大 阪 府

堺市 ≪南支所管轄≫    
住所 神社名 祭礼日 内容 備考
片蔵645 櫻井神社 10/1土日(元・6) 神輿 あるが出していない
地車5台 泉田中、片蔵、釜室、豊田、栂
休止地車1台 三木閉
宵宮は7時30分蔵出し。氏子地域を自主曳行。14時より連合曳き。NTT泉北周辺道路並びに各地区本部周辺道路。
本宮は地車5台宮入り。10時15分より宮出。各地区本部へ連合曳き。18時30分NTT泉北周辺道路。
宮入りは宮本である片蔵が宮壱番にて毎年固定。
釜室・豊田・栂・泉田中は毎年抽選。片蔵は一度宮入りしその後宮を出て残り4町を迎え、4町が宮入りした後、再度宮入りする。
片蔵=平成24年(2012)7月8日、購入入魂式。購入に先立ち隆匠で修復。
彫師は賢申堂(河合申仁)。番号持ち、台木、旗台 などを新調。
大正9年(1920)9月13日、岸和田市大工町にて新調入魂式。大工は久納久吉、〃幸三郎。彫師は一元林峯、森晴秋。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「神功皇后応神天皇平産」。左は「日本武尊 野火の難」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天孫降臨」、右は「仁徳天皇 民の竃の煙を見る」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「お多福」。
松良:右上は「石川兵助討死」、右下は「加藤虎之助 山路将監討取り」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
縁葛:【東海道中膝栗毛】正面は「弥次喜多大井川渡り」、右は「五右衛門風呂」、左は「赤坂宿」。
大連子:【朝鮮出兵】正面は「貴田孫兵衛の討たれる」、右は「小西行長の家臣 何候を討つ」、左は「金 汝吻を討つ」。
小連子:【太閤記】正面は「福島市松の強力」、右は「加藤虎之助 墨俣城に初出仕」、左は「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」。
土呂幕:正面は「加藤嘉明足海峠で浅井吉兵衛討取り」、右は「漕屋助右衛門 宿屋七左衛門討取り」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
台木:右は「?」、左は「田家の早梅」。
旗台:「見る獅子、言う獅子、聞く獅子」。
見送り:「越前北之庄落城」。

 三先々代(初代?)は大阪市住吉方面で新調。明治20年頃購入。現・尼崎市松原へ。
 先々代は明治初期に大正期新調。平成3年、東大阪市長瀬大蓮南へ。
 先代は折衷型。平成3年(1991)9月1日、新調入魂式。大工は池内幸一。彫師は野原湛水、川原和夫。平成14年、池内工務店で修復。
平成24年(2012)6月3日、和歌山県橋本市古佐田にて購入入魂式。
泉田中=大阪型三枚板。大正10年頃に某町より購入。大工は河村新吾。彫師は彫又一門?。
組立前の状態で購入して、当地で組立てたと伝えられる。
平成27年(2015)3月1日、修復入魂式。
文化庁認定 文化遺産を活かした地域活性化事業により隆匠が修復。
平成6年に天野工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鶴」。
車板:「龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「布袋」。
枡合:「唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻き:「昇龍、降龍」。
土呂幕:「武者」。

 往古は神楽。
釜室=折衷型。平成7年(1995)9月10日、新調入魂式。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は松並義孝。
平成27年(2015)3月1日、修復入魂式。
文化庁認定 文化遺産を活かした地域活性化事業により隆匠が修復。
以前は平成15年に北本工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「牛若丸 弁慶 五条大橋の出会い」。
車板:「鷲」。
車板:「恵比寿 大国」。
枡合:右は「神武天皇の東征」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「恵比寿 大国」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「木曽義仲の最期」、右前方は「為朝 軍船を射る」、右後方は「那須の与一 扇の的」、左前方は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左後方は「能登守教経の最期」、背面は「平景清 錣曳き」。
見送り:「難波戦記」。


 先々代(初代?)は明治初期創建。大正5年、安村(現・深井清水町)へ。昭和41年まで曳行された。
 先代は大正期に大佐より購入。平成6年、東大阪市若江西之町へ。
豊田=岸和田型。三代目。昭和62年(1987)制作。完全完成63年。大工は吉為工務店(吉野為雄)。彫師は筒井一門、木下頼定。
 平成18年(2006)、隆匠で改修。屋根廻り、台木の新調。
新調時は、二重破風入母屋造りの大屋根だったが、大改修で入母屋造りへと変更。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に抱き稲『豊』」。
懸魚:正面は「波濤に朝日」、後ろは「波濤」。
車板:正面は「龍」、後ろは「龍」。
横槌:「松竹梅」。
枡合:正面は「牛若丸 弁慶 五条大橋の出会い」、右は「義経八艘飛び」、左は「安宅の関 弁慶 義経懲打す」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
隅木:「豊」の文字。唐草模様地彫。
隅木受:「籠宮」。
飛檐垂木:「豊」の文字。唐草地彫。
小屋虹梁:「両端菊花唐草模様地彫」。
枡組:七段「獅子、龍、こぶし、牡丹、菊、松、竹、梅」。
隅出す:「花鳥」。
  ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に抱き稲『豊』」。
懸魚:「波濤に千鳥と浦島太郎」。
隅木:「豊」の文字。唐草模様地彫。
隅木受:「籠宮」。
車板:「雲に鳥」。
桁鼻:「獏」。
小屋虹梁:「両端菊花唐草模様地彫」。
枡組:六段「獅子、龍、こぶし、牡丹、菊、松、竹、梅」。
隅出す:「花鳥」。
横槌:「松、竹、梅」。
台輪:「唐草模様伊勢込み」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「波濤に千鳥」。
縁板:「花菱地彫」。
縁隅木:「豊田」の文字。唐草模様地彫。
松良:右は「火渡り勧進帳」、左は「勧進帳」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣褒賞の場」、右は「勢子 等の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:【賤ヶ岳の戦い】正面は「加藤清正」、右は「福島市松正則 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤孫六嘉明 浅井吉兵衛討取り」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学奮戦」。
土呂幕:正面は「木村重成」、右は「真田幸村」、左は「岡野左内、伊達政宗」。
水板:「波濤に千鳥」。
松良受:「こぶし」。
脇障子竹ノ節:唐草模様地彫〔上〕、菊〔下〕
脇障子兜桁:抱き稲「豊」唐草模様地彫。
脇障子柱:「紫檀材唐草模様伊勢込み」。
脇障子受:「こぶし」。
犬勾欄:「唐草」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺り出し鼻は「大坂夏の陣」。
枡合:正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「児島高徳 桜木に歌を書く」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀を奉ず」。
見送り虹梁:正面は「夫婦岩」、左右は「鳳凰」。
大脇物見:「獅子」。
大脇竹の節:「兎」。
脇障子物見・木鼻:「牡丹」。
大脇兜桁:「抱き稲『豊』 唐草模様地彫」。
天井:「雲」。
犬勾欄:「唐草」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱地彫〔上〕、無地〔下〕。
縁隅木:「『豊田』の文字 唐草模様地彫」。
縁葛:「牡丹に唐獅子二頭」。
後連子:正面は「小六との出合い」、右は「日吉丸誕生」、左は「蜂須賀小六正勝」。
半松良:「松」。
水板:「波濤に千鳥」。
幟台:「牡丹」。


 初代は大正初期に地車小屋が壊れ野ざらしとなり、自然消滅となる。
 先代は信太山にあった野砲第四連隊が日露戦争勝利奉祝のため地車を作り、三年間曳き、近くの町に払下げさらに泉南の某町から大正10年頃に購入。現・地車新調のため吉為工務店に下取られ、昭和62年に尼崎市新三和へ。祭礼には翌63年より使われ平成21年まで使われる。現在は姫路方面の倉庫?
=平成23年(2011)5月22日、地車購入入魂式。3月27日搬入。搬入に先立ち植山工務店で締め直しや化粧直しなどを行う。
昭和9年(1934)岸和田市中井町新調。
中井町は平成22年(2011)10月31日に昇魂式。
大工は植山宗一郎。彫師は浅野某?。助は木下舜次郎。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「本能寺の変」、右は「村上義光錦御旗奪還」、左は「義経八艘飛び」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
町名持ち:「勧進帳を読む弁慶」。
松良【義経記】右は「牛若丸 鞍馬山修業の場」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【灘波戦記】正面は「木村長門守の勇戦」、右は「?」、左は「真田大助の勇戦」。
大連子:【大江山鬼退治】正面は「酒盛りの場」、右は「頼光の木渡り」、左は「大江山大血戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤清正の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。


 先々代は岸和田型。地車購入時に池内工務店に下取りされ、泉大津市助松町子供会地車へ。
さらに平成20年(2008)10月5日、向ヶ丘へ。
 先代は岸和田型。昭和61年(1986)岸和田市吉井町より購入。この地車購入につき18年ぶりの曳行復活。平成22年(2010)10月24日、昇魂式。
日置荘西町東部自治会に売却。

経路は明治10年代岸和田市吉井町新調。大工は絹井嘉七。彫師は安田卯の丸。経路は岸和田市吉井⇒〃八阪⇒〃春木若松⇒〃春木旭⇒〃吉井⇒堺市栂⇒
日置荘西町東部
三木閉=住吉型。詳しく言えば板匂欄出人形型式。昭和35、6年より休止中。江戸末期〜明治初期に制作と思われる。大工は銘板に細工人 住吉大佐とあるが、『大佐請取帳』に記載が無いので小阪の大工の堀内市松より購入し「大佐」で修復か?。彫師は西岡弥三郎?、彫又一門。
 地区では明治中期に久世村より中古で若衆が村役の承認無しで購入し曳いて帰るが、村に戻れないので、村の近くで地車と一緒に寝たと伝えられるが、久世方面では三木閉に売却という言い伝えがないことから、前述ルートで購入か?

 板匂欄:「加藤清正虎退治」。
 見送り:正面が「漢の高祖の龍退治」、左が「獅子退治 等」、右が「鯉退治」。
 【地車廃絶】
富蔵=明治後期に千早の谷底に落ちていた地車を大工の「秀やん」が1円50銭で購入。この地車を4、5年は曳行するものの、道が狭い。喧嘩をする等の理由で大正期に1,100円で貝塚市王子に売却。彫物がよかったので高額で売れたので田畑を購入するが、泉北ニュータウンに かかり売却した。
 (地車の経路)千早の谷底⇒富蔵⇒貝塚市王子(3年程)⇒泉佐野市上之郷机場(先々代。昭和4年まで)
往古は神楽を行った。昭和初期にはまだ獅子頭が残っていた。

=地車があったが、鎮守の八幡神社が櫻井神社に合祀したので遠距離・道が狭い等の理由で大正末期に狭山方面に売却とされる。
 しかし畑と枝村の引野の間で祭りの金でもめ地車を売却したという説もある。

逆瀬川=櫻井神社に合祀したので唯一の村の入口だった奥谷池の下の橋は地車が通れず、宮入りはせず、村の人が「俄芝居」を奉納したが、地車売と共に奉納しなくなった。さて地車を売却して道を造ろうという事になり、大正末期に狭山の山伏に700円(山伏では100円)で売却し、その代金で妙見山に抜ける道を拵えた。
 【御池台連合】
「御池台ふるさと祭り」は7月下旬に行われる。第1回は平成10年より。
会場は御池台小学校で主なイベントはバトントワラー、和太鼓、ジャズダンス、盆踊り、花火、夜店だが、
子供(布団)だんじりが8:00〜12:30に各丁内の子供たちにより曳かれる。
 平成22年(2010)に連合自治会長・校区福祉委員長の戎谷悦子さんに聞取りするが、
だんじりの創建は4丁の有志により昭和56年(1981)頃に始まり、秋に開催。
「御池台ふるさと祭り」は平成10年より始まったが、当時は既に連合自治会のイベントとなり、
夏・秋2回のイベントを統合し夏に曳くようになった。
また平成13年には「第1回だんじりナイト曳行」というように夜に曳いた年もある。
 収納庫建設は平成元年である。
宮山台2−3−1 多冶速比売神社 10/1土日(元・5) 神輿
地車5台 和田、伏尾、平井、太平寺、大庭寺
みこしだんじり2台 小代、野田尾
宵宮は午前は各地区自主曳行。
本宮は午前11時より地車5台(和田、伏尾、平井、太平寺、大庭寺)、みこしだんじり2台(小代、野田尾)宮入り

午後1時宮出し和田、伏尾、平井の3台は野々宮神社氏地の久世地区と合同の計10台で泉北1号線でパレード。
太平寺、大庭寺の2台は美福連合として7台で連合曳き。みこしだんじり2台は自主曳行。
宮入りは大平寺、大庭寺、和田、伏尾、平井の順で固定。往古は話合いで決めていた。
 【久世連合で曳行】
和田=岸和田型。平成3年(1991)10/1、新調入魂式。完全完成翌4年。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は中山慶春、木下賢治。
平成15年(2003)に北本工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎の為朝の豪弓」、左は「神武天皇東征」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「顔世兜改め」、左右は不詳。
 ≪腰廻り≫
縁葛:正面は「報償の場」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎猪退治」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学奮戦」。
土呂幕:「川中島の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 
 先代は明治期制作で枝村の野田尾も合わせて曳いていた。さて昭和33年頃の祭礼時の昼の休憩時に子供が勝手に曳いて寺の息子が死亡する事故のため休止し、地車小屋も土師正一宅の前⇒宮境内となる。寺が絶家したので地車復活に動き地車新調に先立ち尼崎市本一に売却。
伏尾=岸和田型。平成7年(1995)5/21貝塚市石才より購入。大正末期〜昭和初期の作。大工は田端元一。添棟梁は実弟の角野庄太郎。彫師は一元一門の若手。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞稲村ヶ崎」、右は「源頼政鵺退治」、左は「頼朝朽木隠れ」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「神功皇后と武内宿禰」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神武東征八咫烏」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「頼光の木渡り」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
大連子、小連子は「豊臣軍記」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「亀井大作の勇戦」、右は「和田義盛」、左は「?」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 地車復活までは“みこしだんじり”を出す。
 先代は大正末期〜昭和初期に大阪狭山市池ノ原より購入。昭和44、5年頃に酒を付けて持って帰ってもらう。
平井=岸和田型。平成9年(1997)97、新調入魂式。大工は大下孝治(大下工務店)。彫師は木下彫刻工芸。
  ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「素盞鳴尊 大蛇退治」。
  ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「鶴ケ岡八幡宮」、右は「静 歌の舞」、左は「頼朝 義経黄瀬川の対面」。

 ≪腰廻り≫
番号持ち:「坂上田村麻呂」。
縁葛:「曽我物語」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正九州征伐」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
後縁葛:「狩場風景」、「仁田四郎忠常」。
後連子:「巴御前」、「今井四郎」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 三先代は明治期に作られ芦屋の社長へ。その社長の死去により「梶内」だんじり店へ。昭和39年河内長野市西代に売却。
 先々代は北野田方面より1日がかりで曳いてきた。ジェーン台風で地車小屋ごとが倒壊した富田林市伏山に売却され現・西淀川区鼻川へ。
 
先代は昭和57年制作の折衷型地車。大工は池内工務店(池内福治郎)。平成8年11月3日に曳き納め。尼崎市丸嶋へ。
 【美福連合で曳行】
太平寺
=岸和田型。平成22年(2010)4/25、購入入魂式。
大正9年、貝塚市橋本新調。大工は大弥三こと田端辰次郎。彫師は一元林峰をはじめ一元一門。
  ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「波に千鳥、夫婦岩に御来光」、後ろは「波濤」。
桁隠し:「千鳥」。
飛檐垂木・地垂木は「左三つ巴紋に金物型」。
車板:正面は「芝温公の甕割り」、後ろは「雲海」。
小屋虹梁:「波」。
枡合:正面は「曾我五郎大磯驀進」、右は「曾我兄弟の夜討ち」、左は「十郎祐成の討死」、後ろは「楠公子別れ櫻井の駅」。
木鼻:「唐獅子」。
  ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波間から帰る浦島太郎」。
桁隠し:「千鳥」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「仁徳天皇 民の竃を見る」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「先代獅噛み蒔絵を噛む」。彫師は山本仲伸。
縁板:「花菱」。
縁隅木:「太平寺に唐草文様金物型」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「唐子の獅子舞遊び」、右は「唐子の鯛車曳遊び」、左は「唐子の目隠し遊び」。
大連子:正面は「川中島合戦謙信信玄龍虎相討つ」、右は「鬼小嶋弥太郎の勇戦」、左は「山本勘助の勇戦」。
小連子:正面は「相本森之助の勇戦」、右は「山本妙之助の勇戦」、左は「筧十兵衛の勇戦」。
土呂幕:正面は「藤吉郎 富士川の初陣」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「前田犬千代の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「菊」。
脇障子物見:「菊に千鳥」。
脇障子:右は「真田大助の勇戦 大筒を持つ」、左は「真田幸村の勇戦」。
大脇物見:右は「夜逃げする夫婦」、左は「駆落ちする夫婦」。
大脇竹の節:「唐獅子の倒立」。
大脇兜桁:「左三つ巴紋に唐草」金物型」。
大脇:右は「後藤又兵衛の勇戦」、左は「荒木熊蔵の勇戦」。
摺出鼻:「辛夷型雲海」。
摺出受:右は「太鼓、鳴物を鳴らす兵士」、左は「兵士」。
見送り:「大坂夏の陣」。
天井:「雲」。
犬勾欄:「若葉」。
  ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱」。
後隅木:「太平寺に唐草文様金物型」。
後縁葛:「唐子遊び」。
後連子:正面は「大蛸」、右は「風神」、左は「雷神」。
水板:「波」。
半松良・旗受:「岩に笹」。

 先々代は明治19年頃に購入。昭和36年の第二室戸台風で地車ごと倒壊して廃絶へ。
 先代は堺型。平成21年(2009)11月15日、昇魂式。昭和58年植山工務店より野代の地車を購入し22年ぶりの復活。明治初期の作。堺の大工の作か?彫師は彫又。
平成6年に大改修。長さ4、265m。大屋根幅2、1m。高さ43、52m。陶器地区の福田上(福上)に売却予定。
三枚板は「加藤清正虎退治」。見送りは「五条大橋」。欄干は「唐獅子牡丹」。
台木:「波に鯉」。
大庭寺=岸和田型。平成24年(2012)4月29日、購入入魂式。4月1日、搬入し同日に試験曳きも行なわれた。
搬入に先立ち堺市草部の小松工務店(小松宏行)により修復。
彫物の修復などは松本彫刻(松本幸規)により行なわれる。また獅噛みや番号持ちは、松本幸規の弟子である町内の山中久史の作。
 大正12年(1923)8月、岸和田市大工町新調。大工は朝代市松。彫師は一元林峯。助は吉岡義峰、佐生武之輔。
大工町は平成23年(2011)11月3日、昇魂式。
長さ4、136m。大屋根幅2、348m。高さ3、75m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に鬼熊(先代地車より踏襲)」。
懸魚:正面は「波濤に浜千鳥 奥に御来光」、後ろは「波濤」。
飛檐垂木:「多治速比売神社 御神紋 金物型地彫」。
地垂木:「唐獅子」。
大屋根桁:「雲形文様地彫」。
桁鼻:「獏」。
車板:正面は「司馬温公の瓶割り」、後ろは「唐子の雪遊び」。
小屋虹梁:「波濤」。
隅出し:「牡丹に唐獅子」。
横槌:「花鳥風月」。
枡合:正面は「敦盛の最期」、右は「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「頼朝朽木隠れ」。
枡合下がり:「松に鶴」。
枡合天井:「雲海」。
虹梁:正面は「波濤 奥に龍宮の乙姫」、左右は「「波濤に浜千鳥 奥に龍宮」。
枡合:正面は
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳を詠む弁慶」。
松良:右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「曽我兄弟の勇戦」、左は「祐経陣屋討入り」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「上野介召捕りの場」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」
小連子:正面は「真田大助の勇戦」、右は「小栗又一の勇戦」、左は「木村長門守の初陣」。
土呂幕:正面「薄田隼人 徳川本陣討入り」、右は「本多出雲守 荒川熊蔵の血戦」、左は「後藤又兵衛の勇戦」。
下縁板:「青海波文様地彫」。
水板:「波濤」。
脇障子受:「若葉 コブシ型に唐草」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。天井は「雲海」。
見送り虹梁:正面は「湖水渡り」、右は「?」、左は「扇の的」。
見送り木鼻:「菊花に野菊の籠彫」。
摺出鼻・脇障子・大脇:「難波戦記」。
脇障子物見:「牡丹に鶉」。
大脇物見:「菊花に野菊」。
大脇竹の節:「逆さ唐獅子」。
旗差し:「雲形文様地彫」。
 ≪見送り腰廻り≫
縁板:「花菱文様地紋」。
縁隅木:「大庭寺」。
後松良:「雑兵」。
後縁葛:【河鍋暁斎の戯画】正面は「蛤の夢見」、右は「猫と鯰」、左は「鼠曳く瓜に乗る猫」。
後連子:「難波戦記」。
後水板:「波濤」。
幟台:「牡丹に唐獅子」。
梃子掛:「波濤に浜千鳥の伊勢込み透彫」。


 先々代は大阪型。明治初期〜中期に購入。大きすぎるので買い替えすることになり昭和8年に東大阪市春宮に売却する。
 先代は大阪型。明治20年〜大正初期制作。大工は「大佐」12代目川崎宗吉。彫師は彫又一門。昭和8年泉大津市豊中より購入。昭和60年太平寺が地車復活に刺激され約2300万円かけて修復し20年ぶりに曳行復活。
平成23年(2011)10月23日、昇魂式。藤井寺市大井町に売却。
鴨谷台1丁49−1 美多弥神社公式HPへ 10/1土日(元・5) 神輿
地車4台 大森、檜尾、中山、上北
地車廃絶 小田垣外、上中、上南
宵宮は午前9時に地車4台(檜尾、大森、中山、上北の順で輪番)宮入り。10時宮出。
午後1時より美福連合として曳行。19時〜20時30分
は南支所駐車場でパレード。本宮午後も美福連合として曳行。
檜尾(元の西之側と小田外垣)=平成20年(2008)4月27日、購入入魂式。なお宮本町は平成19年(2007)10月28日、昇魂式。
大正10年(1921)岸和田市宮本町新調。大工は加奥久吉。彫師は上間庄平。制作費は約7、000円。昭和56年、吉為工務店(吉野為雄)が修復。この時の新調彫物は筒井一門が彫る。
 購入に先立ち北本工務店で改修。
高さ3.84m。大屋根幅2.42m。高さ4.2m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「正行如意輪堂の場」、後ろは「楠木正成」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「楠木正季の勇戦」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「笏を持つ神官」。昭和56年、筒井和男の作。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【難波戦記】三面とも「大坂の陣で戦う兵士」。
大連子:【太閤記】正面は「藤吉郎初陣」、右は「坂井右近朝倉勢を悩ます」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:【真田軍記】正面は「家康を追う真田幸村」、右は「幸村と彦左衛門の血戦」、左は「真田砦幸村勇戦」。
土呂幕:【難波戦記】正面は「薄田隼人 徳川本陣討入り」、右は「真田大助初陣」、左は「木村長門守 片桐且元 訣別の場」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代は大正15年の勘定帳に「古地車売り渡し3円也」と記載されている。
 先代は大阪型。泉大津市北曽根新調。江戸末期の作。大工不詳。彫師は服部清七。大正13年春に西之側が和泉市上代より375円で購入。その時の修復費が205円75銭。昭和24,5年頃より休止していたが、昭和58年に復活。
平成19年(2007)10月14日、昇魂式。
平成19年(2007)11月11日、尼崎市築地本町3丁目(本三)に搬出。本三は平成20年(2008)5月4日、入魂式。
大森⇒地車小屋は桃山台2丁23。
=岸和田型
。平成26年(2014)7月20日、購入入魂式。
明治36年?に岸和田市五軒屋町新調。
大工は尾崎杢兵衛。彫師は宮地弥津計。助は安田卯ノ丸、櫻井義國、玉井行陽 等。
経路は堺市長承寺は岸和田市河合町より昭和44年に80万円で購入。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「児島高徳桜木に歌を詠む」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「後醍醐天皇吉野遷宮」、右は「護良親王修業の場」、左は「護良親王捕縛」。
虹梁は「青龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「菊地武時奮戦」、左は「吉野蔵王堂村上義光の最期」。
縁葛:正面・左は「?」、右は「高師直と塩冶判官」。
大連子:「六波羅探題・東寺襲撃」。
小連子:【楠木正行一代記】正面は「楠木邸正行別れ」、右は「正行誕生」、左は「正行弓の修業」。
土呂幕:正面は「正成天王寺へ出張の場」、右は「楠木正季 大森彦七を討つ」、左は「新田義貞の勇戦?」。
見送り:「赤坂城合戦」。


 先代(初代)は堺型。明治24年旧暦8月5日収納。大工は堀内市松?。彫師は辻田友次郎。費用250円。格納庫・付属品は50円。
これは明治23年他の村(西之側)が地車購入を見て家長たち(28戸)の反対したにもかかわらず若衆8人が勝手に注文したものである。
平成14年、吉為工務店で修復。

平成25年(2013)11月10日、昇魂式。26年(2014)8月24日、四条畷市東中野へ搬出。東中野は9月15日、購入入魂式。
中山=岸和田型。平成19年(2007)11月3日、搬入。平成20年(2008)5月4日、購入入魂式。
明治15年岸和田市稲葉西新調。平成8年3/31に同市葛城町の有志により1000万円で購入。大工は櫻井義國。彫師は玉井行陽。平成12年池内工務店にて屋根廻り、土台などを修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢」。
懸魚;正面は「波に千鳥」、後ろは「波に兎」。
枡合:正面は「義経八艘飛び」、右は「歌人平忠度薩摩守」、左は「景清 三保谷」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に宝船」。
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「?」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「安宅の関 弁慶義経徴打」、右は「佐藤忠信勇力」、左は「生田の森 梶原景季ゑびらの梅」。
小連子:正面は「景清の乱」、右は「那須与一扇の的」、左は「倶利伽羅峠」。
土呂幕:正面は「巴御前勇戦」、右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「宇治川の先陣争い」。
幟台:「竹林」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「千早合戦」。


  初代は岸和田より購入したらしい。戦前に萬崎に地車故障時に貸したこともある。曳かなくなり神社で永らく放置していたが、邪魔になるので焼却処分にする。
  先代は岸和田型。平成12年岸和田市南上町より購入し復活。平成19年(2007)10/27、昇魂式。同日に和歌山県橋本市紀見へ。経路は某所新調⇒作才の古物商⇒岸和田市中尾生町⇒高石市7区(北村)⇒〃8区(匠)⇒岸和田市南上町⇒中山⇒和歌山県橋本市紀見。

 子供だんじり=平成30年(2018)4月22日、和泉市父鬼より搬入。
父鬼では昭和61年に村の人の寄贈。開催日は当初は5/5(午前中)だったが、以降は4月下旬(最終日曜が多い)。 
少子化のため、平成30年(2018)4月1日、昇魂式。最後の2年は曳き手集まらず曳いていなかったらしい。
上北(北所)(上北だんじりHPへ)=平成17年(2005)5月1日、購入入魂式。八田北町より購入し復活。
昭和47年、八田北町が岸和田市内畑町山口より80万円で購入。しかし昭和55〜58年にかけて改修を重ね元のところが無くなるようになり新調同様になる。大工は池内福治郎。彫師は井尻翠雲。助は木下頼定 等。平成14年、吉為工務店で修復。
土呂幕:正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「巴御前の勇戦」、左は「川中島の合戦」。見送りは「大坂夏の陣」。

 大佐の「地車請取帳」には明治13年8月に「いヅみ 見き田村 地車1本 売渡シ申候 此代金 〆三百三十五円也」とある。
 先代は老朽化のため若衆が修理をしたいと願い出たが聞き入れられず駐在所の前で焼却処分。地車小屋は河川改修のため川の一部。
 【地車廃絶】
小田垣外(檜尾南)=現在の檜尾の南部。以前は同業が違ったが今は檜尾として西之側と一体となって盆踊りも祭りを行っている。地車は今も農業倉庫として残っている。小屋の明渡しで川原に野ざらしになり昭和35,6年に焼却処分。
なお購入時は2人の大男が曳いて帰ったと伝わる。

檜尾山=檜尾の枝村。小型地車で宮入り時にはトラックに乗せて宮入りしたと伝わる。
昭和30年代にはあったが、泉北ニュータウン完成時には無くなっていた。
地車小屋は檜尾山公民館周辺にあったらしい。
以前は大森が挨拶に地車を曳いてきてたが、(本村の檜尾は早くに来なくなる)連合で周回コースを廻るようになってからは来ていない。
上中=地車廃絶。大正期にはあったが、昭和35、6年頃には処分された。

上南=北所の地車が焼却処分に同調して焼いてしまった。
鴨谷台=一時期(3〜5年)子供布団太鼓が出て宮入りをした。

  

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