大 阪 府

         【摂津】

     吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、三島郡〔島本町〕

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪吹田市≫
西の庄町9−8 泉殿宮(公式HPへ 5/2、3 神輿 大1、子供2
剣鉾1基 鈴無し、やや曲がっている
地車3台 川面町、浜之堂、西之庄 
布団太鼓 宮太鼓
神楽獅子 泉殿宮神楽獅子保存会
■2日:(19:00〜)泉殿宮神楽獅子保存会神前奉納。
■3日:(10:00〜)式典。
(13:00〜20:30)御神楽奏上。
(14:00〜)神幸渡御列=布団太鼓、猿田彦、右大臣、左大臣、稚児、神楽獅子保存会、総代、役員。
(20:00〜)御礼詣。
氏子は川面町、浜之堂、西之庄、田中町、松ヶ鼻町、上新田、下新田で往古の祭礼の渡御は提灯、梵天、獅子、太鼓、神木が御旅所へ。
御旅所で祭典の後、獅子が奉納され還御。
日暮れになり、御迎えのベンズリ提灯を先頭に本社へ。
布団太鼓(宮太鼓)6地区輪番(かつては8地区)。2016年の当番町は中の島町・川岸町・砂子町である。
2015年に当番町の御旅町の73歳の長老にお聞きしたところ、この太鼓台は新幹線や東京オリンピックの頃に購入と言われるので、昭和30年代後半に購入と思われる。独特の彫物なので、某所より購入という説もあるが、

あるマニアの親戚が氏子町にいるので、その方が言うには宮太鼓新調で、その後2回彫物を追加され墨書きに小松■■とあるとのことで古い部材を足したのではと思われる。
川面町(かわずらちょう)=大阪型。嘉永7年(1854)制作。大工は吹田村の並河長兵衛兼広。彫師は相野一門。
昭和26年の曳行を最後に休止されていたが、平成8年7/28の吹田まつりで45年ぶりに曳かれた。


浜之堂町⇒地車小屋は泉殿宮境内。
=天保期の作か?。大工は不詳。彫師は不詳(小松源蔵?説もあり)。
西之庄=大阪型。本来は宮本に当たるが、死亡事故以来、(昭和35年?)境内社の戎神社と化す。制作年、大工等は不詳。彫師は「服部」一門と云われている。
車板:「夫婦の麒麟」。土呂幕:「玄武」。
柱巻き:「龍と虎」。
脇障子:「松に猿と鷲」。勾欄合:「太閤記」。
見送り:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「?」、左は「加藤清正、山路将監を討つ」。
上新田=子供地車。平成10年代に近所の工務店の作。吹田まつりの日に合わせて上新田と下新田の間を曳くらしい?
 【地車廃絶】
田中町=天保・嘉永年間(1830〜54)作だったが、昭和35年頃に城東区永田に売却。大工は不詳。彫師は小松源助(7代目)。
ただし平成17年岸和田の大下工務店と木下彫刻工芸により大改修されている。
ちなみに平成17年、田中町自治会発行の『田中町の歴史』のはじめにには「田中町のだんじりは第二次大戦後相次いだ台風でだんじり倉の屋根が傷み、保存費用等の関係で昭和33年(1958)に大阪市の鴫野町へ譲渡されました。」とある。

上新田
=解体処分。

下新田=昭和45年10月31日に20万円で守口市北十番に売却。
高浜町5−34 高浜神社公式HPへ 5/4(隔年。午前中) 地車5台 都呂須、西奥町、神境町、六地蔵、金田町
子供地車1台 上新田
地車は例祭日には金田町以外は曳かれず、吹田まつりに合わせて曳かれる。
往古の祭礼5/14、15
14日
 宵宮。当番町は太鼓を出して、他町は地車を曳く。
15日
10:00〜 献湯、湯立神事、大神楽
14:00〜 渡御〔先箱、毛槍、武者行列、猿田彦、獅子、鉾、楯、弓矢、神宝道具、鳳輦〕
16:00〜 太鼓が出発。神輿が付く
17:00〜 春日神社(神境町。御旅所に当る)到着
19:00〜 御幣浜で一行が乗船。ベンズリ提灯を乗せた船が渡御の一行を先導。
21:00〜 ナミセン浜に上がる
22:00〜 神輿は本社に戻る
都呂須町⇒地車小屋は内本町2−5−17。
=北河内型。天保6年(1835)制作。墨書きより。嘉永5年(1852)河内より購入。大工は河内屋新田の彦兵衛及び幸助ら。彫師は花岡良造義信。飾師は富永伊兵衛。

西奥町
⇒地車小屋は高浜神社境内。以前は内本町2丁目にあったが、戦時中の強制疎開で立退き。
=大阪型。天保年間(1830〜43)制作。中古の地車を購入と伝えられる。また古い地車の材料を集めて制作したもので、古い部分は天保期を遡るものと思われる。大工は不明。木村茂右衛門?という説もあり。彫師は小松源蔵。
見送り:正面は「高砂 尉と姥」、左右は「高砂、松竹梅に鶴亀」。

神境(しんけい)=大阪型。天保13年(1842)制作。昭和36年の修復時に飾金物新調。
大工は吹田村の田原太兵衛、田原喜右衛門。彫師は小松源助勝美、彦治郎、虎吉、大助 他。
彫物は牡丹に唐獅子が主体。見送りは「宇治川の先陣争い など」。

六地蔵町
⇒地車小屋は高浜神社境内。
=大阪型。天保10年(1839)制作。大工は地元の木村茂右衛門。脇大工は勘七(甚七とも書いている)。彫師は森上弥兵衛。
枡合は「楽人」。見送りは「三国志」。
金田町=大阪型。嘉永7年(1854)制作。大工は並河長兵衛。彫師は相野一門。
JRの線路があるので所曳き。隔年(西暦奇数年)の午前中の曳行。昭和61年復活。
小屋根鬼板は「谷間をわたる中国の人物像」。
見送り:【一ノ谷の合戦】正面は「熊谷次郎直実」、右は「平敦盛」、左は「梶原影季」。
 【地車廃絶】
堀奥町=天保9年(1838)10/15制作するが、天王寺区の五条宮から現・神戸市東灘区茶屋区へ。

宮之前町=昭和46年尼崎市東桜木町へ売却。

南町=大正15年、東大阪市枚岡地区の宝蔵寺新家より購入。昭和6年まで曳かれて休止となる。
地車小屋が建つ借地の返還等の事情で昭和38年10月に豊中市寺内の財団法人原野農芸博物館に寄贈。同博物館は平成6年に鹿児島県奄美大島へ移転。
 初代地車は天保年間(1830〜44)制作。地元の大工(六地蔵の茂右衛門)、河内の彫師の作。
大正10年まで曳かれ解体となるが、
大屋根噴地や鬼板は南町自治会館(南高浜町7−1)の玄関横の掲示板のひさしとして飾られている。

新町(さつき会)=大正6年制作するが、芦屋市西芦屋へ。 
※金田以外の地車は例祭では出ずに7月最終日曜か8月第1日曜の“吹田市民祭り”に出る。金田は市民祭りには出ない。
吹田旧市のだんじりは終戦まで15台あったが、戦後6台が他所に売却されたり、解体されて現在は9台残っている。
出口町3−3 片山神社公式HPへ 10/20頃の日曜 町内山車多数
例祭は10/20。渡御は10/20前の日曜。ただし10/20が土日の場合は10/20。
神輿、花傘、梵天太鼓、子供布団太鼓2基、舟太鼓、子供地車が出る。この町内地車は境内のガラスケース越しに見れる。
岸部北4−18−1 吉志部神社公式HPへ 10/16、17(毎年) 子供神輿2基 東、小路
小路子供会太鼓だし 昭和53年制作?
どんじ祭り=市指定無形民俗文化財。このお祭りは岸部の小路・東・南吉志部地区が行うもので、秋の収穫に感謝して白蒸し・小判餅・菓子の3種の供え物を神前に奉納する神事である。
祭礼当日は南吉志部、小路、東地区の順で行列を組んでのぼりや供え物を神社に運びます。小路地区では行列に稚児(女児)たちが加わります。稚児は4人おり、萌黄色の着物にしめ縄の帯を締め、かかとの部分に2つの輪が尾のように出た特殊な草履をはき、サンドラと呼ばれる輪を頭に載せた特徴的な出で立ちで、神聖な存在であることがうかがえる。

 由来は神社の裏にある釈迦が池には大蛇が棲んでおり、毎年祭りになると村の娘を大蛇の人身御供に出すことになっていた。後にその大蛇が領主によって退治されると、人身御供の風習は無くなったが、稚児行列はその名残と伝えられています。
 最古の記録は小路地区に伝わる元禄8年(1695)の文書である。
■16日(16:00〜18:00)小路子供会太鼓だし巡行
■17日
南吉志部地区:9:30出発⇒10:00一の鳥居⇒10:30宮入り
小路地区:11:00出発⇒11:15一の鳥居⇒11:30宮入り
東地区:11:00出発⇒11:30一の鳥居⇒12:00宮入り
(14:00〜)例祭
(16:00〜18:00)東子供会神輿宮行き
垂水町1−24−6 垂水神社公式HPへ 5/20、21(毎年) 子供神輿 20日に巡幸
太鼓(宮附け)2台
太鼓=形態的には“枕太鼓"と同じ。元々垂水と北之町にあり奉納後、新調され2班に分かれ子供神輿と共に渡御。
佐井寺1−18−26 伊射奈岐神社 10/連休(元・13) 太鼓1台
山田東2−3−1 伊射奈岐神社公式HPへ 10/連休(元・13) 神輿5社 伊射奈美命、天兒屋根命、手力雄命、天忍熊根命、蛭子命
太鼓1台 昭和54年、16年ぶり復活。
太鼓・神輿保存会により運営。現在は小学4年生が太鼓に乗り、小学生が神輿を台車に乗せて曳く。
往古は氏子(上村、中村、別所村、小川村、下村)ごとに太鼓があったが、戦時中により休止となるうちに、老朽化が進み1台となる。
豊津町38−1 稲荷神社 10/15頃の土日 太鼓(宮附け)
千里山頂上 千里山神社 10/18(毎年) 例祭 大正15年勧請。11:00〜例祭。
江坂3−68−11 江坂神社 10/15(毎年) 子供神輿
太鼓神輿 嘉永6年(1853)制作 
10月15日の昼は江坂祭保存会により子供神輿、太鼓神輿(台車に載せて)の巡行。夜は境内で練りまわし。
太鼓神輿=梵天太鼓である。曽根村長島の神社から、当神社氏子中が譲り受けたと伝えられる。
史料保存館の説明書によると「この太鼓神輿は、墨書から嘉永6年(1853年)に製作されたことが知られます。製作にあたった大工は不明ですが、彫刻は神境町や西奥町の地車を手がけた大坂の彫師小松一門の手によるものです。小松一門とこれらに近い大工によって製作されたものでしょう。
 太鼓神輿の脚部には、雲蟇股、牡丹に唐獅子の彫刻を、高欄には中国の物語を題材とした彫刻をはめ込み、縁框に数多くの馬が活々とした姿で彫り込まれています。各所に飾金具を打ち全体を装飾性豊かに、しかも丁寧に仕上げていることが特徴です。この太鼓神輿から、製作当時の姿と工芸技術の高さをうかがうことができます」とある。
春日3−343 春日神社 10/連休日曜(元・18) 子供神輿
太鼓1台 枕太鼓タイプ
太鼓制作年不祥。昭和41年(1966)を最後に一時休止。昭和59年(1984)、18年ぶりに復活。これは復活前に泉殿神社より子供神輿を借りてきて若竹子供会に曳かせたのがきっかけである。
 【吹田まつり】
 例年7月に吹田市が中心となって企画開催される吹田最大級のイベント。民間企業や市民が積極的に参加している。
 前夜祭は3会場で行われ、南千里会場(千里南公園)では盆踊り。江坂会場(江坂公園)ではダンス、バンドなど。神崎川会場ではドラゴンボートレースが開催される。
 本祭りは7月最終日曜か
8/1日曜開催。会場は高浜町の高浜神社からJR吹田駅前までの旭通・錦通・栄通りなどの商店街。
ブラスバンド、阿波踊り、竹踊り、傘踊り、吹田市労働組合連合会(布団太鼓・子供布団太鼓・女みこし)、南京玉すだれ形式自由の「好いたおどり」など市内の各種団体などのパレードと共に泉殿宮神楽獅子、伊射奈岐神社の太鼓・神輿地車6台(都呂須・西奥町・神境町・六地蔵・川面町・浜の堂)が出る。

 ≪摂津市≫
千里丘3−15−15 須佐之男神社 10/15 子供みこし
枕太鼓 正音寺(現・正雀2丁目)
氏地は旧・味舌村大字味舌上、庄屋、坪井、正音寺。
三島3−9−3 味舌天満宮 10/10 例祭 氏子は旧・味舌村大字味舌下
別府1−1−14 味府神社 10/13頃の土日 子供みこし
太鼓1台
昭和60年、約半世紀ぶりに子供みこしと太鼓が復活。12の子供会をバトンタッチしながら約10kmを巡行した。
鳥飼西2−1−1 藤森神社 10/18 “提灯あげ祭り”
 氏地は旧・鳥飼村全域と旧・味生村大字新在家。
若連中が大提灯や吹き流しをかつぎ、各地区から出かけて参道の入口で落ち合い、伊勢音頭を唄いながら宮入りする。
一津屋2−18−12 味生神社 10/10 神燈、湯立神楽
新在家1−1−23 八幡宮

 ≪茨木市≫
 ■茨木地区
元町4−3 茨木神社 7/13、14(毎年) 神輿1基
神輿7基 子供みこし3基、女性神輿1基、、中学生男女神輿3基
地車1台
枕太鼓2台
 
昔は「島下郡の祇園祭」と呼ばれ、現在は旧・茨木町の28町会(36自治会)、約7000世帯の氏神として、枕太鼓、鳳輦、大神輿、子供神輿、地車が終日氏子を巡行する。
神輿=天保年間(1830〜44)の作。
地車=旧・二の丸町。大坂江戸末期〜明治初期制作。大工は不詳。彫師は相野一門か?。
 ■三島地区
   ⇒西河原、総持寺、田中、太田、耳原、戸伏、中城(現・東総持寺)、鮎川
西河原3−1−2 新屋坐天照御魂神社 10/15 湯立神楽 氏子は西河原、橋の内
総持寺1−16−45 八幡太神宮 10/13 例祭 氏子は総持寺、中総持寺
田中町7−37 天満宮 5/3 子供神輿
子供太鼓台
10/25 例祭
神社境内に倉庫があり。墨書きがある。
倉庫:昭和39年9月建造。岡部吉雄・山崎政三奉納。子供太鼓台:昭和40年4月、堀部富枝奉納。子供神輿:昭和39年4月、上田耕作・中谷磯吉奉納。獅子頭:昭和42年、小林嘉一郎奉納 とある。
庄1−10−6 春日神社 10/14 例祭
元は庄、戸伏の氏神で橋の内2丁目にあり。昭和39年4月に遷座。現在は庄地区の氏神で庄1、庄2、庄栄、三島庄、アービング茨木各自治会が氏地。
戸伏町14 素盞鳴尊神社 例祭 往古は獅子舞
中村町5−7 牟礼神社 7/1日曜(元・25) 子供みこし 枕太鼓、手作り屋台休止?
太田3−15−1 太田神社 12/10 例祭
東太田2−18−4 八阪神社
東太田3−5−32 女九(めく)神社 10/11 例祭
三島丘1−4−29 疣水神社 4/15 湯立神楽 相撲、奉納芝居あった
10/1 例祭
鮎川2−6−45 須賀神社 10/13 例祭
 ■安威地区
   ⇒安威、十日市
安威3−17−17 阿為神社 5/4 神輿
地車3台 大組、中組、西組
布団太鼓1台
渡御は旗2人、太刀持ち、神主、楽人、役員、猿田彦、太鼓台、神輿の順である。
御旅所(耳原2丁目)では地車を並べて仁輪加や歌舞伎をしたが、現在は地車は老朽化のため飾付けのみである。夜は御旅所で神楽を奉納した。
神輿=大組、東組(桑原も含む)、中組、西組の4組のうち2組が交互に隔年で神輿を担ぐ。
寛保3年(1743)制作。
大組⇒地車小屋は神社近く。
=神戸型。明治末期〜大正初期制作。大工は不詳。彫師は平間勝利。大正期に西宮戎神社氏地の喧嘩のため中止になっている地車を購入。8ツコマの外輪。引き出し式舞台付き。大屋根の後ろに桔梗の紋があるので元々は違う神社の氏地で作られた。

中組⇒地車小屋は散髪屋隣り。
=大阪型。明治期制作。大工は不詳。彫師は長谷川亀造。大屋根正面車板裏に墨書き。

西組⇒地車小屋は安威小学校隣り。
=大阪型。江戸末期制作。大工は不詳。彫師は服部清七 他。  
 【地車廃絶】
東組=終戦直後の小屋立ち退き問題で、収納場所が無くなりしばらくは現在のKマートの前の倉庫で保管したが遂に処分された
布団太鼓⇒太鼓蔵は御旅所に併設。
=寛保2年(1742)制作。彫物は大正期に追加。平成7年、太鼓正により修復。修復時に布団を3段を5段にする話も出たが、電線の問題もあり3段のままにする。
元々十日市村の人の村に寄贈の太鼓で鎮守の奉幣神社の例祭(10/23)に練られていたが、明治41年4月5日の合祀で安威神社に宮入となる。
その後昭和9年の室戸台風で太鼓部屋(御旅所の前の道を約100mほど離れた現在は駐車場)が壊れ、屋根も2段どこかに流れた。
こういう種の事情で管理を委ねられ今は隣村の「耳原若中会」により練られている。往時は例祭は5/5、6で安威のKマート前あたりまで担がれたと伝わる。
西安威2−1 大織冠神社 10/16 例祭
祭神は藤原鎌足なので、毎年10月16日には、京都の九条家から使者が来て、反物二千匹を持参し、お祭りをされていた。今でもこの日に例祭が行われる。
 ■福井地区
   ⇒福井、中河原(なかかはら)
西福井3−36−1 新屋坐天照御魂神社
公式HPへ
10/2日曜 布団太鼓1台
福井太鼓保存会=茨木市史第10巻、112ページには「昭和28年(1953)に当時の福井村が購入し、青年団に運行や管理を委託する形で始められた。青年団がなくなったあと、平成4年(1992)からは福井太鼓保存会ができ、現在に至るまで運行や管理をしている」とある。
平成20年(2008)。梶内だんじり店で修復。合わせて提灯、綱 等も新調。掛声は「ヨイサーヨイサ」。

運行は福井・中河原・安威山西地区の全域を廻る。
 ■溝昨地区
   ⇒二階堂(にかいどう)、目垣(めがき)、馬場(ばば)、平田(ひらた)、十一(じゅういち)
五十鈴町9−21 溝昨神社 5/5 春祭り 神輿飾付け、模擬店、巫女の神楽舞
10/14 提灯宮入り
神輿
氏子は二階堂(現・星見町周辺)、目垣(現・目垣・南目垣・新堂1・2目の一部と新堂3丁目)、馬場(現・寺田町・五十鈴町・学園町・学園南町・新堂1・2丁目の一部)、平田、十一(現・玉島周辺)。
往古は高槻市三島江の三島鴨神社の祭神と夫婦神のため両社より神輿が他方の神社へ渡御し、夜に帰還していたが、両社の若中総出で担ぎ、番田川に架かった石橋で両社の神輿がぶつかり、毎年喧嘩が絶えないため、寛永年間(1624〜44)に神輿の渡御が廃絶し、二階堂の山の下に埋められそこを神輿山とも神輿塚と称した。
 ■宮島地区
島1−1−21 葦分神社 10/17 湯立神楽
野々宮2−1−8 天神社 10/25 湯立神楽
 ■豊川地区
宿久庄5−17−1 新屋坐天照御魂神社 10/祝日 例祭 上河原の鎮守
宿久庄7 畑神社 12/10 例祭 畑の鎮守
宿久庄4−22−33 須久久神社 10/16頃の日曜 子供神輿 鳥羽の鎮守
子供神輿=茨木市史第10巻、212ページには「近年、社殿を改築してから宿久々会が中心になって子供神輿を作って地区をまわり」とあるが、社殿竣工記念碑には平成1年10月吉日とある。
宿久庄1−9−1 八阪神社 10/15 例祭 東村の鎮守
行列は今は無い。湯立神楽は昭和16年頃まで行われた。
豊川1−23−1 春日神社 10/連休(元・16) 例祭 道祖本と宿川原の鎮守湯立神楽廃絶。
豊川1−29−5 道祖神社 12/10 例祭
清水2−10−1 春日神社 8/31 ヒアゲ
粟生岩阪680 藤代神社 7/1&10/連休(元・15) 例祭 湯立神楽廃絶
 ■春日地区
   ⇒郡、郡山、畑田、上野、五日市、上穂積、中穂積、下穂積、奈良、倍賀(へか=現・春日)
郡3−21−48 郡神社 7/15 ヒアゲ 献灯祭と称している
10/20頃の日曜 湯立神楽
子供神輿3基 郡、郡山、下井
氏子は郡、郡山、下井、上野、五日市、畑田の6地区でヒアゲも合同で行われ、夕方に6地区の提灯が到着する。各地区の上がる順番は毎年順送りである。
祭日には「春日流チマキ」という神饌を当屋の家が作り、御供は5個つくり、本社と若宮に2個、末社の春日社に1個供える。
子供神輿3基=子供会主催で、昭和50年代初期より始まる。
西穂積町4−3 上穂積春日神社 10/18 例祭
中穂積2−16−34 春日神社 10/20頃の日曜 神輿 江戸期にもあったが、喧嘩のため埋めたと伝えられる。
子供神輿 昭和30年代より
枕太鼓1台 昭和20年代後半より
下穂積3−13−13 春日神社 10/20頃の日曜 ヒアゲ
春日5−6−1 倍賀春日神社 10/17 子供神輿 太鼓
天王1−1−22 奈良春日神社 10/25 ひあげ
南春日丘4−1−44  春日丘神社 10/3日曜 子供神輿
枕太鼓1台
昭和12年、春日丘住宅開発に当たり鎮守の神として松沢池畔の丘上に一宇を建立し、石清水八幡宮から御神霊を勧請し祭祀する。昭和22年現在地に遷座。
 ■三宅地区
   ⇒丑寅、宇野辺(うのべ)
蔵垣内3−5−15 井於(いお)神社
公式HPへ
7/15 湯立神楽
10/19(毎年) 丑寅、蔵垣内、乙辻、太中、小坪井
湯立神楽
太鼓神輿廃絶 宇野辺
氏子は旧・三宅村。現・茨木市の宇野辺、丑寅、蔵垣内。摂津市の乙辻(千里丘東1丁目)、太中(千里丘東2丁目)、東小坪井(千里丘東3丁目)、西小坪井(千里丘1丁目)、鶴野。
例祭日には旧三宅村の字名を入れたや提灯が境内に据えられる。社頭には「御神前」と大書された幡を大きな台に据え置く。
宇野辺=茨木市史第10巻、278ページには「かつて宇野辺には神輿と太鼓神輿が3台あり、宇野辺にあった御旅所へ渡御があったと伝えられる。しかし三宅地域は日照りがきついため、この神輿は吹田市山田の八丁池と交換し、そのため山田には神輿や太鼓があり、その代わりに八丁池は宇野辺のものとなり、神輿・太鼓は出なくなったという」とある。
 ■玉櫛地区
   ⇒水尾(みずお)、内瀬(ないぜ)、真砂(まさご)、沢良宜東(さわらぎひがし)、沢良宜西(さわらぎにし)、沢良宜浜(さわらぎはま)
稲葉町16−26 佐奈部神社 5/17&10/17 湯立神楽
地車廃絶
水尾郷の水尾・堂・小路・内瀬・真砂の5ヶ村の氏神。
地車廃絶=茨木市史第10巻、310ページには「かつては地車や山車が出たといい、五か郷で争いが絶えないため、神社境内の常夜灯の下に埋めたと伝えられている」とある。
美沢町9−27
(旧・沢良宜西599)
佐和良義神社 10/17 湯立神楽 式内社
神輿廃絶
神輿廃絶=茨木市史第10巻、310ページには「昔、茨木川が氾濫し、御神体ごとお社や神輿も川に流されて行き、流れ着いたのが吹田の高浜神社であるという。その後、神様に帰ってきてほしいとお願いしたが、この場所が居心地がよいといってとどまってしまわれた。そこで仕方なく新たにお社をつくり、神輿はそれ以来なく、祭りに神輿は出ないと伝えている」とある。
沢良宜東町1−14 皇大神社 4/15 例祭
沢良宜西1−16−31 素盞鳴尊神社 4/15 例祭
 ■石河地区
   ⇒大岩(おおいわ)、桑原、大門寺(だいもんじ)、生保(しょうぼ)、安元(やすもと)
大岩173 大歳神社 10/2日曜 太鼓 昭和60年、100年ぶりに太鼓巡行
大岩太鼓=大岩自治会館内石碑によると、「享禄元年(1528)に大太鼓三鼓が購入され永禄元年(1558)から太鼓巡行が行われていましたが、明治17年(1884)に途絶え、昭和60年(1985)10月に大岩太鼓巡礼が一世紀ぶりに復活しました」とあり、かつては3台の太鼓台には、四隅に幟と幡を立て、子供が乗って太鼓をたたきながら大岩の各カブを練り歩きながら巡行し、最後に宮入りする行事であったが明治16年(1883)いったん途絶え、昭和60年(1985)に復活した。昭和62年、有志で茨木市大岩太鼓保存会を発足し、その際、太鼓の巡行は太鼓台から自動車に変わり、軽トラックを造花できれいに飾り、太鼓を乗せて大岩内を巡行するようになった。
大岩674 大岩八幡神社 10/10 例祭
桑原 十二神社
大門寺97 十二社権現 10/初旬(元・18) 例祭 往古は湯立神楽、相撲大会があった。
生保138−53 諏訪神社 2/10&10/10 オトウ神事
神輿廃絶
生保=世帯数23、人口89(平成17年国勢調査)の集落だった。安威川ダム建設地のすぐ上流側にあり、ダムで水没するため、全戸移転した。
「安威川報告書」によると、かつては神輿が出ており、荒々しいものであったため川向うの山に埋め、その場所を神輿塚という。
安元251 飯原神社 12/20 例祭
 ■見山地区
   ⇒車作(くるまつくり)、清阪、上音羽、下音羽、長谷、忍頂寺、銭原(ぜにはら)
車作619−1 皇大神宮 7/15 ヒアゲ廃絶
10/15 例祭
清阪205−1 素盞鳴尊神社 7/15&10/15 ヒアゲ
上音羽628 天満宮 7/15 ヒアゲ廃絶
10/15 例祭
下音羽499 素盞鳴尊神社 7/15 ヒアゲ 氏地は下音羽、長谷
10/15 例祭 宮当番が供え物をする
忍頂寺306 八所神社 7/15 ヒアゲ 竜王山へヒアゲが行われる
銭原1023 八幡大神宮 10/15 例祭 昭和40年代までヒアゲが行われた
 ■清渓地区
   ⇒泉原(いずはら)、佐保(さほ)、千提寺(せんだいじ)
泉原123−2 諏訪神社 10/2日曜 太鼓 氏子は東谷、下条、南条
泉原1228 素盞鳴尊神社 氏子は中垣内、西垣内
太鼓=昭和30年(1955)頃に地元の大工が豊能町木代から習って制作。例祭日は以前は12/14で、この頃は親戚を呼ぶくらいだった。
曳行コースは素盞鳴尊神社から中垣内、西垣内を廻り、諏訪神社へ巡行し、東谷、下条、南条を廻り、夕方再び素盞鳴尊神社に宮入りする。
佐保1032 高座神社 7/16&12/16 例祭 氏子は免山、松谷
夏祭りにはヒアゲがあり、太鼓も出していた。提灯立てを昭和30年頃まで行っていた。
佐保1350 言代神社 7/16&12/16 例祭 氏子は馬場
夏祭りにはヒアゲがあり、太鼓も出していた。提灯立てを昭和30年頃まで行っていた。また奉納相撲もあった。
千提寺334 天満宮 7/25&11/23 例祭 ヒアゲ廃絶
 【大池まつり】
イベント開催日は7月最終土日か8/1土日。会場は大池小学校。
土曜は“振れ太鼓”として太鼓、地車を車に乗せて午前中は校区外と大同町、星見町。午後はその他校区内を巡行。日曜は9時より大池小学校〜ジャスコ前を全体でパレード。但し途中で3ブロック(大太鼓、子太鼓、地車)に分かれ11:40へ集合。解散。山車蔵は大池小学校内。

 ≪高槻市≫
 ■高槻地区
野見町6−6 野見神社 10/連休土日 神輿、稚児行列
八幡町2−9 八幡大神宮 10/連休土日 神楽、湯立神事のみ
往古は8/15に神輿渡御あったが、元亀天正年間廃絶。戦前までは神輿庫が残っていた。
天神町1−15−5 上宮天満宮 5/5 神輿 休止
7/24、25 枕太鼓 休止
神輿=慶長10年に神輿装束焼失の責任問題が起こっているのでこれ以前より創建が分る。
昭和24年まで担いでいた。昭和30年頃まで台車に神輿乗せて廻っていた。さらにトラックに乗せて昭和62年まで廻っていたが、昭和63年より飾付けすらしなくなった。現在は鍵が紛失のため神輿蔵開けれず。

子供神輿=昭和30年頃新調。神輿巡幸中止と共に休止。以前はもちつつじを使った花神輿
枕太鼓=昭和35、6年に夏祭りを作ろうと有志が購入するが、2〜3年で中止。永らく絵馬殿に安置されていたが、森 嘉和宮司が着任した平成8年には既に無し。
 ■磐手地区
成合北の町1310 春日神社 5/5 神輿  
馬駈け 三頭の馬が出たが、戦後はしていない
神輿=江戸期の作。明治43年、昭和3年に修復している。
 かつて成合は安満の春日神社(現・磐手杜神社)に参っていた。

子供神輿=昭和63年購入。九州不二サッシの作。
安満磐手町5−6 磐手杜神社 5/5(元・8) 神輿   
枕太鼓 昭和50年頃創建 
馬祭り=市指定民俗文化財。稚児が乗った3頭の馬が神輿とともに練り歩く祭り。馬は毎年出るものではなく、平成6年に24年ぶりに馬が復活した。
それ以降はほぼ毎年、馬が行列に参加しているが、平成22、23年は馬が登場していない。
神輿=明治15年(1882)、小倉神社(京都府大山崎町)から譲りうける。
 先代は成合との分離時に手に入れた小さな神輿。祭礼時にも収納庫に入れたまま。


芝神輿(花神輿)=毎年、氏子総代らによって手作りされる。三箇所の御旅所で休憩して17時まで担ぎ、村のはずれで焼く。以前は池に捨てていた。
枕太鼓=昭和50年頃創建。
山手町1 檜尾山春日神社 5/2、3 神輿 旧・下村の鎮守
布団太鼓
神輿=大きく立派なれど、戦後は担がれておらず、例祭時は扉を開くのみ。子供神輿は布団太鼓と共に曳行される。
布団太鼓=平成7年頃創建。これは神社再建の頃と仰っておられたことからで、子供神輿と同時購入とのこと。太鼓正の作。
■2日:縁日(18:00〜)、カラオケ大会(19:00〜)
■3日:お練り(10:40〜13:30)、縁日(17:00〜)、演芸大会(19:00〜)
古曽部町3−14−16 日吉神社 5/5(元・8) 例祭
元禄年間高槻城主松平紀伊守家信が祭典に乗馬を献じるのを始まりとし、廃藩まで続いた。
川久保727 諏訪神社 11/23 湯立神事、据え太鼓
 ■大冠地区
野田1−12−2 春日神社 10/連休土日 地車1台 慶応4年制作。
野田=北河内型。慶応4年(1868)制作。大工は不詳。彫師は相野音次郎。交野市星田方面で購入か?
東天川1−875 春日神社 10/連休土日 地車2台 東天川、前島
東天川=大阪型。江戸末期制作。大工は不詳。彫師は相野音次郎。高さ4、3m。長さ4、8m。
 昭和29年以降中止されていたが、昭和52年、復活。

前島=大阪型。嘉永7年(1854)制作。大工は不詳。彫師は相野伊兵衛、小松源蔵。昭和55年、50年ぶりに修理。
須賀町14 冠須賀神社 10/連休日曜 例祭 旧・野中村の鎮守
戦前は宵宮(10/15)に馬場の道祖神社(大冠町2−8−13)に野中の幟が宮入りし、境内で余興(漫才など)が行われ、本宮(10/16)に野中・馬場の両字の幟が宮入りしたが、戦後は流鏑馬、犬追物と共に廃絶した。
辻子1−3−4 冠須賀神社 10/連休日曜 例祭
大塚町2−33−19 大塚神社 10/連休日曜
(元・15)
提灯あげ 大正期までは提灯あげしたが、今は境内に飾付けのみ
子供神輿 昭和33年10/1、築山与次衙氏の寄贈
下田部町1−21−27 天満神社 10/連休日曜 例祭
春日町8−14 春日神社 10/連休日曜 神楽
 ■清水地区
西真上1−7−5 笠森神社
萩谷774 諏訪神社
原804 八坂神社 4/1日曜 蛇祭り 正式名は春祭歩射神事
藁で直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで、これを大蛇に見立てて村中を練り歩いたのち、弓で射る。
例祭日は往古は2/8⇒4/8⇒4/1日曜(ただし1日ははずす)。
地区は川東(上条+東条が昭和38年に合併して成立)、中村、下条、西条の4つの垣内が輪番で奉仕。なお城山は氏子総代が正装し参列するのみ。
宮之川原元町1−1 神服神社 5/5 神輿(大小)
神輿=担ぎ手が50人はいる大神輿なので、昭和30年代後半より飾付けになるが、平成21年(2009)、40数年ぶりび神輿担きが復活。

子供みこし=2基あり13:00〜15:00練られる。小学生用と幼稚園用に分けられる。
 昭和56年奉納=山口家具店(山口孝治)奉納・清水屋(入江章雄)奉納。
 ?奉納=アローム(高谷敏雄)奉納。
 ■芥川地区
郡家新町36−1 素盞鳴尊神社 10/連休日曜
(元・10)
子供みこし、布団みこし
子供神輿=昭和63年購入。九州不二サッシの作。以前は手作りみこし。

布団みこし
=新町に3台あり。
 ■如是地区
中川町4−27 庄所神社 旧・庄所村の鎮守
津之江町1−27−1 築紫津神社 10/14 神楽、湯立神事
芝生町1−9−27 八幡大神宮 10/15 例祭
桜ヶ丘南町19−13 春日神社 10/連休日曜 子供神輿 昭和50年代始まる
桜ヶ丘南町19−13 素盞鳴尊神社 10/連休日曜 例祭
 ■阿武野地区
霊仙寺町1181 白山神社 10/連休日曜 例祭
奈佐原元町17−15 殿岡神社 10/連休日曜
(元・13)
例祭
社伝によると奈佐原近在4ヶ村が旱魃に苦しんだ時、神輿を阿武山の山頂殿岡の峰に埋めて降雨を祈願したという。
塚原4−56−1 八幡大神宮 10/連休日曜
(元・13)
例祭
上土室2−798 八幡大神宮 10/連休日曜
(元・13)
例祭
岡本町24−1 白山神社 10/連休日曜
(元・13)
例祭
氷室町6−1−9 闘鶏野神社 10/連休日曜
(元・13)
例祭
宮田町3−5−1 春日神社 10/連休日曜
(元・14)
例祭 浦安の舞廃絶
清福寺町23−2 阿久刀神社 4/2日曜
(元・15)
枕太鼓 昭和61年創建。解体保存。大工は宮司実弟の光藤吉三郎(東京都杉並区)。デザインは宮司次男の丈嗣。
赤大路町11−12 子安天満宮 4/29 例祭
赤大路町42−3 鴨神社 4/29 神楽、献湯 
 ■五領地区
上牧町2−12−12 春日神社 10/連休日曜 神輿廃絶
枕太鼓 子供みこし
氏地は上牧、鵜殿、井尻。
神輿=戦前であるが、祭りの最中に現在の上牧小学校の近くの池にはめてしまった。今も担い棒は残っているらしい。
子供みこし=手作りで毎年出し、交代で曳く。
枕太鼓=昭和60年制作。
萩之庄2−4−1 日吉神社 10/10 神楽、浦安の舞い 氏地は萩之庄、梶原の一部
梶原1−5−12 畑山神社 10/連休日曜 例祭
 ■三箇牧地区
三島江2−7−37 三島鴨神社 10/下旬 高張提灯、奉納演芸
旧・三箇牧村(唐崎、三島江、西面、柱本)の鎮守。
神輿=例祭は神輿が御旅所。現在の茨木市五十鈴町の溝咋神社に神幸し、柱本堤防の上にて水路安全祈願が行われていたが、神幸祭に溝咋神社の神輿と必ず喧嘩がおこり、
戦後は飾付けのみとなるが、昭和60年頃からは飾付けすらしなくなった。なおこの神輿は大正期に新調と伝えられる。
高張提灯=宵宮に宮本の三島江は歩いて伊勢音頭で宮入りする。西面、柱本は車で乗りつけ鳥居前より提灯あげを行う。
唐崎は御旅所に宮入りし、役員のみ宮に来る。
 ■富田地区
富田町4−14−14 三輪神社 10/連休祝日
(元・12)
神輿2基飾付け
献湯式 稚児行列(13:00〜)
手作り山車休止 神社内に保存
神輿(大)=昭和30年代制作。作者不詳。

神輿(中)=昭和42年頃制作。京都の業者の作。

江戸期に神輿5基あったが、抗争のため天神山の塚に埋めたと伝わる。
 ■樫田地区(旧・京都府南桑田郡樫田村)
田能小字コブケ8 樫船神社 10/23前の日曜 子供神輿 稚児行列
子供神輿=昭和52年より始まる。
杉生小字千ヶ谷 春日神社 10/23前の日曜 献灯行事
中畑小字宮町1 大神宮社 10/21 例祭  
二料字鹿爪30 藤井神社 10/23前の日曜 例祭  
出灰小字堂の前 素盞鳴尊神社 10/23 例祭  
出灰(いずりは)の地名は、古来、石灰を産出し、朝廷に納めていたことによるという。
出灰は梅の木原(うめのきはら)、垣内(かいち)、島崎(しまざき)、堂の前(どうのまえ)、西の下(にしのした)、二の瀬(にのせ)、東羅(ひがしら)が分れる。

 ≪三島郡≫
 島本町
広瀬3−10−24 水無瀬神宮 11/21 神楽、湯神楽
山崎1049 椎尾神社 /4、5 神輿
神輿=明治6年10/5、旧・山崎村、東大寺村が京都府から大阪府に編入したので酒解神社神輿3基のうち1基を譲り受ける。
広瀬1497 若山神社公式HPへ /4、5 神輿(大2、小1) 氏子は島本町の広瀬、東大寺、桜井と高槻市神内。
神輿=江戸期の作。大戦前までは練られたが、現在は例祭日でも飾り付けなし。

子供みこし=昭和43年制作。昭和58年までは巡幸。昭和63年現在、飾り付けのみ。
高浜805 春日神社 5/4、5 例祭
尺代667 諏訪神社 5/5 例祭
1/6 弓射神事
弓射神事御頭渡し(まつりごとを司る御頭人の交代)では、新年の無事と五穀豊穣を祈願して弓射神事(大蛇に見立てた大注連縄の的に矢を射る)の後、大注連縄で綱引きを行う。
大沢608 早尾神社 5/5 例祭

 ★展示場
 【吹田歴史文化まちづ くりセンター】
吹田市南高浜町6―21。
рO6−4860−9731。開館時間:9:00〜22:00。休館日:12月28日〜1月3日 。
敷地南端に地車展示場があり、吹田まつりを機会に毎年1台ずつ交代で展示している。

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