大 阪 府
  
   ≪岸和田市≫

   ※山直地区

山直祭礼年番は今木、摩湯、田治米、三田、小倉、東出、山出、大西の8地区よりなる。
住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 【宵宮】
6時から随時8台の地車が、三田郵便局前を出発、JA山直下支局前、岡山町交差点、小倉交差点を経由して周回。
8時に岡山町の3台が菅原神社(岡山町)。10時に三田町(三田、小倉)の2台が菅原神社(三田町)。10時半に摩湯町が淡路神社に宮入り。
13時45分に淡路神社前に8台の地車が集合し、三田町を経由して岡山町交差点、小倉交差点を通るコースをパレード。
 【本宮】
13時半に三田郵便局前で包近町、山直中町の地車と合流。10台の地車が出発時と岡山町交差点の2ヶ所で式典を行い、小倉交差点を通るコースをパレード。
今木町454 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車1台    
今木町⇒東大路町と今木町からなる。地車小屋は神社境内。
=平成16年(2004)9/19、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫近藤(近藤 晃)。長さ4、16m。大屋根幅2、48m。高さ3、83m。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板は「雲に梅鉢(今木菅原神社社紋)」。
縣魚:正面は「開運に波濤 奥に御来光」、後ろは「雲と波濤」。
枡合:正面は「今木肥後守 川原より出陣す」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退冶」、左は「天の岩戸開き」、後ろは「天地開闢と国産み」。
二重枡合:「雲に龍」。
虹梁は「波濤」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板は「雲に梅鉢(今木菅原神社社紋)」。
縣魚は「雲に波濤 奥に弁財天」。
枡合:正面は「神武天皇 東征」、右は「神功皇后 応神天皇平産す」、左は「日本武尊 川上梟師を誅伐す」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「花爺」。
幟台:「蟇股び梅鉢紋」。
勾欄合は「花鳥風月」。
縁板:「花菱」。
縁垂木は「町名 梅鉢」。
松良:右は「倶利伽羅峠の合戦」、左は「堀川夜討ち」。松良受は「唐草」。
縁葛:正面は「信長 敦盛舞出陣」、右は「左衛門太夫正則 小山の評意決す」、左は「中国大返し 高松城主宗冶の最期」。
大連子:正面は「信長 熱田神宮で戦勝祈願」、右は「上田城 真田昌幸 秀忠の大軍を阻む」、左は「山崎の合戦 光秀小栗栖の図」。
小連子:正面は「梁田出羽乃守 義元本陣補足す」、右は「家康 三成匿う」、左は「大波乱 大徳寺」。
土呂幕:正面は「桶狭間の合戦」、右は「関ヶ原の決戦」、左は「賤ヶ岳の戦い 虎之助 将監の血戦」。
縁板:「花菱」。
縁隅木:「町名」。
後連子:正面は「慶喜 政権を返上す」、右は「龍馬 寺田屋の遭難」、左は「井伊直弼 桜田門外の変」。
半松良:右は「吽形仁王」、左は「阿形仁王」。
水板:「波に桔梗」。
 ≪見送り廻り≫
見送りは「川中島 八幡原決戦」。
見送り虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「義貞 稲村ヶ崎 宝刀流し」。
脇障子:右は「飯富兵部少輔虎昌」、左は「千坂対馬守景親」。
脇障子物見:右は「常盤母子 都落ち」、左は「清盛落日を呼び戻す」。
竹の節:右は「毘沙門天立像」、左は「武田不動明王坐像」。
大脇物見:右は「上杉景虎入道」、左は「武田晴信入道」。

 先代は明治20〜30年頃熊取町七山で新調か?。大正末期に泉佐野市鶴原貝田より約70円で購入。大工は絹井嘉七。彫師は安田卯ノ丸、玉井行陽。昭和35年〜55年は休止。昭和56年に植山工務店で修復し復活。昇魂式は平成16年(2004)5月9日。
新調につき、高石市東羽衣13区へ。
摩湯町576 淡路神社 10/連休土日 神輿
地車1台       
摩湯=平成4年(1992)7/11、新調入魂式。5年(1993)7/11完全完成入魂式。大工は植山工務店。彫師は岸田恭司。
長さ4、24m。大屋根幅2、53m。高さ3、85m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「後醍醐天皇の凱旋」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎」。左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「大塔宮を斬る」、左は「楠木正行 如意輪堂の場」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは「翁」。
松良:右は「千劔破城の攻防」、左は「吉野山の合戦 鎌倉軍正成の奇策に難攻す」。
縁葛:正面は「正成藁人形の計略」、右は「正成 米・金を施す」、左は「正成の秘水」。
大連子:正面は「村上義光 錦の御旗奪還」、右は「正季 湊川に直義を討ち逃す」、左は「越前金ヶ崎の落城」。
小連子:正面は「妖怪 相模入道を悩ます」、右は「相模入道 闘犬を競う」、左は「相模入道 酒宴の場」。
土呂幕:正面は「湊川合戦」、右は「本間孫四郎重氏の遠矢」、左は「仁木義長 和田五郎の追撃を阻む」。
 ≪見送り廻り≫
見送りは「鎌倉合戦」。竹の節:右は「風神」、左は「雷神」。

幟台は「獅子噛」。

 先々代は某所新調で摩湯が購入するが昭和48年に同市大道町に売却。現・東大阪市寺島。
 先代は昭和47年同市大町より購入。平成2年5/5この地車の出身地の和泉市寺門に里帰り。 
田治米町680 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車1台 地車小屋は境内      
昭和26年(1951)制作。祭りには間に合わず11/4収納。大工は岸和田では唯一他地域(八尾市服部川)の「大音」こと飯田松太郎が作った地車で上地車のおもかげがあったが、昭和53年(1978)大常工務店(古谷常吉の)改修で完全な下地車となった。
この後、平成元年に大常工務店、10年に植山工務店、15年に藤本工務店、22年に藤本工務店で修復する。
彫師は松田正幸。

地車小屋は神社境内。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
 ≪小屋根廻り≫

枡合:【源平盛衰記】正面は「源頼朝鶴ケ岡八幡宮に参拝す」、右は「石橋山合戦 頼朝朽木隠れ」、左は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「源頼光 酒天童子」、左は「源頼光 大江山鬼退治」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常 猪退治」、右は「曽我兄弟夜討ち」、左は「富士の巻狩り」。

大連子:「源平合戦」正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「義経八艘飛び」、左は「宇治川の先陣争い」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「神崎与五郎東下り」、左は「清水一学の奮戦」。

土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「巴御前の奮戦」、左は「源義経堀川の館を奪われる」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「灘波戦記」。
脇障子:【大坂夏の陣】右は「薄田隼人の勇戦」、左は「全軍を指揮する真田幸村」。
大脇:【大坂夏の陣】右外は「荒川熊蔵の勇戦」、右内は「木村又蔵の奮戦」、左外は「後藤又兵衛の奮戦」、左内は「福島正則の勇戦」。
摺出し:【大坂夏の陣】右外は「勇ましく出陣の合図を告げる」、右内は「伴団左ェ門の奮戦」、左外は「島津家奮戦記」、左内は「脇坂安冶の采配」。

 先々代は鬼熊が付いた地車だったとされるので、担い(上)地車と分かる。
 先代は堺市小阪の大工より購入と云われる。新調時に下取りされ、現・東大阪市菱屋東。
三田町1999 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車2台  三田、小倉
子供地車廃絶 池樋(大正初期)
当村は明治10年頃より地車が盛んになり各字ごとに子供地車があった。
三田=平成11年(1999)10/3新調入魂式。12年9/17完全完成入魂式。大工は池内幸一。彫師は野原湛水。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板は「社紋 梅鉢に雲」。
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「天の岩戸」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚は「波濤に御来光」。
車板は「雲に組物」。
枡合:【太閤記】正面は「大徳寺焼香の場」、右は「秀吉 勝家の屈辱を忍ぶ」、左は「藤吉郎 草履取り」。
見送り虹梁:【太閤記】正面は「醍醐の花見」、右は「秀吉 勝家の屈辱を忍ぶ」、左は「藤吉郎草履取り」。
木鼻は「牡丹」。
 ≪腰廻り≫
看板持ち:「鏡獅子」。
幟台:「力神」。
勾欄合:「東海道五十三次」。
松良は「賤ヶ岳の合戦 七本槍の活躍」。
縁葛:【太閤記】正面は「森蘭丸光秀を徴打す」、右は「百姓太郎介 秀吉に瓜献上」、左は「光秀の密使藤田傳八郎 蛙が鼻の陣外に捕らえられる」。
大連子:【太閤記】正面は「今川義元の最期」、右は「小密茶坊 木村又蔵と石山に戦う」、左は「藤吉郎の初陣」。
小連子:【太閤記】正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「墨俣一夜城」、左は「偽宴を開きて森山の城兵をたぶらかす」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討ち取り」、左は「加藤清正 山路将監一騎打ち」。
水板、犬勾欄は「波濤」。
後連子:【太閤記】正面は「本能寺の変」、右は「姉川の合戦 本多平八郎忠勝、真柄十郎左ェ門奮戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送りは「大坂夏の陣」。

明治15年頃曳き手多数のため北最寄、南最寄に分かれることになった。そこで抽選し北最寄が地車。南最寄が附属品をもらうことになった。
【北最寄】は明治23年制作。南最寄の地車売却後、再び三田の地車となる。平成11年5/30に高石市羽衣へ。
【南最寄】は明治15年に購入するが、昭和25年台風のため地車小屋が倒壊し野ざらしになり老朽化が進み古物商に売却し、再び一緒に曳くことになった。
小倉=平成5年(1993)10月3日、新調入魂式。翌6年9月25日、完全完成入魂式。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下賢治。
長さ4.1m。大屋根幅2.47m。高さ3.82m。
平成27年(2015)8月2日、修復入魂式。御披露目曳行は8月30日。番号持、台木、纏、後旗 等を一新。
以前は平成15年(2003)5月4日、修復入魂式。大下工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「頼光の出陣」、右は「大江山頼光の木渡り」、左は「酒盛りの場」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【大蛇退治】正面は「渡辺綱羅生門禁札立て」、右は「源頼光・渡辺綱」、左は「渡辺綱茨木童子」。
 ≪腰廻り≫
幟台は「獅噛み」。
松良:右は「頼朝朽木隠れ」、左は「平清盛 布引滝遊覧」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「勢子の狩場風景」。
大連子:【源平盛衰記】正面は「安宅の関弁慶義経懲打」、右は「義平・重盛 紫震殿外に戦」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:【源平盛衰記】正面は「兵庫夕照 平清盛」、右は「義朝浴室にて暗殺」、左は「鶴岡八幡宮 静歌舞の図」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「奥州征伐 八幡太郎義家 安部貞任」、右は「保元軍記 白川殿合戦」、左は「粟津合戦 巴御前」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、大脇、摺出は「一ノ谷合戦」。

脇障子:右は「平家陣屋」、左は「生田の森梶原源太景季」。
竹の節は「獅子」。

 先々代は子供地車。

 先代は明治28年に150円で購入。平成4年5月4日、曳き納めして和泉市黒鳥郷小路へ。
岡山町443 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車3台 東出小路、山出小路、大西小路
東出小路=昭和63年(1988)10月2日、新調入魂式。大工は天野工務店(天野藤一)。彫師は松田正幸、木下賢治、十場祐次郎。
長さ4、105m。大屋根幅2、49m。内幅1、21m。高さ3、81m。
平成17年(2005)、北本工務店で改修。
平成30年(2018)8月4日、修復入魂式。藤本工務店で修復。彫師は木下彫刻工芸の堀健二。
葺地新調。松良・番号持ち 等を新調。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「波に御来光」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「神武天皇東征」。
 ≪小屋根廻り≫ 
懸魚:「波に浦島太郎」。
枡合:正面は「小桜責め」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「大黒天」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「勢子の狩場風景」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」、左は「粟津合戦 巴御前」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「加藤清正勇戦」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
見送り:「灘波戦記」。

 先々代は下地車だったが、鬼熊が付いていたので“鬼だんじり”と呼ばれた。昭和5年まであった。
 先代は昭和14年制作。現地車制作につき高石市7区(北村)へ。
山出小路⇒地車小屋は岡山町273−3。
=昭和14年(1939)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎。助は松田正幸。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「石橋山合戦 頼朝朽木隠れ」。
  ≪小屋根廻り≫ 
枡合:正面は「顔世御前兜改め」、右は「刃傷松の廊下」、左は「村上喜剣 内蔵助を足蹴にする」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「勢子の狩場風景」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「粟津合戦 巴御前」、左は「朝比奈三郎の剛力」。
小連子:正面は「明智光秀 小栗栖の竹薮で討たれる」、右は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、左は「?」。
土呂幕:三面とも「太閤記」。
見送り:「難波戦記」。

 先代は内畑町山口より購入し下大沢に売却。高石市高陽⇒現・和歌山県橋本市南馬場。
大西小路=昭和10年(1935)制作。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰、木下舜次郎。
 ≪大屋根廻り≫
正面は「小栗判官 鬼鹿毛を乗りこなす」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「石橋山合戦 頼朝朽木隠れ」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「酒呑童子退治」、左は「頼光の木渡り」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「源三位頼政 鵺退治」、左は「加藤清正 虎退治」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「雪遊び」、右は「奏楽」、左は「鯛車曳き」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「朝比奈三郎 足利義氏一騎討ち」、左は「粟津合戦 巴御前」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助と義士の雄姿」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「巴御前の雄姿」、左は「武蔵坊弁慶勇戦」。
見送り:「灘波戦記」。

 先代は堺型。明治期の作。背が高く両側を綱で引っ張りながら曳いた。“大和だんじり”と呼ばれた。昭和6,7年に和泉市宮本町に売却。現・堺市高蔵寺へ。

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