大 阪 府

 ≪和泉市≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪和泉だんじり大連合≫
平成5年より始まり、旧・和泉町18町会の参加である。
 ◎大連合のあゆみ
平成 5年10月10日: 集合可能な14町が福祉会館前に集まる(府中・黒鳥・郷荘地区の14町)。
平成 6年10月10日: 世話人会を中心として18町で福祉会館前で連合曳きを開始する。
平成 8年       : 大連合実行委員会の組織が出来る。
平成10年       : 青年団により十八町連合会議が始まる。
平成10年       : 現在の大連合青年部の母体になる、若頭による十八町連合会議が始まる。
               池上町がこの年を最後に泉大津十二町連合へ。
平成12年10月10日: 福祉会館前をスタートし、郷荘・黒鳥・府中を通過するコースに変更。
平成15年10月12日: 新たに寺田町が大連合に参加。
平成16年       : 府道13号線の使用許可がおり、コースも大きく変わる。
平成18年10月 7日: 和泉市制50周年曳行を、1日目を郷荘地区周回コースを18町で曳行。
 ■府中地区
 南西部でJR和泉府中駅に隣接し、泉井上神社に宮入りする5町よりなり、国府小学校の校区である。
和気、小田は宮入りするが、郷荘地区。
府中町6−2−38 泉井上神社 10/連休の土日 神輿  
地車5台 東泉寺、南之町、市辺町、馬場町
地車2台(郷荘地区) 和気、小田
地車廃絶 肥子
 府中の地車宮入りは天正年間、和泉神社・市邊天神社(現在の市辺町と東泉寺町の地車小屋付近?)に宮入りしていたようで、1605年に豊臣秀頼により再建された泉井上神社本殿に合祀したため、現在の本殿前に整列した。往古は府中の地車のみ宮入りしていたが、小田と和気は昭和初期より泉井上神社に宮入りするようになった。現在の宮入り順は府中町五町(抽選)、小田、和気の順である。
 また昭和30年頃までは夜は子供を参加させず大人の祭りで、皆、ほっかぶりをし、顔をかくし、日頃の鬱憤(田の水争い)をはらす喧嘩祭りだった。そのため、夜に正面や後ろ等で、かちあいを行ったりしたが、昭和42、3年頃を最後にかちあいは終了したらしい。
 【神輿】
昭和50年代までは東・西・南・北・中央の順番で神幸した。現在は境内に奉納。
宮入りは府中5町、1〜5番は馬場之町・東泉寺・小社之町・南之町・市辺町は輪番で、6番和気町・7番小田町(6番7番は固定)。
東泉寺(東。旧称は東之町)=平成17年(2005)9/19新調入魂式。
大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ3.9m。大屋根幅2.22m。内幅1.1m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:正面は「波に御来光と千鳥」、後ろは「波」。
車板:正面は「松に鶴亀の舞」、後ろは「夫婦鶴」。
小屋虹梁:正面は「菊に鳳凰」、後ろは「若草」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:正面は「神功皇后霊泉和泉清水一夜涌く」、右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「神功皇后三韓征伐」、後ろは「武内宿禰玖珂立ち」。
二重枡合:右は「神武天皇東征」、左は「小碓命 川上梟師を誅す」。
虹梁:「波」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
車板・地垂木は「獅子」。
小屋虹梁:「若草」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:正面は「片桐且元 和泉五社総社再建」、右は「北野大茶会」、左は「秀頼君誕生」。
 ≪腰廻り≫正面は「織田信長」、右は「徳川家康」、左は「豊臣秀吉」。
町名持ち:「俵大黒天」。
勾欄合:正面は「七福神」、左右は「十二支」。
松良:右は「醍醐の花見」、左は「石川五右衛門香炉取り」。
縁葛:正面は「父信秀焼香の場」、右は「竹千代人質時代」、左は「日吉丸、信長に初見参」。
大連子:正面は「本能寺の変」、右は「姉川の合戦」、左は「高松城水攻め」。
小連子:正面は「信長初陣 吉良大浜城攻め」、右は「家康初陣 加茂郡寺部城の攻略」、左は「秀吉初陣 富士川の戦い」。
土呂幕:正面は「桶狭間の奇襲」、右は「三方原の合戦」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
水板:「波に千鳥」。後水板:「波に千鳥」。
後縁葛:正面は「日吉丸 小六との出会い」、右は「日吉丸 小六の刀取り」、左は「日吉丸 小六に武術を習う」。
後半松良:「墨俣城の材木運び」。
虹梁:正面は「日吉丸誕生」、右は「光明寺の場」、左は「日吉丸、五郎助の馬に乗る」。
木鼻:「菊に鳳凰」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺りだし鼻、〃受けは「灘波戦記」。
竹の節:「親子獅子」。
脇障子物見:「唐獅子牡丹」。大脇物見:「花鳥風月」。

 先々代は堺型の上地車で昭和38、9年頃に消防署で焼却処分。
 先代は岸和田型。昭和25年に箕形町新調。昭和38年頃に5万円で購入。
昭和56年頃の大改修で新調同然になる。その時の大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治。助は実弟頼定 等。平成16年10/11昇魂式。
平成20年(2008)11月16日、池内工務店の倉庫より同地区在住の個人に搬入され同氏の所有となる。
土呂幕は「秀吉本陣佐久間の乱入」。
見送りは「難波戦記」。
南之町(南。通称南出[みなんで])=岸和田型。昭和23年(1948)制作。大工は絹井嘉一郎。彫師は木下舜次郎。助は松田正幸、金光南陽。
平成15年に修復。屋根周りは大屋根・小屋根ともに一新。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:正面は「波に千鳥 御来光」、後ろは「桜」。
枡合:【日本神話】正面は「神武天皇東征」、右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「天の岩戸」。
二重枡合:【日本神話】右は「三韓征伐」、左は「国生み」。
車板:正面は「天孫降臨」、後ろは「司馬温公甕割り」。
木鼻:「獅子」。
天井板:「雲」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に御神紋」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
枡合:【太平記】正面は「吉野落ち 最後の酒宴」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀流し」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「山伏」。
勾欄合:「唐子二十四孝」。
幟台:「獅噛み」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「仁田四郎猪退治」、左は「勢子等の活躍」。
松良:【大江山酒呑童子退治】右は「頼光との血戦」、左は「頼光の木渡り」。
大連子:【源平合戦】正面は「巴御前の勇姿」、右は「平景清錣引き」、左は「源為朝侍賢門の奮戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「吉良邸討入り内蔵助の雄姿」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「新納武蔵守の血戦」、左は「川中島の合戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺りだし鼻、〃受けは「難波戦記」。
幟台:「獅噛み」。

 先々代は大沢(岸和田の大沢とは思えないが?)というところより大型の外コマの地車購入するが、大きすぎて曳行困難なのですぐに売却。
 先代は昭和9年頃に中古地車を購入。昭和22年に王子町に売却されるが、現存せず。
小社之町(うぐすのちょう。村内は現在の府道30号線 大阪和泉泉南線を境に上と下に分かれていた)
=岸和田型。大正12年(1923)上が購入。大工棟梁絹井楠次郎。彫師は玉井行陽。
この地車は買い手待ちの地車で、春木の大工より牛に曳かせて持って帰ったと云われている。昭和50年代後半に上と下で現・地車を合同曳行するようになる。
平成元年に大下工務店(大下孝冶)、木下彫刻工芸(木下賢治)で彫物以外を大修復。
平成19年、北本工務店(北本信広)により修復。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊草薙剣」、左は「?」。
土呂幕:正面は「和田義盛 壇ノ浦の武勇」、右は「巴御前の雄姿」、左は「源平盛衰記」。。
見送り:「難波戦記」。

 先代は解体し彫物を高価に買ってもらい、その金と寄附で現・地車を購入。
子供地車は下で、合同曳行後は子供会主体の地車として2台でしばらく宮入りした。最後の曳行は昭和63年頃と聞く。地車小屋は下の工務店敷地にあったらしい。
平成期に解体処分されたらしい。
市辺町(北。旧字は市邊)=岸和田型。平成25年(2014)8月25日、新調入魂式。大工は板谷工務店。彫師は木下彫刻工芸。
原木祭は平成20年(2008)5月6日。
 ≪大屋根廻り≫
車板:【日本神話】正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。
桁鼻:「龍」。
二重枡合:正面は「龍」、左右は「組物」。
枡合:【日本神話】正面は「天之岩戸」、右は「日本武尊 岩倉山」、左は「神武天皇 東征」、後ろは「権現池 河童伝説」。
虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
車板:【日本神話】「国譲り」。
桁鼻:「獏」。
枡合:【太平記】正面は「櫻井の別れ]、右は「稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」、左は「児島高徳 桜木に詩を記す」。
二重枡合:【太平記】正面は「花鳥風月」、右は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、左は「後醍醐天皇 笠置落ち」。
枡合:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「新田義貞 稲村ヶ崎 宝刀を奉ず」、左は「児島高徳 桜木に詩を記す」。
隅出す:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「小栗判官」。
勾欄合:「小栗判官絵巻」。
松良:【信長公記】右は「桶狭間の奇襲」、左は「熱田神宮戦勝祈願」。
縁葛:【太平記】正面は「正成公 藁人形」、右は「正成公 秘水」、左は「正成公 米・金を施す」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「義経 八艘飛び」、左は「頼朝 朽木隠れ」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右は「両国橋 引揚げ」、左は「吉良邸 討ち入り」。
土呂幕:【太閤記】正面は「川中島の合戦」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「加藤清正 九州征伐」。
水板:「波に玄武」。
梃子掛け:「波に伊勢海老」。
 ≪見送り廻り≫
大脇物見:「花鳥風月・唐獅子」。
脇障子物見:「花鳥風月」。
大脇竹の節:「親子獅子」。
見送り虹梁:【信長公記】正面は「本能寺大茶会」、右は「香炉 三足の蛙」、左は「三劫」。
見送り・脇障子・大脇:【信長公記】「本能寺の変」。
見送り天井:「応龍」。
摺り出し鼻:「唐子千人遊び」。
旗差し:「双龍」。
後連子:【大坂夏の塵】:右は「本多忠朝・荒川熊蔵一騎打ち」、右は「幸村 家康本陣急襲す」、左は「樫井の合戦」。
後水板:「子獅子の群れ」。
後松良:【大坂夏の塵】:右は「千姫救出」、左は「戦況を見る秀頼と淀君」。
旗台:「玄武」。


 初代?。明治〜大正の頃に山滝村方面より購入と伝わる。
 先々代は“焼け地車”と呼ばれた。これは提灯の火で焦げたため。某所に売却。
 先代は岸和田型。昭和12年(15年説もあり)に絹屋に新調を依頼し、昭和18年完全完成。しかし曳行は昭和22年より。
大工は絹井楠次郎。彫師は石田利郎(彫師としての出世作)。助は実兄範冶、松田正幸。
昭和56年大工笠谷忠一、彫師木下頼定により改修。
平成6年に植山工務店(植山良雄)により、大屋根等を大修復。彫師は森西鶴。
平成24年11月4日、昇魂式。板谷工務店に下取りされ、絆へ。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【皇国百撰】正面は「神功皇后応神天皇平産す」、右は「児島高徳桜木に歌を詠む」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
虹梁:「青海波」。
 ≪小屋根廻り≫
車板:「日本神話、天の岩戸」。
枡合:【太閤記】正面は「本能寺の変」、右は「ねね、長浜城より難を逃れる」、左は「木下藤吉郎の初陣」。
 ≪腰廻り≫
松良:【大江山鬼退治】右は「頼光の木渡り」、左は「大江山酒呑童子」。
縁葛は三面、中国故事、兜桁は昇亀の紋。
大連子:【源平盛衰記】正面は「平景清錣引き」、右は「義経八艘飛び」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「上野介召捕り」、左は「吉良邸での義士の雄姿」。
土呂幕:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」、右は「福島正則の武勇」、左は「九州征伐、加藤清正の勇戦」。
昭和55年の大修理の際に台木に伊勢海老の彫刻が施されるが、平成6年の修復時に取り替えられる。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「灘波戦記」。
虹梁:【太平記】右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
馬場之町(中央。通称は馬場出[ばばで])
=昭和3年(1928)岸和田市内畑町の一字(辻堂?)より800円で購入。昭和58年に大改修で新調同然になる。その時の大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は木下賢治。助は実弟頼定、十場祐次郎 等。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「新田義貞 稲村ヶ崎」、右は「?」、左は「日本武尊草薙の剣」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「牛若丸弁慶五条大橋の出会い」、右は「加藤清正の虎退治」、左は「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「加藤清正の勇戦」、左は「福島市松の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は黒檀の石川型地車で仁輪加地車と呼ばれた。現・地車購入につき兵庫県武庫郡に売却される。現・地車購入代を差し引いても、まだ金が余ったのでみんなで枚方の菊人形に行ったと伝えられている。
 【地車廃絶】
肥子=往古には地車があったが、肥子池にはめたと言う人もおれば、はめたのは豊中だという人もいる。
平成24年に聞き取りに行くが、地車を曳いたという話は聞いたことが無いと仰った。
JR阪和線の関係でどこの地車も来ないし、盆踊りすら平成6年頃より中止となり、機運に乏しいようだ。
【泉州最古のだんじり祭り?】
 昭和9年に大阪府学務部発行の「郷社現行特殊慣行神事」の112頁には『天正13年(1585)に神輿並びに地車6台ずつ整列した』とある。これが文献上の泉州最古の地車だと思われる。
ただこの記事の典拠が無いし、少し地車登場が早すぎると思うがどうだろう。
 ■黒鳥・伯太地区
北西部でJR信太山駅に隣接する。
黒鳥天満宮天神社に宮入りする4町と伯太神社に宮入りする2町の6町からなる。
黒鳥小学校と伯太小学校の校区である。
黒鳥2丁目3−36 黒鳥天満宮天神社 10/連休土日 神輿
地車4台 辻小路、郷小路、上泉、坊小路
所曳き(新興町) 第六町会、第八町会[自衛隊官舎](町内地車)
 【黒鳥】
渡辺領の辻村(辻小路、郷小路)、松平領の上村(上泉)、片桐領の坊村(坊小路)の4小路より成る。往古は4小路より地車が出たが、明治43年頃に黒鳥全体で1台(郷小路の地車を使用)にすることになったが、しかし大正期に再び各小路ごとに曳くことになった。今では新興町からも町内地車が出る。
宮入りは辻小路・郷小路・上泉・坊小路の順番で輪番。
辻小路(第一町会)=平成15年(2003)9月28日、(仮)新調入魂式。翌16年5月9日、完全完成入魂式。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下 賢治)。
長さ4.0m。大屋根幅2.41m。高さ3.75m。内幅1.185m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢紋」。
懸魚:正面は「波に朝陽」、後ろは「波」。
車板:正面は「黄瀬川の対面」、後ろは「木曽義仲、おかねの出会い」。
枡組:「八段」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:正面は「静の舞」、右は「鶴岡八幡宮鳥逃がし」、左は「碁盤忠信」、後ろは「為朝の剛弓」。
二重枡合:「枡組式」。
虹梁:「波に千鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢紋」。
懸魚:「雲と波に天女」。
車板:「義経、弁慶五条大橋の出会い」。
枡組:「六段」。
隅出す:「親子獅子」。
枡合:正面は「平維重 戸隠の晴嵐」、右は「布引の滝 小桜責め」、左は「景清錣引き」。
二重枡合:右は「平 忠盛 灯明法師を捕らえる」、左は「清盛 経ヶ島に落日を呼び戻す」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「毘沙門天」。
幟台:「阿吽の龍」。
松良:右は「清盛 雷に畏るる布引の滝」、左は「頼朝 朽木隠れ」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝 論功行賞の場」、右は「勢子の活躍」、左は「仁田四郎忠常の大猪退冶」。
大連子:正面は「義経八艘飛び」、右は「倶利伽羅合戦 手塚太郎光盛 斉藤別当実盛を討取る」、左は「屋島の合戦 佐藤継信の忠節」。
小連子:正面は「頼朝旗揚げ 山木館夜討ち」、右は「義経 弓流し」、左は「宇治川先陣争い」。
土呂幕:正面は「木曽義仲の勇戦」、右は「巴御前の雄姿」、左は「堀川夜討ち」。
勾欄合:「花鳥」。
水板:三方は「波に千鳥」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「一ノ谷の合戦」。
虹梁:【曽我兄弟の仇討ち】正面は「由比ヶ浜」、右は「十番勝負」、左は「夜討ち」。
木鼻:「阿吽の獅子」。
脇障子:右は「平知盛」、左は「平師盛」。
脇障子物見:右は「福禄寿」、左は「寿老人」。
竹の節:右は「大黒天」、左は「恵比須」。
摺出鼻:「鵯越の逆落とし」。
摺出し受:右内は「畠山重忠 愛馬夕月を背負う」、右外は「鷲尾三郎義久」、左内は「土肥実平」、左外は「伊勢三郎義盛」。
半松良:「腰組式」。
後大連子:正面は「紫宸殿の戦い」、右は「保元の乱 鎮西八郎為朝」、左は「八幡太郎義家 安倍貞任征伐」。
水板:「波に兎」。
幟台:「阿吽の龍」。

 地車統合前の地車は明治43年に池上へ10円で売却される。
 五先代は昭和2年頃に城東区より購入し、次の地車購入まで使われ解体したが、この地車の写真は会館内に飾られている。さて城東区永田では昭和2年頃に800円前後で鳳か泉大津方面に地車を売却したと伝えられるので、この地車と思われる。
 四先代は昭和26年頃に18,000円で寺田より上地車を購入し5年程曳くが老朽化のため信太山で解体した。
 三先代は鳳か富木あたりより購入という言い伝えがあるが、これらの山手の菱木白木では黒鳥に売却という言い伝えがあるのでこの地車と思われる。
 先々代は昭和44、5年頃に泉大津市森より購入し、2年後に村の大工が250万円かけ修復するが昭和63年1/31に神戸市東灘区御影東之町に収納された。
経路は旭区城北公園近くの村⇒堺市長承寺⇒泉大津市森町の福田さんが購入するが半年ほどで福田さん他界⇒地元の青年団に寄贈。しかし2台あっても仕方が無く1度も曳かれず⇒翌年、20万円で辻小路が購入⇒神戸市東灘区御影東之町。
 先代は岸和田型。昭和62年に岸和田市春木戎町より購入。
経路は明治14、5年に泉佐野市大西町新調⇒同市中ノ庄⇒岸和田市春木戎町⇒和泉市辻小路。大工は絹井嘉七。彫師は宮地弥津計。助は玉井行陽。
平成14年10月20日、昇魂式。
平成15年より自町の西辻工務店で保管されるが、
同社の貸物件である町内の焼肉屋である「地車蔵 政」で展示されていたこともある。
郷小路(第二町会)=岸和田型。昭和59年(1984)堺市八田南之町新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫師は岸田恭司、森兄弟、十場祐次郎 等。平成3年、大下工務店で修復。
平成21年(2009)5/5、購入入魂式。搬入に先立ち泉谷工務店で修復。土台、筒柱の交換、締めなおし など。
長さ3.9m。大屋根幅2.3m。高さ3.65m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:正面は「波に日の出と千鳥」、後ろは「波」。
隅木:「梅鉢」。
車板:「雲海」。
隅出す:「唐獅子牡丹」。
枡合:正面は「義経八艘飛び」、右は「頼朝朽木隠れ」、左は「安宅の関、弁慶 義経懲打す」、後ろは「騎馬武者」。
二重桝合:「牡丹」。
虹梁:「波」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「波に浦島太郎」。
隅木:「菊紋」。
隅木受:「龍」。
枡合:正面は「五条大橋 牛若 弁慶との出会い」、右は「鶴ヶ岡八幡宮 頼朝放生会」、左は「布引四段目 小桜責め」。
見送り虹梁:「合戦」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「松竹梅に鳥」。
番号持ち:「弁慶」。八田南之町時代は「打出の小槌と甲ねずみ」。
縁隅木:「郷小路」。
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関、弁慶 義経懲打す」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣褒賞」、右は「狩場風景」、左は「仁田四郎猪退治」。
大連子:「太閤記」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「赤穂義士 吉良邸討入り」、左は「上野介召捕りの場」。
土呂幕:【太閤記】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「後藤又兵衛の奮戦」、左は「朝比奈三郎錣曳き」。
水板:「櫻」。
松良受:「コブシ若葉」。
犬勾欄:「若葉」。
 ≪見送り廻り≫
幟台:「唐獅子牡丹」。
見送り:「関が原の合戦」。
大脇:「合戦」。
大脇物見・脇障子物見:「牡丹」。
大脇竹の節:「蹴鞠唐獅子」。
犬勾欄:「若葉」。

 5先代は黒鳥全体で1台として曳いた時の地車。
 4先代は舞台付きと云われるので石川型地車か?
 3先代は春木の大工より中古の上地車を購入するが、焼却処分。しかし彫物は取られ次の地車に使ったという。
 先々代は岸和田型。昭和51年〜平成3年まで曳かれる。昭和51年に岸和田市春木中町より15、6万円で購入し、10万余円かけ修復。そして次代地車購入につき、太鼓正に100万円で売却。現・太子町永田。経路は岸和田市門前町新調⇒同市神弥町⇒同市春木中町⇒和泉市黒鳥郷小路⇒「太鼓正」⇒太子町永田。
 先代は岸和田型。明治29年岸和田市小倉町では150円で購入。新調に伴い平成4年5/4に曳き納めし郷小路へ。堺市八田西町へ。
上泉(第三町会)=岸和田型。平成16年(2004)5月23日、新調入魂式。
大工は若野工務店(若野慶造。同師の出世地車)。彫師は松本幸規。
長さ4.15m。大屋根幅2.375m。内幅1.18m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「夫婦岩」、後ろは「雲」。
車板:正面は「獅噛み」、後ろは「雲に鳳凰」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「雄略天皇 猪退治」。
二重枡合:右は「眠り猫」、左は「三猿」。
虹梁:「桜に三光鳥」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:「雲に富士山」。
枡合:【神話伝説】正面は「仁徳天皇 民のかまどの煙を見る」、右は「神功皇后 応神天皇平産す」、左は「神武天皇東征」。
隅出す・横槌:「花鳥」。
台輪:「伊勢込み」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「花鳥物」。
番号持ち:「孫悟空」。
松良:「高天神城の奪回」。
縁葛:正面は「竹千代 母との再会」、右は「徳川吉宗 小金原の鹿狩り」、左は「竹千代 安倍川の石合戦を見学」。
土呂幕:【太閤記】正面は「三方ヶ原の合戦」、右は「加藤清正 宇土城攻め」、左は「姉川の合戦」。
水板:「波に浜地鳥」。
 ≪見送り廻り≫
見送り虹梁:正面は「天下餅」、左右は「花鳥」。
大脇物見:「牡丹に唐獅子」。
脇障子物見:「牡丹に孔雀」。
大脇竹の節:「親子獅子」。
木鼻:「牡丹に千鳥」。
摺り出し鼻:「麒麟」。
見送り・大脇・脇障子:「関ヶ原の戦い」。
天井:「雲」。
犬勾欄:「うらじろの葉」。
 ≪後腰廻り≫
縁板:「伊勢込み」。
縁隅木:「町名」。
縁葛:【太閤記】正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「本能寺の変」、左は「桶狭間の合戦」。
後大連子:【太閤記】正右は「石川五右衛門 香炉取り」、正中は「藤吉郎 草履取り」、正左は「矢矧橋の出会い」、右の右は「北野大茶会」、右の左は「加藤清正 山路将監討取り」、左の右は「秀吉 屈辱の場」、左の左は「大徳寺 焼香の場」。
水板:「波」。
幟台:「三茄子」。
梃子掛け:「波に兎」。

 先々代は府中より120円で購入するが、わずか数年で立石弥太郎宅の横で彫物以外は焼却処分。というのは大正期の地車統合の期になったからである。
 
先代は堺型。大正15年制作。大工は地元の立石庄一郎。彫物は以前の地車のを使用。彫又一門の作。費用は1、800円と云われている。
平成15年(2003)10月26日に昇魂式を行い、地元の西辻工務店に保管されていたが、5年後の平成20年4月20日にへ売却される。入魂式は5月18日。
坊小路(第四町会)=平成15年(2003)5/25、購入入魂式。搬入は5/5。購入に先立ち若野工務店で修復し、泉谷工務店より搬入。大正5年頃岸和田市中北町新調。昭和32年に約22万円で箕土路町に売却。そして黒鳥坊小路へ。大工は山内安太郎。彫師は玉井行陽。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【灘波戦記】正面は「塙団右衛門の勇戦」、右は「小出信濃守の勇戦」、左は「木村長門守の血戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【曽我物語】正面は「十番斬り」、右は「八幡七郎を討つ」、左は「夜討ち」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「大江山 頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打」。
縁葛:【太閤記】正面は「日吉丸の子守り」、右は「矢矧橋日吉丸小六の出会い」、左は「福島市松の強力」。
大連子:正面は「毛受勝助 馬印を取り返す」、右は「坂井右近 朝倉勢と戦う」、左は「中川清兵衛 和田伊賀守を討つ」。
小連子:【唐子遊び】正面は「碁遊び」、右は「奏楽」、左は「書画」。
土呂幕:【太閤記】正面が「岩成主悦の勇戦」、左右が「朝倉攻め」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。

 地車統合以前は岸和田市下松町に売却され現存せず。
 二代目?は上地車で中古で購入。八尾の恩智に売却したと伝えられるが、近くの服部川の「大音」こと飯田松太郎に売却したと思われる。
 先代は岸和田型。大正7年岸和田市下池田町新調。昭和48年同町より100万円で購入。下池田では仏壇職人の作で土台がしっかりしていると伝えられる。平成15年(2002)3/16昇魂式。現・高石市西取石3丁目へ。
第六町会(旧・練兵場)=町内地車。昭和57年制作。本体150万円。総費用300万円。村の大工作。
 昭和53年に手作り神輿出したのが始まり。
 先代は山荘町に売却し現存せず。

第八町会[自衛隊官舎]=町内地車。
 【山荘町】
黒鳥、東阪本、尾井から各一部からなる新興町。校区も初めは芦部で今は黒鳥。特に氏神は無いが地理的に黒鳥が近いのでここに紹介する。

 祭りの始まりは昭和57年9月に黒鳥第六町会より町内地車を購入し現存せず。
その後昭和62年に新調。大工は池内工務店(池内福治郎)。彫物は池内工務店が改修した地車の古い彫物を使用。山荘町は第一〜第三町会に分かれ、第二町会が地車を保有し同町会が中心となり、各子供会が参加し“地車実行委員会”を作り運営した。
 しかし事故のため?寝屋川市上神田に売却されたと云われる。
伯太町5−22−3 伯太神社 10/連休の土日 神輿
地車2台 上伯太、下伯太
宮入りは日曜の午前中、下伯太・上伯太が毎年輪番。
上伯太=平成18年(2006)10/1、新調仮入魂式。搬入は9/23。
 平成19年(2007)5/13、完全新調入魂式。大工は大下孝治(大下工務店)。彫師は木下賢治(木下彫刻)。飾り一式は叶島織物。
長さ4.13m。大屋根幅2.49m。内幅1.2m。高さ3.8m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に社紋」。
懸魚:正面は「波涛に朝陽(千鳥)」、後ろは「開雲御来光」。
車板:正面は「神功皇后 三韓を征す」、後ろは「野見宿禰と当麻蹴速 天覧戦」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「天の岩戸開き」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。
二重枡合:右は「日本武尊 野火の難」、左は「雄略天皇 猪退治」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「鬼を退治する鍾馗」。
幟台:「夫婦龍」。
勾欄合:「東海道弥次喜多道中」。
松良:右は「源頼光 木渡りの場」、左は「安宅の関 弁慶義経を徴打す」。
縁葛:正面は「矢作橋日吉丸、小六との出会い」、右は「百姓太郎、秀吉に瓜を献上す」、左は「秀吉、墨俣築城」。
大連子:【信長記】正面は「桶狭間の合戦」、右は「三方ヶ原の戦い」、左は「姉川の合戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「吉良邸討入り」、右は「両国橋引揚げの場」、左は「清水一学の奮戦」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「加藤清正 九州征伐」、左は「川中島 信玄謙信一騎打ち」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に社紋」。
懸魚:「開雲御来光に夫婦岩に波涛」。
車板は「五条大橋の出会い」。
飛燕垂木:「上」の文字。地垂木:「獏」。
二重枡合:右は「常磐御前都落ち」、左は「静御前 静の舞」。
見送り虹梁:正面は「醍醐の花見」、右は「藤吉郎 草履取り」、左は「大徳寺焼香の場」。
二重見送り:「本能寺の変」。
二重見送り天井:「雲海」。
 ≪見送り廻り≫
見送り・大脇・大脇物見・摺り出し鼻は「大坂夏の陣」。
見送り天井:「雲に阿吽の龍」。
大脇兜桁:「社紋 紫檀唐草模様伊勢込み」。

 往古は伯太として曳行。
 三先代は前の地車が大きすぎたので前より小型の地車を購入。
 先々代はいろいろな地車を寄せ集めた下地車。昭和54年頃まで曳行し老朽化により休止。新調に先立ち昭和63年に下伯太とともに「太鼓正」に売却。
 先代は折衷型。平成元年(1989)9/10、新調入魂式。大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は木下賢治。
羽曳野市誉田地区の馬場に売却。
下伯太=岸和田型。平成14年(2002)10/6、新調入魂式。15年5/11、完全完成入魂式。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。飾り物(幟、金縄、横幕)は叶島織物。
長さ4.075m。大屋根幅2.44m。内幅1.182m。高さ3.75m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅車」。
懸魚:「瑞夢の事」。
車板:正面は「多聞丸誕生」、主の後は「多聞丸元服」。
枡合:正面は「楠正成の雄姿」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「正成如意輪堂の場」、後ろは「正成最後の参内」。
二重枡合:右は「護良親王捕縛」、左は「大塔宮の最期」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「楠 正成」。
幟台:「力神」。
勾欄合:「正成の一生」。
松良:「吉野の攻防」。
縁葛:正面は「正成公の秘水 千早の攻防」、右は「正成藁人形の奇略」、左は「千早の攻防」。
大連子:正面は「四條畷の合戦」、右は「藤井寺の戦い」、左は「住吉合戦」。
小連子:正面は「大塔宮吉野落ち最後の酒宴」、右は「村上義光錦の御旗奪還」、左は「大塔宮熊野落ち」。
土呂幕:正面は「湊川合戦大楠公の勇戦」、右は「楠正季直義を討ち逃す」、左は「湊川の合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「笠置の聖夢」。
車板:「正成笠置皇居参内」。
枡合:正面は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、右は「正成兵庫へ参上」、左は「正成天王寺の未来記を披露」。
二重枡合:右は「大森彦七盛長 正成の亡霊に逢う」、左は「正成を諭す母」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「千早城攻防戦」。
見送り虹梁:正面は「多聞丸初陣」、右は「多聞丸野武士を討つ」、左は「多聞丸 林軍太組み伏せ捕らえられる」。
兜桁:「梅鉢」。
大脇、摺出は「赤坂城攻防戦」。


 五先代は京橋付近より購入と伝えられる。往古は伯太として曳行。
 四先代は泉大津より購入するが伝染病が流行したのでわずか1年で3円で桑原に売却し翌年も地車購入。
 三先代は大正7年頃に約70円で東住吉区南田辺の地車を購入するが昭和30年頃に解体して彫物は5000円で村の植木屋に売却。
 先々代は昭和初期に堺市原田が尾井町に売却し、さらに幸町の田口氏が購入し、田圃にほっていた上地車を昭和42年頃に購入し10年ほど曳行し休止した。新調に先立ち昭和63年に上伯太と抱き合わせで太鼓正に売却。
 先代は折衷型。上伯太と兄弟地車。平成元年9/10新調入魂式。大工は大下工務店。彫師は木下賢治。
平成14年5/19曳き納め。東大阪市箕輪に売却。
【伯太の業者】
 伯太には神社の近くで藤野氏他三人で、訳あり地車や膠で彫物をくっつけては1台の地車に仕上げて売却する業者がいた。
 ■郷荘地区
市南東部で郷荘神社に宮入りする4町(阪本、桑原、観音寺、寺門)と泉井上神社に宮入りする2町(和気、小田)と神明神社に宮入りする1町(寺田町)の7町からなる。芦部小学校と和気小学校の校区である。
 ※寺田町は平成13年までは松尾連合だったが、中学校区が郷荘中学校により郷荘連合に変更。
阪本町512 郷荘神社 10/連休の土日
(元・10/4〜6)
神輿
地車4台(岸和田型) 阪本、桑原、観音寺、寺門
地車廃絶 芦部、今福
宮入りは日曜。宮本の阪本が一番。観音寺町、桑原町、寺門町は毎年抽選。
阪本=村内は皆下、大木、神田の3地区よりなる。
2代目。昭和24年(1949)制作。大工は田端元一。彫師は松田正幸、木下舜次郎。
平成13年に大下工務店にて大修理。屋根・台木を新調。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「村上義光 錦の御旗奪還す」、左は「川中島 信玄謙信一騎討ち」、背面は「時政大磯驀進」。
上段右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、上段左は「源三位頼政鵺退治」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:正面は「頼朝報償の場」、右は「仁田四郎忠常猪退治」、左は「?」。
大連子:正面は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
小連子:右は「新田義貞稲村ヶ崎 宝刀流し」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「加藤清正と新納武蔵守の血戦」、左は「巴御前と畠山重忠との勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「本能寺の変」、右は「鶴岡八幡宮 放生会」、左は「布引の瀧 小桜責め」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。

 かつて阪本には地車がなかった。そこで大正8年の宵宮の2日前に村内の大木が住吉「大佐」から中古地車を購入し馬力2台で曳いてきて、村内で組み立てた。この地車購入に伴い大木と書かれた提灯も作った。こうして2年間大木のみで曳いたたが村内の皆下、神田。も参加要請し3年目より阪本として曳いた。この地車は新調に伴い黒鳥の某氏を通じて堺市毛穴方面へ30円で売却したらしい。
桑原⇒平成28年8月28日、新調入魂式。大工は植山工務店(佐野和久、七野徳重)。彫師は木彫高濱(高濱輝夫)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「雲に梅鉢紋」、後は「雲に三巴紋」。
懸魚:正面は「波に朝日」、後ろは「波に満月」。
飛檐垂木:「梅鉢紋に金物型地彫」。
地垂木:「三巴紋に金物型地彫」。
桁隠し:「波」。
桁廻り:「雲に水仙の地柄」。
桁鼻:「波に水仙籠彫」。
車板:正面は「雲に親子龍」、後ろは「牡丹に親子獅子」。


=先代は昭和4年に制作。 平成27年(2015)11月3日、昇魂式。地車は和泉市某所に保管中。
大工は岩出秀吉。彫師は玉井行陽。
昭和59年(1984)9月9日、修復入魂式。土呂幕以外の新調で、新調と言ってもいい。
大工は池内工務店(池内福治郎)。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「神武天皇東征 大和を平定す」、右は「神功皇后 応神天皇を平産す」、左は「鎮西八郎為朝の豪弓」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「小栗半官 照手姫」、右は「頼朝の朽木隠れ」、左は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」。
 ≪腰廻り≫
土呂幕:正面は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、右は「脇坂陣内安治の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「大坂夏の陣」。

 初代(先代)は大正末期に3円で下伯太(の業者)より購入。
観音寺=3代目。昭和8年(1933)制作。大工は絹井楠次郎。彫師は木下舜次郎。助として石田利郎。
平成10年、大下工務店で修復。
長さ3.78m。大屋根幅2.37m。内幅1.12m。高さ3.7m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:前は「波に千鳥。旭日」、後ろは「波」。
車板:前は「龍」、後ろは「鳳凰」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇 東征」。左は「日本武尊 草薙剣」。
虹梁:「波濤」。
 ≪腰廻り≫
幟台:「力神」。
松良:右は「大江山 源頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶、義経懲打」。
縁葛:「丹下左膳 こけ猿の巻」。
大連子:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右は「清水一学奮戦」、左は「吉良邸討入り」。
小連子:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本陣報償の場」、右は「勢子等の活躍」、左は「曽我兄弟の夜討ち」。
土呂幕:正面は「川中島合戦」、右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「巴御前奮戦」。
後縁葛、後連子は「太閤記」。
半松良:「松」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に千鳥。浦島太郎」。
枡合:正面は「鶴岡八幡宮兜奉納」、右は「義経八艘飛び」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝刀流し」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
脇障子:右は「豊臣方 大野地房」、左は「豊臣方 後藤基次」。

 先々代(初代)もあり。
 先代は住吉「大佐」の作で明治中期〜末期に制作。下取りに使われる。
寺門=平成22年(2010)5月4日、新調入魂式。
大工は泉谷工務店(泉谷浩文)。彫師は筒井伸、山本仲伸、岸田恭司、近藤晃、高濱輝夫、前田明彦。
長さ4.28m。大屋根幅2.485m。内幅1.182m。高さ3.82m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢」。
懸魚:正面は「開運旭日」、後ろは「雲」。
桁鼻:「梅」。
隅木:「梅鉢」。
隅木受:「龍」。
垂木:「梅鉢」。
車板:前は「風神雷神」、後ろは「雲」。
桝組:「松、竹、梅、獏、菊、龍、雲、獅子、牡丹、ひじき」。
二重桝合:右は「笙の伝授」、左は「投剣の場」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「神武天皇東征」、後ろは「天の岩戸」。
隅出す:「四獣神、牡丹に唐獅子」。
横槌:正面は「菊」、左右は「松」。
虹梁:「波」。
木鼻:「獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「善女龍王」。
勾欄合:「花鳥づくし」。
縁隅木:「町名」。
松良:「一ノ谷の合戦」。
縁葛:正面は「将門の乱」、右は「小六との出会い」、左は「信長、道三との対面」。
連子:「静御前の舞」。
大連子:右は「加藤清正、九州征伐」、左は「今川義元の最期」。
小連子:右は「醍醐の花見」、左は「お市の輿入れ」。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎の錣引き」、右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「本能寺の変」。
犬勾欄:「唐草」。
松良受け・脇障子受け:「若葉」。
水板:「波」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「梅鉢」。
懸魚:「開雲に飛龍」。
桁鼻:「梅」。
隅木:「梅鉢」。
隅木受:「龍」。
垂木:「梅鉢」。
車板:「麒麟」。
枡合:正面は「鶴岡八幡宮」、右は「那須与一」、左は「五条大橋」。
隅出す:「獅子」。
横槌:正面は「桜」、左右は「梅」。
台輪:「伊勢込み」。
見送り虹梁:正面は「頼光の木渡り」、右は「茨木童子老婆に変し腕を取り戻す」、左は「四天王酒宴の場」。
虹梁下がり:「松」。
木鼻:「菊」。
 ≪見送り廻り≫
大脇物見:「牡丹に唐獅子」。
脇障子物見:「牡丹」。
兜桁:「梅鉢」。
竹の節:「仁王の鬼退治」。
脇障子竹の節:後縁葛:「伊勢込み」。
見送り・大脇・摺出:「川中島の合戦」。
摺出鼻:右は「地祭り」、左は「牛神祭り」。
天蓋:「雲」。
犬勾欄:「波」。
縁隅木:「町名」。
後松良:「千剣破城の戦い」。
後大連子:右は「桜井正季、直義討ち逃がす」、右は「楠公子別れ 櫻井の駅」、左は「大楠公の勇戦」。
水板:「波に千鳥」。
幟台:「龍」。

 先々代は昭和初期には上地車を曳行。昭和8年まで曳かれ先代新調時に解体し分配。
 先代は昭和9年(1934)新調。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。助は石田利郎。
昭和32年に岸和田市大町に売却し廃絶。平成2年5月5日、33年ぶりに里帰り。
経路は寺門⇒岸和田市大町⇒〃 摩湯町⇒寺門へ。
新調につき、和歌山県橋本市北馬場へ。昇魂式は平成21年(2008)10月18日。平成21年(2009)12月6日、搬出。
北馬場の入魂式は平成22年(2010)5月4日。
 【地車廃絶】
芦部=旧称は今在家。初代は堺型で老朽化で廃絶。
2代目は昭和23年に貝塚市清児より購入するが曳かなくなり3,4年たちそれなら売却しようと昭和34年(1959)9/12に約10万円で和歌山県橋本市東家に売却。この地車は岸和田市中町新調の天保地車だった。

今福=昭和4年岸和田市作才の古物商氏原氏より購入するが昭和19年頃に戦時下のため解体し彫物は個人に売却。コマは他村に売却した。


東阪本町=旧称は阪本新田。往古は提灯行列をしたが、空襲で提灯が廃絶したので廃絶した。
府中町6−2−38 泉井上神社 10/連休土日 神輿
地車5台(府中地区) 東泉寺、南之町、市辺町、馬場町
地車2台 和気、小田
※明治42年10/12に合祀
和気=平成29年(2017)9月10日、新調入魂式。
大工は距イ匠(田中隆治)、彫師は木彫山本(山本仲伸)。
   ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に菊花紋」。
懸魚:「波濤に御来光・千鳥」。
車板:正面は「真向きの龍」、後ろは「国産み」。
小屋虹梁:正面は「天の岩戸開き」、後ろは「国産み」。
横槌:「花鳥風月」。
隅出す:前右は「源頼政 鵺退治」、前左は「木曾義仲四天王の天狗退治」、後ろ右は「源頼光 四天王大江山酒呑童子退治」、後ろ左は「渡辺綱 羅生門にて鬼腕切断」。
枡合:正面は「神武東征」、右は「日本武尊 野火の難」、左は「神功皇后 泉湧出」、後ろは「天孫降臨」。
二重枡合:右は「朱雀」、左は「玄武」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「日本武尊 草薙の剣を持つ」。
勾欄合:「宮座行事・五社総社御祭礼・日本武尊神話」。
縁板:「花菱」。
松良:右は「義経、鵯越逆落とし」、左は「木曾義仲、倶利伽羅峠、火牛の計」。
縁葛:正面は「頼朝 義経 黄瀬川で対面」、右は「富士の巻狩り 仁田四郎猪退治」、左は「富士の巻狩り 立動く勢子」。
大連子:正面は「富士川合戦 平家軍水鳥の羽音に遁走」、右は「紫辰殿外 源義平・平重盛紫宸殿前の大庭での一騎打ち」、左は「源頼朝挙兵 八牧館の夜討ち」。
小連子:正面は「頼朝公参内」、右は「逆櫓の争論」、左は「那須与一の高名」。




 初代は明治期に下地車を購入するが、村の道が狭く1年のみ。
 先々代は上地車。現・地車購入につき解体し、彫物は村の有力者3氏に行くと聞くが、
大佐の「地車請取帳」には、大正15年に「泉北郡和気 青年會長 支部長様 だんじり買先」。とあるので、大佐に売ったようである。

 先代は岸和田型。大正期の作。昭和3年(1928)岸和田市八田町より購入。大工、彫師は不詳。
88年曳かれ、平成28年10月23日、昇魂式。現在は泉大津市某所に保存中。
土呂幕:「朝比奈三郎勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。
小田=平成15年(2004)9/28(仮)新調入魂式。17年(2005)5/15完全完成入魂式。
大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水、岸田恭司。長さ4.26m。大屋根幅2.555m。内幅1.215m。高さ3.88m。 
   ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に十六菊紋」。
懸魚:正面は「開雲旭日」、後ろは「雲海」。
飛檐垂木・地垂木:「小田丸紋」。
車板:「花鳥風月」。
枡合:正面は「神功皇后 和泉宮の霊泉を賞じ給う」、右は「新田義貞稲村ヶ崎宝剣を投じる」、左は「村上義光後醍醐錦の御旗奪還す」、後ろは「児島高徳桜木に歌を詠む」。
二重枡合:右は「神武天皇東征」、左は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
虹梁:正面は「波濤」、平は「波濤に千鳥」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「聖徳太子坐像」。
松良:【源平盛衰記】右は「頼光の木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経懲打す」。
松良受:内は「唐草」、側は「若葉」。
縁葛:【富士の巻狩り】正面は「頼朝本褒賞の場」、右は「仁田四郎忠常大猪退治」、左は「勢子の活躍」。
大連子:【信長記】正面は「本能寺の変」、右は「桶狭間の奇襲」、左は「中国大返し」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「吉良邸での義士の雄姿」、左は「上野介召捕り」。
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「加藤清正虎退治」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「三振り太刀の功名」。
勾欄合:「日本昔話」。
水板:「軽部池の鯉」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に十六菊紋」。
懸魚:「波濤に浦島太郎」。
飛檐垂木:「小田丸」。
地垂木:「獅子頭」。
枡合:正面は「頼朝 鶴岡八幡宮参拝の場」、右は「鎮西八郎為朝の豪弓」、左は「牛若丸 鞍馬山修行の場」。
木鼻:右は「あけび」、左は「瓢箪」。
 ≪見送り廻り≫は【大坂の陣統一彫り】
見送り:「大坂の陣」。
脇障子:右は「本町橋の夜討ち」、左は「枚方の奇襲」。
大脇:右平は「鴫野の戦」、右妻は「真田丸の攻防」、左平は「天王寺口の戦」、左妻は「道明寺の戦」。
見送り虹梁:【太平記】正面は「相模入道 酒宴の場」、右は「正行 如意輪堂の場」、左は「楠公子別れ櫻井の駅」。
 ≪後腰廻り≫
後縁葛:「伊勢込み」。
後連子:【源平盛衰記】正面は「釣鐘弁慶」、右は「清盛入道怪異を見る」、左は「巴御前の雄姿」。
後半松良:【源平盛衰記】右は「頼朝朽木隠れ」、左は「鵯越の逆落とし」。
後水板:「軽部池の鯉」。
幟台:「三つ俵に千両箱と大福帳」。

 往古は中古の上地車を購入しては、数年曳きそして売却を2〜3回繰り返してきたと伝わる。なお、そのうちの1台は池にはめられ、彫物は村に一部の人が保存していると言われている。
 先々代は大正6年に岸和田市宮本町(先々代)より購入し、1,100円で岸和田市尾生町に売却。現・岸和田市南上町へ。現・堺市原田。
 先代は岸和田型。昭和5年頃購入。新品だが作才の氏原より購入。大工は絹井楠次郎。彫師は開正藤。助は息子正a、玉井行陽。平成14年10/20に昇魂式をして堺市北高尾に売却。
寺田字井戸田 八坂神社 10/連休の土日 神輿
地車1台 岸和田型 
江戸期までは郷荘村(郷荘神社)の氏子だったが、明治41年11/5に春木春日神社氏子になった。昭和28年独立して元の境内地に分祀される。
地車の春日神社への宮入り記録はあるが、郷荘神社へ宮入りしたかどうかは不明。
寺田町は当初、北松尾校区の松尾校区連合に所属していたが中学校区が郷荘中学校により、平成14年に脱退し郷荘地区連合に参入し平成15年より和泉大連合に参加し現在に至る。
寺田=平成7年(1995)9月17日、新調入魂式大工は大下工務店(大下孝冶)。彫師は松本幸規。44年ぶりの復活。
平成19年(2007)大下工務店(大下孝冶)にて修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「雲に月」、後ろは「雲」。
車板:前は「拝み龍」、後ろは「花鳥」。
枡合:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「神武天皇東征 やたがらす」、左は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、後ろは「因幡の白兎」。
 ≪腰廻り≫
松良:【真田戦記】右は「第二次上田合戦、真田十勇士」、左は「大坂冬の陣、真田十勇士」。
縁葛:【太閤記】正面は「小六藤吉郎矢矧橋の出会い」、右は「光明寺の場」、左は「日吉丸戦いの場」。
大連子:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤清正の勇戦」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「赤堀源三、徳利の別れ」、右は「中村安ェ門、高田馬場の合戦」、左は「神崎小五郎、東下り」。
土呂幕:【真田戦記】正面は「真田幸村 徳川家康本陣急襲」、右は「神川の合戦 真田昌幸の勇戦」、左は「真田大介、四天王寺の場」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「雲に拝み龍」。
枡合:【源平盛衰記】正面は「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「小桜合戦 布引の滝」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。


 大正初期には地車があったらしい。
 先代は上地車で消防車購入の必要に迫られ、泣く泣く昭和26年頃に黒鳥辻小路に売却されたが、祭り毎に寺田町民が黒鳥へ出向き、そこで大暴れしたり大喧嘩を起こしたりして地車が傷み、売却5年後に信太山にて焼却処分されたと云われている。


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