正9年に町会議員が村の相談なしで地車を売却して消防自動車を購入して問題になるが台風で小屋が壊れて沙汰やみになる。
東羽衣十三区=岸和田型。平成16年(2004)8月29日、購入入魂式。
明治20〜30年頃熊取町七山で新調。大正末期に泉佐野市鶴原貝田より岸和田市今木町が約70円で購入し、平成15年まで曳かれた。
大工は絹井嘉七。彫師は安田卯ノ丸、玉井行陽。長さ3、53m。大屋根幅2、17m。内幅1、3m。高さ3、45m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「神功皇后新羅より献物を受ける」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」、後ろは「?」。
虹梁:「青海波に浜千鳥」。
車板:「唐子雪中遊び」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「工藤祐経仇討ち」、左は「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」。
車板:正面は「司馬温公瓶割りの図」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳(武蔵坊弁慶)」。幟台:「波に柏と松葉」。
松良:左右とも「大江山鬼退治」。
縁葛:正面は「神功皇后 三韓征伐」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
大連子:「安宅の関」三面とも。
小連子:正面は「富士の巻狩り 狩場風景」、右は「唐子宝車曳き」、左は「頼光木渡り」。
土呂幕:正面は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「武蔵五郎竹芝勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:「平教経」。
連子は三面とも「牡丹に唐獅子、波溝」。

 初代花車は昭和51年制作。自由ヶ丘に売却。

 2代目は花車で昭和55年〜62年。解体処分。
 3代目は昭和63年制作。大工は池内工務店。彫師は西澤大美。また彫物は先代の花車の欄間を利用。
 和歌山県橋本市清水へ。
10区=町内地車。平成14年(2002)制作。町内の大工の作。総費用500万円。
 先代は花車。昭和51年制作。
 【高石まつり】
昭和51年に市制10周年を記念して「高石まつり」を行った。始めは鴨公園に地車、花車を集めただけだったが、56年にパレ-ドを実施してから、弾みがつき、当時高石市において、地車は富木の1台だけだったが、多くの地車が出来て、旧町から新興町へ町内地車、花車が流れ市域ほぼ全域がまつりを楽しめるようになった。また補助金が出て行政が参加を要請したとも聞く。
 しかしながら、“紀州街道連合”の地車はパレ-ドに参加しなくなり翌年より“高石まつり”は休止となる。

 ≪地区自治会≫
マイ HPでは神社別に区分しているが、地区自治会別の区分もあり、往古の高石まつりはこの区分である。ちなみに高石市には52の自治会がある。
 ■高陽地区
  ⇒第1区、二区、高石綾園住宅、高南、綾園7丁目、高石サンタウン
 ■高石校区
  ⇒第三区、第四区、第五区、第六区、第七区、八区
 ■加茂校区
  ⇒綾井住宅、三井化学、綾井南海住宅、西取石3丁目、自由ヶ丘、伽羅橋荘園、高石D地区
 ■羽衣校区
  ⇒第11区、第12区、第13区
 ■東羽衣校区
  ⇒旭ヶ丘、第九区、第十区、第13区東羽衣、羽衣荘園地区、東羽衣荘園
 ■清高校区
  ⇒綾井、大園、平坂荘園、朝日荘園、大一、昭和園、高石スカイハイツ、西取石7丁目、コーポ綾園ふれあい
 ■取石校区
  ⇒土生、新家、富木、富木府住、富之里、富木南住宅、新家住宅、取石住宅、取石中央、取石第一住宅、取石3区、南取石、JR富木社宅、大歳
 【加茂・取石&清高連合パレード】
“高石まつり”が中止になり平成11年に加茂・取石地区が合同で共催。翌12年には清高地区も参加し新興地の花車が全て参加するようになる。10/連休の日曜に鴨公園に集合する。平成13年には13台集合した。
 【加茂・取石地区】
三井化学=花車。昭和62年制作。
 先代は昭和51年制作。

綾井南海住宅=花車。昭和61年購入。昭和53年大園で制作。

加茂=花車。平成3年6区より購入。
 先代は昭和56年制作で解体処分。

西取石3丁目=地車。岸和田型。平成15年(2003)9/28、購入入魂式。和泉市黒鳥坊小路より購入。
大正7年岸和田市下池田町新調。昭和48年、黒鳥坊小路が100万円で購入。下池田では仏壇職人の作で土台がしっかりしていると伝えられる。
 先代は町内地車。処分された。

南取石=花車。

富之里⇒西取石1丁目あたり。約600世帯。
=町内地車。

旭ヶ丘=花車。昭和63年西取石7丁目より購入。
 先代も花車。

西取石7丁目⇒地車小屋には西取石7丁目地車格納庫と書かれている。
=町内地車。昭和63年匠(8区)より購入。
 先代は2年曳き旭ヶ丘に売却。
 【清高地区】
高石スカイハイツ=折衷型地車。昭和63年制作。大工は池内工務店(池内福治郎)。

高南⇒綾園3丁目あたり。
=町内地車。平成6年に5区より購入。昭和58年「太鼓正」の作。
 先代は花車。
高陽⇒旧称は2区鉄筋住宅。清高地区。
岸和田型地車。明治20年代制作。平成11年3月21日購入。氏子総代は羽衣浜神社に行くが地車は行かない。
平成25年(2013)10月20日、昇魂式を行い曳行を中断。
経路は岸和田市内畑町山口⇒〃新在家山出⇒〃下大沢⇒〃春木中町⇒春木中町の個人⇒富田林市の焼肉屋⇒
当町⇒和歌山県橋本市南馬場。

 先々代は仲良会より購入。堺市八田西町へ。現・堺市小阪西町。

朝日荘園⇒綾園6丁目あたり。
町内地車。昭和61年2区の子供会育成会の役員で作る。平成7年に2区より購入。平成25年(2013)が最後の曳行で平成26年(2014)5月に解体。
 初代は花車。
 先代は4区より購入するがとんどで焼却処分する。


昭和園=花車。平成10年(1998)制作。
平成24年(2012)が最後の曳行で、25年(2013)に解体される。
 昭和55年に手作りみこしで始める。
 以前は昭和60年より軽四輪に合板打ちつけて飾りつけた。
 【不参加】
富石中央=花車。平成元年より不参加。

府営取石住宅=花車。昭和61年3区より購入。

大歳=ミニ花車。昭和61年より参加。高石まつりとともに休止。

取石3区
=花車。

府営富木住宅⇒西取石1丁目20。182戸。
=花車。昭和60年制作。
以前はたるみこし。

JR富木=花車。高石まつりとともに休止。

富木南=たるみこし。平成元年より不参加。


取石第1住宅
=みこし。

D地区
=花車。昭和58年5区より購入。不審火により焼失。

取石第1住宅=神輿。

伽羅橋荘園=たるみこし。

羽衣荘園=みこし。

自由ヶ丘=花車。昭和51年東羽衣13区制作。昭和55年購入。


若草会=花車。綾井地区と重なっていたため曳き手が流出してしまった。

平坂荘園=花車。

仲良会=忠岡町仲之町出身の方が作った。住所は関係なく誰でも曵けたが、自然消滅。
 ここの町内地車はその後、高陽⇒堺市八田西町⇒〃小阪西町へ。
セントラル硝子社宅=社宅が無い。堺製造所の社宅。大阪狭山市東野西に移転とならが、ここも平成27年には分譲地となる。
社宅跡に昭和61年購入の花車が保存されたが、平成26年頃に処分。
 それ以前は手作りみこし

興亜石油高石社宅自治会
=たるみこしが出ていた。平成14年(2002)興亜石油は合併し、現在は新日本石油である。また同年3月末に社宅売却。同時に自治会も解散し、自治会の残金314、277円は高石市社会福祉協議会に寄付された。

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