大 阪 府【和泉】
  
   ≪岸和田市≫
    
    ※岸和田天神宮氏子で10月祭礼地区は各年番に記載しています。
    春木南は天神地区に参加していますが、春木htmに記載しています。

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
岸城町11−30 岸城神社 9/連休土日 神輿
地車15台 北町、本町、堺町、南町、中町、大工町、中之浜町、紙屋町、大手町、中北町、大北町、宮本町、五軒屋町、上町、南上町
地車廃絶 魚屋町(明治36年売却)
宮入りは番外として1番は宮本町、2番は上町、3番は五軒屋町。
他の北町・堺町・本町・南町・大北町・中北町・大手町・中町・紙屋町・中之濱町・大工町は9月1日の三郷の寄合で籤引きにて決定。
 ≪五ヶ町≫(城下町)
北町=平成20年8月31日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は松田武幸。6代目に当るとされる。
平成15年7月20日、原木祭。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「雲に岸城神社御神紋(木瓜)」。
懸魚:正面・後面は「波濤に千鳥」。
飛檐垂木・地垂木:「北の字に金物型地彫」。
車板:正面は「雲海に青龍」、後面は「雲海」。
小屋虹梁:正面は「雲海・渡り鳥」、後面は「雲海」。
桁鼻:「雲」。
隅出:【甲越軍記】右前は「甘粕次郎吉傳」、右後は「小島弥太郎獣を斬る」、左前は「春日源五郎功名」、左後は「曲淵多吉妖力」。
横槌:「花鳥風月(歌川広重画)」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后応神天皇平産」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後面は「北町纏の伝承」。
二重枡合:「雲・鳥・組物」。
枡合天井:「雲海・鶴」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「茶屋新右衛門」。
松良:右は「本能寺」、左は「桶狭間」。
縁葛:正面は「謙信 塩を送る」、右は「大返し」、左は「安土城に参候す」。
小連子:正面は「武田軍 評定の場」、右は「高松城 水攻め」左は「半兵衛 進言を教示す」。
大連子:正面は「稲葉山城 攻略」、右は「山崎の合戦」左は「賤ヶ岳の合戦」。
土呂幕:(正面「山県昌景 三方ヶ原の功名」、右は「真田幸村・大助、道明寺の奮戦」、左は「福島市松、拝郷五郎衛門を討つ」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸城神社御神紋(木瓜)」
懸魚:「波濤に千鳥」
枡合:【曽我物語】正面は「五郎時政」右は「由比ヶ浜」、左は「興津の雪」。
枡合虹梁:「黒檀・唐草模様」。
 ≪見送り廻り≫
脇障子:【川中島合戦記】。右は「宇野左馬介高政奮戦」、左は「甘粕近江守景持殿戦」。
摺出受:【川中島合戦記】右は「妻女山より突進する馬場美濃守信春」、左は「妻女山にて物見する高坂弾正昌信」。
摺出鼻:【節分】右は「鬼は外、福は内(葛飾北斎画)」。
見送り:「川中島の合戦」。
見送り天井:「八方睨みの鳳凰(葛飾北斎画)」。
犬勾欄:三方「菊華流水」。
 ≪小屋根腰廻り
幟台:「飛龍」。
縁葛:正面は「波に千鳥」、右は「波に千鳥」、左は「波に千鳥」。
後連子:正面は「謙信 成田長泰を叱咤する」、右は「謙信信玄 運命の出逢い」、左は「謙信 乃美姫への想い」。

 天明5年(1785)油屋治兵衛が泉大津より地車購入が始まり。この地車は翌年、泉佐野市中之庄に売却。
 天明6年(1786)大工安兵衛方で地車新調。この地車は3〜4年曳行。
 その後地車が2代。要するに江戸期に地車3台新調。
 先々代は明治12年新調。北町⇒貝塚市沢⇒岸和田市大町⇒奈良県大和高田市大和地車保存会。
 先代は大正6年(1917)制作。大工は要卯之介。墨引きは卯之助の師匠の櫻井義國。彫師は櫻井義國。
葛城町へ売却され、同町では平成20年(2008)3月30日、入魂式。

=昭和3年手斧始め。7年新調。8年完全完成。大工は絹井楠次郎・田端辰次郎の合作。彫師は吉岡義峰、森曲江。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「敦盛の最期」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「頼朝 朽木隠れ」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳を詠む弁慶」。
松良:右は「牛若鞍馬山修業の場」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「赤穂義士 吉良邸討入り」、右は「清水一学の奮戦吉良邸討入り」、左は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」。
大連子:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
小連子:正面は「鎮西八郎為朝の豪弓」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「鶴ケ岡八幡宮放生会」。
土呂幕:正面は「巴御前の雄姿」、右は「源義経八艘飛び」、左は「平影清綴引き」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「源三位頼政 鵺退治」、右は「本能寺の変」、左は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷合戦」。

 先々代は安政2年(1855)新調。四ッ屋根地車だったが、明治37年に和泉市納花に75円で売却。南池田の地車騒動のため廃絶。
 先代は大正4年(1915)制作し、昭和2年に忠岡町生之町に売却。
堺町=大正14年(1939)8月制作。大工は朝代市松。添棟梁は三木田捨三。彫師は一元林峯はじめ一門。
長さ4.165m。大屋根幅2.422m。内幅1.172m。高さ3.785m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に木瓜(社紋)」。
懸魚:前は「波濤に浜千鳥」、後ろは「波濤」。
車板:前は「瓶割りの場」、後ろは「雲海」。
飛檐垂木・地垂木は「堺町」。
小屋虹梁:「雲海に鶴」。
隅出す:「源平盛衰記」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后三韓征伐」、後ろは「坂田金時と大鯉」。
虹梁:三方「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳を詠む弁慶」。
松良:右は「頼光 鬼退治」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛は三方「東海道五十三次」。
大連子:【太平記】正面は「楠木正成 湊川本陣」、右は「六波羅北条舘襲撃の段」、左は「東寺襲撃の段」。
小連子:【太平記】正面は「楠木正成 後醍醐天皇に拝謁」、右は「唐崎浜の合戦」、左は「新田義貞の奮戦」。
土呂幕:【楠木戦記】正面は「楠公父子桜井の駅の別れ」、右は「楠木正行、四條畷の戦い」、左は「楠木正季、湊川の奮闘」。
水板:「波濤」。
後縁葛、後連子:「大坂夏の陣」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に橘」。
懸魚・「波涛に浜千鳥 奥に浦島太郎」。
車板:「源三位頼政鵺退治」。
飛檐垂木・地垂木は「町紋に唐草模様金物型」。
小屋虹梁:「源義経八艘飛び」。
枡合:正面は「平清盛 厳島神社参拝」、右は源頼朝 鶴岡八幡宮放生会」、左は「安倍泰成の妖怪退治」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、摺出し鼻は「大坂夏の陣」。
見送り虹梁、脇障子物見、大脇物見は「源平合戦」。
脇障子:右は「三好清海入道、小笠原信濃守奮戦の場」、左は「薄田隼人と塙団右衛門」。
竹の節:「逆立ちする唐獅子」。
兜桁:「木瓜紋に唐草模様金物型」。
 ≪後腰廻り≫
後縁葛、後連子は「大坂夏の陣」。
水板:「波濤」。」
半松良:「松」。
縁板:「花菱模様地彫」。
幟台:「波濤に海亀」。

 三先代は天保13年(1842)制作。堺町⇒貝塚市脇浜⇒同市額原(現存せず)
 先代は明治22年5月6日完成。大正11年に熊取町野田に売却。
南町=平成7年(1995)8月27日、新調入魂式。大工は植山良雄。彫師は岸田恭司。
長さ4.3m。大屋根幅2.53m。高さ3.87m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:前は「開運御来光」、後ろは「雲海」。
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「天の岩戸」。左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。

二重枡合:「雲に鶴と龍首組物」。
虹梁:「青海波に海燕」。
木鼻:「唐獅子」。

 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳を持つ弁慶」。
幟台:「蛸」。
松良:右は「一ノ谷鵯越え」、左は「千早城の攻防」。
縁葛:正面は「高波城下を襲う」、右は
「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「後醍醐天皇を兵庫に出迎え」。
大連子:正面は「蛸地蔵 天性寺に迎える」、右は「義経八艘飛び」、左は「楠正季 直義を討ち逃す」。
小連子:正面は「蛸地蔵の再現」、右は「若木桜の高札」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
土呂幕:正面は「岸和田大乱戦」、右は「堀川の夜討ち」、左は「四條畷の合戦」。
後縁葛:「銭波の地彫に唐草のイセゴミ」。
後連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「福島市松 拝郷五左ェ門討取り」、右は「加藤虎之助 山路将監の血戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。

 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤より蛸地蔵現る」。
車板:「雲に鶴と組物」。
枡合:【神話伝説】正面は「神功皇后応神天皇平産」、右は「小碓尊 女装して川上梟師を誅す」、左は「雄略天皇の猪退治」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「川中島の合戦」。
見送り虹梁:【曽我物語】正面は「草摺引」、右は「夜討ち」、左は「十番斬り」。
脇障子:右は「敗走する武田義信」、左は「妻女山を降る高坂彈正」。
摺出し鼻:【北斎漫画】右は「餅は餅屋」。左は「釣りの名人」。

 先々代は明治30年頃新調。大正8年に2,035円で貝塚市三ッ松に売却。現在は六虎倶楽部公式HPへ。
 先代は大正7年新調。〜平成7年5月7日、曳き納め。高石市高磯(2区)へ。
魚屋町=地車廃絶。
 先々代は魚屋町新調⇒貝塚市名越⇒泉大津市豊中⇒岸和田市畑(老朽化廃絶)。
 先代は明治35年に並松町に貸し、翌36年に売却したが37年地車小屋の隣家よりペスト患者が発生したので焼却処分された。
 ≪浜方≫
中町=大正11年(1922)制作。大工は<大弥三>こと田端辰次郎。彫師は開親子。
長さ4.03m。大屋根幅2.46m。内幅1.045m。高さ3.69m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社紋」。
懸魚:「波に千鳥」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
枡合:正面は「牛若弁慶五条大橋の出会い」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
二重枡合:上は「頼朝朽木隠れ」、下は「為朝の豪弓」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「打出の小槌を担ぐ大黒天」。
勾欄合:三方は「唐子遊び」。
松良:右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神功皇后応神天皇平産」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「論功褒賞の場」、右は「仁田四郎忠常の猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「義士両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
小連子:正面は「石川五右衛門、千鳥の香炉盗り」、右は「清洲城修復」、左は「尼ケ崎危難の場」。
土呂幕:正面は「源義家 奥州衣川において貞任を追う」、右は「巴御前勇戦」、左は「石橋山合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社紋」。
懸魚:「波に千鳥」。
枡合:正面は「義経弁慶五条大橋の出会い」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「布引の滝 小桜責め」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺り出し鼻は「賤ヶ岳の合戦」。

 宝暦〜天保の記録には2台の地車を有すとある。これはかつて中町は南中裏町、北中之町(合併して北の中町裏町)と中町裏町に分かれてそれぞれ1台ずつあった。

 先代は天保11年(1840)新調し大正11年に貝塚市清児に売却⇒和泉市今在家(現・芦部町)⇒和歌山県橋本市東家町へ。
大工町=平成16年(2004)5月5日、原木祭。
平成24年(2012)8月19日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は木彫山本(山本仲伸)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「鯱 木瓜紋」、後ろは「鯱 橘紋」。
懸魚:正面は「波千鳥に旭日」、後ろは「雲」。
枡合:正面は「壇ノ浦の勇将 平教経」、右は「平経正都落ち」、左は「箙の梅 梶原源太景季」、後ろは「大工町の漁師、岡部公の危難に馳せ参じる」。
二重枡合:右は「鵺退治」、左は「九尾の狐」。
虹梁:正面は「龍宮城」、左右は「波濤」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「鯱 三つ柏紋」。
懸魚:「乙姫想ひし浦島太郎」。
地垂木は
車板:「鶴と亀」。
小屋虹梁:「波に兎」。
横槌:「十二支」。
二重見送り:「夢幻如也」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「義仲慕う巴御前」。
勾欄合:「菊格子」。
上縁板:「花菱地紋」。
松良:右は「石橋山」、左は「倶利伽羅峠」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「曽我兄弟 十番勝負」、左は「和田の酒盛り」。
大連子:正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「石津合戦 北畠顕家の奮戦」、左は「湊川合戦」。
小連子:正面は「両国橋引揚げ」、右は「義士討入り 大石内蔵助」、左は「吉良討取り」。
土呂幕:正面は「薄田隼人正兼相徳川本陣討入り」、右は「真田幸村、本多忠朝の一騎討ち」、左は「後藤又兵衛の跳槍」。
脇障子柱:右は「鯉の滝登り」、左は「獅子の子落し」。
脇障子受け:「牡丹」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂冬の陣」。
見送り虹梁:正面は「夫婦獅子」、右は「親子獅子」、左は「獅子の鞠遊び」。
見送り木鼻:「菊花流水」。
見送り天井:「龍の雲を得るごとし」。
脇障子:右は「且元の真意を知る豊臣秀頼」、左は「豊家への忠誠を尽くす片桐且元」。
大脇:右妻は「幸村の火計逃げ惑う秀忠」、右平は「桶屋に潜む家康」、左妻は「本町橘夜討ち」、左平は「真田大助の計略」。
後連子:【河鍋暁斎戯画】正面は「猫と鼠」、右は「蟹の綱渡り」、左は「蛙の寺小屋」。
後水板:「波千鳥」。
幟台:「木綱」。


 三先代は文久2年(1862)新調。明治23年に泉佐野市長滝中ノ番に売却。
 先々代は明治32年新調。大正8年9月15日の宮入りにおいて中北町の日根野たけ(27)が3歳の子供に綿菓子を買ってやろうとしたところ、地車が疾走して転倒し母子が地車の下敷きになり絶命したため貝塚市名越に売却。

 先代は大正12年(1923)制作。大工は朝代市松。彫師は一元林峯。助は吉岡義峰、佐生武之輔。
平成23年(2011)11月3日、昇魂式をして、堺市大庭寺へ売却。
中之浜町=大工は天野藤一、〃喜三郎。彫師は木下舜次郎。助は金光南陽。
長さ9尺3寸5分。大屋根幅2.,306m。内幅1.145m。高さ3.342m。平成18年、あまの地車制作所で修復。
昭和27年(1952)8月完全完成入魂式。本来ならば、完成の26年に入魂式だが、天野藤一師が「初めての地車制作なので、試験曳きをして不都合あれば手を入れ、完璧なかたちで地車にしてから入魂したい」ということで27年となる。
 ちなみに25年は台枠にコマと屋根だけの地車を曳いた。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に橘御神紋」。
懸魚:正面は「波濤に千鳥」、後ろは「波濤」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「後醍醐天皇隠岐よりお帰り」。
虹梁は三方「波濤に千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「横綱の土俵入り」。
幟台:「唐獅子」。
勾欄合:「赤穂義士」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。松良は筒井和男の作。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「義士両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り」。
大連子:【源平盛衰記】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」、左は「巴御前の雄姿」。
小連子:【太閤記】正面は「清洲城登城」、右は「秀吉屈辱を忍ぶ」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
土呂幕:正面は「平将門の勇戦」、右は「加藤清正 九州征伐」、左は「本能寺の変」。
水板:三方「波濤」。
松良受:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:「波濤に龍宮より帰る浦島太郎」。
車板:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
枡合:正面は「鶴ヶ岡八幡宮社頭にて頼朝公 千羽の鶴を放つ」、右は「顔世御前鶴ヶ岡八幡宮に兜を奉納す」、左は「小櫻責め」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」、左は「秀吉 馬に馬に鞭あて四方田の急追から逃れる」。
竹の節:「親子唐獅子」。


 「高井家文書」によると安政2年(1855)に地車新調を願い出て翌年に完成している。この地車は銀2,000貫で貝塚市三ッ松に売却。明治30年頃?の旱魃のため当時地車小屋のあった亀井昇氏宅の北角で解体して市をして売却。現在も村で3軒が彫物を保有。町内の某家に左の土呂幕<根井大弥太行親勇戦>墨書きに花岡龍造義信とある。また某家では小屋廻りの一部<龍宮城の乙姫>が保存されている。

 先々代は八田町に売却と伝えられる。
 先代は明治33年に制作。大工は田端辰次郎。彫師は寺田卯ノ助。水滸伝の異名を持つ名地車だったが、横山篤夫著『地車も焼いた岸和田の空襲―48年後の聞きとりと文献の検討-』によると、7月10日未明、堺大空襲に伴い、B29が岸和田市役所上空付近で投下した焼夷弾が強風に流されて海岸一帯に落下し、死者6人、焼失家屋(漁具小屋・納屋等を含む)約130軒の被害を出した(別資料には全焼178軒、戦災者555名、死者1名、重傷1名とあり)。この空襲で、疎開道路建設のために海岸付近の納屋に移されていた中之浜町の地車も焼失した。
そのため泉南唯一の戦災地車になる。
 昭和22、23年は中町の地車を一緒に曳かせてもらった。
紙屋町=平成3年(1991)7月14日、新調入魂式。大工は天野工務店。彫師は松田正幸、正彦親子、木下賢治。4ヶ年かけて完成。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「鎮西八郎為朝の剛弓」、右は「源三位頼政 鵺退治」、左は「坂田金平 烏天狗退治」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「宝船」。
幟台:「見ざる、聞かざる、喋らざる」。
松良:右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神功皇后 三韓征伐」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常の猪退治」、右は「曽我兄弟の夜討ち」、左は「白鹿を討つ」。
大連子:【源平盛衰記】正面は「義経八艘飛び」、右は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「剛力朝比奈三郎」、左は「巴御前の雄姿」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面・右は「三国志」、左は「諸葛亮孔明」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「三国志」。


 先代は天保12年(1841)新調。平成2年10月21日に昇魂式を行い、だんじり会館に展示している。
大手町=昭和15年(1940)制作。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。制作費6,600円。平成10年修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后応神天皇平産」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「鶴ケ岡八幡宮放生会」、右は「石川五右衛門千鳥の香炉盗り」、左は「常盤母子都落ち」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「大黒天」。(平成10年より)。当初は大黒天⇒弁慶勧進帳⇒大黒天。
松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「大江山 頼光の木渡り」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「朝比奈三郎の剛力」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の勇姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「清水一学の奮戦」、左は「赤穂義士 吉良邸討入り」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島正則 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤清正の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 先々代は明治2、30年代新調。大正10年に泉佐野市上瓦屋へ。平成13年和泉市尾井町購入。
 先代は大正11、2年に新調。泉佐野市湊⇒貝塚市馬場へ。
中北町=平成18年(2006)7月16日、新調入魂式。平成14年7月7日に原木祭を行う。
大工は井上工務店(井上英明)。彫師は木下彫刻工芸。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸城神社御神紋」。
懸魚:「波濤に千鳥 奥に夫婦岩」。
車板:正面は「大蛇退治」、背面は「神功皇后 三韓征伐」。
枡合:右は「静の舞」、左は「常盤御前 伏見の里」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「須磨寺若木桜高札」、左は「布引四段目小櫻責め」、背面は「神功皇后 応神天皇平産す」。
横槌:「花鳥」。
隅出す:上段は「四獣神」、下段は「親子獅子」。
虹梁:「波濤に千鳥」。
木鼻:「親子唐獅子」。
勾欄合:正面は「忠臣蔵」、右は「曽我物語」、左は「荒木又右衛門」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸城神社御神紋」。
懸魚:「波濤に千鳥 奥に富士山」。
枡合:正面は「児島高徳櫻木に歌を詠む」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」。
横槌:「花鳥」。
台輪:「唐草の伊勢込み」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「金太郎」。
松良:右は「清盛布引の滝遊覧」、左は「木曽山中合戦」。
縁葛:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「黄瀬川の対面」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「高松城水攻め」、右は「安宅の関」、左は「大江山頼光木渡り」。
小連子:正面は「藤吉郎富士川の初陣」、右は「義経八艘飛び」、左は「頼朝朽木隠れ」。
土呂幕:正面は「秀吉の香炉を盗む石川五右衛門」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。左は「和田合戦 朝比奈三郎奮戦」。
松良受:「コブシの中に唐獅子」。
脇障子竹の節:「龍・岸城神社御神紋」。
脇障子兜桁:「岸城神社御神紋・唐草模様金物彫」。
脇障子柱:「松の木」。
脇障子受:「コブシの中に龍」。
犬勾欄:「若葉」。
水板:「唐獅子群遊」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「楠木正行 如意輪堂」。
大脇物見:右は「大塔宮 吉野落ち」、左は「吉野山合戦」。
脇障子物見:右は「大塔宮の最期」、左は「大塔宮の捕縛」。
竹の節:「阿吽の親子唐獅子」。
木鼻:「花鳥」。
見送り、摺出し鼻、脇障子、大脇は「賤ヶ岳の合戦」。
見送り天井:「風神雷神」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「波濤に千鳥」。
縁隅木:「町名 唐草模様金物彫」。
後連子:正面は「本能寺の変」、右は「真田幸村 家康本陣急襲」、左は「川中島大合戦」。
半松良:「醍醐の花見」。
水板:正面は「花鳥」、左右は「波濤に龍」。
幟差:「双龍」。
幟台:「唐獅子牡丹」。

 三先代は明治30年代に新調し、熊取町大宮に売却。さらに昭和11年〜63年まで和泉市幸町曳かれるが現存せず。
 先々代は大正5年頃新調。昭和32年に約22万円で箕土路町に売却。その後和泉市黒鳥坊小路。
 先代は昭和32年(1957)12/27新調。平成17年(2005)10/23、昇魂式。現・南上町。
大北町⇒平成24年(2012)8月5日、新調入魂式。大工は隆匠。彫師は岸田恭司。
≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に木瓜(岸城神社御神紋)」
懸魚:正面は「雲に鶴 奥に御幣」、
枡合:【神話伝説】正面は「八咫烏、神武天皇導く」、右は「蘇民将来之子」、左は「気比大神」
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「お多福」
勾欄合:正面は「菖蒲、牡丹、?、菊、牡丹、菖蒲」、右は【十二支】「亥、戌、酉、申、未、午」、左は【十二支】「巳、辰、兎、寅、丑、子」
縁葛:正面は「馬喰の出世 孫六」、右は「虎之助 墨俣城へ初出仕、虎之助 盗賊退治」、左は「市松 鬼子の強力、市松 石臼の怪力」
大連子:正面は「中川清秀 大岩峠に散る」、右は「忠臣 毛受兄弟の討死」、左は「片桐且元の功名、脇坂安治 柴田勝政を討ち取る」
小連子:正面は「大徳寺」、右は「木之元」、左は「坂本城」
土呂幕:正面は「足海峠、加藤孫六嘉明ノ功名」、右は「鳥打坂、漕屋助右衛門武則ノ功名」、左は「庭戸濱、福島市松正則ノ功名」
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に橘(岸城神社御神紋)」
車板:「猩々の舞」
小屋虹梁:「波に飛龍」
枡合:右は「赤檮の刀」、左は「瑞兆鮎」
見送り:「越前北之庄落城」
後縁葛:【東海道 】(後面)「赤坂」、右は「あべかわ」、左は「小田原」
後連子:(後面)「波切神社」、右は「船入場」、左は「もどりゆ」


 三先代は安政3年の制作。東大阪市角田の地車はこの地車という説もある。
 先々代は明治20年頃新調。大正8年頃に熊取町小谷に売却。
 先代は大正9年9月13日新調。大工は久納 久吉、久納 幸三郎兄弟。彫師は一元林峯、玉井行陽。
平成23年(2011)10月23日、昇魂式。修復し堺市片蔵に売却。
 ≪村方(岸和田村)≫
宮本町⇒旧称は百姓町。
=平成20年(2008)7月20日、新調入魂式。 五代目。大工は吉為工務店。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4.25m。大屋根幅2.5m。高さ3.85m。
原木祭は平成16年(2004)4月11日。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「雲に岸城神社御神紋(木瓜)」、後ろは「雲に岸城神社御神紋(木瓜紋)」。
懸魚:正面は「波濤に千鳥」、後ろは「波濤に千鳥」。
車板:正面は「素盞鳴尊 大蛇退治」。
二重枡合:正面は「櫛名田姫」、右は「浅野内匠頭 切腹」、左は「吉良上野介 討取」。
枡合:正面は「両国橋 引き揚げ」、右は「刀傷松ノ廊下」、左は「義士 討入」、後ろは「岸城神社」。
勾欄合:「岩見重太郎 武勇伝」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「素盞鳴尊」。
松良:右は「一の谷 箙の梅」、左は「後醍醐天皇 笠置落ち」。
縁葛:正面は「清洲大評定」、右は「富士の巻狩り」、左は「正成 千早籠城奇策」。
大連子:正面は「稲葉山城合戦」、右は「粟津合戦 巴御前の勇戦」、左は「新田義貞 鎌倉合戦」。
小連子:正面は「四方天但馬守 勇力」、右は「大墓宿夜討 熊坂長範」、左は「楠公子別れ 櫻井の駅」。
土呂幕:正面は「夏の陣 道明寺薄田隼人」、右は「義経 八艘飛び」、左は「筑後川の合戦」。
脇障子竹の節:「牡丹に鳳凰・岸城神社御神紋(木瓜)」。
脇障子兜桁:「岸城神社御神紋(橘)」。
  ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸城神社御神紋(木瓜)」。
懸魚:「波濤に千鳥」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:正面は「天孫降臨」、右は「蘭丸 奮戦」、左は「濃姫 勇戦」。
隅出ス:右は「羅生門 茨木童子片腕奪還」、左は「羅生門 渡辺綱禁札立て」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「本能寺の変」、右は「光秀勢 亀山集結」、左は「光秀 連歌百韻」。
見送り:「大坂夏の陣」。
半松良:右は「鬼若 怪魚退治」、左は「頼光 土蜘蛛退治」。
大脇兜桁:「岸城神社御神紋(木瓜)」。
大脇竹の節:「立若葉」
摺り出し鼻:右は「金太郎(坂田金時)」、左は「桃太郎」。
 ≪小屋根腰廻り≫
縁葛:正面は「司馬温公 瓶割りの場」、右は「宝車曳き」、左は「雪遊び」。
縁隅木:「宮の文字」。
後連子:正面は「平惟茂 戸隠山鬼女退治」、右は「源頼政 鵺退治」、左は「木曽義仲 白猿退治」。
水板:正面は「阿吽の青龍」、右は「宝珠を掴む青龍」、左は「宝珠を掴む青龍」。
幟台:「賽銭箱(岸城神社御神紋に宮本の文字)」。

 初代(百姓町)は江戸末期の作。大工は不明だが、彫師は彫徳こと初代高松彦四郎と花岡一門。牡丹に唐獅子の一枚彫地車だったらしい。
 二代目(百姓町。三先代)は明治13年新調。大正6年まで曳かれる。大工は尾崎杢兵衛。彫師は二代目高松彦四郎(=安田卯ノ丸)と花岡一門。
百姓町⇒和泉市小田⇒岸和田市尾生町⇒〃 南上町⇒堺市原田。
 三代目(宮本町=先々代)は大正7年新調するが、わずか2年で熊取町大久保に売却。大工は大喜こと小川喜兵衛。彫師は上間庄平。
 四代目(先代)は大正9年着工。翌10年は彫刻無しで紅白の幕を引いて曳行した。
大工は加奥久吉。彫師は上間庄平。制作費は約7、000円。
昭和56年、吉為工務店(吉野為雄)が修復。この時の新調彫物は筒井一門が彫る。平成19年(2007)10月28、昇魂式。
嫁入り先は堺市檜尾。檜尾の入魂式は平成20年(2008)4月27日。

五軒屋町=平成10年(1998)8/23、新調入魂式。大工は植山良雄。彫師は岸田恭司。
長さ4.3m。大屋根幅2.48m。内幅1.212m。高さ3.84m。
 
≪大屋根廻り≫
鬼板:「岸城神社御神紋」。
懸魚:「開雲と波濤・御来光」。
枡合:【太閤記】正面は「清洲城修築」、右は「醍醐の花見」、左は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、後ろは「北野大茶会」。
虹梁:「波濤」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「祝詞を奏上する神官」。
勾欄合:「花鳥物」。
松良:右は「巴御前の雄姿」、左は「一ノ谷の合戦 若木桜」。
枡組枡合:【忠臣蔵】正面(右)は大石内蔵助山科で遊ぶ」、(左)は「刃傷松の廊下」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良上野介の最期」。
縁葛:正面は「家康落命」、右は「八幡原本陣」、左は「信長角力上覧」。
大連子:正面は「木村重成初陣」、右は「武田信繁の奮戦」、左は「桶狭間の奇襲」。
小連子:正面は「本多忠朝の最期」、右は「謙信妻女山で猿楽を舞う」、左は「百姓又九郎画餅の高名」。
土呂幕:正面は「槍摺乃鎧」、右は「川中島の合戦」、左は「本能寺の変」。
 
≪小屋根廻り≫
懸魚:「開雲と波濤・奥に弁財天」。
車板:「組物」。
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「天の岩戸」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。
見送り虹梁:【太平記】正面は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀流し」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
木鼻:「唐獅子」。
脇障子:右は「加藤清正家臣生笹隊」、左は「秀吉本陣」。
脇障子物見:右は「大塔宮を斬す」、左は「北条高時の闘犬」。

 往古の地車は文化・文政(1804〜29)頃制作で、だんじり会館に展示。
 先々代は明治20または30年代に制作され河合町を経て現・堺市長承寺(鳳南町)。
 先代は大正12年制作し堺市太井に売却。曳き納めは平成9年11/9。
上町(小寺と池の尻の2地区が大正2年1/2に合併。)
⇒地車小屋は池の尻の地車小屋を引き継ぐ。
小寺の小屋は地蔵尊(上町2−6)あたりにあったと伝わる。
=昭和4年(1929)制作。大工は植山宗一郎・義正兄弟。彫師は開正藤・正a親子

 ≪大屋根廻り≫
鬼板は「雲に御神紋」。
懸魚:正面は「波濤に千鳥と御来光」。

枡合:正面は【皇国百撰】正面は「天の岩戸」、右は「鶴ケ岡八幡宮放生会」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、後ろは「唐子獅子舞遊び」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは「祝詞を奏上する神官」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打する」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎忠常 猪退治」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島正則 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤孫六嘉明 浅井吉兵衛討取り」。 
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学奮戦」、右は「両国橋引揚げ 服部彦七の温情」、左は「吉良邸討入り」。

土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「本多出雲守 荒川熊蔵の血戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
水板:三方「波濤」。

 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:「波に千鳥と龍宮より帰る浦島太郎」。

車板:「唐子楽器遊び」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「大坂夏の陣」。

見送り虹梁:正面は「山犬の遠吠え」、右は「狐七化け」、左は「猫化け」。
木鼻:「菊」。
 ≪後腰廻り≫
幟台・縁葛は「牡丹に唐獅子」。
縁板:「花菱」。
後隅木:「町名に唐草文様金物形地彫」。
見送り虹梁:正面は「山犬の遠吠え」、右は「キツネ七化け」、左は「猫化け」。
半松良:「武者」。
水板:「武者合戦」。

 ≪小寺≫
明治13年8月13日、新調入魂式。経路は小寺⇒熊取町五門⇒泉大津市板原⇒岸和田市上大沢⇒〃春木本町⇒堺市菱木白木


 ≪池の尻≫=現在の岸城会館の辺りに住居をかまえていたが、城の拡張により現在の地に移転となる。
明治34、5年新調。貝塚市麻生中の先代地車。
南上町⇒上町の分れ。平成19年(2007)より岸和田祭りの名実ともに参加。
平成18年(2006)8/6、購入入魂式。中北町より購入。搬入は前年の11/6。
平成19年(2007)4/22、植山工務店(佐野和久)にて改修。番号持ちを「韋駄天」にする。彫師は片山晃。
5/27、修復入魂式にて旧市に初進出、岸城神社に宮入りし、名実ともに岸和田祭りの地車となる。
昭和32年(1957)12/27、中北町新調。大工は天野藤一。彫師は木下舜次郎。
制作費用は155万円。長さ3.94m。幅1.51m。大屋根高さ3.27m。小屋根高さ2.3m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「夫婦岩」。
枡合:正面は「天の岩戸開き」、右は「神武天皇東征」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「韋駄天」。中北町時代は「野狐三次」。
旗台:「獅子」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「大石内蔵助島原遊蕩」、左は「箱根詫び証文」。
大連子:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「巴御前の勇姿」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋の引揚げ 服部彦七の温情」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉の香炉を盗む石川五右衛門」、右は「加藤清正 新納武蔵守の落馬に槍を納める」、左は「加藤清正 新納武蔵守の一騎打ち」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「浦島太郎」。
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「児島高徳忠義桜」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 
初代は平成5年(1993)植山工務店より寄贈された子供地車。(元・泉大津市二田の子供地車)現・三の丸稲荷社奉納地車。
当時は公道を曳けなくて南公園を曳いた。
 二代目は平成7年7/9、高石市匠(8区)より800万円で購入。当時は南上町子供地車運営委員会。
堺市中山に売却され、さらに和歌山県橋本市紀見へ。
 三代目(先代)は平成11年11/21、購入入魂式。同市尾生町より購入。
経路は岸和田市宮本町⇒和泉市小田⇒岸和田市尾生⇒南上町⇒堺市原田。
 なお、平成13年7/22に新地車小屋に移転し、同時に地車一式、地車小屋を町会に寄贈し、名実共に南上町の地車になる。
 【地車無し】
岸城町=町の地所は旧・岸和田城内にあたり、江戸期は家老クラスが住んでいたとされ、町民の祭礼である地車は保有せず、今に至る。
野田町(野田町青年団HPへ)=大正2年、岸和田字東光寺より改称。町名は野田池よりとった。現・宮本町の一部だった、
親戚の親戚が野田町の町会長をしていたので聞いてみると、
昭和15年、西ノ内より地車借りたがこれ1回だったという。これは祭礼が済んだ後、今のあざくらの前に放置し後片づけしなかったので、馬力屋の西村さん(現・西村電気)に頼んで返してもらったからである。
 この後、昭和40年代に地車購入の動きがあったが、婦人会の反対のため頓挫している。

岸城町 三の丸稲荷  9/連休土日 子供だんじり飾付け  
子供地車=平成7年(1996)2/4、奉納入魂式。南上町より奉納。岸和田祭りの日に小屋から出されている。
?⇒泉大津市二田⇒池園⇒二田⇒植山工務店⇒南上町⇒奉納地車へ。
 岸和田祭りは始まりは元禄16年(1703)に伏見稲荷を城内三の丸に勧進したことに始まる。(他説もあるが)「稲荷」を「稲生」と読み替えて、豊作祈願の祭りが始まったとされる。江戸期の宮入りは、城内に地車を曳き入れ、二の丸でにわか狂言など各町自慢の芸をお殿様に披露。三の丸稲荷に参り、この後、岸和田城の鎮守でもある神明社(牛頭天王社)に参ったとされる。
明治の廃藩置県にて城内がさびれ、三の丸稲荷への宮入りが、百姓町の岸和田村の鎮守である牛頭天王社(現・岸城神社)への宮入りのみに変わってきた。

別所町1−13−15 岸和田天神宮 9/連休土日 神輿
地車5台 沼、筋海、並松、下野、藤井、別所
10/連休の土日
(山手地区)
地車2台 山下、作才
地車廃絶 門前(昭和29年売却)
地車廃絶 加守
沼町(天壱番)と元・沼村の筋海町(天弐番)は毎年固定。並松町・下野町・藤井町・別所町は三郷の寄合で籤引きにて順番決定。
10月祭礼は山下町宮入後に作才町(旭・太田)が宮入り。
沼町=平成14年(2002)7月21日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治、河合伸仁、木下健司)。
長さ4.24m。大屋根幅2.515m。内幅1.24m。高さ3.86m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
妻板:「波」。
懸魚:正面は「波に朝陽」、主の後ろは「波に千鳥」。
枡合:正面は「鶴岡八幡宮」、右は「義経・景時逆櫓の争い」、左は「碁盤忠信」、主の後ろは「寛永の強訴」。
二重枡合:右は「常盤御前」、左は「静御前」。
枡組:八段「龍、獅子、牡丹、雲、波、松、竹、梅、桜」。
木鼻:「獅子」。
下がり:「松に鳥」。
天井板:「雲に鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「菅原道真公」。
松良:【石橋山の戦い】右は「頼朝朽木隠れ」、左は「森川次郎右衛門政家の勇戦」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「論功行賞」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「宇治川の先陣争い」、右は「義経の八艘飛び」、左は「継信身代わりの死」。
小連子:【曽我物語】正面は「夜討ち」、右は「十番勝負」、左は「草摺引」。
土呂幕:正面は「木曽義仲」、右は「巴御前」、左は「八幡太郎義家 安倍貞任討つ」。
高欄合:一式「曽我物語」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波 玉取姫」。
隅木:「紋」。
枡合:正面は「安芸 厳島神社 弁財天の戒め」、右は「平清盛 布引遊覧」、左は「平清盛 経ヶ島」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺り出し鼻、摺り出し受は「一ノ谷の合戦」。
後犬勾欄:「波、千鳥」。
大脇竹の節:「獅子」。
大脇物見:右は「錣引き」、左は「那須与一 扇の的」。
後松良:右は「大江山 頼光木渡り」、左は「大江山 羅城門」。
見送り下大連子:正面は「大江山 酒盛りの場」、左右は「大江山 鬼退治」。
後水板:「波に龍」。
幟差し:「迦陵頻伽」。
幟台:「獅噛み」。

 先々代は安政2年(1855)2月、熊取町大久保より購入し桜井新六藤原朝臣が修復し、明治32年まで曳かれる。その後老朽化のため焼却処分。
 先代は明治34年7/25新調入魂式。大工は櫻井新兵衛。彫師は櫻井義国。制作費は2000円。
 平成13年11/3昇魂式してだんじり会館に展示。
筋海町=昭和8年(1933)9/8、新調入魂式。大工は久納久吉・幸三郎兄弟。彫師は西本五葉、一元正。助は開正a、玉井行陽、川島暁星 等。
平成9年植山工務店(植山良雄)で修復。彫師は木彫 筒井。
長さ3、985m。大屋根幅2、4m。内幅1、109m。高さ3、743m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「雲に獅噛み」、後ろは「雲に梅鉢 御神紋」。
懸魚:正面は「波濤」、後ろは「波濤に千鳥」。
車板は「波涛に青龍」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、左は「村上義光錦御旗奪還」、後ろは「?」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐嗣子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは無し。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山 頼光木渡り」、左は「安宅の関弁慶富樫の掛合い」。
縁葛:【太閤記】正面は「坊主に化け難を逃れる秀吉」、右は「秀吉 廣徳寺に難を逃れる」、左は「百姓太郎兵衛 秀吉に瓜献上」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」。右は「大石内蔵助島原に遊ぶ」、左は「両国橋引揚げ」。
小連子:【太閤記】正面は「木村又蔵の勇戦」、右は「福島市松 拝郷五左衛門を討つ」、左は「前田犬千代初陣」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「木村長門守重成奮戦」、右は「眞柄十郎左衛門 姉川に本多平八郎忠勝と血戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「波濤に兎」。
車板:「源三位頼政鵺退治」。
枡合:【源平盛衰記】正面は「頼朝鶴ケ岡八幡宮の社頭にて千羽の鶴を放つ」、右は「梶原景季 生田の森」、左は「渡辺綱羅生門の鬼退治」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、大脇は「大坂夏の陣」。
脇障子:右は「千姫を救出する坂崎出羽守を追う大坂方兵」、左は「淀君大蔵卿の局野々村伊豫守の注進を聞く」。
幟台は「コブシ組物(三段)」。

 筋海町は大正2年1/1に筋違町、餌差町、瓦屋敷の3町が合併した町なので、1つの地区が中心になり地車を作ると他の2地区がけなすという訳で次々と地車を新調したが、初めて3地区が心一つになり新調し、地車新調の報告と共に神前で正式に三字合併祭を行った。

 江戸時代当町が筋違町、餌差町、瓦屋敷に分かれていた頃はそれぞれの町が地車を所有しており、また筋違町に『大若』こと高梁橋一門。餌差町には『大新』こと櫻井氏。瓦屋敷に『大与三』事古谷一門。が居住していた。

 四先代は餌差町在住の『大新』こと櫻井氏作の地車だったらしい。
 三先代は明治13年制作。大工は筋違町在住の『大若』こと高橋若左(右)衛門。大正9年頃に熊取町小垣内に売却。
平成21年(2009)まで曳かれ、永久展示のため平成21年(2009)11/3、熊取交流センター 煉瓦館に搬入。
 先々代は大工は『大若』門下森某。大正10年制作するが1度も曳かれることなく、熊取町五門に売却。
 先代は大正11年8月制作。数年後に紀州街道の南町辺りの電柱に激突し、正面葺地を割り、怪我人を出したので泣く泣く大正末期から昭和初期に熊取町七山に売却。
並松町=大正10年(1921)8/2、新調入魂式。ただし見送りは未完成。翌11年完全完成。
大工、彫師ともに櫻井義國。制作費は1万2891円44銭5厘。
長さ4、275m。大屋根幅2、627m。内幅1、21m。高さ3、59m。(コマ半径除く)。これは前年に貝塚市沢より地車(現・大和地車保存会の地車)を借りるが、小門の交差点で電柱にぶつけて、大屋根がふっとぶ大破損して、応急修理をしたものの、多大の賠償金を支払ったことから新調に踏み切る。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢・雲」。
懸魚:「波濤」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、左は「楠公子別れ桜井の駅」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは無し。
勾欄合:「波、浜千鳥、唐草」。
松良:右は「一ノ谷の合戦 三草山の夜襲」、左は「源三位頼政鵺退治」。
松良受:「拳」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「論功行賞」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「鎮西八郎為朝の豪弓」、右は「佐々木盛綱 藤戸の戦い」、左は「鶴ケ岡八幡宮頼朝放生会」。
小連子:【太閤記】正面は「四方田但馬守 秀吉を追う」、右は「四方田但馬守と加藤清正の血戦」、左は「羽柴の密使と行長、長盛を追う北条氏政の家臣」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎 和田合戦」、右は「熊谷次郎直実 一の谷の合戦」、左が「巴御前の雄姿 粟津合戦」。
摺出鼻・摺出受は「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢・雲」。
懸魚:「波濤」。
車板:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
枡合:正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「忠信碁盤投げ」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「加藤清正、蔚山城の戦い」。
大脇・大脇物見・脇障子:「武者」。
虹梁:後ろは「曽我五郎大磯驀進」、右は「平景清錣引」、左は「加藤清正虎退治」。
竹の節:「獅子の子落とし」。
摺出鼻・摺出受:「麒麟」。
 ≪後腰廻り≫
後縁板:「花菱」。
後縁隅木:「並松」。
後縁葛:「波と兎」。
後連子:後ろは「佐久間玄蕃」、右は「佐久間玄蕃の中川清秀攻め」、左は「義経八艘飛び」。
後半松良:「松」。
後水板:「波」。
幟台:「獅噛み」。

 並松はもともと下級武士の町で地車を曳かなかったが、明治以降に人が多数移り住んだことから明治35年に魚屋町の地車借りて初めての地車曳行を行う。翌36年この地車を購入するが、37年隣家がペストに罹ったので泣く泣く地車小屋ごと焼却処分にする。この後大正8年まで地車曳行は無い。
ただし明治37、38年の燃え残りの土台に人形を乗せて曳いたという話もあるが、有志で曳いたのではないかと思われる。
下野町=平成22年8月29日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は岸田恭司。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に宝珠を掴む青龍」。
懸魚:「波濤に御来光 奥に豊玉姫 鵜葺草葺不合命」。
隅木:「天神宮梅鉢御神紋」。
車板:正面は「天の岩戸」、後ろは「素戔嗚尊 大蛇退治」。
天蓋:「宝珠を掴む阿吽の青龍」。
枡合:【天神記】(正面)「天拝山」、右は「筑紫の浦」、(左)「紅梅殿」
横槌:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:正面は「大江山」。
縁隅木:「町名」。
松良:右は「大和國 吉野山合戦」、左は「奥州 高舘籠城」。
縁葛:正面は「堀川夜討 義経 土佐坊昌俊を捕える」、右は「片桐且元 地蔵尊の告げを夢見る」、左は「名越 に入道兵庫の介双六の輪に刀傷に及ぶ」。
大連子:正面は「壇浦合戦 平家一門入水 義経 建礼門院を助ける」、右は「大坂冬合戦 幸村葦藁へ忍ぶ」、左は「渡辺橋合戦 正成  高橋の○将を破る」。
小連子:正面は「牛若丸 鞍馬山修業の場」、右は「家康 大道村○○が茅屋に隠れる」、左は「正成 内外に殿上造り」。
土呂幕:正面は「船弁慶」、右は「平野の地雷火」、左は「京合戦」。
脇障子竹の節:「雲に鳳凰、梅鉢紋」。
脇障子兜桁:「橘」。
脇障子柱:右は「煉瓦に青海波と昇り龍伊勢込み」、左は「煉瓦に青海波と降り龍伊勢込み」
脇障子受:「鯉の瀧昇り」。
水板:右は「菖蒲川」、左は「鯔川」。

 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤に御来光 奥に神功皇后 誉田別命を抱く武内宿禰」。
枡合:正面は「本能寺合戦」、右は「信長の最期」、左は「光秀 信長を恨む」。


 三先代もあったらしい。
 先々代は江戸末期〜明治初期に新調。大正4年(1915)9月に340円で土生に売却。⇒別所町(昭和36〜38年)。現存せず。
 先代は大正5年新調。大正8年(1919)完成。大工は別所勝之助。彫師は安田卯之松、開正藤。松良は昭和57年、筒井和男が刻む。
平成21年(2009)11月1日、昇魂式。11月8日、泉佐野市葵町の熊取谷和巳氏へ搬入。
長さ3、7m。大屋根幅2、34m。内幅0、97m、高さ3、77m。
最近では平成22年7月10日、青年会議所のイベントでりんくうタウンに春日神社の太鼓台と共に参加。
藤井町=平成4年(1992)9月6日、新調入魂式。5年8月22日、完全完成入魂式。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は松田正幸、木下賢治。
平成19年(2007)7月22日、修復入魂式。平成26年(2014)水桶新調。堀師は山本仲伸。
長さ4、25m。大屋根幅2、55m。内幅1、23m。高さ3、91m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸和田天神宮社紋(梅鉢)」。
懸魚:前は「夫婦龍、鶴」、後は「波」。
車板:前は「雲鶴、獏」、後は「雲龍、獏」。
飛檐垂木:「扇垂木、四ッ目菱紋」。
地垂木:「唐獅子」。
隅出す:「牡丹に親子唐獅子」。
枡合:上は「雲龍」、正面は「神武天皇東征」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「七福神」、後は「武者」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「波濤に波千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「菅原道真公」。
勾欄合:「太平記」。
松良:【義経記】右は「一ノ谷鵯越え」、左は「鞍馬山牛若修業の場」。
縁葛:【大江山鬼退治】正面は「酒宴の場」、右は「頼光木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
大連子:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 四方田但馬守の一騎討ち」、左は「福島市松 拝郷五左衛門を討つ」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸内に奮闘す」、左は「吉良邸討入り」。
土呂幕:【信長公記】正面は「桶狭間の合戦」、右は「姉川の決戦」、左は「長篠の合戦」。
水板:「波濤に浜千鳥」。
脇障子竹の節:上は「波濤に浜千鳥地彫」、下は「岸和田天神宮社紋(梅鉢)」。
松良受け・脇障子受け:「こぶし」。
犬勾欄:「若葉」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に岸和田天神宮社紋(梅鉢)」。
懸魚:「波濤に弁財天」。
車板:「竹に虎、獏」。
飛檐垂木:「四ッ目菱紋」。
地垂木:「獅子、獏」。
枡合:【義経記】正面は「義経八艘飛び」、右は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
隅出す:「唐獅子」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:【源平盛衰記】正面は「石橋山の合戦」、右は「那須与一 扇の的」、左は「生田の森 箙の松」。
大脇物見:右は「静の舞」、左は「仏御前」。
脇障子物見:右は「常盤御前」、左は「勇婦おかね」。
大脇竹の節:「親子唐獅子」。
木鼻:「唐獅子」。
摺出し鼻:【山崎の合戦】右は「中川清秀、池田恒興の血戦」、左は「明智光秀の最期」。
見送り:「本能寺の変」。
脇障子・大脇:「本能寺の変」。
天井:「天に雲」。
犬勾欄:「波濤」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「波濤に浜千鳥地彫」。
縁隅木:「藤井に唐草文様金物型地彫」。
後土呂幕:【信長公記】正面は「高松城水攻め」、右は「美濃の国合戦」、左は「石山大合戦」。
後水板:「波濤に夫婦玄武」。
後松良:右は「槍の又左」、左は「甕割り権六」。
幟台:「天神様の牛」。
梃子掛け:「十二支伊勢込み透かし彫り」。

 往古の記録は藪家所蔵文書に「「文政10年(1827)8月30日、藤井村組頭等、9月1日、氏神祭礼の檀尻引きの請書を村役人に提出」とある。
 文久2年(1862)古檀尻購入、代銀400匁。とある
 先代は昭和21年(1946)春木北の地車を藪氏が21万5000円で購入。して町に寄贈して頂き翌年より曳行復活。平成2年(1990)まで43年曳き和泉市幸町へ。
別所町=大正9年、春木南新調。金額7、525円50銭。昭和59年、植山工務店(植山良雄)により修復。彫物は筒井一門が彫る。
平成11年、別所町の有志で購入し、平成14年5/19購入入魂式。40年ぶりの復活。
 大工は永谷喜代松。彫師は西本舟山、玉井行陽。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞稲村ヶ崎」、右は「巴御前の雄姿」、左は「朝比奈三郎の雄姿」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは無し。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「鬼ごっこ」、右は「舟遊び」、左は「旗遊び」。
大連子:【川中島の合戦】正面は「信玄と謙信龍虎相討つ」、右は「山本勘助の勇戦」、左は「鬼小嶋弥太郎の奮戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「小野寺勇戦」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「脇坂甚内の勇戦」、左は「加藤清正の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「曽我兄弟祐経陣屋討ち入り」、左は「天の岩戸」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代は昭和7年〜10年まで曳行の記録があるという。この地車は植山宗一郎より購入したものだった。
 先代は土生町(下野町の先代)より購入し昭和36年〜38年まで曳行し売却。その後しばらく祭礼不参加。
 【加守町】
かつて明治38年頃までは小型地車があった。これは当時若衆が地車新調を願ったが世話人が拒否したために、淵に投げ込み廃絶した。この淵は現在空地(3丁目2番)であり、地車小屋もすぐそば(3丁目5番)昭和末期にたこ焼き屋があったとこで現・空地と言われている。
曳行コースは春木川の橋の手前から村の一本道を通り小判田坂を下り墓地を抜け、下野町の天理教の所までを往復したが、興が乗れば岸和田旧市まで行ったと伝えられる。また往古は2、3台の地車があったと伝えられるので各字にあったと思われる。それは奥出(現・2丁目)、渕ノ内(現・3丁目)、川原出(現・4丁目)で加守川(春木川)にはめたり、西之内?に売却したりして1台になったらしい。
 ≪加守町は何地区?≫
鎮守の菅原神社は明治41年7/29に合祀のため、地車は一度として宮入りしていない。
旧市説 地理的にはやはり旧市か?野村中学校区(並松、下野と同じ)にもなるし、南海の線路より下だし、正式では無いが明治期には旧市に行っていた。
 また未確認なれど、南上町が参入の際に年番会議で、今後祭礼町会に加入の権利があるのは、
魚屋町、岸城町、野田町、上野町、加守町に限るという発言があったと伝え聞く。

南掃守地区説 旧の南掃守村でやはり、南掃守地区として曳くべし。しかし南掃守地区の地車は1台として加守町には入ってこない。同じ小学校区の西之内は遠く山下まで行くが、何故か見せびらかしにも来ない。昔の水利の仲の悪さに因るからか?ちなみに現在4丁目にUターンと云う形で進入するのは八木地区の荒木町だけである。

春木説 最寄の駅は和泉大宮駅と春木駅である。また1丁目に春木本町と春木中町の地車小屋がある。大阪府が春木川の改修工事の為に代替地として用意された土地だが、両町とも祭り前の練習では太鼓を叩くだけ叩いて挨拶に曳行もしない。
 それに明治7年に南春木(後の大砲試験場)を春木に編入したが、明治期以降も加守村の飛び地が多く見られたが、当該地区の春木南は挨拶にも来ない。

八木説(行基参りに行こう説)
 行基参りとは10月の祭礼2日目に、久米田池の築造に感謝し、行基像が安置されている久米田寺開山堂に御参りし、境内にて一同に会すること。
現在、八木祭礼年番11台(中井、吉井、荒木、下池田、箕土路、西大路、小松里、額(北額)、額原(南額)、大町、池尻)と山直祭礼年番の田治米(昭和55年からの慣例)と今木(昭和61年からの慣例)の計13台の地車が参加する。
 過去、軽部郷の忠岡町北出は昭和31年。忠岡町高月は昭和35年頃まで地車が曳かれており、往時は行基参りを行った。
 さて久米田池郷とは久米田池の維持・管理を目的とした12ヶ町よりなる水利共同体である。
この12ヶ町とは八木郷の(池尻、大町、小松里、西大路、箕土路、下池田、荒木、中井、吉井)と山直郷の田治米、加守郷の加守、春木の12ヶ町で、池郷においては額(北額)は小松里のうち、西之内は加守の内とされる、
 行基参りしている額原は加守郷で池郷には入っていない(ただし久米田池→刈又池→花田池の水を引き使っているが)。
今木は八木郷なれど池郷には入っていない(田治米に流れてきた落水を使用)。
久米田池郷なのだから断固、行基参り行くべし。

夢物語
10月祭礼に参加するも、
 宵宮は午前は1丁目から紀州街道を通り宮入り(同じ野村校区[1、2、3丁目]で旧市の下野町、並松町、沼町に挨拶)、宮入り済ませ光陽校区[4丁目]で別所町、藤井町に挨拶)し町内へ。
午後は南掃守地区のパレードに参加。夜は大宮小学校区を所曳き。
 本宮は八木地区に参加し行基参り。夜は大宮小学校区を所曳き。
旧市地区・南掃守地区・八木地区に参加の大奮闘。

 
※とにかく岸和田の番外地というかエア・ポケットである。

  またこんな問題↓もあり進まない。

 岸和田市加守町地区(約2600世帯)で、地元の財産区がため池を売却して得た約17億円が、使い道の定まらないまま13年間も宝の持ち腐れとなっている。一部住民に1000万円ずつ配られて訴訟ざたになったり、中傷ビラがまかれたり、地域のあつれきを招く一方で、低金利政策のあおりで金利がゼロという事態に。巨額の蓄えが、静かな街の〈火種〉となって住民を悩ませている。 関係者によると、1993年にため池(約6ヘクタール)の一部を体育館建設用地として市に売却し、代金約30億8600万円が財産区に支払われた。財産区は、町会や水利権をもつ耕作者組合に地域振興費として一部を交付し、残金の使途を検討することになった。この直後、同組合が、水利権をもつ農家など26人に、交付金の中から1000万円ずつ配っていたことが発覚。住民らが「個人に渡すのはおかしい」として翌年、26人を相手に不当利得の返還を求めて提訴。02年に大阪高裁で和解が成立するまで、資金は宙に浮いた。その後、残額の約17億円を管理するため、住民代表による財産区協議会が発足。新たなトラブルが起きる前に、資金を活用することを決めた。▽町会館の建設用地購入▽温泉の採掘▽高齢者向け健康施設の整備、などのアイデアが次々と持ち上がったが、場所をめぐる住民間の意見対立もあって、いずれの案も立ち消えになった。こうした〈迷走〉が続くうち、昨年、ペイオフが全面解禁になった。協議会は金融機関に預けた17億円を守るため、預金が全額保護される決済用口座を開設して資金を移動したが、代わりに金利がつかなくなってしまった。協議会は、印鑑と通帳を別の役員で保管するなど苦心してきたが、「金銭にまつわる疑惑がある」などと役員を名指しで中傷したビラがまかれたことも。協議会幹部は「使おうにも住民が納得できるアイデアがない。役員もしだいに高齢化しているし、これほどの金額は我々の手に余る」と困り果てている。(2006年08月30日  読売新聞)

【地車無し】
上野町=大正2年(1922)野村より分離。元々野村の一部なので、試験曳きの時は下野町地車が入ってくる。
町内は上野町西、東に分かれ西は下野町に近いこともあり、たびたび地車購入の動きが起こるが実現していない。最近では五軒屋町新調時に先代を購入しようと子供会、婦人会は了承得たが、実現しなかった。
 ★展示場     
 【岸和田だんじり会館
岸和田市本町11−23。пF072−436−0914。
休館日は月曜(祝日は開館)、年末年始(12月30日〜1月4日)。10:00〜17:00(入場は16時まで)。入館料は大人600円、小人300円。

元・五軒屋町地車や先代の紙屋町、沼町地車など展示。このほか3Dのだんじりビジョンや各種資料を展示。資料も豊富。
旧・紙屋町=天保12年(1841)完成。天保10年には曳き始めたと思われる。大工は尾崎平蔵広則(大屋根内部に百姓村五軒屋の住と墨書きあり)。彫師は華岡源助。長さ3、76m。大屋根幅2、31m。高さ3、76m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「雲に若葉」。
枡合:正面は「鎮西八郎為朝の剛弓」、右は「源三位頼政 鵺退治」、左は「頼光家臣の坂田金平 烏天狗退治」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合&大脇:「九天玄女 他」。
 ≪腰廻り≫
松良:正面・左右は「源頼光 大江山物語」。
縁葛・大連子:正面・左右は「源頼光 大江山物語」。小連子:【大江山】正面は「酒宴の場」、右は「頼光の木渡り」、左は「酒呑童子退治」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「和田合戦、朝比奈三郎の剛力」、左は「巴御前の雄姿」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「三国志」。
元・五軒屋町地車=文化・文政期(1804〜1829)の制作と思われる。京都・北白川の石匠・河波忠雄氏より寄贈。
岡部藩から紀州家へ元・五軒屋町の地車寄贈⇒紀州の徳川家?(ここまでは私の想像)⇒京都市東山区のお寺⇒河波家(大正期に寄贈うける)。
土呂幕:正面は「張飛翼徳 長坂橋の雄姿」、右は「劉備玄徳 壇渓を渡る」、左は「関羽雲長の雄姿」。
見送り:「素盞鳴命 八岐大蛇退治」。
旧・沼町地車=明治34年制作。平成13年11月4日寄贈。大新請負。大工は櫻井新六。彫師は櫻井義國。
長さ3.92m。大屋根幅2.4m。高さ3.75m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「義経都落ち」、右上は「義経八艘飛び」、右下は「勧進帳」。
左上は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左下は「熊谷次郎直実と平敦盛」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「後醍醐天皇笠置落ち」、左は「頼朝朽木隠れ」。
縁葛:正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「北条高時 闘犬遊び」、左は「曽我五郎大磯驀進」。
大連子:【曽我兄弟】正面は「草摺引」、右は「虎御前屋敷」、左は「仇討ち」。
小連子:正面は「曽我兄弟の雄姿」、右は「畠山重忠」、左は「五郎と五郎丸の血戦」。
土呂幕:正面は「平景清の錣引き」、右は「巴御前の雄姿」、左は「薩摩守忠度と岡部六弥太の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「鶴ヶ岡八幡宮戦勝祈願の場」、右は「鎮西八郎為朝」、左は「源三位 頼政」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
 【がんこ岸和田五風荘】
岸和田市岸城町18−1。市指定有形文化財。市所有なれど、指定管理者制度導入を機に平成21年9月10日から「がんこ岸和田五風荘」としてレストランとしてオープン。
このため国登録有形文化財は抹消。

 ここは旧・岸和田城主岡部氏の新御茶屋・薬草園跡で寺田利吉氏が昭和4年から10年の歳月を要し、造営された広壮な回遊式日本庭園。
1950年、五風荘と名前を改め往時の岸和田の結婚式はここで多く行われた。
 正門は奈良東大寺塔頭中性院表門を移築したもので、岸和田にゆかりの深い楠木氏の「楠」の字をもじって「南木門」と称されている。
 三千坪の敷地には日本建築の粋をこらした主屋と庭園を見渡せる三つの茶室がある。

庭にある屋敷神のお社は泉佐野の布団太鼓屋根を付けたものと云われている。

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