大 阪 府

【大阪狭山市、河内長野市】

住所 神社名 例祭日 内容 備考

  

 ≪大阪狭山市≫
半田1−223 狭山神社 10/連休の土日
(元・10)
神輿
地車4台 狭山、前田、半田東村、川向
町内地車2台 浦之庄、西池尻
地車廃絶 北村、東池尻
宮入りは宮本の前田が最後。宮入りの順番は年毎に順番を繰り上げる。
狭山、東村、川向、浦之庄。
前田=石川型。川向が地車を購入する前は“前川”と称して合同で曳いていた。
明治初期の作。大工は新堂組。彫師は彫又一門か?。平成7年植山工務店で修復。
平成28年2月28日、修復入魂式。大下工務店が文化庁認定事業の復元改修。
締め直しと洗い。大屋根 小屋根箱棟復元。化粧丸太取替 など。

 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:前は「青龍」、後ろは「松に鷲」。
虹梁:上は「唐子二十四孝」、中は「青龍」、下は「唐子二十四孝」。
車板:「雲海に青龍」。
屋根虹梁:「拝龍」。
枡合:「青龍
」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「青龍」。
車板:「青龍」。
枡合:「青龍」。
屋根虹梁:「拝龍」。
虹梁:上段は「唐子二十四孝」、中段は「青龍」、下段は「唐子二十四孝」。
絵振板:「唐獅子」。勾欄:「牡丹に唐獅子」。
半田東村=石川型。明治初期の作。前川の旧・地車購入の1年前後に新調。喜志から曳いて帰ったと云われる。
大工は新堂組。彫師は彫又一門。
長さ3.07m。内幅1.19m。大屋根幅2.38m。高さ4.14m(修復前)。
平成27年3月1日、修復入魂式。
文化庁認定 地域活性化事業により大下工務店が修復。
新調当時の高さに戻した。彫刻の洗い・繕い、箱棟の龍の彫物の復元新調。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛みは二面。
拝懸魚:前は「宝珠をつかむ青龍」、後ろは「朱雀」。
車板:「天の岩戸」。
屋根虹梁:「拝龍」。
枡合:「青龍」。
虹梁:上は「富士の巻狩り」、中は「青龍」、下は「唐子二十四孝」。
棟飾り:「雲海」。
匂欄:「十二支、牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚は「鷲の猿つかみ」。
車板:「牛若丸 鞍馬山修業の場」。
枡合:「青龍」。
虹梁:上段は「富士の巻狩り」、中段は「青龍」、下段は「唐子二十四孝」。
棟飾り:「雲海」。
勾欄:「十二支、牡丹に唐獅子」。
川向=折衷型。平成3年(1991)9月29日、新調入魂式。
大工は池内幸一(池内工務店)。彫師は野原堪水、岸田恭司、筒井一門。
 平成13年(2001)10月8日、修復入魂式。
土呂幕:「源平合戦」。
見送り:「千早赤阪の合戦」。

 平成元年までは‘前川’として前田と共に曳いていた。
狭山=町内地車。昭和59年(1984)制作。「太鼓正」。
 往古は北条の殿様より拝領の地車があったが転々として最後は貝塚方面に売却と伝えられる。

 先代は隠に売却し現・神戸市東灘区野寄へ。
浦之庄=町内地車。昭和59年(1984)制作。太鼓正の作。
長さ2、6m。大屋根幅1、91m。内幅1、16m。高さ3.4m。
 往古は北村と合同で地車を曳くが、北村が地車。浦之庄が太鼓を引取る。
 昭和3年の御大典に手作り地車を製作。
 先代は昭和22〜59年。焼却処分
西池尻=大阪狭山市地車連合会に加盟せず池尻だんじり祭りを実施。
=町内地車。所曳き。平成12年(2000)に堺市八田西町より購入。この地車は昭和54年に堺市菱木東の大工池田立身氏が作り町に寄贈したもの。
鎮守の狭間神社(池尻中1−13−7=明治42年に合祀)出発。
 往古地車があったが、東野と喧嘩したので喧嘩両成敗で売却したと云われている。また明治後期まで小屋は残っていた。
堺市消防本部の人の作の地車を3年曳いていた。現・地車購入につき、保育所に譲渡。  
東池尻=明治31年高野鉄道開通時に暗渠が出来て地車が通れなくなったので売却。
※富田林若松1丁目(富田)の「地車諸支入用帳」には明治11年寅10月 半田村(大阪狭山市)より64円で購入とあり。
池之原4 池の原神社 10/連休の土日 神輿
地車1台 堺型
池之原⇒地車小屋は神社境内。
折衷型。平成26年(2014)9月21日、新調入魂式。
大工は北本工務店(北本信広)。彫師は木下彫刻彫刻工芸(木下健司)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲」。
拝懸魚・桁隠し:前は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「雲」。
車板:「波に龍」。
枡合:正面は「天孫降臨」、右は「神武天皇 東征」、左は「日本武尊 野火の難」。
虹梁:正面は「牛若丸と烏天狗 修行の場」、右は「烏天狗の酒宴」、左は「烏天狗の敗北」。 
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲」。
拝懸魚・桁隠し:「天の岩戸」。
車板:「雲に鶴」。
枡合:正面は「雄略天皇 猪退治」、右は「野見宿祢 当麻蹴速 蹴り殺す」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。

三枚板・脇障子:「賤ヶ岳の合戦 佐久間の乱入」。
脇障子:右は「福島正則 勇戦す」、左は「加藤清正 山路将監を討つ」。
勾欄:「花鳥物」。
縁葛:「太閤記」。
土呂幕:正面は「富士川の合戦」、右は「美濃の国合戦」、左は「姉川の合戦」、後ろは「醍醐の花見」。
半松良:「四神獣」。
土呂幕縁板:「銭紋」。
台木:「波濤に鯉」。

 先代は堺型。江戸末期から明治初期に堺の地車大工の手により製作されたと思われる。彫師は彫又一門だが、一部は違うらしい。
大正15年に奈良県大和高田村(現・大和高田市)より、当時の金額で70円で購入で、牛数頭を連れ、大和高田から竹之内峠を2日掛けて曳いて帰ったと伝わる。
昭和61年に彫物以外新調の大改修を植山工務店にて行う。
 平成25年(2013)11月4日、昇魂式の当日に内長野市鳴尾に搬出。
今熊5−647 三都神社 10/連休の土日
(元・11)
地車3台 山伏、大野、今熊
地車2台 山本、隠
地車廃絶 岩室
神社境内が狭いという事もあるが、宮入りの時間はばらばらである。
土曜早朝は今熊。日曜午前は山伏、山本、隠
。日曜午後は大野が多い。
山伏⇒大阪狭山市山本東、山本北の一部と堺市東区草尾、西野(鶴道自治会)より成る。地車小屋は大阪狭山市山本東。町会館は堺市東区草尾。
=住吉型。初代。大正末期に100円で堺市逆瀬川より購入。平成23年(2011)7月18日、修復入魂式。池内工務店で修復。
前には昭和63年、天野工務店で大修理。
土呂幕は楠正成の統一彫り。
大野=堺型。江戸末期〜明治初期の作。明治20年代に河内長野市中尾地区より購入と伝えられる。堺の大工作。彫師は「彫又」西岡弥三郎。
平成15年若野工務店、彫師は松本彫刻が修復。
 
≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「神武天皇東征」、左は「日本武尊 野火の難」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「雄略天皇葛城山の猪退治」、右は「大国主命 因幡の白兎」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「巴御前の勇戦」、右は「義経の八艘飛び」、左は「那須与一扇の的を射る」、後ろは「屋島の合戦 義経の弓流し」。
見送り(三枚板):正面は「天竺の班足王」、左右は「謡曲 石橋」。
幟台:「三人力神」。
今熊=岸和田型。制作年、大工は不詳。彫師は松田正幸。昭和51年に八尾の川井工務店より中古で購入し復活。
平成13年腰周りと大脇以外は殆ど新調。大工は若野工務店。
改修以前は担い棒が付いた上地車スタイルで曳行も河内式であったが、完全な岸和田型に改修し、曳行方式も泉州式に変更した。
番号持ち:「熊に跨る金太郎」。幟台:「獅噛み」。
土呂幕:「大阪夏の陣」。
見送り:「灘波戦記」。
 【複合氏子】=土曜に堺市陶器地区の陶荒田神社に宮入りする。
山本(町会は一緒。一部に堺市の区域(陶荒田神社氏地)がある)=折衷型。昭和63年10月2日、新調入魂式。大工は池内福治郎。彫師は中山慶春、木下賢治。
 平成21年5月24日、修復入魂式。大工は地車製作隆匠。
彫物は「獅噛み」井波の澤義博。幟台は木彫高濱で新調。
幕板:「難波戦記」。見送り:「難波戦記」。

 先代は池内工務店に下取りされその後、高石市高師浜(6区)へ。現・東大阪市新家西町。
(隠西町⇒堺市。陶荒田神社氏子+隠東町⇒大阪狭山市。三都神社氏子からなる)=折衷型。平成2年制作。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水。同師の出世作。
平成27年9月27日、修復入魂式。
板谷工務店にて拝懸魚・車板の入替え。
土呂幕:「義経源平盛衰記」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は昭和59年購入。平成2年東大阪市東鴻池へ。
経路は住吉方面で新調⇒片蔵⇒堀上⇒津久野大東組⇒隠⇒東大阪市東鴻池⇒尼崎市松原神社氏子会
 先々代は昭和40年、大阪狭山市狭山より購入。昭和60年、桝矢の個人へ。経路は大阪狭山市狭山⇒隠⇒枡矢の個人⇒大阪狭山市池尻⇒太鼓正⇒神戸市東灘区野寄。
 三先代は昭和30年頃和泉市府中方面より購入し、35年頃に富田林市滝谷方面に売却?
 四先代は昭和22、3年頃に神戸市灘区住吉方面より購入。30年までに台風で破損解体。
 五先代は昭和8年頃に岸和田方面より購入。老朽化に伴い昭和20年までに岩室の個人へ寄贈。
 六先代もあり。
 七先代(=初代)は大正期購入。
岩室(堺市と大阪狭山市から成る)=昭和23、4年に地車を作ろうということになり、河内長野の某所をはじめ4,5ヶ所の彫物を集め、また村の中林氏が所有されていた隠の地車の彫物も寄贈され彫物の一部とされた。そして組立や新調部分は富田林市廿山の宮大工が村で作った。やがて30年代後半より所曳きとなり泉北中央線建設により村が二分され昭和55年頃より曳行中止となる。
岩室観音院にて保存。その後ブルーシートで保存されていたが、
最終的に平成28年(2016)8月20日搬出。羽曳野市の個人に嫁入り。
 往古は大正10年頃に陶器北と喧嘩になり25円で河内長野市石坂に売却となる。
 さて大佐の「地車請取帳」には、「南河内郡三都村字岩むろ 辻 久一様 古買二来ル 大正十一年十月十三日 若中五人」とある。
茱萸木(くみのき) 茱萸木八幡神社 10/連休の土日 神輿
地車2台 石川型[北] 住吉型[南]
茱萸木北=石川型。制作年、大工、彫師は不詳。長さ3.28m。大屋根幅2.21m。内幅1.23m。高さ3.93m。
明治4年購入。地車引取りの際、茱萸木南と二上山を越えて曳いてきたと伝わる。
平成5年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
車板:前は「天の岩戸」、後ろは「司馬温公の瓶割り」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:上段は「青龍」、中段は「富士の巻狩り」、下段は「牡丹」。

 ≪小屋根廻り≫ 
拝懸魚:「鷲」。
車板:「牛若丸鞍馬山修行の場」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:上段は「青龍」、中段は「富士の巻狩り 仁田四郎忠常猪退治」、下段は「牡丹」。
棟飾り:「唐獅子」。
勾欄:「牡丹に唐獅子」。
茱萸木南=住吉型。制作年、大工、彫師は不詳。彫師は辻田友次郎。大屋根幅2.03m。内幅1.35m。高さ3.43m。
明治4年購入。地車引取りの際、茱萸木北と二上山を越えて曳いてきたと伝わる。

平成4年、植山工務店で修復。
平成16年7月、泉谷工務店で修復。長さ3.02m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。
車板:「青龍」。
匂欄:「富士の巻狩り」。
見送り:「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
土台:「波涛に波」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 鞍馬山修行の場」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「谷越え獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り:「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
勾欄:「富士の巻狩り」。
土台:「波涛に兎」。
幟台:「力士」。
明治4年に二上山を越えて2台連れて曳いて来たという。

 ≪河内長野市≫
 ■長野地区
   ⇒長野、原、古野(ふるの)、西代、上原、野作
長野町8−19 長野神社 10/連休の土日 神輿
地車1台 住吉型
長野=住吉型三枚板型式。明治20年、住吉「大佐」より購入。彫師は小松一門。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「松に鷹」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「龍」。
桝合:「牡丹に唐獅子」。
虹梁:正面は「珠取り獅子」、左右は「波に龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷹」。隣懸魚:「松に猿」。
桝合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:【賤ヶ岳の戦い】右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「羽柴秀吉」。
隅障子:右は「渡辺綱」、左は「源 頼光」。
見送り(三枚板):正面は「頼光と酒呑童子の血戦」、右は「童子手下、武内宿禰妖術を使う」、左は「渡辺 綱 羅生門の鬼退治」。
花戸口虹梁:「牡丹に唐獅子」。
土呂幕:「合戦物」。
持送り:「般若面、お多福面の唐子」。

 先代は文政13年(1830)の記録に舟だんじりと記されている。明治初年まで曳く。
栄町(はちのす子供会)=昭和49年発足の新興住宅地。
子供会の地車制作するが、高齢化と少子化のために平成26年に40年の幕を閉じ、子供会解散。
天野酒の倉庫に保管され2015年に元・従業員の方の子供会に譲られた。
西代町16−5 西代神社 10/連休土日 神輿 あり
地車7台 西代、上原、石坂、野作、下西代、上古野、原
西代⇒宮本なので、地車だけでなく神楽奉納、神輿の担ぎ手もする。
=折衷型。平成17年(2005)4/17搬入。5/15購入入魂式。高さ3、84m。
堺市津久野大東組新調。昭和59年9/2新調入魂式。平成16年11/7昇魂式。北本工務店で修復後、搬入。
大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は井尻翠雲、中山慶春。
隣懸魚:「鶴」。拝懸魚:「鳳凰」。
車板:正面は「鷲・猿に松」、後ろは「宝珠を掴む龍」。
柱巻き:「拝龍」。
脇障子:「戦国武将」。
虹梁:「?」。
土呂幕:正面は「西王母と東方朔」、後ろは「高砂」。横は「唐獅子牡丹」。
縁葛:「唐獅子群遊と牡丹」。
見送り:「大坂夏の陣」。幟台は「唐獅子牡丹」。
台木:「菊と唐草」。

 もともとは神輿や神楽奉納。
 先代(初代)は住吉型。明治期制作。昭和39年に「梶内」だんじり店より購入。平成16年10/24昇魂式。11/27泉谷工務店へ搬出。修復後、大東市灰塚へ。大工は大佐。彫師は彫又。
 この地車の経路は堺市平井⇒芦屋の社長(死去につき売却)⇒「梶内」だんじり店⇒西代⇒大東市灰塚へ。
上原=堺型。明治20年代以前の作。河村新吾の作か?。彫師は西岡弥三郎か?。
堺小阪の地車大工「堀内市松」より購入。平成3年、20年に池内工務店にて修復。
長さ5.08m。内幅1.4m。大屋根幅?。高さ3.56m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」。
天蓋:「雲龍」
枡合:正面は「青龍」、左右は「猩々」
虹梁:右は「平景清、錣引き」、左・正面は「?」。
柱巻き:【賤ヶ岳の合戦】「秀吉本陣、佐久間の乱入」
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鷲の猿掴み」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:【桜井の別れ】右は「楠木正成」、左は「楠木正行」
三枚板(見送り):正面は「黄帝と蚩尤の戦い」、右は「大己貴命の大鷲退治」、左は「天竺の班足王」
花頭窓:「高砂」
摺出し鼻:「牡丹に唐獅子」
幟台:「力神」。
台木:右は「阿龍」、左は「吽龍」

石坂=原石坂とも言う。行政上では、原町3丁目全域と2丁目・4丁目の一部から成る。
板勾欄出人形堺型。明治26年頃小山田より購入。明治15年12月に堺の大工木村源平により作られる。彫師は西岡弥三郎か?。

これは小屋根虹梁裏面の墨書きに「細工人 泉國堺區大町東之丁、萬源、勝福並に景勝、□□」
 「明治15年12月吉日」から分かる。

 しかしながら、大佐の「地車請取帳」には明治31年以降の項に「南河内郡長野町字石坂清明塚東 瓦製造商 小澤源太郎様」のいう記事があるが?
平成21年9月5日、修復入魂式。吉為工務店の作。
彫物:柱巻きは「昇龍降龍」。板勾欄は「賤ヶ岳七本槍」、見送りは「朝鮮出兵」。
野作⇒野村と惣作村が明治16年に合併し野作村となる。行政上は寿町、昭栄町、西之山町、野作町よりなる。
=板勾欄式出人形堺型。堺の大工の作か?。彫師は堺の彫又か?。明治初期に住吉より中古地車を4人で曳いて帰った。
平成元年、21年8月30日、修復入魂式。植山工務店で修復。 
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、後ろは「獅噛み」。
拝懸魚:正面は「鳳凰」、
隣懸魚:正面は「松に鷹」。
天蓋:「雲龍」。
枡合:右は「阿吽の唐獅子」、左は「阿吽の唐獅子」。
虹梁:正面は「雲龍」、右は「雲に吽龍」、左は「雲に阿龍」。
柱巻き:【源平盛衰記】右は「平景清錣引 悪七兵衛景清」、左は「平景清錣引 三保谷四郎」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚:「山鵲」
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
板勾欄:【源平盛衰記】正面は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、右は「宇治川の先陣争い」、左は「粟津の合戦 勇力巴御前」。
三枚板(見送り):正面は「漢の高祖の龍退治」、右は「大己貴命の大鷲退治」、左は「天竺の班足王」。
花頭窓:「雲龍に竹に虎」。
幟台:「力神」。
台木:「波に鯉」。
下西代⇒地車小屋は栄町5。
=折衷型。昭和61年(1986)高石市3区(南)新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。助は十場祐次郎等。
平成4年6月収納。7月入魂式。
平成27年(2015)9月22日(祝)修復入魂式。泉谷工務店による。骨組み取替、屋根廻りの彫刻を新調。彫師は木彫 前田工房(前田暁彦)。
高さ3.64m。長さ5.9m。大屋根幅2.35m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷹」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「唐草模様」。
見送り:「大坂夏の陣」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。


 昭和29年、西代より分区して、下西代連合町会誕生。
昭和31年には既に屋台(たから丸)が橋谷看板店倉庫にて制作された。
たから丸とは、馬力車の廃車をベースに屋台船仕様でゴムタイヤ、前には元気達磨を置いた。
やがて杉の子子供会を主体で手作り屋台が出来て、
さらに2代目の軽トラックベースの屋台が出来たが、老朽化のため、平成3年12月、昇魂式後に解体。
古野⇒地車小屋は本町郵便局周辺。
=折衷型。平成10年(1998)2月15日、堺市太井より購入。大工は「大佐」11代目の川崎仙之助。彫師は彫又一門。
経路は住之江区安立町の1町⇒堺市太井(大正10年頃購入)⇒古野。
銘板は「細工人 住吉 大佐」。
平成20年9月27日、修理入魂式。吉為工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚は無し。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子・谷越え獅子」。
柱巻き:「阿吽の龍」。
虹梁:正面は「司馬温公の瓶割り」、右は「竹に虎」、左は「唐子遊び」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷲」。隣懸魚は無し。
枡合:「牡丹に唐獅子、谷越え獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
板高欄:正面は「源義家、勿来の関に詩を詠む」、右は「加藤清正の虎退治」、左は「源満仲の龍退治」。
縁葛:「波に兎」。
三枚板:正面は「漢の高祖、龍退治」、右は「武松の虎退治」、左は「大巳貴命の大鷲退治」。
花戸口虹梁:「竹に虎」。
土呂幕:「源平合戦」。

持送り:「波濤くずし」。

 先代は明治初期に堺方面より伝えられる。現・地車購入につき、中津原の大工が購入して中津原の地車の彫物として再生。
折衷型。昭和63年(1988)10月2日、新調入魂式。大工は天野藤一。彫師は木下賢治、十場裕次郎。
平成20年9月7日、修理入魂式。北本工務店(北本信広)より改修。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「楠公親子 櫻井の駅」。
車板:「龍」。
枡合:「神武天皇東征、素盞鳴尊 八岐大蛇退治 等」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「竹に虎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「二十四孝」。
縁葛:「曽我兄弟」。
土呂幕:「源平盛衰記」。
見送り:「千早赤坂の合戦」。

 先代は明治期に小山田より購入。この時に大佐で修復。
新調に伴い同市滝畑に売却。滝畑では平成9年までにて曳行されが、過疎化などにより曳行休止となり、平成20年まで滝畑にて保存。
その後、八尾市の太鼓業者に譲渡された。平成22年(2010)より大阪市生野区生野神社地車講(舎利寺)へ。
大佐の「地車請取帳」には明治31年に「南河内郡長野村大字原 松本正三郎様」とあるので、この時に修復か?。
【汗成塾 育成会】
 この会は青少年を育成する事を目的とした会。多くの人や社会と触れ合える環境を整え、そこで青少年と向き合いながら、『笑顔と感動』のうちに社会的な責任感や自覚を身に付けてもらうのがねらい。そんな具体的な取り組みの一つが秋祭り事業です。地車を保有していない新興住宅が増えておりお祭りに参加出来ない子供も増えています。そんな背景の中で、河内長野市全体の青少年を対象としたお祭りを創っていきた尾という想いで秋祭り事業に取り組んでいる。

 地車⇒地車小屋は古野町12−1(錦渓幼稚園前)。
=大東市灰塚より購入。太鼓正の作。
 先代は大正初期に誉田八幡宮の氏地〔鍛冶町か?)より千早赤阪村下河内が購入。さらに平成12年に汗成塾が購入。18年(2006)まで曳かれ処分される。
 ■千代田地区
市町469 千代田神社 10/連休土日 地車8台 市町東、市町西、松ヶ丘、千代田石坂、楠町、向野、木戸本郷、鳴尾
廃絶 汐ノ宮
市町東=宮本に当たる。堺型なれど河内長野唯一の幕式地車である。江戸末期〜明治初期の作。
当地へは昭和3年頃和泉方面より購入と伝えられる。
大工棟梁については不詳。彫物師は、大坂の相野一門。後の鬼板や桝合の獅子などの彫物がこれである。
平成2年に岸和田の植山工務店にて修復。
長さ2.82m。正面幅1.945m。大屋根幅2.14m。高さ3.43m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。隣懸魚は左右とも「猿」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「飛龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:左右とも「宝珠をつかむ青龍」。
土呂幕:「神功皇后三韓征伐」。幟台:「兎」。
勾欄合:「十二支」。

 先代は向野地区の崖から落ち破損。
市町西=堺型板高勾欄出人形式。平成3年堺市上之より購入。元は西黒山新調。
大工棟梁は堺の地車大工か?。彫師は堺の「彫又」(但し元の彫物のみ)で、正面の出人形は後で付け足している。
昭和56年に大阪の太鼓正にて改造修理。平成12年に池内工務店で解体修理。
長さ2.4m。大屋根幅1.98m。正面幅1.67m。高さ3.58m。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「龍」。
懸魚:「鷲」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「虎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻:右は「昇龍」、左は「降龍」。
脇障子:「武者物」。
板勾欄:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左右は「?」。
三枚板:正面は「大巳貴命の鷲退治」、右は「鬼若丸の鯉退治」、左は「雄略天皇の猪退治」。

 先代の地車は堺型の地車であったが、痛みがひどくなり、長年(約38年)に渡り小屋で保存されていたが、現・地車購入につき平成3年2月に柏原市国分地区の旭ヶ丘に譲る。

子供地車(むーみんだんじり)=昭和50年代後半に地車曳行が無く淋しい思いをしている子供のために、当時在住していた東尾治男さん(後に小山田に引越し)が子供会の地車を制作。むーみん、みなしごハッチ、山ねずみロッキーチャックの彫物もあり見ても楽しい地車だった。永ら地車庫の別棟に保管。長さ1、6m。幅0,92m。高さ2、03m。
平成21年(2009)5月30日、和歌山県橋本市岸上に嫁入り。これは岸上に転居された人の縁と聞く。
松ヶ丘=住吉型。大工は住吉 大佐(12代目川崎宗吉)。彫師は赤胴芳松。
和歌山県橋本市東家の寺脇(北)が明治29年に住吉の「大佐」に300円の大金をかけて作らせた。
彫師は吉為工務店の修復時に獅噛みの顔の合わせ面より「明治廿九年申六月 大坂日本橋二丁目 彫工 赤胴芳松」の墨書きが発見。
平成13年吉為工務店により大修復。長さ2.78m。正面幅1.765m。大屋根幅2.16m。高さ3.49m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「石橋」。隣懸魚:左右とも唐獅子」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:左右とも「唐獅子」。
虹梁:正面は「唐獅子」、左右は「竹に虎」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。隣懸魚:「青龍」。
枡合:「唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「日清戦争」。
間仕切り:「唐獅子」。
角障子:左右とも「武者物」。
土呂幕:「猩々」(平成13年、同じ図柄で彫替)。
幟台:「唐獅子」。
三枚板:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「毛受勝兵衛の勇戦」、左は「毛受勝兵衛の最期」。
千代田石坂=堺型板高勾欄出人形式。制作は明治初期。大工棟梁は堺の地車大工?。彫物師は堺「彫又」こと西岡弥三郎。
長さ2.48m。正面幅1.66m。大屋根幅2.08m。高さ3.42m。明治25年頃に家が26軒にもかかわらず250円(岩室では大正10年頃に25円)で岩室より購入と伝えられる。岩室より5、6人で曳いて帰ったらしい。
平成元年&21年9月22日、修復入魂式。岸和田の植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
虹梁:「飛龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻:左は「仁田四郎の猪退治」、右は「?」。
三枚板:正面は「漢高祖の龍退治」、右は「雄略天皇の猪退治」、左は「大巳貴命の鷲退治」。
板高欄:「加藤清正の虎退治」(顔は欠損)。
台木:「雲」。
幟台:「唐獅子」。

 往古は神楽。
 先代は解体して彫物は個人に分配。
楠町=堺型。制作は江戸末期〜明治初期。明治初期に小山田地区より購入。大工は堺の地車大工。彫師は彫又一門。
昭和63年、平成11・23年に大下工務店で修復。
長さ2.85m。正面幅は1.71m。大屋根幅は2m。高さ3.89m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「風神」。
隣懸魚は:右は「素盞鳴尊」、左は「奇稲田(くしなだ)姫」。
車板:「獅子の子落とし」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
間仕切り:「司馬温公の瓶割」。
葛は大銃があることから「難波戦記?」
土呂幕:
正面は「頼朝の朽木隠れ」、後は「今井四郎勇戦」。
見送り三枚板:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、 左は「木村重成の勇戦」、右は「後藤又兵衛の勇戦」。
=堺型板匂欄出人形式。江戸後期〜明治初期の作。明治12年説もあるが根拠は不明。
大工棟梁は、堺金田村の河村新吾。彫師は堺「彫又」の西岡又兵衛と思われる。
平成6年植山工務店にて修復。修復時の彫師は近藤晃か?。長さ5.5m。正面幅2m。高さ5.5m。

 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鳳凰」。
車板:「?」。
枡合:「加藤清正」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻:「神功皇后説話」。
幟台:「猩々」。
間仕切り:「虎」。

三枚板:正面は「漢高祖の大蛇退治」、右は「鬼若丸(弁慶の幼少名)の鯉退治」、左は「雄略天皇の猪獅子退治」。
木戸本郷=堺型板高勾欄出人形式。明治初期の作か。大工は堺の大工か?。彫師は彫又三代目兄弟か?。初代と思われる。
明治27、8年頃?(大旱魃の年と伝えられる)に住吉「大佐」より曳いて持って帰ってきた。
昭和61年美原町今井の夏目司氏により修復。平成19年、植山工務店で修復。

 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
柱巻:「秀吉本陣佐久間の乱入」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「飛龍」。
車板:「雲海」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫

間仕切り:「鳳凰」。脇障子:「武者物」。
板勾欄:「賤ヶ岳の七本槍(実際は6人)」。
土呂幕:「武者物」。
三枚板:正面は「漢の高祖龍退治」、右は「天竺の班足王」、左は「大巳貴命の鷲退治」。
鳴尾(どんど)⇒地車小屋は柳風台第二公園。
=堺型。平成26年(2014)3月30日、購入入魂式。会場は地車小屋のある柳風台第二公園。
平成25年(2013)11月4日、大阪狭山市池之原で昇魂式の当日に搬入。
江戸末期から明治初期に堺の地車大工の手により製作されたと思われる。彫師は彫又一門だが、一部は違うらしい。
大阪狭山市池之原では大正15年に奈良県大和高田村(現・大和高田市)より、当時の金額で70円で購入で、牛数頭を連れ、大和高田から竹之内峠を2日掛けて曳いて帰ったと伝わる。
昭和61年に彫物以外新調の大改修を植山工務店にて行う。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛みは二面。
拝懸魚:「鳳凰」。
枡合:「牡丹に阿吽の唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:「青龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「十二支」。
土呂幕:正面:「親子唐獅子」、平上段:「唐子遊び」、平下段:「牡丹に唐獅子」、後ろ上段:「唐子遊び 花車」、後ろ下段:「麒麟」。
見送り:右は「翠虚(スイキョ)」、(左)は中国列仙伝で「傘風子」、後ろは「鷺池平九郎 大蛇退治」。
幟台:「力神」。

 以前は神輿を台車に載せて奉納。宮入りはするが宮入り、宮出は早い。台車の銘板に「御台車奉納 南又一 昭和47年12月」とあるのでこの年かそれ以前より神輿奉納があったと思われる。地車購入につき処分される。
汐ノ宮=平成26年現在、地車購入の動きがあると聞く。
宮入りせず自町内のみの曳行だった。
地区戦後2台のだんじりがあった。1台は地元の大工がつくった幼児用の曳きだんじり。もう1台は借りてきた布団太鼓で小学生用だった。やがて曳きだんじりは無くなり布団太鼓1台となるが、少子化や祭りの済んだ後、国道を横断の子供が事故にまきこまれる等の事情により平成17年の祭りが最後となり、アンケートにより平成18年は中止となり9月17日に今までの謝礼金3万円を添えて地車備品(布団太鼓のこと)を金刀比羅神社に返納する。
 ■三日市地区
喜多町305 烏帽子形八幡神社 10/連休の土日 神輿
地車3台 喜多、上田、小塩
氏子は上田、喜多、小塩、楠ヶ丘、大師町。地車の宮入りは小塩、喜多、上田の順。
喜多⇒以前は長野地区のパレードに参加したことがあるので、今も三日市地区で唯一河内長野駅前まで曳行する。
=住吉型三枚板型式。明治25年頃に住吉の『大佐』より購入。大佐の「地車請取帳」には明治25年頃に「錦部郡三日市喜多 様」とある。銘板に「細工人 住吉大佐」とある。
平成29年(2017)9月10日、修復入魂式。大下工務店(大下孝治)による。
昭和の大修復は昭和62年に吉為工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:前後は「獅噛み」。
懸魚:前は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「牛若丸鞍馬山修業の場」。
桁隠し:前は「櫛名だ比売 八岐大蛇」、後ろは「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「谷越え獅子」、間仕切りは「牡丹に夫婦唐獅子」。
虹梁:正面は「珠取り唐獅子」、左右は「牡丹に唐獅子」、間仕切りは「牡丹に親子唐獅子」。
棟飾り:「龍」。
 ≪小屋根廻り≫
飾目:「獅噛み」。
懸魚:「松に猿の群遊」。
桁隠し:「松に鷲」。
車板:「鷲に虎に猿を掴む鷲、虎とのにらみ合い」。
枡合:右は「谷越え獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
棟飾り:「龍」。

三枚板:【太平記】正面は「楠木正成出陣」、右は「楠木正季の雄姿」、左は「楠木正行の雄姿」」。
脇障子:右は「加藤清正の虎退治」、左は「雄略天皇の猪退治」。
角障子:右は「後醍醐天皇」、左は「児島高徳、桜の木に詩を詠む」。
摺出鼻:「猿の群遊」。
舞台柱:前は「珠取り親子唐獅子」、後ろは「牡丹に夫婦唐獅子」。
舞台勾欄合:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「巻狩り風景」、後ろは「巻狩り風景」。
縁葛:【一ノ谷の合戦】正面は「平家本陣」、右は「梶原源太生田の森」、左は「義経の勇戦」、後ろは「夕月背負う畠山重忠」。
持送り:「唐子遊び」。
舞台腕木:「阿吽の獅子」。
土呂幕:前正面は「司馬温公の瓶遊び」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「福島市松の勇戦」、後正面は「織田信長」。
下勾欄:「波に兎」。
幟台:「力神」。
台木:「波」。


 先代もあったらしい。
上田⇒地車小屋は増福寺隣り。
折衷型。平成26年(2014)9月21日、新調入魂式。製作費は約4000万円と聞く。
大工は植山工務店(佐野和久、七野徳重)。
彫師は獅噛みは木彫 松並(松並義孝)。屋根廻りは木彫 近藤(近藤晃)。見送り廻りは雲桟堂美術院(松田武幸・立川靖雄)。腰廻りは木下彫刻工芸(木下健司)、
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「蝶」。
懸魚:「竜宮」。桁隠しと一対。
桁隠し:右は「菊水流水と鶴」、左は「菊水流水と亀」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
枡合:正面は「楠公武威の松」、右は「楠公 子別れ櫻井の駅」、左は「楠木正成 後醍醐天皇に謁見す」。
虹梁:正面は「天王寺合戦 篝火の計」、右は「天王寺に聖徳太子の未来記を拝見」、左は「渡辺橋の戦い」、後ろは「菊花」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「蜻蛉」。
拝懸魚:「漢高祖龍退治」。

桁隠し:「飛龍」。
車板:「神功皇后 応神天皇平産す」。 
枡合:正面は「多聞丸 矢伏観音に助けられる」、右は「多聞丸 弥次郎を打ち負かす」、左は「多聞丸 釣鐘を動かす」。
虹梁:正面は「東光寺 大塔宮の最期」、右は「燈明寺畷 新田義貞の最期」、左は「蔵王堂 村上義光の最期」。。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「地蔵」。
間仕切り:「猩々舞」。
脇障子:右は「求塚の戦い 新田義貞 小山田高家」、左は「湊川合戦 中院定平 畑六郎」。
三枚板:正面は「湊川合戦 大楠公の雄姿」、右は「須磨寺追撃 楠木正季 足利直義を討ち漏らす」、左は「経島の戦い 脇屋義助 細川定禅を迎撃す」。
大脇:【湊川合戦】右前は「和田正隆」」、右後ろは「菊池武吉・大森彦七」、左前は「本間重氏 遠矢」、左後ろは「志貴右衛門」。
大脇物見:右は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
大脇竹の節:右は「鬼を踏む鍾馗」、左は「鬼を掴む鍾馗」。
摺出鼻:右外は「千早城合戦 藁人形の計」、右内は「千早城合戦 長梯子を破る」、左外は「赤坂城合戦 熱湯の計」、左内は「赤坂城合戦 二重壁の計」。

勾欄:「菊花」。
縁葛:正面は「胸切峠の由来」、右前は「高野街道上田駅」、右後ろは「鋳物師 田中喜久治」、左前は「雨山の森」、左後ろは「金の森」、後ろは「天誅組観心寺参り」。
連子:正面は「多聞天の夢を見る」、右前は「獅子に牡丹 谷から子を助ける親獅子」、右後ろは「獅子に牡丹 毬遊び」、左前は「獅子に牡丹」、左後ろは「獅子に牡丹 谷を飛び越える親子」、後ろは「水戸光圀 楠公墓碑建立」。
土呂幕:正面は「多聞丸初陣」、右前は「三井寺合戦」、右後ろは「正成の奇策」、左前は「赤坂城合戦 和田正遠」、左後ろは「赤坂城奪還」、後ろは「矢取川の鬼女と大森彦七」。
半松良:右前は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左前は「新田義貞稲村ヶ崎」、後ろ左右は「笠置山」。
台木・猫来は「波濤」。


 竹鼻嘉兵衛氏記録の「氏神八幡宮百燈出来手続書」に上田に初めて地車が出来たのが、寛政9年(1797)と記載されている。
当時の上田村の領主は甲斐庄という旗本で、蔵屋敷が堺に有り、上田村の年貢米などは堺に納められていた。地車購入に際し領主自ら大工に地車製作を依頼したとも、蔵屋敷の役人が確かめて買ったともいわれ、氏子が堺から上田まで曳いて帰ったと云われている。
 当時の狭い道ではこの大型地車の曳行が難しく文政年間に売却し先代地車を購入。


 先代は堺型。文政年間に堺の甲斐之町より購入。大工は木村一門。彫師は見送り正面の裏面に「彫工 西岡又兵衛」と墨書きがある。
昭和60年吉為工務店で修復。さらに平成11年植山工務店で修復。
幕の制作年、作者は不詳。平成10年、地元の婦人の山口菊枝、西久保アイ子、中家登美子により修復。
新調に伴い、柏原市安堂に売却。安堂では平成26年(2014)3月16日、購入入魂式を行う。

小塩=堺型。彫師は「彫又」。明治中頃、堺市新在家濱より購入。天保時代前後制作。大工は不詳。木村一門か?というマニアもいるが?。
彫師は初代彫又(桝屋又兵衛)。
平成4年植山工務店で修復。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」。
車板:正面は「猩々」。
桝合:「阿吽の唐獅子」。
虹梁:「松に鶴」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「松に鷲」。
桝合:「唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「牡丹に唐獅子」。

三枚板:正面は「阿部介丸、龍退治」、右は「神功皇后 三韓の役」、左は「宝珠を投げる武内宿禰、
土呂幕:正面は「猩々」、左右後ろは「牡丹に唐獅子」。
幟台:「力神」。
台木:「鯉の滝昇り」。
美加の台1−25−2
(三日市)
赤坂上之宮神社 10/連休の土日 神輿
地車3台 三日市南部、三日市北部、片添
三日市南部=住吉型出人形板高欄型式。大正初期に南部の有志により参道の山道を担いで登れる小型の地車を和泉方面から購入。これが今の地車。平成18年(2004)植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は飾目「青龍」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」、後ろは「雲」。
桝合:正面は「阿吽の唐獅子」、右は「竹林の唐獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
虹梁:正面は「甲賀三郎、飛龍退治」。
柱巻:右は「義経の八艘飛び」、左は「義経を追う平教経」
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚は「松に鷲」。
桝合は「唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
板高欄:前は「碇知盛、平知盛の最期」、右は「平景清、錣引き」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
縁葛:正面は「波間に漂う雑兵」、左右は「波濤」。
三枚板:正面は「蚩尤と応龍」、右は「加藤清正 勇戦」。
花戸口:「獅子の子落とし」。
土呂幕:正面は「巴紋」、左右後ろは「武者物」。
幟台:「力神」。
台木は「波濤に鯉」。

また以前は北と共有の堺で作らせた大型の地車があったが明治期に事故のため売却。
三日市北部=堺型。大工は不詳。彫師は彫又一門。
平成19年7月22日、購入入魂式。搬入に先立ち池内工務店で修復。
堺市菱木奥より購入。菱木奥は平成18年10月22日、昇魂式。
菱木奥は昭和52年大鳥の新在家より購入。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、後ろは「獅噛み」。
懸魚:正面は「朱雀」。
車板:正面は「宝珠を掴む青龍」。
枡合:右は「鞠を曳く唐獅子」、左は「阿吽の唐獅子」。
虹梁:「阿吽の唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「松に鷹」。
車板:「阿吽の唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
三枚板(見送り):正面は「漢の高祖の龍退治」、右は【源三位頼政鵺退治】「鵺を射る源頼政」、左は【源三位頼政鵺退治】「鵺に止めを刺す猪早太」。
脇障子:「猿に鷲」
花頭窓:「牡丹に唐獅子」。
摺出し鼻:「親子唐獅子」。
板勾欄:「阿吽の唐獅子」。
縁葛:「十二支」。
土呂幕:正面は「牡丹に唐獅子」、右は【唐子遊び】「棒馬遊び・曲芸」、左は【唐子遊び】「肩車・鬼ごっこ」、後ろは【唐子遊び】「唐子と犬」。
台木:「青龍」。
幟台:「力神」。

 地車以前は屋形船を作り数名が乗って、油屋旅館前の街道を曳いたと伝えられる。
※油屋旅館は三日市の油屋で高野山御用宿として栄えたが市街化も相まって、昭和50年(1975)に錦渓温泉は廃業した。

 先代は江戸末期〜明治初期の作。中古で購入し大正9年に大佐で改修。
平成19年(2007)3月25日、昇魂式。堺市福上へ。
片添 =折衷型 。昭和62年(1987)7月26日、新調入魂式。和泉市上代町新調。大工は池内福治郎。彫師は中山慶春。
平成21年5月24日、購入入魂式。上代町より購入。購入に先立ち井上工務店で改修。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
柱巻き:「拝龍」。
土呂幕:正面は「爺婆」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代(初代)=住吉型出人形板高欄型式。明治初期に大佐が和歌山県橋本市東家の南出に売却。
大正期に和歌山県橋本市東家の南出(南)より購入。神額に「轟神社」とあるので、元は住吉区若宮神社にあった地車と思われる。
現在は和歌山県橋本市柏原へ。
 ■天野地区
   ⇒小山田、下里、天野
小山田町453 住吉神社 10/祝日(元・12) 地車廃絶 氏地は小山田町、下里町、天野町
馬駈神事
小山田=地車は明治期に同市原に売却。原が新調のため昭和63年に同市滝畑に売却。
滝畑では平成9年までにて曳行されが、過疎化などにより曳行休止となり、平成20年まで滝畑にて保存。
その後、八尾市の太鼓業者に譲渡された。平成22年(2010)より大阪市生野区生野神社地車講(舎利寺)へ。

 言伝えでは地車があった頃は2日地車曳いて、3日目(12日)は馬駈け、4日目は神楽と4日間祭りをしたらしい。
下里町933 青賀原神社 地車廃絶
拝殿は残っているが、明治40年(1907)12月26日に小山田の住吉神社に合祀された。このために地車を売却したのかもしれない。
 ■高向地区
   ⇒高向、日野、滝畑
高向(たこう)291 高向神社 10/連休の土日 神輿 あり
地車3台(住吉型) 上、中、下
獅子舞 高向、日野
高向=擬宝珠勾欄住吉型。明治30年、住吉の「大佐」より350円で購入。
大佐の「地車請取帳」には「三百五十円 錦部郡高向村上之村 明治三十年六月六日 売 七月九日 渡し 田中政吉様」とある。
彫師は小松一門(小松源助。助は赤松由松)。
平成29年(2017)3月19日、修復入魂式。河内長野市文化遺産活用事業の補助金活用。
大下工務店にて、灰汁洗い・彫刻繕い・錺金具直し・勾欄・猫木・大屋根・小屋根の桁の復元修復。
前回は 平成9年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:前は「朱雀」、後ろは「松に鷹」。
虹梁:正面は「富士の巻狩り」、左右は「竹に虎」。
 ≪小屋根廻り≫
車板:「牛若丸、弁慶五條大橋の出会い」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫

脇障子:【列仙伝】右は「蝦蟇仙人と鉄拐仙人」、左は「通玄」。隅障子は「山伏」。
持送り:「子犬と唐子・太鼓打つ唐子」。
土呂幕:「武者物」。

三枚板:正面は「漢の高祖龍退治」、右は「天竺の班足王」、左は「大巳貴命の鷲退治」。
見送り:【源 頼光と四天王】正面は「頼光四天王 土蜘蛛退治」、右は「頼光と四天王 大江山の鬼退治」、左は「源頼光 鬼同丸を誅す」。

 先代は明治初年に地元の古物商に売却。
高向中=住吉型三枚板型式。明治28年(1953)8月11比に住吉の「大佐」より350円で購入。
銘板は「細工人 住吉郡住吉村 大佐」とある。
大佐の「地車請取帳」には「錦部郡高向村中之村 世話人 辻松次郎様 新八月十一日売也 大地車値段 三百三十円也」とある。
また同じく大正14年10/7より28円かけて作事(修復)している。
最近では平成10年、植山工務店で修復。
 幟旗、吹きちりは平成20年新調。川島織物の作。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「三浦介、九尾の狐退治」。
隣懸魚:「牛若丸、弁慶五條大橋の出会い」。
車板:「青龍」。
枡合・虹梁:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「雑兵さらう鷲」。
拝懸魚:「松と雑兵」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:【太平記】右は「篠塚伊賀守」、左は「長山遠江守」。隅障子は「合戦物」。
持送り:「太鼓を打つ唐子、獅子舞の唐子」。
土呂幕:「武者物」。
三枚板:【太平記】正面は「村上義光、錦の御旗奪還す」、右は「新田義貞出陣」、左は「足利尊氏敗走」。

 先代は江戸期より曳かれる。地元の古物商に売却。
高向下=住吉型三枚板型式。大正14年(1925)10月24日、住吉の「大佐」より購入。
銘板は「細工人 住吉区住吉町 大佐」とある。
 平成11年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「隠岐次郎左衛門廣有、怪鳥を射る」。
拝懸魚:「青龍」。
車板:「青龍」。
枡合・虹梁:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若、弁慶五條大橋の出会い」。
拝懸魚:「松に猿」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「加藤清正、虎を殴り殺す」、左は「雄略天皇、猪を蹴り殺す」。
隅障子:右は「堀尾吉晴、天王山」、左は「加藤清正、山路将監との血戦」。
持送り:「猩々舞」。
土呂幕:「武者物」。
三枚板:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「羽柴秀吉」、左は「毛受勝兵衛、勇戦討死」。
扉は「司馬温公の瓶割り」。肘頭は「牡丹に唐獅子」。

 先々代は明治初期に売却。
 先代は明治28年(1953)12月25日に住吉の「大佐」より370円で購入するが、町井橋付近で横転事故のため大正末期に売却。 
高向地区に地車が曳かれるようになったのは江戸時代中頃と伝えられる。文久3年(1863)奉納絵馬には地車3台、子供地車1台が描かれている。この4台は明治になって売られた。
高向獅子舞=子供獅子舞。
日野獅子舞=市指定無形民俗文化財。六斎念仏獅子とも言う。
人形芝居と共に伝承されていたが、人形芝居は江戸末期に廃絶。獅子舞は日清戦争頃に一度途絶えるが、昭和8年に復活した。
明治41年(1908)に日野の鎮守の春日神社が合祀されてからは、高向神社の秋祭りに奉納されるようになった。
 宵宮は日野の春日神社跡(現在はみのでホールに変更か?)で舞い、本宮は高向神社境内(
花の舞、床しょうぎの舞奉納)、薬師堂(地巣篭の舞、乱曲の舞奉納)、御旅所(巣垣の舞奉納)3ヵ所で奉納され、その後日野に帰って各家を廻る。
滝畑731 天神社 10/連休土日 地車廃絶
地車=現在は無し。
 初代は子供だんじり。
 二代目は堺型。昭和63年原より購入。この地車は明治期に原が小山田より購入したものである。
滝畑では平成9年までにて曳行されが、過疎化などにより曳行休止となり、平成20年まで滝畑にて保存。
その後、八尾市の太鼓業者に譲渡された。平成22年(2010)より大阪市生野区生野神社地車講(舎利寺)へ。
現・柏原市上市地区へ。
 ■加賀田地区
   ⇒加賀田(かがた)、石仏(いしぼとけ)、唐久谷(からくだに)
加賀田135 加賀田神社
公式HPへ
10/連休の日曜 神輿
地車廃絶 加賀田
神輿=嘉永7年(1854)に、この神輿が再建されたと思われる。
神輿内部の墨書銘から嘉永七寅八月吉日 大阪北久太郎せんたん木筋西江入金物細工所錺屋新兵衛が分かる。
以前のは焼失。
地車大佐の「地車請取帳」では明治31年、「南河内郡長野村 たばこ屋 辻野藤太郎 但し石佛の近村かゞ田村」とあるので大佐が売却したと思われる。
 【加賀田フェスティバル】
10/連休に加賀田中学校のグラウンドで開催。この時に小学生が前に乗っている手作りの町内地車が出る。
土曜は14:00〜21:00。日曜は15:00〜21:00で加賀田中学校区全地域を曳く。宮入りは無い。
 ■天見地区
   ⇒天見、岩瀬(いわぜ)、清水、流谷
天見428 蟹井神社
公式HPへ
10/連休土日 神輿
地車1台 上岩瀬
高張提灯
地車=昭和50年代初期に村の人の手作り。彫物は無いものの標準的な大きさ。最近は出ていない?
氏地は天見、岩瀬。
宵宮の夜8時頃それぞれの地区(今は3地区)から総代さんに先導され、何本もの高張提灯に灯を入れ伊勢音頭を歌いながら氏子が社参する。本宮は神輿が出て境内の一角にある老松に力いっぱいぶつけた。
下天見(天見2211) 流谷八幡神社 10/連休土日 神輿
神輿=下天見青年団が担ぐ。下天見青年団は下天見と流谷(19戸)より成る。
■土曜(宵宮)
提灯行列=20:00頃より流谷地区と下天見地区から提灯を持った人々が行列をして神社へ向かう。
■日曜(本宮)
神輿渡御=9:00頃より下天見地区から始まり、お昼頃から流谷地区へ
 ■川上地区
   ⇒寺元、鬼住、河合寺、鳩原、太井、小深、石見川
鳩原789 川上神社 10/1日曜 地車廃絶 寺元
稚児相撲 満1歳を迎えた子供が親に抱かれ、行司立合いのもと本殿前にてにらみあう
氏子は鳩原、石見川、太井、神ヶ丘(旧・鬼住)、寺元、河合寺、小深の7ヶ村。
例祭日に輪番で子供地車を曳いて廻ったが、平成初期にはとりやめ。
寺元= 昭和初期に西富貴が河内長野市寺元より購入。現在は富貴として一体として曳いている。また外コマに改造。
堺型で板勾欄出人形式。江戸末期〜明治初期に某所新調。大工は不詳。彫師は彫又一門。
地車小屋に元の板勾欄の一部が保管。また見送り右の漢の高祖は元は正面の龍退治の図であったと云われる。

 飾目:前は「獅子噛」、後ろは「唐獅子」、小は「青龍」。
 見送り:正面は「龍に虎」、右は「漢の高祖」、左は「大巳貴命大鷲退治」。

inserted by FC2 system