大 阪 府

 ≪泉大津市、忠岡町≫


住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪泉大津市≫
若宮町4−12 大津神社 10/連休の土日 神輿
地車8台 田中町、上市町、元町、出屋敷町、宮本町、西之町、上之町、下之町
宮入りは上市町、上之町、元町、宮本町、田中町、出屋敷町、西之町、下之町の順番で毎年、輪番で宮入り。
田中町⇒田中町・若宮町・春日町・東雲町・旭町よりなる。地車小屋は若宮町4(神社横)。
=平成24年9月9日、新調入魂式。大工は植山工務店。彫師は立川靖雄、松田武幸。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「源 頼光四天王 大江山鬼退治」。
桁隠し:正面は「懸魚と一体」、後ろは「雲海」。
車板:正面は「鷲の猿掴み」、後ろは「雲海」。
横槌:「青龍」。
隅出す:「鳳凰」。
枡合:右は「源頼政 鵺退治」、左は「袴垂保輔 鬼童丸妖術競べ」。
木鼻:「親子唐獅子」。
虹梁:正面は「五条大橋の出会い」、右は「戸隠晴嵐」、左は「布引滝四段目 小桜責め」。
背板:上部扉は「夕日に鶴」、右は「平清盛」、左は「源頼朝」。
脇障子:右は「碇を担ぐ平知盛」、左は「鷲尾三郎 一の谷の道案内」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「清盛布引滝遊覧」。
桁隠し:正面は「懸魚と一体」。
車板:「白龍昇天(虹梁後面と一対」。
隅出す:右は「常盤母子都落ち」、左は「静の舞」。
枡合:右は「玉藻前 正体を現す」、左は「朝比奈三郎義秀 鰐鮫退治」。
木鼻:「親子獅子」。
虹梁:正面は「奥州衣川高館合戦」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打す」、左は「佐藤忠信 碁盤投げ」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「源平合戦」。
見送り天蓋:「琵琶法師・迦陵頻迦」。
脇障子:右は「夕日背負う畠山重忠」、左は「安徳天皇・二位の尼」。
大脇:右平は「梶原景季 箙に梅」、右妻は「生田の森 平重衡 生捕り」、左平は「平教経・安芸太郎・安芸次郎」、左妻は「佐藤嗣信の忠節」。
摺出し受:右は「平忠度 辞世の句を詠む」、左は「平景清 錣引き・那須与一扇の的」。
摺出し鼻:「獏に牡丹」。
大脇物見:「唐獅子牡丹」。
竹の節:「力神」。
犬勾欄:「波濤」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「神獣・霊獣」。
縁葛:【曽我物語】正面は「頼朝本陣報償の場」、右前は「仁田四郎忠常 猪退治」、左前は「獲物を追う工藤景光」、後ろ面は「曽我兄弟 工藤祐経を討つ」、後右は「曽我兄弟 工藤祐経を討つ」、後左は「河津と俣野 御前相撲」。
土呂幕:正面は「前九年役 義家 貞任を討つ」、右は「保元の乱 白川殿合戦」、左は「粟津合戦」、後ろは「平治の乱 待賢門の合戦」。
犬勾欄:正面は「青龍」、後ろは「唐獅子」、右は「波に玄武」、左は「波に兎」。
水板:「波濤」。
幟台:「平家蟹と小平家」。

 先々代は明治20年頃に新調。昭和5年10月に305円で東大阪市新家に売却。
 先代は大阪型。昭和6年(1931)制作。大工は植山宗一郎。彫師は3代目黒田正勝、吉岡義峰、森曲江、木下舜次郎 他。制作費約4、200円。
昭和63年の修復で拝懸魚正面、鬼熊、大脇を彫替え。彫師は中山慶春。最近の修復は平成11年、池内工務店(池内幸一)。
2012年4月29日、昇魂式。5月20日、搬出し植山工務店へ。6月3日、松原市河合にて購入入魂式。
上市町⇒地車小屋は菅原町10(臨海線を越す大きな歩道橋の下)。
=大阪型。平成4年(1992)9/27、新調入魂式。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は川原和夫、中山政行、栗田剛。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:正面は「七福神宝船」、後ろは「牛若丸弁慶 五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「雲に鶴」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:右は「安宅の関 弁慶義経懲打す」、左は「鞍馬山 牛若丸修業の場」。
虹梁:「源平盛衰記」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。隣懸魚:「波に鯉」。
車板:「宝珠を掴む阿形龍」。
枡合:右は「静御前の舞」、左は「牛若弁慶五条大橋の出会い」。
虹梁:正面は「牡丹に「阿形唐獅子」、右は「宝珠を掴む龍」、左は「竹に虎」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り・大脇は:「一ノ谷の合戦」。
土呂幕:「義経記」。
台木:「波に玄武」。

 先々代(初代)は明治初期に創建。大正15年10月14日、1850円でに東大阪市足代へ。平成12年、宝塚市小林へ。
 先代は大正14,5年頃制作され新調に伴い同町在住の個人へ。
元町⇒昭和4年、本町、大小中町、板屋町の大部分が元町になる。
地車小屋は東港町11−39。
=折衷型。3代目。昭和61年(1986)9月28日、新調入魂式。
大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は木下賢治、川原和夫、松本幸規、十場裕次郎、中山政行。
平成11年大下工務店にて修復。同時に彫物を新調。彫師は木下健司、河合申仁。大屋根車板、大屋根虹梁三面 など。
平成20年10月5日、修復入魂式。大下工務店にて修復。台木、竹の節、土呂幕正面、泥台入替え。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚:正面は「天の岩戸」、背面は「牛若丸 弁慶、五条大橋の出会い」。
車板:「川中島合戦」。
枡合:右は「小櫻責め」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
虹梁:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」。右は「今川義元の最期」、左は「本能寺の変」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鎮西八郎為朝」。
隣懸魚:「雲に青龍」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
枡合:右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神武天皇東征」。
虹梁:正面は「茨木童子片腕奪還」、左右は「牡丹に唐獅子」。
勾欄:「二十四孝」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:「牛若丸 鞍馬山修行の場」。
縁葛:「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
大脇:「難波戦記」。
土呂幕:「明智光秀の最期」、「児島高徳櫻木に歌を詠む」、「仁田四郎忠常の功名」 等。
見送り:「難波戦記」。

 初代は明治13年以前の制作。龍の彫物で埋め尽くされ「蛇腹地車」と称された。
大佐の「地車請取帳」には大正8年に35円で作事(修復)したとある。
 先代は昭和5年制作。現・地車新調に先立ち昭和59年に南曽根に売却。現・羽曳野市尺度へ。
出屋敷町⇒菅原町・小松町よりなる。
地車小屋は菅原町13。
=大阪型。4代目。平成8年(1996)7/21新調入魂式。大工は天野工務店(天野行雄)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)、松並義孝。
土呂幕:「巴御前の雄姿」。
見送り:三枚板で、正面は「加藤清正虎退治」、右は「桶狭間の合戦」、左は「武蔵守対決」。

 先々代は大正3年9月に長老の深野熊治郎氏に50円を借りた若衆は直ちに4組に分かれ地車を探しに行った。9/28に夕方にそのうちの一組が二上山山麓の村で地車を購入し、10/1に解体して馬力で運んできた。そして4日の宵宮の正午に組立が完了して曳行を始めた。こんなエピソードのある三先代を売却。その後しばらく地車は無し。なお大佐の「地車請取帳」には大正8年に70円で作事(修復)したとある。 
 先代は昭和6年に「大宗」こと植山宗一郎により制作で平成5年10/31曳き納め。新調に伴い大阪市東住吉区育和社会福祉協議会へ。

神輿=平成2年(1990)7月22日、菅原神社跡地で御披露目が行われた。
夏祭りに出すつもりで2〜3年は使われたがその後は用いられず、大津神社に奉納されたらしい。
現在は神社にお蔵入りのようである。
宮本町⇒大正10年頃、砂子町、山之上町が宮本町になる。現在の戎町・昭和町である。
地車小屋は戎町3。南海本線側道沿い。
=折衷型。昭和63年(1988)10月2日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治、川原和夫、松本幸規。
平成12年、大下工務店(大下孝治)で修復。
平成28年(2016)10月2日、修復入魂式。前回同様、大下工務店(大下孝治)で修復。
洗い・締め直し。拝懸魚・桁隠し・小屋根車板、脇障子・縁葛を新調。彫師は山本一門。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「川中島合戦」。
隣懸魚:「鷲」。
枡合:右は「日本武尊 野火の難」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
虹梁:正面は「大江山 頼光木渡り」、右は「頼政 鵺退治」、左は「俵藤太秀郷」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「頼朝八牧館夜討ち」。隣懸魚:「松に鷲」。
車板:「鷲に猿」。
枡合:右は「神功皇后」、左は「神武東征」。
虹梁:正面は「秀吉屈辱を忍ぶ」、左右は「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「太平記」。
土呂幕:「源平合戦」。
脇障子:右は「倶利伽羅峠 火牛の夜襲」、左は「一の谷ひよどり越え」
見送り・大脇は「難波戦記」。
台木:「浪に鯉」。

 往古は明治13年以前よりあり。
 先々代は明治25年平野区正覚寺新調。大正2年に宮本町が購入。新・地車購入するも2年間は保存し約500円で昭和11年9月に東大阪市長田中之町へ売却。
 先代は昭和9年住吉「大佐」で新調。現・地車購入時の最大のスポンサーの藤井毛織兜汾工場に飾られたが、その後富田林市新堂へ。
西之町⇒昭和初年、出屋敷堀端を西浜町へ改称。1年後、西之町へ改称。
地車小屋は西港町5−18。
=折衷型。3代目。平成元年(1989)9/10、新調入魂式。大工は池内工務店。2代目幸一師の出世地車。彫師は木下賢治、十場裕次郎、筒井工房、岸田恭司、川原和夫 等。平成15年修復。
長さ4m。大屋根幅2.3m。高さ3.6m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
隣懸魚:「雲龍」。
車板:「船弁慶」。(平成14年、岸田恭司の作)。
枡合:【源平盛衰記】右は「小桜合戦布引の滝」、左は「大江山頼光の木渡り」。
虹梁:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門を討つ」、左は「加藤孫六 浅井吉兵衛討取り」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚は「天の岩戸」。
車板:「青龍」。
枡合:【太平記】右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「独眼流伊達政宗の雄姿」、左は「壇団右衛門の勇戦」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「吉良邸討入り大石内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」、後ろは「両国橋引揚げ」。
勾欄合:「二十四孝」。下勾欄:「波に兎」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「源頼朝の朽木隠れ」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「宇治川先陣争い」。背面は「朝比奈三郎怪力を以って城門を破る」。
見送り:「灘波戦記」。

 先々代は住吉型。明治10年大阪市平野区野堂南組新調。明治末期に死亡事故起こし10年ほど曳かれなくなり、大正8年に泉大津市西之町に1000円で売却するが、次に購入の地車がやや小型のため“おんば車”(ベビーカーのこと)と言われたので翌年2000円で買い戻した。そのため西之町は1年しか曳いていない。
 先代は大正9年(1920)制作。住吉西だんじり屋 下川安次郎の作。先々代の売却代に2000円ほど上乗せして新調。
 昭和63年に高石市羽衣へ。現・東大阪市横枕。 
上之町⇒上之町・高津町・式内町・清水町・河原町よりなる。
地車小屋は平成15年5月11日に新築落成式典を行う。
=平成31年新調予定。大工は植山工務店。彫師は岸和田木彫会。

=大阪型。昭和12年7月に完成したが、日中戦争の勃発により受渡しが遅れ翌13年8月に淡路島より船で泉大津港に陸揚げされた。
大工は柏木福平。しかし完成直前に廃業してしまい、吉田国平が責任者になり、仕上げは菅善次郎で後を引き継いで完成したという。彫師は川原啓秀。
平成元年の修復で縁葛を桑名の森西鶴により彫り変える。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
隣懸魚:右は「阿形雲に麒麟」、左は「吽形雲に麒麟」。昭和53年、川原和夫の作。
車板:「鷲に雀」。
枡合:【曽我物語】右は「大磯驀進」、左は「兄弟の急を聞き駆けつける重忠」。
虹梁:正面は「川中島の合戦」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「梅に山鵲」。
車板:「阿形宝珠を掴む龍」。
枡合:【神話伝説】右は「神武天皇東征す」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
虹梁:【太閤記】正面は「尼ケ崎危難の場」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「修行者藤吉郎を観相す」。
勾欄:「二十四孝」。下勾欄:「波」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「楠木正成如意輪堂」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「平影清綴引き」、右は「義経八艘飛」、左は「宇治川先陣争い」、後は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
見送り・大脇:「大坂夏の陣」。
竹の節:「阿吽の唐獅子」。
物見:「牡丹に唐獅子」。
台木:「波に鯉」。


 先代は明治29年に灘の酒造家が孫誕生祝いに新調し町に寄贈。担い棒右に彫金で「和」、左側に「由」と字が昭和60年の改修まで残っていた。
この地車を川原啓秀を通じ購入。
昭和13年〜21年まで2台の地車を地車小屋に入れていたが、昭和21年に森に売却。現・羽曳野市西浦。
下之町⇒地車小屋は下之町6(阿弥陀寺の裏)。
=大阪型。平成19年9月2日、新調入魂式。平成16年11月28日、手斧初め。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は井波の川原一門。
平成27年10月4日、修復入魂式。大下工務店による。洗い・締め直し・大屋根獅噛みの前後入替え。
屋根全長3.42m。台木長さ3.635m。台木幅1.21m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「宝珠をつかむ青龍」。
隣懸魚:正面は「飛龍」、後ろは「日輪月輪」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊、野火の難」、左は「神功皇后東征」。
虹梁:【関ヶ原の戦い】正面は「島左近の奮戦」、右は「大谷吉継の奮戦」、左は「島津義弘家康本陣突破」。
木鼻:「親子唐獅子」。
間仕切り:「松に鶴」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚:「義経八艘飛び」。
車板:「鯛を釣る恵比須三郎」。
枡合:【太平記】右は「大塔宮吉野落ち」、左は「村上義光錦御旗奪還」。
虹梁:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「正行、如意輪堂に歌を詠む」、左は「新田義貞稲村ヶ崎宝剣を奉ず」。
 ≪腰廻り、土台廻り≫
上勾欄:「干支づくし」。下勾欄:「青海波に兎」。
旗受:「戎社賽銭箱・紋入り」。
縁葛:【曽我物語】正面は「五郎 朝比奈 草摺引」、右は「曽我兄弟十番切」、左は「曽我兄弟夜討ち」、後ろは「由比ヶ浜の危難」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「八幡太郎義家の強弓」、右前は「頼朝朽木隠れ」、右後ろは「黄瀬川の対面」、左前は「那須与一の高名」、左後ろは「義経弓流し」、後ろは「弁慶の立ち往生」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【川中島の合戦】正面は「信玄謙信龍虎相討つ」、後ろは「山本勘助の奮戦」。
大脇:右平は「山県昌景奮戦・白桔梗旗」、右裏は「本庄越前守勇戦・赤地に龍の決死旗」。
    左平は「鬼小嶋弥太郎奮戦」、左裏は「武田信繁追う越後武者たち」。
竹の節:「燈篭鬼」。
脇障子:右平は「武内宿禰、宝珠を投げる」、右裏は「妻女山を降る小山田備中守」。
    左平は「神功皇后、弓木で岩に字を書く」、左裏は「宇野左間介退却合図の貝を吹く、味方軍を小手かざし見る千坂内膳」。
摺出し:「川中島の戦い・牡丹に唐獅子」。

 三先代は岸和田市吉井町へ売却され現存せず。後ろに鐘馗さんのある上地車と伝えられる。
 先々代は明治元年3月制作し、昭和8年7月東住吉区桑津へ売却。引取り時には桑津村の長老と青年団が牛2頭をもって引取りに来られ、約6時間かけて曳行し持って帰ったと伝えられる。
 先代目は昭和9年制作。大工は久納久吉・幸三郎兄弟。彫師は一元正、玉井行陽。
 昭和61年、改修時に大屋根拝懸魚を筒井和男により彫替え。平成9年植山工務店で修復。
平成18年(2006)10月22日、昇魂式。11月5日搬出。東大阪市若江南部に売却。

豊中町1−1−1 泉穴師神社 4/ 春季大祭 稚児参拝、餅まき神事、奉納演芸等の神賑行事を行う。 
10/連休の土日 神輿 あり 
地車5台 飯の山地車、豊中、池浦、我孫子、板原
地車廃絶 穴田、宮、虫取
 【神幸祭】
御旅所は穴師神社の神宮寺薬師寺の跡にあったが、現在は穴師小学校校庭に仮設で渡御列は
各町地車(豊中町、池浦町、我孫子町、板原町)、飯の山地車、天狗、社明旗、日月旗、各町提灯、獅子、祭鉾、御楯、四神旗、宝物、神唐櫃、巫女、神輿、神官、氏子総代、役員。
飯の山地車⇒地車小屋は神社境内で左は豊中。
=宮本である豊中の6字が交代で当座として奉仕する。
大正以前は東宮小路・西宮小路の2小路が飯の山講と称し、飯の山神事をこの2小路のみで取り仕切っていた。
他の門裏小路・中小路・外宮小路・出屋敷小路の4小路を明神講と称し、秋季例祭をおこなっていた。
 しかし昭和に入り飯の山を6小路が執り行うことになり、初めて豊中全体で地車購入となる。
飯の山地車は一枚屋根型で他は全て岸和田型地車。明治16年大工、彫師とも櫻井義国。平成元年大下工務店にて修復。
鬼板:正面・背面は「菊紋」、左右は「獅子」。
懸魚:正面・背面は「鳳凰」、左右は「波」。
枡合:正面は「泉穴師神社本殿」、左右は「社殿に鳥居」、背面は「牡丹に唐獅子」。
勾欄合:「松竹梅」。
半松良:正面右は「お多福」、正面左は「天狗」、背面右は「猿踊り」、背面左は「獅子面を被った人」。
土呂幕:正面は「泉穴師神社社殿正面景観」、背面は「唐獅子の透彫り」、右は「泉穴師神社境内南側景観」、左は「泉穴師神社境内西側景観」。
宮入りは固定で豊中町、池浦町、我孫子町、板原町の順番。
豊中⇒地車小屋は神社境内
=平成29年(2017)9月10日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下健司)。
式典会場は穴師小学校体育館。

 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「海雲 御来光にゲキ」、後ろは「若葉」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ 櫻井の駅」、右は「楠木正成 天皇を兵庫奉迎」、左は「楠木正行 如意輪堂の場」、後ろは「楠木正成 泉穴師神社参拝」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「真田幸村 平野地雷火」、左は「片桐且元 木村長門守 長柄堤訣別の場」。
土呂幕:正面「一閃日本號 後藤又兵衛 半田寺山」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲海に青龍 奥に日輪月輪」。
枡合:「本能寺の変」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:正面上は「賤ヶ嶽合戦」、正面下は「姉川合戦」、左は「賤ヶ嶽合戦」、左下は「川中島合戦」、右は「賤ヶ嶽合戦」、右下は「三方ヶ原合戦」。


 往古もあったと伝えられるが?
 三先代の経路は岸和田市魚屋町新調⇒貝塚市名越⇒豊中⇒作才の古物商氏原氏⇒岸和田市畑町⇒解体処分。
 先々代は明治20年頃、堺市久世村小坂から120円で上だんじり購入。
地車新調に伴い堺市大庭寺に売却。

 先代 =4代目?。昭和7年(1932)10月7日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は田沼征信、松田正幸、木下 舜次郎、吉岡義峯 等。
平成12年大下工務店で修復。
84年曳かれ、平成28年(2017)10月23日、昇魂式。
長さ3.5m。幅2.3m。高さ3.7m。 
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正馬上の雄姿」、左は「孤軍奮闘柴田勝政」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「布袋さん」。
松良:【源平盛衰記】正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「大江山頼光木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【太閤記】右は「尼ケ崎危難 秀吉坊主姿に扮し難を逃れる」、左は「桃山御殿 石川五右衛門召捕り」。
大連子:【太閤記】正面は「片桐且元の雄姿」、右は「後藤又兵衛の跳槍」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「清水一学の奮戦」、左は「吉報を待つ大石内蔵助」。
土呂幕:【難波戦記】正面は「徳川本陣単騎討入る薄田薄田隼人」、右は「後藤又兵衛勇戦」、左は「塙団右衛門勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「武蔵坊弁慶の雄姿」、左は「源為朝の勇力」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、大脇、脇障子は「難波戦記」。
池浦⇒地車小屋は池浦町3−7(穴師公園近く)。
=3代目。平成9年(1997)10月5日、新調入魂式。
新調記念式典は平成10年9月27日。
大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は雲棧堂美術院(松田武幸、立川靖雄)。助は木下彫刻工芸。
長さ4.15m。大屋根幅2.45m。内幅1.2m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「社紋(菊紋)」。
車板:「雲に龍」。
飛檐垂木:「菊紋」。
地垂木:「唐獅子」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
枡合:【日本神話】正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「岩戸隠れ」、後ろは「国産み」。
二重枡合:「雲に龍」。
虹梁:「波に浜千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳」。(筒井和男作。旧・地車)。幟台:「組物」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:正面は「清盛乱心安芸弁財天神体を現す」、右は「千姫救出」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
大連子:正面は「鶴ヶ岡八幡宮 頼朝戦勝祈願」、右は「大助初陣」、左は「正季、直義を討ち逃す」。
小連子:正面は「大垣に義仲勇婦会」、右は「木村重成 単騎部下を救い出す」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
土呂幕:正面は「義経八艘飛び」、右は「大仁村 家康幸村に追われる」、左は「播磨国に正成鳳輦を迎える」。
後縁葛:「青波」。
後大連子:正面は「秀吉 大徳寺 焼香順を争う」、右は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、左は「藤吉郎 富士川の初陣」。
後半松良:「組物」。
後水板:「青波」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「朝潮に浜千鳥」。
車板:「雲に組物」。
飛檐垂木:「菊紋」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:【日本神話】正面は「神武天皇東夷征伐」、右は「雄略天皇 葛城山に猪を踏み殺す」、左は「日本武尊 駿河に賊徒を焼討す」。
大脇:右は「宇佐美駿河守、武田左典厩信繁合討ち」、左は「鬼小嶋弥太郎、山県三郎兵衛一騎討ち」。
摺出し:「川中島」。
摺出し鼻:右は「牽牛」、左は「織姫」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「川中島合戦」。
見送り虹梁:【信長公記】正面は「本能寺の変」、右は「桶狭間の合戦」、左は「姉川の合戦」。
木鼻:「唐獅子」。
物見:前は「紅葉・鹿・鼠」。
竹の節「夫婦唐獅子」。
脇障子:右は「武田義信」、左は「高坂彈正」。

 三先代は明治末期に10円で売却。 
 先々代は上地車で大佐の「地車請取帳」には、大正14年に「泉北郡穴師村池浦 泉大津より東へ行 河野久一様」とあり作事(修復)したようである。
当時の青年団が新調を願って、穴師池にほりこまれ廃絶する。
 先代は昭和3年岸和田市作才の古物商「氏原」氏より購入。平成8年10月3日に曳き納め。現・地車新調につき東大阪市本庄へ。 

昭和56年に修復し、修理以前の彫物が池浦町会館に保管。
我孫子⇒地車小屋は我孫子1−4(府道38号線沿い、ローソン泉大津我孫子店向い)。
=平成27年(2015)9月13日、新調入魂式。大工は隆匠(田中隆治)。彫師は賢申堂(河合申仁)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に菊紋」。
懸魚:正面は「波千鳥に朝陽」、後ろは「波千鳥」。
土呂幕:「和田合戦 朝比奈三郎義秀」。
見送り:「一ノ谷合戦」。

 三先代は明治末期に11円で売却。
 先々代は大正初期に我孫子が新調した堺型地車。堺市船尾に売却するが現存せず。
 先代は昭和23年(1948)岸和田市八田町より購入。同町昭和7年新調。大工は岩出秀吉。彫師は玉井行陽。平成12年大下工務店にて修復。平成13年に締め直しと修復。平成26年(2014)10月26日、昇魂式。現在嫁入り先募集中。
長さ3.43m。幅2.22m。高さ3.6m。
枡合:【曽我兄弟】正面は「曽我兄弟 血戦」、右は「八幡七郎を討つ」、左は「工藤祐経陣屋討入り」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎馬上の勇力」、右は「今井四郎決戦」、左は「宇治川の先陣争い」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。
板原⇒地車小屋は板原町3−23(板原公民館敷地内)。
平成18年(2004)10月1日、新調入魂式。大工は佐野和久・七野徳重(植山工務店)。
彫師は木彫岸田(岸田恭司、片山晃、高濱輝夫、前田明彦、山本陽介)。助は山本仲伸、井波彫物。花鳥物は澤義弘。
旗、幟、幕などは新居浜の合田武史。
長さ4.35m。大屋根幅2.51m。高さ3.85m。
 原木祭は平成12年。原木は鳥取県東伯郡琴浦町湯坂の産。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に板原菅原神社紋」。
縣魚:正面は「開雲に旭日」、後ろは「雲に月輪」。
飛檐垂木・地垂木:「板原菅原神社梅鉢紋に金物型地彫」。
車板:正面は「雲に昇龍」、後ろは「雲に飛龍」。
小屋虹梁:前は「神々の誕生」、後ろは「勅命を受ける邇邇芸命」。
枡合:【日本神話】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神功皇后 新羅征伐」、後ろは「泉穴師神社祭神」。
虹梁:「波濤」。
勾欄合:「忠臣蔵」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に板原菅原神社紋」。
懸魚:「雲に役の行者と前鬼後鬼」。
飛檐垂木・地垂木:「板原菅原神社梅鉢紋に金物型地彫」。
車板:「五人囃子」。
小屋虹梁:「道真公幼少の誉れ」。
枡合:正面は「本能寺の変」、右は「今川義元の最期」、左は「小栗栖にて明智光秀竹槍で衝かれ最期となる」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「菅原道真公立ち姿」。
松良:【源平盛衰記】右は「清盛布引の滝遊覧と布引四段目」、左は「一の谷ひよどり越えと敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」。
縁葛:【板原縁起】正面は「念仏申し」、右は「行者講」、左は「住吉講」。
大連子:【太閤記】正面は「千石堀の合戦」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「池田恒興の最期」。
小連子:【太平記】正面は「楠木正成泉穴師神社に石灯籠を奉献す」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「村上義光 錦御旗奪還す」。
土呂幕:【太平記】正面は「鬼神に勝る巴御前の勇戦」、右は「紫震殿の戦い」、左は「源義経衣川館に白龍と化し昇天」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣 大坂城炎上」。
脇障子:右は「樫井の合戦」、左は「八尾の合戦」。
大脇:右妻は「天王寺口合戦」、右平は「小松山合戦」、左妻は「天王寺表合戦」、左平は「天王寺表合戦・誉田合戦」。
 ≪後腰廻り≫
後連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」、左は「毛受勝介 堀秀政を攻撃す」。
半松良:【賤ヶ岳の合戦】右は「清州会議」、左は「柴田勝家の最期の句」。
幟台:「天神の牛と童子の戯れ」。
水板:「子獅子と蝶々の戯れ」。

 先々代(初代)は大正10年に熊取町五門より購入。明治13年岸和田市小寺(現・上町)新調。
昭和6年頃に和泉府中で材木商を営む矢野元吉氏に売却。
その後岸和田市上大沢⇒岸和田市春木本町⇒現・堺市菱木白木。

 先代は昭和7年制作。平成17年まで曳く。平成18年(2006)4月16日、昇魂式。
堺市菱木奥へ。菱木奥の入魂式は平成19年(2007)4月15日。
大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎・松田正幸 等。長さ3、65m。幅2、23m。高さ3、7m。
 【地車廃絶】
穴田⇒穴田公民館横に献灯台を出している。
=貝塚より大正13年頃に購入。この地車はやや小型の上地車で大きな鯛の彫物があったと伝わる。当町は戸数が少なく、曳き手が出ない家より5円の罰金を取ったりしたが曳き手不足で昭和13年頃に和泉市阪本付近に売却。地車小屋跡は公民館前のバラック小屋になっている。
 さて柏原市国分の国分神社奉納地車は元・市場の地車で銘板には「昭和11年10月吉日購入」とあり、堺型の地車を泉大津市某所より購入と云われている。また大きな鯉の彫物があるので時代的、彫物的にも合うのでこれかもしれない?という意見がある。
 先々代は貝塚市地蔵堂に売却で上地車。地蔵堂では伯太より海側の大津のあたりと伝えられるので穴田に間違いないか。この地車はその後、泉佐野市日根野方面?に売却と伝えられる。

=若衆の強い要望で村の肥料商の八木信男氏が昭和22、23年頃に高石より中古地車を購入するが大津高校前にしばらく置いておかれたが、曳き手が集まらず宮入りも出来ぬままに転売される。

虫取⇒祭礼前は村の入口に献灯台を出している。
=地車小屋は浄忠寺の細い道を南へ入った辺りにあったらしい。
岸和田型地車で大正14年制作で大工、彫師ともに櫻井義国の名地車だったが、他町との抗争で土呂幕・腰廻り彫刻と大太鼓 等が傷み昭和30年代に植山工務店に売却。
下地車ながら、獅噛(鬼熊)に、担い棒タイプの前梃子、舟形の台木、など上地車の影響も受けた折衷タイプだった。
 先々代は上地車で上の方に売る。

 大佐の「地車請取帳」には、大正8年(1919)10月に56円で作事(修復)したとある。
曽根町1−4−12 曽根神社 10/連休の土日 神輿
地車7台
(岸和田型地車)
北曽根、南曽根、千原、森、二田、池園、和泉市池上
宮入りは南曽根、北曽根、千原町、池上町、二田町、森町、池園町の順番で毎年、籤引きにて決定。
※ただし新興町の池園町は最後に宮入り
北曽根⇒地車小屋は神社隣り。
平成9年(1997)10月4日、新調入魂式。翌10年完全完成。大工は植山工務店(植山良雄)。彫師は木彫筒井工房(筒井 伸)。
長さ3.97m。大屋根幅2.43m。内幅1.15m。高さ3.97m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「曾禰神社社紋」。
懸魚:「雲に来光」。
枡合:【神話伝説】正面は「曾禰神社祀神」、右は「天の岩戸」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「雄略天皇猪退治」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「太閤秀吉」。
幟台:「獅噛み」。
松良:【太閤記】右は「加藤清正虎退治」、左は「加藤清正 山路将監討取り」。
脇障子:右は「斉藤内蔵助利三勇姿」、左は「箕内大内蔵勇戦」。
縁葛:【太閤記】正面は「信長公の草履を温める」、右は「柴田勝家 瓶割り」、左は「槍試合褒賞の場」。
大連子:【太閤記】正面は「桶狭間の合戦 今川義元の最期」、右は「清洲城修復功名」、左は「石山大合戦」。
小連子:【太閤記】正面は「藤吉郎初陣功名」、右は「日吉丸 小六矢矧端の出会い」。
土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「槍試合褒賞の場」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に龍」。
車板:「雲に鶴」。
枡合:【神話伝説】正面は「神武天皇東征」、右は「中大兄皇子 入鹿殺害」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「本能寺の変」。
脇障子:右は「斉藤内蔵助利三雄姿」、左は「箕内大内蔵勇戦」。

 先々代は北曽根⇒和泉市上代⇒堺市檜尾⇒現・兵庫県尼崎市築地本町3丁目(本三)。
 先代は明治43年に寝屋川市打上より購入。新調に先立ち平成6年に尼崎市御園町へ。
南曽根⇒地車小屋は曽根町2−14。町域は曽根町2、3丁目に相当。
=平成21年(2009)9月13、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4.15m。大屋根幅2.5m。高さ3.83m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に曾禰神社社紋」。
懸魚:正面は「波に千鳥 御来光」、後ろは「波」。
車板:正面は「国生み」、後ろは「大国主命 因幡の白兎」。
小屋虹梁:「若葉」。
枡合:【神話伝説】正面は「「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「日本武尊 野火の難」、後ろは「神功皇后 三韓を征す」。
二重枡合:「阿吽の龍」。
虹梁:「波に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に曾禰神社社紋」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
車板:「神武天皇」。
枡合:【神話伝説】正面は「本能寺 蘭丸勇戦」、右は「四方田勇力」、左は「光秀の最期」。
二重枡合:「唐獅子牡丹」。
見送り虹梁:正面は「長短槍試合」、右は「秀吉 おねと結婚」、左は「藤吉郎 信長に初見参」。
 ≪主腰廻り≫
勾欄合:正面は「花鳥」、左右は「十二支」。
番号持:「菅原道真」。
松良:右は「大江山」、左は「勧進帳」。
縁葛:正面は「由比ヶ浜の危難」、右は「曽我兄弟 十番斬り」、左は「曽我兄弟 夜討ち」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「巴御前の雄姿」、左は「敦盛呼び戻す 熊谷直実」。
小連子:正面は「児島高徳 桜木に詩を詠む」、右は「楠木正成 千早城の奇策」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
土呂幕:正面は「美濃の国合戦」、右は「山崎の合戦」、左は「小牧山の合戦」。
水板:「波」。
松良受け・犬勾欄:「若葉」。
 ≪見送り腰廻り≫
大脇物見・脇障子物見:「花鳥」。
見送り:「本能寺の変」。
大脇竹の節:「獅子」。
見送り大脇・脇障子摺出・摺出鼻:「大坂夏の陣」。
縁葛:正面は「糟谷武則 宿屋七左衛門を討ちとる」。
大連子:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五郎左営門を討取る」、左は「加藤嘉明 浅井吉兵衛討取り」。
旗台:「曾禰神社の牛」。

 往古は明治18年10月10日の南曽根村祭礼届けがあり、10/13〜14の午前11時〜午後6時までの地車曳行願いが出されている。
 五先代は住吉型地車で永らく曳かないので昭和25年頃に風呂の焚きつけにした。
大佐の「地車請取帳」には、大正13年(1924)に「泉北郡 上條村曽根 中野吉松様」とあるが、この地車か?。
 四先代は手作りの子供地車で短期間だった。
 三先代は昭和40年頃に春木の大政工務店より購入。昭和60年に二田に売却。
⇒池園町⇒個人(実は私)⇒奈良県葛城市太田(平成21年〔2009〕9/13、購入入魂式)。
 先々代は昭和59年に元町より購入し、羽曳野市尺度へ売却。

 先代は平成9年(1997)9/7、購入入魂式。岸和田市池尻町より購入。
平成20年(2008)11/2、昇魂式。大下工務店に下取り。平成23年(2011)8月6日搬入。8月28日購入入魂式で和歌山県橋本市小原田へ。
昭和5年に新調。大工は初代山内安太郎。彫師は一元林峯。
長さ3.7m。幅2.4m。高さ3.5m。
千原町⇒地車小屋は千原町14。
=平成13年(2001)9月30日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4.27m。大屋根幅2.56m。内幅1.21m。高さ3、85m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「正行如意輪堂の場」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「新田義貞稲村ヶ崎」、右は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「菅原道真」。
縁葛:三方とも「富士の巻狩り」。
松良:右は「安宅の関 弁慶義経徴打す」、左は「大江山」。
大連子:【源平】正面は「宇治川の先陣争い」、右は「木曽義仲の戦い」、左は「巴御前の雄姿」。
小連子:【源平】正面は「経ヶ島」、右は「清盛布引の滝遊覧」、左は「安芸の宮島 弁財天神体を現す」。
土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間乱入」、右は「川中島の合戦」、左は「加藤清正新納武蔵守血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出しは「大坂夏の陣」。
竹の節:「風神・雷神」。
幟台:「獅噛み」。

 先々代は大正2年9/24に住吉大佐より購入し昭和61年12/27に西宮市の西宮神社若戎会に譲渡。 
 先代は昭和62年に大下工務店で作られた折衷型。平成12年9/10曳き納めし東大阪市中野へ。
⇒地車小屋の建造は地車購入と同時。森町自治会館と共用。森町2−16−2。設計はノブデザイン、施工は福田左官。
=昭和2年(1927)泉佐野市鶴原新家で新調。大工絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。助は金山源兵衛、後藤更星。
平成11年(1999)9月に岸和田市春木大小路町より購入。購入時に大下工務店で修復。
長さ3.73m。大屋根幅2.4m。高さ3.73m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武東征八咫烏」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
番号持ち:「横綱 双葉山」。
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関弁慶義経懲打」、左は「大江山頼光の木渡り」。
大連子:【太閤記】正面は「脇坂甚内赤井景清を刺す」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
小連子:【太閤記】正面は「信長本陣」、右は「日吉丸小六矢矧橋の出会い」、左は「藤吉郎松宅の場」。
土呂幕:正面は「平忠度の雄姿」、右は巴御前の勇姿」、左は「宇治川先陣争い」。
見送り:「難波戦記」。

 先々代は富田林市嬉へ。
 先代は明治29年に灘の酒造家が孫誕生祝いに新調し町に寄贈。担い棒右に彫金で「和」、左側に「由」と字が昭和60年の改修まで残っていた。
この地車を川原啓秀を通じ上之町購入。さらに昭和21年頃に上之町より購入し現・羽曳野市西浦へ。曳き納めは平成11年5月16日。
二田⇒地車小屋は二田町2丁目8。
=平成元年貝塚市久保より購入。昭和25年(1950)制作。
大工は絹井嘉一郎。彫師は上間庄平。助は上間貫治・敦美兄弟。購入時に植山工務店で修復し、組物を増やす。
長さ3.76m。幅2.33m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸開き」、右は「牛若丸弁慶 五条大橋の出合い」、左は「鎮西八郎為朝の剛弓」、後ろは「曽我五郎時致の早馬」
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」、右は「源頼朝朽木隠れ」、左は「楠公子別れ桜井の駅 」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「勧進帳を読む弁慶」。
松良:右は「大江山酒呑童子退治」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打す」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
大連子:「源平合戦」。
小連子:「忠臣蔵」。
土呂幕:正面は「福島市松の勇戦」、右は「巴御前の勇戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 往古は大佐の「地車請取帳」には、明治34年9月24日に15円で地車の彩色・目玉入れとある。
 三先代は大正9年〜昭和32年頃に地車があったが、解体処分。
大佐の「地車請取帳」には、大正9年(1920)、「泉北郡上條村大字二田」とある。
 先々代は子供地車。昭和62年に池園町へ。現・岸和田市の三の丸稲荷神社の子供地車。
 先代は昭和60年南曽根より購入。初年は飾りつけのみ。平成元年に池園町へ。
⇒池園町⇒個人(実は私)⇒奈良県葛城市太田(平成21年〔2009〕9/13、購入入魂式)。
池園町⇒地車小屋は東助松町3−1−41(府道38号線沿い)。
=明治10年制作。岸和田市大町で新調。大工は大崎吉造。彫師は宮地弥津計。長さ3.5m。幅2.35m。高さ3.65m。
助松町は上林医院の寄贈で昭和30年頃に八尾市服部川の大工≪大音≫の飯田松太郎より約15万円で購入。平成9年に現・池園町へ。
松良:右は「安宅の関、弁慶義経徴打す」、左は「大江山鬼退治、酒盛りの場」。
土呂幕:正面は「巴御前の勇姿」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「義経八艘飛び」。
見送り:「難波戦記」。

 先々代は二田より購入の子供地車。二田より地車購入につき里帰りその後植山工務店⇒岸和田市南上町⇒岸和田市・三ノ丸稲荷神社へ奉納。
 先代は平成元年に二田より30万円で購入され、平成9年(1997)3/2、搬出し個人へ(実は私)。⇒奈良県葛城市太田(平成21年〔2009〕9/13、購入入魂式)。
和泉市池上⇒地車小屋は池上町3丁目6。
平成11年までは和泉大連合に参加していたが、現在は泉大津12町連合に参加。
=平成5年(1993)10月3日、新調入魂式。翌6年9月11日、完全完成入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下賢治。
長さ4.25m。幅2.47m。高さ3.87m。
大屋根枡合:正面は「鶴ヶ岡八幡宮の場」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「頼朝 義経兄弟の会見」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守血戦」、左は「単騎部下を救出する木村長門守重成」。。
見送り・大脇:「難波戦記」。
勾欄合:「弥生時代の生活風景」。
竹の節:「獅子」。
幟台:「波に鯉」。

 先々代は解体して村の人で分ける。
 先代は明治43年に10円で黒鳥の下村(辻小路)より購入。曳き納めは平成4年5月10日で大阪市平野区加美細田に。
 【新興町】
睦会=千原町2丁目3にある自治会。33戸ほどしかなかったが独自の祭りをした。
昭和54年より町内地車を曳く。2代目もあった。今はしていない。
 【森町の福田さん】
地車のブローカーの様なことをされており、中古の地車を買ってきては方々に売却していたそうである。
それがどこの地車であるかは今や不明だが、最後の1台は分かっている。
泉大津市森町の福田さんが5万円で購入。⇒森町の「田中酒店」の向かいにあった空き地に置いてあったが半年ほどで森さん他界につき森町青年団に寄贈⇒2台あっても仕方ないので1度も曳くことなく翌年(昭和45、6年か?)20万円で和泉市黒鳥辻小路に売却⇒兵庫県神戸市東灘区御影東之町へ。
助松町1−13−19 助松神社 10/連休の土日 神輿
地車1台
岸和田型地車
助松⇒地車小屋は助松町1丁目3。北助松児童遊園の隣り。
=平成9年(1997)8月31日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は木下賢治。助として小西清和、池上俊之、中山久義。
平成29年(2017)10月1日、修復入魂式。泉谷工務店による。
長さ4.27m。大屋根幅2.53m。内幅1.21m。高さ3.83m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢紋、雲海」。
懸魚:前は「夫婦龍」、後ろは「波濤に兎」。
車板:「組物両脇に鶴、雲、雲海」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「菅原道真 紅梅殿の図」、左は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、後ろは「安倍泰成、玉藻の前退治」。
二重枡合:「組物両脇に四神獣」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「助松浜風景」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「鐘馗様」。幟台:「獅噛み」。
勾欄合:「唐子二十四考」。
松良:右は「茨木童子片腕奪還、渡辺綱羅生門禁札立て」、左は「牛若丸鞍馬山修業の場」。
縁葛:【太閤記】正面は「高松城水攻め」、右は「四方田但馬守に追われる秀吉」、左は「味噌摺り坊主に化け難を逃れる」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「糟屋助右衛門、烏打坂にて宿屋七左衛門討取り」、右は「平野権平長泰、旗奉行小原新七討取り・片桐且元、安彦弥五郎右衛門三人刺しにて討取り」、左は「脇坂甚内、水野助兵衛討取り」。
小連子:【太閤記】正面は「清洲城登城」、右は「秀吉よく屈辱を忍ぶ」、左は「大徳寺焼香の場」。
土呂幕:【賤ヶ岳の合戦】正面は「加藤清正と山路将監の一騎打ち」、右は「福島市松、拝郷五郎左衛門を討つ」、左は「加藤孫六嘉明、足海峠にて浅井吉右衛門討取り」。
水板と後半水板:三方が「波間にわたり蟹、蝦蛄」。
後縁葛:【助松の故事来歴】正面は「助松庵に逃げ込む明智光秀」、右は「田中遠江守毛利軍と戦う」、左は「三好勢、将軍義昭を急襲す」。
後連子:【旧地車の土呂幕より】正面は「巴御前の雄姿」、右は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「宇治川先陣争い」。
後半松良は「赤坂城攻防」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤に八方睨みの龍」。
車板;「組物両脇に亀」。
枡合:二重見送りのため無し。
虹梁:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀流し」。
木鼻:「唐獅子」。
竹の節:「昇龍、降龍」。
脇障子:右は「飯富兵部少輔虎昌の勇戦」、左は「高坂彈正忠昌信の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
二重見送り:上段が「本能寺の変」、下段が「川中島合戦」。

 往古はキタキとミナキと2台の地車があったがミナキを売却後、キタキが助松となった。
 先代は同町在住の上林医院の寄贈で昭和30年頃に八尾市服部川の大工≪大音≫の飯田松太郎より約15万円で購入。この地車は天保後期の作で現・池園町へ。
子供会地車=昭和61年池内工務店より購入。元は堺市栂の地車。平成8年池内工務店(池内幸一)で修復。
平成17年(2005)より出ていない。その後平成20年(2008)10月4日(土)、堺市向ヶ丘へ嫁入り。
 【新興町】
北助松商店街=子供神輿を昭和48年に2基購入し、神輿を乗せるために2トントラック改造の屋台を昭和51年作製し、翌年にもう1台こしらえたが、天皇陛下の病気で中止され、平成になって解体された。神輿は保存されているそうである。

昭和住宅=東助松町2丁目にあたる約50戸の自治会だが、子供布団太鼓を昭和53年に地区の人約30人で製作。長さ3m。幅0.8m。高さ1.7m。桧の担ぎ棒が6本付いて重さは65kg。欄干の四隅は中学生の彫った彫物。制作費は約1万8千円。入魂式またお祭りに宮入りもした。
こうして3年程使われたが、世話をする人が無くなり休止となる。その後この団地は建替えになった。

 ≪泉北郡≫   
 ≪忠岡町≫
忠岡中1−26−3 忠岡神社 10/連休土日 神輿
地車4台 道之町、生之町、仲之町、濱之町
地車廃絶 馬瀬
 ≪2017年の忠岡秋祭り行事予定≫
 ■10月第1日曜
(13:00〜17:00)試験曳き
 ■土曜(宵宮)
(6:00〜7:30)曳き出し
(9:00〜12:00)各町曳行
(13:15〜)パレード出発:仲之町 花野邸前出発
(14:30〜)シビックセンターセレモニー
(19:00〜22:00)各町灯入れ曳行

 ■日曜(本宮)
(9:00〜12:00)各町曳行
(10:00〜)忠岡神社宮入り
(13:00〜17:00)各町曳行
(13:30〜)忠岡駅前集合後、旧・泉繁前で、青年団セレモニー
(19:00〜22:00)各町灯入れ曳行
宮入りは道之町が宮本により、宮壱番にて毎年固定。濱之町、仲之町、生之町は毎年輪番制。
道之町(土倉。東区)⇒地車小屋は忠岡北2−8。隣りはファミリーマート小浦忠岡北店。
=平成25年(2013)9月29日、新調入魂式。大工は吉為工務店(吉野寿久)。彫師は木彫近藤(近藤晃)。
長さ4.19m。大屋根幅2.445m。内幅1.2m。高さ3.783m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:雲に御神紋 「丸に梅鉢」。
懸魚:正面は「雲と波濤、奥に旭日」、後ろは「雲と波濤」。
飛檐垂木:「道」。
地垂木:「獅子」。
桁隠し:「雲」。
桁廻り:「雲」。
桁鼻:正面は「桜」、後ろは「梅」。
車板:正面は「風神雷神」、後ろは「鳳凰」。
小屋虹梁:正面は「仁田四郎 富士に御神体を見る」、後面は「牛上に菅原道真」。
枡組:七段「松、竹、梅、龍、獅子、雲、波、牡丹、ヒジキ(若葉)、コブシ鼻」。
二重枡合:右は「楠公子別れ」、左は「新田義貞 稲村ケ崎 宝刀を奉ず」。
枡合:正面は「静御前の舞」、右は「衣川義経 白龍昇天」、左は「鞍馬山 牛若丸修行の場」、後ろは「忠岡神社」。
横槌:正面は「獅子」、右は「松、梅」、左は「竹、桜」、後ろは「獅子」。
隅出す:「四獣神」。
枡合下がり:左右は「雲中天女」。
枡合天井:「雲に鶴」。
虹梁:「波に千鳥」。
勾欄合:十八面「四季の子供遊びと十二支」。
妻板:「丸に梅鉢に道」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「金太郎と鯉」。
縁板:「花菱」。
縁隅木:「道之町」。
松良:右は「安宅の関」、左は「一の谷合戦 鵯越えの逆落とし」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「義士両国橋引揚げ」、左は「清水一学の奮闘」。
大連子:【源平合戦】正面は「壇ノ浦合戦 碇知盛」、右は「粟津ヶ原 巴御前の奮戦」、左は「宇治川の合戦」。
小連子:【信長記】正面は「桶狭間の合戦」、右は「信長相撲上覧」、左は「藤吉郎槍の長短を争う」。
土呂幕:【太閤記】正面は「関ヶ原に後藤又兵衛 奮戦」、右は「小牧の役 猛将忠勝清正相打つ」、左は「佐久間盛政 秀吉気迫に威圧さる」。
松良受・脇障子受・犬勾欄:「若葉」。
水板:「波に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:雲に御神紋 「丸に梅鉢」。
懸魚:「雲に波濤、奥に宝船」。
隅木:御神紋 「丸に梅鉢」。
隅木受:「龍」。
桁廻り:「雲」。
桁鼻:「菊」。
車板:「国生み」。
小屋虹梁:「天孫降臨」。
枡組:五段「松、竹、梅、龍、獅子、雲、波、牡丹、ヒジキ(若葉)、コブシ鼻」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」。
横槌:右は「松、竹」、左は「梅、桜」。
隅出す:「親子唐獅子」。
枡合天井:「雲」。
台輪:「若葉に伊勢込み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
見送り虹梁:正面は「安芸の宮島 清盛と弁財天」、右は「那須与一 扇の的」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
大脇:「大坂夏の陣」。
大脇物見:右は「藤原景清の錣引き」、左は「平忠度の最期」。
脇障子:右は「岡山口合戦」、左は「炎上 大坂城脱出」。
脇障子物見:右は「護良親王の暗殺」、左は「後醍醐天皇」。
竹の節:右は「恵比寿」、左は「大黒天」。
見送り木鼻:「牡丹に三雀」。
兜桁:御神紋「丸に梅鉢」。
摺出鼻:【七福神】右は「寿老人、福禄寿」、左は「毘沙門天、布袋」。
摺出受:右は「樫井川合戦 塙壇右衛門」、左は「秀忠奮戦」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱」。
後隅木:「道」。
縁葛:正面は「珠取姫」、右は「俵藤太」、左は「浦島太郎」。
水板:「唐獅子」。
半松良:右は「羅城門」、左は「布引の滝」。
旗台:「鍾馗の鬼退治」。


 先々代は明治10年代に制作し大正11年に貝塚市水間に約1700円で売却。
 先代は大正12年(1923)制作。平成24年(2012)11月14日、昇魂式。平成27年(2015)3月1日、搬出。
堺市東堀上に売却決定。現在は隆匠で保管。
大工並びに彫師は櫻井義國。助は一元林峯、小川金平。
昭和58年、池内工務店(池内福治郎)で修復。その時に木下彫刻所より彫物追加。
長さ3、75m。大屋根幅2、29m。内幅1、05m。高さ3、6m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「牛若丸弁慶 五条大橋の出合い」、左は「義経八艘飛び」。
二重枡合上部:右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「大江山四天王」。
大連子:【太閤記】正面は「脱兎の如く逃げる秀吉を追う但馬守」、右は「清正と但馬守」、左は「岩成主税の勇戦」。
縁葛:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「湊川正成本陣」、左は「正成後醍醐天皇を迎える」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「神崎東下り」、左は「赤穂へ早馬」。
土呂幕:【太閤記】正面は「福島市松正則の勇戦」、右は「丹波五郎左衛門の勇戦」、左は「加藤清正の根来攻め」。
見送り、大脇は「難波戦記」。
生之町(生帰。北区)⇒地車小屋は忠岡北2−4−21(北区公民館横)。
=平成33年新調予定。大工は植山工務店。彫師は木彫高濱。
=大正5年岸和田市本町新調。大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。助は櫻井義國。
昭和2年に4000円で購入。平成23年(2011)10月2日、修復入魂式。
以前は平成7年に植山工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「大正天皇即位大礼の図」、右は「仁徳天皇民の竃を見る」、左は「神武天皇東征八咫烏」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:【太閤記】正面は「秀吉中国より馳せ返る」、右は「四方田(四天王)但馬守の強力」。左は「四方田(四天王)秀吉を急追す」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「吉良邸討入り」、右は「小野寺十内の勇戦」。左は「清水一学の奮戦」。
小連子:【士農工商】正面は「農」、右は「士」、左は「工商」。
土呂幕:【太閤記】正面は「加藤清正の勇戦」、右は「堀尾茂助の勇戦」、左は「槽屋助右衛門高名手柄」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「楠木館多聞丸相撲修行の場?」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。


 先代は小型地車で北出に売却。昭和35年頃まで曳かれていたが、廃絶に伴い彫物を分配して現存せず。
仲之町(南区。大正期に西出、南出、下村が合併して成立。)
⇒地車小屋はJAいずみの忠岡支店の裏の筋。
=平成3年(1991)9月1日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下賢治、中山慶春。
長さ4.05m。幅2.48m。高さ4.05m。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
大連子:【義経記】正面は「義経八艘飛」、右は「?」、左は「巴御前の勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「内蔵助義士の勇姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「堀川夜討ち」、左は「石橋山合戦」。
見送り:「難波戦記」。

 往古は3字に分かれており西出、南出に地車があり、西出が仲之町の地車となった。 
 先代は大正2年に制作され櫻井義國が地元の置き土産として無償で制作。長谷工コーポレーションに売却され、同社分譲の貝塚市二色へ。
濱之町(浜塚。西区)⇒地車小屋は忠岡南2−20−7。
=昭和60年制作。大工は吉為工務店(吉野為雄)。彫師は筒井一門。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【太閤記】正面は「大徳寺焼香の場」、右は「大坂城築城」、左は「山崎の合戦」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:【太閤記】正面は「秀吉中国より馳せ返る」、右は「四方田(四天王)但馬守の強力」。左は「四方田(四天王)秀吉を急追す」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「吉良邸討入り」、右は「小野寺十内の勇戦」。左は「清水一学の奮戦」。
小連子:【士農工商】正面は「農」、右は「士」、左は「工商」。
土呂幕:【太閤記】正面は「加藤清正の勇戦」、右は「堀尾茂助の勇戦」、左は「槽屋助右衛門高名手柄」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太閤記】正面は「加藤清正の虎退治」、右は「木村又蔵」、左は「桶狭間の戦い」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代もあり。
 先代は昭和4年制作し高石市元町(4区)へ。現・堺市深井中町西。 
 【地車廃絶】
馬瀬(まぜ)=忠岡町道之町新調に先立ち道之町が地車購入を持ち掛けるが乗らなかった。
子供地車があったが、祭礼で電柱の接触事故があり屋根が破損し昭和35年頃に廃絶と聞く。
高月南3−4 菅原神社 10/連休の日曜 神輿
地車廃絶 昭和40年売却 
高月=忠岡町道之町新調に先立ち道之町が地車購入を持ち掛けので、住民アンケート取ったが反対票が多かったらしい。
昭和15年制作。第二室戸台風で神社境内にあった小屋の屋根が飛んだので昭和40年に岸和田市春木宮川町に約100万円で売却。往時は10/14は所曳き。15日は夜疑神社宮入り。16日は行基参りだった。
 先々代として小型の下地車があったという。知らん間に彫物が無くなるので焼却処分にする。
※忠岡町の地車は廃絶も含めて全て岸和田型地車
 ★展示場
 【忠岡町図書館】
忠岡町忠岡南1−18−17(忠岡町文化会館2階)。玄関に仲之町先代地車の土呂幕。櫻井義國作が展示されている。


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