堺市 ≪西区≫ 

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
浜寺石津町中4丁12−7 石津太神社
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10/2金土日 神輿 なし
布団太鼓6台 西地蔵会、北若仲、石津若仲、川向、十三町会、東若仲
布団太鼓廃絶 中若会、戎会、豆田仲
地車廃絶
 ≪行事予定≫
■金曜

(19:30〜)各太鼓中 代表安全祈願
(20:00〜21:40)6台太鼓台、20分間隔で宮入り

■土曜
午前中に各太鼓仲宮出
(18:25〜19:55)石津川駅前ロータリーにてイベント。二部制で入場。セレモニー。
(19:40〜)6台でべら合戦
(20:15〜)駅前通より公民館前までパレード。
(21:10〜22:10)6台太鼓台、10分間隔で宮入り

■日曜
(8:00〜)各太鼓仲宮出し、担ぎ合い
(19:00〜)コノミヤ前より石津太神社前までパレード。6台による担ぎ合い(ベラ合戦)その後、自町へ移動
(22:00)終了
神輿は昭和末期、2〜3年大阪府神社庁よりリースで借りるが、人気無く根付かなかった。
西地蔵会⇒神社の背後(海側の和歌山側)。太鼓部屋は南海高架横。
=平成27年(2015)8月30日、新調入魂式。3代目。大工は板谷工務店。彫師は賢申堂。
飾金具は(株)仁科旗金具製作所。刺繍は(株)金倫。
狭間:正面は「天の岩戸」、右は「石川五右衛門 千鳥の香炉盗り」、左は「北畠顕家 石津合戦」、背面は「刃傷 松の廊下」。

 初代は昭和26年網元である宮田氏が個人的に購入し、昭和46年より発足。出島の船大工の江戸福の作。16年間使われ現在は某氏が保管されている。
 先代は昭和62年(1987)制作。二代目。大工は池田建設(淡路島)。平成8年同じく池田建設により改修。
平成26年(2014)10月26日、昇魂式。現在は板谷工務店で保管。
北若仲=平成18年(2006)6月4日、新調入魂式。大工は井上工務店。彫師は木下一門。
狭間は「函館五稜郭奮戦」、「西南戦争」、「江戸開城の段」、「白虎隊の最期」。
金綱、房は坂田商店。

 昭和49年に「梶内」より購入で「北子供仲」と称した。平成になり休止したが、平成7年に「北若仲」として復活。新調につき本体は木札になる。
石津若仲=昭和3年堺市百舌鳥梅北町新調。平成元年「梶内」より購入。彫師は開正藤。平成13年「梶内」で修復。
狭間:正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「桜木に歌を詠む児島高徳」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、後ろは「楠公子別れ櫻井の駅」。
虹梁は「富士の巻狩り」。

 初代は昭和61年に「太鼓正」より購入。大工&彫師は田中忠。63年に浜石に売却。現・緑ヶ丘。
川向=宮入り4番。平成5年(1993)購入。明治末期に開口神社氏子の東大甲新調。⇒百舌鳥の土師町(昭和5年〜)⇒福田の西中(昭和24年〜)⇒阪口氏(平成4年)⇒川向へ。彫師は平間勝利。平成12年梶内だんじり店で修復。
枡合:正面は「神功皇后三韓征伐」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「忠信碁盤投げ」。後ろは「大磯五郎大磯驀進」。

 初代は昭和45年に長谷川忠男氏所有の太鼓台を“川向子供若仲”と称して出したことに始まる。この太鼓台は今も長谷川宅で保管されている。
 2代目は昭和53年に「梶内」より購入。3代目所有者だった阪口氏と交換。現在は八尾市大竹の子供太鼓台。
十三町会⇒石津川駅前ロータリー周辺地域の有志が集まり運営されている太鼓台であり、駅前ロータリーが浜寺石津町第十三町会に含まれていることから、この会名が付けられている。太鼓部屋は南海高架下。
=平成19年(2007)9月30日、購入入魂式。東大阪市出雲井・鳥居より購入。淡路型。彫師は川原啓秀。
出雲井・鳥居では大正15年〜平成18年まで80年使われた。大正15年の購入費は1710円20銭だった。

 初代は昭和60年に面ノ博氏の手作り太鼓を出した。当時は夕日子供会が主体で「夕日の太鼓」と呼ばれていた。現太鼓購入で大仙小学校に寄贈。
 二代目は平成元年に「太鼓正」より購入。平成7年、町民によりたがやを4段に改修。

 花車=高石市より購入。祭りの時の事務所として使われたが平成19年(2007)10月14日、解体。
私事ではあるが、この日ホテルに祭りともだちを迎えに行くと、(当時は10/1金土日例祭日)人が集まっており声を掛けると今からつぶすとのことで、見ることにするが、金綱切ったところで気の毒で陶器秋祭りに向かった。
東若仲=平成15年購入。
先代は昭和63年淡路の業者より購入。その2年前よりリースで出していた。
 【廃絶】
中若会⇒公民館の北側。
 初代は昭和26年頃、網元である浜川氏(喜八)が購入した個人所有の小太鼓を昭和47年に譲り受けて始まる。
 二代目は昭和53年、梶内だんじり店より購入。休止の後、復活するも平成5年の昼が最後。現在は諏訪ノ森の保育園にあるらしい。

戎会⇒神社の背後(海側の大阪側)。
=昭和48年購
入。請負は「太鼓正」。大工&彫師は田中忠。平成3年まで担がれた。その後、北加賀屋方面へ。

豆田仲=祭り好きの一家が友人も交えて曳いた小型の太鼓台。数年続いたらしい。
ちなみに私は昭和59年(1984)に見た。
 【歴史】
祭りの始まりは地車で江戸末期にはあったと言われており、明治中期に他町との喧嘩で大破され消える。

空白期を経て大正8年に太鼓台。昭和8年に2代目の地車(菱木白木⇒高石市5区⇒下石津へ)を購入。1つの村に地車と太鼓台があり、好きな方に参加出来まさしく祭りのパラダイスであった。しかし老朽化と祭りの下火により、昭和35年頃に祭りの存続のアンケートが取られ廃止意見が多く地車も太鼓台も解体されて羽衣にある「ゲテ風呂」に売却された。
 現在の祭りの再開は昭和45年の「川向子供若中」の発足に始まり、46年の「西地蔵会」、47年の「中若中会」、48年の「戎会」49年の「北子供仲」、51年の「石津若中」と拡大していった。
浜寺船尾西1丁65 諏訪神社 10/3、4   神輿
地車廃絶 平成5年に焼却処分
 【地車廃絶】 
大正初期作の地車。大工は河村新吾。彫師は彫又一門。泉大津市我孫子の先々代地車は船尾に売却と伝わるが?しかし昭和25年の祭礼時に屋根に多数の人が乗っており、松の木にぶつかり多数の負傷者がでてから休止保存し、地蔵尊隣りの地車小屋用地を返却要請があり、平成5年に焼却処分。
なお埃まみれの彫物が取り合いになったと聞く。

 大阪毎日新聞の明治40年10月4、5日の記事に地車の衝突として「10月3日、16時に船尾村の地車が小栗街道の土橋を越えようとして、市村へ挨拶なしに入ってきたので、喧嘩となり、市村は2名死亡、瀕死2名、重軽傷者7名を出し、このため警察は4名を拘留したとある」。

津久野町3−20−25 踞尾八幡神社 10/1金土日 神輿
地車6台 神野組、下田組、 大東組、 宮山組、中組、西組
「大佐地車請取帳」には明治12年に340円。明治14年に330円で「住吉大佐」から2台の地車が売却されている。
旧・踞尾村6ヶ村のいずれかは記載されていないが、金額から地車は新調時で、現在の津久野には無い。
土曜の午前中に宮入り。下田町・西組・宮山組・中組・大東組・神野町の順番で毎年固定。
宮山組=折衷型。平成5年(1993)制作。平成6年(1994)5月3日、完全完成入魂式。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は松並義孝。
平成25年(2013)4月7日、修復入魂式。北本工務店による。肩背棒廻りの修理を行う。
平成29年(2017)7月2日、修復入魂式。北本工務店による。灰汁洗い、彫刻繕い、錺金具鍍金直し、妻台の入替え など。
長さ(担い棒含む)4.14m。大屋根幅2.32m。内幅1.18m。高さ3.8m。
 ≪大屋根廻り≫
箱棟:「夫婦龍」。
飛檐垂木:「三つ巴の紋」。
地垂木:「唐獅子」。
隅尾垂木:「龍」。
隅木:「波濤・三つ巴の紋」。
懸魚:前は「義経、踞尾八幡神社に鞍を奉納する」、後ろは「阿龍・吽龍」。
桁隠し:前は「向馬」、後ろは「牡丹」。
車板:「源頼政鵺退治」。
枡合:右は「村上義光、錦の御旗奪還す」、左は「天の岩戸」。
枡組:「松に鶴、梅に鶯」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
横槌:正面は「龍」、左右は「松に鶴、梅に鶯」。
虹梁:正面は「牛若丸、鞍馬山修業」、右は「八幡太郎義家、安部貞任を討つ」、左は「石橋山合戦」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「弁慶雄姿」。
柱巻き:「夫婦龍」。
勾欄合:「十二支」。
縁葛:「「一ノ谷合戦」。
小連子:「富士の巻狩り」。
土呂幕:正面は「景清錣曳き」、右は「巴御前の勇戦」、左は「為朝の剛弓」。
松良:「倶利伽羅合戦」。
犬勾欄:「牡丹に唐獅子」。
水板:「波濤に千鳥」。
台木:「波濤に玄武」。
猫木:「波濤」。
仕切り板:上は「松に大鷹」、下は「竹に白虎」。
後舞台柱:「鯉の滝登り」。
 ≪小屋根廻り≫
箱棟:「龍」。
飛檐垂木:「三つ巴の紋」。
地垂木:「唐獅子・獏」。
隅尾垂木:「龍」。
隅木:「波濤・三つ巴の紋」。
懸魚:「平教盛の最期」。
桁隠し:「麒麟」。
車板:「五条大橋の出会い」。
枡合:右は「長年公天皇を救う」、左は「櫻井の別れ」。
枡組:「松に鶴、竹、梅に鶯、牡丹、龍、唐獅子」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
横槌:正面は「龍」、左右は「松に鶴、竹に雀」。
見送り虹梁:正面は「牛若丸、鞍馬山修業」、右は「義経、八艘飛」、左は「黄瀬川の対面」。
後木鼻:「唐獅子」。
脇障子物見:「牡丹に親子獅子」。
脇障子兜桁:「朱雀・三つ巴の紋」。
竹の節:「親子獅子」。
摺出し鼻:「一ノ谷合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子:「一ノ谷合戦」。
大脇:「鵯越の図」。
見送り天井:「鶴」。
犬勾欄:「波濤に玄武」。
 ≪後腰廻り≫
後連子:【七福神】正面は「福禄寿・弁財天・寿老人」右は「毘沙門天・大黒天」、左は「恵比須・布袋」。
後土呂幕:正面は「都平安城外勇戦之図」、右は「那須与一扇的打ち」、左は「壇之浦赤間合戦」。
下勾欄合:「松に鶴、竹に雀、梅に鶯」。
幟台:「鯉」。

 先代は江戸期に庄屋が寄贈したと伝わり、現・尼崎市大官町。
大東組=平成17年(2005)9/4、新調入魂式。大工は北本工務店(北本信広)。彫師は木下彫刻工芸。
長さ4、27m。大屋根幅2、32m。高さ3、79m。
 
≪大屋根廻り≫
鬼板:「鏡に獅噛み」。
懸魚:「雲海」。
二重桝合:「神功皇后 応神天皇平産す」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后三韓を征す」、後ろ正面は「?」。
虹梁:「波千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「岩に弁財天、雲に鶴、波に千鳥」。
枡合:正面は「児島高徳 櫻木に詩を詠む」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「源 義経」。幟台:「獅噛み」。
松良:右は「頼光 大江山木渡り」、左は安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛は三組とも「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「宇治川の先陣争い」、右は「義経八艘飛び」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
小連子:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「楠木正行 如意輪堂の場」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「巴御前」、左は「湊川 楠木正成の勇戦」。
大脇:「大坂夏の陣」。
大脇物見:右は「源義経の腰掛け岩」、左は「源義経御札書・馬鞍奉納」。
後縁葛:正面は「木下藤吉郎 屈辱の場」、右は大徳寺焼香の場」、左は「清洲登城」。
後連子:正面は「高松城水攻め」、右は「尼崎の難」、左は「明智光秀の最期」。 
後水板:「波に兎」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「光明寺の場」、左は「日吉丸誕生」。
脇障子:「大坂夏の陣」。
竹の節:「獅子」。
大脇・摺出し鼻は「大坂夏の陣」。


 初代?(三先代)は同町の岡本建材店?にて焼却処分と云われる。
 先々代は堀上から購入し隠に売却。現・尼崎市松原。
 先代は折衷型。昭和59年9/2新調入魂式。平成16年(2004)11/7、昇魂式。北本工務店で修復後、河内長野市西代へ。
神野組=岸和田型。平成11年(1999)9/5、新調入魂式。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下健司)。
長さ4、07m。大屋根幅2、47m。内幅1、18m。長さ4、07m。
彫物図柄は正面は「毛利元就」、右側は「川中島の合戦」、左側は「信長公記」。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「元就の奇計」、右は「武田の軍標」、左は「桶狭間の合戦」、後ろは「秀吉 光成との出会い」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「高松城水攻め」、右は「秀吉 尼ケ崎の難」、左は「小栗栖 光秀の最期」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「武内宿禰」。幟台:「獅噛み」。
松良:右は「月山富田城攻め」、左は「本能寺の変」。
縁葛:正面は「元就夜討ち」、右は「勝千代 怪物」、左は「小谷城 お市の方救出」。
大連子:正面は「有田合戦」、右は「千曲川 武田信繁の最期」、左は「姉川の合戦」。
小連子:正面は「元就 相合元網を討つ」、右は「謙信 琴弾き」、左は「石山本願寺の合戦」。
土呂幕:正面は「厳島の合戦」、右は「川中島の合戦」、左は「長篠の合戦」。
見送り、脇障子、大脇、摺り出し鼻は「灘波戦記」。

 先代は大正3年に住吉区遠里小野より購入し平成10年(1998)11/3、曳き納めし西淀川区姫島へ。
 大佐の「地車請取帳」の大正13〜14年の項に「泉北郡つくの村 字神の 西尾様」とある。作事(修復)したと思われる。
下田組=岸和田型。平成13年(2001)5月27日、新調入魂式。
大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は木下彫刻工芸、木彫岸田、小西彫刻、山本彫刻工芸、木彫近藤。
長さ4.2m。大屋根幅2.53m。内幅1.21m。高さ3.83m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に獅噛み」。
懸魚:前は「波、千鳥」、後ろは「波」。
車板:「雲に枡組」。
枡合:正面(上)は「野見宿禰、当麻蹴速を蹴り倒す(相撲のはじまり)」、(下)は「神功皇后 応神天皇平産す」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇 東征」、後ろ正面は「天の岩戸」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「応神天皇」。幟台:「獅噛み」。
松良:【源平合戦】右は「鵯越えの坂落とし」、左は「倶利伽羅谷の合戦」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「松の廊下」、右は「吉良上野介の討取り」、左は「清水一学の奮戦」。
大連子:【灘波戦記】正面は「真田幸村、家康本陣に突入」、右は「後藤又兵衛の奮戦」、左は「木村重成の奮戦」。
小連子:【太平記】正面は「湊川の合戦(楠正成)」、右は「石津の合戦(北畠顕家)」、左は「四條畷の合戦(楠正行)」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「平重盛 源義平の血戦」、右は「平清盛の怨霊退治」、左は「義経八艘飛び」。
後縁葛:「伊勢彫に唐草」。
後連子:「関ヶ原の合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「岩に弁財天、雲に鶴、波に千鳥」。
枡合:正面は「源義経・伊勢三郎・弁慶」、右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の戦い」。
見送り虹梁:【信長記】正面は【本能寺の変」、右は「山崎の合戦」、左は「桶狭間の合戦」。
脇障子:【賤ヶ岳の合戦】右は「秀吉 岐阜より帰る 三振りの太刀」、左は「片桐且元三人刺し」。
竹の節:右は「風神」、左は「雷神」。
大脇・摺出しは「賤ヶ岳の戦い」。

 先々代は大庭寺⇒毛穴町⇒下田⇒太鼓正へ。現存せず。
 先代は昭和57年毛穴町より購入し新調に伴い同市うぐいす谷へ。
中組=平成19年(2007)9月17日、新調入魂式。
原木祭は平成16年(2004)4月11日。
大工は(有)隆匠(田中隆治)。彫師は木彫 山本(山本仲伸)・木彫 筒井工房。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「踞尾八幡神社(巴紋)」。
懸魚:前は「波濤、開雲に旭日」、後ろは「波濤」。
飛檐垂木・地垂木は「社紋」。
桁鼻:「雲に花鳥物」。
車板:正面は「鍾馗」、後ろは「鳳凰」。
小屋虹梁:前は「鍾馗より逃げる鬼」、後ろは「雲海」。
枡合:【日本神話】正面は「天の岩戸」、右は「八岐の大蛇退治」、左は「野火の難」、後ろは「義経 武運長久祈願」。
隅出す:「大国主命」。
虹梁:「波に千鳥」。
勾欄合:「大江山酒呑童子退治」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板・隅木・飛檐垂木・地垂木:「踞尾八幡神社(巴紋)」。
懸魚:「波濤」。
車板:「組物」。
小屋虹梁:「鳳凰」。
枡合:正面は「黄帝」、右は「神功皇后 踞尾山宿営」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
台輪:「伊勢込み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇・摺出し受け:「堀川夜討ち」。
見送り虹梁:正面は「義経、弁慶五条大橋の出会い」、右は「静御前、鶴岡八幡宮の舞」、左は「義経、伊勢三郎主従の出会い」。
大脇物見・竹の節:右は「琴高」、左は「王子喬」。
脇障子物見:右は「夫婦獅子」、左は「子供獅子」。
見送り木鼻:「花鳥物」。
兜桁:「踞尾八幡神社(巴紋)」。
摺出し鼻:右は「職人技 彫物師」、左は「職人技 地車大工」。
 ≪後腰廻り≫
縁板・水板:「波に龍」。
縁隅木:「踞尾八幡神社御神紋、町名「中組」。
後連子:【屋島合戦】正面は「景清錣曳き」、右は「佐藤嗣信の最期」、左は「那須与一 扇の的」。
半松良:【子抱き鬼】右は「阿形」、左は「吽形」。
幟台:「武蔵坊弁慶」。

 先々代は西組と共有。宮山組の個人に売られ家の軒にされているという。
 先代は堺型。江戸末期住之江区安立5丁目新調。大工は河村新吾。彫師は相野一門。
明治11年、大佐11代目、川崎仙之助により改修。その時に彫又一門が彫物付け足す。明治44年住之江区安立5丁目より購入。平成15年、大下工務店で修復。
 エピソードとしては昭和27年頃里帰りとして安立5丁目で曳かれたこともある。行きは曳いていったが、帰りは途中で疲れたので、牛に曳かせて帰った。
和泉一之宮である大鳥大社に参拝したいという声があがり、大鳥大社に一度だけ宮入りした。
府道13号線を北上し堺東駅のあたりまで行くが、機動隊が出動の騒ぎになった。
この地車は新調に伴い、平成18年(2006)11月5日、昇魂式の後、富田林市東板持へ売却。現・門真市打越。
長さ3、46m。大屋根幅2、32m。内幅2、32m。高さ3、78m。
西組=平成19年(2007)7月22日、新調入魂式。
大工は植山工務店(佐野和久)。彫師は近藤晃。
長さ4.16m。大屋根幅2.43m。内幅1.18m。高さ3.76m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に踞尾八幡神社紋」。
懸魚:正面は「波に旭日と富士山」、後ろは「波」。
車板:正面は「雲に宝珠をつかむ青龍」、後ろは「雲に夫婦麒麟」。
小屋虹梁:【唐子遊び】正面は「書画の手習い」、後ろは「音曲遊び」。
桁鼻:正面は「雲に鶴」、後ろは「牡丹に蝶」。
隅出す:「仙人多数」。
横槌:「松に鶴・竹に雀・梅に鶯」。
枡合:正面は「須磨寺 若木桜の高札」、右は「義経、白龍昇天」、左は「牛若丸、熊坂長範を討つ」、後ろは「鞍馬山」。
下がり:「雲」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に踞尾八幡神社裏紋」。
懸魚:「波(奥板に「鯉に捕える渡辺番」)」。
車板:「竹に虎」。
小屋虹梁:【唐子遊び】「囲碁遊び」。
枡合:正面は「静の舞」、右は「吉野山合戦」、左は「熊野別当湛増、闘鶏にて意を決す」。
横槌:「花鳥物」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「力士の立ち姿」。
勾欄合:「鳥づくし」。
縁板:「地模様彫り」。
松良:【頼光四天王】右は「酒呑童子大血戦」、左は「大江山入り」。
縁葛:正面は「源経基、鹿を討て高名す」、右は「源義朝の最期」、左は「黄瀬川の対面」。
大連子:正面は「多田満仲朝臣、住吉の示現により大蛇を亡す」、右は「白河殿合戦 鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「源頼朝、八牧舘夜討ち」。
小連子:正面は「曽我兄弟 工藤祐経を討つ」、右は「常盤母子、平清盛入道に謁見す」、左は「宇治川の先陣争い」。
土呂幕:正面は「衣川の合戦 八幡太郎義家、安倍貞任を討つ」、右は「待賢門合戦 悪源太義家、平重盛奮戦」、左は「粟津の合戦 勇力巴御前」。
水板:「波に兔」。
松良受は「若葉」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷合戦」。
見送り虹梁:正面は「源頼朝、平家追討の院宣を賜る」、右は「平清盛、経ヶ島に落日を呼び戻す」、左は「平清盛、布引の滝遊覧」。
脇障子:右は「一ノ谷落城、安徳帝脱出」、左は「生田の森 河原兄弟一番乗り」。
大脇物見:右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「日本武尊、熊襲を討つ」。
木鼻:「牡丹菊」。
大脇竹の節:右は「神功皇后」、左は「応神天皇を抱く武内宿禰」。。
摺出し受:【一ノ谷の合戦】右は「鷲尾三郎」、左は「伊勢三郎」。
摺出し鼻:右は「静の舞」、左は「義経 弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「地模様彫り」。
縁葛:正面は「平重衡、囚人と成りて千寿前と琵琶を弾く」、右は「平景清、錣曳き」、左は「平教経の最期」。
後連子:正面は「義経、梶原影時 逆艪争い」、右は「佐藤嗣信の最期」、左は「壇ノ浦海底の図 『碇知盛』」。
半松良:右は「駒王丸、木曽山中天狗退治」、左は「樋口次郎兼光、白猿退治」。
水板:「波に兔」。
幟台:「猩々」。


 先々代は中組と共有。宮山組の個人に売られ家の軒にされているという。
 先代は東大阪市の個人に売却。住吉型板高欄出人形型式。明治末期購入。大工は大佐11代目川崎仙之助。彫師は彫又一門。
平成4年改修。
昇魂式は平成18年(2006)10/9。
購入先には諸説ある。大鳥の建材屋で野ざらし。野田の先々代または住吉区上住吉説もある。私は住吉区上住吉説を採りたいが。
銘板は「細工人 住吉大佐」。
 ≪大屋根廻り≫
桝合:「牡丹に唐獅子、谷越獅子」。
虹梁:「松に鷹」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷹」。
桝合:「牡丹に唐獅子、谷越獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
板勾欄出人形:「昇龍、降龍」。
縁葛:「草木流水、波に兎」。
見送り(三枚板):正面は「漢の高祖、龍退治」、右は「獅子退治」、左は「大巳貴命(おおなむちのみこと)大鷲退治」。
上野芝向ヶ丘町1−10−12 向ヶ丘八幡宮 10/1日曜 神輿 獅子舞
地車1台
4/最終日曜 子供布団太鼓
向ヶ丘は阪和電鉄の分譲地で昭和7年に自治会誕生。
向ヶ丘八幡宮は昭和28年に正式に神社として公認される。この年の7月27、28日に記念大祭で花火大会、神輿、太鼓が出た。
それ以来神輿、子供地車、子供布団太鼓、獅子舞を出し、15時より餅まき。
地車⇒地車小屋は向ヶ丘町4丁2−67(自治会館敷地内)。
=平成20年(2008)10月5日搬入。21年(2009)4月26日、購入入魂式。

岸和田型。明治初期制作か?大工は不詳。彫師は高松一門と云われるが?。彫物はほぼ源平合戦で統一。
元・堺市栂の地車。助松では昭和61年、この地車を池内工務店より購入し子供会の地車として使用。
平成8年彫物を残して池内工務店で全て新調その際ひと回り大きくする。平成16年の祭礼を最後に休止していた。
長さ3.3m。大屋根幅1,91m。大屋根高さ3.15m。
土呂幕:正面は「源平合戦」、右は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、左は「巴御前の雄姿」。

 以前は手作りの地車。地車購入につき処分される。
鳳北町1丁1−2 大鳥大社 8/13 例祭
7/31(毎年) 夏祭り
4/13(毎年) 花摘み祭り

神輿や平安時代から伝わる衣装に身を包んだ花摘み女行列、稚児行列など

夏祭り=7/31に宿院頓宮(堺区宿院町東2丁1)に神輿渡御。
花摘祭=従来4/13行われていたが、平成30年(2018)より4/3土曜に変更。
櫻の花が散るこの時期は古来より疫病が流行ると言われ、疫病が災厄を招くと恐れられていた。
そこで、平安時代に無病を祈願して始められた行事で、当日は、神輿や平安時代から伝わる衣装に身を包んだ花摘み女行列、花車、稚児行列などが行われる。
 ≪行事予定≫
(12:00〜)南町会館出発。神官、総代、花摘女、仕丁、稚児、花車、神輿(トラック渡御)等が列を整え鳳本通商店街を通って約1km先の神社まで進む。
(13:00〜)祭典斎行
(14:00〜)太鼓、神輿、花車は車に乗せ、神職・総代、花摘女、仕丁はバスで一緒に大鳥濱神社、浜寺公園、大鳥北浜神社へ神幸してそれぞれの場所で祭典を行う。
(18:00頃)神社に還御
鳳北町1丁1−2 美波比神社
(大鳥大社摂社)

神輿
10/1金土日 地車7台 大鳥、野田、新在家、北王子、長承寺、野代、濱寺元町
地車3台(宵宮は鎮守) 上、石橋、富木
例祭日は元・10/4、5、6で時代の流れにより10/1金土日となったが、祭礼日に「にいび」(2日、12日、22日に行われる市)の関係から2日が重なる時は、1週ずらして祭礼が行われたが、平成22年(2010)より「にいび」とは無関係となる。
正確には、大鳥大社敷地内の美波比神社に対して宮入りをする。宮入り後のだんじりも、大社の本殿ではなく、美波比神社の方を向いて止める。
宮入り順は大鳥、野田、新在家、北王子、野代、長承寺、上、富木、石橋、浜寺元町の順。
 金曜は基本的に各地区の自主曳行される。上、石橋は日部神社、富木は等乃伎神社、濱寺元町は大鳥北濱神社にそれぞれ宮入する。
 宵宮8時JR鳳駅前集結。9時10台地車宮入り。(大鳥、野田、新在家、北王子、野代、長承寺、上、富木、石橋、濱寺元町)神事後、宮出。13時より浜寺元町より南へ連合曳き。18時より石橋より北へ連合曳き。
 本宮は8時より所曳き。13時より連合曳き。18時より浜寺元町より南へ連合曳き。
大鳥⇒鳳北町と鳳中町北半分に位置し、鳳地区の総社、大鳥大社が鎮座し、宮入は大鳥大社境内に鎮座する美波比神社に1番目に宮入する。
地車庫も大鳥大社境内に在る。
=平成27年8月30日、新調入魂式。岸和田型。
大工は吉為工務店(吉野寿久)。彫師は木下彫刻工芸(木下健司)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「波濤・雲に鶴 奥に御来光」、後ろは「波濤に千鳥 奥に御来光」。
丸桁鼻:正面は「桜」、後ろは「梅」。
車板:【神話】正面は「天の岩戸」、後ろは「因幡の白兎」。
小屋虹梁:【神話】正面は「天孫降臨」、後ろは「国作り」。
二重枡合:【神話】正面は「草薙の剣」、後ろは「熊襲征伐」。
枡合:【源平盛衰記】正面は「巴御前の雄姿」、右は「鶴ヶ丘八幡宮」、右は「堀川夜討ち」、後ろは「大鳥大社戦勝祈願 後方に神鳳寺」。
枡合天井:「雲に鳳凰」。
横槌:正後は「親子唐獅子」、左右は「花鳥」。
隅出す:【源平盛衰記】前左は「大江山鬼退治」、前右は「大江山頼光木渡り」、後左は「大江山酒宴の場」、後右は「大江山三神の案内」。
虹梁:「波濤に千鳥」。
車板:「鳳凰」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「日本武尊」。
勾欄合:三方「義経一代記」。
縁板:三方「網代格子(十六枚菊・梅鉢)」。

 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波濤に雲 奥に御来光」。
丸桁鼻:「菊」。
車板:【神話】「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
小屋虹梁:【神話】「櫛稲田姫」。
枡合:【太平記】正面は「後醍醐天皇 兵庫へ帰る」、右は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」。
枡合天井:「雲に鳳凰」。
横槌:「花鳥」。
隅出す:【太平記】右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「楠木父子 櫻井の別れ」。
台輪:「鳳凰に牡丹」。
見送り虹梁:【太閤記】正面は「石川五右衛門 香炉盗り」、右は「尼崎危難の場」、左は「清州大評定」。


 先々代は次の地車新調後も1年間保存。
 先代は岸和田型。昭和6年(1931)新調。7年完全完成。堺市内では岸和田型一番乗りである。担い棒が付いていたが、平成16年の改修で外し完全な岸和田型地車となった。
平成26年(2014)10月26日、昇魂式。83年の曳行に終わりを遂げた。岸和田市の保育所に寄贈。
大工は植山宗一郎。彫師は一元正、木下舜次郎、田沼源冶等多くの若手。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「浜千鳥」、以前は「朱雀」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后三韓征伐」。

 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「浦島」。
枡合:正面は「本能寺の変 森蘭丸勇戦」、右は「義経八艘飛び」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「大江山酒呑童子 源頼光木渡り」、左は「安宅の関、弁慶義経懲打」。

縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「勢子の活躍」。
大連子:【豊臣軍記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「後藤又兵衛の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「上野介召捕り」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「薄田隼人徳川本陣討入り」、右は「朝比奈三郎と足利義氏の血戦」、左は「手塚光盛、斉藤実盛を討つ」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
野田⇒2番目に宮入りする。
=平成25年(2013)9月8日、新調入魂式。大工は井上工務店。彫師は木下彫刻工芸。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「雲・波に奥板に阿吽の龍」。
垂木:「野田紋に金物彫」。
車板:正面は「天孫降臨」、後ろは「猿を掴む鷲」。
隅出す:「雲に龍」。
隅木:「社紋に金物彫」。隅木受;「龍」。
枡合天井:「雲に龍」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「木曾山中合戦」、左は「奥州高館合戦 白龍昇天」、後ろは「大鳥大社白鳥伝説」。
二重枡合:右は「五条大橋の出会い」、左は「若木桜の高札」。
虹梁:「波に千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「弁財天」。
勾欄合:「忠臣蔵」。
松良:右は「羅生門」、左は「布引の滝」。
縁葛:正面は「矢矧橋の出会い」、右は「道明寺の戦い 家康落命」、左は「秀吉 屈辱を忍ぶ」。
大連子:正面は「本能寺の変」、右は「単騎家来を救出する木村長門守重成」、左は「賤ヶ岳 七本槍」。
小連子:正面は「桶狭間の戦い」、右は「穴山小助 忠朝を討つ」、左は「賤ヶ岳 七本槍」。
土呂幕:正面は「九州征伐 千代川大合戦」、右は「道明寺 薄田隼人奮戦」、左は「賤ヶ岳 秀吉本陣佐久間の乱入」。
水板・脇障子受:「波に龍」。
松良受:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
垂木:「野田紋に金物彫」。
車板:「日本武尊 岩倉山」。
隅出す:「雲に龍」。
枡合:正面は「鶴ヶ岡八幡宮」、右は「義経八艘飛び」、左は「船弁慶」。
横槌:「龍・花鳥 など」。
妻板:「野田紋」。
枡合天井:「雲に龍」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇:「倶利伽羅峠 火牛の計」。
大脇物見:右は「後醍醐天皇 笠置落ち」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」。
脇障子物見:右は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」。
兜桁:「社紋に金物彫」。
大脇竹の節:「阿吽の鬼」。
摺り出し鼻:「義仲 おかねと出会う」。
見送り天井:「雲竜」。
犬勾欄:「人物」。
縁隅木:「町名に金物彫」。
縁板:「花菱」。
土呂幕:正面は「鵺退治」、右は「大江山鬼退治」、左は「四天王 白猿退治」。
半松良:右は「珠取り姫奇譚」、左は「和漢豪気揃鬼若丸」。
旗台:「九尾の狐」。


  先々代は植山工務店に下取りされ東大阪市深江新家に売却か?大鳥の可能性もあるがどちらか言うと大鳥の地車の方が古いのでやはり野田かな?
大佐の「地車請取帳」の明治34年〜大正8年の項に「泉北郡鳳村字野田 まく 山内安太郎様」とあるので、幕制作に関わっているのが分かる。

 先代は折衷型。昭和7年(1932)9月16日、新調入魂式。
大工は植山工務店(植山宗一郎)。彫師は吉岡義峰。助は森曲江。本体3500円。平成14年、植山工務店で修復。
平成24年(2012)12月9日、昇魂式。80年の歴史に幕。
平成27年(2015)4月12日、搬出。大阪市生野区の生野神社地車講に嫁入り。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「天の岩戸」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「鷲に猿」。
枡合:右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
虹梁:正面は「鶴ヶ岡八幡宮」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「仁田四郎忠常の雄姿」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「夫婦青龍」。
枡合:右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「義経八艘飛び」。
勾欄合:「花鳥風月」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右前は「大石内蔵助の雄姿」、右後ろは「赤穂義士の雄姿」、左前は「吉良上野介召捕り」、左後ろは「刃傷松の廊下」、後ろは「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「朝比奈三郎の奮戦」、右は「巴御前馬上の雄姿」、左は「宇治川の先陣争い」、は後ろ「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【賤ヶ岳合戦】。正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「中川清秀の最期」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
脇障子:右は「夕月背負う畠山忠重」、左は「義経の雄姿」。
新在家⇒3番目に宮入りする。
=折衷型。昭和52年(1977)制作。大工は古谷国夫。彫師は井尻翠雲。制作費は約7、500万円。
平成25年(2013)6月23日、修復入魂式。井上工務店にて修復。
洗い、締直し、彫刻繕い、錺金具メッキ直し。
以前は平成14年、若野工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「義経八艘飛び」。
隣懸魚:右は「雷神」、左は「風神」。
枡合:【神話伝説】右は「天の岩戸」、左は「因幡の白兎」。
虹梁:【神話伝説】正面は「神武東征やたがらす」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。左は「日本武尊熊襲征伐」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右前は「清水一学の奮戦」、右後ろは「上野介召捕り」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、左は「那須与一扇の的」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」。
隣懸魚:右は「鷲」、左は「烏天狗」。
枡合:「鶏づくし」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

  先代は昭和53年に菱木奥に売却。
北王子⇒4番目に宮入りする。
=岸和田型。平成9年(1997)6月1日、新調入魂式。平成11年(1999)7月18日、完全完成入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は木彫り 岸田(岸田恭司)。長さ4、2m。大屋根幅3、835m。内幅1、177m。高さ3、835m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に獅噛み」。
懸魚:「波濤、開雲に旭日」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「雄略天皇猪退治」。
二重枡合:「雲・組物」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「波濤に浜千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「翁」。幟台:「邪鬼」。
松良:右は「石橋山合戦」、左は「富士の巻狩り」。
縁葛:正面は「那須与一」、右は「大江山鬼退治」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
大連子:正面は「紫しん殿の戦い」、右は「忠信 碁盤投げ」、左は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」。
小連子:正面は「曽我兄弟 工藤祐経を討つ」、右は「由比ヶ浜の場」、左は「草摺引き」。
土呂幕:正面は「粟津の合戦」、右は「義経八艘飛」、左は「堀川夜討ち」。
後連子:正面は「倶利伽羅峠の戦い」、右は「木曽義仲 おかねとの出会い」、左は「宇治川の先陣争い」。
半松良:右は「阿形の力神」、左は「吽形の力神」。
半松良受:「獅子」。
水板:「波濤」。
松良受:「獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に龍」。
車板:「雲、組物」。
小屋虹梁:「龍に唐子」。
枡合:【神話伝説】正面は「日本武尊 野火の難」、右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「中大兄皇子曽我馬子を誅する」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、大脇は「一ノ谷合戦」。
虹梁:【平清盛】正面は「大鳥大社戦勝祈願」、右は「落日を呼び戻す」、左は「布引の滝遊覧」。
脇障子:【一ノ谷合戦】右は「西の一ノ谷城門」、左は「生田の森 梶原景季」。
木鼻:「牡丹」。
竹の節:「烏天狗」。
物見:右は「羅生門」、左は「常磐母子都落ち」。
摺出し受:【一ノ谷の合戦】右は「鷲尾三郎」、左は「伊勢三郎」。
摺出し鼻:右は「静の舞」、左は「義経 弁慶五条大橋の出会い」。

 初代あり。
 先々代は生野区田島より購入し、同市は八田地区(東山の北?)に売却。
 先代は平成8年10月20日、曳き納め。大正10年に堺市深井沢町より購入。羽曳野市誉田の西之口に売却。
野代⇒5番目に宮入りする。
=昭和51年(1976)制作。折衷型。
大工は植山工務店(植山義正)。彫師は井尻翠雲。5番目に宮入り。
平成17年(2005)7月に植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「飛龍」。
車板:「親子唐獅子」。
枡合:「竹に虎」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「牡丹に夫婦唐獅子」。
枡合:「鶏づくし」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「加藤清正山路将監討ち取り」、左は「加藤清正虎退治」。
土呂幕:【源平合戦】。正面は「巴御前馬上の雄姿」、右は「義経八艘飛び」、後ろは「平景清錣引き」、左は?。
見送り:「灘波戦記」。立体浮き彫りで、岸和田型。

 先々代は村のあぜ道も曳きまわし、曳けない狭い道は担いだと云われるような小型地車と思われる。
 先代は明治期の作。植山工務店に下取りされ昭和58年に同市太平寺に売却。
長承寺(鳳南町)⇒6番目に宮入りする。
=平成26年(2014)5月6日、新調入魂式。岸和田型。
大工は泉谷工務店(泉谷浩文)。彫師は木彫前田工房(前田明彦)。
平成22年(2010)11月3日、手斧式。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲 菊紋」。
懸魚:正面は「波」、後ろは「菊水流水」。
飛檐垂木・地垂木:「菊と梅鉢」。
隅木:「菊水」。
隅木受:「波」。
車板:正面は「天の岩戸」、後ろは「長承寺 手斧式」。
枡合:正面は「醍醐桜」、右は「大塔宮 吉野四本桜」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」、後ろは「御醍醐天皇 隠岐より帰る」。
二重枡合:正面は「桜 組物」、後ろは「日本武尊 野火の難」、右は「神武天皇東征」、左は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
横槌:「花鳥 松竹梅」。
隅出す:【四天王】前右は「広目天」、前左は「多聞天」、後右は「増長天」、後左は「持国天」。
虹梁:「浜千鳥」。
木鼻:「獅子」。
勾欄合:「組物式」。
 ≪腰廻り≫
縁板:「伊勢込み」。
縁隅木:「町名 長承寺」。
松良:「元弘の乱」。
縁葛:正面は「北畠顕家 豊島河原合戦」、右は「新田義貞 山崎合戦」、左は「楠木正成 宇治合戦 平等院焼討ち」。
連子:正面は「北畠顕家 堺浜の合戦」、右は「新田義貞 湊川出陣の場」、左は「楠木正成 天王寺出張の場」。
土呂幕:正面は「長承寺 雷井戸」、右は「楠木正成 湊川合戦」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」。
松良受・脇障子受:「唐草」。
兜桁:「菊紋」。
竹の節:「桜に鶉」。
犬勾欄:「波」。
水板:「唐獅子に牡丹」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲 菊紋」。
懸魚:「波に龍」。
隅木:「菊花」。
飛檐垂木・地垂木:「菊と梅鉢」。
車板:「如意輪堂 辞世の歌」。
枡合:正面は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、右は「恩地左近 赤坂城中を探る」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」。

横槌:正面は「桜に鶉」、左右は「鳳凰」。
隅出す:「長承寺の提灯を持つ獅子」。
台輪:「桜に小枝」。

 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇・摺出し受け:「千劒破城籠城戦」。
見送り虹梁::正面は「多聞丸誕生」、右は「多聞丸修業」、左は「林軍太 多聞丸に降参」。
大脇物見:「正成身代わり観音」。
脇障子物見:右は「名越家 屈辱」、左は「正成奇策 藁人形」。
竹の節:「田楽法師」。
見送り木鼻:「獅子」。
兜桁:「菊紋」。
摺出し鼻:「一休さんとんちばなし」。
犬勾欄:「唐草」。
縁板:「伊勢込み」。
縁隅木:「町名」。
縁葛:「菊水流水」。
後連子:【湊川合戦】正面は「楠木正成散る」、右は「本間重氏遠矢」、左は「義貞旧恩に救われる」。
半松良:右は「鬼神 大工方」、左は「鬼神 前梃子」。
幟台:「組物式」。


 先々代は昭和5年頃旭区城北公園周辺の村より購入。現地車購入につき5万円で泉大津市森の森さんに売却するが、半年程で森さんが死去されたので青年団に寄贈。森にとっても2台地車があっても仕方ないので20万円で和泉市黒鳥辻小路に売却。現・神戸市東灘区御影東之町の地車。
 先代は岸和田型。岸和田市河合町より昭和44年に80万円で購入。岸和田市五軒屋町新調。
45年曳かれ、平成25年(2013)10月13日、昇魂式。
この地車を同市大森が平成26年(2014)7月22日、購入入魂式。
濱寺元町⇒平成12年、鳳地区参入し10番目に宮入りする。
地元の境外摂社の大鳥北浜神社には金曜日に宮入りする。

=折衷型。昭和63年(1988)9月11日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治。助として井尻翠雲、中山慶春。
大屋根幅2.75m。高さ3.75m。制作費6700万円。
平成25年(2013)8月25日、修復入魂式。大下工務店による。
洗い、締直し、錺金具メッキ直し、見送り彫刻の組み直し 等。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「義経八艘飛び」。
枡合:「義経八艘飛び」。
柱巻:「親子龍」。
 ≪腰廻り≫
脇障子:「加藤清正虎退治」。
台木:「波と浦島太郎と竜宮城」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「五条大橋、牛若丸と弁慶の出会い」。
枡合:「仁徳天皇民の竃を見る、日本武尊抜刀の場、川中島の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
脇障子:「加藤清正虎退治」。
台木:「波と浦島太郎と竜宮城」。
見送り:「千早赤坂城の戦い」。

 以前は村ごとに(東下村、西下村、山内下村)に地車があったと云われる。
 先代は大正5年にダルマ船に積み込み運んできた大型の神戸型地車だったが、昭和33年の祭礼時の21時過ぎに南海電車と衝突し19人のケガ人を出し大破したので焼却処分にした。なおこの地車の拝懸魚は会館に保管されている。
 復活に先立ち村に関心があるかどうか試すために太鼓正のり―ス地車を出した。
草部262 日部(くさべ)神社 7/13 夏祭り
10/1金土日 地車2台 石橋、上
10/1土日 地車4台 原田、馬場、太井、萬崎
宵宮は8時30分より宮入り(太井、原田、萬崎、馬場)。夜は19時30分西野石油集合で原田、萬崎、馬場が夜間連合曳行。
本宮は午前は自主曳行。13時西野石油集合で太井、原田、萬崎、馬場+山田の5台で草部交差点を中心に曳行。18時15分西野石油集合で原田、萬崎、馬場、山田の4台で草部交差点〜鶴田池交差点〜菱木北交差点を周回曳行。20時45分太井合流。21時45分フィナーレ。
金曜午前中に石橋・上が宮入り。
土曜午前中に萬崎・馬場・太井・原田が宮入り。宮入り順はその年の年番長の町が一番で後は輪番。
 【鳳連合で曳行】
⇒祭礼初日は日部神社、二日目は大鳥大社内の美波比神社に7番目に宮入り。
=岸和田型。平成10年(1998)9/19新調入魂式。大工は池内幸一。彫師は山本善徳。
長さ4、23m。大屋根幅2、53m。大屋根高さ3、83m。小屋根高さ2、88m。小屋根幅2、39m。
平成14年、池内工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に獅噛み」。
懸魚:正面は「雲海旭日」、後ろは「波に兎」。
車板:「松竹梅」。
枡合:正面は「神武天皇」、右は「聖徳太子、上村に箕を教える」、左は「七福神」、後ろは「爺と婆」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「牛若丸」。幟台:「獅噛み」。
勾欄合:「松梅竹」。
松良:右は「鵯越えの逆落とし」、左は「倶利伽羅峠の合戦」。
縁葛:正面は「船上山に義兵を挙げる」、右は「京へ御還幸」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
大連子:正面は「頼朝義経の出会い 貴瀬川の陣」、右は「湊川の合戦」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
小連子:正面は「宇治川の合戦」、右は「屋島の合戦 那須の与一」、左は「安宅の関」。
土呂幕:正面は「義経八艘飛び」、右は「一ノ谷の合戦」、左は「弁慶の最期」。
水板:「波濤」。
後遠葛:「伊勢彫り」。
後大連子:正面は「桶狭間の合戦」、右は「福島市松 拝郷五左ェ門討取り」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
後水板:「波に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「松に羽衣」。
車板:「桜に孔雀」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「川中島の合戦」。
見送り虹梁:正面は「賤ヶ岳の七本槍」、右は「福島市松 拝郷五左ェ門討取り」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
見送り天井は「四神獣」。
脇障子:「川中島の合戦」。
半松良:「力神」。
物見:前は「桜にホトトギス」、後ろは「牡丹に唐獅子」。

  先代は大正4年頃に和泉市伯太の業者より購入。「大佐」が2台の中古地車を併せて1台にしたもので、平成9年10/19曳き納めし、尼崎市築地南浜へ。

石橋昭和58年より鳳地区に参入。祭礼初日は日部神社、二日目は大鳥大社内の美波比神社に9番目に宮入り。
=平成24年新調。大工は吉為工務店(吉野寿久)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢司)。
原木祭は2007年6月17日。
見送り:「一の谷の合戦」。


 先々代もあった。
 先代は121年使われる。住吉型三枚板型式。明治23年制作。大工は「大佐」11代目。川崎仙之助。彫師は実弟下川安次郎と彫又一門。
銘板は「細工人 住吉大佐」とあり。
大佐の「地車請取帳」には、「大鳥郡草部村鶴田大字石橋村 様」とある。当時は43戸余りの戸数で230円で購入。
大佐に行くと、2台の地車があり、もう1台は石橋で曳くには大きすぎると思い小さい方を購入。
ちなみにもう1台は百舌鳥高田村(現・百舌鳥本町)が購入。その後、百舌鳥は布団太鼓に代わり現在は東大阪市若江東の地車である。
昭和58年に池内工務店で修復。その時に屋根が大きくなり彫物新調。彫師は木下彫刻所。
平成23年10月23日、昇魂式を行い、兵庫県尼崎市新三和青年団の地車となる。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「櫛名田姫」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子、谷越獅子」。
虹梁:「牡丹に唐獅子、珠取獅子」。 
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿に松」。
車板:「鷲に虎」。
枡合:右は「谷越え獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
脇障子:【列仙伝】右は「通玄」、左は「蝦蟇仙人」。
隅障子:右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「羽柴秀吉」。
幟台:「力士」。幟差し:「猿」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「猩々」、右は「平影清錣引き」、左は「義経八艘飛び」、後ろは「那須与一扇の的」。
 ≪見送り廻り≫
見送り(三枚板):正面は「素盞鳴尊大蛇退治」、右は「木村又蔵勇力(姉川の戦い)」、左は「坂井久蔵勇戦討死(姉川の戦い)」。
 【福泉連合で曳行】
原田=平成18年(2006)8月6日、購入入魂式。搬入前に隆匠で改修。
平成27年(2015)8月3日、修復入魂式。藤本工務店による。
経路は岸和田市宮本町新調⇒和泉市小田⇒岸和田市尾生⇒岸和田市南上町⇒原田へ。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「曽我兄弟討入り」、右は「曽我五郎化粧坂の小将との別れ」、左は「曽我時致 乗馬駆大磯」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太閤記】正面は「大徳寺焼香の場」、右は「明智光秀の最期」、左は「本能寺の変」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ちはなし。
松良:「大江山 頼光の木渡り」。
大連子:【太閤記】正面は「尼崎閉居の場」、右は「四方天の追撃をかわして広徳寺に難を逃れる秀吉」、左は「秀吉 高松城水攻め」。
小連子:【唐子千人遊び】正面は「唐子習字」、右は「唐子琴弾き」、左は「唐子囲碁遊び」。
土呂幕:正面は「薄田隼人の奮戦」、右は「片桐且元 木村長門守決別の場」、左は「真田大助の雄姿」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 大佐の「地車請取帳」には大正8、9年に「泉北郡?田村大字原田 留井音吉様」とあり大佐が地車売却と思われる。
 三先代は昭和7、8年に和泉市尾井に売却。平成13年の祭礼まで使われ、神戸市東灘区柳へ。
 
先々代は泉大津の工場を買収した八田寺の個人の方が、買った工場内に地車があり、それも一緒に買った形となった。さてそれを聞いた原田がこの地車を購入した。この地車は住吉「大佐」12代目川崎宗吉の作で、昭和30年頃まで曳かれたが、公民館で解体保存となり、現・地車の彫物として再利用となった。
 先代は昭和58年9/24新調入魂式。平成17年10月23日、昇魂式。この地車は橋本市橋谷に売却。
大工は池内工務店(池内福治郎)。彫物は先代の物を利用。
馬場=平成18年(2006)9月3日、新調入魂式。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波に千鳥」。
隅木:「社紋(巴)・若葉」。隅木受は「龍」。
飛檐垂木:「社紋」。地垂木:「獅子」。
車板:正面は「雲に龍」、後ろは「雲」。
小屋虹梁は「若葉」。
枡組:「牡丹・松・竹・梅・龍・獏・獅子」。
隅出す:「親子獅子」。
横槌:「花鳥」。
枡合:正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「村上義光 錦に御旗奪還す」、後ろは「児島高徳 櫻木に歌を詠む」。
二重枡合:右は「天の岩戸」、左は「神武天皇 東征」。
虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「獅子・子獅子・鞠・牡丹・瓢箪」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波に龍」。
隅木:「社紋(巴)・若葉」。隅木受け:「龍」。
飛檐垂木:「社紋(巴)」。地垂木:「獅子」。
車板:「雲に鶴」。
小屋虹梁:「若葉」。
枡組:「牡丹・松・竹・梅・龍・獏・獅子」。
枡合:正面は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、右は「大塔宮 最後の酒宴」、左は「楠木正成 兵庫出迎え」。
二重枡合:右は「大国主尊」、左は「草薙の剣」。
隅出す:「親子獅子」。横槌:「花鳥」。
見送り虹梁:正面は「由比ヶ浜」、右は「草摺曳」、左は「夜討ち」。
木鼻:「花鳥」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「素盞鳴尊」。
旗台:「夫婦龍」。旗差し:「雲彫」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「義経 弓流し」、右は「那須与一 扇の的」、左は「景清 三保谷 錣曳き」。
脇障子竹の節:「昇龍、降龍」。
見送り・見送り大脇・見送り摺り出し・摺り出し鼻は「一の谷の合戦」。
見送り天井板:「雲彫」。
大脇物見:「牡丹に唐獅子」。
大脇竹の節:「獅子と灯籠」。
犬勾欄:「波」。
縁隅木:「馬場・唐草」。
水板:「波に龍」。
後半松良:右は「勧進帳」、左は「弁慶の引き摺り鐘」。

 先代は明治初期に某所?より購入。江戸末期〜明治初期制作。ただし何度も改修したので新調に近い。大工は堺の大工と思われる。彫師は彫又一門。ただし改修時の中山慶春の彫物が多くを占めている。平成17年(2005)12/4、昇魂式。羽曳野市樫山に売却。
太井[たい]=岸和田型。平成10年(1998)5月3日、購入入魂式。搬入は平成9年(1997)12月7日。
大正12年岸和田市五軒屋町新調。大工は奥久吉。彫師は一元林峯、吉岡義峰。
昭和41年の大修理の際、木下舜次郎により、左右松良、大連子正面は交換。
高さ3.78m。幅2.38m。長さ3.91m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「波濤、朝日に千鳥」。後ろは「波涛」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「巴御前の勇戦」、左は「木曽義仲の最期」、後ろは「楠木正行、如意輪堂の場」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤に浦島太郎」。
枡合:正面は「牛若丸、弁慶五条大橋の出会い」、右は「義経八艘飛び」、左は「鎮西八郎為朝の剛弓」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「恵比寿さん」旗台:「牡丹」。
松良:右は「加藤虎之助、山路将監討取り」、左は「加藤清正虎退治」。
縁葛:正面は「農」、右は「工」、左は「商」。
大連子:正面は「平敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「佐藤忠信碁盤投げ」、左は「堀川夜討ち」。
小連子:正面は「安宅の関、弁慶義経を懲打す」、右は「梶原影季」、左は「曽我兄弟夜討ち」。
土呂幕:正面は「薄田隼人、家康本陣討入り」、右は「塙団右衛門の勇戦」、左は「後藤又兵衛、片倉小十郎を悩ます」。
  ≪見送り廻り≫   
見送り:「難波戦記」。
見送り虹梁:「花鳥風月」。
半松良:「牡丹に唐獅子」。
後縁葛:正面は「鯛車引き」、右は「獅子舞遊び」、左は「雪だるま遊び」。
後連子:「曽我兄弟の仇討ち」。
幟台:「牡丹」。

 先々代は外コマの地車。次の地車購入につき解体処分。
 先代は大正10年頃に住之江区安立町の10丁のうちのどこかから購入。現・地車購入に先立ち平成10年2月15日に河内長野市上古野へ搬出。
萬崎=平成13年(2001)8/26、新調入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は筒井一門。
長さ4.15m。大屋根幅1.595m。内幅1.18m。高さ3.81m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に日部神社紋」。
懸魚:「波に御来光」。
車板:「唐子遊び」。
飛檐垂木・地垂木・隅木は「日部神社社紋」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
枡合:【神話伝説】正面は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、右は「天の岩戸素盞鳴尊 大蛇退治」」、後ろは「左は「囲碁差し」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「浦島太郎」。幟台:「獅噛み」。
松良:右は「大江山」、左は「勧進帳」。
縁葛:正面は「曽我十番斬り」、右は「藁人形の計略」、左は「藤吉郎草履取り」。
大連子:正面は「巴御前の雄姿」、右は「石津の合戦」、左は「桶狭間の合戦」。
小連子:正面は「景清錣引き」、右は「相模入道酒宴の場」、左は「秀吉賤ヶ岳に向かう」。
土呂幕:正面は「義経八艘飛び」、右は「湊川の合戦」、左は「秀吉本陣、佐久間の乱入」。
勾欄合:「十二支」。
水板、後水板:「波濤」。
後縁葛:「伊勢込み」。
後連子:正面は「両国橋引揚げ」、右は「清水一学の奮戦」、左は「赤穂義士吉良邸討入り」。
後半松良は「逆夫婦獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に浦島太郎」。
車板:「唐子遊び」。
飛檐垂木、地垂木は「日部神社紋」。
枡合:【神話伝説】正面は「野見宿禰と当麻蹴速」、右は「雄略天皇猪退治」、左は「中大兄皇子曽我馬子を誅する」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、摺出し:「灘波戦記」。
脇障子:右は「千姫救出」、左は「淀君の雄姿」。
木鼻:「鳳凰 牡丹の透かし彫り」。
物見:右は「鳩に松」、左は「牛」。
竹の節:「昇龍、降龍」。

 先代は大正6年頃に購入。平成13年11/5に昇魂式の後で小松工務店で改修し、12/17に藤井寺市藤井寺にて購入入魂式。
 【新興町】
市営万崎団地=以前はだんじり祭りと同じ日の日曜に曳いていたが、曳き手の関係で現在は9月下旬に曳いている。
子供地車2台あり、団地内を所曳き。まず屋台タイプを制作し、次に昭和56年に菱木白木より子供地車を購入。これは昭和53年制作で、北野木材の作。
現在隣接している3団地(事業促進草部団地、整備公団津久野団地、府営草部団地)も交えて曳いている。
府営万崎団地=平成8年頃に某所より購入し、平成13年頃まで曳いていたが、老朽化のため休止。現在は市営団地の子供地車を曳かせてもらっている。
菱木1889 菱木神社 10/1土日 神輿
地車7台 菱木東、菱木南、菱木奥、菱木白木、菱木山田、北高尾、野々井
宵宮は午前は各地区自主曳行。午後は連合曳行。
本宮は午前7時より7台宮入り(菱木東、菱木南、菱木奥、菱木白木、菱木山田、北高尾、野々井)。

菱木4地区は連合曳きで各地区本部を廻る。
山田は日部神社氏子と連合曳き(福泉連合)。北高尾、野々井は美多禰神社氏子と連合曳き(美福連合)。
宮入りは日曜は午前。菱木奥・菱木東・菱木南・菱木白木の四町は輪番制で1〜4番。5番は野々井、6番は山田、7番は北高尾で毎年固定。
宮出しは北高尾から逆順となる。
 【菱木連合で曳行】
菱木東
⇒地車小屋は辻井酒店(菱木3丁2652)の隣り。
=岸和田型。昭和60年(1985)平岡町より購入。昭和6年岸和田市阿間河瀧町新調。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。助は田沼征信。
経路は岸和田市阿間河瀧町新調(昭和6年)⇒堺市平岡町(昭和58年)⇒堺市菱木東(昭和60年〜)
平成6年、大下工務店で修復。大型化、屋根、台木 等の交換。
平成18年6月4日、修復入魂式。締めなおしと洗い。
土呂幕:正面は「福島市松の勇戦」、右は「中川清秀の勇戦」、左は「片桐且元の勇戦」。
見送り:「難波戦記」。

  三先代は大型地車だったらしい。
  先々代は大正期に某所と交換し購入。昭和31年生まれの人の話では、小学校低学年まで曳いたと言われ、また別の人の話では、会館を広げることになり、隣の地車小屋を壊すことになり(年代は一致)昭和37年頃に解体処分され池のところで焼却された。
 先代は昭和54年地元の大工の池田立身が作り寄贈する。7年間曳かれ、その後八田西町に売却し、現・大阪狭山市西池尻。
菱木南=大阪型。平成4年(1992)制作。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は栗田剛、藤森昇二、川原和夫、中山慶春。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「天の岩戸」。
枡合:【日本神話】正面は「風神雷神」、右は「神武天皇 大和平定」、左は「日本武尊 草薙剣」。
虹梁:「白虎、青龍、玄武」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【日本神話】正面は「恵比寿大神」、右は「大国主命とウサギ」、左は「神武天皇 東国征伐」。
虹梁:「唐子千人遊び」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
脇障子:「唐獅子千尋の谷」。
土呂幕:【信長記】前正面は「桶狭間の戦い」、前右は「本能寺の変」、前左は「藤吉郎草草履」、
 後ろ正面は「甕割り柴田」、後ろ右は「山内一豊 名馬の誉れ」、後ろ左は「長篠の合戦」。
見送り:「難波戦記」
柱巻:「阿吽の龍」。
台木:「波に鯉」。
旗台:「獅子噛」。
物見:「朱雀」。

  先々代は大きな地車なので陶器方面の地車と交換と伝えられる。

  先代は明治末期に購入し、某所(陶器?制作)。平成3年に北高尾に売却。現・和歌山県橋本市妻。
菱木奥=岸和田型。昭和7年泉大津市板原新調。平成17年まで曳く。平成18年(2006)4月16日、購入入魂式。
大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎・松田正幸 等。購入時に番号持ち新設。彫師は高浜輝夫。
 平成27年(2015)8月30日、修復入魂式。岸和田市の藤本工務店で締め直し、大修理。
長さ3.65m。幅2.23m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「鶴、亀」(井尻翠雲作)。
枡合:【日本神話】正面は「天の岩戸」、右上は「親子獅子」、右下は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左上は「親子獅子」、左下は「?」、後ろは「?」。
虹梁:「波濤」、勾欄:「花鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「義経、弁慶五条大橋の出会い」(井尻翠雲作)。
枡合:正面は「本能寺の変」、右は「桃山御殿」、左は「日吉丸、小六矢矧橋の出会い」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「素盞鳴命」。
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「大江山頼光木渡り」、
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「報償の場」、右は「勢子等の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子は「源平合戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正、新納武蔵守の血戦」、左は「本多出雲守忠朝、荒川熊蔵の血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

  先々代は明治中期に購入。昭和38年まで使われる。老朽化廃絶。
  先代は堺型。昭和52年大鳥の新在家より購入。彫物は先代を利用。彫又一門。平成18年10月22日、昇魂式。 河内長野市三日市北部へ。
菱木白木=岸和田型。明治13年8/13、新調入魂式。
大工は大崎吉造。彫師は宮地弥津計。制作費約530円。
経路は岸和田市小寺(今の上町)⇒熊取町五門⇒岸和田市大沢⇒岸和田市春木本町。

当地区では平成6年(1994)5/1、購入入魂式。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に菱木神社御神紋」。
懸魚:「雲海に波濤、奥に御来光」。
車板:正面は「宝珠を掴む龍」、後ろは「雲海」。
小屋虹梁:正面は「夫婦鶴」、後ろは「雲海」。
枡合:【源平合戦】正面は「義経八艘飛び」、右は「左那田・俣野組打ちの場」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:三方とも「浜千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「神官」。
勾欄合:「唐子二十四考」。
松良:右は「頼光の木渡り」、左は「大江山酒呑童子退治」。
縁葛:「銭波模様。真ん中は神社紋」。
大連子:正面は「清洲会議」、右は「勝家秀吉を罵倒」、左は「?」。
小連子:正面は「姉川の戦い」、右は「?」、左は
土呂幕:正面は「頼朝公出陣」、右は「巴御前の雄姿」、左は「平敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
後縁葛:「伊勢込み」。
後連子:正面は「頼朝初陣」、右は「藤吉郎初陣」、左は「楠木正行、伊藤日向守を討つ」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲海に波濤、奥に浦島太郎」。
枡合:【源平武者鑑】正面は「牛若丸、鞍馬山の修業の場」、右は「役堅五郎」、左は「頼朝の初陣」。
木鼻:「唐獅子」。
大脇:右は「本能寺の変」、左は「森 蘭丸の勇戦」。
  ≪見送り廻り≫   
見送り:「本能寺の変」。

 4先代は和泉市黒鳥方面に地車交換し、余剰金で会館を作ったという言い伝えあり。
 三先代は昭和39年の道路拡張で地車小屋を潰し野ざらしとなり、解体焼却。その後しばらく地車無し。
 先々代は昭和53年制作の子供地車。村の材木屋の「北野木材」の作。3年間曳かれ市営万崎団地へ。
 先代は昭和56年制作。地元の大工の浜田憲一の作。彫物は木下彫刻所。現・和泉市舞町。
 【福泉連合で曳行】
菱木山田(山田だんじりまつりHPへ)
=折衷型。平成8年(1996)9月16日、新調入魂式。
大工は大下工務店。彫師は中山久義。中山師初めての出世地車。
平成17年(2005)大下工務店で修復。
大屋根幅2.25m。長さ4.19m。高さ3.55m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「鶴」。
拝懸魚:「仁徳天皇竃を見る」。隣懸魚:正面は「鶴」、後ろは「雲」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「神武天皇東征」。
車板:「青海波に青龍」。
虹梁:正面は「神功皇后 応神天皇平産す」、右は「盟神深湯」、左は「三韓征伐」。
 ≪腰廻り≫
勾欄:「花鳥風月」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
土呂幕:「源平合戦」。
台木:「波濤に夫婦玄武」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚は「梅福仙人」。
隣懸魚は「松に鷲」。
枡合:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「楠木正行 如意輪堂の場」。
車板:「親子唐獅子」。
虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、左右は「花鳥物」。
  ≪見送り廻り≫   
見送り、脇障子、大脇は「難波戦記」。

 先々代は事故のため売却し次の地車まで2,3年のブランクがある。
大佐の「地車請取帳」には明治34年〜大正8年の項に「草部村より八丁 山田村 かしわや 山本竹松様」とあり、大佐が地車売却と思われる。
 先代は大正初期に住吉の料亭に置かれていたもので代が替わり売却を希望していることを村の植木屋「植文」こと中辻氏が聞きつけ村に知らせ購入した。新調につきこの地車を尼崎市本五へ売却。
 【美福連合で曳行】
北高尾岸和田型。平成14年(2002)10/20、搬入しお披露目。入魂式は15年3/30。
この地車は和泉市小田が
昭和5年頃購入。新品だが作才の古物商「氏原」より購入。大工は絹井楠次郎。彫師は開正藤。助は息子正a、玉井行陽。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「加藤清正虎退治」、右は「釣鐘弁慶」、左は「頼朝朽木隠れ」。
 ≪腰廻り≫
松良:【大江山鬼退治】右は「頼光の木渡り」、左は「頼光四天王と酒呑童子」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「上野介召捕り」、左は「内蔵助の雄姿」。
小連子:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「後醍醐天皇を迎える正成」。
土呂幕:正面は「巴御前の雄姿」、左右は「賤ヶ岳の合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「曽我五郎の雄姿」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 初代は昭和53年に軽4輪ベースの町内地車制作。地車購入につき7月21日に焼却処分。
 先代は堺型。平成3年7月14日、菱木南より購入。この地車購入で宮入りするようになった。また連合曳き出来るようになった。そして平成14年10月8日(火=大安)に昇魂式を行い、和歌山県橋本市妻に売却。
野々井=平成20年(2008)4月20日、購入入魂式。
昭和25年(1950)岸和田市神須屋町新調。神須屋町昇魂式は平成19年(2007)11月4日。
大工は絹井楠次郎。請負は岩出育雄。彫師は上間庄平。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「川中島の戦い 信玄謙信一騎討ち」、右は「頼朝 朽木隠れ」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。
大連子:「?」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「吉良上野介討取り」、右は「清水一学の奮戦」、左は「神崎与五郎詫び証文」。
土呂幕:【太閤記】正面は「藤吉郎初陣」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「巴御前の雄姿」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞 稲村ヶ崎」、右は「平景清 錣引き」、左は「本能寺の変」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。


 先々代もあったと伝えられる。
 先代は堺型。明治末期に喜志村(現・富田林市)より購入。平成19年八尾市西郡へ売却。大工は河村新吾。彫師は彫又一門。
 【地車廃絶
菱木稲葉=昭和45年10月同市八田寺町に15万円で売却。現・尼崎市南出屋敷経路は稲葉⇒八田寺⇒深井畑山⇒「梶内だんじり店」⇒兵庫県尼崎市北出西町⇒〃 南出屋敷。
往古は明治30年代後半の事故なども伝えられるのでその頃には稲葉も菱木地区も地車保有と推測される。

  

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