大 阪 府【和泉】

 ≪貝塚市、熊取町≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪貝塚市≫
中905 感田神社 7/連休の土日 神輿 神輿蔵は明治中期建造
獅子 明治16年7月制作。平成5年4月修復。
布団太鼓7台 大北町、中北町、南町、西町、近木町、中町、堀之町
10/連休の土日 子供太鼓台8台(上記の7町に南上町)が出る “秋祭り" … 子供のための祭り
 ◎土曜 13時〜22時
昼:各町⇒駅前ロータリ−⇒中町通り⇒各町
夜:西町交差点・南町郵便局前交差点(19:30から順次出発)⇒運行コース⇒府道堺阪南線にて練り合い(21時頃)
 ◎日曜 13時〜22時
昼:各町(13時)⇒運行コース⇒感田神社前にて式典・練り合い(式典は14時より)
夜:西町交差点・南町郵便局前交差点(19:30から順次出発)⇒駅前ロータリ−⇒練り合い(感田神社前・浜通り)
大北町⇒太鼓部屋は大北会館併設。
=明治11年頃に制作。大工は絹井嘉七?。彫師は桝合の裏面に「浪速彫物師 高松■■■人一人」と墨書きがあるらしい。そこで2代目高松彦四郎秀延かその一門と思われる。平成元年植山工務店で修復。その時の彫師は筒井伸、松谷隆司。
枡合:【太平記】正面は「鷺池平九郎 大蛇退治」、右は「楠公父子 桜井の別れ」、左は「林軍太 多聞丸を窺う」、後ろは「護良親王 捕縛」。
上虹梁:【太平記】正面は「篠塚伊賀守 勇戦」、右は「恩地左近 帝を慰める」、左は「北条高時 闘犬を競う」、後ろは「白藤彦七 足利を追う」。
下虹梁:【太平記】正面は「新田義貞 勇戦」、右は「多聞丸 誕生」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎投剣の場」、後ろは「杉本差平 敵を欺く」。
土呂幕:【水滸伝】正面は「入雲龍 公孫勝」、右は「花和尚 魯知深」、左は「九紋竜 史進」、後ろは「武松の虎退治」

中北町=幕末〜明治初年に制作。大工は絹井嘉七?。彫師は高松彦四郎。桝合の彫物に墨書きあり。昭和59年に大下工務店で修復。
枡合:【太閤記】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「本能寺の変」、左は「真田幸村 大坂城入城」、後ろは「秀吉朝鮮使節謁見」。
虹梁・縁葛は「太閤記」。
土呂幕【太閤記】正面は「加藤清正 虎退治」、右は「後藤又兵衛 虎退治」、
左は「?」。
南町=大正12年(1923)制作。大工は田端辰次郎。彫師は開正藤、上田徳弥、川島暁星など多くの彫師。昭和59年に植山工務店で修復。
枡合:正面は「安宅の関 弁慶義経徴打」、右は「布引の滝 小桜責め」、左は「湊川の合戦」、後ろは「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」。
虹梁:右は「日吉丸 小六 矢矧橋の出会い」、左は「?」。
土呂幕:【難波戦記】正面は「本田伊豆守」、右は「薄田隼人 勇戦」、後ろは「荒川熊蔵」。

 先代は隣の石灰倉庫が自然発火して類焼。とりあえず泉佐野より太鼓台を借りて翌年に太鼓台新調。
西町=大正8年(1919)制作。大工は櫻井義國の弟子の中町の樫本平吉。添棟梁は熊野政吉。墨書きは櫻井義國。
彫師は櫻井義國。平成17年(2005)、距イ匠で修復。
枡合:正面は「牛若弁慶、五条大橋の出会い」、右は「巴御前 勇戦」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。
虹梁:左は「安宅の関 弁慶義経徴打」、後ろは「楠公子別れ 桜井の駅」。
土呂幕:「朝鮮の役」。
近木町⇒太鼓部屋は近木町会館併設。
=大正9年(1920)制作。大工は田端辰次郎。添棟梁は岸谷市松。彫師は麻田博。土呂幕と木鼻は近藤泰山。
 昭和57年に吉為工務店、彫師は筒井 和男で修復。
 平成18年(2006)6月11日、平成大修理完成披露式。25年ぶりの大修復。
大工は植山工務店、彫師は近藤 晃。
土呂幕彫物・黒檀柱・金物・布団張りなどほとんどを新調。
枡合:正面は「天照大神天の岩戸開き」、右は「神武天皇 大和平定」、左は「神功皇后三韓征伐」、後ろは「素盛鳴尊 八岐大蛇退治」。
上虹梁:【源平盛衰記】「義家貞任を追う」、「村上義光 錦の御旗奪還す」、「楠公子別れ桜井の駅」、「義平重盛を追う」。
下虹梁:【源平盛衰記】「一ノ谷の合戦」、「義経八艘飛」、「宇治川の先陣争い」、「那須与一扇の的」。
勾欄:「足利尊氏の鎌倉攻め」、「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀剣を奉ず」、「相木森之輔(武田信玄の家臣)」、「川中島の戦い」、「織田信長皇居を修理す」、「本能寺の変」、「日吉丸、矢矧橋での蜂須賀小六との出会い」、「桶狭間合戦」。
縁葛:「忠臣蔵」。
土呂幕:「加藤清正の虎退治」、「茶臼山(大阪夏の陣での真田幸村の奮戦)」、「山崎合戦」、「賤ヶ岳七本槍の福島正則の勇戦」。

 先代は堺市鍛冶屋町に売却か?。
中町⇒太鼓部屋は貝塚御坊 願泉寺内。
=平成4年(1992)制作。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治。制作費は約5,000万円。
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ 桜井の駅」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」、後ろは「児島高徳 忠義桜」。
虹梁:【太平記】正面は「後醍醐帝霊夢の図」、右は「侍女掃部勇力の図」、左は「鷺池平九郎 蛇退治」、後ろは「藁人形敵箭奪」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「宇治川の先陣争い」、右は「栗津合戦」、左は「巴御前の勇戦」、後ろは「與市功名」。

 先代は明治30年頃の制作で摂河泉太鼓台展示室で観覧できる。
土呂幕:「源平合戦」。枡合:「太平記」。
堀之町⇒太鼓部屋は堀之町老人福祉会館に併設。
=大正12年(1923)7/1完成。大工は中町の成願楠松。添棟梁は実兄松之助。彫師は上間庄平。助は吉岡義峰。
平成元年に大下工務店で修復。12年5月も大修理。さらに平成27年(2017)5月21日、国庫補助による「地域の文化遺産次世代継承事業」の一環として復元並びに修復の大修理を施行。大工は板谷工務店。
枡合:【太閤記】「本能寺の変」、「賤ヶ岳の合戦 福島市松 拝郷五左エ門討取り」、「賤ヶ岳の合戦 秀吉本陣佐久間の乱入」、「矢矧橋、日吉丸と小六との出会い」。
小屋虹梁:「花鳥風月」。
二重虹梁:「太閤記」。
木鼻:「牡丹に唐獅子」。
高欄:「士農工商」。
縁葛:「?」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「平景清 錣引き」、右は「那須与一 扇の的」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、後ろは「義経の八艘飛び」。

 先代は大正10年の祭礼で大破したことから堺市出島に譲渡。現在は淡路島の北淡町育波浜。
この布団太鼓は二軒屋町より購入したらしい。
 【子供太鼓】
大北町=戦前よりあり。

中北町=昭和12年頃に購入。
先代は昭和24、5年頃に泉佐野市春日町に売却するが現存せず。

南町=昭和26,6年に淡路の「梶内」か「大年」より購入。

西町=昭和15,6年に昭和25,6年に太鼓正より購入。

近木町
=戦後購入。大工、彫師は不詳。枡合は「雲に龍」。土呂幕は「波涛に浜千鳥」。

中町=昭和12年頃制作。大工は樫本平吉。彫師は?。

堀之町=昭和16年10/10制作。大工は新野市太郎(貝塚)。彫師は木下舜次郎。
 先代は町内の大工「伏屋」の作と言われている。

南上町=詳細不詳。
 【アメリカに渡った太鼓台】
昭和14年制作。施主は村上朝一(府会議員で映画館の八千代館館主)。大工は岸田秀吉。助は麻生川彦一。彫師は石田利郎。
この太鼓台は村上氏が発注し貝塚新町に寄贈し“海新太鼓台”となるが、大人太鼓台と子供太鼓台の中間的な寸法のため、大人が担げば軽すぎ、子供が担げば重すぎて夏祭りにも秋祭りにも出なくなり、昭和45年頃の海塚の上岡氏が購入。
 さてアメリカのカルバー市と貝塚市は姉妹都市で、平成7年の竣工で新庁舎を建設しているので、ここに太鼓台を展示するということでこの太鼓台を貝塚市に寄付してもらい、さらにカルバー市に寄贈した。
 【かつてあった太鼓台?】
二軒町(現・大北の一部)、旅籠町(南町の一部)、吉原町にも太鼓台があったらしい。

 【麻生郷地区】
阿理莫神社氏子の久保、半田、麻生中、小瀬、堀、東、海塚 の7台の地車と脇浜戎大社氏子の石才の地車がパレードに参加。
 ■土曜(宵宮)
(6:00〜)曳き出し
(13:15〜)パレード・式典 
(19:00〜21:30)夜間曳行

 ■日曜(本宮)
(9:00〜11:50)阿理莫神社
(9:00〜)脇浜戎大社

(13:30〜)午後曳行
(19:00〜21:30)夜間曳行、南海貝塚駅駅周辺に小瀬、堀、東、海塚の4台が参加
久保165 阿理莫神社 10/連休の土日
(元・9/24、25)
神輿
地車7台 久保、半田、麻生中、小瀬、堀、東、海塚
地車廃絶 津田
子供地車廃絶 新井、福田
宮入りは久保は宮本により宮一番。他6町の宮入り順は輪番制で早くなる。平成22年(2010)をベースにすると、久保→東→海塚→半田→麻生中→小瀬→堀の順である。
久保=平成元年(1989)10月8日、新調入魂式。土呂幕未完成で翌年完全完成。
大工は天野藤一。彫師は木下賢治。五代目と聞くが?
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「波に千鳥」。
車板:「司馬温公の甕割り」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊西征 熊襲退治」、左は「素盞鳴尊 出雲国造り」、後ろは「木曽義仲 比叡山に立つ」。
勾欄合:「二十四孝」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に浦島太郎」。
車板:「宝珠を掴む龍」。
枡合:【源平盛衰記】正面は「布引の滝」、右は「鶴ヶ岡八幡宮」、左は「安徳天皇屋島に落ちる」。
 ≪腰廻り≫
番付標:「武蔵坊弁慶」。
松良:右は「大江山酒呑童子」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打す」
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:正面は「義経 八艘飛び」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の勇姿」。
小連子:正面は「両国橋の出会い」、右は「吉良邸討入り 内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【豊臣軍戦記】正面は「九州征伐 加藤清正の雄姿」、右は「賤ヶ岳の合戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
幟台:「獅噛み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
脇障子:「松姿」。
大脇、摺出鼻は「難波戦記」。

 先々代は小型地車。岸和田市山手方面へ売却。
 先代は昭和25年制作し泉大津市二田へ。
半田=平成17年(2005)9月25日、新調入魂式。9月19日搬入。
長さ4..22m。大屋根幅2.48m。内幅1.212m。高さ3.84m。
大工は植山工務店。彫師は雲棧洞美術院(松田武幸)、木彫山本。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:正面は「波雲に御来光」、後ろは「波雲に夕日」。
飛檐垂木・地垂木は「梅鉢」。
車板:正面は「玄武に獅子噛」、後ろは「朱雀」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后 応神天皇平産」、左は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、後ろは「天の浮橋」。
二重桝合:右は「白虎」、左は「青龍」。
虹梁:三方とも「波濤に燕」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「波雲に弁財天」。
隅木・飛檐垂木・地垂木は「梅鉢」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「因幡の白兎」、左は「山幸彦、豊玉彦と出会う」。
台輪は三方とも「唐草」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「道真公」。
勾欄合:正面は「波・雲・松・竹・梅」、左右は「十二支」。
松良:「川中島の合戦」。
縁葛:正面は「夜に川を渡る」、右は「信秀葬儀信長焼香」、左は「方広寺鐘銘事件」。
大連子:正面は「t武田左馬助信繁勇戦」、右は「本能寺」、左は「木村長門守重成単騎部下救出」。
小連子:【大江山鬼退治】正面は「頼光の木渡り」、右は「酒盛りの場」、左は「大血戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
幟台:「獅噛み」。
連子:正面は「風神雷神」、右は「半兵衛、官兵衛の奉書を破る」、左は「知らぬ顔の半兵衛」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。
見送り虹梁:正面は「醍醐の花見」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「草履取り」。
脇障子:右は「前田利家」、左は「豊臣秀吉」。
脇障子物見:「鼠の宝運び」。
大脇物見:「雲に飛龍」。

 初代は大正6、7年に購入の担い地車で道が悪いとこは担いだ。
 2代目は大正末期に作才の「氏原」より購入する。
 3代目は熊取町七山より購入し4〜5年曳行。
 先々代は岸和田市市下松か八坂より購入し1,2年で作才の古物商「氏原」に売却したと伝わるが、下松や八坂では言い伝えはなし。
 先代は昭和11年制作。平成16年(2005)10月17日、昇魂式。11月3日、搬出。現・和歌山県橋本市市脇へ。
麻生中=平成29年(2017)9月10日、新調入魂式。大工は井上工務店(井上英明)。彫師は木下彫刻工芸(木下健司)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋(左三巴)」。
懸魚:正面は「伊勢神宮に御来光」、後ろは「波」。
車板:正面は「素盞鳴尊 誓約」、後ろは「獅子」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后 応神天皇平産」、左は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、後ろは「七福神 琵琶の音を楽しむ」。
二重桝合:右は「日本武尊 野火の難」、左は「雄略天皇 猪退治」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋(左三巴)」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
枡合:【太平記】正面は「後醍醐天皇 兵庫出迎え」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「正行 如意輪堂」。
 ≪腰廻り≫
町名持ち:「弁財天」。
松良:右は「醍醐の花見」、左は「石川五右衛門 香炉盗り」。
大連子:正面は「本能寺の変」、右は「義経八艘飛び」、左は「頼朝朽木隠れ」。
小連子:正面は「高松城水攻め」、右は「?義経 逆櫓争い」。左は「静の舞」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「義仲 日野川合戦」。
幟台:「竹に虎」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【大坂夏の陣】正面は「天王寺岡山の戦い」、右は「道明寺の戦い」、左は「八尾若江の戦い」。

  先々代は初代で作才の古物商より購入した担い地車。

  先代は明治33年岸和田市池ノ尻(現・上町)で新調。大工は「大源」こと奥冶作、奥辰之助。彫師は宮地弥津計。
この地車を昭和初期に作才の古物商「氏原」より購入。
昭和60年大工方の事故以来16年の休みを振り払うべく植山工務店で彫物、枡組以外は全て新調という大修復。
平成28年(2016)10月23日、昇魂式。今は井上工務店で保管中。
 ≪大屋根廻り≫ 
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「浦島太郎」。
枡合:正面は「源頼朝 石橋山合戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山酒呑童子」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:正面は「司馬温公の瓶割り」、左右は「唐子千人遊び」。
大連子:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、左右は「太平記」。
小連子:【大江山鬼退治】正面は「頼光の木渡り」、右は「酒盛りの場」、左は「大血戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「関ヶ原の合戦」。
小瀬=昭和12年(1937)9月制作(この年は箱地車)。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰はじめ実弟喜代志、森曲江 他多くの若手。初代にあたる。これは昭和11年頃に若衆数人が組んで中古地車を20〜30円で契約してきたので、町会長に報告したところ、村の寄合いにかけるので待てと言われた。町会は中古地車を買うならむしろ新調地車を買おうということになった。
 平成29年(2017)2月26日、修復入魂式。大下工務店で修復。
 以前は昭和54年、植山工務店。平成16年、大下工務店で修復した。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:二重見送りにつき無し。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
大連子:【太平記】正面は「楠木正行初陣」、右は「後醍醐天皇より勅を受ける正成」、左は「楠木正成勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」。左は「清水一学の奮戦」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴打」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「大坂夏の陣」。
=平成25年(2014)9月1日、新調入魂式。
大工は植山工務店(中司広数)。彫師は木彫岸田(岸田恭司)、木彫片山(片山晃)、木彫高濱(高濱輝夫)、木彫筒井工房(筒井伸)。
平成20年4月20日、原木祭。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「波雲に梅鉢」。
懸魚:正面は「波雲に御来光・鶴」、後ろは「波雲に夕日・鶴」。
垂木:「堀の文字に金物型」。
桁隠し:「鶴雲」。
桁廻り:「雲」。
車板:正面は「牛に乗り大宰府へ下る菅原道真」、後ろは「坂路山童子相撲」。
枡合天井:「雲に鳳凰」。
二重枡合:「虹梁・組物・雲」。
枡合:正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「堀川夜討ち」、左は「安宅の関 弁慶義経を懲打す」、後ろは「牛若丸 鞍馬山修行の場」。
虹梁:「波」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「波雲に梅鉢」。
懸魚:「波雲に満月に琵琶法師・千鳥」。
垂木:「堀の文字に金物型」。
桁隠し:「鯛」。
桁廻り:「雲」。
車板:「義経白龍昇天」。
小屋虹梁:「衣川 弁慶立往生」。
横槌:「花鳥物」。
隅出す:「唐獅子牡丹」。
枡合天井:「雲に鳳凰」。
枡合:【義経記】正面は「平清盛 怪異を見る」、右は「忠信碁盤投げ」、左は「静御前、鶴岡八幡宮の舞」。
台輪:「伊勢込み」。
 ≪主腰廻り≫
番号持ち:「遠山金四郎景元」。
勾欄合:「獏」。
縁板:「花菱・丸堀・波千鳥」。
縁隅木:「堀・梅鉢」、。
松良:右は「大江山 酒呑童子退治」、左は「布引の滝遊覧」。
松良受:「波に若葉彫り」。
 ≪正腰面≫【朝比奈三郎伝説】
縁葛:「武田信忠の孝心と義秀武士の情け」。
大連子:「将軍御所襲撃 城門破り乱入する義秀」。
小連子:「頼家の名馬と常盛との相撲勝負」。
土呂幕:「朝比奈三郎と足利義氏の血戦」。
 ≪右腰面≫【頼朝公記】
縁葛:「頼朝、義経、黄瀬川の出合い」。
大連子:「佐奈田義忠・俣野景久の血戦(石橋山合戦)」。
小連子:「頼朝 朽木隠れ」。
土呂幕:「頼朝公、鶴岡八幡宮放生会」。
 ≪左腰面≫【木曾義仲一代記】
縁葛:「宇治川の先陣争い」。
大連子:「木曾義仲四天王天狗退治」。
小連子:「倶利伽羅峠の戦い」。
土呂幕:「粟津合戦、巴御前の奮戦」。
水板:「波に平家蟹」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇・摺出鼻:「一ノ谷大合戦」。
見送り虹梁:「屋島合戦」。

見送り天井:「飛龍」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱・丸堀」。
縁隅木:「堀の文字に金物型」。
縁葛:「雲に鳳凰」。
連子:正面は「平知盛の入水」、右は「義経八艘飛び」、左は「船弁慶」、各天板「雲に飛龍」。
半松良:「阿吽の龍」。
縁板:「波」。
幟台:「平家蟹」。



 初代と言えるのは有志が昭和14年頃(7、8年説もあり)に岸和田・作才の古物商の氏原氏より古地車を購入。曳くたびに彫物が落ちた担いだんじり(上地車)だったが、2、3年曳いて額方面(おそらく古物商の氏原氏か)に売却したと云われる。
 先代は昭和23年(1948)制作。大工は岸田秀吉。添棟梁は麻生川彦一、石橋仙太郎。彫師は石田範冶。助として実弟利郎、前田正三。
同市脇浜に売却。昇魂式は平成24年(2012)11月4日。脇浜は平成25年(2013)4月28日購入入魂式。
=昭和26年(1951)6月3日、新調入魂式。大工は植山義正で出世地車にあたる。彫師は木下舜次郎。助は金光南陽 等。
長さ4.16m。大屋根幅2.54m。内幅1.173m。高さ3.82m。
昭和62年の2回目の修復で土台、柱、屋根廻りと懸魚など一部の彫物を取り替える。
平成13年、3回目の修復を植山工務店で行う。本体の組直しと屋根廻りの取り替え。幟、吹散り、赤引幕の新調彫師は木彫筒井。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社御神紋」。
懸魚:正面は「波濤に千鳥 御来光」、後ろは「波濤」。
車板:正面は「二十四考大瞬」、後ろは「青龍」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征八咫烏」、左は「神功皇后応神天皇平産す」、後ろは「曽我五郎大磯驀進」。
虹梁:「波濤に千鳥」。
木鼻:「親子獅子」。
勾欄合:「花鳥づくし」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社御神紋」。
懸魚:「波に千鳥 浦島太郎」。
車板:「瓶割り」。
枡合は二重見送りにつき無し。
虹梁:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「正成本陣」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「神官」。幟台:「獅噛み」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴打」。
縁葛:【曽我物語】正面は「仁田四郎忠常の猪退治」、右は「由比ヶ浜」、左は「祐経陣屋討入り」。
大連子:【源平合戦】正面は「頼朝八牧館夜討ちの図?」、右は「巴御前の雄姿」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」、左は「両国橋引揚げ」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
後縁葛:正面は「朝比奈曽我を救う」、右は「脱兎のごとく逃げる秀吉を追う但馬守」、左は「秀吉味噌擂り坊主に化け難を逃れる」。
後連子:「生活風景」。
半松良:「木下藤吉郎物語」。
水板:「波濤」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「堀川夜討ち」、下段は「灘波戦記」。

見送り虹梁:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
脇障子、大脇、大脇物見は「灘波戦記」。
竹の節:「親子獅子」。
木鼻:右は「松」、左は「楠」。

 東町地車六十年史によると、『先代は高さ1.5m2くらいの小型のだんじり』とある。
また高さ2m程の子供地車で、中に子供が2、3人乗って曳き廻したとも伝えられる。
海塚⇒地車小屋は町会館隣に平成18年9月24日建造。以前は鳥羽の海塚飛地にあり。
祭り前になると、
会館付近にプレハブを建てて地車を納め、祭礼終了後はまた元の地車庫へ戻していた。
=昭和24年(1949)9月制作。
大工は岸田秀吉。添棟梁は麻生川彦一。彫師は石田利郎。助として実兄範冶、前田正三 他。
長さ4..11m。大屋根幅2.52m。内幅1.21m。高さ3.92m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「鶴ヶ岡八幡宮 実朝の参拝」、左は「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」。
 ≪小屋根廻り≫

 ≪腰廻り≫
松良:右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「大江山」。
大連子は「源平合戦」。小連子は「忠臣蔵」。
土呂幕:正面は「川中島合戦」、右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上が「本能寺の変」、下が「大坂夏の陣」。

 先代は手作り子供地車。
 昭和22年は水間より地車を5万円で借りる。その時の寄付金が10万円集まったので、残り5万円を資金に現地車新調に踏み切る。
 【地車廃絶】
津田=大正8年新調。制作費5,000円。昭和41年頃には既に曳行休止。45年に岸和田市春木若松町に15万円で売却。
現・堺市上石津町。
地車小屋は紀州街道沿いで、津田北町2にあたり隣のタバコ屋に売却され倉庫と化す。現在は津田川沿いの建売りの民家。
 宮入りコースは南海電鉄の津田川沿いのガードの高さが低いため一度、岸和田市南町に入り、南上町経由で宮入りしたり、
紀州街道から旧・国道26号線を曳いて西町交差点を曲がり北上したりした。
もしガードが高ければ地車曳行がもうしばらくは続いたのではないかと言われている。

 先々代は木積の初代地車か?木積ではそう伝えられる。現存せず。


堀新町=明治20年代に某所が新調した地車を昭和初期に府中方面より購入。昭和42年この地車を「大常」を通じて70万円で売却。平成元年に泉佐野市下瓦屋南町に売却され26年曳かれ平成26年(2014)3月30日、昇魂式。この日は雨天のため式典のみ。この後某団体に売却され解体され現存せず。
 往古は子供だんじりがあったらしい。
 【子供地車廃絶】
新井=川久呉服店が昭和25,6年に子供会に寄贈するが管理が悪く昭和33、4年頃に子供らに壊れる。この地車の大きさは二つ屋根で6尺ほどであった。

福田=昭和30年頃に地元の大工の望月氏の作。彫物は桝組くらいで土呂幕とかは瓢箪を彫りぬいただけのものでやや小ぶりで大屋根までの高さが1メートル80(6尺)ぐらいの子どもだんじり。。
 昭和45年頃町会館建設のため地車小屋立ち退きになり、野ざらしになり2,3年後に自然解体となる。
脇浜3−34−1 脇浜戎大社公式HPへ 10/連休の土日
(元・9/21、22)
神輿
地車3台 石才、脇浜【有志】、二色
地車廃絶 新町、畠中、戎前、加神
石才=平成7年(1995)9月10日、新調入魂式。大工は吉為工務店(吉野為久)。彫師は岸田恭司、筒井伸、近藤晃。
長さ4.2m。大屋根幅2.52m。内幅1.18m。高さ3.54m。
 ≪大屋根廻り≫ 
鬼板:「雲・神社紋」。
懸魚:「波と雲」。
車板:正面は「おめでたづくし」、後ろは「雲に鶴」。
屋根虹梁:「波濤に龍」。
隅出す:「獅子」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神功皇后」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「雄略天皇猪退治」。
虹梁:「波濤と千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に龍」。
車板:「桜に孔雀」。
屋根虹梁:「雲に朱雀」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「恵比寿さん」。幟台:「腕木式」。
勾欄合:「花鳥物」。
松良:右は「大江山」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「褒賞の場」、右は「仁田四郎忠常 猪退治」、左は「勢子の活躍」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「巴御前の勇姿」、左は「宇治川の先陣争い」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「清水一学の奮戦」、左は「義士討入り 大石内蔵助」。
土呂幕:正面は「本能寺の変」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
水板:「波濤」。
後縁葛:「地紋に伊勢彫り」。
後連子:正面は「佐藤嗣信の忠節」、右は「平景清錣引き」、左は「おかね、義仲の出会い」。
後半松良:「牡丹、組物式」。
後水板:「波に千鳥」。
 ≪見送り廻り≫
二重見送り:上段が「曽我兄弟の夜討ち」。下段が「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「准后大塔宮を斬す」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
物見:前は「桜にホトトギス」、後ろは「牡丹に唐獅子」。
竹の節:「親子獅子」。
脇障子、大脇、摺出は「大坂夏の陣」。
摺出鼻:右は「金太郎」、左は「桃太郎」。

 初代は若衆が自分らで購入した簡易な地車なので新調地車を買うべくストライキを起こした。そういう訳で数年しか曳いていない。
 先代は昭和初期に制作で現・地車購入につき堺市伏尾へ。
脇浜⇒平成15年(2003)8/31地車小屋落成記念曳行。
=平成25年4月28日、同市堀の地車購入入魂式。
昭和23年(1948)堀新調。大工は岸田秀吉。添棟梁は麻生川彦一、石橋仙太郎。彫師は石田範冶。助として実弟利郎、前田正三。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶 五条大橋の出会い」、右は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「小桜合戦布引の滝」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
虹梁:「唐子千人遊び」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】。右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴殴打」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
小連子:【太閤記】正面は「市松の剛力」、右は「墨俣城築城」、左は「尼ケ崎危難の場」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「朝比奈三郎足利義氏の血戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「侍賢門義平と重盛奮戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。


 三先代は岸和田市堺町より購入するが、大正10年頃に岸和田市額原町に売却し現存せず。
 先々代は昭和33年が最後の曳行。若衆の依頼で36年再び曳く予定が第二室戸台風で水に浸かり廃絶につながった。昭和40年に岸和田市額原町に5万円で売却して廃絶。現・香川県坂出市上林田のだんじり。

 先代は平成11年(1999)5/3、購入入魂式。有志で購入。
明治14年岸和田市稲葉町東新調。大工は不詳。彫師は西岡徳次郎・弥三郎兄弟。
平成17年(2005)大下工務店で修復。
平成24年(2012)10月14日、昇魂式し、六虎倶楽部へ。その後、岩手県遠野市の東北地車会遠野郷に無期限で貸している。
 ≪大屋根廻り≫ 
枡合:「?」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:「?」。
虹梁:「二十四孝」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは無し。
松良:右は「大江山鬼退治」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
大連子:「?」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「加藤清正 山路将監討取り」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤孫六の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳合戦」?と聞くが?。
見送り虹梁:右は「大舜」、正面・左は「?」。
二色=平成5年(1993)3月22日、購入入魂式。3月24日、正式に二色ノ浜パークタウンに引き渡された。
大正2年忠岡町仲ノ町新調。大工&彫師は櫻井義国。
昭和60年、大下工務店(大下孝治)による修復時に木下頼定により新たな彫物(土呂幕、小連子、縁葛の正面と大屋根枡組)が彫られる。
平成2年に長谷工コ―ポレーションが購入し、だんじりのあるニュータウンとして『コスタミラにしきのはま』を分譲。
平成16年、泉谷工務店で修復。
 例祭日は当初、8月最終土日、その後8月下旬の日曜に試験引き。最終土曜に祭礼を行っていたが、
平成27年(2015)より10月祭礼に変更。
翌平成28年(2016)より地車曳行休止。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「神社紋(左三つ巴)」。
懸魚:正面は「二見が浦 夫婦岩」、後ろは「波」。
枡合:正面は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
虹梁:「青海波」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「神社紋(左三つ巴)」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
隅出す:「富士の巻狩り」。
枡合:【曽我物語】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「五郎と舎人五郎丸」、左は「曽我兄弟祐経陣屋討入り」。
虹梁:正面は「菊尽くし」、左右は「牡丹づくし」。
木鼻:「阿吽の唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
松良:【義経記】右は「大江山酒呑童子退治」、左は「村上義光錦御旗奪還」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「雪中遊び」、右は「相撲遊び」、左は「鯛車曳き」。
大連子:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松の勇戦」、左は「藤吉郎初功名」。
小連子:【尼ケ崎危難の場】正面は「逃げる秀吉」、右は「虎之助但馬守の血戦」、左は「茶坊主に化け、難を逃れる秀吉」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「朝比奈三郎の雄姿」、右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前の雄姿」。
勾欄合:「青波に浜地鳥」。
水板:「波」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。昭和51年の修復以前は「川中島の合戦?」。
大脇物見:「燈篭」。
半松良:「竹」。
水板:「波」。
旗受け:「荒波に力神」。
 【地車廃絶】
新町⇒地車小屋は海生(かいしょ)さんの後ろにあった。
昭和33年(1958)かまぼこの「別寅」の社長が孫が生まれた事を祝って個人で植山工務店へ発注、製作されたもの。その為”別寅だんじり"と呼ばれていた。自町の貝塚市新町の地車として曳行を希望したが町会の了解を得られず。有志によって曳行されるも、35年頃に貝塚駅前で転倒事故起こし休止となる。
⇒昭和40年ごろ岸和田市小松里町(約70万円で購入)⇒平成元年泉州健康センターリバティー⇒平成13年堺市の小松工務店⇒平成14年和泉市若樫町の有志がリースで曳行⇒平成15年(2003)9/28、和泉市若樫町が地車購入。平成17年(2004)10/2、入魂式。
 さらに和歌山県橋本市清水が購入。平成30年(2018)6月3日、購入入魂式。搬入は2月24日(土)置場の泉大津市某所より移動。
 初代はは江戸末期作の組立式の子供地車で戎前に25万円で売却され、その後は植山工務店に売却されたと言われる。
見送りは「加藤清正」だった。
 先代は昭和10年頃制作。貝塚駅前まで曳いて行ったと云われる。

畠中=大正10年頃より積立をして12年新調。西校区で他に地車曳く町会が無くなり、アンケートを取り売却賛成の方が多く、昭和41年に岸和田市額町(北額)に30万円で売却。現・和泉市葛の葉町。
なお、昭和5年〜10年頃までは大人用の布団太鼓もあり。地車小屋の中に一緒に入れていた。
 先々代は子供地車。

戎前=昭和33年頃に新町より子供地車購入し昭和30年代後半まで曳行。

加神=かつて子供地車があったが、隣村の畠中が大きな地車になったので新調を願って若衆が“源兵衛”の屋号の家の前でこかしカケヤで壊した。
沢480 八品神社 11/最終日曜 布団みこし
櫛祭り=平成25年(2013)市制70周年を機に昭和8年を最後に80年ぶりに祭礼復活。
主催は町会の有志の『櫛まつり委員会』。
当日は櫛やブラシの供養の他、売店やつげ櫛をかたどった子供みこし(布団を載せているので布団みこしとで言っておこう)や稚児行列が行われる。
 【木島・西葛地区】
森稲荷神社氏子の清児、名越、森、三ツ松、水間の5台の地車と西葛城神社氏子の馬場、木積の2台の地車がパレードに参加。
 ■土曜(宵宮)
(6:00〜)曳き出し
(10:20〜)パレード・式典 
(13:15〜)午後曳行
(19:30〜20:40)夜間曳行

 ■日曜(本宮)
(10:00〜12:00)森稲荷神社宮入
(10:00〜)西葛城神社宮入
森524 森稲荷神社 10/連休の土日 神輿
地車5台 清児、名越、森、三ツ松、水間
宮入りは輪番制で平成22年(2010)をベースにすると、名越→清児→水間→三ツ松→森の順である。
清児(せちご)=昭和22年(1947)8月1日、新調入魂式。
大工は岸田秀吉。添棟梁は麻生川彦一。彫師は石田範冶。他に実弟利郎、上間兄弟、前田正三。
平成23年、植山工務店で修復。洗い、締めなおし など。

 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「鶴ケ岡八幡宮」。
 ≪小屋根廻り≫ 
枡合:正面は「村上義光錦の御旗奪還」、右は「楠木正行如意輪堂の場」、左は「渡辺綱一条戻り橋」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「唐子二十四孝」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴打」。
縁葛:「唐子千人遊び」。
大連子:【太閤記】正面は「尼ケ崎危難の場」、右は「太郎助爪献上」、左は「脱兎のごとく逃げる秀吉追う但馬守」。
小連子:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「狩場風景勢子等の活躍」、左は「仁田四郎猪退治」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「本多平八郎 真柄十郎左衛門の血戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

  先代は岸和田市中町より購入。清児では〔大正11年頃〜昭和22年)使われ和泉市今在家(現・芦部町)に売却。現在は和歌山県橋本市東家町へ。
名越(なごせ)=平成29年(2017)5月3日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫片山(片山 晃)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲」。
懸魚:正面は「浜千鳥・朝日」、後ろは「波」。
飛檐垂木:「名に唐草」。
車板:正面は「穂落としの鶴」、後ろは「八大龍王」。
小屋虹梁:「雲海」。
桁鼻:「若葉」。
隅出:右前は「真田、俣野の組討ち」、右後ろは「静御前」、左前は「頼朝朽木隠れ」、左後ろは「巴御前」。
横槌:四方は「花鳥物」。
枡合:正面は「梶原景季 箙の梅」、右は「義経 鵯越」、左は「鎮西八郎為朝 椿説弓張月」、後ろは「倉稲魂神」。
二重枡合:正面は「平清盛の日招き」、右は「豊玉姫神」、左は「木花咲耶姫」。
枡合天井:「雲」。
虹梁:「波」。
木鼻:「獅子」。
枡合下がり:「鳳凰」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲」。
懸魚:「波に千鳥 浦島太郎」。
隅木:「丸に名越」。
隅木受:「龍」。
飛檐垂木:「名」。
地垂木:「獅子・獏」。
車板:「花咲か爺さん」。
小屋虹梁:「雲に桜」。
二重見送り:「醍醐の花見」。
台輪:「伊勢込み」。
横槌:「牡丹に唐獅子。
隅出:左右は「桜に千鳥」。
 ≪主腰廻り≫
勾欄合:「花鳥風月」。
縁隅木:「名越」。
松良:右は「桶狭間の合戦」、左は「熱田神宮戦勝祈願」。
松良受:「若葉」。
縁葛:正面は「岸和田城にて軍議」、右は「千石堀城の戦い」、左は「近木川での睨み合い」。
大連子:正面は「山崎の合戦」、右は「鈴木豊人初陣」、左は「小密茶の奮戦」。
小連子:正面は「稲葉山城陥落」、右は「清州会議」、左は「尼崎の難」。
土呂幕:正面は「大蛇退治」、右は「忠勝 真柄 姉川の血戦」、左は「長政 単騎岸和田を駆ける」。
水板:「波」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・摺出受・大脇は「難波戦記」。
見送り天井:「雲に鳳凰」。
 ≪後腰廻り≫
縁隅木:「名越」。
縁葛:【名越今昔】後ろは「おねしょの神さん」、右は「子安地蔵、北向地蔵」、左は「チャンチャンヒキ」。
連子:後ろは「薄田隼人、家康本陣討入り」、右は「本多忠朝、荒川熊蔵一騎打ち」、左は「後藤又兵衛、片倉小十郎勢を悩ます」。
水板:「稲穂」。
半松良:「鶴亀」。
旗受:「雲に千鳥」。

 先々代は岸和田市魚屋町新調⇒貝塚市名越⇒泉大津市豊中⇒岸和田市畑町(老朽化解体)。
先代購入後はこの小ぶりの地車と2台一緒にしばらくは曳いていたらしい。

 先代は明治37年(1904)8月7日完成。岸和田市大工町新調。大工は田端辰次郎。彫師は寺田卯之松。助は玉井行陽。
大正8年購入。昭和58年大下工務店で修復。
平成28年(2016)10月16日、昇魂式。97年曳かれた。
平成29年(2017)和泉市の西辻工務店へ売却。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「敦盛の最期」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「頼朝朽木隠れ」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
 ≪腰廻り≫
幟台:「竹に虎」。
勾欄合は「梅に鴬」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴打」。
縁葛:正面は「唐子千人遊び」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「双方の奮戦」、右は「上野介見つかる」、左は「吉良邸討入り」。
小連子:【難波戦記】正面は「真田大助の初陣」、右は「小栗又一の勇戦」、左は「木村長門守の初陣」。
土呂幕:【誉の義兄弟三人衆】正面は「薄田隼人家康本陣討入り」、右は「塙団右衛門の勇戦」、左は「後藤又兵衛 片倉小十郎勢を悩ます」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:上段は「本能寺の変」、下段は「大坂夏の陣」。
脇障子、大脇、摺出し鼻は「難波戦記」。
=大正9年(1920)10月吉日制作。大工は植山春松。彫師は玉井行陽。助は森晴秋 等。制作費は約4、500円。
昭和59年植山工務店で修復。その際に松良は播州の小河義保が、その他は筒井一門により新調彫物組み入れる。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:「太閤記」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【大江山鬼退治】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「頼光四天王と酒呑童子」。
大連子:【太閤記】正面は「茶坊主に化け難を逃れる秀吉」、右は「四方田秀吉を急追す」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
小連子:【太閤記】
土呂幕:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「頼朝公初陣」、左は「巴御前の勇戦」。
見送りは「難波戦記」。
三ッ松=平成17年(2005)9/19、新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。長さ4、215m。大屋根幅2、5m。高さ3、8m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に町紋」。
懸魚:正面は「波涛に千鳥 朝陽」、主後は「波涛」。
車板:正面は「天の岩戸開き」、主後は「天孫降臨」。
枡合:正面は「桶狭間の合戦」、平右は「義経・景時逆櫓争い」、平左は「楠公子別れ 櫻井の駅」、主後は「日吉丸 小六 矢矧橋の出会い」。
二重枡合:平右は「櫛稲田姫」、平左は「大国主命 国譲り」。
大屋根隅出す:前右は「神武天皇東征」、前左は「日本武尊野火の難」、右後は「神功皇后三韓征す」、左後は「神功皇后応神天皇を平産す」。
横槌:前後は「花鳥」、平右は「河津俣野相撲」、平左は「児島高徳 櫻木に和歌を詠む」。
枡組:八段で「龍頭・唐獅子・牡丹・獏・松・竹・梅桜・菊・雲・波」。
外縣鼻:「主息」。
飛燕垂木:「町紋」、地垂木:「唐獅子」。
虹梁:「青海波」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波涛に千鳥 鬼若丸怪魚を見る」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
枡合:正面は「富士川の合戦 藤吉郎の初陣」、平右は「安芸の宮島 弁財天神体現す」。平左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝投を奉ず」。
二重枡合:平右は「伊奘諾尊 伊奘冉尊(国産み)、平左は「大国主命 因幡の白兎」。
小屋根隅出す:右は「武内宿禰明神探湯」、左は「野見宿禰当麻蹶速を蹴殺す」。
枡組:八段で「龍頭・唐獅子・牡丹・獏・松・竹・梅桜・菊・雲・波」。
隅木:「町紋」。隅木受:「息」。
外縣鼻:「花鳥」。
横槌:「花鳥」。
台輪:「唐草の伊勢込み」。
妻板:「森稲荷神社社紋」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは?。幟幟台は「力士」。
松良:右は「安宅の関 弁慶義経を懲打す」。左は「大江山 頼光の木渡り」。
縁板:「二重花菱地彫」。
縁葛:正面は「高松城水攻め」、平右は「清盛布引の瀧遊覧」、平左は「後醍醐天皇隠岐より還る」。
大連子:正面は「本能寺の変 信長の最期」、平右は「壇ノ浦の合戦 義経八艘飛び」、平左は「四条畷の合戦」。
小連子:正面は「尼崎の難」、平右は「宇治川の合戦 先陣争い」、平左は「楠木正行 如意輪堂の場」。
土呂幕:正面は「川中島大合戦 信玄謙信の一騎討ち」、平右は「八幡太郎義家 安倍貞任を討つ」、平左は「湊川の合戦」。
水板:「波涛に龍」。
松良受:「コブシ」。
勾欄合:「曾我物語」。
竹の節:「龍」。
兜桁は「町紋・唐草模様金物型地彫」。
脇障子柱:「葡萄の伊勢込み」。
脇障子受:「コブシ」。
犬勾欄:「若葉」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一の谷の合戦」。
見送り虹梁:正面は「醍醐の花見」、右は「須磨寺の高札」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
大脇物見:右は「那須与一 扇の的」、左は「平影清 錣曳き」。
脇障子物見:右は「常盤母子 吉野落ち」、左は「静御前の舞」。
竹の節:「若葉」。
木鼻:「花鳥」。
犬勾欄:「波涛に千鳥」。
見送り天井:「雲に龍 笹竜胆(源氏)と揚葉蝶(平氏)の紋」。
後縁葛:正面は「わら人形の奇略」、平右は「正成公の秘水」、平左は「正成公米・金を施行す」。
後連子:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、平右は「加藤清正新納武蔵守の血戦」、平左は「姉川の合戦」。
水板:「波涛に龍」。
後松良:右は「源頼朝 朽木隠れ」、左は「倶利伽羅峠」。
水桶:「松竹梅」。


 先々代は岸和田市中之濱町より2,000貫で購入。明治30年頃?の旱魃のため当時地車小屋のあった亀井昇氏宅の北角で解体して市をして売却。現在も村で3軒が彫物を保有。町内の某家に左の土呂幕<根井大弥太行親勇戦>墨書きに花岡龍造義信とある。また某家では小屋廻りの一部<龍宮城の乙姫>が保存されている。
 先代は明治10年頃に岸和田市南町新調。大正6年に二十ヶ村の入札の中で入札し2,035円で落札。大工は朝代市松。彫師は玉井行陽。助は安田卯之松。これは地車解体後、7、8年たっても地車が無いので若衆が岸和田市作才の古物商「氏原」氏より“いないだんじり”を村に無断で購入したが、まわり枠で道が狭いために返品するように町会が言うので、その条件として地車を買うことになった。
長さ3.79m。大屋根幅2.37m。内幅1.113m。高さ3.61m。平成17年(2005)5/1搬出され、大下工務店で保管。その後、六虎倶楽部へ。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【玉藻前】正面は「菖蒲の前、妖狐見る」。
大連子:正面は「仁田四郎猪退治」、右は「狩場風景」、左は「頼朝公鹿を射る」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは?。幟台:「関取」。
松良:右は「和田高家奮戦?」、左は「楠木正季の勇戦」。
大連子:【太閤記】正面は「越前北ノ庄落城」、右は「桶狭間義元本陣」、左は「戦修練?」。
小連子:【太平記】正面は「楠木本陣」、右は「宇治橋合戦」、左は「千早赤坂城の戦い」。
土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間乱入」、右が「加藤清正山路将監討取り」、左が「大徳寺焼香の場」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「川中島の合戦」。
見送り虹梁:正面は「宇治川の先陣争い」、左右は「青龍」。
水間=明治10年代に忠岡町道之町新調。大正4年に大正天皇御大典があったが、水間には地車が無く寂しい思いをしたので購入しようということになった。そこで大正7年9月に購入。大工、彫師共に櫻井義國。購入費は本体1、662円50銭。総費用は2、000円と云われている。
長さ3、54m。大屋根幅2、27m。内幅1、2m。高さ3、58m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「淵辺伊賀守 護良親王を襲う」、右は「九尾狐玉藻前」、左は「太田道灌山吹の里」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【大江山鬼退治】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「頼光四天王と酒呑童子」。
大連子:【源平盛衰記】正面は「安宅の関 弁慶義経懲打」、右は「平敦盛の最期」、左は「朝比奈三郎の勇戦」。
小連子は【木曽義仲一代記】正面は「巴御前の勇戦」、右は「駒王丸修業の場」、左は「木曽義仲初陣」。
松良:【加藤清正】右は「虎之助初陣物見に立つ」、左は「清正虎退治」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤清正 山路将監の血戦」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

  先代は岸和田・旧市より購入し、豊作の年(2、3年に一度)曳いていたが、大正初期に現在の庄八酒店のある所で川に転倒し、大破、小屋根が川まで落ちてしまった。そこで、その地車は解体され各部分がセリにかけられ村の人で分けた。現存の彫物から彫師は二代目高松彦四郎一門と思われる。
木積2273 西葛城神社 10/17 例祭
10/連休の土日 神輿
地車2台 木積、馬場
氏子は旧・西葛城村全域で木積、馬場、三ケ山、蕎原、秬谷、大川である。
宮入りは輪番制で平成22年(2010)をベースにすると、木積→馬場順である。
木積=平成8年(1996)929日、新調入魂式。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は筒井一門。
長さ4.17m。大屋根幅2.46m。内幅1.18m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「波濤に千鳥、御来光」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武東征」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「野見宿祢 当麻蹴速を蹴殺す」、右は「日本武尊 女装して川上梟師を誅す」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「楠木正成公」。
松良:【大江山鬼退治】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「頼光四天王と酒呑童子」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良亭討入り」。
小連子:【太平記】正面は「楠神社」、右は「楠公記」、左は「楠公記」。
縁葛:【富士の巻狩り」。
松良:【源平合戦】右は「大江山 頼光木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「本能寺の変」、左は「義経八艘飛」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。
竹の節:「獅子」。
摺出し鼻は「麒麟」。

  往古は神楽奉納で団長(奥野庄一郎)らは地車購入を主張するが。長老は伝統の神楽があるので必要は無いと言い揉めたところ、岸和田警察の署長が仲介にたったらしい。
  初代は大正7年に若衆が何日も津田の橋の下に野宿して交渉し、約20円で購入する。
大変大きくかなり古かったので老朽化のため5年くらいしか曳けず、解体し彫物を入札で売却。次の地車まで約5年ブランクがあり。
  2代目は入手先は不明。新調地車でかなり小型だった。昭和39年の祭礼で電柱で激突し大屋根が飛ぶ程大破したので町内の中川 九右衛門氏に売却。
  3代目(先代)は泉佐野市野々地蔵の地車を昭和40年購入し平成8年55日に曳き納めして堺市楢葉に売却。
馬場=大正11,2年岸和田市大手町新調。昭和14年頃に泉佐野市湊が購入するが、昭和39年に地元の無関心のため奉納という形で奈加実神社に野ざらしで置いてある地車を馬場の青年団が見け、神社、湊町会に働きかけ払いさげてもらう。
大工は藤川宗太郎。彫師は三代目黒田正勝。助は西本舟山、五葉親子 等。
長さ3.79m。幅2.425m。高さ3.97m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「鎮西八郎為朝の豪弓」、右は「加藤清正虎退治」、左は「坂田金時烏天狗退治」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「安宅の関 弁慶義経懲打」、右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀流し」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山酒呑童子退治」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
縁葛:正面は「司馬温公の瓶割り」、右は「合戦遊び」、左は「鬼ごっこ遊び」。
大連子:【富士の巻狩り】正面は「曽我兄弟討入り」、右は「頼朝馬上の雄姿」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
小連子:【太閤記】正面は「秀吉、茶坊主に化け危難を逃れる」、右は「秀吉危難を小田原の陣」、左は「野木次郎右衛門奮戦」。
土呂幕:【大坂夏の陣】正面は「幸村徳川本陣討入り」、右は「後藤又兵衛の勇戦」、左は「本多出雲守 荒川熊蔵の血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。


 初代は昭和23年頃、青年団が遍照寺に集まり各々金を出し畑町の農機具屋さんの紹介で作才の古物商氏原氏より解体された地車を購入し、トンボ車で朝5時に会場前の広場に運んだ。そこで町会も青年団の熱意に負け村の大工の手助けで地車を組み立てた。この地車は現・地車の購入に伴い3万円で三ヶ山の宅田氏に売却され同氏は主要彫物を除いて三ヶ山の地所に野ざらしで放置され、最後は焼却処分され3日間燃えつづけた。

 【南近義地区】
南近義神社氏子の王子、窪田、堤、橋本、地蔵堂の5台の地車がパレードに参加。
 ■土曜(宵宮)
(6:00〜)曳き出し
(8:30〜10:30)外周パレード
(13:00〜14:30)イオン駐車場で五町顔合わせ
(19:30〜20:40)夜間曳行

 ■日曜(本宮)
(8:30〜10:30)南近義神社宮入
(13:00〜)パレード・式典
王子1195 南近義神社 10/連休の土日
(元・9/21、22)
神輿
地車5台 王子、窪田、堤、橋本、地蔵堂
地車廃絶 沢(昭和33年が最後の曳行)
宮入りは宮本の王子が宮一番。地蔵堂が最後で固定。二番は年番町。三番、四番は籤引きで決める。また王子、地蔵堂が年番長の年は二番、三番、四番も籤引きで決める。
王子=平成7年(1995)10月1日、新調入魂式。8年5月3日、完全完成入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。
長さ4、05m。大屋根幅2、565m。内幅1、183m。高さ3、92m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:前は「青海波に朝日、千鳥」、後ろは「青海波に千鳥」
車板:正面は「鶴ヶ岡八幡宮戦勝祈願の場」、後ろは「頼朝朽木隠れ」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」。
二重枡合:正面は「いざなぎ、いざなみ」、右は「櫛稲田姫」、左は「神武天皇即位」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「青海波に浦島太郎 千鳥」。
車板:「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」。
飛檐垂木:「三つ巴紋」、地垂木:「獅子、獏」。
隅出す:「唐獅子」。
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。
二重枡合:正面は「常盤母子都落ち」、右は「布引の滝」、左は「平清盛、参拝の場」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「大国主尊」。
勾欄合:正面は「七福神(大黒以外)」、左右は「十二支(6つずつ)」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁良:【太閤記】正面は「清洲城登城」、右は「秀吉屈辱を忍ぶ」、左は「大徳寺焼香の場」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は巴御前の勇姿」、左は「木曽義仲の最期」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「清水一学の奮戦」、左は「義士討入り 大石内蔵助」。
土呂幕:正面は「大坂夏の陣」、右は「姉川の合戦」、左は「三方ヶ原の合戦」。
水板:「波濤に浜千鳥」。
松良受:「唐草」。
後縁葛:正面は「日吉丸、矢矧橋での小六との出会い」、右は「光明寺での日吉丸」、左は「日吉丸誕生」。
後連子:正面は「藤吉郎初陣、富士川合戦」、右は「今川義元、桶狭間の最期」、左は「本能寺の変」。
後松良:右は「加藤清正虎退治」、左は「加藤清正 山路将監討取り」。
後水板:「波濤に浜千鳥」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
虹梁:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「児嶋高徳、桜木に歌を詠む」、左は「楠木正行、如意輪堂の場」。
脇障子、大脇、摺出しは「一ノ谷の合戦」。
木鼻:「花鳥」。
竹の節:「親子獅子」。
幟台:「三猿」。

 往古は神楽を行う。
 初代は大正期に堺市富蔵より購入。この地車を3年間曳行し泉佐野市上之郷机場に売却し現存せず。
 先代は大正末期制作し平成6年堺市市之町へ。
窪田=平成15年(2003)8月31日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は木下彫刻工芸。
長さ4.18m。大屋根幅2.5m。内幅1.21m。高さ3.78m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「雲海、御来光」、後ろは「波」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「神功皇后応神天皇平産す」。
二重枡合:「組物・雲」。
虹梁:「波、千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波に龍」。
車板:「組物・雲」。
隅木:「社紋」。
枡合:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「両国橋」、左は「吉良邸討入り」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「宮本武蔵」。
勾欄合:「加藤清正一代記」。
松良:「賤ヶ岳七本槍」。
縁葛:【太閤記】正面は「高松城水攻め」、右は「四方田但馬守に追われる秀吉」、左は「味噌擂り坊主に化け、難を逃れる秀吉」。
大連子:正面は「生田の森 風流武士 梶原景孝」、右は「熊谷次郎直実 敦盛呼び戻す」、左は「鬼神に勝る巴御前」。
小連子:正面は「秀吉清洲城登城」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「秀吉屈辱を忍ぶ」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「川中島の合戦」、左は「本能寺の変」。
水板・後水板:三方は「波」。
後縁葛:三方とも「銭波にイセコミ」。
後大連子:「窪田城物語」。
後半松良:右は「風神」、左は「雷神」。
幟台:「獅噛み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出鼻は「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「矢矧橋の出会い」、右は「日吉丸誕生」、左は「光明寺の場」。
木鼻、物見は「花鳥」。
竹の節:「獅子」。

 三先代(初代か?)は担い地車とも籠地車と称した。これは道がいい時は曳き、悪い時は担いだ地車だった。 
 二代目は大正期に岸和田市八田町より購入し3年ほど曳いた。
 三代目は事故のため脇浜?に売却。
 先代は昭和8,9年山直近辺の某所新調。昭和12,3年頃に絹屋を通じて購入。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。平成15年泉佐野市鶴原新家に売却。
=平成26年(2014)8月31日、新調入魂式。
大工は地車製作隆匠。彫師は木彫山本(山本仲伸)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲海に社紋」。
懸魚:正面は「雲海に天の逆鉾」、後ろは「雲海に龍」。
桁鼻:前後は「飛龍」。
桁隠し:前後は「鶴」。
垂木:「町名」。
車板:正面は「天孫降臨」、後ろは「国生み」。
小屋虹梁:正面は「猿を掴む鷲」、後ろは「亀を救う雁」。
二重枡合:「宝尽くし」。
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「神鏡を以って怪異を顕す」、左は「堀川の夜討ち」。
隅出す:右前は「日本武尊 熊襲征伐」、右後ろは「日本武尊 野火の難」、左前は「神武東征 金鳶飛来」、左後ろは「神武東征 霊剣を受け取る」。
横槌:「花鳥」。
虹梁:前は「龍と波」、右は「波と麒麟」、左は「波と飛龍」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲海に社紋」。
懸魚:「雲海に月 兎の餅つき」。
桁鼻:「飛龍」。
桁隠し:「亀」。
垂木:「町名」。
車板:「斎庭の稲穂」。
小屋虹梁:「鳳凰」。
妻板:「瓢箪」。
枡合:正面は「庚申堂から出陣する真田影武者」、右は「稲葉城に千成瓢箪」、左は「富士川の初陣」。
隅出す:右は「北野大茶会」、左は「醍醐の花見」。
横槌:「花鳥」。
台輪:「牡丹」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「仙人」。
縁隅木:正面は「堤町」、横は「町紋(左巴)」。
松良:「賤ヶ岳七本槍」。
縁葛:正面は「侍ほどの者は筑前にあやかりたく存ずべし」、右は「大聖寺城にて勝家と訣別」、左は「大坂夏の陣、塙団右衛門 貝塚願泉寺の宴」。
大連子:正面は「金ヶ崎の退き口 藤吉郎に殿を託す」、右は「木下小一郎 初陣 小牧藤三との戦い」、左は「薄田隼人の勇戦」。
小連子:正面は「家康上洛、大坂城にて秀吉に謁見」、右は「墨俣一夜城築城」、左は「後藤又兵衛 半田寺山にて家康の棺桶に日本号を突き入れる」。
土呂幕:正面は「小牧長久手合戦 加藤清正と本多忠勝一騎打ち」、右は「福島市松正則、紀州根来攻め」、左は「大坂夏の陣 茶臼山 家康本陣 真田幸村の討入り 金扇馬印を倒す」。
水板:「田園の四季」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇は「大坂冬の陣」。
見送り虹梁:【戦国遊び】正面は「相撲」、右は「闘鶏」、左は「鷹遊び」。
虹梁下がり:「松に千鳥」。
木鼻:「牡丹」。
竹の節:「達磨大師」。
摺出鼻:「大坂冬の陣 野田・福島の戦い、七福神」。
天蓋:「折上げ天井 四神」。
幟差:「金物模様に鳳凰」。
犬勾欄:「波濤」。
 ≪後ろ腰廻り≫
後隅木:正面は「堤町」、横は「町紋」。
後松良:右は「信長の命で光秀を打ち据える森 蘭丸」、左は「信長 敦盛を舞う」。
後縁葛:「牡丹に唐獅子 下がり松に千鳥」。
後大連子:正面は「本能寺の変」、右は「石山大合戦」、左は「桶狭間の合戦」。
水板:「田園の四季」。
幟台:「本能寺舞台」。
番持ち;「弁財天」。


 先々代は大正末期に作才の古物商「平兵衛」より上地車を購入し担い棒をはずして使用した。やがて木積の個人に売却し野ざらしのため自然解体となる。
 先代は=昭和13年(1938)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は石田兄弟と松田正幸。
新調につき、岸和田市大沢へ売却。昇魂式は平成25年(2013)10月20日。
橋本=平成16年(2004)5月3日、原木祭。
平成22年(2010)5月23日、新調入魂式。大工は植山工務店(佐野和久)。彫師は木彫山本(山本仲伸)。
搬入は雨の予想のため前日に行う。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「橋本伝承 弘法大師ゆかりの清水」、右は「牛若丸 鞍馬の武者修行」、左は「本多忠勝、鹿角脇立兜の由来」、後ろは「南近義神社縁起」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「天照大神の岩戸隠れ」、右は「神武天皇の東征」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 ≪腰廻り≫
土呂幕:正面は「楠公忠臣橋本八郎正員 湊川の勇戦」、右は「姉川の合戦(本多忠勝の単騎駆け)
見送り:「貝塚戦国絵巻(根来衆対秀吉軍)」。

 先々代もあり。
 先代は大正9年新調。完全完成13年。大工は田端辰次郎。彫師は一元林峯。
堺市太平寺に売却。
地蔵堂=平成14年(2002)9月22日、新調入魂式。4代目。大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。
長さ4.12m。大屋根幅2.44m。内幅1.195m。高さ3.78m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「鶴岡八幡宮」、右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
二重枡合:「神話伝説」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「川中島の合戦」、右は「本能寺の変」、左は「藤吉郎 富士川の初陣」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「将軍地蔵尊」。
幟台:「獅噛み」。
勾欄合:「花、鳥」。
松良:右は「源頼朝 朽木隠れ」、左は「鵯越え坂落とし」。
大連子:【曽我兄弟】正面は「大磯驀進」、右は「十番勝負」、左は「夜討ち」。
小連子:正面は「那須与一の功名」、右は「宇治川先陣争い」、左は「黄瀬川の対面」。
土呂幕:正面は「巴御前の勇姿」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「八幡太郎義家 安部貞任追う」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出し、摺出し鼻は「大坂夏の陣」。
見送り虹梁:正面は「矢矧橋 小六との出会い」、右は「光明寺の場」、左は「日吉丸誕生」。

 初代は上地車。当地では伯太より南で泉大津方面より購入と聞く。穴田での聞き取りにより確認できるので、穴田より購入し日根野に売却したと思われる。
 二代目は岸和田型と聞くが短期間でその行方は不明。
 三代目(先代)は大正15年8/21完成。大工は山内安太郎。彫師は一元林峯。助は森晴秋 等。制作費は2、000円。昇魂式は平成14年4/7。大下工務店で修復の後、15年1/26収納で泉佐野市の熊取谷和巳氏所有の地車。
 【地車廃絶】
=大正7年に岸和田市北町より購入。初代である。昭和29年の事故のため下火になり昭和33年が最後の曳行になる。
そして昭和47年に植山工務店経由で岸和田市大町に売却となる。現・奈良県大和高田市の大和地車保存会の地車となる。
 地車小屋は最初は旧・町会館に併設(現・町会館前の駐車場)。その後、国道沿いに移転で現在は消防団倉庫。
昭和29年の事故とは?
昭和29年(1954)10月4日(月)の例祭日の昼に、沢844先路上にて飲酒運転のオート三輪が運転を誤り右側街路樹と接触、その反動で沢の地車の前方で綱を曳いていた約20名の子供たちの中に突っ込み7名の子供に重軽傷を 負わせた。
 【民俗行事】
牛神相撲=牛神祭りは旧暦七夕(8月7日頃)に行われる。
貝塚市内では2町会4ヶ所(森、貝塚市木積(3ヶ所))で、牛神祭りの最後に行う相撲だけが残っている。

≪泉南郡≫     
 ≪熊取町≫
久保415 大森神社 10/連休の土日
(元・9/27、28)
神輿
地車11台 大宮、大久保、五門、紺屋、野田、朝代、七山、小垣内、久保、和田、小谷 
担い地車廃絶 成合(明治後期)
地車廃絶 高田(明治中期)
宮入り順は毎年固定。朝代→和田→大久保→紺屋→五門→野田→七山→小谷→久保→小垣内→大宮
大宮=宮本のため宮入りは一番最後。昭和8年(1933)制作。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰。助は森曲江。制作費は5,000円。長滝西ノ番と兄弟地車と云われている。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「鶴ヶ岡八幡宮」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:「安宅の関 弁慶義経懲打」。
大連子:【源平合戦】正面は「朝比奈三郎の勇戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「清水一学の奮戦」、左は「義士の活躍」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「木村長門守の勇戦」。
見送り:「灘波戦記」。

 先代は大正5年に岸和田市中北町より購入し、その後昭和11年に和泉市幸町に売却。昭和63年まで曳かれたが消失。『中家文書』には地車と記されている。
大久保=大正7年(1918)岸和田市宮本町新調(三代目=先々代)。翌年に6、500円で購入。大工は小川喜兵衛。彫師は上間庄平。助は伊藤松吉ら。
昭和61年植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「十郎、五郎の勇戦」、右は「五郎化粧坂 少将との別れ」、左は「曽我時致 乗馬駆大磯」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【信長公記】正面は「大徳寺 焼香の場」、右は「明智光秀の最期」、左は「本能寺の変」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【太閤記】左右とも「賤ヶ岳の合戦」。
縁葛:【唐子二十四孝】正面は「孝感動天」、右は「聞雷泣墓」、左は「鹿乃奉親」。
大連子:【難波戦記】正面は「家康を追う真田幸村」、右は「大久保彦左衛門 真田幸村の血戦」、左は「平野大念佛寺乃大爆破」。
土呂幕:【難波戦記】正面は「薄田隼人徳川本陣討入り」、左右は「馬上の騎士」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は中家文書に文化5年(1808)新調と記されている。そして安政元年(1855)に岸和田市沼町へ売却され明冶33年まで曳かれたが老朽化のため焼却処分。
五門=平成32年新調予定。大工は板谷工務店。彫師は木下彫刻工芸。

=大正10年(1921)岸和田市筋海町新調。(先々代)大工は森 某。彫師は西本舟山、開正藤。昭和61年に大下工務店で修復。
小屋根枡合の右は「常盤母子の都落ち」。
土呂幕:【賤ヶ嶽の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松、拝郷五左衛門討取り」、左は「加藤清正、山路将監との血戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 『中家文書』では担い地車と記されている。
 先代は岸和田市小寺(現・上町)より購入。その後泉大津市板原に売却。現・堺市菱木白木の地車。
紺屋=大正10年(1921)制作。大工は森某?彫師は西本舟山。助として開親子。昭和58年に古谷国夫棟梁により修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「小桜合戦布引の滝」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「忠信碁盤投げ」、右は「村上義光錦の御旗奪還?」、左は「児島高徳桜木に歌を詠む」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ちは「勧進帳」。
松良:【義経記】右は「牛若丸鞍馬山修業の場」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
縁良:【太閤記】正面は「福島正則の強力」、右は「日吉丸小六矢矧橋の出会い」、左は「?」。
大連子:【太閤記】正面は「桶狭間今川義元の最期」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「前田犬千代初陣」。
小連子:【太閤記】正面は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、右は「脱兎のごとく逃げる秀吉」、左は「?」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「大岩砦中川瀬兵衛清秀の最期」、左は「清正山路将監討取り」、右は「福島正則拝郷五左衛門討取り」。
見送りは「大坂夏の陣」。

  先代は湊か鶴原方面に売却?『中家文書』には記されていない。
野田=明治20年10/14、手斧始め。完全完成は22年5/6。
岸和田市堺町新調(先代)。大工は大崎平兵衛。彫師安田卯ノ丸。助は相野徳兵衛。制作費は1415円90銭3厘と当時にしては高額。
  大正11年に数人の若衆が自主的に4300円の大金で購入。当時野田区は36戸の戸数なので太鼓まで揃えなかったと伝わる。
  ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「清盛厳島参拝の場」、右は「安倍泰成妖怪退治」、左は「鶴ケ岡八幡宮鳥逃がし」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打・吉野山千本桜」。
縁葛:【唐子千人遊び】正面は「雪だるま・かたくま遊び」、右は「布袋車引き」、左は「獅子舞・犬追い」。
大連子:【太平記】正面は「湊川正成本陣」、右は「六波羅北条館襲撃」、左は「東寺襲撃の場」。
小連子:【太平記】正面は「楠木正成後醍醐天皇に初見参」、右は「唐崎浜合戦」、左は「新田義貞鎌倉襲撃」。
土呂幕:【太平記】正面は「正成、湊川出陣」、右は「楠木正季の勇戦」、左は「楠木正行の最期」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は小さい地車だった。『中家文書』には記されていない。
朝代=大正11年(1922)制作。大工は朝代市松。彫師は一元林峯。助は吉岡義峰、森晴秋。制作費は5,500円。平成10年植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「神功皇后新羅よりの貢物を受く」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【義経記】正面は「勧進帳」、右は「佐藤継信横川覚範を討つ」、左は「佐藤忠信の最期?】
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【義経記】右は「鞍馬山牛若修業の場」、左は「義経主従高館落ちの場」。
縁葛:【難波戦記】右は「大坂城内」、左は「大坂城落城」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「上野介召捕り」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」。
小連子:【太閤記】
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「糟屋助右衛門の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

  『中家文書』には担い地車と記されている。

 先代は明治に10年間の積立てで上だんじりを購入。
七山=大正11年(1922)岸和田市筋海町新調。(先代)。昭和4年か5年に購入。
大工は久納久吉。脇棟梁は実弟の久納幸三郎。彫師は開正藤、西本舟山、黒田正勝。
2015年8月30日、修復入魂式。大工は植山工務店。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「日本武尊 熊襲征伐」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「頼朝旗揚げ山本館夜討ちの図」、右は「大江山酒盛りの場」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「狩場風景」、右は「頼朝本陣褒賞の場」、左は「仁田四郎猪退治」。
大連子:【太閤記】正面は「日吉丸小六矢矧橋の出会い」、右は「藤吉郎初陣」、左は「尼ケ崎危難の場」。
小連子:【太閤記」正面は「日吉丸尾張中村の場」、右は「墨俣城築城」、左は「築城用材調達の場」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「真田大助初陣」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
見送り:「川中島合戦」。

天保11年に地車新調と古文書があることから、現在の地車は3、4代目と云われている。
 『中家文書』には地車と記されている。

先代は明治20年制作で大正期に泉佐野市貝田、岸和田市今木町に売却され現・高石市東羽衣。
小垣内=平成22年(2010)5月4日、新調入魂式。大工は井上工務店(井上英明)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「夫婦岩」、後ろは「浜千鳥」。
妻板:「扇子」。
車板:正面は「日本武尊 草薙の剣」、後ろは「天孫降臨」。
飛檐垂木:「社紋」、地垂木:「龍」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「堀川夜討ち」、左は「鶴ヶ岡八幡頼朝放生会」、後ろは「牛若丸 弁慶の出会い」。
二重枡合:右は「弁慶 土佐坊捕縛」、左は「清盛経ヶ島」。
隅出す:「親子獅子」。
横槌:「花鳥」。
木鼻:「獅子に扇子、親子獅子」。
虹梁:「菊花流水」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「富士に朝陽」。
隅出す:「親子獅子」。
木鼻:「花鳥」。
車板:「大蛇退治」。
枡合:正面は「吉良討取り」、右は「清水一学 奮戦」、左は「義士討入り」。
 ≪前腰廻り≫
水板:「波に龍」。
松良受:「牡丹に唐獅子」。
脇障子受:「宝珠を掴む龍」。
犬勾欄:「若葉」。
縁葛:正面は「鞍馬の修行」、右は「静の舞」、左は「富士の巻狩り」。
大連子:正面は「宇治川の先陣争い」、右は「碁盤忠信」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:正面は「黄勢川の対面」、右は「安宅の関」、左は「頼朝軍議」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「衣川の合戦」、左は「頼朝朽木隠れ」。
松良:右は「須磨寺若木桜高札」、左は「一の谷鴨越」。
縁隅木:「町名」。
兜桁:「社紋」。
番号持ち:「牛若丸」。
勾欄合:「忠臣蔵討入りまで」。
勾欄唐草:「葡萄」。
 ≪後腰廻り≫
水板:「牡丹に唐獅子」。
連子:正面は「本能寺の変」、右は「姉川の合戦」、左は「桶狭間の戦い」。
後松良:右は「瓶割り柴田」、左は「槍の又左」。
脇障子、大脇、摺出鼻、犬勾欄、見送り:「大坂夏の陣」。
脇障子物見:右は「後醍醐天皇笠置落ち」、左は「児島高徳の忠節」。
見送り虹梁:正面は「村上義光錦御旗奪還す」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎に宝刀を奉ず」、左は「如意輪堂」。
大脇物見:右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
見送り天井:「雲龍」。
脇障子竹の節:「昇龍」。
大脇竹の節:「親子獅子」。
旗台:「力神三体」。旗差:「雲」。

 天保12年(1841)の『中家文書』には地車と記されている。
 先代は明治13年岸和田市筋海町新調。(三先代)。大工は高橋若左衛門。彫師は宮地弥津計。助は櫻井義國。
大正9年青年団が勝手に購入。昭和52年大改修。
平成21年(2009)11月1日、昇魂式。11月3日、展示のため熊取交流センター 煉瓦館に搬入。
久保=昭和9年(1934)制作。大工は植山宗一郎。彫師は松田正幸、石田範冶、吉岡喜代志など当時の若手。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊野火の難」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合【源平盛衰記】正面は「小櫻合戦 布引の滝」、右は「常盤母子都落ち」、左は「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
大連子:【源平盛衰記】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「大江山頼光の木渡り」、左は「大江山大血戦」。
小連子:【尼ケ崎危難】正面は「清正四方田但馬守討取り」、右は「清正但馬守の血戦」、左は「但馬守の奮戦」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「巴御前の雄姿」、右は「朝比奈三郎と足利義氏の血戦」、左は「武蔵坊弁慶と畠山重忠の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は昭和12年に岸和田市山下町に売却。後に同市磯之上上東組に転売されさらに磯之上町全体で曳くようになるが、昭和42年の曳行を最後に焼却処分。
 『中家文書』には記されていない。
和田=大正15年(1926)9月制作。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。助は金山源兵衛。制作費2,550円。昭和57年大常工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」。
松良:「大江山」。
土呂幕:「賤ヶ岳の合戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。


 先代は大和から買ってきた大きな彫物の大和地車だった。『中家文書』では担い地車と記されている。
小谷=平成26年(2014)8月31日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫岸田、木彫片山、木彫高濱。
平成21年(2009)11月21日、原木祭。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢」。
懸魚:正面は「波に千鳥」、後ろは「夕日」。
車板・小屋虹梁:正面は「天の岩戸開き」、後ろは「日本武尊 野火の難」。
桁鼻:「獏」。
横槌:「花鳥」。
隅出す:右前は「青龍」、右後ろは「玄武」、左前は「朱雀」、左後ろは「白虎」。
枡合:正面は「桓武天皇 熊取で遊ぶ」、右は「槍摺の鎧 幸村、家康を襲う」、左は「本間孫四郎の遠矢」、後ろは「小谷縁起」。
二重枡合:右は「神武天皇東征」、左は「神功皇后平産す」。
枡合天井:「風神雷神」。
虹梁:「雲に麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢」。
懸魚:「波に千鳥、奥に三日月に蝙蝠」。
隅木:「梅鉢」。
車板・小屋虹梁:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
妻板:「町紋」。
枡合:正面は「堀川夜討ち」、右は「勧進帳」、左は「舟弁慶」。
隅出す:「鞍馬山、牛若丸と烏天狗修業の場」。
横槌:「花鳥」。
台輪:「アケビ」。
 ≪腰廻り≫
正面は「根来戦記」、右は「難波戦記」、左は「太平記」、後ろは「源平盛衰記」。
町名持ち:「菅原道真」。
勾欄合:「花鳥」。
縁板:「花菱」。
松良:右は「本能寺」、左は「桶狭間の戦い」。
縁葛:正面は「岸和田城主、中村一氏秀吉を迎える」、右は「重成兜に香を焚き込める」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
大連子:正面は「千石堀城の戦い 的一坊の最期」、右は「薄田隼人、道明寺の戦い」、左は「正行如意輪堂の場」。
小連子:正面は「了珍和尚 出原右京を諭す」、右は「真田大助初陣」、左は「四条畷の戦い 正行初陣」。
土呂幕:正面は「千石堀城の戦い 大谷左大仁の奮戦」、右は「木村重成 単騎部下を救う」、左は「楠木正成 馬上の雄姿」。
水板:「流れに楓」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・脇障子・大脇・摺り出し受け:「衣川の戦い」。
見送り虹梁:正面は「布引の滝四段目 小桜責め」、右は「清盛 怪異を見る」、左は「清盛 布引の滝遊覧」。
摺り出し鼻:右は「桃太郎」、左は「猿蟹合戦」。
摺り出し木鼻:「唐獅子」。
見送り天井:「八方睨みの龍」。


 『中家文書』には地車と記されている。
 先代は明治20年岸和田市大北町新調(先々代)。大正初期に1000円で購入。
平成25年(2013)10月27日、地車昇魂式。同年12月8日、搬出。現・泉佐野市下瓦屋南町へ。
大工は大崎吉造。彫師は宮地弥津計。助は玉井行陽等と云われているが、堺<彫又>一門の手が入っているかもしれない。
大屋根枡合:【太平記】
番号持ちは無し。
土呂幕:【難波戦記】正面は「真田大助、渡辺勘兵衛を討つ」、右は「?」、左は「飲嘉門、木村長門守の血戦」。
見送りは「賤ヶ岳の合戦」。
 【地車廃絶】
成合=担い地車があったが、明治後期にまくって廃絶した。

高田=地車は明治初期に購入するが、明治中期に上高田の楠橋で川にはめたのが原因で売却とも壊れたとも言われる。また曳き綱が昭和初期まで残っていたと言われる。

 ★展示場
 【貝塚太鼓台資料館】
貝塚市中町(願泉寺前)。
平成28年(2016)9月開設予定。個人の運営のため、事前の予約が必要。пF090−7884−7656。
貝塚宮と太鼓台の歴史を各種資料と共に紹介。
また貝塚市西町先代太鼓台と元・堺市新在家浜太鼓台を展示。

貝塚市西町先代太鼓台=明治30年頃の制作。大工は旅籠町(現・南上町)の大仙こと仙太郎。
彫師は玉井行陽と云われている。
摂河泉太鼓台展示室から太鼓台資料室へ(運営は同一人物)。
土呂幕:「源平合戦」。枡合:「太平記」。


元・堺市新在家浜太鼓台=昭和51年6月、個人が梶内だんじり店で購入し、9月の開口神社の八朔まつりに担がれた。堺まつりにも第2回から第6回まで参加した。
 その後担ぎ出されることもなく、平成3年より「梶内」に預けていたが、平成25年9月の八朔まつりに新在家浜の太鼓台購入100周年記念に里帰りし23年ぶりに担ぎだされたものの、保管場所の件で処分を決定。
平成27年4月4日に、読売旅行貝塚待合所(貝塚市北町20−9)に常設展示となり、さらに貝塚太鼓台資料館に。
 熊取交流センター 煉瓦館】
熊取町五門西1丁目10−1。TEL072−453−0391。休館日は水曜。
平成17年11月。この建物は昭和初期に建設された綿布工場を保存再生したもの。生涯学習をはじめ、芸術文化活動や歴史体験学習、軽スポーツなど、幅広い活動に利用できる。当時の機械や染め板などの展示もある。
企画展示の時は展示されないが常設展示の時は野田の地車の修理前の幟台、垂木。小垣内の地車の先代の纏などが展示されている。
小垣内の先代地車も展示されている。


小垣内先代地車=明治13年岸和田市筋海町新調。(三先代)。大工は高橋若左衛門。彫師は宮地弥津計。助は櫻井義國。
大正9年購入。昭和52年大改修。平成21年(2009)11月1日、昇魂式。11月3日、展示のため熊取交流センター 煉瓦館に搬入。
大連子、小連子は「太閤記」。
土呂幕は「難波戦記」。元の見送りは「川中島の合戦」。

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