大 阪 府

 ≪和泉市≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪信太連合≫
王子町無番地 聖神社 10/三連休 神輿 あり
地車9台 宮本町、尾井町、富秋町、上代 、上町、王子町、幸町、葛ノ葉町、太町
所曳き 舞、鶴山台、山ノ谷
宵宮は北信太駅前パレード。
本宮は聖神社宮入り(地車は午前中の曳行のみ)。宮入り順は固定していない。1番〜10番まであり((4番、9番は欠番)神輿当番町は地車での宮入り無し。午後から神輿が各氏地を廻るために地車の曳行無し。
後宮は午前中に王子町、幸町が八坂神社(幸2−13−16)宮入り。午後より連合曳行
 【神輿】
 神輿は文明15年(1483)2/28に作られ大工は穴師の宗重である。かき順は平成元年を基準にすると、
幸⇒太⇒富秋⇒尾井⇒宮本⇒幸⇒上⇒上代⇒王子⇒葛ノ葉の順で、幸は5年に1度、他町は10年に1度神輿のかき番にあたる。
宮本町=平成16〜19年にかけて新調。完成入魂式は19年5月3日。大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原堪水。
長さ3.9m。大屋根幅2.58m。小屋根幅2.4m。内幅1.22m。高さ3.1m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「聖神社社紋」。
懸魚:正面は「御来光」、後ろは「鳳凰」。
車板:正面は「八方睨龍」、後ろは「お花見」。
枡合:正面は「聖大祭本宮」、右上段は「破魔矢」、右は「八岐大蛇」、左上段は「相撲祭」、左は「天の岩戸」、後ろは「小栗街道縁起」。
軒天井:右は「風神」、左は「雷神」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「鍵狐」。
車板:「お月見」。
枡合:正面は「五条大橋」、右は「碁盤忠信」、左は「福原の怪」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「黒田節」。幟台:「白龍昇天」。
勾欄合:「花札」。
松良:【太平記湊川合戦】右上は「楠公子別れ櫻井の駅」、右中は「新田義貞退却」、右下は「足利尊氏船戦」。
【太平記 千破剣城合戦】左上は「警鐘、ほら貝」、左中は「組討、岩落し」、左下は「鎌倉幕府武者」。
縁葛:右前は「長政と市」、右後ろは「甕割り柴田」、左前は「桐一葉」、左後ろは「猛将清正」。
大連子:正面は「信玄、謙信川中島に激突す」、右は「鈴木孫一、雑賀衆を率いる」、左は「鬼玄蕃、賤ヶ嶽に幻を追う」。
小連子:正面は「石田三成、裏切者に信を問う」、右は「道三入道、うつけ信長を覗く」、左は「五右衛門、伏見城に忍び入る」。
土呂幕:正面は「関ヶ原大脱出 島津の退き口」、右は「本能寺炎上 忠臣光秀の謀反」、左は「日本一の兵 独眼龍に六文銭」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「与一扇射ち」、左は「嗣信の忠節」、中央は「義経八艘飛び」、奥は「知盛大碇潜」。
見送り虹梁:【源平縁起】正面は「弁慶闘鶏占い」、右は「義経弓流し」、左は「景清錣引き」。
脇障子:【一の谷の戦い】右は「重忠鵯越え」、左は「景季生田森」。
大脇物見:【両軍総大将】右は「鎌倉殿」、左は「清盛卿」。
大脇:右内は「義仲火牛計」、右外は「巴御前勇戦」、左内は「毛染め実盛」、左外は「宇治川駈け」。
摺り出し鼻:【御伽草子】右内は「大江山 坂田金時、鬼退治」、右外は「大江山 頼光を追う鬼首」、左内は「羅生門 娘着物を盗む鬼婆」、左外は「羅生門 渡辺綱、鬼婆討伐」。
摺り出し受け:【義経都落ち】右は「安宅の関 偽勧進帳」、左は「安宅の関 弁慶義経を懲打す」。
後連子:【義経都落ち】正面右は「衣川合戦 弁慶立往生」、正面左は「衣川合戦 義経自刃」、右は「堀川夜討ち」、左は「船弁慶」。

 先々代は明治10年代に粉浜が新調。購入後に提灯屋(傘屋)の隠居が巻き込まれる事故のため2年しか曳かずに堺市毛穴に売却。下田を経て現・堺市うぐいす谷。その2年後に次の地車購入。

 先代は堺型。明治期の作。昭和7年に岸和田市岡山町大西小路より購入。堺市高蔵寺へ。大工は堺の地車大工?。彫師は彫又一門。
脇障子は「楠木正成」。見送りは「武松虎退治」。
尾井町⇒鎮守は旧府神社。地車小屋も境内にある。
岸和田型。明治2、30年代岸和田市大手町新調。大工は大崎吉造。彫師は宮地弥津計、安田卯ノ丸。
大正10年〜平成12年5/7までは泉佐野市上瓦屋。
搬入は平成14年(2002)5/26搬入。6/2購入入魂式。
購入に先立ち大下工務店で大屋根、小屋根、台木などは新調。見送りなど彫物を木下彫刻工芸で追加という大修復。長さ4、05m。屋根幅2、45m。内幅1、15m。高さ3、75m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面(上)は「平清盛 落日を呼び戻す」、(下)は「葛の葉、子別れの場」、
 右(上)は「西南戦争?か日清戦争?」、(下)は「?」、左(上)は「布引の滝 小桜責め」、(下)は「大江山酒宴の場」、
 後ろ(上)は「平景清 錣引き」、(下)は「森蘭丸、光秀を徴打す」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打」。
縁葛:「唐子千人遊び」。
大連子:正面は「忠信 碁盤投げ」、右は「雀の森 初代を戦う?」、左は「檜木山 相馬大作」。
小連子:正面は「山崎の先陣を争う」、右は「小西行長、初めて筑前守に謁見す」、左は「安国寺恵慶 秀吉の陣を訪ねる」。
土呂幕:正面は「後藤又兵衛 明智勢を討つ」、右は「?」、左は「秀吉本陣 佐久間の乱入」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面(上)は「神功皇后応神天皇平産す」、(下)は「源頼朝 鶴岡八幡宮放生会」、
 右(上)は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、(下)は「山口佐馬之介・後藤又兵衛、秀頼謁見の場」、
 左(上)は「常磐母子 都落ち」、(下)は「薄田隼人 小幡勘兵衛を召捕る」。
 ≪見送り廻り≫
脇障子:右は「加藤清正の雄姿」、左は「福島市松の雄姿」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 初代?は新・地車購入につき山ノ井の蔭涼寺横の倉庫に保存され昭和22、3年に黒鳥の立石氏に売却。
 先々代は昭和10年頃に堺市原田より購入し、戦後幸町の田口氏に売却し、聖ヶ丘の酒田さんの隣の原っぱに放置していた地車を下伯太が購入。さらに太鼓正に売却された。
 先代は堺型。昭和38年に6年ぶりの地車復活のために高石市綾井西より購入。神戸市東灘区中御影(柳)に売却。ただし獅噛みは東京・府中市寿町。
富秋町=岸和田型。平成13年(1991)5月3日収納。5月27日、購入入魂式。搬入に先立ち大下工務店で修復。
昭和7年に岸和田市下松町新調。大工は岩出秀吉。彫師は上間庄平。助は息子貫冶、敦美兄弟 等。
長さ2.68m。内幅1.33m。高さ3.55m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「川中島の合戦」、右は「頼朝の朽木隠れ」、左は「碁盤忠信」、後ろは「楠公子別れ 櫻井の駅」。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」、右は「本能寺の変」、左は「鞍馬山の烏天狗」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は楠木正季奮戦 大森彦七を討つ」、右は「巴御前の勇戦」、左は「加藤清正 新納武蔵守との血戦」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 初代は上地車で解体し車輪などは売却する。
 先代は大正末期〜昭和初期にかけて伯太の業者を通じて堺市百舌鳥赤畑町の地車を購入するが、鳥居をくぐれないので当初より小さくした。
大工は河村新吾か?彫師は彫又一門。
平成11年12月5日、昇魂式して平野区加美北東に売却。
上代⇒地車小屋は平成21年7月建造。
=平成22年8月29日、新調入魂式。岸和田型。大工は地車製作隆匠(田中隆治)。
彫師は高濱輝夫、筒井伸、 近藤晃、片山晃、山本仲伸、前田暁彦。桝合の「斎庭の稲穂」は井波の澤師の作。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に聖神社紋」。
懸魚:正面は「波に御来光」、後ろは「波濤」。
枡合:【古事記】正面は「天地創造 別天津神」、右は「天孫降臨」、左は「天の岩戸」、後ろは「斎庭の稲穂」。
隅出:【三角縁四神四獣鏡に刻まれている図柄】右は「東王父」、左は「西王母」、後右は「黄帝」、後左は「拍牙」。
木鼻:「三角縁四神四獣鏡を抱く獅子」。
 ≪腰廻り≫
松良:【平家物語】右は「粟津合戦 巴御前の雄姿」、左は「宇治橋の合戦 丹馬、明秀、一来法師」。
縁葛:【椿説弓張月】正面は「源為朝昇天」、右は「足利義康の書状と安着の狼煙」、左は「讃岐院 源為朝を救う」。
大連子:【太平記】正面は「大塔宮般若寺に危機を免れ給う」、右は「義貞船田入道 天龍川を飛び越える」、左は「新田四天王勇力の場」。
小連子:【太平記】正面は「北条高時妖魔に誑かされて舞謡う」、右は「泣き男左兵衛 足利軍を欺く」、左は「名越遠江入道 同兵庫助の叔父甥双六賽の場」。
土呂幕:【義経千本桜】正面は「大物浦 平知盛の最期」、右は「大物浦舟合戦 平知盛義経に恨みはらさん」、左は「川連法眼館覚範(平教経)を蹴散らす忠信」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に聖神社紋」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
枡合:【神功皇后縁起】正面は「武内宿禰 大牛を投げる」、右は「安雲磯良出現」、左は「武内宿禰 弓を討ちて大岩を砕く」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「義経 鵯越え」。
見送り虹梁:【大江山】正面は「大江山 酒盛りの場」、右は「頼光 木渡り」、左は「大江山 酒呑童子を討つ」。
脇障子:【平家物語】右は「西ノ門突破」、左は「二度懸け 梶原景時」。
摺り出し鼻:右は「鷲尾三郎」、左は「畠山重忠」。
大脇:【一の谷の合戦】右は「義経、弁慶、熊谷次郎直実」、左は「岡部六弥太郎忠澄、薩摩守平忠度」。
 ≪後腰廻り≫
連子:【通俗漢楚軍談】正面右は「張良、下鄙にて黄石公に遭う」、正面左は「襄紗の謀りごと、韓信、龍租を斬る」、右は「辛奇、韓信に遭いて虎を斬る」、左は「鴻門の會 樊?俳を闥す」。

 四先代は江戸期よりあったが、明治末期に喧嘩で壊れ7円で売却。
 三先代は泉大津市北曽根より380円で購入するが、大正13年に375円で堺市檜尾字西之側(現・檜尾)に売却。現・兵庫県尼崎市築地本町三丁目(本三)へ。
 先々代は伯太の業者より背の高い細長い地車を購入するが、昭和27年の祭礼時にバックで某町の太鼓をやぶってしまい、某町が怒って壊してしまったらしい。
 子供地車が 地車復活まで出た。まず、昭和53年に木材会社が作った子供地車を借りてきて祭礼の復活。
翌54年に地元の大工谷上博夫氏初め友人の谷上章芳氏(送電関係)、辻中健二氏(車軸や車の部分)がそれぞれの技術を活かし制作する。
先代地車購入の前年に新興町の新尾井に嫁入り。
 先代は折衷型 。昭和62年(1987)7月26日、新調入魂式。大工は池内福治郎。彫師は中山慶春。現・河内長野市片添へ。
上町=岸和田型。平成元年(1989)6月30日、新調入魂式。大工は池内工務店(池内福次郎)。彫師は中山慶春。
土呂幕:正面は「川中島の合戦」、右は「脇坂甚内 赤井景遠を討つ」、左は「山崎長門守の奮戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 大佐の「地車請取帳」には大正14年(1925)10月に「泉北郡信太村大字上 古地車買ニ来ル」とある。
 先代は昭和初期に堺市小阪2代目堀内武内より購入。昭和62年の祭礼後に、500万円で東大阪市中新開130にある水滸伝チェーンの“楽車”に売却され店の目玉として陳列されたが、大下工務店に買い戻され、修復され大阪市生野区・生野八坂神社へ。
王子町=岸和田型。平成9年(1997)9月23日、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
平成16年、大下工務店で修復。
長さ4m。幅2.5m。高さ3.845m。重量約4トン。
桝合:「太平記」の統一彫。
番号持ち:「日本武尊」。
土呂幕:正面は「源頼朝 朽木隠れ」、右が「巴御前の勇戦」、左が「源義家安部貞任を追う」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代は昭和22年府中南之町より上地車を購入。昭和38年に解体され、町営の風呂のたき物にする。

 先代は昭和41年8月に八尾市某所より購入。平成9年6月1日、曳き納めし、大阪市平野区加美正覚寺へ。
幸町=岸和田型。平成2年(1990)5月30日、購入入魂式。
大正2年(1913)岸和田市春木北新調。同市藤井町(昭和22年〜平成2年)を経て購入。
大工は別所勝之助。彫師は西本舟山。
長さ3.75m。幅1.38m。高さ3.25m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「敦盛呼び戻す熊谷直実」、左は「司馬温公の瓶割り」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「安倍晴明」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「佐久間玄蕃の勇戦」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤清正の勇戦」。
土呂幕:正面は「薄田隼人徳川本陣討入り」、右は「荒川熊蔵本多出雲守と戦う」、左は「真田幸村徳川家康を追う」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
 
 先々代は900円で購入するも、新地車を欲する若衆により、昭和10年頃の祭礼の10/6の23時頃に小栗街道より下の田んぼに投げ込み真っ二つに割れた。大和だんじりと云われる。当時の地車小屋は旭神社境内だった。
 先代は昭和11年10月に岸和田市別所町の大工より購入。経路は岸和田市中北町新調(明治30年代作)⇒熊取町大宮⇒幸町。幸町では昭和63年まで曳行。野ざらしで放置され彫物を盗られ修復不能の状態になり、遂に平成3年7月初旬の平日に解体処分となる。
葛ノ葉町=岸和田型。平成11年(1999)3月28日、購入入魂式。
岸和田市額町(北額)より購入。大正11年に貝塚市畠中新調。
大工は絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。昭和49年、植山義正が修復。彫物は木下賢治が新たに刻む。
平成27年10月4日、修復入魂式。大工は大下工務店。彫師は前田木彫工房。土台の新調、旗台、番号持ち など。
長さ3.6m。大屋根幅2.3m。内幅1.34m。高さ3.6m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「曽我五郎大磯驀進」、右は「曽我兄弟祐経陣屋討入り」、左は「曽我十郎の雄姿」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「白狐」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅の関弁慶義経懲打」。
縁葛:【太閤記】正面は「秀吉追う四方田但馬守」、右は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、左は「?」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「福島市松 拝郷五左衛門を討つ」、右は「桜井佐吉の奮戦」、左は「片桐助作功名の場」。
小連子:【尼ケ崎危難の場】正面は「秀吉を追う四方田但馬守」、右は「秀吉茶坊主に化け難を逃れる」、左は「太郎助瓜を献上」。
土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「脇坂甚内の勇戦」、左は「佐藤内蔵助の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「児島高徳桜木に歌を詠む」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【桶狭間の合戦】「前田犬千代の血戦」。
 ※昭和49年の大修理で改作。


 先代は大正3年10月4日に野田村より100円で購入(南野田と思われる)。平成10年12月6日、曳き納め。富田林市加太へ。
太町=岸和田型。平成13年(2001)9月2日、新調入魂式。
大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下彫刻工芸。
長さ4.15m。大屋根幅2.46m。高さ3.8m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「夫婦岩に旭日」、後ろは「波」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は神武天皇東征」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「えべっさん」。
旗台:「獅子噛」。
縁葛:正面は「信太城合戦」、右は「承久の乱」、左は「元弘の乱」。
大連子:正面は「桶狭間」、右は「本能寺の変」、左は「姉川の合戦」。
小連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松拝郷五左衛門を討つ」、左は「加藤嘉明浅井吉兵衛を討つ」。
土呂幕:【大坂夏の陣】正面は「真田幸村家康本陣急襲」、右は「真田軍伊達政宗と戦う」、左は「後藤又兵衛・木村重成の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
枡合:正面は「七福神」、右は「野火の難」、左は「野見宿禰当麻蹴連を蹴殺す」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂冬の陣」。

脇障子:右は「真田幸村」、左は「大野冶長」。
大脇物見、脇障子物見は「龍と獅子」。

 先々代は昭和初期に小阪方面より箱だんじりを購入。老朽化で解体したが、一部の彫物は次の地車に使われた。
 地車の無い間は子供会による樽神輿。
 先代は昭和42年に高石市7区より8万円で購入。平成12年4/2曳き納めし柏原市今町へ。
 【所曳き】
=簡易型地車。平成5年堺市菱木白木より購入。昭和56年(1981)制作。大工は浜田憲一。彫物は木下彫刻所。
購入年のみ宮入りした。曳行コースは自町のみの短距離。
 先代は高石市土生より軽自動車ベースの子供地車を購入した。

山ノ谷=子供地車
。2代目。
 先代は平成元年9/24入魂式。制作者は村の坂上氏
。山ノ上の尾井の飛び地にあたり、神輿当番の年は尾井として一緒に担ぐ。

 ≪松尾連合≫
春木町615 春日神社 10/連休土日 神輿
地車1台 岸和田型
※戦前は午前中に南松尾村(春木、久井、春木川、若樫、松尾寺)、午後に北松尾村(内田、唐国、箕形、寺田)の地車が宮入りしたが、戦後は各村の神社に復社した。
春木=岸和田型。昭和10年(1935)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎。助は石田利郎 等。
この地車は岸和田の某町の新調の物だったが小さいとキャンセルしたのを購入したと伝えられる。町内に搬入された当時、番号持ちは「宮?番」と書かれた物であったので、五軒屋町発注分。もしくは宮本町発注分と思われる。
平成20年3月2日、修復入魂式。北本工務店で修復。その以前は平成10年、天野工務店で大修理。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社紋」。
懸魚:正面は「浜千鳥に旭日」、後ろは「波濤」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神功皇后 応神天皇平産す」、後ろは「物見の兵」。
二重枡合:「雑兵物語」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山酒盛りの場」、左は「大江山頼光の木渡り」。
縁葛:三面とも「雑兵物語」。
大連子:正面は「生田の森 箙」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
小連子:正面は「日吉丸 小六矢矧橋の出会い」、右は「藤吉郎 小牧山の樹木を算う」、左は「日吉丸の子守り」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「巴御前の勇戦」、左は「薄田隼人の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「顔世御前 鶴ヶ岡社頭兜改めの場」、右は「太田道灌 山吹の意」、左は「常盤御前 都落ち」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。(平成10年7月吉日と銘があり)。
竹の節:「唐獅子」。

 三先代は小さな舞台付き地車で数名の踊り子を乗せて曳いていたが老朽化のため使えなくなった。
 先々代は提灯台で練り歩いたが、大正期に電線が通りひっかかるので廃棄し、その後しばらく神楽をした。

 先代は昭和初期に河内より中古地車を購入するが、室戸台風で小屋、地車ともに破壊され廃棄処分。
箕形5−1 八坂神社 10/連休土日 神輿
地車1台 岸和田型 
箕形=平成14年(2002)10月6日、新調入魂式。約40年ぶりの復活。
大工は北本工務店(北本信広)。同師の出世地車。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4.135m。大屋根幅2.48m。内幅1.2m。高さ3.85m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に神社紋」。
懸魚:正面は「旭日に波、千鳥」、後ろは「波」。
車板:前は「頼光の木渡り」、後ろは「大江山出陣」。
飛檐垂木は「神社紋」。
地垂木は「阿吽の獅子」。
隅出す:「七福神」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「大国主命」。
二重枡合:「神話伝説」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「波濤に波千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「布袋」。幟台:「瓢箪」。
松良:右は「鵯越え」、左は「若木桜の高札」。
縁葛:正面は「清洲登城」、右は「桶狭間の合戦」、左は「姉川の合戦」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「巴御前の奮戦」、左は「宇治川先陣争い」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「本能寺の変」、左は「加藤清正新納武蔵守の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波 奥に浦島太郎」。
車板:「酒盛りの場」。
飛檐垂木:「神社紋」。
地垂木:「獅子・獏」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
枡合:正面は「鞍馬山牛若の修業の場」、右は「五条大橋の出会い」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出し受、摺出し鼻は「川中島の合戦」。
見送り虹梁:正面は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
大脇物見:右は「如意輪堂の場」、左は「櫻井駅の別れ」。
竹の節:「風神雷神」。

 三先代もあり。
 先々代は大正初期に岸和田より中古の堺型地車を購入と伝わるが、大佐の「地車請取帳」に「泉北郡北松尾村大字箕形 大和由松 様」とあるので、
実は大佐より購入か。
 先代は昭和24、5年頃新調。岸和田より中古地車購入と言う説もあるが、昭和40年頃まで曳行するが事故のため野ざらしとなり、同市東泉寺に売却。
唐国3−10−4 菅原神社 10/連休土日 神輿
地車1台
唐国=岸和田型。平成13年(2001)8月26日、新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。
長さ4.1m。大屋根幅2.44m。内幅1.18m。高さ3.76m。
彫物は【太閤記】の統一彫り。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「開雲旭日」、後ろは「波濤」。
車板:正面は「雲に鳳凰」、後ろは「雲」。
飛檐垂木・地垂木は「扇垂木(梅鉢紋)」。
枡合:正面は「菅原道真公 北野天満宮」、右は「秀吉関白に任ぜられる」、左は「秀吉 養子秀次を蹴飛ばす」、後ろは「藤吉郎 織田信長に仕える」。
二重枡合:右は「秀吉、大黒天の像を破り捨てる」、左は犬猿の仲」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:「浜千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「太閤さん」。
勾欄合:「太閤記」。
松良:右は「加藤清正 虎退治」、左は「加藤清正 山路将監を討取る」。
縁葛:正面は「清洲会議」、右は「小田原城攻め陣中」、左は「佐々成正の平伏」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉に拝謁する七本槍」、右は「福島市松正則 拝郷五左衛門隊を追討」、左は「糟谷武則 宿屋七左衛門を討つ」。
小連子:【太閤記】正面は「秀吉大奮戦」、右は「尼ケ崎の難」、左は「墨俣一夜城作り」。
土呂幕:正面は「藤吉郎富士川の初陣」、右は「加藤清正 新納武蔵守の血戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
水板:「波濤」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波濤に龍」。
車板:「雲に朱雀」。
飛檐垂木・地垂木:「梅鉢紋」。
隅出す:「唐獅子」。
枡合:正面は「家康 秀吉に臣下の礼」、右は「大坂城完成」、左は「石川五右衛門 秀吉の命を狙う」。
二重枡合:右は「藤吉郎、お市方救出」、左は「伏見の大地震」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出しは「賤ヶ岳の合戦」。幟台は「力神」。
摺出し鼻:右は「桜井佐吉の奮戦」、左は「石河兵助の奮戦」。
虹梁:正面は「日吉丸、小六矢矧橋の出会い」、右は「日吉丸誕生」、左は「日吉丸、光明寺の場」。
木鼻:「唐獅子」。物見は「花鳥」。竹の節:右は「阿形像」、左は「吽形像」。

 ≪後腰廻り≫
後縁葛:正面は「聚楽行幸の行列」、右は「北野の大茶会」、左は「醍醐の花見」。
後連子:正面は「本能寺の変」、右は「秀吉、本能寺の訃報を聞く」、左は「山崎の合戦、逃げる光秀」。

半松良:右は「軍師、竹中半兵衛」、左は「軍師、黒田官兵衛」。
後水板:「波濤」。
幟台:「力神」。


 初代もあった。
 先々代は明治30年代初期に堺市上之より購入するが、明治末期に解体して彫物等をセリ市にして売却。
 先代は大正3年頃に堺市上石津より380円で購入。12代大佐作の地車だった。
平成11年11月21日、昇魂式。羽曳野市鍛冶町へ売却。1年休止して新地車へ。
内田3−1−47 内田春日神社 10/連休土日 神輿
地車1台 岸和田型
内田=平成20年(2008)9月15日、新調入魂式。大工は(有)隆匠。彫師は木彫岸田(岸田恭司)。
長さ4.36m。大屋根幅2.47m。内幅1.212m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「波濤に御来光」、後ろは「波濤」。
車板:正面は「阿吽の龍」、後ろは「鳳凰」。
飛檐垂木・地垂木は「社紋(下がり藤)」。
枡合:正面は「静御前の舞」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「醍醐の花見」、後ろは「熱田神宮戦勝祈願」。
二重枡合:右は「龍の首を掴む仙人」、左は「龍を助ける仙人」。
枡合天井:」雲に鳳凰」。
木鼻:「軍配、米俵、瓢箪、小槌、鞠、親子」。
虹梁:「波濤」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「天児屋根命(春日神社祭神)」。
勾欄合:「花鳥物」。
松良:「一の谷の合戦」。
縁葛:正面は【源平盛衰記】「黄瀬川の対面」、右は【太閤記】「秀吉屈辱を耐える」、左は【信長公記】「信長の命で秀吉を打つ蘭丸」。
大連子:正面は「奥州高館合戦」、右は「石山大合戦」、左は「本能寺の変」。
小連子:正面は「義経・梶原の激論」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「墨俣一夜城作り」。
土呂幕:正面は「一の谷の合戦」、右は「賤ヶ岳の合戦」、左は「美濃国の合戦」。
水板:「波濤」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「波濤に宝船」。
車板:「七福神」。
飛檐垂木・地垂木は「下藤紋」。
隅出す:「親子獅子」。
二重見送り:「難波戦記」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺出し受けは【家康公記】「関ヶ原の合戦」。
摺出し鼻:「鶴の恩返し」。
天井:「格天井に雲と十二支」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「花菱」。
縁隅木:「町名 平に春日神社御神紋下藤」。
後縁葛:「花菱に猿の伊勢込み 中央に下藤」。
後連子:【太平記】正面は「鎌倉合戦」、右は「千破剣城合戦」、左は「燈明寺畷合戦」。
後半松良:右は「金太郎(吽)」、左は「金太郎(阿)」。
後水板:「波濤」。
幟台:「三上戸の達磨(笑・怒・泣」。


 先々代は久保惣の尽力か?かなり大きい上地車で大正初期には既にあり。上町に売却されるが、一度も曳かれることも無く放火され焼失。
 先代は岸和田型。昭和元年制作説と4年説。そして昭和元年制作、4年購入説がある。この地車は植山の仕入れ地車で、一説には岸和田の大工町また五軒屋町が発注したが、諸事情で破談になった地車を昭和4年購入したとも云われる。大工は植山宗一郎。彫師は当時の若手の木下舜次郎、松田正幸。
昭和53年、大常工務店で修復。この時の彫師は松田正幸。同年10月2日、入魂式。
平成18年(2006)10月9日(祭礼の翌日)昇魂式。10月10日、搬入。10月13日、和歌山県橋本市御幸辻での購入入魂式。
久井 八幡神社 10/連休土日 神輿
地車1台 岸和田型
岸和田型。明治末期〜大正初期に岸和田より購入。大工は不詳。彫師は宮地弥津計?。事故により昭和40年頃より休止。
平成10年(1998)8/30に入魂式。これは池内工務店により大修理により34年ぶりの復活である。その時に屋根周り見送りなどの彫物を新調。彫師は木下彫刻工芸。
土呂幕:正面は「薄田兼相隼人正 猛将の奮戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」。
見送りは「大坂夏の陣」。


 新調に先立ち町内の大工、寺本順一師が子供会の依頼を受け、町会より材料費約120万円の提供を受け子供地車を制作。高さ3m。幅2m。
この子供地車は数年曳かれ、若樫に行き春木町から来た町内地車と組み合わされ1台として曳かれた。
若樫658 春日神社 10/連休土日 神輿
地車1台 岸和田型 
若樫地車小屋は平成16年完成。
=岸和田型。平成29年(2017)9月3日、購入入魂式。
堺市毛穴新調。昭和58年(1983)10月4日、新調入魂式。完全完成61年(彫物入替え)。
大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は中山慶春。助は木下賢治。本体は約4000万円。高さ3.7m。長さ3.65m。
大屋根枡合:正面は「天の岩戸開き」。
土呂幕は?。
見送りは「難波戦記」。新調時は「大坂夏の陣」。
往古は大正中期に電線で担げなくなるまで提灯台を担いだ。
地車の購入は松尾寺と同時期と聞くので大正8〜10年頃か?
若衆が新調を願ってわざとこかしてそのまま廃絶となったとも昭和9年(1934)9/21の
室戸台風により地車小屋と一緒に倒壊しそのまま廃絶となたともいう。
 町内地車は平成8年に春木町の農業東野吉治さん(62)の制作。同年町に寄贈。その後若樫町に譲渡。
 また久井より子供地車も頂戴し、組み合わされ1台として曳かれた。現・地車購入につき、高石市西取石7丁目に譲渡されその年は曳かず翌年より曳行。
 先代地車大工は植山工務店(植山義正)。彫師は木下舜次郎。
経路は昭和33年(1958)
かまぼこの「別寅」の社長が孫が生まれた事を祝って個人で植山工務店へ発注、製作されたもの。その為”別寅だんじり"と呼ばれていた。
自町の貝塚市新町の地車として曳行を希望したが町会の了解を得られず。有志によって曳行されるも、35年頃に貝塚駅前で転倒事故起こし休止となる。
⇒昭和40年ごろ岸和田市小松里町(約70万円で購入)⇒平成元年泉州健康センターリバティー⇒平成13年堺市の小松工務店⇒平成14年和泉市若樫町の有志がリースで曳行⇒平成15年(2003)9/28、和泉市若樫町が地車購入。平成17年(2004)10/2、入魂式。

平成29年(2017)5月28日、昇魂式。現在は泉大津市某所で保存。 
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「波濤に千鳥」。
飛檐垂木:「梅鉢紋」。
地垂木:「梅鉢紋」。
桁鼻:「獏」。
隅出:「牡丹に親子唐獅子」。
横槌:正面右は「竹に雀」、 正面左は「梅に鶯」 左平前は「松に鷹」、 左平後は「竹に雀」、 右平前は「松に鷹」 右平後は「梅に鶯」。 
車板:正面は「舟に乗る象」。 
小屋虹梁:正面は「雲に鶴」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「神官」。
勾欄合:「花鳥」 。
縁板:「花菱」。
縁隅木:「若樫」。
松良:【大江山】右は「頼光木渡り」、左は「大江山 酒宴の場」。
縁葛:【富士の巻狩】正面は「頼朝本陣 報償の場」右は「狩場風景勢子等の活躍」、左は「仁田四郎 猪退治」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛を呼び戻す 熊谷次郎直実」、右は「八幡太郎義家 貞任を追う」、左は「木曽義仲の最期?」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「村上喜劍 内蔵助を足蹴にする」、左は「吉良邸討入り 内蔵助陣太鼓を打つ」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守相討つ」、左は「巴御前の勇戦」。
松良受:「コブシ」。
兜桁:「蔦柏紋」。
脇障子受:「コブシ」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「浦島太郎」。 
車板:「司馬温公の瓶割」。
小屋虹梁:「雲に鶴」。
桁鼻:「獏」。
地垂木:「梅鉢紋」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
横槌:後正面右は「竹に雀」 後正面左は「梅に鶯」。  
 ≪見送り廻り≫
二重見送り:「本能寺」。
見送り虹梁:正面は「近江の国の勇婦於兼」、右平は「牡丹に唐獅子」 左平は「牡丹に唐獅子」。
見送り虹梁木鼻:右は「唐獅子」、左は「唐獅子」。 
大脇竹の節:右は「逆立ちする唐獅子」、左は「逆立ちする唐獅子」。
大脇物見:右は「牡丹に唐獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
脇障子竹の節:右「蔦柏紋と青海波彫り」、左は「蔦柏紋と青海波彫り」。
脇障子兜桁:右は「金型彫りと蔦柏紋」、左は「金型彫りと蔦柏紋」。
見送り:「難波戦記」。
 ≪見送り腰廻り≫
縁板:「花菱文様」。
後縁葛:三方は「青海波に唐草伊勢込み」。
後連子:「雑兵物語」。
水板:「波濤」。
幟台:「獅噛み」。

松尾寺2168 春日神社 10/連休土日 神輿 あり
地車廃絶  
神輿=制作時期、作者等も不詳。またいつまで使われたのも不明。また松尾寺町のものか松尾寺のものかも定かではないが、今でも松尾寺には神輿が保管されている。また松尾寺境内にはその神輿を洗う時に神輿を置いていた石があり、その石の事を「お旅石」と呼んでいる。
地車=大正8〜10年頃に尼崎から船で岸和田まで来た。一説によると岸和田祭りの宵宮に着たので岸和田祭りに参加したという。
追記として尼崎港から舟で搬送され岸和田祭りの宵宮に岸和田港に着き、そこから南町の大弥三こと田端親子の作業場に運ばれ手直しされた後、松尾寺に納入されたようだと連絡を頂きました。
この6つコマの地車は地車小屋が第二室戸台風で壊れ別の場所に移転してから2,3年は曳いたという事から昭和39年頃が最後の曳行か?。そして三重の古物商松谷氏に5万円で売却。同氏は村で解体しいい彫物は持って帰り、それ以外は村の人で分けた。

 ミニ地車は昭和59年、当時の町会長が大工なので作り、幼児たちが曳いた。バス停から出発し春日神社で宮座の十人衆が出迎えた。2、3年は曳かれたが今は出ていない。
春木川 八雲神社 10/連休土日 神輿
地車1台
春木川=岸和田型。平成17年(2005)9月25日、購入入魂式。元・泉佐野市長滝東ノ番の地車を大下工務店より購入。
購入前の平成16年11月にこの地車を購入するかどうかをテスト曳行している。
明治16年天王寺で370円で新調。大工は絹井嘉七。彫師は寺田卯ノ松。
経路は岸和田市磯之上町⇒泉南市兎田⇒泉佐野市長滝東ノ番。(明治44年5/11に75円で購入。〜昇魂式は平成15年10/13)。⇒春木川へ。
大連子:「源平盛衰記」。
小連子:「富士の巻狩り」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎と高井三郎の血戦」、右は「木曽義仲の最期」、左は「巴御前の勇戦」。
虹梁:「源平合戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代地車
(堺型)は八雲神社に昭和21年に墓の前の地車小屋から『だんじり恵比寿』に祭り上げられた説と道路改修で地車小屋がひっかかるので、当時の町会長が『だんじり恵比寿』に祭り上げられた説がある。後者の場合は道路改修記念碑より昭和39、40年にあたる。この地車は大正初期(12年説もあり)に伯太の業者より購入。彫師は彫又一門。見送りは正面は「大鷲退治」。左右は欠損。
春木川の言い伝えに
宮入り時に地車に「鍬、木刀、鉈」等、その他もろもろ”凶器”になるものを地車に積み込み春木春日神社へ行き、境内にて大暴れし他村よりかなり恐れられていたらしい
 その勢いはとどまらず、山を越え包近町あたりまで地車を持っていき、同じくそこで大暴れし、疲れて地車を持ち帰れず、馬に引かせて自町まで帰ってきたそうです。
 地車が無いので、子供地車を平成元年の役員でもある府職員の方の手作りで出した。当時は子供会主催。

この子供地車は平成18年(2006)5月14日、昇魂式され同日、藤井寺市大井へ搬出。その後藤井寺市沢田へ。さらに和歌山県橋本市の某グループへ。
 ≪その他の地区≫
三林町591 春日神社公式HPへ 10/連休土日 南池田地区=和田、三林、黒石、万町、浦田、鍛冶屋、納花、平井、国分  
北池田地区=池田下町〔中村、泉財、久保出、山深、願成〕、室堂、伏屋
※池田谷の総鎮守にあたり、南池田村全域と北池田村全域である。往古は南池田村にも地車があったが、明治〜大正初期に祭礼時に納花と他村(三林?)の若衆が上林(現在のサンライフ周辺)で喧嘩になり、止めに入った巡査を袋叩きにあわせ制服を裂かれ、あげくの果てに槙尾川にほりこんだ。そこで怒った巡査がサーベルで納花の世話人の小林信太郎氏(昭和21年。76歳で死去)の太股や眉間の上を刺した。そういう“地車騒動”で南池田村は地車が禁止になり、北池田村も地車を個々に曳いていたが、 昭和10年代に廃絶。しかし昭和50年代になって子供会主体の子供地車、町内地車が各地に誕生したが、徐々に衰退し、平成25年には三林、納花、国分と3台宮入りしたが、平成27年(2015)は国分1台のみである。
 【南池田地区】
三林=子供地車。昭和55年制作。大工は吉野為雄。彫師は木下賢治一門。
宮入りは平成25年が最後。
 購入以前は樽みこし。往古は御林、川中、上林の三地区合同で地車曳いていた。南池田村で禁止になったので伯太の業者に売る。

川中=町内地車。昭和56年制作。
 以前は神輿を担いだ。


納花(のうけ)=平成22年(2010)11月7日、搬入。この時に搬入したトレーラーに載せて先代搬出して国分へ。
平成27年(2015)の掲示板には、役員不足と少子化のため、今年は地車は曳きませんと貼られていたという。
 昭和57年堺市深井中町が「太鼓正」より購入の町内地車。その後、深井中町西⇒高石市土生⇒納花へ。
 往古の地車は明治37年以前に堺市上之の豊西太吉氏が納花より購入し村に寄贈。地車新調に伴い池内工務店の下取りに使われ、昭和58年頃、室堂町の個人が地車を購入して寄贈しようとするが受け取ってもらえなかったと聞く。
 先々代地車は明治37年岸和田市本町(先々代)を購入するが、地車騒動で南池田村で禁止になり、解体して売却。
 先代は町内地車。昭和50年代制作。大工は村の中村氏。現・国分。

平井=町内地車。現在は曳いていない。

国分=平成22年(2010)11月7日搬入。町内地車。昭和50年代に納花新調。大工は納花の中村氏。
 先代も町内地車。
 【南池田地区で廃絶の町】
和田地車騒動で南池田村で禁止になり焼却処分にする。

黒石=明治初期まであったが、若衆が壊して焼いてしまう。その後馬力に飾り物を付けたものを曳いたが、昭和初期に廃絶になる。

鍛冶屋=明治2,30年代生まれの故人の言い伝えで“若い頃に地車乗った”というのがある。
また俗謡で“鍛冶屋の地車よく走る。浦田のようどの門までも でこちん でこちん♪”というのがある。なお、ようど=浦田の枝郷に住んでいる人名。 でこちん=はげのおっさん。 という意味である。
 【北池田地区の池田下町】
中村子供地車は大下工務店作の本格派。
先代は昭和52年に作られ現在は岸和田市河合町の山麓苑(焼肉屋)に飾っている。
 地車は岸和田より購入するが、大正初期に泉大津市千原方面に売却。

泉財子供地車は昭和54年に吉為工務店(吉野為雄)作の本格派。
 地車は昭和7,8年に堺方面より購入。菱木山田まで迎えに行ったと云う。しかし当地では1,2回しか曳けず地車小屋内で老朽化で自然解体。なお昭和初期には当地区しか地車がなかった。

久保出子供地車は昭和53年に河合建設(市役所裏)の作。現在休止中。
 購入以前の3年間は忠岡町の子供地車を借りたと云われる。

山深=子供地車は昭和55,56年に制作。
 地車は大正初期に売却。

願成子供地車は昭和54年(1979)制作。
 【北池田地区の廃絶町】
室堂地車騒動時に売却。地車小屋は昭和2,3年頃まであった。現・横田久吉宅の北側部分。
 昭和58年頃、室堂町の個人が地車を購入して寄贈しようとするが受け取ってもらえなかったと聞く。
ちなみにこの地車は明治37年以前に堺市上之の豊西太吉氏が納花より購入し村に寄贈。地車新調に伴い下取りに使われた。

伏屋=大正10年以降に岸和田方面に売却。明治末期の足の轢かれた事故以来寂れていた。
平成18年発行の『伏屋町の歩み』には「10月4・5日は秋祭りで、村はお休みだった。明治42年以前は氏神さんもあって、座儀を通じて宮祀りもあったと思われる。また大正の中頃までは地車もあったようだが、古くなって処分され、それ以後祭りの行事としては別段何もない」とある。
仏並町1740 男乃宇都神社 10/体育の日 神輿2基 当番町が担ぐ
子供会主催で子供地車が出る地区もある 仏並、小野田、下宮、南面利
仏並=昭和60年(1985)岸和田市内畑町の元・大工の藤原政雄氏の手作り子供地車を購入。
平成17年では子供会の行事となっており、開催日は9月最終日曜だった。
 以前は樽みこし。

小野田
=昭和52,3年制作。村の大工“佐助”こと貝渕昭一が軽トラック改造の子供だんじりを作る。

下宮=昭和54年(1979)村の無職米本典三さん(当時64)が制作。
 先代は昭和52年作の樽みこし。

南面利[なめり〕=平成8年(1996)3月吉日制作。2代目。足回りは森鉄工。
 当初は子供樽神輿。
 先代は昭和49年頃に制作。
九鬼(くき) 九鬼八幡宮 9/連休日曜 子供地車1台 子供会主催
子供地車が昼から出る。昭和59年(1984)村の大工の奥野重義の作。
平成27年(2015)訪問時にはやっていなかった。
 往古は提灯台で昭和24,5年に老朽化で自然消滅するまでかかれた。岡まで担がれたと言う。
 以前は子供神輿。
父鬼町289 父鬼八坂神社 10/連休日曜 神輿
子供地車廃絶
 【子供だんじり】
子供会主催。子供だんじりは昭和61年に村の人の寄贈。
開催日は以前は5/5(午前中)だったが、最近は4月下旬(最終日曜が多い)。 

少子化のため、平成30年(2018)4月1日、昇魂式。最後の2年は曳き手集まらず曳いていなかったらしい。
4月22日、搬出され堺市南区中山へ。


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