大 阪 府
【和泉】
  
 ≪泉佐野市、田尻町≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪泉佐野市≫
春日町4−12 春日神社 7/連休土日 神輿 あり
布団太鼓3台
(子供太鼓台もある)
春日町、野出町、新町
太鼓台廃絶 元町
女神輿 佐野夏祭り女神輿運営協議会
10/連休土日 地車廃絶 大西町、角鼻町、市場
春日町=明治中期〜後期購入。安政年間制作。平成15年修復。地元の大工の作と聞くが?。
彫物:枡合:【三国志】正面は?、右は「桃園の誓い」、左は?、後ろは「関羽の勇姿」。
虹梁は「波に龍」。木鼻は「唐獅子」。匂欄は「中国列仙伝」。縁葛は?。
布団締めは賤ヶ岳の七本槍。

野出町=平成22年(2010)5/23、新調入魂式。引渡しは5/18。
大工は
板谷工務店。彫師は木下彫刻工芸。金物・飾り:菊地金属工芸
=先代は明治32年制作。平成21年(2009)12/6、昇魂式。110年担がれた。現・太鼓台購入後、数日で解体したと聞く。
大工は不詳。彫師は保田(寺田)卯ノ松。台棒受け、土呂幕の彫師は地元の人。
枡合、虹梁は忠臣蔵。

新町=明治末〜大正初期制作。平成11年修復。地元の大工の作。彫師は開 正藤。
枡合:「楠木正成」。虹梁:「花鳥風月」。

木鼻:「牡丹に唐獅子」。匂欄:「中国物」。縁葛:「大坂夏の陣」。
 【子供太鼓台】
春日町
=昭和54年制作。
野出町
=平成14年制作。
 
先代は歴史館いずみさのに寄贈。
新町
=昭和55年制作。
女神輿=平成21年(2009)7/5、入魂式。神輿は某所より中古購入と言われていた。
佐野夏祭り保存会が夏祭りに華を添えようと平成20年に佐野夏祭り女神輿運営協議会を立ち上げて準備を進めていた。
 【太鼓台廃絶 】
元町
=昭和初期制作するが、戦後新町に売却(昭和23〜25年頃)やがて四本柱が折れたので返され元町で1,2年は担ぐが廃絶へ。
 【地車廃絶 】
大西町=昭和14年に岸和田市福田町より購入するが、昭和37年中ノ庄に売却。
 先々代は明治14、5年新調。中ノ庄に売却。現・和泉市黒鳥辻小路へ。先代で保存中。

角鼻町=昭和24年の区画整理で栄町、本町に編入され町自体消滅。
昭和10年、「佐野町制25周年」で地車が写っている写真あり。

市場町=大正か昭和初期に小型地車を解体処分して彫物を分けた。その後昭和22,3年に中古地車購入の話が出たがまとまらず。
 ちなみに佐野町役場「庶務書類」には地車曳出願として
「氏神祭典に付、明治40年10月10日、11日両日間毎日午前9時より午後8時まで左の区域に限り地車曳出致度候」間、御許可相成度願上候也
区域
北は北中通村大字中庄境界限り
南は長滝村境界限り
西は佐野村字地蔵町、阪口町を経て春日神社に至る」とある。

 ※新修 泉佐野市史8巻 263ページ
なお土呂幕は個人の方が持っており、歴史館いずみさのの「泉佐野の祭り」の展示の時に展示される。
羽倉崎 羽倉崎夷神社 10/連休の土日 神輿
子供地車   
地車廃絶 羽倉崎
松原町=子供地車。平成17年(2005)9月吉日入魂式。町民の手作り。初年は宮入りせず。
羽倉崎(出村)=明治時代の未年の日照りの激しい年(明治16年か?)に新調。小型地車で嘉祥寺の大工が制作。地車小屋は鎮守の羽倉崎夷神社にあった。昭和5年頃まで曳行し3,4年後に宮前の家冶丸太郎氏に売却。その後同氏は解体し彫物を古物商に売却。
鶴原1834−2 加支多神社 10/連休の土日 神輿
地車4台 鶴原、貝田、鶴原東、新家
 明治29年には五台の地車があった。
これは北中通村役場「神社祭礼一件」として鶴原より願書として
「明治29年10月1日当大字鶴原氏神八幡神社例祭に付
当日1日地車五車引出し度候、就而は御成魂を遵守し午前8時より相始め午後8時に修罷申仕候間、御許可被成下度此段奉願候也
 此内訳  壱車 大字鶴原浜方
        壱車    〃 浦方
        壱車    〃 貝田 方
        壱車    〃 新家 方
        壱車    〃 布   方  」とある。
 ※新修 泉佐野市史8巻 262ページ
宮入り順は貝田が宮一番。新家・鶴原東・鶴原は輪番。
鶴原=大正10年(1921)頃制作。大工は田端元一。彫師は一元林峯。助は森晴秋 等。
大屋根枡合:正面は「頼朝朽木隠れ」、右は「新田義貞、稲村ヶ崎宝剣を奉ず」、左は「「鎮西八郎為朝の剛弓」。
土呂幕:正面は「船弁慶」、右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「本能寺の変」。
見送りは「大坂夏の陣」。
 以前は浦方と陸方の2台があった。

貝田⇒当地は鶴原の枝村ではあるが、鶴原の氏神である加支多神社が鎮座しているので、宮入りは一番で、他の3町(鶴原、鶴原東、新家)は輪番にて宮入りする。これは元々貝田が本村で鶴原が枝村であったが戦国時代に焼き打ちに会った為、浜手の鶴原に本村を移し変えたためである。
=昭和5年(1930)貝田が新調。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。昭和34年まで曳行。その後休止し46年に岸和田市西大路町に120万円で売却。同町が地車新調につき昭和63年10月10日の例大祭の日に里帰りし入魂式を行う。17年ぶりの里帰りとなる。昭和53年池内工務店で修復。修復時の彫物は木下彫刻所。松良は井尻翠雲。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「神武天皇東征」、右は「児島高徳忠義桜」、左は「楠公子別れ桜井の駅」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平合戦】右は「?」、左は「一ノ谷鵯越え」。
縁葛:【唐子千人遊び】正面は「司馬温公の瓶割り」、右は「鯛車引き」、左は「雪だるま遊び」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「片桐且元の勇戦」、右は「桜井佐吉の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:【尼ケ崎危難の場】正面は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、右は「秀吉を追う但馬守」、左は「太郎助瓜献上」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「今井四郎の血戦」、左は「朝比奈三郎の勇力」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「平景清錣引き」、右は「義経梶原逆櫓争い」、左は「曽我兄弟の雄姿」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は熊取町七山?より購入し大正末期に岸和田市今木町へ売却。現在は高石市東羽衣13区の地車である。
鶴原東=昭和4年(1929)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。平成15年植山工務店で修復。
 当地は鶴原の枝村にあたり鶴原及び下瓦屋二村の出戸で古くは布(野々)と称した。

 先々代もあり。
 先代は某所より購入し貝田?に売却と伝えられる。
新家平成15年(2003)7月20日搬入。平成16年(2004)9月12日、購入入魂式。約50年ぶりの復活。貝塚市窪田より有志が購入。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。
経路は
昭和8,9年山直近辺の某所新調。昭和12,3年頃に絹屋を通じて窪田が購入。
平成27年(2015)8月2日、修理入魂式。

土呂幕は「賤ヶ岳の合戦」。
見送りは「難波戦記」。

 先々代もあった。

 先代は昭和2年新調するが、昭和28年より曳かれなくなり、昭和44年に岸和田市春木大小路町へ約55万円で売却。現・泉大津市森の地車。
下瓦屋2−1−8 住吉神社 7/最終日曜 神輿
10/連休の土日 地車2台 下瓦屋、下瓦屋南
下瓦屋(北出)=大正8年頃泉佐野市下瓦屋新調。昭和32年より休止し昭和50年に売却され、平成23年(2011)里帰り。井上工務店で修復し、 
平成24年(2012)9月9日、入魂式。 
経路は熊取町の大屋一政氏(昭和50年〜51年)⇒岸和田市大道町(昭和51年〜平成2年)⇒岸和田市河合町の個人(平成2年〜6年)⇒岸和田市内畑下出(平成6年〜23年)⇒下瓦屋へ。
さらに泉佐野市下瓦屋へ里帰り。
大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「平景清錣引き」、右は「平清盛 兵庫夕照」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:右は「加藤清正 虎退治」、左は「加藤清正 山路将監との血戦」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「鯛車曳き」、右は「獅子舞」、左は「雪遊び」。
大連子・小連子は「?」。
土呂幕:正面は「薄田隼人 徳川本陣討入り」、右は「後藤又兵衛の勇戦」、左は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「天手力男命」、右は「天宇受売女命」、左は「猿田彦大神」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。


 先々代は岸和田市極楽寺に売却。さらに昭和28年頃に河内の方に売却。
下瓦屋南=熊取町小谷より購入。3代目。
明治20年、岸和田市大北町新調(先々代)。大正初期に1000円で購入。
平成25年(2013)10月27日、地車昇魂式。同年12月8日、搬出。現・泉佐野市下瓦屋南町へ。
大工は大崎吉造。彫師は宮地弥津計。助は玉井行陽等と云われているが、堺<彫又>一門の手が入っているかもしれない。
大屋根枡合:【太平記】
番号持ちは無し。
土呂幕:【難波戦記】正面は「真田大助、渡辺勘兵衛を討つ」、右は「?」、左は「飲嘉門、木村長門守の血戦」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 初代は小型地車で戦後老朽化廃絶。
 2代目は昭和59年制作で久々の復活。地元の大工、(彫物も含む)貴田吉松の作。現・地車購入後も保存されるが、平成元年9/1に芦屋市三条に引き渡され14年まで使われる。現在は愛知県常滑市の個人が所有。

 先代は平成元年岸和田市春木宮本町より購入。昇魂式は平成26年(2014)3月30日。この日は雨天のため式典のみ。
この後某団体に売却され解体され、彫物は売却され散逸。。
明治20年代某町新調。大工は絹井嘉七。彫師は安田卯ノ丸、玉井行陽 等。
経路は某町(和泉府中方面?)⇒貝塚市堀新町⇒春木宮本町⇒下瓦屋南町へ。
番号持ち:「勧進帳」。土呂幕:「賤ヶ岳の合戦」。
見送り:「難波戦記」。
中庄834 奈加美神社 10/連休の土日 神輿
地車2台 中庄、上瓦屋
地車廃絶 湊(昭和39年売却)
宮入り順は輪番。
中庄=昭和37年(1962)同市大西町より購入。昭和11年岸和田市福田町新調。大工植山宗一郎。彫師吉岡義峰。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩屋戸の変」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:「武者物」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す 熊谷次郎直実」、右は「巴御前の勇戦」、左は「朝比奈三郎 錣引き」。
小連子:正面は「鎮西八郎為朝の剛弓」、右は「碁盤忠信」左は「大田道灌山吹の里」。
土呂幕:正面は「加藤清正 新納武蔵守との血戦」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「福島市松 拝郷五左ェ衛門討取り」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「日吉丸 矢矧橋 小六との出会い」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「?」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 中庄の地車は古く天明5年(1875)に大津より購入した岸和田初の本格的な地車を3,4年に購入した。
 先代は大西町より購入し、昭和36年に岸和田市春木戎町に売却。現・和泉市黒鳥辻小路地車。
上瓦屋=平成12年(2000)9月10日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は木彫 岸田、木彫 近藤、木彫 筒井。
総費用1億6000万円。(地車本体1億2500円、鳴物 等合計3500万円)。
長さ4.235m。大屋根幅2.53m。内幅1.21m。高さ3.865m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に黒田藤(御神紋)」。
飛檐垂木:「上」の文字。
地垂木:「唐獅子・獏」。
懸魚:前は「波濤、奥に旭日」、後ろは「波濤」。
車板:「雲に朱雀」。
小屋虹梁:「与一功名」。
枡合:【源平合戦】正面は「木曽山中の合戦」、右は「平知盛入水」、左は「源義経白龍昇天」、後ろは「石橋山合戦」。
二重枡合:「松・竹・梅・波・龍・牡丹・獅子・肘木の組物」。
虹梁:「波濤に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「佐野川稲荷」。
勾欄合:正面は「麒麟、玄武、鳳凰」、左右は「十二支」。
松良:【川中島の合戦】右は「山本勘助・荒川伊豆守と土屋右衛門昌次の組打」、左は「穴山梅雪と内藤修理、斉藤下野朝信・真田昌幸(武藤喜兵衛)」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「褒賞の場」、右は「勢子の活躍」、左は「仁田四郎忠常猪退治」。
大連子:【石山合戦】正面は「顕如命拾い」、右は「小野原の決戦」、左は「木津川口の合戦」。
小連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「小谷賢三女最後の別離」、右は「加藤孫六 浅井喜兵衛討取り」、左は「後藤又兵衛、加藤孫六の奮戦」。
土呂幕:【川中島の合戦】正面は「上杉謙信 原大隅守が槍をうける」、右は「鉄上野介 諸角豊後の血戦」、左は「鬼小嶋弥太郎 山形三郎兵衛の一騎討ち」。
水板:「波濤に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤、奥には亀に乗る浦島太郎」。
飛檐垂木:「上」の文字。
地垂木:「唐獅子・獏」。
枡合:【源平】正面は「若木桜高札」、右は「鬼童丸退治」、左は「土蜘蛛退治」。
見送り虹梁:【太平記】正面は「政行 如意輪堂に辞世の句を刻む」、右は「赤松合戦」、左は「湊川合戦」。
脇障子物見:【太平記】右は「後醍醐天皇と新田義貞」、左は「大塔の宮幽閉」。
大脇物見:【太平記】右は「後醍醐天皇隠岐から脱出」、左は「児島高徳 桜木に歌を詠む」。
竹の節【神話伝説】右は「猿田彦大神」、左は「天鈿女命」。
摺り出し鼻:【太平記】右は「新田義貞稲村ヶ崎宝県剣を奉ず」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
兜桁:「黒田藤(御神紋)」。
 ≪見送り廻り≫
摺出し受:右は「木村重成の奮戦」、左は「伊達正宗と鉄砲隊・松平家の鉄砲隊
見送り・大脇は「大坂夏の陣」。
脇障子:右は「藤堂隊と戦う長曾我部盛親隊」、左は「本多忠朝隊と戦う毛利勝永隊」。
 ≪後腰廻り≫
後縁葛:「銭波に伊勢込み」。
後連子:【本能寺の変】正面は「阿能の方奮戦」、右は「本能寺突入」、左は「信長・蘭丸奮戦」。
後水板:「波に千鳥」。
半松良:右は「明智左馬介」、左は「明智光秀」。
幟台:「龍」。

 初代は明治44年に長滝東ノ番より担い地車を購入。
 先代は大正10年に岸和田市大手町より購入。平成12年5月7日が曳き納め。13年に和泉市尾井へ。
 【地車廃絶】
=子供地車を有志により始めたが、2,3年で終わり昭和61年頃より休止。地車小屋は公民館内にあるが本体は処分。一つ屋根だったらしい。
地車は昭和14年に岸和田市大手町(先々代)より購入するがその後神社で野ざらしになり昭和39年に太鼓付きで5万円で貝塚市馬場へ。
 先々代は次の地車購入後も保存していたが、その後たまねぎ畑に野ざらしで放置していた地車を見た東大阪市中野の魚買いの人が村の人と話し合って昭和21年9月に購入した。⇒八尾市西郡⇒堺市某所の有志の団体へ。
日根野631 日根神社 5/4、5  神輿 まくら祭り
地車廃絶 東上、西出、西上、中筋、野口、野々地蔵、新道出、 久ノ木
 【まくら祭り】
古くは中世、日根荘(現在の日根野・土丸・大木)を支配していた九条政基が残した「政基公旅引付」に「文亀二年(1502)四月二日、今日大井関祭礼ナリ・・・」とあるくらい歴史のある祭りで、例祭日は旧暦4月2日(新暦5月8日)だったが、昭和55年から現在の5月5日になった。
氏子の日根野・上之郷・長滝の三地区が交代で祭りを担当し(大正14年までは合同)社名旗・大榊・塩水・比礼旗・太刀・弓矢・猿田彦・太鼓・神輿・一番幟・二番幟・三番幟が行列を作り長滝の御旅所まで往復する。(昭和32年まで船岡山まで渡御していた)。
 なお長滝は東ノ番、中ノ番、西ノ番と輪番で9年に1回年番が廻る仕組みである。
東上⇒日根神社が鎮座している宮本の町。
=昭和以前に坂道を転げ落ちて池にはまって廃絶。
また阪本紡績が工場建設の見返りに地車提供を申し出たが反対が多く、結局田尻町に工場が出来たので地車は復活ならず。

西出⇒関西空港自動車道沿い、上之郷に隣接する。
=昭和5年新調するが、町会運営⇒若衆の自主的な曳行に変わり昭和35,6年頃より曳かなくなり、昭和48年に岸和田市春木旭町に売却し、現・同市春木大国町の地車。)

西上=地車は江戸末期か明治初期の作。大工&彫師は村の大工の玉ノ助(大常一門と伝わる)。事故があったので大正期に解体して売却。地車小屋は八百屋の前にあった。その後昭和9年に地車買うか青年会場作るかどうか話しあったが地車出来ずに終わる。

中筋⇒日根野小学校や日根野中学校がある。
明治期にあったらしいが、詳細は不祥。

野口⇒関西空港自動車道添いで、西出の下手に位置する。
=大正末期に作才の古物商より上地車を購入し2年間曳くが、資金難のため休止し室戸台風で地車小屋が倒壊し、彫物をさばいて売却した。
 先々代は“八五郎”の屋号の家の玄関に吊っていた担い地車だった。当時は子供5〜10人が辻々で仁輪加を演じた。

野々地蔵⇒JR日根野駅海手に位置する。
=昭和3年新調。費用500円。昭和24,5年に対向時に電柱に当て屋根が飛び曳行休止となり昭和40年に貝塚市木積に売却。現・堺市楢葉の地車。

新道出⇒JR日根野駅の山手にある町。
=地車転倒事故があり翌年故人の田んぼの稲が赤くなったために昭和初期に焼却処分する。
 また先々代もあったと伝わる。

久ノ木=日根野地区で最後まで地車曳行をしていた。先代は昭和7年新調したが他町に地車がなくなり青年の曳き手が減ったところへ町会館建設の話が持ち上がり、昭和51年2/4に岸和田市磯之上町へ1600万円で売却。現・高石市南(3区)の地車。
 【子供みこし】
西上子供会により子供みこしが出る。実施日は春。(4/下旬〜5/3)。
2018年は4/22。
熊取谷和巳=葵町在住の前・市会議員。地車保有。以前の収納場所は葵町4丁目7。
 ●元・貝塚市地蔵堂=大正15年8/21完成。大工は山内安太郎。彫師は一元林峯。助は森晴秋 等。
地蔵堂の昇魂式は平成14年4/7。大下工務店で修復し搬入。平成15年1/26収納。搬入日に聞取りするが、同氏は有志での曳行を考えており、夏の終わりに貝塚市二色のようにして曳きたいと語っていた。
 元・下野町地車購入につき、この地車を六虎倶楽部に売却。
 ●元・岸和田市下野町=大正8年(1919)制作。大工は別所勝之助。彫師は安田卯之松、開正藤。松良は昭和57年、筒井和男が刻む。
平成21年(2009)11/8、曳き収めし搬入。
長さ3、7m。大屋根幅2、34m。内幅0、97m。高さ3、77m。
 ≪大屋根廻り≫
車板:「司馬温公の瓶割り」。
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「三人上戸 小桜責め」、左は「天の岩戸」、後ろは「児島高徳 忠義桜」。
 ≪腰廻り≫
番号持ちは無し。幟台:「虎」。
松良:右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「大江山 頼光の木渡り」。
縁葛:正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「頼朝本陣」、左は「勢子の活躍」。
大連子:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「後藤又兵衛の勇戦」、左は「木村長門守重成 片桐且元訣別」。
小連子:正面は「五右衛門 千鳥の香炉盗り」、右は「徳川家康 大仁村の戦い」、左は「秀頼本丸へ逃れる」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「本多出雲守 荒川熊蔵の血戦」、左は「木村長門守の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
車板:「雑兵物語 飯炊き風景」。
枡合:(二重見送り上部)「忠臣蔵。吉良邸討入り」。
 ≪見送り廻り≫
二重見送りの下段は「賤ヶ岳の七本槍」。
大脇:右は「加藤嘉明」、左は「脇坂安治」。
脇障子:右は「平野長泰」、左は「糟屋武則」。
長滝814 蟻通神社 10/連休の土日
(元・10/8)
神輿
地車3台 東ノ番、中ノ番、西ノ番
宮入り順は固定。長滝中之番・長滝東之番・長滝西之番の順。
東ノ番=平成16年(2004)9/19新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。長さ4、17m。大屋根幅2、45m。高さ3,81m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に上がり藤」。
懸魚:「波に千鳥」。
車板:正面は「天の岩戸」、後ろは「天孫降臨」。
枡合:正面は「鶴岡八幡宮」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「正行如意輪堂に辞世の句を刻む」、後ろは「護良親王の最期」。
二重枡合:正面は「神武天皇 東征」、右は「熊襲退治」、左は「日本武尊 野火の難」、後ろは「国造り」。
木鼻:「物持ち 唐獅子」。
虹梁:「菊花流水」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「東海道五十三次」。
松良:右は「大江山酒呑童子鬼退治」、左は「頼光木渡り」。
縁葛:正面は「安宅の関 弁慶 義経を徴打す」、右は「頼朝、義経 黄瀬川の対面」、左は「須磨寺 若木櫻の高札」。
大連子:正面は「朝比奈三郎と高井三郎の血戦」、右は「巴御前の勇姿」、左は「木曽義仲の最期」。
小連子:正面は「桶狭間の戦い」、右は「尼崎の難 秀吉 味噌練り坊主に化け難を逃れる」、左は「高松城水攻め」。
土呂幕:正面は「石山合戦 木村又蔵と小密茶坊」、右は「姉川合戦 真柄十郎左衛門」、左は「本能寺の変」。
水板、後水板は「波にうさぎ」。
松良受:「掌型に若葉」。
後連子:正面は「道明寺の戦い」、右は「若江の戦い」、左は「天王寺の戦い」。
後松良:「木村重成 大坂城炎上を見る、坂崎出羽守 千姫救出」。
幟台:「獅噛み」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に鯉 金太郎」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
化粧垂木:「金物彫 上がり藤」。
地垂木は「龍」。
枡合:【太閤記】正面は「醍醐の花見」、右は「清洲城 修築の功名」、左は「藤吉郎初陣」。
二重枡合:正面は「神功皇后 応神天皇平産す」、右は「雄略天皇猪退治」、左は「「竹内宿祢 盟神探湯の湯)。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【灘波戦記】正面は「樫井合戦」、右は「天王寺の戦い」、左は「今福の戦い」。
虹梁:【賤ヶ岳の七本槍】正面は「加藤嘉明」、右は「片桐助作」、左は「福島正則」。
木鼻:「花鳥風月」。
竹の節:「獅子」。
脇障子は「柱形に伊勢込み」右は「大坂夏の陣」、左は「大坂冬の陣」。
大脇:【灘波戦記】右は「夏の陣」、左は「冬の陣」。
摺出し:【灘波戦記】「三面に準じる」。摺り出し鼻は「恵比寿、弁財天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、布袋和尚」。

 初代は担い地車で上瓦屋に売却。
 先代は明治16年天王寺で370円で新調。大工は不明。彫師は寺田卯ノ松。明治44年5/11に75円で購入。
岸和田市磯之上町⇒泉南市兎田⇒東ノ番へ。昇魂式は平成15年10/13。現在は和泉市春木川へ。
中ノ番⇒地車小屋は町内会館と隣接。
=文久2年(1862)岸和田市大工町新調(先々代)。大工は梶冶三郎重田忠。彫師は花岡一門。明治23年購入。
彫物は「朝鮮の役」統一彫り。
土呂幕:【朝鮮の役】正面は「李如松勇戦」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「加藤嘉明、塙団右衛門、金汝吻と戦う」。
見送り:「蔚山城の攻防」。
 先代は担いだんじりで村の人で彫物を分ける。
西ノ番=枝村の三軒家や、同じ校区の郷田地区も参加。
昭和8年(1933)制作。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰。助は森曲江(腰廻り、見送り等)、井尻翠雲(組物等)。
昭和55年、植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合(二重枡合):正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「神武天皇東征 八咫烏」。
 ≪腰廻り≫
松良:【義経記】右は「安宅関、弁慶義経懲打」、左は「牛若丸 鞍馬山の修業」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「狩場模様」、左は「仁田四郎忠常の猪狩り」。
大連子:【大江山四天王鬼退治】正面は「酒盛りの場」、右は「源頼光の勇戦」、左は「源頼光の木渡り」。
小連子:【源平合戦】正面は「鎮西八郎為朝の強弓」、右は「平景清の錣引き」、左は「源義経の八艘飛び」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「加藤清正新納武蔵守の血戦」、右は?。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「小六藤吉郎矢矧橋の出会い」、右は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、左は「常盤母子都落ち」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は喜多久下家より頂いた小型の地車で、新調に伴い作才の古物商の氏原さんに売却。
 【陸軍佐野飛行場の建設により解村】
 
昭和17年(1942)、昭和19年(1944)9月の2回の収容により解村となる。

松屋新田=松屋新田は24戸で、日根野に属した一里山(戸数11)と町並みは続いており、各種団体は合同になっており青年団は「松一青年団」と称した。
紀州街道沿い一里山にあたる松一青年会場の一角に地車小屋はあった。もともと、地車はなかったが、中古地車を購入し松一のみ裏参道より宮入した。
 枕祭りでは中ノ番に参加した。

野添=22戸あり、道を挟んで2垣内に分かれ長滝側を上垣内、佐野側を下垣内と呼び各々12戸あった。
中ノ番の分かれが多く、中ノ番を曳かせてもらっていた。
 往古は担い地車があったが、昭和初期にはすでに廃絶。


大津屋=江戸後期は4戸だったが、解村当時は1戸のみ(空家は1戸)。東ノ番に属していた。

南中安松292 八幡神社 10/連休の土日 神輿
地車1台
昭和6年(1931)制作。大工は植山宗一郎。彫師は一元正。
昭和60年に大修理を経て、平成16年には地車製作隆匠(田中隆冶)により、土台・柱・桝合を含む大屋根小屋根周りを新調する大修理を行う。
土呂幕は「川中島の合戦」。
見送りは「大坂夏の陣」。

 先代は担い地車。
土丸59 春日神社 10/連休の日曜 神輿
担い地車廃絶 明治末期 
明治末期に喧嘩して川にほったため廃絶したと伝えられる。 
大木1534 火走神社 10/連休の日曜 神輿
子供地車、万燈 大木子供会
担い地車3台 上大木、中大木、下大木
子供地車、万燈=平成初期に作られる。子供会で曳く。
上大木=重さは80貫と伝えられる。

中大木
=彫師は西岡弥三郎か?。重さは100貫と伝えられる。鉦の銘に「万延元年申8月紀州粉河住蜂谷正●」とあり。

下大木
=重さは120貫と伝えられる。昭和30年、調製と墨書きあり。
泉州で担い地車の現存する唯一の地区。
上之郷上村45 意賀美神社 10/連休の土日 神輿
地車3台 上村、中村、下村
宮入り順は固定。上之郷下村・上之郷中村・上之郷上村の順。
泉佐野市教育委員会発行の「泉佐野の歴史と文化財 第6集 泉佐野の祭り―だんじり・やぐら編―」の44ページには『泉佐野市内の記録として古いのは文政3年(1820)に上之郷の机場と上村が合同で「古き壇尻」を所持していた」、「またこのときのだんじりは組立式だったようで、現在のものとは違った形をしていた可能性が高いと思われます」』とある。
上村=明治初期制作で岸和田市中之濱町新調。大正10年〜昭和初期に岸和田市磯の上町より購入。
大工は不詳。彫師は西岡徳次郎、西岡弥三郎、西岡清蔵。
土呂幕:「脇坂甚内赤井景遠を刺す」。
見送り:「難波戦記」。


中村=昭和初期制作。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。
土呂幕は「巴御前の勇戦」。見送りは「大坂夏の陣」。
 先代は担い地車。


下村
=昭和7年(1932)制作。大工は植山宗一郎。彫師は森曲江。
土呂幕は右が「朝比奈三郎の勇戦」。見送りが「灘波戦記」。
 先代は担い地車で風呂のたきつけに使ったと言う。
 【地車廃絶】
机場
=先代は昭和5年に新調するが、51年に岸和田市内畑町に地車売却.。現・ 美原町菅生新田へ。地車小屋跡は長生会館横の農業倉庫の所。
 初代は大正末期に堺市富蔵⇒貝塚市王子を経て購入。

母山
(もやま)=大正5、6年頃に組立式の担い地車廃絶。
南中岡本276 船岡神社 10/連休の土日 神輿
やぐら1台  
岡本=平成5年に阪南市尾崎宮本より購入。昭和11年頃制作。大工は辻幾次郎。彫師は開 生a、小屋根幕板は宮沢巌。
本幕:正面は「船岡神社御神紋に岡本の文字」、右は「加藤清正 虎退治」、左は「竹に虎」。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」、後ろは「雲に鶴」。
飛檐垂木:「菊紋」。
地垂木:「獅子」。
車板:正面は「飛龍」、後ろは「雲龍」。
小屋虹梁:「雲海」。
枡組:(三手先七段)「龍、獅子」。
枡合:正面は「飛龍」、右は「飛龍」、左は「飛龍」、後ろは「雲海」。
虹梁:「菊」。
欄間:【源平盛衰記】、右は「倶利伽羅峠の戦い」、左は「安徳帝を背に落ち延びる 平国盛」。
長押:「雲海」
柱巻:右は「昇龍」、左は「降龍」。
小脇板:【高砂】右は「翁」、左は「媼」。
幕板:右は【源平盛衰記】「侍賢門の戦い 義平重盛を追う」、左は【太閤記】「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
脇障子:右は「吽形の唐獅子」、左は「阿形の唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
犬勾欄:「阿吽の唐獅子」。
擬宝珠勾欄:勾欄合「波濤」、束「力神」。
板勾欄:左は【源平盛衰記】「粟津合戦 勇婦巴御前」。
縁葛:「波に千鳥」
本幕:正面は「船岡神社御神紋に岡本」の文字、右は「加藤清正 虎退治」、左は「竹に虎」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「雲に鶴」。
飛檐垂木:「菊紋」。
地垂木:「獅子」。
車板:「雲龍」。
小屋虹梁:「雲海」。
枡組:(三手先六段)「龍、獅子」。
虹梁:「菊」。
欄間:右は【源平盛衰記】「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「頼朝の朽木隠れ」。
長押:「雲海」。
太鼓廻り:「雲海」。
幕板:右は【神話伝説】「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は【太閤記】「加藤清正 虎退治」。
擬宝珠勾欄:右は「波濤」、左は「波濤」。
縁葛:右は「波に鯉」左は「波に鯉」。

 先々代は尾崎の福島より購入?。先々代廃絶後しばらくやぐら無し。
 やぐら休止中の昭和47年に子供会の役員が手作りで子供だんじり作るがやぐら復活後は出番無し。
 先代は御大典の頃に泉南市新家の宮より購入。昭和58年修復し18年ぶりに復活。

樫井440 日枝神社 10/連休の土日 神輿
やぐら1台 樫井東
樫井東=2代目。明治10年代制作。大工・彫師は不詳。
本幕:正面は「秀吉本陣」、右は「加藤清正 虎退治」、
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」。
飛檐垂木:「菊紋」。
地垂木:「獅子」。
車板:正面は【唐子遊び】「司馬温公瓶割りの場」。
小屋虹梁:「雲海」。
枡組:(三手先七段)「龍、獅子」。
枡合:正面は【神話伝説】「雄略帝 猪退治」、右は【太平記】「新田義貞 稲村ヶ崎に宝剣を奉ず」、左は【太閤記】「加藤清正 虎退治」。
木鼻:「獅子」。
虹梁:「松に鶴」。
長押:「若葉」。
柱巻:右は「降龍」、左は「昇龍」。
小脇板:【神話伝説】右は「神功皇后」、左は「誉田別命を抱く武内宿禰」。
幕板:【源平盛衰記】右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「牛若 弁慶五条大橋の出会い」。
 ≪腰廻り≫
犬勾欄:正面は「波濤」、左は「勢子」。
擬宝珠勾欄:勾欄合「波濤」、束「力神」。
板勾欄:【富士の巻狩】正面は「狩場風景」右は「仁田四郎 猪退治」、左は「勢子の活躍」。
縁葛:「波濤」。
本幕:【太閤記】正面は「豊臣秀吉」、右は「加藤清正 虎退治」、左は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鳳凰」。
飛檐垂木:「菊紋」。
地垂木:「獅子」。
車板:「雑兵物語」。
小屋虹梁:「雲海」。
枡組:(三手先六段)「龍、獅子」。
枡合:左は「勢子」。
木鼻:「獅子」。
虹梁:「梅に山鵲」。
欄間:【唐子遊び】正面は「玉曳き」、右は「楽器遊び」、左は「戦遊び」。
長押:「若葉」。
幕板:【曽我物語】右は「五郎時致と小舎人五郎丸」、左は「由比ヶ浜の場」。
板勾欄:右は「阿吽の唐獅子」、左は「阿吽の唐獅子」。

 先代はもっと大きかった。
樫井67 若宮神社 10/連休の土日 神輿
地車1台(休止) 樫井西
昭和25年(1950)岸和田市八幡町新調。大工は武田工務店。彫師は木下舜次郎。この地車は昭和63年に熊取の大屋一政氏より購入し吉為工務店で修復し翌平成元年より曳行。平成11年頃より休んでいる。

 以前は家を壊した梁で作った子供地車を3年間使用。傷みが激しいので昭和63年のキャンプファイヤーで焼却。
 やぐらとしては昭和21,2年頃に信達方面(信達市場か?)より譲りうけるが、村の有力者に中古だとケチつけられ明治大橋より落として壊す。また戦前よりやぐらがあったが、喧嘩多いので売却したと伝わる。

 ≪泉南郡≫     
 田尻町
嘉祥寺761 嘉祥神社 10/連休の土日(元・10) 神輿
地車1台  
昭和7年(1932)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は田沼征信。助は玉井行陽。松田正幸。元々は朝鮮の日本人町行きの地車だったが、破談のため同町が2、600円で購入。
昭和62年修復。松良等新調。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「森 蘭丸の奮戦」。
虹梁:「青海波」。
 ≪腰廻り≫ 
松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打」、左は「大江山 頼光の木渡り」。
縁葛:【太閤記】
大連子:【太閤記】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」」、右は「?」、左は「福島市松勇戦」。
小連子:「加藤清正の勇戦」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「本多出雲守 荒川熊蔵の血戦」、右は「後藤又兵衛の奮戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「曽我五郎大磯驀進」、右は「工藤祐経陣屋前」、左は「曽我兄弟奮戦」。
 ≪見送り廻り≫ 
見送り:「大坂夏の陣」。

 明治から大正にかけては嘉祥寺の北出・西出・上出にそれぞれ担い地車があった。
担い地車はひとまわり小さく、今の地車の小屋根くらの高さで彫物も少なく屋根も上下でき、解体して保管したと云われる。
吉見952 春日神社 10/連休の土日(元・11) 神輿
やぐら1台 先代やぐらも保存
吉見⇒櫓部屋は平成4年建造。先代やぐらと並んで保管。神社境内の一角。
=平成4年(1992)制作。大工は川端建設。彫師は木下彫刻工芸。
長さ7.3m。幅2.5m。高さ4m。
 
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲龍」。
懸魚:正面は「鳳凰」、後ろは「雲に鶴」。
飛檐垂木:「菊」。
地垂木:「獅子」。
車板:正面は「青龍」、後ろは「雲海」
小屋虹梁:「雲海」
枡組:(五手先七段)「龍、獅子」
枡合:正面は【大江山鬼退治】「酒宴の場」、右は「酒呑童子退治」、左は「頼光の木渡り」、後ろは「花園中納言の娘との出会い」
木鼻:「獅子」
虹梁:「牡丹に若葉」
欄間:【源平盛衰記】正面は「佐藤忠信 碁盤投げ」、右は「那須与一 扇の的」、左は「平景清 綴引き」
長押:正面は「紅葉に雉」右は「菊に鳳凰」左は「牡丹に孔雀」
柱巻:右は「昇龍」、左は「降龍」
御簾:「吉見櫓」の文字
小脇板:【源平盛衰記】右は「牛若 鞍馬山修業の場」、左は「牛若 弁慶五条大橋の出会い」
幕板右は:【源平盛衰記】「頼朝の朽木隠れ」、左は「木曽義仲」
兜桁:「吉見の文字」
 ≪腰廻り≫
犬勾欄:正面は「阿吽の唐獅子」、右は「波間に兎」、左は「波間に兎」
内勾欄:「牡丹に唐獅子」
擬宝珠勾欄:勾欄合「波間に千鳥」、束「力神」
板勾欄:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「狩場風景」
縁葛:「波間に玄武」
本幕:正面は「春日神社御神紋に吉見の文字」、右は「源義経 八艘飛び」、左は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「宝珠を掴む青龍」。
懸魚:「雲龍」。
飛檐垂木:「菊」。
地垂木:「獅子」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
小屋虹梁:「雲海」。
枡組:(三手先五段)「龍、獅子」。
枡合:【羅生門鬼退治】(後正面)「渡辺綱 羅生門禁札立て」、右は「茨木童子 綱の伯母真柴に化ける」、左は「茨木童子 片腕奪還」。
虹梁:「牡丹に若葉」。
長押:右は「桐に鳳凰」、左は「菊に山鵲」。
柱巻:右は「昇龍」、左は「降龍」。
太鼓周り:「雲に鶴」。
幕板:【源平盛衰記】右は「義経 八艘飛」、左は「巴御前 勇戦」。
擬宝珠勾欄:「波間に千鳥」、束「力神」。
縁葛:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」左は「常磐御前 都落ち」。

 明治中期には東出、西浜出、南出、北浜出、中出の5地区より5台のやぐらが出た。
 先代は昭和7年頃制作し保存中。

inserted by FC2 system