大 阪 府
  
   ≪岸和田市≫

    

 【春木地区
住所 神社名 祭礼日 内容 備考
八幡町13−25 弥栄神社 9/連休土日 神輿
地車13台  春木南[春木北浜・春木南浜・春木泉]、春木本町、春木中町、春木大小路町、春木宮本町、春木宮川町、春木若松町、春木戎町、八幡町、松風町、春木旭町、磯上町、大道町
地車廃絶 春木大国町、神弥町
神社境内に春木大国町、春木宮川町、春木宮本町、八幡町の地車小屋があり、年末のカウントダウンには小屋を開けて参拝客を楽しませている。
宮入りは春木南(岸和田祭礼年番)が番外で最初。その後春木祭礼年番の年番長の町、次の年の年番長の町、再来年の年番長の町と続き後は籤引き。
パレ―ド順は、年番長が1番、次の年番長が2番、次の次年番長が3番で、後は籤引き。
平成12年(2000)を基準にすると、若松町⇒松風町⇒春木大国町⇒磯之上町⇒春木旭町⇒大道町⇒(春木南)⇒春木中町となるが?
 ≪春木南=かつての浦方にあたり現在の北浜、南浜,泉、本町の4町にあたるが春木本町が独立した。
春木南[春木北浜町・春木南浜町・春木泉町]=春木地区ではあるが、春木北の地車が売却され、1台となったので、岸和田地区に参入し、昼のパレードも岸和田地区。そして平成18年(2006)の年番長を最後に春木地区を脱退。岸和田へ完全参入。
平成11年(1999)8/22新調入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は近藤晃。大屋根幅2、615m。内幅1、24m。高さ3、95m。長さ4、38m。
平成16年、植山工務店で屋根廻りを修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に木瓜紋」。
懸魚:「波濤に来光」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
小屋虹梁:「天の岩戸」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:正面は「刃傷松の廊下」、右は「大儀を説く千阪兵部」、左は「両国橋の引揚げ」、後ろは「内蔵助 島原に遊ぶ」。
二重枡合:「雲に阿吽の龍」。
虹梁:「波」。
木鼻は六方「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「亀に乗る浦島太郎」。
車板:「雲に朱雀組物」。
飛檐垂木・地垂木:「春の文字金物彫・龍」。
小屋虹梁:「神功皇后と応神天皇を抱く武内宿禰」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「連獅子」。幟台:「風神雷神」。
勾欄合:「弥次喜多 東海道中膝栗毛」。
松良:右は「頼朝 朽木隠れ」、左は「千早城の攻防」。
縁葛:正面は「仁田四郎忠常の功名」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「楠木正成公 米・金を施行す」。
大連子:正面は「源義家 安部貞任を追う」、右は「単騎部下を救出する木村重成」、左は「楠木正行の最期」。
小連子:正面は「安宅の関 弁慶、義経徴打」、右は「桶狭間の戦い 今川義元の最期」、左は「相模入道 酒宴の場」。
土呂幕:正面は「巴御前の奮戦」、右は「伊達政宗 岡野左内との松川の一戦」、左は「湊川合戦」。
水板:六方「波に千鳥」。
後縁葛:「銭波に伊勢込み」。
後連子:正面は「藤吉郎 富士川初陣」、右は「加藤清正 九州征伐」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
半松良:右は「阿形力士」、左は「吽形力士」。
縁板は「波に千鳥」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「忠臣蔵」、下段は「灘波戦記」。
見送り虹梁:【曽我物語】正面は「十番斬り」、右は「夜討ち」、左は「草摺引」。
脇障子:右は「朱三矢倉に立つ淀君」、左は「千姫を救い出す坂崎出羽守成政」。
脇障子物見:右は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀流し」。
大脇:右妻は「藤堂高虎」、右平は「水野日向守勝成と薄田隼人」、左妻は「本多出雲守忠朝」、左平は「徳川家康と小栗又市、大久保彦左衛門」。
大脇物見:右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
竹の節:右は「吽形麒麟は」、左は「阿形麒麟」。
兜桁:右は「木瓜紋」、左は「橘紋」。
摺出す木鼻:「阿吽の唐獅子」。
摺出し鼻:右は「桃太郎の鬼退治」、左は「乳母と熊にまたがる金太郎」。
見送り天井:「格天井に十二支と雲海」。

 先々代は唐獅子のある小型地車と伝えられる。
 先代は大正9年制作。植山工務店に下取りされ別所町へ。
春木本町=平成7年(1995)5/3、新調入魂式。9年(1997)5/3完全完成入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は近藤晃、筒井伸。
長さ4.11m。大屋根幅2.52m。高さ3.9m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に木瓜御神紋」。
懸魚:「雲に波濤。奥に御来光」。
車板:正面は「夫婦麒麟」。後ろは「夫婦獅子」。
枡合:【源平合戦】正面は「悪源太義平 重盛奮戦」、右は「義経八艘飛び」、左は「木曽義仲 巴御前の別れ」、後ろは「木曽義仲 おかねの出会い」。
木鼻:「木鼻」。
虹梁:「波濤に波千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に波濤。奥に浦島太郎」。
車板:「夫婦鶴」。
小屋虹梁:「玄武」。
隅出す:「牛若丸と烏天狗」。
二重枡合:「本能寺の変」。
虹梁:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「護良親王捕縛」、左は「楠正行の最期」。
木鼻:「牡丹の透かし彫り」。
 ≪腰廻り≫
幟台:「獅噛み」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:【源平合戦】右は「一ノ谷鵯越え」、左は「安宅の関 弁慶、義経徴打・義経千本桜」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「吉良邸討入り」、左は「両国橋引揚げの場」。
大連子:【源平合戦】正面は「頼朝蜂起八牧館夜討ち」、右は「「鬼神に勝る巴御前」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
小連子:【太閤記】正面は「清洲城登城」、右は「桶狭間の戦い」、左は「姉川の合戦」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「本多出雲守忠朝 荒川熊蔵利綱の血戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
後縁葛:「富士の巻狩り 仁田四郎忠常の雄姿」。
後連子:「大江山鬼揃い 四天王寺の雄姿」。
松良受け:「獅子」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「川中島の合戦」。

見送り虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「正行の最期」、左は「護良親王捕縛」。
脇障子:右は「真田一徳斉」、左は「武田信繁」。

 初代は祭礼意見の食い違いより、春木南の地車曳行の権利放棄したものの、青年らの不満を解消するため、当時の町会長(白井医院)の寄附により、小型地車を8万円余りで河合工務店より購入。しかし土台幅が狭く安全性に欠けるので、曳行は1年のみ。
 先代は昭和39年、20万円の追加で河合工務店より購入した。曳き納めは平成6年5/1。2、150万円で堺市菱木白木へ。
経路は岸和田市小寺(現・上町)新調。⇒熊取町五門⇒泉大津市板原⇒岸和田市上大沢⇒〃春木本町⇒堺市菱木白木。
 ≪春木北≫
春木の陸方にあたり現在の10町(元、中、大小路、宮本、大国、宮川、若松、八幡、戎、松風)が該当する。
春木北には大正12年制作の地車があったが地車新調ということになり、ちなみに小屋は今の元町会館である。新調に先立ち昭和21年に藤井町の藪正男氏に22万円で地車を売却したが(現・和泉市幸町地車)、世話人の岡田利吉氏が死去されたため地車新調の話は立ち消えになってしまった。その後元町の小学6年生以下の子供たちが手作りの子供だんじりを作り2〜3年曳いたのが始まりで、ちなみにこの子供だんじりは春木幼稚園を経てフタバ児童園にある。
町会としては、昭和24、5年にまず八幡町が小型地車を作ったのが始まりで次第に地車保有町が増えた。
春木中町⇒地車小屋は加守町1−19(春木川沿い)。
=平成3年(1991)8月25日、新調入魂式。平成4年(1992)4月29日、完全完成入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は木下頼定。
平成18年(2006)、植山工務店にて修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「神武天皇東征八咫烏」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神功皇后三韓征伐」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「鞍馬山牛若修業の場」、右は「鎮西八郎為朝 平家軍船を射る」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶、義経徴打」、左は「大江山頼光の木渡り」。
縁葛:正面は「司馬温公の瓶割り」、右は「旗遊び」、左は「雪だるま遊び」。
大連子:正面は「那須与一扇の的」、右は「木曽義仲の最期」、左は「義仲 おかねの出会い」。
小連子:【富士の巻狩り】正面は「頼朝と五郎丸道行」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎猪退治」。
土呂幕:正面は「本國寺合戦」、右は「坂井久蔵 廣坂口一番騎勇戦」、左は「堀尾吉晴 宇喜田陣中単騎で血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代は岸和田市門前町新調の地車を昭和29年、神弥町が購入。数年曳行後、春木中町の個人が購入し昭和33年、同町に寄贈。
昭和49年和泉市黒鳥郷小路に売却。太鼓正から現・太子町永田の地車。
 先代は下大沢より購入。現在は高石市高陽。経路は内畑町山口⇒新在家山出小路⇒下大沢⇒春木中町⇒南河内の焼肉屋⇒高石市高陽
春木大小路町⇒地車小屋は春木大小路町15−17(春木大小路町町会館隣り)。
=平成11年(1999)7月20日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝司)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治、小西清和)。
平成25年、大修理。
長さ4.05m。大屋根幅2.47m。内幅1.21m。高さ3.85m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「源頼朝 義経兄弟の会見」、右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「鶴ケ岡八幡宮」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「頼朝蜂起八牧館夜討ち」、左は「義経 若木桜の高札を立てる」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「一ノ谷鵯越え」、左は「戸石城攻め」。
縁葛:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「奥州高館夜討ち」、左は「長篠の合戦」。
大連子:正面は「本能寺の変」、右は「壇ノ浦の戦い」、左は「三方ヶ原の戦い」。
小連子:正面は「桶狭間の戦い」、右は「堀川夜討ち」、左は「富士川の合戦」。
土呂幕:正面は「今福・鴫野の戦い」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「川中島の合戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。 

初代は昭和20年代後半に作才の古物商の氏原氏より購入。作才より曳いてきたという。しかし宵宮に屋根を飛ばす事故で壊れたので解体処分にする。小型地車だった。
 二代目は昭和44年に泉佐野市鶴原新家より購入。地車新調につき和泉市黒鳥郷小路へ。
春木宮本町=平成3年(1991)5月5日、新調入魂式。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は岸田恭司(同師の出世地車)。助は松田正幸。制作総費用8、000万円。
長さ4.3m。大屋根幅2.45m。内幅1.15m。高さ3.8m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「波」。
車板:「雲に龍」。
枡合:正面は「鶴ケ岡八幡宮」、右は「鞍馬山牛若修業の場」、左は「弁慶立往生」。
虹梁:「波」。
隅出す:「親子獅子」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「清盛落日を呼び戻す」、右は「渡辺綱」、左は「義経弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「琵琶法師」。幟台:「三匹の猿」。
松良:右は「宇治橋合戦」、左は「石橋山合戦」。
縁葛:正面は「曽我拾番切」、右は「和田酒盛」、左は「曽我兄弟夜討ち」。
大連子:正面は「?」、右は「八牧館夜討ち」、左は「義家 貞任を追う」。
小連子:正面は「景清錣引き」、右は「与一功名」、左は「嗣信忠節」。
土呂幕:正面は「清盛怪異を見る」、右は「鬼神に勝る巴御前」、左は「義経八艘飛」。
後縁葛:「富士の巻狩り」。
後連子:【庶民風俗】正面は「市場風景」、右は「風に傘を飛ばす女性」、左は「餅つき」。
半松良:「物見の武者」。
旗台:「三匹の猿」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、大脇、脇障子、摺出しは「一ノ谷の合戦」。
見送り虹梁:「羅城門」。

 初代は昭和25、6年に神於町より5万円で購入。
 先代は昭和42年貝塚市堀新町の地車を「大常」を通じて70万円で購入。平成元年に泉佐野市下瓦屋南町に売却され26年曳かれ平成26年(2014)3月30日、昇魂式。この日は雨天のため式典のみ。この後某団体に売却され解体される。
春木宮川町⇒地車小屋は弥栄神社境内。
=昭和15年(1940)忠岡町高月新調。大工は絹井楠次郎。彫師は松田正幸、木下舜次郎。第二室戸台風で地車小屋が倒れ野ざらしになり、どす黒く彫物には色とりどりの塗料が塗られていたが、昭和40年に約100万円で購入。平成13年の大改修で彫物以外のほぼ全ての部材を新調した。
平成26年(2014)6月22日、修復入魂式。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「村上義光錦御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【忠臣蔵】正面は「顔世御前兜改め」、右は「刃傷松の廊下」、左は「内蔵助島原で遊ぶ」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関弁慶義経懲打」、左は「大江山頼光の木渡り」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、左右は「狩場風景勢子の活躍」。
大連子:【大江山鬼退治】正面は「大江山酒盛りの場」、右は「大江山大血戦」、左は「頼光の木渡り」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「義士の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「加藤清正の勇戦」、右は「本多出雲守勇戦」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
見送り:「難波戦記」。

 初代は大正期に中古地車を購入した箕土路先代地車を昭和33年池尻の古物商金寅(西野氏)が買い取り、春木戎町の大工に修復させ春木宮川に売却した。やがて事故で傷んだので彫物は百貨店(松坂屋?)に売却し残りは焼却処分にする。
春木若松町=平成11年(1999)5月9日、新調入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は筒井伸。
平成26年(2014)5月18日、修復入魂式。
長さ4.21m。大屋根幅2.49m。内幅1.212m。高さ3.87m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面、後ろは「雲に木瓜御神紋」。
懸魚:正面は「波に御来光」、後ろは「波濤」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征八咫烏」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「陣幕に雑兵」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に木瓜御神紋」。
懸魚:「波濤に浦島太郎」。
車板:「雲龍」。
枡合:正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「当麻蹴速と野見宿禰」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは「桃太郎」。旗受けは「猿・犬・雉」。
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「一ノ谷鵯越」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝公本陣褒賞の場」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「狩場風景勢子の活躍」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「倶利伽羅峠の合戦」、左は「鶴ケ岡八幡宮 放生会の場」。
小連子:正面は「若木桜の高札」、右は「義仲 おかねの出会い」、左は「富士川の合戦」。
土呂幕:正面は「弁慶仁王立ち」、右は「巴御前の勇戦」、左は「源 頼朝朽木隠れ」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「本能寺の変」。
見送り虹梁:正面は「敦盛を舞う信長」、右は「毛利新介 今川義元を討つ」、左は「桶狭間義元本陣」。
脇障子:「雑兵」。
木鼻:「牡丹」。
脇障子物見:「牡丹に孔雀」。
摺出し鼻:右は「金太郎」、左は「一寸法師」。
摺出し受け:右は「箕浦大内蔵」、左は「中尾源三郎」。

 初代は昭和30年頃制作。小型地車だった。
 二代目は岸和田市池尻新調⇒〃 八坂⇒〃 春木若松⇒〃 春木旭⇒〃 吉井⇒現・堺市栂
 三代目は貝塚市津田新調。昭和45年15万円で購入。現・地車新調につき堺市上石津に売却。
木戎町⇒地車小屋は戎町会館(戎町7−6)併設。
=昭和63年(1988)7月31日、新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。助は十場祐次郎、松本幸規、井岡勘冶。
平成16年、大下工務店で修復。同時に松良 等新調。
平成28年(2016)8月28日、修復入魂式。二重枡合に七福神の彫物を追加。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征 八咫烏」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
虹梁:「青海波に波千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
虹梁:正面は「牡丹」、左右は「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶、義経徴打」、左は「大江山頼光四天王」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「勢子等の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:【戦国合戦絵巻】正面は「川中島の合戦」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
小連子:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「宇治川の先陣争い」、右は「義経八艘飛」、左は「巴御前の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「難波戦記」。

 初代は昭和27年頃に辻保吉氏の尽力により子供地車を制作し昭和34年までの7年間曳行した。
 先代は昭和35年に泉佐野市中之庄より購入。昭和62年9/16に和泉市黒鳥辻小路に引き渡す。平成14年まで曳かれ、現・同地内の焼肉屋の政(まつり)に展示。
八幡町⇒地車小屋は弥栄神社境内。
=平成5年(1993)9/5新調入魂式。6年8/21完全完成入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は筒井伸、近藤晃。
長さ3、82m。大屋根幅2、48m。高さ3、84m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「青海波に朝日」、後ろは「青海波」。
枡合:【神話伝説】正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「天の岩戸」、左は「神武天皇 東征八咫烏」。
二重枡合:【神話伝説】正面は「雄略天皇猪退治」、右は「日本武尊 熊襲退治」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「青海波に浦島太郎」。
枡合:【神話伝説】正面は「神功皇后 応神天皇平産す」、右は「宿禰 蹴速を蹴殺す」、左は「中大兄皇子 入鹿を誅す」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「立行司 木村庄之助」。幟台:「獅子噛」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣褒賞の場」、右は「勢子等の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「宇治川先陣争い」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:【太閤記】正面は「秀吉清洲城登城」、右は「秀吉 勝家の肩を揉む」、左は「大徳寺焼香の場」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「本能寺の変」、左は「桶狭間の戦い 今川義元の最期」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の七本槍」。
見送り虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「村上義光錦御旗奪還」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。

 先々代は昭和25年に地元の武田工務店の作。大屋一政氏を通じて平成元年泉佐野市樫井西へ。
 先代は昭和52年熊取町在住の大屋一政氏所有の地車と交換して入手。平成3年9/23曳き納めし1,500万円で東大阪市寺島に売却。
松風町⇒地車小屋は松風町7。
=昭和61年(1986)7月27日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は十場祐次郎。助は中山慶春、木下賢治、井尻翠雲。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎の豪弓」、左は「神武天皇東征 八咫烏」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【忠臣蔵】正面は「仮名手本忠臣蔵大序」、左右は「吉良邸討入り」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶、義経徴打」。
縁葛:三面とも「戦国絵巻」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「八幡御前」、左は「朝比奈三郎と足利義氏の血戦」。
小連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「平景清の錣引き」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「巴御前の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は町内地車で昭和24,5年制作。数年間町内のみを曳いていた。大分県出身者が多かったので三味線で大分の音頭を奏していたという。これを昭和56年5/4に堺市福田上に寄贈した。現存せず。
春木元町=北の地車小屋は今の元町会館のところにあり春木北の中心であったが、元町として地車は出たことは無い。
しかし春木北地区の地車の始まりである「幼稚園の地車」を出した。これは元町の小学校6年生以下の子供たちが子供地車を作り数年曳かれたからである。これがきっかけになり、まず昭和25年に八幡町が紙屋町をモデルにした地車を制作。他町にも波及したとされる。
 さてこの子供地車は春木幼稚園を経てフタバ児童園に行った。
春木大国町=地車売却。
=年番参加は平成24年まで。地車曳行は平成23年まで。
読売新聞、平成24年(2012)8月28日、発売号によると、
『7月の年番総会で町の代表者が今年の不参加と、祭り後の脱退の方針を伝えた。
同町は8月1日現在の住民が145世帯計320人。地車の曳行をしている町としては小規模で、年番や世話人などのなり手も不足気味だった』としている。

 先代は平成元年搬入。平成2年(1990)5月27日、購入入魂式。大工は山内安太郎。彫師は田沼征信、一元正。制作費は2、500円。
昇魂式(曳行せず)は平成25年(2013)3月24日。現・高石市高師浜。
経路は昭和5年泉佐野市日根野西出新調⇒春木旭町⇒春木大国町へ。平成14年大下工務店で修復。長さ3、3m。幅1、27m。高さ3、3m。
 ≪大屋根廻り≫
不詳?
 ≪小屋根廻り≫
不詳?
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:三面とも「松に雀」。
土呂幕:正面は「家康を追う真田幸村」、左右は「難波戦記」。
見送り:「難波戦記」。

 先々代は昭和34,5年頃に三味線を弾き唄を唄って村の大工が作った組立式の町内地車を曳いた。タイヤにベアリングが入っていたらしく網元の白石クエさんの倉に入れていたが、当時子供地車の戎町が地車購入等で若衆が集まらず2,3年の曳行で終わった。
 ≪新春木≫
天正年間織田信長に焼き討ちされるまでは春木の本村だったが、春木の村の移動で字名を新春木と称した。都市化が始まるまでのもともとの戸数は18戸。現在の春木旭町である。
春木旭町⇒地車小屋は春木旭町36(旭町第二会館)。
=平成3年(1991)9月13日、新調入魂式。4年8月完全完成入魂式。大工は天野工務店。彫師は松田正幸、木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4.12m。大屋根幅2.52m。高さ3.93m。
平成16年、大下工務店で修復。
平成29年(2017)5月21日、修復入魂式。新調後2度目の修復。
彫物は≪太閤記≫。
 ≪大屋根廻り≫
車板:正面は「本能寺の変」、後ろは「伏見大地震」。
枡合:正面は「藤吉郎信長に仕える」、右は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、左は「大徳寺の法要」、後ろは「馬蘭後立付一ノ谷兜」。
 ≪小屋根廻り≫
車板:「桶狭間の戦い」。
枡合:正面は「清洲会議」、右は「千利休 茶会の場」、左は「秀吉の関白宣言」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「朝鮮水軍と日本軍の合戦」、左は「加藤清正の虎退治」。
縁葛:【太閤記】正面は「大坂城築城」、右は「幼少時代」、左は「秀吉 光秀の密使を誅す」。
大連子:正面は「加藤孫六 浅井則政を討つ」、右は「脇坂甚内 神部兵左衛門を討つ」、左は「堀尾茂助と岩成祐道の一騎討ち」。
小連子:正面は「但馬守 秀吉を急追す」、右は「秀吉茶坊主に化け危難を逃れる」、左は「加藤清正 但馬守を討つ」。
土呂幕:正面は「藤吉郎初陣」、右は「前田犬千代 桶狭間において江間左京を討つ」、左は「秀吉本陣佐久間乱入」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 創建時は町内地車。
 先々代は(初代という見方もあり)昭和47年に植山工務店より購入。
経路は岸和田市池尻新調⇒〃 八坂⇒〃 春木若松⇒〃 春木旭。1年間の曳行で同市吉井町に売却。現・堺市栂。
 先代は昭和48年に泉佐野市日根野西出より購入。新調に先立ち平成元年(1989)春木大国町に売却。現・高石市6区(高師浜)。
【磯之上】
 地内は磯上、大道、神弥の三町に分かれる。
往古は地車の宮入りはするも、春木地区には乗り入れなかったが、神弥町の地車が売却され(大道町は当時地車無し)磯上町1台では寂しいので春木地区に参加するようになった。
磯之上町=平成5年(1993)7月25日、新調入魂式。6年(1994)5月15日、完全完成入魂式。4代目。
大工は大下工務店(大下孝司)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。長さ4.16m。大屋根幅2.61m。高さ3.91m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「鶴ケ岡八幡宮」、右は「弁財天神体を現し清盛の虚勢を挫く」、左は「碁盤忠信の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「大塔宮吉野落ち」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「児島高徳 忠義桜」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「布袋さん」。幟台:「獅噛み」。
松良:右は「大江山 頼光木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
大連子:正面は「八幡太郎義家 安部貞任征伐」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「巴御前の勇姿」。
小連子:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「名和長年 船上山に義兵を挙ぐ」。
土呂幕:【戦国合戦絵巻】正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「賤ヶ岳の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 明治初期、磯上には4台の地車があったと伝わる。
村内三字のうち、浜塚は西と北に分れ2台の地車があったが、明治24年に両地区が合併し西として1台となる。
 初代?(浜塚の地車)は明治16年に天王寺「なにわ」で制作。カラクリの出来る名地車だったが、祭礼のたびに喧嘩するので、明治42、3年頃に泉南市兎田に売却。その後、泉佐野市長滝東之番⇒和泉市春木川へ。
 昭和28年から30年にかけ町内三ヶ所(東、西、浜)でめいめい地車を曳きはじめた。
 【磯東】昭和29年に山下町より29万円で購入。元・熊取町久保の地車。昭和40年に町会に寄贈し2代目の地車となるが、他町とのトラブルのため翌41年には曳けなかった。その後昭和44年に野ざらしになっていた地車を焼却処分にする。
 【磯西・磯浜】昭和29年頃に両地区とも子供地車作る。37年頃に曳行をやめる。

 先代は昭和51年3月25日に泉佐野市日根野久ノ木より1,600万円で購入。
平成3年11月17日、曳き納めし、高石市南(3区)に売却。
大道町⇒住所では磯上町2丁目にあたり通称町。かつては浜出村と称した。
=平成4年(1992)7月19日、新調入魂式。5代目。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は筒井一門。
制作費(本体)は6、500万円。
長さ4.3m。大屋根幅2.45m。高さ3.74m。
平成30年(2018)8月5日、修復入魂式。前回は平成17年修復。
彫物は【太平記】で統一。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「雲に鶴」。
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右上は「護良親王の最期」、右下は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、
    左上は「児島高徳 忠義桜」、左下は「村上義光 錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「護良親王捕縛」、右は「大森彦七 正成の亡霊に出会う」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「後醍醐天皇笠置落ち」、左は「千剣破城の攻防」。
縁葛:正面は「大楠公七生報国誓い殉節」、右は「北条高時 闘犬遊び」、左は「北条高時 遊楽」。
大連子:正面は「北畠顕家 美濃青野原の勇戦」、右は「六波羅探題襲撃」、左は「新田義顕 越前金ヶ崎の勇戦」。
小連子:正面は「正中の変 多治見國長の最期」、右は「唐崎浜合戦」、左は「足利次郎重範の強弓」。
土呂幕:正面は「四条畷の戦い 楠木正行の最期」、右は「新田義貞 鎌倉襲撃」、左は「筑後川の合戦 菊地武光の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「湊川の戦い」。


 初代は明治30年代に売却。
 二代目は昭和23年に大道町在住の池側留吉により新調された彫物の無いもので、寸法は高さ約2m、幅約130Cm、長さ約230Cmの4人乗り。33年頃に売却?。
この地車は平成7年2月に三の丸奉納地車の説があるが、本当だとすると、
大道⇒泉大津市南曽根⇒泉大津市二田⇒〃池園⇒二田⇒植山工務店⇒南上町の有志となる。
 三代目は昭和48年に摩湯町より購入し、51年に交換で八幡町へ。現・東大阪市寺島。
 四代目は昭和51年に50万円付けて熊取町の大屋一政氏所有の地車と交換。平成2年1/2河合町の有志に売却。その後内畑町下出。

さらに大正8年、新調先の泉佐野市下瓦屋北出に里帰り。
神弥町=地車廃絶。曳いていた頃は現在の府道堺阪南線を使い忠岡駅下り⇔競輪場を曳いていた。
 往古よりあり。
 先代は昭和29年に門前町より購入するが、わずか数年曳いただけで、磯上町との喧嘩、曳き手の少なさなどで春木中町の個人へ。その方より寄贈され春木中町地車へ。和泉市黒鳥郷小路⇒太鼓正⇒現・太子町永田。

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