大 阪 府

           ※堺市(中支所管轄)

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
八田寺町524 蜂田神社 10/1金土日 神輿
地車8台〔岸和田型〕
八田寺、八田北町、八田南之町、堀上、堀上東、毛穴[けな]、平岡、家原寺
10/1土日 地車1台〔岸和田型〕 八田西町
金曜は11時30分集合。12時15分より連合曳き(八田寺、八田北町、八田南之町、毛穴、平岡、家原寺+長承寺、北王子)。
土曜は8時より宮入り(八田寺、八田北町、八田南之町、堀上、堀上東、毛穴、平岡、家原寺
)。
日曜は13時より大池パレード。19時より新道パレード。
■金曜(宵宮)
(12:00〜18:00)自由曳行:西側4町は大鳥地区6町の地区の境界線に面した交差点(旧・ドット前)にて、交流曳行、その後JR津久野駅前で津久野地区と交流会。
■土曜(本宮)
(6:00〜)曳き出し」
(8:00〜)各町宮入(蜂田神社)
(12:45〜16:00)新道コース連合曳き
(19:00〜21:00)灯入れ曳行:大池コース連合曳き
■日曜(残宮)
(9:00〜)自由曳行
(12:50〜16:00)大池コース連合曳き
(19:00〜21:00)灯入れ曳行:新道コース連合曳き
宮入りは土曜午前中で八田寺町、堀上町、家原寺町、東堀上町、八田南之町、平岡町の順は固定。毛穴町・八田北町の2町は毎年、宮入りのトリを交替で務める。
八田寺町(八田寺町祭礼協議会公認HP)=岸和田型。昭和59年(1981)9/2、新調入魂式。
大工は池内工務店(池内福次郎)。彫師は岸田恭司、中山慶春、木下賢治、森西鶴、〃双鶴、筒井和男、井岡勘治。
 ≪大屋根廻り≫
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右上は「仁徳天皇 民の竃」、左は「日本武尊 草薙の剣」、左上は「神功皇后に貢物を献上する新羅王」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【楠公記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「正行吉野如意輪堂辞世の詩」、左は「正成御夢により笠置参向」。
 ≪腰廻り≫
番付:「神官」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「巴御前の雄姿」、左は「加藤清正の九州征伐」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「赤坂城の合戦」。

 先々代は堺型で江戸後期より昭和45年まで曳行。昭和46年解体し家原寺左義長で焼却。
 先代は堺型で昭和45年祭礼後に菱木稲葉より購入。昭和58年9月深井畑山に170万円で売却。
経路は大阪府堺市菱木稲葉⇒〃八田寺⇒〃深井畑山⇒「梶内だんじり店」⇒兵庫県尼崎市北出西町⇒〃 南出屋敷。
八田北町⇒地車小屋は八田南之町381(自治会館前)。防災倉庫で申請しているので地車庫とか紋は入れていない。
=岸和田型。平成17年(2005)9月4日、新調入魂式。大工は吉為工務店。彫師は木彫岸田、木彫近藤、木彫筒井、木彫山本。
長さ4.33m。大屋根幅2.535m。小屋根幅2.414m。内幅1.212m。高さ3.89m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢紋」。
懸魚:正面は「波に夫婦岩御来光」、後ろは「波濤」。
枡合:正面は「長短槍合戦」、右は「清洲城石垣普請」、左は「五右衛門釜茹で」、後ろは「醍醐の花見」。
小連子:正面は「藤吉郎 富士川の初陣」、右は「光秀小栗栖にて落命」、 左は「又兵衛半田寺山にて槍を突き入れる」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢紋」。
懸魚:「波間より帰る浦島太郎」。
枡合:正面は「北野大茶会」、右は「長篠の夜雨」、左は「山城の大地震」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:正面は「七福神」、右左平は「十二支」。
松良:右左とも「稲葉山城攻め」。
縁葛:正面は「秀吉関白祝賀の宴」、右は「中国大返し」、左は「国家康君臣豊楽」。
土呂幕:正面は「石川本願寺大合戦」、右は「本能寺の変」、左は「天王寺口の戦い」。
大脇:右妻は「浅井古兵衛」、右平は「拝郷五左衛門と石川兵助」、左妻は「片桐且元」、左平は「平野権平」。
格天井:「雲に鈴の宮の鈴」。
犬勾欄:見送り三方「波濤に亀」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「清洲会議」、右は「秀吉屈辱を忍ぶ」、左は「秀吉 茶坊主に化け難を逃れる」。
見送り:「賤ヶ岳の七本槍」。

 かつて当村には新在家、東側の2台の地車があり、東八田の地車を壊した代償として東側の地車を譲渡。現・大阪市北区の綱敷天神社の地車。そして新在家の地車を北村の地車とした。この地車は百舌鳥西村より明治30年代に購入した河内地車で現・地車購入につき焼却処分。
 先代は岸和田型。昭和47年岸和田市内畑町山口より80万円で購入。しかし昭和55〜58年にかけて改修を重ね元のところが無くなるようになり新調同様になる。大工は池内福治郎。彫師は井尻翠雲。助は木下頼定 等。平成14年、吉為工務店で修復。平成16年(2004)10/24昇魂式。現・美木多上北へ。
八田南之町=岸和田型。平成21年(2009)8/30、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4、06m。大屋根幅2、43m。小屋根幅2、3m。内幅1、15m。高さ3、73m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋(鈴)」。
懸魚:正面は「雲に朱雀」、後ろは「波濤に玄武」。
桁隠し:「麒麟」。
隅木:「社紋(鈴)、若葉」。
車板:【日本神話】正面は「国生み」、後ろは「天孫降臨」。
下がり:「蛤の夢見」。
桝組:「七段」。
二重枡合:右は「青龍」、左は「白虎」。
枡合:【日本神話】正面は「天兒屋根命 神鏡を以って怪異を顕す」、右は「神功皇后 三韓征伐」、左は「大国主命 国守り」、後ろは「日本武尊 草薙の剣」。
隅出す:前は「飛天」、後右は「獅子の子落とし」、後左は「鯉の滝登り」。
横槌:「花鳥」。
虹梁:「波涛に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋(鈴)」。
懸魚:「龍宮珠取伝説」。
桁鼻:「麒麟」。
隅木:「社紋(鈴)、若葉」。
隅木受:「龍」。
垂木:「町名(南)」。
枡合:【源平合戦】正面は「鶴岡八幡宮」、右は「仁田四郎 富士の人穴に入る」、左は「安芸宮島 弁財天の戒め」。
見送り虹梁:【元寇】正面は「亀山上皇 石清水八幡宮に必勝祈願」、右は「竹崎季長 安達泰盛より馬を賜る」、左は「北条時宗 蒙古使者と謁見」。
虹梁下がり:「雲に龍」。
木鼻:「牡丹に朱雀」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「二十四孝」。
縁隅木:「南之町、鈴、唐草」。
松良:【日本神話】右は「神武東征」、左は「天の岩戸」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎 猪退治」。
大連子:【源平合戦】:正面は「義経八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「朝比奈三郎 和田合戦」。
小連子:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「頼光木渡り」、 左は「酒呑童子退治」。
土呂幕:正面は「元寇 宗助国奮戦」、右は「木曽山中合戦」、左は「清盛入道 布引滝遊覧」。
犬勾欄:「若葉」。
水板:「波涛に千鳥」。
 ≪見送り廻り≫
大脇物見:右は「雷神」、左は「風神」。
脇障子物見:右は「鉄拐仙人」、左は「蝦蟇仙人」。
見送り:「元寇 奥に筥崎八幡宮」。
大脇:右は「文永の役」、左は「弘安の役」。
後松良:【唐子遊び】右は「水遊び」、左は「桜花祭り」。
後縁葛:「唐獅子と牡丹」。
後大連子:【唐子遊び】正面は「鶏遊び、司馬温公の瓶割り」、右は「だんじり遊び」、左は「雪遊び」。
水板:「波涛に寒梅、桜、紅葉」。
幟台:「宝尽くし」。

  三先代は某所より有志が購入。次の地車購入につき焼却処分。
  先々代は昭和40年頃に市之町より購入。新調に伴い守口市八雲南町へ。
  先代は岸和田型。昭和59年(1984)制作。24年使われる。平成20年(2008)10/19、昇魂式。現・和泉市黒鳥郷小路。
堀上=岸和田型。昭和53年(1978)制作。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫物請負は木下賢治。仕事は実弟頼定、十場祐次郎、松本幸規の合作。
土呂幕:「川中島の合戦」。
見送り:上段が「本能寺の変」、下段が「大坂夏の陣」。

  先代は堺型で片蔵より明治30年に購入し津久野大東組へ。現・尼崎市松原神社へ。
  先々代は明治19年、明治19年太平寺へ。昭和36年、第二室戸台風で小屋ごと倒壊。
東堀上⇒行政上・所在地も堀上町となり堀上の枝村のようだが、実は深井清水町(旧・安村)の枝村で南深井(みのふかい)と呼ばれた。
なので野々宮神社の氏地となるが、行政上は堀上町で八田荘小中学校区となるため、だんじり祭りは八田荘地区で参加。
ちなみに現・地車の購入入魂式や先代地車の新調入魂式は野々宮神社に宮入りした。
地車小屋は平成13年4月22日、落成式。同時に地車も池内工務店で修復。
=岸和田型。大正12年(1923)忠岡町道之町新調。 大工並びに彫師は櫻井義國。助は一元林峯、小川金平。
昭和58年、池内工務店(池内福治郎)で修復。その時に木下彫刻所より彫物追加。
平成24年(2012)11月14日、昇魂式。平成27年(2015)3月1日、搬出。
平成28年(2016)9月11日、購入入魂式。見送り・腰回りの彫物 以外はほぼ新調らしい。大工は隆匠。
長さ3.75m。大屋根幅2.29m。内幅1.05m。高さ3.6m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「牛若丸弁慶 五条大橋の出合い」、左は「義経八艘飛び」。
二重枡合上部:右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「大江山四天王」。
大連子:【太閤記】正面は「脱兎の如く逃げる秀吉を追う但馬守」、右は「清正と但馬守」、左は「岩成主税の勇戦」。
縁葛:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「湊川正成本陣」、左は「正成後醍醐天皇を迎える」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「神崎東下り」、左は「赤穂へ早馬」。
土呂幕:【太閤記】正面は「福島市松正則の勇戦」、右は「丹波五郎左衛門の勇戦」、左は「加藤清正の根来攻め」。
見送り、大脇は「難波戦記」。

 昭和62年(1987)9月創建。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。助は野原湛水。
平成27年(2016)10月18日、昇魂式を行う。嫁入り先の初芝は平成28年(2016)9月4日、購入入魂式を行う。
大屋根枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「神武天皇東征」。
小屋根枡合:正面は「鶴ヶ丘社頭兜改めの場」、右は「吉良邸討ち入り」、左は「?」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「静御前?」、左は「加藤清正の虎退治」。
松良:「千早赤坂城の合戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。
毛穴[けな]⇒平成15年(2003)5月11日、会館併設地車小屋建造。
=岸和田型。平成29年(2017)9月10日、新調入魂式。大工は植山工務店(佐野和久)。彫師は木彫前田工房(前田暁彦)
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢紋 雲」。
垂木:「梅鉢紋」。
懸魚:前は「国生み 天の沼矛」、後ろは「開運波濤 鶴亀」。
桁隠し:「雲に燕」。
桁鼻:「獏」。
車板:「大瓶束 雲に燕」。
小屋虹梁:「雲龍」。
枡合:正面は「神武東征」、右は「天の岩戸開き」、左は「八岐大蛇退治」、後ろは「天児屋根命 神鏡を以て怪異を著わす」。
主屋根天蓋:「格天井」。
妻板:「昇龍」。
虹梁:「波に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢紋 雲」。
懸魚:「蛤の夢見」。
車板・小屋虹梁:「龍宮珠取り姫」。
隅出す:右は「紅葉」、左は「桜」。
横槌:正面は堺市の花、右は堺市の木、左は堺市の花木。
枡合:正面は「百舌鳥野の由来」、右は「日本武尊 熊襲征伐」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「金魚づくし〕。
縁葛:正面は「信長公 ルイスフロイス謁見」、右は「秀吉公 西ノ丸広間にて呂栄壺披露」、左は「家康公 征夷大将軍就任」。
大連子:正面は「柴田勝家、水瓶を砕いて名誉を顕す」、右は「豊臣三韓征伐 加藤清正勇戦」、左は「一言坂の戦い 本多忠勝の奮戦」。
小連子:正面は「本能寺大茶会」、右は「中国大返し」、左は「神君伊賀越え」。
土呂幕:正面は「信長公、蘇鉄の怪異を怒りたまふ」、右は「高松城水攻め」、左は「三方ヶ原の戦い 家康公敗走」。
松良:右は「山崎の合戦」、左は「本能寺の変」。
松良受:「コブシの中に獅子」。
脇障子柱:「登竜門」。
脇障子竹の節:右は「昇竜」、左は「降竜」。
旗台:「雑兵」。

 三先代は大庭寺より購入し同町を経て下田町に売却され現存せず。
 先々代は昭和5年に和泉市宮本町より購入。昭和57年に同市下田町に売却。現・うぐいす谷へ。 

 先代は岸和田型。昭和58年(1983)10月4日、新調入魂式。完全完成61年(彫物入替え)。
大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。助は木下賢治。本体は約4000万円。高さ3.7m。長さ3.65m。
平成28年(2016)10月16日、昇魂式。
新調に伴い和泉市若樫に300万円で売却と聞く。
平岡⇒地車小屋は平岡町274−7(平岡会館隣り)。
=岸和田型。

 三先代の地車は明治23年頃に「大佐」の地車を大阪市住吉区沢之口より購入。ところで沢之口は昭和28年までは秋まつりに平岡より地車を借りて祭礼を行った。地車小屋の雨漏りによる老朽化のため昭和41年が最後の曳行。昭和44,5年に焼却処分となる。

 先々代は昭和58年に岸和田市阿間ヶ瀧町より購入し復活。新調につき菱木東に売却。
 先代は昭和62年(1987)7月19日、新調入魂式。大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸、木下賢治、川原和夫。
枡合:「天の岩戸」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「福島市松の勇戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
大連子:「平家物語」。
小連子:「忠臣蔵」。
松良:右は「勧進帳」、左は「酒呑童子」。
見送り:「本能寺の変」。
家原寺=岸和田型。平成7年(1995)9月10日、新調入魂式。8年5月26日、完全完成入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「雲、青海波に千鳥」。
車板:「瑞鶴」。
枡合:上は「雲に鶴」、正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「平清盛 布引の瀧に遊覧」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
虹梁:「浜千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波、素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
車板:「組物、雲に鶴」。
屋根虹梁:「波濤」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「坂田の金時」。
幟台:「龍」。
勾欄合:「二十四考」。
松良:右は「牛若丸 鞍馬山修業の場」、左は「頼朝 朽木隠れ」。
縁葛:【曽我物語】正面は「曾我兄弟草摺引」、右は「十番勝負」、左は「夜討ち」。
土呂幕:正面は「弁慶仁王立ち」、右が「安宅の関 弁慶義経徴打」、左が「義経八艘飛び」。
大連子:正面は「忠信碁盤投げ」、右は「巴御前の雄姿」、左は「嗣信の忠節」。
小連子:正面は「義仲 巴御前大垣で会う」、右は「木曽義仲の最期」、左は「宇治川の先陣争い」。
水板:「波濤」。
 ≪見送り廻り≫
三重見送り:上段は「堀川の夜討ち」、中段は「一ノ谷の合戦」、下段は「屋島の合戦」。
脇障子:右は「鵯越えの弁景」、左は「父の身代わりになった平知章」。
大脇:【一ノ谷の合戦】右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「生田の森の梶原景季」。
摺出:【一ノ谷の合戦】右は「畠山方」、左は「源氏方」。
物見:前は「花鳥」、後ろは「牡丹に唐獅子」。
竹の節:「金剛力士像」。

  先代の曳き納めは平成7年4月2
昭和15年頃住吉区遠里小野より購入。平成10年2月15日に東大阪市川島に搬入。
八田西町(2丁の府営八田団地に当たる)=岸和田型。平成21年(2009)7/19、購入入魂式。
明治29年岸和田市小倉町では150円で購入。新調に伴い平成4年5/4に曳き納めし和泉市黒鳥郷小路へ。大工は絹井嘉七。彫師は玉井行陽。助は櫻井義國。
縁葛:「富士の巻狩り」。
土呂幕:「難波戦記」。
見送り:「関ヶ原の合戦」。


 初代は昭和56年〜昭和62年。
 二代目は昭和63年、菱木東より購入。現・地車購入につき、平成12年、大阪狭山市西池尻に売却。
 先代は昭和61年高石市綾井仲よし会新調。土台、柱は鉄骨、彫物は彫刻刀で仕上げ、遠くから見ると地車。平成2年一廻り大きくなる。高石市高陽を経て平成12年購入。平成21年(2009)2月21日、昇魂式。現・地車購入につき隣町の小阪西町に譲渡。
 【廃絶】
田西町2丁=町内地車。昭和62年に桝矢より購入し、所曳きではあるが町内皆が楽しんでいたが、平成13年まで曳かれたものの、平成14年の総会で曳行中止と自治会の総会で決まった。これは子供の人数が減ってきたのと(1丁の子供も参加しても)、世話をする人たちが老齢化?の為だと云われている。そして翌15年に30万に費用をかけて解体したらしい。綱など備品は小阪西町に譲渡された。
 先代は昭和55年に深井清水町より購入で次の町内地車購入まで使われた。
 初代は昭和54年手作りの花車曳いたことに始まる。
 ≪宮園子ども祭≫
八田荘団地を子どもたちが誇れる故郷にという願いから有志らが、“宮園子ども祭世話人会”を作り、だんじりを贈った。子ども祭は10/1土日で他に堺まつりにも出ている。子ども地車は平成4年に久世自治連合会長の北野栄太郎さん(65)作の物である。搬入日は平成4年(1992)9/20である。
2008年は出ていたが八田荘団地建替えのため最近はでていないようである。

深井清水町3839 野々宮神社
神輿
10/1土日
(久世地区)

土曜宮入り
地車6台
町内地車1台
小阪、楢葉、東八田、北垣外(岸和田型)
桝矢、高山(折衷型)
小阪西町(町内地車)
休止中 =小阪団地(布団太鼓)、小阪北町・小阪荘園、
10/1土日
(深井地区)
日曜宮入り
地車7台
町内地車1台
深井清水町、深井水池町、深井畑山町、深井沢町、深井中町、深井東町(折衷型)深井北町深井中町西(岸和田型)
廃絶 深井阪和(町内地車)
≪戦前の宮入り≫
昭和9年大阪府学務部発行の「郷土現行特殊慣行神事」の119ページから引用、修正、加筆。
 地車の宮入りに当たっては各部落の平素の悪感情が互いに爆発してよく喧嘩が勃発するので、各組の宮入りの時間を前日に抽籤を以って決めることになっている。そこで当日は抽籤の順によって宮入りをするが、氏地を三組に分け各組毎に地車が3台ずつ出る。
 第一の組は安村(現・深井清水町と深井沢町)、中深井(現・深井中町)、北深井(現・深井北町)の三部落で、
 第二の組は沢、畑山、中新田(現・深井東町と深井水池町)。
 第三の組は久世村の東山、小阪、八田の各部落である。
この三つの組が毎年抽籤によって宮入りの順序を決めるのである。而して宮入りの時刻は午前十時、正午12時、午後二時である。宮入りを終わった各組の地車は各自の部落に帰って部落中を練り廻るのである。
西深井は深井清水町・深井中町・深井北町・深井中町西の順で宮入りし毎年固定。
東深井は深井東町・深井澤町・深井畑山町・深井水池町は毎年籤引きにて順番を決定。
 【深井連合で曳行】
 ◎西深井
深井清水町=折衷型。昭和62年(1987)制作。大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は川原和夫、松田正幸、木下賢治。
平成19年(2007)6月17日、修復入魂式。植山工務店による。
懸魚:「龍に乗った弁財天」。
土呂幕:正面は「加賀篠原の戦い」、背面は「朝比奈三郎の城門破り」。
見送り(三枚板):正面は「村上義光錦御旗奪還」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「長宗我部 元親」。
車板:「金の鶏」。
虹梁:「琴の橋」、「洗濯場」、「めがね井戸」、「堺段通」、「共栄湯」。

 初代は明治40年頃に解体し、彫物は各家庭へ。
 2代目は大正4、5年に釜室より35万円で購入し、昭和40年頃曳くが、老朽化のため売却。
 3代目は町内地車。昭和50年に作られるが、この年は運動会と重なり曳かず翌年より使用。その後、八田西町2丁⇒鈴ノ宮ガーデン。
 4代目も町内地車。昭和55年制作。深井水池の東尾61年まで曳行し、深井阪和へ。
深井中町=折衷型。昭和63年(1988)制作。完全完成平成元年5月。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は岸田恭司(筒井一門)。助として近藤晃、木下頼定、井尻翠雲、筒井伸、松谷隆、松田武幸 他。
平成18年(2006)8月26日、修復入魂式。植山工務店による。
  
≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚は(正面):「天の岩戸」、隣懸魚:「麒麟」。
車板:(正面):「夫婦龍」。
枡合:右は「利休秀吉に茶を献ず」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
虹梁:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常 猪退治」、右は「頼朝馬上の勇姿」、左は「頼朝本陣報償の場」。
木鼻:「阿吽の唐獅子」
  ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、隣懸魚:「飛龍」
車板:「鷲の猿掴み」。
枡合:【太閤記】右は「従是任小谷領」、左は「柴田勝家の剛力」。
虹梁:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「谷越え獅子」。
三枚板(見送り):正面は「摂州一ノ谷 熊谷次郎直実 平敦盛」、右は「鬼神に勝る巴御前 畠山重忠と奮戦す」、左は「八幡太郎義家 奥州安部貞任征伐」。
花戸口:「鳳凰」
  ≪腰回り≫
土呂幕:正面は「加藤孫六喜明 浅井吉兵衛討取り」、右前は「福島市松 拝郷五左ェ門討取り」、左前は「加藤清正 山路将監討取り」、右後は、「宇治川の先陣争い」、左後は「今川義元の最期」、後正面は「手塚太郎、斎藤実盛を討つ」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げの場」
幟台:「獅噛み」。
台木:「玄武」。

 先々代は大正期に住吉区千躰より有志が購入。昭和44年が最後の曳行。それより休止になり、昭和46年11/28に野々宮神社に奉納されたが、昭和63年に尼崎市築地本町3丁目(本三)に60万円で払下げる。現在は長野県諏訪市のKさんが購入。
 先代は昭和57年に「太鼓正」より購入の町内地車。現・地車購入につき深井中町西に売却。その後高石市土生へ。
深井北町=岸和田型。昭和62年(1987)制作。大工は植山工務店(植山良雄)。同師の出世地車。彫師は筒井一門、桑名の森兄弟。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞嗚尊八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「義経弁慶五条大橋の出合い」、右は「那須与一扇の的」、左は「義経八艘飛び」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山」、左は「安宅の関 勧進帳」。
縁葛:正面は「仁田四郎猪退治」、左右は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「佐々木高綱、宇治川先陣争い」、右は「?」、左は「八幡太郎義家、安倍貞任討つ」。
小連子:正面は「忠臣蔵」、右は「義士討ち入り」、左は「木村重成 初陣」。
土呂幕:正面は「木村長門守の勇戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「義経 八艘飛び」。
竹の節:「親子獅子」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:正面は「藤吉郎、富士川の功名」、右は「本多平八郎忠勝、真柄十郎右ェ門の血戦」、左は「関ヶ原、後藤又兵衛の奮戦」。
幟台:「獅噛み」。

  先々代?は大佐の「地車請取帳」によると、大正8年に「泉北郡深井村北深井 小畑福松 様」とある。この地車か?
昭和40年頃に事故で破損したため廃絶。
  先代は昭和57年に「太鼓正」より購入の町内地車。10年ぶりの復活となる。現・地車購入につき上石津に売却。今は再び「太鼓正」へ。
深井中町西=平成14年(2002)9月16日、購入入魂式。8月25日搬入。購入に先立ち植山工務店で手直し。
昭和4年忠岡濱之町新調。大工は櫻井義国の跡目養子の小川金平。彫師は重谷喬雲、後藤更星、佐生武之輔 等。
高石市4区(元町)は昭和59年1月15日、購入入魂式。平成14年6月23日昇魂式をし、堺市深井中町西へ。
平成18年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「仁徳天皇民のかまどを見る」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「大磯驀進」、右は「頼朝本陣」、左は「夜討ち」。
 ≪腰廻り≫
松良:【義経記】右は「牛若丸 鞍馬山修業の場」、左は「五条大橋の出会い」。
縁葛:【唐子千人遊び】正面は「雪中遊び」、右は「車引き」、左は「相撲」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久良の乱入」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:【尼ケ崎危難の場】正面は「四方田秀吉を急追す」、右は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、左は「逃げる秀吉」。
土呂幕:正面は「木村長門守の勇戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「川中島の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は町内地車。昭和63年深井中町より購入。平成14年高石市土生に売却。現・和泉市納花。
 ≪廃絶≫
深井阪和
(深井北町内の新興町)=町内地車。平成10年の事故以来曳いていない。平成23年、ついに解体廃絶。
昭和62年に深井清水町より購入。昭和55年制作。
祭りの始まりは昭和60年に深井中町の個人所有の町内地車を借りたことに始まる。
北条=当地は一番南端の氏地で、小村で昔より地車が無い。また以前は百舌鳥校区で他の町が布団太鼓ということでもう1つ盛り上がらなかったようだ。
八田南之町の先々代購入時に見に行ったと聞く。
 ◎東深井
深井東町
=平成17年(2005)9月11日、新調入魂式。大工はあまの地車制作所(天野三郎)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治、河合申仁)。
長さ4.34m。大屋根幅2.51m。小屋根幅2.45m。内幅1.215m。高さ3.88m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「若木櫻の高札」、右は「頼朝義経 黄瀬川の対面」、左は「船弁慶」、後ろは「行基菩薩」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「醍醐の花見」、右は「矢矧橋の出会い」、左は「捨君誕生」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「素盞嗚尊」。
松良:【義経記】右は「一ノ谷 鵯越」、左は「安宅の関 勧進帳」。
縁葛:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「新田義貞稲村ヶ崎に宝剣を奉ず」。
大連子:正面は「義経 弓流し」、右は「堀川夜討ち」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:正面は「藤吉郎 富士川の初陣」、右は「大坂冬の陣 幸村家康追求」、左は「木村重成 初陣」。
土呂幕:正面は「木村長門守の勇戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「義経 八艘飛」。
竹の節:右は「牛若丸」、左は「武蔵坊弁慶」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【大坂夏の陣】右は「八尾若江の戦 木村重成」、左は「道明寺の戦 後藤又兵衛」、後は「樫井の戦 伴団右衛門」。
土呂幕:正面は「今川義元の最期」、右は「姉川の合戦」、左は「本能寺の変」。
幟台:「雲に夫婦龍」。

  先々代は明治24年11月新調の大阪型地車。若衆が長老たちの意見を抑えて布団太鼓を新調したため、昭和21年に大阪市鶴見区今津に売却。
 “布団太鼓”は大人は昭和22年新調し、50年頃より休止し59年に焼却処分。子供は昭和22年土師より購入し、61年に大仙西団地の商店主に売却され、近くの保育園の子供に曳かせていたが、平成になって出していない。

 先代は折衷型。昭和60年(1985)9/22、新調入魂式。大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸、中山慶春、木下賢治 等。
入魂式の日に搬入のトレーラーが積んで帰る。東大阪市岩田に売却。
昇魂式は平成17年(2005)9/17?。
深井沢町=折衷型。昭和60年(1987)9月7日、新調入魂式。
大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸、木下賢治、十場祐次郎、松本正規、中山慶春 等。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。箱棟:「龍」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
天蓋:「龍」。
枡合:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「静御前の舞」、左は「義経梶原逆櫓争い」。
懸魚:「朱雀」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「八幡太郎義家」。
柱巻き:「青龍」。
脇障子:右は「仁田四郎忠常の猪退治」、左は「加藤清正虎退治」。
縁葛:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「朝比奈三郎 足利義氏の血戦」。左は「巴御前の雄姿」。後ろは「鎮西八郎為朝の剛弓」。
土呂幕:正面は「楠正季の奮戦」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「加藤清正の勇戦」。
見送り:「灘波戦記」。

  初代は大正10年頃に2500円で大鳥の北王子に売却。現・羽曳野市西ノ口。
  先代は高石市新家に売却。大正後期に大和高田より購入と云われているが?。
深井畑山町=折衷型。昭和60年(1987)新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治・頼定兄弟・中山慶春 等。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「秀吉 利休の茶」、左は「柴田勝家の勇戦」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「加賀篠原の戦い」、背面は「朝比奈三郎の城門破り」。
見送り:「川中島合戦」、「清正の虎狩り」。

 私の知っている最古の地車で昭和初期〜22、3年頃まで曳かれる。
 次に布団太鼓で、旧市の港あたりより昭和24年購入。昭和41、2年に老朽化のため壊れる。
 続いてリースの地車でで、まず子供会が一年、その後2年は町会が「太鼓正」より借りた。
 先代は昭和57年に170万円で八田寺(元・菱木稲葉)より購入。その後「梶内だんじり店」に売却。経路は稲葉⇒八田寺⇒深井畑山⇒「梶 内だんじり店」⇒兵庫県尼崎市北出西町⇒〃 南出屋敷。
深井水池町=折衷型。昭和58年(1985)新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は井尻翠雲、中山慶春。
平成29年(2017)8月5日、修復入魂式。板谷工務店による。妻台の入替え など。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「岩見重太郎 狒々退治」、「源頼光 土蜘蛛退治」。
土呂幕:正面は「賤ヶ岳の戦い 大岩山砦 佐久間の乱入」、右前は「高松城主 清水宗治の切腹」、右後ろは「高松城水攻め」、左前は「天王山の戦い」、左後ろは「明智光秀の最期」、後ろは「七福神」。
見送り:「加藤清正虎退治」。
土曜日に宮入り。東山三町(北垣外、高山、枡矢)と、その他の町(小阪、東八田、楢葉)の二つに分け、それぞれ輪番で宮入りし東山三町とその他の町も入替えで宮入りする。
 【久世連合で曳行】
小阪=岸和田型。平成23年(2011)8月28日、新調入魂式。平成17年11月27日、原木祭。
大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。長さ4、22m。幅2、45m。高さ3、8m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に野々宮神社御神紋」。
懸魚:「波濤、奥に御来光」。
桁鼻:正面は「桜」、後ろは「梅」。
飛檐垂木:「八重山桜 唐草模様金物彫」。
地垂木:「小阪」唐草模様金物彫。
車板・小屋虹梁:正面は「大江山酒宴の場」、後ろは「常盤御前 伏見の里」。
枡組:「八段」。
隅出す:前右は「大江山頼光の木渡り(上部)朱雀」、前左は「大江山酒呑童子退治(上部)白虎」、後右は「石橋山頼朝朽木隠れ(上部)玄武」、後左は「石橋山真田俣野の組討(上部)青龍」。
枡合:正面は「八幡太郎義家 雁行乱知伏兵」、右は「鶴ヶ丘八幡宮放生会」、左は「安宅の関」、後ろは「野々宮神社と伊勢大神楽」。
横槌:「花鳥」。
二重枡合:右は「平経正 都落ち」、左は「平経正 竹生島詣」。
虹梁:三方「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に野々宮神社御神紋」。
懸魚:「波濤に龍」。
隅木:「八重山桜 唐草模様金物彫」。
隅木受:「桜の籠彫」。
飛檐垂木:「八重山桜 唐草模様金物彫」。
地垂木:『小阪』唐草模様金物彫。
車板・小屋虹梁:「俵 藤太 龍姫を救う」。
桁鼻:「龍」。
隅出す:右は「片腕奪還」、左は「鞍馬山修行」。
枡合:正面は「安部泰成の妖怪退治」、右は「羅城門禁札立て」、左は「平維茂紅葉狩」。
二重枡合:右は「平井保昌」、左は「小督」。
横槌:「花鳥」。
見送り虹梁:正面は「義経、八艘飛び」、右は「弓流し」、左は「景清の錣引き」。
見送り木鼻:「菊に鳥」。
台輪:「葡萄に伊勢込み」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「神猿」。
勾欄合:「源平名作選」。
縁隅木:『小阪』唐草模様金物型地彫。
松良:右は「高館白龍昇天」、左は「富士の巻狩り」。
縁葛:正面は「若木桜の高札」、右は「黄瀬川の対面」、左は「曽我兄弟討入り」。
大連子:正面は「木曽義仲粟津合戦」、右は「為朝石山温泉で奮戦」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:正面は「静御前の舞」、右は「逆艪争い」、左は「市原野の鬼童丸」。
土呂幕:正面は「巴御前勇戦」、右は「逆櫓争い」、左は「八幡太郎義家 安倍貞任を討つ」。
水板:「波に亀・水鳥・鯉」。
松良受・脇障子受:「波濤に若葉」。
犬勾欄:「若葉」。
脇障子柱:「菱形地紋彫に葡萄伊勢込」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇・摺出し受:「一ノ谷の合戦」。
摺出し鼻:右は「金太郎の地車囃子」、左は「金太郎の餅つき」。
大脇物見:右は「茨木童子」、左は「大天狗」。
脇障子物見:右は「釣鐘弁慶」、左は「船弁慶」。
兜桁:「八重山桜紋 唐草模様金物型地彫」。
大脇竹ノ節:「麒麟」。
幟差:「雲に鶴」。
見送り天井板:「八方睨みの五爪の龍」。
犬勾欄:「波濤に千鳥」。
縁隅木:『小阪』唐草模様金物型地彫。
縁葛:「菱形地紋彫に梅の伊勢込み」。
後連子:正面は「碁盤忠信」、右は「堀川夜討ち」、左は「清盛怪異を見る」。
半松良:「腰組」。
幟台:「象鼻」。


 往古は小阪も向山新田にも地車あり。
 先々代は明治期制作で昭和55年に楢葉に売却。現・和泉市鶴山台。
 先代は昭和55年新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下頼定、十場祐次郎、松本幸規。平成22年(2010)10月24日、昇魂式。
嫁入り先の高石市土生は平成23年5月22日、入魂式。
楢葉=岸和田型。平成8年(1996)貝塚市木積より購入。木積は5/5曳き納め。
昭和3年(1928)泉佐野市日根野野々地蔵新調。大工は山内安太郎。彫師は一元正。助は田沼征信。
昭和40年(1965)貝塚市木積町が購入。昭和50年代に植山工務店で修復。
平成20年(2008)6月1日、修復入魂式。大工は植山工務店。改修時の彫師は筒井一門。
高さ・長さも大きくなり、彫物部材は残し、隅・受物を新調。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「神功皇后三韓征伐」、右は「鎮西為朝の剛弓」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」、背面は「武者物」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「勧進帳」。
縁葛:「唐子遊び」。
大連子:「?」。
小連子:「桃太郎の鬼退治」。
土呂幕:【川中島の合戦】。正面は「信玄謙信龍虎相打つ」、右は「鬼小嶋弥太郎の奮戦」、左は「山本勘助の最期」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 祭りの始まりは昭和54年に石津の個人制作の布団太鼓を譲渡されるが、地車購入につき元の持ち主に返却。その後転売?
 地車の始まりは昭和55年小阪より約400万円で上地車を購入。平成8年和泉市鶴山台に売却。
東八田=岸和田型。平成2年(1990)新調。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は中山慶春。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「夫婦厳」。
枡合:正面は「天の岩戸開」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「神武天皇東征 八咫烏」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「顔世御前鶴ヶ岡八幡宮に兜を奉納す」、右は「義経 梶原逆櫓争い」、左は「静御前の舞」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「勧進帳」。
縁葛:正面は「両国橋引揚げ」、左は「清水一学の奮戦」。
大連子:正面は「義経 八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:正面は「村上義光 錦の御旗奪還す」、右は「?」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」。
土呂幕:正面は「後藤又兵衛の勇戦」、右は「加藤清正虎退治」、左は「福島市松の拝郷討取り」。
松良:右は「頼光 木渡り」、左は「勧進帳」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「灘波戦記」。

 先代は明治以前に千早赤阪村某所より購入。これは八田荘地区が当地区の地車を大破させ焼却してしまったので補償金で購入したと云われているが、八田北町では当時新在家と東側の2台の地車があったので東側を弁償として譲渡したと伝えられるが?。
現・地車購入につき平成3年に大阪市北区綱敷天神社に売却。
 ≪東山≫
 東山は三地区(北垣外、高山、桝屋)に分かれている。もともと東山新田は俗に八田山と呼び北垣外、高山より成っていたが、寛永11年に升屋七左衛門の開墾により成立した升屋新田を明治維新後に合併。往古は現・ベルランド病院にあたる十二所権現(東山神社)に宮入りした。野々宮神社に合祀は明治42年11/26。
 地車の創建として東山新田北組(北垣外、高山)と南東山新田(桝屋)の2台が十二所権現に宮入りしたと云われるが記録は無い。
記録としては明治後期の「東山南部青年会沿革史」に「青年団ガ屋台ヲ曳き」とあるのが最古の文献である。
 2代目として、大正6年(1917)頃に大東市押廻(三箇地区)より北河内型地車を購入し“東山”として曳く。昭和27年まで曳くが畑山地区で某地区と喧嘩のため大破し休止となる。
 やがて第二室戸台風で小屋が傷んだこと老朽化と当時臨海工業地帯造成のためトラックが走るために昭和37年頃に売却され、地車小屋も解体される。一説によると彫物の一部が堺の某旅館購入したらしい。また小屋根の獅噛みは高山会で保管している。
その後“東山”では曳行が一時やんでいたが、昭和54年に桝矢が町内地車を作ったことにより翌55年に北垣外、高山も町内地車を作った。
◎北垣外=昭和62年(1987)制作。完全完成翌63年。大工は笠谷忠一。彫師は井尻翠雲門下の若手。
平成19年(2007)2/12、昇魂式。9/24、改修入魂式。上地車を完全な下地車に改修した。見送り、大脇、松良は残したが他は新調といい大改造。
大工は若野工務店・泉谷工務店。彫師は松本幸規。
長さ3、8m。大屋根幅2、3m。内幅1、1m。高さ3、7m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「鳥襖に獅噛み」。
懸魚:「波に朝陽」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、背面は「鳳凰」。
二重枡合:「獅子遊び」。
虹梁:「波・鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「波に鐘馗」。
枡合:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「新田義貞、稲村ヶ崎宝刀を奉ず」、左は「後醍醐天皇」。
二重枡合:「獅子遊び」。
木鼻:「獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「鐘馗」。
松良:右は「三草山の夜襲」、左は「源頼政 鬼退治」」。
縁葛:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「八幡太郎義家 安倍貞任を追う」、左は「巴御前の勇戦」。
大連子:正面は「川中島の合戦」、右は「姉川の合戦 本多忠勝と真柄次郎左衛門の戦い」、左は「九州征伐 加藤清正と新納武蔵守の血戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「道明寺の戦い 後藤又兵衛と山田十郎兵衛の戦い」、左は「賤ヶ岳の合戦 秀吉本陣佐久間の乱入」。
勾欄合:「花鳥物」。
旗台:「力士」。
 ≪見送り廻り≫
兜桁:「神社紋 桜」。
竹の節:「獅子」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代の町内地車は昭和55年制作。住民の寄付金700万円で同町在住の大町広一が制作。62年に寝屋川市打上に売却。
◎枡矢(枡矢青年団HP)=折衷型。昭和62年(1987)9月27日、新調入魂式。搬入は前日。
大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。
平成20年7月27日、修復入魂式。池内工務店による。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷹の猿つかみ」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
土呂幕:右平前は「佐久間玄蕃盛政 秀吉本陣に乱入」、右平後ろは「加藤孫六嘉明の高名」、左平前は「山路将監と加藤清正の一騎打ち」、左平前は「片桐助作且元の高名」。
見送り:「難波戦記」。

 昭和54年に町内地車制作。昭和60年まで7年間使われ、昭和62年9月に無償で八田西町2丁へ譲渡。
八田西町2丁では平成13年まで曳かれたが、少子化のため曳行が中止となり解体処分となる。
 昭和60年は個人の人が隠より購入。この地車を宵宮に使用。本宮は従来の子供地車。
町会を通していないので1年のみだが、これを機会に地車新調となる。この地車は現・神戸市東灘区野寄。

 昭和61年は「太鼓正」のリース地車。
◎高山⇒地車小屋は平成元年7月に児童公園内に建造。
=折衷型。平成元年(1989)9月24日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治。
平成25年(2013)7月21日、修復入魂式。大下工務店による。
また妻台の新調。拝懸魚・土呂幕・半松良の彫刻を新調。新調彫物は辰美工芸の作。
土呂幕:「川中島の合戦」。
見送り:「灘波戦記」。

 昭和54年(1979)は花車を借りてきた。
 初代(先代)は町内地車で昭和55年(1980)9/15入魂式。62年まで曳く。63年9月に小阪西町に譲渡。
地車小屋は第一集会所。
 昭和63年はつなぎとして「太鼓正」のリース地車。
小阪西町⇒昭和45年成立の新興町。
平成21年、連合曳きしている八田西町より譲渡。ちなみに八田西町の昇魂式は平成21年(2009)2月21日。
昭和61年高石市綾井仲よし会新調。土台、柱は鉄骨、彫物は彫刻刀で仕上げ、遠くから見ると地車。平成2年一廻り大きくなる。
高石市高陽⇒八田西町(平成12年〜20年)。平成21年(2009)12月6日購入。

 往古は昭和55年に軽自動車に神輿を乗せて巡幸。宮入りしたこともあるらしい。
先代は町内地車。昭和55年高山新調。昭和63年に25万円で購入。谷口工務店・南熔工所の制作。
平成15年はブレーキ修復のため出なかったが、17年は再度出た。
現・地車購入につき解体処分。
 ≪休止中≫
小阪北町・小阪荘園=小阪内の新興自治会。子供地車は昭和58年平井の北野栄太郎氏制作の物を寄贈して頂く。
平成23年(2011)が最後の曳行か?その後出ていない。
 昭和57年神輿を借りたのが祭りの始まり。

小阪団地=子供布団太鼓。昭和57年に住民の手で5ヶ月かけて作ったが、最近出ていない。
上之1215 陶荒田神社 10/2土日 神輿
地車10台 上之、辻之、北村、田園、高蔵寺、西中、福中、うぐいす谷
隠、山本=複合氏子
(日曜は大阪狭山市の三
都神社に宮入り)
福上
地車廃絶 岩室
宵宮に宮入り十町会加盟の地車10台が宮入り。非加盟の岩室(地車廃絶)、福上(地車)、北庄(子供布団太鼓)は宮入りしない。
宮入り後、コースは4つ@東コース(見野山、隠、山本コース)A中コース(辻之、北村、福田コース)C西コース(田園、鴬谷、北村)で順繰りでパレード。
但し高蔵寺が当番町の場合(10年に1回)は泉北ニュータウンを通り高蔵寺へ。
夜はライフ福田店前道路でセレモニー。地車9台参加。高蔵寺は不参加(2017年初参加)。

 本宮は複合氏子地区は大阪狭山市の祭礼に参加。午前は所曳き。午後は各町独自に曳く。
宮入りは上之・辻之・北村・田園・高蔵寺・隠・山本・西中・福中・鶯谷の順で毎年固定。
上之=折衷型。平成4年9月20日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水、木下賢治、川原和夫。
平成24年9月9日、修復入魂式。池内工務店による。台木、足廻り新調。
前回は平成19年4月15日。池内工務店による。
土呂幕:「源平合戦」。見送り:「千早赤坂の合戦」。

 初代?は和泉市唐国町に売却して現存せず。
明治34年9月、の「上之馬場所積立金明細書」によると、「大鳥郡上之村は、共有の山林を売った際、その代金の中から地車と同じく、その小屋、その他附属の物品を明治14年に買い求めたが、世の進歩に従い、これらの物品の必要が無くなったので、村方で相談した結果、明治34年8月、地車やその付属品をあわせて165円、小屋は30円で売り払いこれを47戸で割って、1戸あたり金4円余りを分配した。そこでこれを馬場所、塚、木の目の小字ごとに共有の権利とし積立て金とした。すなわち当小字(馬場所)は1戸につき金2円を積立て、残りの分を分配した」とある。
 先代は日露戦争の兵士凱旋のために地車をということになり、寺岸孫蔵氏の軍人恩給で立替えでもらい、明治37年に下黒山より牛にひっぱって購入。老朽化のためしばらく休止となるが、昭和56年、1400万円をかけて修復し復活となる。この地車は平成2年まで曳かれ、新調に先立ち平成3年に河内長野市市町西に売却。
辻之=折衷型。昭和59年9月23日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。
平成15年、吉為工務店(吉野寿久)、彫師は彫義(松並義孝)で修理。
さらに平成24年9月9日、修復入魂式。大工は池内工務店。台木・足廻りの新調 など。
長さ3.98m。幅2.35m。高さ3.6m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「義経八艘飛び」。
車板:「鷹の猿捕り」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「頼朝朽木隠れ」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「兎の餅つき」。
懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:正面は「鎮西八郎為朝の豪弓」、右は「布引の瀧 小櫻責め」、左は「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:【忠臣蔵】正面は「義士の討入り」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良討取り」。
土呂幕:正面は「恵比須 大黒」、後ろは「唐子遊び」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 初代?は曳いている時に事故でばらけたと云われるが?。
 先代は明治37年以前に村の豊西太吉氏が和泉市納花より村に寄贈した。現・地車下取りに使われ和泉市室堂の個人が購入。
北村=板勾欄出人形式堺型。平成20年(2008)9月21日、新調入魂式。
大工はあまの地車製作所(天野三郎)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:前は「鳳凰」、後ろは「鶴」。
隣懸魚:前は「雲」、後ろは「雲」。
箱棟:「龍」。
車板:「陶荒田神社御祭神」。
枡合:右は「日吉丸 信長に初見参」、左は「日吉丸 小六との出会い」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「猿をつかむ鷲」。
箱棟:「龍」。
車板:「醍醐の花見」。
枡合:右は「長短槍試合」、左は「藤吉郎初陣」。
柱巻き:【碧蹄館の戦い】右は「李如松」、左は「小早川隆景」。
柱巻き出人形:【碧蹄館の戦い】右は「副総将 楊元」、左は「古川広家」。
脇障子:右は「小西行長」、左は「権慄」。
隅障子:右は「木村又蔵」、左は「荒御田勘左衛門」。
見送り出人形:前は「加藤清正」、右は「金如吻」、左は「後藤又兵衛 虎退治」。
摺出し:「牡丹に親子獅子」。
 ≪腰・土台廻り≫
板勾欄:正面は「普州城攻防戦」、右は「幸州山城の戦い」、左は「平攘城の戦い」。
縁葛:正面は「秀吉 高松城水攻め」、右平前は「四方田 秀吉急追す」、右平後は「秀吉 茶坊主に化け危機を逃れる」、左平前は「光秀勢 亀山集結」、左平後は「本能寺の変」、後正面は「光秀 小栗栖にて落命」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右平前は「片桐且元 三人刺し」、右平後は「加藤嘉明 浅井吉兵衛討取る」、左平前は「糟屋武則 宿屋七左衛門を討つ」、左平後は「脇坂甚内 赤井景清を刺す」、後正面は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。

下勾欄:「花鳥物」。
旗台:「力神」。
持送り・台木・猫木:「波濤」。

 先代は板勾欄出人形式堺型。(住吉だんじり)。天保6年(1835)制作。陶器北は墨江村より購入と伝えられる。墨江村とは(住吉区浜口?)と思われる。
浜口のことは大佐の「地車請取帳」には明治33年10月に15円で修復。浜口では大きな地車があったとは伝えられるが売却先は不明。
 元々は板勾欄出人形式だったが、昭和58年、植山工務店の修復時に板勾欄出人形は取り外された。その後、平成7年に天野工務店でも修復。なお見送り三枚板、土呂幕は当時のまま。獅噛みは三代目で松並義孝の作。
この先代地車は平成19年(2007)11月3日、昇魂式。20年(2008)3月23日、搬出され、兵庫県尼崎市塚口宮ノ町へ。
 平成13年新築の町会館に初代の獅噛み、柱巻き人形左右がガラスケースに入れられ保管。
田園=板勾欄出人形式堺型。(住吉だんじり)。大工は11代目大佐(川崎仙之助)。彫師は彫又一門。
大佐の「地車請取帳」によると、「とき村 たゞの丁江 地車壱本 売渡シ申し 此代金 〆金三百五十円也 外二 一 飛獅 二ッ 一 二重虹梁 一 二重高らん 三方 但シ此留い共二て 御座申し 明十三年 辰十月渡シ」とある。
平成14年、大下工務店で修復。
柱巻は「川中島の合戦」。
三枚板:右は「漢の高祖、龍退治」。左は「行者武松の虎退治」。
うぐいす谷=地車小屋は陶器北244−5。
板勾欄出人形式堺型。(住吉だんじり)。明治10年代に粉浜で制作。
平成12年12/10、売買契約。平成13年9/9に購入入魂式。経路は粉浜?⇒和泉市王子町宮本⇒堺市毛穴(昭和5年購入。購入時に下川安次郎が修復)⇒堺市下田(昭和58年〜平成13年の曳き納め)。大工は大佐と思われるが、堺の大工の可能性もあるという。彫師は彫又一門。
平成20年5月18日、修復入魂式。大下工務店による。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:正面は「獅噛み」、後ろは「鐘鬼」。
拝懸魚:「梅福仙人」。
車板:「飛龍」。
枡台:「飛龍」。
虹梁:「水滸伝か三国志」。
柱巻き:右「青龍」、左は「出人形」、
板匂欄は出人形式で「中国列仙伝」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「青龍」。
拝懸魚:「朱雀」。
車板:「雲に鶴」。枡合:「鶴」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
見送り:【神話伝説】正面は「天之日予悪鳥退治」、右は「雄略天皇猪退治」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。

 先代は福中の子供地車購入し、初めて陶荒田神社宮入りが許可された平成12年の試験曳きの日の朝に放火される。
そこでこの年は私所有の地車(現・奈良県葛城市大田地車)を使って初めての宮入りを実施。
西中=折衷型。平成5年(1993)制作。大工は植山工務店。彫師は木下頼定。
土呂幕は「源 頼朝初陣」。
見送りは「一ノ谷の合戦」。

 先代は布団太鼓で昭和24年に土師より購入し、平成4年まで使われる。一時期地車と布団太鼓両方あったが、両方お守りできないと2、3年で地車を売却。
福町中=折衷型。平成10年(1998)9/13、新調入魂式。大工は吉為工務店。彫師は松並義孝。
平成19年7月22日、修復入魂式。吉為工務店で改修。
土呂幕は「源平合戦」。見送りは「大坂夏の陣」。

 往古は明治10年頃に遠里小野より地車購入するが、明治末に河南町?に売却。なお住吉区殿辻では明治末に福田に売却と伝えらる。
 先代は平成2年に久世校区連合自治会長の北野栄太郎氏作の子供地車でうぐいす台へ。放火され現存せず。
高倉寺⇒地車小屋は高倉寺会館(高倉台2丁17−22)の隣り。
=堺型。平成17年(2005)4月29日、地車購入入魂式。大工は堺の地車大工?。彫師は彫又一門。
明治期の作。
経路は昭和7年に岸和田市岡山町大西小路⇒和泉市宮本町⇒堺市高蔵寺へ。
脇障子は「楠木正成」。見送りは「武松虎退治」。

 従来は神輿。神輿巡幸時はは土曜日のみ。平成15年が最後。16年は雨天のため中止。役員のみ宮入り。

平成16年9月19日、太鼓正よりリース地車借りて始めて地車曳行を体験する。なおこの地車は元・上石津地車。
 【複合氏子】=日曜に大阪狭山市の三都神社に宮入りする。
山本(町会は一緒。一部に大阪狭山市の区域(三都神社氏地)がある)=折衷型。
昭和63年10月2日、新調入魂式。大工は池内福治郎。彫師は中山慶春、木下賢治。
平成21年5月24日、修復入魂式。大工は地車製作隆匠。
彫物は「獅噛み」井波の澤義博。幟台は木彫高濱で新調。
幕板:「難波戦記」。見送り:「難波戦記」。

 先代は池内工務店に下取りされその後、高石市高師浜(6区)へ。現・東大阪市新家西町。

(隠西町⇒堺市。陶荒田神社氏子+隠東町⇒大阪狭山市。三都神社氏子からなる)=折衷型。平成2年制作。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水。
平成27年9月27日、修復入魂式。大工は板谷工務店。拝懸魚・車板の入替え。
土呂幕は「義経源平盛衰記」。見送りは「大坂夏の陣」。
 七先代(=初代)は大正期購入。
 六先代もあり。
 五先代は昭和8年頃に岸和田方面より購入。老朽化に伴い昭和20年までに岩室の個人へ寄贈。
 四先代は昭和22、3年頃に神戸市灘区住吉方面より購入。30年までに台風で破損解体。
 三先代は昭和30年頃和泉市府中方面より購入し、35年頃に富田林市滝谷方面に売却?
 先々代は昭和40年、大阪狭山市狭山より購入。昭和60年、桝矢の個人へ。経路は大阪狭山市狭山⇒隠⇒枡矢の個人⇒大阪狭山市池尻⇒太鼓正⇒神戸市東灘区野寄。
 先代は昭和59年購入。平成2年東大阪市東鴻池へ。経路は住吉方面で新調⇒片蔵⇒堀上⇒津久野大東組⇒隠⇒東大阪市東鴻池。

岩室(堺市と大阪狭山市から成る)=昭和23、4年に地車を作ろうということになり、河内長野の某所をはじめ4,5ヶ所の彫物を集め、また村の中林氏が所有されていた隠の地車の彫物も寄贈され彫物の一部とされた。そして組立や新調部分は富田林市廿山の宮大工が村で作った。やがて30年代後半より所曳きとなり泉北中央線建設により村が二分され昭和55年頃より曳行中止となる。曳行時代は陶荒田神社には宮入りは無かったらしい。
岩室観音院にて保存。その後ブルーシートで保存されていたが、
最終的に平成28年(2016)8月20日搬出。羽曳野の個人に嫁入り。

 往古は大正10年頃に陶器北と喧嘩になり25円で河内長野市石坂に売却となる。

 さて大佐の「地車請取帳」には、「南河内郡三都村字岩むろ 辻 久一様 古買二来ル 大正十一年十月十三日 若中五人」とある。
 【所曳き】
福町上⇒地車小屋は福町上自治会館と併設。
=平成25年(2013)8月9日、購入入魂式。会場は東陶器小学校の第二運動場。
江戸末期〜明治初期の作。大鳥地区の野代が新調時(昭和51年)に下取りされ、昭和58年に太平寺が購入。
平成6年の改修で板勾欄出人形堺型を擬宝珠勾欄に改修。
入魂式に先立ち泉谷工務店で改修。担い棒(肩背棒)の修復、本体の洗い・締め直し、錺金物の再メッキなど。
また木彫前田工房(前田暁彦)により脇障子・勾欄の新調彫直し。
 まだ有志の地車のため陶荒田神社に宮入りはしていないが(鎮守の愛宕神社には宮入り)、平成22年(2010)あみだ池セレモニーに初参加。


 先々代(初代)は子供地車。昭和24,5年に岸和田市松風町制作。昭和55年寄贈してもらう。なお購入に際して希望先多数で抽選で当町が決まったと聞く。
 先代は擬宝珠勾欄堺型。有志(福町上 地車有志会)が河内長野市三日市北部より購入。江戸末期〜明治初期の作。大工は堺の木村一門か?。彫師は彫又。
購入につき、池内工務店で修復。入魂式は平成19年(2007)9月30日。
6年間曳かれ、平成24年11月4日、昇魂式。守口市八雲南町へ。
経路は中百舌鳥⇒河内長野市三日市北部(大正9年購入)⇒福田上⇒守口市八雲南
 ≪大屋根廻り≫
飾目:正面は「青龍」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「朱雀」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「朱雀」。
小屋根車板:「司馬温公の瓶割り」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
三枚板(見送り):正面は「楚の項羽、烏騅と云う名馬を得る」、右は「劉邦(高祖)の大蛇退治」とも「人物不詳の蛇退治」と云われる。、左は「鬼若丸の鯉退治」。
花頭窓:「松に鶴」。
土呂幕:「波に兎」。
幟台:「力神」。
北庄(きたんじょ)=子供太鼓台。昭和50年代に某所よりの寄贈。平成27年・28年は曳かれず。
平成29年は日曜日に宮入りせず所曳き。
 地車は明治末期に売却。
新家町 若宮八幡宮 地車廃絶
 地車は大正以前はあったと伝わる。
地車小屋は昭和初期まで残っており、場所は下茶屋の四ッ辻の処で、現在の堺化成のあたり。当時の太鼓は今も盆踊りのやぐらの小太鼓として吊られている。

 ※盆踊り(大太鼓担ぎは大阪新田盆踊り(北区)に記載。
大野芝町126 鴉宮 10/1日曜 例祭 11:00〜
地車廃絶 神社は会館内
 戦前は相撲奉納。地車は明治末期〜大正初期に廃絶。
平成3年に個人の方が岸和田市春木中町の先代地車(現・和歌山県橋本市南馬場)を購入し、町会に寄贈しようとし、町内の四町会に掛けたが否決され復活はならなかったと聞いている。

 ※盆踊り(大太鼓担ぎ)は大阪新田盆踊り(北区)に記載。

  

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