大 阪 府
  
   ≪岸和田市≫

   ※八木地区

 八木祭礼年番とは中井、吉井、荒木、下池田、箕土路、西大路、小松里、額(北額)、額原(南額)、大町、池尻の夜疑神社氏地11地区と行基参りするので田治米、今木は山直祭礼年番と二重加盟している。
住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪行基参り≫
 10月の祭礼2日目に、久米田池の築造に感謝し、行基像が安置されている久米田寺開山堂に御参りし、境内にて一同に会すること。
現在、八木祭礼年番11台(中井、吉井、荒木、下池田、箕土路、西大路、小松里、額(北額)、額原(南額)、大町、池尻)と山直祭礼年番の田治米(昭和55年からの慣例)と今木(昭和61年からの慣例)の計13台の地車が参加する。
 過去、軽部郷の忠岡町北出は昭和31年。忠岡町高月は昭和35年頃まで地車が曳かれており、往時は行基参りを行った。
 さて久米田池郷とは久米田池の維持・管理を目的とした12ヶ町よりなる水利共同体である。
現在は「久米田池土地改良区」と称される。
この12ヶ町とは八木郷の(池尻、大町、小松里、西大路、箕土路、下池田、荒木、中井、吉井)と山直郷の田治米、加守郷の加守、春木の12ヶ町で、池郷においては額(北額)は小松里のうち、西之内は加守の内とされ
 
行基参りしている額原は加守郷で池郷には入っていない(ただし久米田池→刈又池→花田池の水を引き使っているが)。
今木は八木郷なれど池郷には入っていない(田治米に流れてきた落水を使用)。
中井町2−7 夜疑神社 10/連休の土日 神輿
地車11台 中井、吉井、荒木、下池田、箕土路、西大路、小松里、額(北額)、額原(南額)、大町、池尻
地車廃絶 忠岡町北出
 【宵宮】
6時曳き出し。各町町内周辺。
8時半に西大路町に集合し出発。
9時より夜疑神社に宮入り。10時頃に宮入り式。宮入り順は中井町・吉井町・荒木町・下池田町・箕土路町・西大路町・小松里町・額町・額原町・大町・池尻町の順番で毎年固定。その後久米田方面へ。
13時30分〜17時 久米田駅前商店街周辺でパレードし、その後周回。
17時〜20時 灯入れ曳行。各町内・駅前商店街を周回。
 【本宮】
7時早朝曳行。各町町内周辺。
8時頃額原町に集合で、8時半に出発。田治米町、今木町の地車と合流し、13台が久米田駅前商店街を通り、9時より久米田寺境内の行基堂に御参り。10時より法要。
13時〜17時 久米田駅前商店街周辺を周回。
17時〜20時 灯入れ曳行。各町内・駅前商店街を周回。
中井町=平成23年(2011)9月11日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫近藤(近藤晃)。
式典は新条小学校。高さ3.84m。大屋根幅2.485m。長さ4.265m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武東征」、後ろは「夜疑神社と唐臼」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「信長、敦盛を舞う」、右は「小栗栖にて光秀の最期」、左は「本能寺の変」。
縁葛:正面は「頼朝本陣」、右は「仁田忠常 猪退治」、左は「狩場風景 勢子の活躍」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「安宅の関」、左は「大江山の血戦」。
大連子:正面は「壇ノ浦の戦い」、右は「堀川夜討ち」、左は「粟津合戦」。
小連子:正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「朝比奈三郎の剛力」、左は「楠木正行 四条畷の戦い」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「三方ヶ原の戦い 山県昌景勇戦」、左は「桶狭間の戦い」。
 ≪見送り廻り≫
虹梁:「青海波」。
兜桁:左右は社紋「巴」。
摺出鼻:右は「唐子遊び 秋冬」、左は「唐子遊び 春夏」。
摺出受:【大坂夏の陣】右は「秀忠本陣」、左は「大砲の砲撃」。
見送り・脇障子・大脇:「大坂夏の陣」。
見送り天井:「とぐろ龍」。
犬勾欄:「雑兵」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「二重花菱」。
縁隅木:「町名(中井)」。
縁葛:「銭波に伊勢込み」。
後連子:正面は「糟谷武則、宿屋七左衛門討取り」、右は「福島市松、拝郷左衛門討取り」、左は「加藤清正、山路正監討取り」。
半松良:「波に鯉」。
旗台:「恵比寿さんと大黒さん」。
水板:「波に鯉」。


 先々代は昭和7、8年頃に若衆が地車新調を願って故意に田圃にまくって破損させた。
 先代は昭和9年(1934)制作。大工は植山宗一郎。彫師は浅野某?。助は木下舜次郎。
77年間使われて平成22年(2010)10月31日、昇魂式。
堺市栂へ売却。購入入魂式は平成23年5月22日。
吉井町=昭和61年(1986)制作。完全完成63年。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治。助は中山慶春、井尻翠雲。
 平成12年(2000)には吉井町生まれの井上英明(井上工務店)による改修。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「大江山 頼光木渡り」。
虹梁:「青海波」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「役行者」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:右は「一ノ谷鵯越え逆落とし」、左は「倶利伽羅峠の合戦」。
縁葛:正面は「池田信輝 種村大蔵を討つ」、左右は「太閤記」。
大連子:正面は「八幡太郎義家 安部貞任を討つ」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「粟津合戦 巴御前の雄姿」。
小連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「平景清錣引き」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 山路将監の血戦」、左は「本能寺の変」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「小桜責め」、右は「正成笠置に参上す」、左は「如意輪堂の場」。
虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「那須与一扇の的」、左は「明智佐馬介湖水渡り」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。


 堺県第二大区第五小区春木村の『諸事控帳』に明治7年(1874)12月6,7日に台湾出兵により清から賠償金を得たことによる「国家奉祝」が行われた際に、大町村、忠岡村の地車等と共に地車を曳きだしたと記されている。これが吉井村地車最古の記録である。この地車を初代とすると。
 二代目は明治末期に泉大津市下之町より購入。後ろに鐘鬼さんのある上地車という。大正初期まで曳かれたが老朽化で町内で朽ち果て処分。昭和26、7年頃まで野晒しだったという。

 三代目(先々代)は昭和9年?頃に作才の古物商氏原氏より購入。
古老の言い伝えでは、氏原にて中古地車3台より部材を取り1台にしたと言う。
3台の内1台が旧市の大北町の地車(安政3年新調の先々代か?この地車は天保か弘化年間の作で岸極の印があるという。)と他に2台の地車の彫物を足したというが?
 さて水争いの憂さを喧嘩ではらそうと箕土路をまちぶせしていたところ、下池田がやってきたがやはり喧嘩になり人事不省の怪我人が出て地車は田圃に放置された。昭和22年10/16に東大阪市角田が購入。この金で吉井はもみすり機を購入。

 地車無しの状態が昭和22年〜48年。
 四代目(先代)は昭和48年に20数年の地車曳行復活のため春木旭町より購入し、そして新調地車の下取りに使われ現・堺市日置荘西町東部。
経路は岸和田市吉井町新調⇒〃八阪⇒〃春木若松⇒〃春木旭⇒〃吉井⇒堺市栂⇒堺市日置荘西町東部。
荒木町=昭和59年(1984)9月30日、新調入魂式。大工は吉為工務店(吉野為雄)。彫師は筒井和男。
平成14年4月28日、修復入魂式。大工は大下工務店(大下孝司)。
長さ4.105m。大屋根幅2.52m。内幅1.15m。高さ3.773m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に夜疑神社御神紋」。
懸魚:正面は「波濤に千鳥 御来光」、後ろは「波濤」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「大江山 頼光木渡り」、後ろは「陣幕に武者」。
二重枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇 東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「小碓命 川上梟師を誅す」。
虹梁:「波濤に千鳥」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「米俵を担ぐ力神」。
勾欄合:「花鳥づくし」。
松良:【源平盛衰記】右は「頼朝朽木隠れ」、左は「佐奈田与一 俣野五郎組打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「褒賞の場」、右は「狩場風景 勢子等の活躍」。左は「仁田四郎忠常 大猪退治」。
大連子:正面は「宇治川の先陣争い」、右は「源義家 安部貞任を追う」、左は「粟津合戦 巴御前の雄姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「赤穂義士両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「藤吉郎初陣」、右は「木村長門守重成 単騎部下を救い出す」、左は「独眼龍政宗 松川に岡野左内と戦いで虎口を脱す」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に夜疑神社御神紋」。
懸魚:「波濤に龍」。
車板:「朝比奈三郎怪力城門を破る」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「大坂夏の陣」。
水板:三方とも「波濤」。
 ≪後腰廻り≫
幟台:「唐草文様に夜疑神社御神紋」。
後縁葛:【太閤記】正面は「藤吉郎 小牧山に樹木を算う」、右は「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」、左は「藤吉郎 清洲城修築」。
後連子:【太閤記】正面は「日吉丸 矢矧橋にて小六と出会う」、右は「藤吉郎 信長公に初見参」、左は「今川義元 田楽狭間に露と落つ」。
後松良は「こぶし型若草文様彫」。
水板:三方とも「波濤」。


 初代か?明治37年の旧区長⇒新区長(荒木源吾氏⇒田中庄吾郎氏)の村の目録引渡し書に地車基金という記載あり。
 先々代は大正3年に手付50円で天下茶屋方面(西の大佐。下川安次郎?)に地車を注文。12月に貝塚市半田の大工に地車小屋建設並びにコマ4ヶを55円で発注。翌4年にやや小振りの上地車搬入。なおこの地車は新調に伴い400円で某所に売却。
 先代は昭和5年制作。新調に先立ち昭和57年に同市中尾生へ。
下池田町⇒地内には新興町の下池田東町がある。
=平成15(2003)年9月28日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は松田武幸。
長さ4.2m。大屋根幅2.48m。内幅1.215m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社御神紋」。
懸魚:正面は「開運朝潮御来光」、後ろは「叢雲夕汐月光」。
車板:正面は「雲に阿吽の双龍」、後ろは「雲海に双龍」。
小屋虹梁:正面は「松に鶴」、後ろは「竹に雀」。
枡合:【神話伝説】正面は「天照大神」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「点児屋根命」、後ろは「国産み」。
二重枡合:右は「唐子曲芸遊び」、左は「唐子独楽遊び」。
虹梁:三方「菊水流水」。
木鼻:三方「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社御神紋」。
懸魚:「雲に波 昇龍」。
枡合(二重見送り):「大坂冬合戦 真田丸の攻防」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「瓢箪に烏天狗」。
勾欄合:「日本むかし話」。
松良:右平は「柿崎和泉守采配を振る」、右妻は「一ノ谷合戦」、左妻は「鵯越え坂落とし」、左平は「加藤清正、山路将監討取る」。
縁葛:正面は「梶原景季 生田の森」、右は「川中島に武田左馬之助奮戦」、左は「加藤孫六嘉明 足海峠にて浅井吉兵衛討取り」。
大連子:正面は「福原陣地 盛知章」、右は「西条山 山本勘助」、左は「庭戸浜 福島正則」。
小連子:正面は「一之谷重衛教経」、右は「小幡ヶ原 武田信玄」、左は「飯之浦 脇坂甚内」。
土呂幕:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「川中島の合戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
水板:「波に千鳥」。
松良受け:「こぶし型若葉地彫」。
竹ノ節:上は「唐草伊勢込み」、下は「牡丹伊勢込み」。
縁板:「花菱」。
兜桁:「夜疑神社三つ巴御御神紋に金物型」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「和議の勅使庭田大納言下向す」、右は「重成和議の血判受取り」、左は「淀君に和議の打診す」。
大脇:右妻は「棺桶守る大久保彦左衛門と坂田甚五郎」、右平は「薄田隼人と筒井隼人正」、左妻は「伊達政宗の雄姿」、左平は「本多忠朝と荒川熊蔵」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱」。
縁隅木:「下池田に唐草伊勢込み」。
縁葛:「銭波地彫に菊唐草イセゴミ」。
後連子:正面は「本能寺の変」、右は「桶狭間の戦い」、左は「姉川の戦い」。
半松良:右は「阿形逆立唐獅子」、左は「吽形逆立唐獅子」。
水板:「波に千鳥」。
幟台:「力神」。

 往古は他村より借りることもあったが、作才の古物商の氏原氏より借りることが多く、年によっては上だんじりを曳いたこともあった。
 先々代は大正7年制作。仏壇職人が作ったので中が広く安定がよかったと伝えられる。昭和48年和泉市黒鳥坊小路へ売却。現・高石市取石3丁目へ。
 先代は昭和24年同市白原町新調。昭和47年白原町より購入。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。
平成16年(2004)7月昇魂式を行い、橋室(積川町東)へ。
箕土路町=平成15年(2003)10月5日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫岸田(岸田恭司)。
長さ4.3m。大屋根幅2.535m。内幅1.24m。高さ3.9m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に巴(社紋)」。
懸魚:「開雲に波濤、犬飼神社御来光」。
車板:「剣菱夜叉明王」。
飛檐垂木:「箕」。地垂木:「龍」。
枡合:正面は「敦盛の舞」、右は「義元の最期」、左は「戦勝祈願」、後ろは「義元酒宴を催す」。
二重枡合:右は「風神」、左は「雷神」。
虹梁:「波雲千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「短冊を持つ弥生時代の箕土路の民」。幟台は「組物」。
勾欄合:「花鳥づくし」。
松良:「長篠の合戦」。
縁葛:正面は「本能寺大茶会の場」、右は「道三、信長会見の場」、左は「お市の方お輿入れの場」。
大連子:正面は「長篠にて尽忠の武士久蔵の最期」、右は「道三会見の前に信長の様子をうかがう」、左は「本多平八郎忠勝 真柄十郎左衛門の血戦」。
小連子:正面は「信長東大寺の蘭奢侍を所望する」、右は「万松寺にて信長仏前に焼香を投げる」、左は「お市の方小豆袋をもって信長に危機を知らす」。
土呂幕:正面は「本能寺 夜軍」、右は「稲生の合戦」、左は「石山大合戦」。
水板:「天の川」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に巴(社紋)」。
懸魚:「雲と波濤(七夕伝承)」。
車板:「龍」。
飛檐垂木:「箕」。地垂木:「龍」。
屋根虹梁:「夜疑神社 雨乞い」。
隅出す:「昇龍」。
枡合:正面は「蘭丸光秀打擲」、右は「藤吉郎初見参」、左は「犬千代笄の刃傷」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇は「本能寺の変」。
虹梁:正面は「安土城築城」、右は「信長公、鷹狩り」、左は「信長公、相撲上覧」。
木鼻:「菊」。
物見:右は「大門池」、左は「菰池」。
竹の節:「みどろ童」。
摺出鼻:「七夕伝承」。
後縁葛:「銭波と巴 伊勢込み」。
後大連子:正面(右)は「光秀小栗栖での最期」、(左)は「光秀が老母眼前にて吊り上げられる」、右は「信長公御前にて藤吉郎長槍を以って上島主水を突きふせる」、左は「前田犬千代首取り足立を討取り無事起算す」。
後半松良:「組物」。

 往古は獅子舞が舞われていた。獅子頭は現在は夜疑神社に保管。
 先々代は大正初期に中古地車を購入。現・地車購入につき池尻の古物商の西野氏に売却。同市は春木戎町の大工に修復させ春木宮川町(先代)に売却するが、現存せず。
 先代は昭和32年10/3夕方収納。同市中北町新調で約22万円で購入。平成15年3/30昇魂式の後、和泉市黒鳥坊小路へ。
西大路町⇒鎮守は弁財天。明治41年11/25に合祀されるが、今もあり曳きだしの前にお参りする。
=平成元年(1989)10/1、新調入魂式。完全完成2年。大工は池内工務店(池内福治郎)。
彫師は中山慶春、野原湛水、木下賢治、近藤晃、岸田恭司。
平成19年(2007)、池内工務店で修復。その時に番号持ちを追加。
 ≪大屋根廻り(二重見送り)≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「琵琶を弾く弁財天」。
松良:右は「倶利伽羅峠火牛の計」、左は「一ノ谷鵯越え逆落とし」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常 猪退治」、右は「富士の巻狩り」、左は「頼朝本陣」。
大連子:正面は「八幡太郎義家 安部貞任を討つ」、右は「粟津合戦 巴御前の雄姿」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「赤穂義士 吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「本能寺の変」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「賤ヶ岳七本槍」、下段は「灘波戦記」。

 先々代は作才の古物商に売却。
 先代は昭和46年泉佐野市鶴原貝田より120万円で購入。17年曳行後、昭和63年再び貝田へ里帰り。
小松里町⇒地内には枝村の額町と新興町の新小松里町、松ヶ丘町がある。
=平成3年(1991)9月29日、新調入魂式。完全完成4年9月。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は岸田恭司、松田武幸、片山晃、高浜輝夫、筒井一門。
長さ4、2m。幅2、55m。高さ3、87m。
彫物は【源平合戦】で統一。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲 夜疑神社社紋」。
懸魚:「雲 天照大御神」。
車板:「瑞鶴」。
屋根虹梁:「水中の夫婦亀」。
枡合:上は「雲に鶴」、正面は「牛若弁慶五条大橋の出会い」。右は「清盛 布引の滝遊覧」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」、後ろは「出陣」。
虹梁は「波濤に浜千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「金太郎」。
幟台:「楯」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:右は「鞍馬山 牛若丸修業の場」、左は「石橋山 頼朝朽木隠れ」。
縁葛:【曽我兄弟】正面は「草摺引き」、右は「十番勝負」、左は「夜討ち」。
大連子:「安宅の関 弁慶義経徴打」、右は「義経八艘飛び」、左は「富士川の合戦 源頼朝」。
小連子:正面は「大垣に義仲雄婦巴会」、右は「木曽義仲の最期」、左は「宇治川の先陣争い」。
土呂幕:正面は「忠信碁盤投げ」、右は「巴御前の雄姿」、左は「嗣信の忠節」。
後縁葛:【富士の巻狩り】正面は「勢子等の活躍」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「頼朝本陣報償の場」。
後連子:【大江山】正面は「酒呑童子と四天王」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒盛りの場」。
後半松良:「物見の武者」。
後水板:「波濤に浜千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波・素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
車板:「雲に鶴」。
屋根虹梁:「波濤」。
 ≪見送り廻り≫
二重見送りは「一ノ谷の合戦」。
脇障子:【一ノ谷の合戦】右は「鵯越えの武蔵坊弁慶」、左は「父の身代わり平知章」。
物見:前は「花鳥」、後ろは「牡丹に唐獅子」。
竹の節:右は「風神」、左は「雷神」。
大脇、摺出は「一ノ谷の合戦」。
摺出鼻:右は「阿吽の獅子(阿)」、左は「阿吽の獅子(吽)」。


 三先代は会所の出火で焼失。
 先々代は大正12年頃下松より購入するが、3年後に解体売却され現存せず。。
 先代は昭和32年貝塚市新町新調。昭和40年代に約70万円で購入。新調に先立ち平成元年に泉州健康センター“りバテー”に売却され展示される。
その後小松工務店⇒和泉市若樫町へ。
額町(北額)=平成10年(1998)10月4日、新調入魂式。11年完全完成。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は松田正幸、木下賢治。
長さ4.2m。大屋根幅2.5m。内幅1.23m。高さ3.85m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「白河上皇 積川神社遥拝」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「扁額を持つ加藤清正」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:右は「加藤清正 山路将監正国を討取り」、左は「加藤清正 虎退治」。
縁葛:正面は「秀吉 朝鮮出兵を見送る」、右は「朝鮮水軍との戦い」、左は「朝鮮兵との戦い」。
大連子:正面は「片桐且元の三人刺し」、右は「七本槍功名一番手柄」、左は「加藤孫六 浅井吉兵衛を討つ」。
小連子:正面は「清正 秀頼とともに二条城で家康と対面」、右は「清正 行長と対面」、左は「伏見大地震」。
土呂幕:正面は「加藤清正 山路将監正国を討取り」、右は「片桐且元の三人刺し」、左は「加藤孫六 浅井吉兵衛を討つ」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「清正元服」、右は「清正 加藤家の由来を聞く」、左は「清正 正則との御前試合」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「九州征伐」。

今の清原電気商会の所が古物商で(もっと以前は淵だったらしい)、そこが購入して目ぼしい彫物は取り外し、地車本体はその前が池(現在は焼肉屋)でほりこまれていたので、昭和37,8年頃に彫物をよく取りに行ったという話を聞いたが?これは先々代?。
 先々代は昭和40年の祭礼で町内で大屋根が破損したので処分する。
 先代は昭和41年に貝塚市畠中より30万円で購入。平成10年6月28日、曳き納めし和泉市葛の葉町へ。
額原町(南額)⇒地内には新興町の花田町、緑ヶ丘町がある。
=平成7年(1995)10月1日、新調入魂式。8年9月29日、完全完成入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は井上進一、筒井伸、松谷隆司。長さ4.22m。大屋根幅2.53m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「白河上皇 碁打ち」、右は「鶴ケ岡八幡宮」、左は「布引の滝」。
 ≪腰廻り≫
看板持ち:「白河上皇」。
勾欄合:「唐子二十四孝」。
松良:右は「大江山」、左は「安宅の関 弁英義経徴打」。
縁葛:三面とも「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「倶利伽羅の戦い」、左右は「篠原の合戦」。
小連子:三面とも「富士川の合戦」。
土呂幕:正面は「保元の乱」、右は「壇ノ浦の合戦」、左は「木曽義仲の最期」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「戸隠の青嵐」、左は「羅生門禁札」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。


 先々代は同市堺町新調(先々代)⇒貝塚市脇浜⇒額原へ。大正10年頃購入し春木川の川原に保存していたが自然消滅。
またもう一説には
 先代は昭和40年に貝塚市脇浜より約10万円で購入し香川県坂出市上林田に売却。
大町⇒地内には大町東町、紅葉ヶ丘町の新興町がある。
=平成12年(2000)9月17日、新調入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は土呂幕は松田武幸(雲桟堂美術院)、見送りは森 西鶴。
長さ4.29m。大屋根幅2.485m。内幅1.23m。高さ3.85m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「夜疑神社社紋」。
懸魚:正面は「慶雲 開旭」、後ろは「乱雲に燕」。
車板:【唐子遊び】正面は「鯛車曳き」、後ろは「雪だるま」。
屋根虹梁:正面は「雲に鳳凰」、後ろは「雲」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、【忠臣蔵】右は「高田馬場」、左は「殿中松の廊下」、後ろは「赤穂城引渡し」。
虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「毘沙門天」。幟台:「雲に増長天」。
勾欄合:「三十六歌仙」。
松良:【源平合戦】右は「一ノ谷鵯越え坂落とし」、左は「鞍馬山牛若修業の場」。
縁葛:【源平合戦】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「由比ヶ浜」、左は「曽我兄弟仇討ち」。
大連子:【源平合戦】正面は「紫宸殿の合戦」、右は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」、左は「粟津合戦 巴御前」。
小連子:【源平合戦】正面は「安宅の関 弁慶義経徴打す」、右は「酒宴の場」、左は「「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
土呂幕:【日本神話】正面は「天の岩戸開き」、右は「神功皇后応神天皇平産」、左は「天兒屋根命 神鏡を以って怪異を顕す」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「夜疑神社社紋」。
懸魚:「波濤に摩楼魚」。
屋根虹梁:「龍に虎」。
飛檐垂木:「金物型、大の文字」。
地垂木:「金物型、左三頭巴」。
枡合:正面は「菅原道真公 歩みの場」、右は「忠臣蔵 三条放蕩」、左は「忠臣蔵 箱根詫び証文」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良上野介討取り」。
見送り、大脇は「川中島の合戦」。
脇障子:【川中島の合戦】右は「武田義信」、左は「高坂彈正」。


 初代は明治初期新調で転倒事故で議員死去のため昭和31年に八尾市服部川の飯田松太郎に売却。その後泉大津市助松の上林医院に売却され、同院長は助松町に寄贈。現・泉大津市池園町。

 二代目(先々代)は昭和32年〜46年曳かれる。和泉市寺門新調で大町購入で摩湯へ売却。やがて寺門へ里帰り。現・和歌山県橋本市北馬場。
 三代目(先代)は昭和47年20万円で貝塚市沢より購入し平成12年4/2曳納めし、奈良県大和高田市の大和地車保存会に売却。
池尻町⇒地内には新興町の五月ヶ丘町、池尻さくら町、桃ヶ丘町がある。
=平成8年(1996)10月6日、新調入魂式。10年10月25日、完全完成入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。
長さ4.16m。大屋根幅2.605m。内幅1.245m。高さ3.9m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「巴」。
懸魚:「波」。
車板:前は「神武天皇東征」、後ろは「野見宿禰と当麻?速」。
枡合:正面は「安芸宮島弁財天」、右は「鶴ケ岡八幡宮 戦勝祈願の場」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
二重枡合:正面は「神功皇后」、右は「武内宿禰と甘美内宿禰」、左は「神功皇后三韓征伐」。
虹梁:「菊水」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「行基像」。
勾欄合:「忠臣蔵物語」。
松良:【大江山】右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
縁葛:【曽我兄弟】正面は「由比ヶ浜」、右は「十番勝負」、左は「夜討ち」。
大連子:正面は「生田ノ森 一ノ谷合戦」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「薩摩守忠度と岡部六弥太の血戦」。
小連子:正面は「平清盛 布引滝遊覧」、右は「平維茂 戸隠山」、左は「安倍泰成 妖怪退治」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎奮戦」、右は「木曽義仲 粟津合戦」、左は「奥州高館合戦」。
水板:「波に龍」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に鯉」。
車板:「天の岩戸」。
二重枡合:正面は「本能寺の変」、右は「桶狭間の合戦 今川義元の最期」、左は「藤吉郎 富士川の初陣」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「矢矧橋 日吉丸小六との出会い」、右は「日吉丸、信長初見参」、左は「藤吉郎草履取り」。
見送り、脇障子、摺出し鼻、摺出し受け、大脇は「灘波戦記」。
脇障子物見:「花鳥」。
大脇物見:「花鳥」。
竹の節:「昇龍、降龍」。
 ≪後腰廻り≫
後縁葛:正面は「藁人形の計略」、右は「米・金を施行す」、左は「正成公の秘水」。
後連子:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「正行 如意輪堂の場」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
後松良:右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「児嶋高徳 桜木に歌を詠む」。
水板:「波に龍」。
幟台:「玄武」。

 初代は明治10年制作。昭和5年に同市八阪に売却。現・堺市栂。
 先代は昭和5年制作。10年説もあり。平成9年6/29曳き納め。泉大津市南曽根に売却。
 【地車廃絶】
忠岡町北出
=忠岡町道之町新調に先立ち道之町が地車購入を持ち掛けるが乗らなかった。
地車は昭和2年、忠岡町生之町より購入。
昭和31年が最後の曳行で初日に夜疑神社。二日目に行基参りに久米田寺へ行った。翌年より曳行を休止し、(24年が最後の曳行で翌25年のジェーン台風で地車小屋の屋根が飛んで傷み休止説もあるが)50年頃解体し彫物を村の人で分ける。地車小屋は北出2−12,13付近にあり村の精米所になる。
「北出自治会蔵文書」には明治13年9/29〜10/1の3日間を北出村菅原神社例祭により午前9時〜午後6時の地車曳き出し願いがある。
 【新興町】
若葉ヶ丘町(吉井町内の府営住宅)=子供地車。昭和55年9月30日、新調入魂式。この時のみ夜疑神社に宮入りした。以降は町内の所曳きのみ。やがて一戸建てから棟への建替えにより住民不在に付き廃絶。最後の曳行の年に吉井町の事故のため途中で中止となる。
大工は町内の宮田影夫で2ヶ月かかりで制作。

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