大 阪 府

         【摂津】

         池田市、箕面市、豊中市、能勢郡[能勢町、豊能町]

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪池田市≫
綾羽2−4−5 伊居太神社 10/17 宮神輿 境内に保管
地車 新町
布団太鼓 南新町
布団太鼓廃絶 本町、上池田
障子太鼓廃絶 職人町(甲ヶ谷)
剣鉾 有栖川宮下賜の品。
池田市民カーニバルに出すが神社例祭日には曳行なし。
平成21年(2009)は、貼り紙に土曜(17日)の11:00〜15:00にだんじり囃子、出店とあり。
新町=大阪型。文化年間の作?大工、彫師は不詳。明治29年に元新町・北新町の共同購入。60円で購入したという?。
元は千早赤坂村方面より購入。私の推測では上か下東阪。
当時、南新町は布団太鼓を所有しており、神輿当番だった両町で共同購入となり、
岸和田の業者?の紹介で、引き取り場所を決め、新町より4名に行ったが、まず貝塚で泊まり、色街で遊興し買付け資金に手をつけ仲介の岸和田の業者を怒らせて、高額の違約金を払い3日かけて帰った。

 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「飛龍」。
車板;「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「鷲に猿」。
車板:「唐獅子」。

 ≪見送り、腰廻り≫
脇障子、三枚板は「武者物」。
土呂幕:正面は無し。左右と後ろに「波に兎」。
南新町=布団太鼓。
五月山20 愛宕神社 8/24(毎年) がんがら火祭り
7/23、24 例祭 地車廃絶
がんがら火=正保元年(1644)始まった北摂を代表する伝統的火祭り。
愛宕神社で昼間に大護摩が焚かれ、夕暮れとともに重さ約100kg、長さ4mの2本1組の2基の大松明に点火される。その神火は山を下りながら、南斜面の山腹に「大一」の字、東方の大名が原では「大」の字が点火される。
更に伊居太神社前に降りて、2本の松明で「人」の形に組み練り歩く。この際に半鐘や八丁がねなどを叩き、それらの音が「ガンガラ」と鳴ることからつけられた呼び名と言われている。
 【7/23、24の例祭】
享保初年頃刊行の『摂州池田名所記』には愛宕神社祭礼について、「町ごとの作り物、愛宕山での相撲興行、火祭り」の3つよりなり、
また日記帳にはこの他にだんじり、獅子舞が行われたとある。

 正徳6年(1716)7月24日条の『伊居太神社日記』には中之町がだんじりを出したという記載があるが、前年の正徳5年(1715)には「中之町団尻なし」と記載があるので毎年は出ていなかったようだ。
室町7−4 呉服神社 10/下旬 神輿(飾付け) 子供神輿
宇保町6 猪名津彦神社 町内地車1台 池田市民カーニバルしか出さない
鉢塚2−4−28 五社神社 10/2土日(元・13) 太鼓2台 尊鉢、荘園
子供神輿2基
鉢塚=昭和35年に尊鉢、才田が合併して尊鉢になり太鼓も2台になり大きな方を使用。
また小さい太鼓を昭和59年頃に荘園に譲渡。屋根も抜けていたが改修して利用。
住吉2−3−18 亀之森住吉神社
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10/20前日曜 神輿 野玉坂
花笠太鼓 太鼓打ちがみんな花笠を頂くから、花笠太鼓と称す。
10/20(毎年) 例祭 稚児行列
豊中市麻田=毎年出す。欄間の彫物は「兎と亀」、「竹取物語」、「浦島太郎」、「桃太郎」。

組合太鼓(中ノ島、石橋、東市場、野玉坂)=平成8年以来出ていない。

井口堂、宮之前=出ない年もある。
豊島南1−2−9 十二神社 10/連休日 太鼓3台 西市場、北轟木、北今在家
子供神輿2基 昭和50年登場
女性神輿
例祭日は10/22⇒10/4⇒10/11⇒10/10⇒10/連休日曜と変遷した。
往古は兵庫県伊丹市下河原も祭礼に参加。また戦前は十二神社が神田の素盞嗚尊神社に合祀されていたので素盞嗚尊神社で神田の6地区と一緒に祭礼を行っていたらしい。
神田4−7−1 素盞鳴尊神社
(八坂神社)
10/22頃の土日 神輿 あり
額燈6本 脇塚、川原島、北神田、宮之原、中之島、上畠
神輿=宝暦6年(1756)と書かれている。
吉田町1 細川神社 10/23頃の土日 太鼓 北古江、古江、中川原
かつて氏子6ヶ村(伏尾、東山、中川原、北古江、古江)より太鼓が担がれて宮入りしたが、今では各町で曳かれるだけである。
太鼓⇒北古江、古江;中川原(昭和20年代より休止)。他の地区は廃絶。
古江=太鼓あり。大正7年以前は無し。現在は太鼓が出ないので、昭和51年(1976)子供会が提灯みこしを出している。
木部686 天満宮 10/25頃の土日 地車 木部
地車(休止中) 新宅
例祭日は10/25頃の土日。土曜の14:00〜19:00曳行。日曜は飾りつけのみ。新宅は例祭日も扉を開けない。
木部⇒地車小屋は境内に新宅と併設して設置。
=大阪型。明治期制作。大工は不詳。彫師は長谷川亀造。これは三枚板の正面に墨書きがあることより。
平成19年(2007)7月16日、修復入魂式。大下工務店により修復。
明治10年代に天王寺(の業者)より中古で購入。昭和50年頃に約20年ぶりに復活。曳行の主体は消防団⇒保存会に変更。
前の欄干の下からスライド式に舞台が出せる。
 以前は屋根太鼓だったらしい。

新宅=堺型。明治期制作。大工は大佐。
木部と同時期に休止。
伏尾町 神明社 7/2日曜 太鼓 子供みこし
拝殿に樽みこしがブルーシートかぶされ保管。近くにたるみこし部品箱があり、伏尾子供会昭和60年7月新調と記されている。
五月丘3−1 穴織神社 太鼓 解体保存。現在曳行されていない
畑3−15−8 秦野天神社 10/25頃の土日 神輿 あり
太鼓3台 西畑、東畑、上渋谷
樽みこし 呉羽の里、南畑(新興地)
西畑=昭和20年代の作。2代目か3代目。先代は大正期より。
 子供みこしも2基出す。

東畑
昭和初期の作と聞く。3基の中では一番古いとか。また唯一のケヤキを使用。他は檜らしい。地元の大工の作。子供用の手作りみこしもあり。

上渋谷
=祭りは大正にはしていたようだ。その後すたれ、昭和37、8年頃に再興するが、再度すたれるが、台車を付けて昭和47年復活
掛声は“よいさ、そーじゃー”

 ≪箕面市≫
牧落2−12−27 牧落八幡宮 10/3土日 神幸祭 江戸期より続く。天狗の面を付けた若者が練歩く。
布団太鼓1台 5段
朝は子供神輿が各地域を巡行。午後からは女性・華連による布団太鼓、男による大太鼓、神輿が宮入りする。
布団太鼓=平成8年5月、豊中市宮東布団太鼓が新調されたので先代の太鼓を購入。
桜ヶ丘1−8−1 阿比太神社
公式HPへ
10/23前の日曜 神輿
太鼓
手作り神輿 新稲、桜、大同、桜井、桜ヶ丘
宮入りの順は新稲⇒桜⇒大同自治会⇒桜井⇒桜ヶ丘の順で宮入りする。以前は関西電力も宮入りした。
新稲=昭和51年(1976)に水利組合で神輿、その後に太鼓を購入。青年団があった頃は獅子と天狗が各家を廻った。

=提灯、子供神輿、太鼓みこし、獅子神楽、天狗
子供みこし=昭和63年(1988)制作。
太鼓みこし=昭和52年(1977)制作。
 昭和21年(1946)より始まるが、23年で終わり、再度行われるが昭和30年(1955)の巡幸を最後に途絶える。
樽みこし&布団神輿=昭和51年(1976)〜昭和62年(1987)。
半町=太鼓神輿があったが、昭和30年代に道の角を曲がる時に事故が起こり中止となる。
その後桜井地区の商店街が神輿を出すようになる。太鼓は会館に、提灯は車庫の裏に保存されている。

 戦前は青年団が午前5時に神社で御祓いを受けた後、午前中各家を回り、鈴を振って拍子木を鳴らし、獅子舞を舞って神楽を行った。   
新稲3−6−1 八幡太神社 10/1土曜(元・16) 子供神輿 通称は西小路八幡神社
天狗祭り 若衆が扮した天狗や神楽が子供達を追いかけ叩く
子供神輿=8:30頃、神社より西小路北子供会が曳き出す。途中児童公園で、西小路南子供会と交代し、12:30頃に神社に戻る。
8:30〜地域を子供神輿と共に天狗や獅子舞が全家を回る。
各家で、邪気抜い・悪魔抜いをします。天狗と獅子舞は3組あるらしい。
16:00〜:天狗や獅子舞のじゃりで叩かれると元気な子供に育つと言われていて、子供から大人まで誰でも天狗や獅子舞が頭を叩く。
瀬川1−22−20 天児屋根命神社 11/3(元・10/15) 献湯神事 獅子神楽が出た
止々呂美909 止々呂美神社 10/下旬の土日 神輿
地車2台 出ない年の方が多い。
 下止々呂美の地車は三度見ている。一度目は土曜日に飛び込みで見せてもらう。
二度目は平成10年(1998)10/25、京都・亀岡祭りの帰途、偶然見かける。この年は7年ぶりの地車登場で、上止々呂美はこの年も出ていなかった。
三度目は平成20年(2008)で下止々呂美は出ていたが、上止々呂美は出ていなかった。去年は出したので当面はいいような口ぶり。大体5年に1回くらいしか出ないようだ。
掛声は「そら曳いた、曳いた」、「わっしょらえ」であった。
止々呂美=社殿型。弘化2年(1845)制作。大工は辻野林蔵。地車小屋は境内にあり。
大体4、5年に1度曳かれる。

下止々呂美
=住吉型。制作年、大工は不詳。彫師は辻田一門?と言うマニアもいる。地車小屋は個人の敷地。

明治初期に某所より購入。外コマなので神戸方面より購入と思われる。
平成19年に地車保存会が出来て毎年曳くようになる。
幕は箕面トンネル共同企業体の寄贈。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚・車板:「青龍」。

 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「飛龍」。
隣懸魚:「?」。
車板:「獅子」。
 ≪見送り・腰廻り≫
脇障子:「獅子」。
勾欄合:「二十四孝」。
縁葛:「波に鯉」。
三枚板:「獅子」。土呂幕:「波に兎」。
石丸2−10−1 為那都比古神社 10/15 神輿 天保の作と伝えられる 
梵天太鼓1台 休止
氏子は萱野十ヶ村(如意谷、坊島、白島、石丸、外院、今宮、西宿、北芝、芝、稲)。
渡御は氏子の白鳥、今宮、石丸、外院、芝、萱野、東稲、西稲、西宿を神幸式で二日かけて5ヶ所の摂社に渡御したが、御神幸の順番で各村のケンカが絶えず昭和初期より休止
如意谷=お参りに行く程度。東垣内、北内、南垣内の三垣内があり当番制。

坊島
=詳細不詳。

白島
=明治40年6月14日に大宮神社を合祀。合祀前は神輿、太鼓があったらしい。

石丸=明治40年6月14日に三玉神社を合祀。

外院=明治40年6月14日に神名神社を合祀。

今宮=明治40年6月14日に天満神社を合祀。合祀前も神輿、太鼓が無かった。
往古は素人芝居、相撲大会をした。


西宿=明治40年6月13日に神明社を合祀。翌14日に春日神社を合祀。

=明治40年6月14日に木本神社を合祀。

萱野=明治40年6月13日に春日神社を合祀。

東稲=明治40年6月14日に太神神社を合祀。

西稲=明治40年11月4日に太神神社を合祀。場所は現在のライフの所で、合祀の際に、神輿。御神楽の道具をどこかに埋めたと云われている。
粟生間谷2912 素盞鳴尊神社 10/17頃の日曜(西暦奇数年) 太鼓神輿 9:00〜16:00
樽みこし
素盞嗚尊神社は、粟生地域内の楠木神社(奥地区)、天満宮(中村地区)、五字神社(山之口地区)、春日神社(川合地区)、五字神社(外院地区)、春日神社(新家地区)などが合祀された粟生地域の鎮守で、粟生間谷の菩提山に鎮座する。
粟生地区の4つのお社である奥の楠木神社、中村の天満宮、山之口の五字神社、川合の春日神社まで神輿が練り歩く。
太鼓神輿=平成21年(2009)修復。公益信託「みのお山麓保全ファンド」の特別助成を活用し、土台と屋根部分はそのまま維持し、中間部分の獏・張り・擬宝珠などが新調された。
粟生外院5−4−1 五字神社 10/17頃の日曜 太鼓神輿(隔年) 粟生間谷 旧山の口地区の鎮守
明治40年9月に素盞鳴尊神社に合祀。
昭和51年社殿を復興し、秩父神社(埼玉県秩父市)より分霊を授かり、昭和53年9月独立。
太鼓神輿=昭和60年頃より休止。
粟生新家2−1−5 春日神社 10/15頃の日曜 例祭 神輿、太鼓、獅子舞廃絶
小野原西5−3−17 春日神社 10/17頃の日曜 神輿2基、子供神輿2基
太鼓
境内には神輿蔵があり、神輿2基、子供神輿2基、獅子頭2置かれており、ガラスケースで拝見できる。
元・須賀神社跡の御旅所は(小野原西2丁目)にありここまで渡御する。

 ≪豊中市≫
本町7−3−7 豊中稲荷神社 10/18頃の土日 地車 岡上之町
太鼓2台 本町1丁目、新免
布団太鼓1台
神輿 宮山幼稚園
氏地は旧豊島郡新免村に当る。現・豊中市本町、岡上の町、玉井町、末広町、立花町、宝山町である。
岡上の町=住吉型三枚板型式。銘板に「細工人 大阪市住吉区住吉町 下川安次郎」とある。堺から購入したという言い伝えもあり。
平成18年(2006)、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「青龍」。

車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「獅子」。虹梁:「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「大巳貴命、鷲退治」。
隣懸魚:「猿」。

車板:「隠岐廣有、怪鳥退治」。
枡合:「獅子」。
虹梁:「獅子」。
 ≪見送り・腰廻り≫
脇障子:「武者」。
勾欄:「太平記」。
縁葛:「源平合戦」。
見送り:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「毛受照景の勇戦」、左は「毛受勝助の最期」。
土呂幕:花戸口は「司馬温公の瓶割り」、左右・後ろは「武者」。
持ち送り:「猩々」。

 昭和8年に神輿購入するも大門池(現在の大門公園)に神輿を捨てて廃絶か。
 先代は布団太鼓。2年担いで轟に売却するも転売される。
本町1丁目=駅前の地区で、元々は同じ新免村。新免が太鼓休止中なので某所より購入し独立。収納は境内。
 ギャルみこし=御婦人が担ぐ。平成21年(2009)より開始。元々は宮山幼稚園の年長用の神輿。
本来これは本町1丁目が使っていたもので、昭和30年代に旅行先で見つけたらしい。
名古屋の業者の作らしい。

新免(公式HP)(本町2〜9丁目に当たる)収納は境内。
=昭和58年修復復活。33年以来休止していた。大工、購入時期等詳細は不明だが、文政2年(1819)頃の作とも云われている。
宮山幼稚園=神社併設の幼稚園。いわば宮神輿?。一番に宮入り。神輿2基と手作り神輿を園児と父兄が担ぐ。
=解体保存。担ぎ手が少なくて難儀していたが、平成7年(1995)の阪神大震災が主因で、休止となる。
 先代は昭和初期に某所より布団太鼓購入するも大きすぎて昭和32年頃より休止となり、40年代に兵庫の山村(丹波方面か?)に寄贈。
中桜塚1−2−18 原田神社 10/1〜10(毎年) 神額1基 桜塚
町内地車2台 勝部、岡町
布団太鼓5台 山ノ上、走井、原田、今在家、上津島
みこし 岡山、南桜塚、桜塚
 獅子神事祭
市指定無形民俗文化財。10月1日〜10日挙行。「おてんさん」と呼ばれる獅子頭を神の依代として祀り、悪疫退散を願い、氏子の各地区をあげて行われる。
■9月30日
獅子頭(神の憑代)を神輿に載せてを御旅所へ遷す。
■10月1日 獅子の舞初式 20:00〜(境内)
■10月2日〜8日 獅子が氏子12地区を渡御する巡祭日。練り物(太鼓台・地車など)を出すところもある。
■10月9日 宵宮祭。18:00頃に岡町駅周辺に集合。19:00頃より順次、だんじり、布団太鼓、神輿が宮入りされ、全地区が宮入りすると、松明の炎の中で、獅子が様々な舞を舞い踊る。
■10月10日本殿祭。10:00〜。本殿で式典が催行される。
旧・府社。氏地は旧村で言うと、桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井である。
戦前は神額、布団太鼓が次々に宮入りし、大松明に火が点けられ賑ったが、昭和30年代より青年団が解体し寂れたが、昭和56年に巡行が復活し次第に賑やかになった。
勝部=昭和62年(1987)制作。太鼓正の作。長さ4m。高さ2.3m。幅1.3m。
 昭和30年頃までは布団太鼓出していた。


岡町(岡町秋祭り実行委員会)=昭和62年、自治会の土地を豊中市に売却したお金で岡公会堂と太鼓正より町内地車購入。なおこの年は昭和天皇が御病気で翌平成元年より曳行となり、この時に祭りの運営を子供会⇒自治会に変更する。

 往古は神額、子供神輿。布団太鼓。布団太鼓は戦後数年は担がれていたが、廃れて他の村に売却。
 昭和57年、子供会が残っていた子供太鼓の台を使って手作りだんじりに改造して体育の日に曳行する。
その後、10月7日の地区巡祭にも子供会が参加するようになる。
山ノ上=一番最初に神賑として太鼓創建。走井より1、2年早い。

走井
⇒太鼓蔵は無く、解体保存。
=昭和54年創建。太鼓正の作。山ノ井の1、2年後に作られたらしい。平成23年、修復。

原田=昭和62年創建。制作費用は1、000万円。
子供神輿は平成18年頃創建。宮入りはしない。

今在家=昭和54年(1979)、金属製で復活。
 先代は昭和20年代に廃絶。

上津島⇒太鼓蔵は上津島参拝所(上津島2−21)。
=昭和30年代に創建。以前は梵天太鼓。
岡山(曽根東町4・5丁目あたり)
=子供神輿。昭和46年頃に担き手不足のため、庄内南町と交換。
以前は布団太鼓。昭和10年代に淡路より購入。

南桜塚
=昭和61年、40年ぶりに子供神輿制作し復活。
 布団太鼓は昭和20年代に処分。

桜塚=昭和59年ギャル神輿登場。
 【神額】戦前は全ての地区に神額あったが?、今は桜塚のみ。
桜塚=昭和28年、京都の業者より購入。30年代後半より境内のみ担がれたが、昭和55年、大修理して再び担ぐようになる。かつては東西2台あった。

岡町=昭和30年後半より会館に飾られるだけとなり、昭和62年頃に豊中市教育委員会に寄贈する。

山ノ上=かつてあり。
熊野町3−10−1 八坂神社 10/1土曜 台額4台 村を東西南北の4区に分け台額が出る
台額4基(東西南北)が19時から地区まわり、20:00〜頃から宮入り。本宮は10日で神事のみ。
西地区(第二地区)=天保14年(1843)制作。

北地区(第四地区)=弘化2年(1845)制作。

東地区(第1地区)南地区(第三地区)は制作年は不明。
庄内幸町5−22−1 庄内神社 10/2土日 布団太鼓5台 大島鳩恩会、元一自治会、元二自治会、宮東、元二東・新町
神輿 洲到止
10/16、17(毎年) 布団太鼓5台 宮太鼓、親和自治会、島田連合、島江、三和
梵天太鼓6台 島江、島田、栄南、幸和自治会、野田、牛立
枕太鼓1台 東部
独特太鼓1台 五月会
子供みこし 幸一
廃絶 菰江(三国)
子供太鼓(宮太鼓)=五段。昭和35年三国(東菰江)新調。梶内だんじり店の作。三国の太鼓庫が道路にひっかかるので維持出来なくなったので昭和45年頃購入。

親和子供太鼓(庄内西町4丁目の一部と庄内西町5丁目)⇒昭和30年、親和会発足。昭和40年、親和自治会と改称。
=昭和31年創建。平成15年、改修。三段を五段に、幕も新調。16年に舵棒を新調。


島田連合(庄内栄町1丁目)=布団太鼓。詳細不詳。

島江(三和町2丁目)=布団太鼓。明治13年制作。大工は不詳。彫師は前田熊蔵。
 子供太鼓。


三和(三和町2丁目)=布団太鼓。昭和35年三国(東菰江)新調。梶内だんじり店の作。三国の太鼓庫が道路にひっかかるので維持出来なくなったので昭和45年頃購入。
野田太鼓(庄内東町3丁目)=梵天太鼓。昭和23年制作。長らくお蔵入りしていたが、平成11年に18年ぶりに宮入りして以来、毎年宮入りしている。
大歳の銘板付いている。


島田実行組合太鼓(庄内栄町2丁目)⇒鎮守の稲生神社は合祀された。インターチェンジの片隅(名神口2丁目)に記念碑あり。
=梵天太鼓。鎮守が合祀される以前よりあった。島田の大工の作。昭和38年までは青年団で運営。以降は消防団で運営。普段は島田消防団詰所に解体保存。


牛立太鼓(庄内東町5丁目)
⇒牛立会館に保管。戦前は三軒の家で本体、太鼓、幕を分けて預かる。
=梵天太鼓。日露戦争後に、山脇家に全国を修業で廻っていた宮大工に作らさてたと伝わる。彫物も宮大工の作。

島江
(島江町2丁目)=梵天太鼓。青年会太鼓。明治13年制作。今在家制作。上津島の大工の作。彫師は前田熊蔵。欄干:「二十四孝」。

栄南(庄内栄町1丁目)=梵天太鼓。詳細不詳。

幸和太鼓(昭和幸町4丁目)=梵天太鼓。大歳の銘板あり。
平成元年に、神輿と原田神社氏子の岡山の布団太鼓と交換する。
東部自治会(千成町3丁目)=枕太鼓。平成10年(1998)新調。44年ぶり。
 先代は昭和29年(1954)制作。
五月会(島江町2)=屋根付き。山車タイプ。昭和60年代創建。宮田氏の寄贈。宮田氏の従業員だった二見氏の作。普段は解体保存。
菰江(三国)三国の太鼓庫が道路にひっかかるので維持出来なくなったので昭和45年頃に神社と三和に買ってもらう三国には2台あり、同時に買った兄弟太鼓と伝えられる。。
幸一しあわせ子供みこし(庄内幸町1丁目)=平成21年創建。

幸三子供みこし(庄内幸町3丁目)昭和45年頃に庄内東町5・6丁目のニコニコ子供会が牛立太鼓の後を曳いていたが、少子化のために解散となり、倉庫で眠っていた。それを平成21年に譲り受ける。
 【大島地区】
往古は宮入りしたが、今は10月連休に鎮守の洲致止神社(大島2−6)に宮入りする。
大島鳩恩会(大島2丁目)
=明治期に難波付近の太鼓屋の作。神崎川を舟で運んだ。室戸台風(昭和9年)で太鼓小屋と共に破損。昭和26年に10数万円で修復。

元一自治会(大島2丁目)=布団太鼓。

元二自治会(大島2丁目)
=布団太鼓。

宮東自治会(大島町二丁目)
=布団太鼓。平成8年5月購入。
 先代は箕面市牧落の八幡大神宮へ贈られる。


元二東・新町自治会布団太鼓
=布団太鼓。昭和39年頃に元二東と新町の二町会が協力して購入。
庄本町1−2−4 椋橋神社 10/13、14(毎年) 獅子舞
太鼓3台 宮之町、中之町、南之町
■宵宮:各地区巡行、19:00〜22:00、参道担ぎ、宮入り。
 
■本宮:各地区巡行、14:00頃、御旅所から3台連なって15:00ころ布団屋根で宮入りし、その後各地区に戻って太鼓台の布団屋根を外して梵天に取り換える。
19:00〜22:00、梵天屋根で担ぎ、宮入りする。  
元禄年間(1688〜1703)に始まったという説もあるが、最古の記録は文化5年(1808)である。
宮之町(庄本町第一。17軒の当屋で保管)⇒太鼓小屋は神社横。
昭和28年新調。梶内だんじり店の作。2013年、梶内で改修。
明治期制作か?。3段屋根で昭和27年まで担がれた。太鼓小屋に最終年の写真あり。

仲之町
(庄本町第2・3自治会)⇒太鼓小屋は庄内西分団消防車車庫隣。
=平成27年(2015)、締め直し、金物の再メッキ、彫物の洗い、梵天を付ける枠の新調。
昭和55年に修理と倉庫の改修をした。


南之町
(庄本町第4自治会&島町会)⇒太鼓小屋は庄内西小学校横。
=布団太鼓。昭和20年代制作。平成15年、彫忠で改修。
 先代は淡路で制作。戦時中に本体焼失。彫物は各家で保管のため助かる。
戦後、淡路の業者に頼みに行くが、そのころは酒屋に商売替えしていた。
服部南町2−3−31 住吉神社 10/15前の日曜 太鼓みこし4台 辻栄会、中之小路、市場、本郷  
辻栄会(旧称は辻之町)=子供山車。服部南町1、3丁目。

中之小路
=梵天太鼓。服部寿町の大半。梵天太鼓。

市場
=布団太鼓。服部南町2、4、5丁目。布団太鼓。

本郷
=梵天太鼓。服部西町、服部寿町の一部。梵天太鼓。  
豊南町西1−10−36 長島住吉神社 10/16、17頃の土日 梵天太鼓3台 長島、三屋、二軒家
宵宮(土曜):昼、子供による太鼓巡行。18時から宮入り。

本宮(日曜):(9:00〜)宮入り、太鼓奉納。(10:00〜16:00)町内巡行。
長島=梵天太鼓。豊南町西1丁目あたり。

三屋=梵天太鼓。昭和62年、10数年ぶりに復活。庄内東町3丁目あたり。子供神輿もあり。

二軒家=梵天太鼓。
服部元町1−2−17 服部天神宮 10/25頃の土日 子供神輿3基  
宮附の布団太鼓2台 平成になってから休止中
子供太鼓台 西連合子供会
例祭日は10/25頃の日曜で、25日が土曜なら土曜日にする。13時〜16時半まで下記の行列順序で神幸
 【神幸式行列順序】
広報車⇒社名旗⇒先祓い神職⇒猿田彦命⇒金棒⇒先太鼓⇒真榊⇒神職⇒神輿⇒ギャル神輿⇒錦旗⇒神職⇒稚児行列⇒錦旗⇒服部幼稚園神輿2基⇒子供神輿⇒元町子供会みこし⇒本町子供会みこし⇒西連合子供会子供太鼓⇒広報車
利倉1−3−14 春日神社 10/25頃の日曜 町内地車1台  
獅子舞
■宵宮:獅子舞。新しい獅子頭。新興地中心。

■本宮:獅子舞。古い獅子頭。午前中は古くからの氏子。午後は獅子舞と地車。
地車⇒地車小屋は神社境内。
簡易タイプ。昭和59年(1984)創建。彫忠の作。
宮山町1−10−1 春日神社 10/12(毎年) 神輿
枕太鼓休止 内田、柴原
相撲 昭和初期まであった
11:00より神事。14:00〜21:00まで神楽奉納。17:20〜18:00はだんじり囃子奉納。
内田…昭和30年頃より休止。平成16年に倉庫に保存されてたのを修理し、宮付きの形で神社境内に据えて奉打している。

柴原…昭和20年代後半より休止。地区の学習塾に保存されているという。
野畑、小路、内田、柴原、北刀根山、南刀根山の桜井谷6ヶ村の氏神社。さらに宮山・永楽荘が入った。野竹会(春日町5丁目)、つつじ会(宮山地区)も氏子に入ったが現在は離れている。
上新田1−17−1 上新田天神社
公式HPへ
10/連休土日 子供神輿2基
屋根太鼓1台  
天明元年(1781)、御旅所が建立され神輿、太鼓、金幣の巡行が始まる。
長興寺北2−3−43 住吉神社 10/連休土日 花太鼓1台 神楽奉納
若竹町1−22−6 住吉神社 10/中旬
(元・15)
神輿、子供みこし
獅子舞 小曽根地区が奉納
小曽根=神輿、子供みこし。

若竹(石蓮寺)
=子供みこし。

北条
=手作り山車、神輿、子供みこし。


北条東=子供みこし。
浜1−8−23−8 南郷春日神社 10/連休土日 子供みこし
 ≪能勢郡≫     
 能勢町
地黄399 野間神社 10/15頃の土日 神輿
地車7台 全て能勢型。
獅子舞 野間出野
元々は10/12〜15の4日間地車を曳いていた。今は15日に近い土日。全町はなかなか揃わない。4年ごとに集まることになっているが、そんな年でも村に御不幸があれば、その村は遠慮するからである。
 【平成29年(本祭り)の行事予定】
◎宵宮
(18:00〜)宮入り。神社に据え置き
(19:00〜)獅子舞の奉納
(21:00〜)演芸
◎本宮
(18:00〜)御旅所に宮入り
(18:45〜)獅子舞の奉納
(20:30〜)演芸
地黄=社殿様。地車小屋は町会館横。毎年出す。
 先代は森上に売却。

中村鎮守は天王山神社。地車小屋は町会館横。
=社殿様。弘化年間の棟札あり。毎年出す。


稲地
⇒鎮守は稲荷神社。地車小屋は町会館横。
=社殿様。明治中期の作。毎年出す。
 先代は栗栖に売却。


出野
⇒鎮守は岩崎神社。地車小屋は町会館横。社殿様。毎年出す。

大原⇒鎮守は来見神社。地車小屋は境内、町会館横。
社殿様。本祭以外は飾付のみ。本祭時もトラックにて牽引。

西村=地車小屋は町会館横。社殿様。

平成28年(2016)新調。宝塚の大工の作。
松だんじり=宮だんじりに相当。全地車が集結する年に出される。曳き手は地黄の南側の人。平成13年新調。コマは御所車タイプ。
 先代もあった。
野間出野の獅子舞=能勢頼次が、関ヶ原の戦に徳川方となって参戦し、功を立てて旗本となって帰国したとき、地元の人々がその功を讃え、また氏神に秋の収穫を感謝し、奉納したのが起源と伝えられている
倉垣989 倉垣天神社 10/15 例祭   
森上103−1 岐尼(きね)神社 10/日祝 神輿
地車3台 能勢型[森上] 幕式[今西、栗栖]
太鼓7台 長谷、山田、神山、上杉、稲地、垂水、平野
森上=能勢型。地黄より購入。

今西
=幕式。

栗栖
=幕式。稲地より購入。
【毎年奉納】長谷、山田、
【当番の年に7年ぶりに出す】神山、上杉、稲地、垂水、平野
下田尻162 原林神社 10/15 神輿 車が付いた神輿を子供が曳く
宿野270 久佐々神社 10月 神輿
山辺1618−1 山辺神社 10/連休 神輿 子供みこし
太鼓1台
獅子舞
山辺神社の獅子舞=町指定無形民俗文化財。歌曲の調子などから室町時代以前に遡るさかのぼるものと考えられる。その昔、山辺村や山辺神社と関係の深い剣尾山には魔物が住んでいたといい、天魔を追い払うため、豊年を感謝する秋祭りに獅子舞が奉納されてきたと伝えられている。
天王43−1 高皇産霊神社 10/連休(元・19) 地車1台 1つ屋根、ゴムタイヤ  

 豊能町
木代1556 走落神社 10/中旬の土日 地車1台 木代
太鼓4台 余野、野間口、川尻、切畑
木代=堺型。大工は不詳。彫師は西岡弥三郎。地車小屋は境内。
当番町のみ出る。平成15年は切畑。切畑=昭和24,5年創建。
吉川936 八幡神社 10/15頃の日曜 太鼓1台  
梵天太鼓=拝殿横に保管。平成14年復活
高山1226 住吉神社 10/15頃の日曜 神輿
太鼓1台 4年に1回
獅子神楽
消防団が中心になり、神輿を担いだり、太鼓、獅子舞で御旅所の2社を廻る。
牧西口1−6 大歳神社 10/16頃の日曜 神輿、獅子舞
寺田上東谷15 大歳神社 10/14頃の日曜 例祭

 ★展示場
 【吹田歴史文化まちづ くりセンター】
吹田市南高浜町6―21。
06−4860−9731。開館時間:9:00〜22:00。休館日:12月28日〜1月3日。
敷地南端に地車展示場があり、吹田まつりを機会に毎年1台ずつ交代で展示している。

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