大 阪 府
  
   ≪交野市、四条畷市、大東市≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪交野市≫
 ■交野地区
私部1−36−2 住吉神社 10/16頃の土日 神輿
地車2台 東、西…交野型
本宮の午後から神輿(昔は21歳の若衆が担いだ)が出て、渡御の列が西崎(市役所の南側)の御旅所までを往復する。神輿が戻ってくると、お宮から郷倉の前まで地車を曳いた。
(谷畑中、西崎、中之町より成る)⇒地車小屋は境内。
=大新(荻原)という宮大工が享保9年(1720)に制作されたと伝えられる。彫師は車板裏の墨書きより大坂 北御堂門前通り大和屋 松尾吉右衛門と分かる。寺ではこの地車は明治16年の大洪水で流れ着いたものと云われている。
西(市場、馬場裏、札ノ辻、出屋敷より成る)⇒地車小屋は境内。
西の方が古いらしい。大工は不詳。彫師は松尾半兵衛。
郡津1−7−1 郡津神社 10/15、16 神輿 昭和55年新調
地車解体保存
昭和23年の曳行が最後でこの年の台風で小屋ごと倒壊。地車の残骸は今も保存。小屋は神社の裏手。現・児童公園にあった。
 【松塚】
「松塚30年史」平成14年、松塚地区連絡協議会発行。によると、昭和43年、交野団地として誕生し、
子供会は昭和51年にAブロック(第一子供会)が松塚公園の「5万人の広場」で始めて手作り子供みこし出場。

昭和53年8月の交野市民まつり、昭和54年、56年そして平成3年の御堂筋パレードに子供みこし出場とある。
倉治1丁目1−7 機物神社公式HPへ 7/6、7(毎年) 七夕祭
10/15、16(毎年) 秋祭り 神輿、太鼓台
例祭は秋(10/15、16)だったが、古文書を確認すると7月7日が例祭だったこと、また氏神様が女性だということをから、昭和54年より7月6日を宵宮、7月7日を例祭として復活したと聞く。
(16:00〜)神輿巡幸、(19:00〜)七夕神事、(23:30〜)笹流し(逢合橋付近)。現在は混雑するので神輿は出していない。
秋祭り=子供神輿は台車に乗せて町内巡幸。太鼓台とは戦後制作で1つ屋根の地車タイプで小屋から境内まで30mほど曳かれ太鼓をたたく。以前の小屋の時は5mほど曳かれ境内以外にはでたことが無い。
 ■磐船地区
森南2−470 川東神社 10/16頃の土日 地車1台 交野型
⇒地車小屋は神社北側にあり。元は集会所の南にあった。
江戸末期作。大工は不詳。彫師は柳原清蔵(彫清)?。
寺1201 住吉神社 10/16頃の土日 地車1台 交野型
往古は地車が2台あったが、明治16年、龍王山にほらが吹いた(地下水が大量に湧き出た)ため、四辻付近にあった地車小屋が流され私部まで流され、私部西の地車となり、地車は1台となった。そこでもう1台を寺全体で曳くようになった。
⇒地車小屋は神社境内。
=交野型。江戸末期に制作。大工は不詳。彫師は池田八兵衛覚学。刺繍幕は平成14年に寄贈して頂く。
私市1―30−11 天田神社 10/16頃の土日 地車1台 交野型
私市6−618 若宮神社 子供みこし
獅子舞
私市⇒かつては若宮神社に地車小屋があったが、昭和4年に信貴生駒電鉄(現・京阪交野線)が開通して、天田宮に地車小屋が移された。4年に1度ほどは若宮神社まで曳行。
天保2年(1831)制作。大工は不詳。彫師は松尾半兵衛か?
子供みこし=若宮神社に安置し、その後各地区を練る。昭和60年頃制作。以前は手作り花みこし。
獅子舞=西村泰治郎宅で獅子頭が見つかったのがきっかけとなり、翌昭和53年より宵宮は若宮。本宮は天田神社で奉納されるようになった。
傍示1951 菅原神社
元は30戸ほどあったが、生活が不便ということで、大阪や奈良に転居し現在は4戸である。
 ■星田地区
星田2−5−14 星田神社公式HPへ 10/16、17(毎年) 神輿あり
地車2台 東、西…交野型
神輿=渡御は樽神輿使用。子供会は手作り神輿。
 以前に地車が夜に境内で曳いていた時代に子供が担いでいたやや小型なれど本格的な神輿2基は現在、星田会館に展示。出していた頃も星田会館に収納。

なお担がれなくなったのは平成4、5年と聞く。
星田東(星田)⇒地車小屋は神社前。
=天保4年(1833)制作。大工は不詳。彫師は相野藤七。「せんば藤七彫り」と銘あり。高さ4.5m。長さ4.7m。幅2.4m。
金具師は勾欄金具に「大坂かなぐ師大?野嘉七」とあるので、大野嘉七と思われる。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:「牛若丸と鞍馬の天狗」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「桜」。
車板:「桜づくし」。
枡合:正面は「宝珠をつかむ青龍」、右は「夫婦麒麟」、左は「夫婦唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「桜」。
車板:「蓮に天女」。
枡合:正面は「飛龍」、右は「親子唐獅子」、左は「牡丹に夫婦唐獅子」。
見送り:正面は「松に鶴」、右は「梅に朱雀」、左は「枝菊に朱雀」。
土呂幕彫物は幕地車のため無し。
星田西(大谷)⇒地車小屋は神社前。
=三枚板幕式。東より1年遅れ。大工は不詳。彫師は相野一門。高さ4.5m。長さ4.75m。幅2.15m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「枝菊」。
車板:「梅に鴬」。
枡合:正面は「龍虎」、右は「獅子の子落とし」、左は「仔麒麟の戯れ」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「枝菊」。
車板:「鷲に猿」。
枡合:正面は「夫婦飛龍」、右は「唐獅子の戯れ」、左は「亀馬の戯れ」。
見送り、土呂幕彫物は幕地車のため無し。
枚方市茄子作、東大阪市古箕輪の地車は星田から譲渡されたと云われている。
 【南星台】
7/連休日曜に南星台区夏まつり開催。子供みこし、子供餅つき大会、夜店 など。

 ≪四條畷市≫
岡山2−7−12 忍陵神社 10/連休土日 神輿
地車2台(北河内型) 岡山、砂
岡山(岡山地車保存会)⇒地車小屋は神社敷地。
=北河内型。天保8年(1837)制作。大工不詳。彫師は服部清七。

「岡山今昔物語」2009年発行の60〜66ページに地車のことが書かれている。
『ダンジリの創建の年代は、天保9年(1838)であることがわかっている』
『岡山地区にあった2台のダンジリのうち、1台は「組ダンジリ」という構造であった。
これは、ずっと以前には曳き廻されていたこともあったらしいが、図体が大きすぎて手こずることもあったであろう。いつの頃にか分解・格納されたままになっていた。
 おそらくこれは、津桙・馬守の両社に1台ずつのダンジリがあり、氏子たちがそれぞれを曳き廻していた時代から、合祀後は手軽な津桙神社(多分)のダンジリに人気が集まったのではないかと思われる。その後「組ダンジリ」は枚方市招堤地区に売却されて、現在も曳き廻されているという。
 売却の時期は昭和10年代に言われるが、私が小学生時代にはまだ現存するダンジリと並んで、格納庫に保管されていたことをはっきりと覚えている。』
(注)著者の上邨光弘氏は平成17年で74歳である。
(砂自治会)⇒地車小屋は交野支援学校四條畷校南。
=北河内型。明治期制作。大工不詳。彫師は小松一門。守口市金田より昭和初期に購入。
明治4年まで河内街道を境にして砂西村と砂東村に分かれてので地車は西東の2台あった。
清滝中町4−48 国中神社 10/連休土日(元・18) 神輿
地車2台 清滝、中野本町、東中野
太鼓台2台 中野新町、蔀屋
地車廃絶 蔀屋、逢坂
清滝(清滝地車保存会)⇒地車小屋は神社敷地。
=北河内型。明治15年制作。大工不詳。彫師は彫清。
平成27年(2015)10月4日、改修入魂式。文化庁認定 地域活性化事業。大工は大下工務店。
本体・彫物灰汁洗い、錺金物復元新調 など。彫物繕い・欠損した彫刻復元は木下彫刻工芸。
中野本町・西中野(中野本町太鼓台曳行実行委員会)⇒収納庫は中野公民館横(中野本町3−46)。
⇒地車小屋は公民館前。
飾り幕は三木市の城戸商店の作。
=北河内型。明治12年頃に制作。昭和45年頃から休止するが、43年ぶりに復活。
修復入魂式は平成25年(2013)10月5日(土)。
修復は井上工務店。信号に当らないように20cm低くした。彫刻の欠け継ぎは木下彫刻工芸。
 休止中は布団太鼓を出した。今も保管中。
中野地区3台=中野の地車曳行休止に伴い曳きだす。
東中野地車保存会⇒収納庫は中野児童遊園内(中野3丁目5)。平成26年(2014)8/20、建造。
堺型。平成26年(2014)8/24、搬入。9/15購入入魂式。
堺市大森が明治24年旧暦8月5日収納。大工は堀内市松?。彫師は辻田友次郎。費用250円。格納庫・付属品は50円。
これは明治23年他の村(西之側)が地車購入を見て家長たち(28戸)の反対したにもかかわらず若衆8人が勝手に注文したものである。
平成3年(1991)一部彫物を残し大修理。平成14年(2002)、締め直し・洗い 等。共に吉為工務店で修復。

 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:正面は「朱雀」、後ろは「松」。
隣懸魚:正面は「麒麟」、後ろは「麒麟」。
車板:正面・後ろは「雲」。
枡合:「源平合戦」で統一。
虹梁:【富士の合戦】正面は「仁田四郎 猪退治」、右は「源 頼朝の本陣」、左は「曽我五郎 大磯驀進」。
見送り:正面は「大巳貴命の鷲退治」、右は「飛龍と蚩尤の戦い」、左は「天竺の班足王」。
柱巻:【賤ヶ嶽の合戦】右は「佐久間玄蕃」、左は「羽柴秀吉」、後ろは「豊臣秀吉」。
勾欄廻り:「賤ヶ嶽の合戦」。
隅障子:右は「応神天皇を抱く武内宿禰」、左は「神功皇后」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷲」。
隣懸魚:「松に若鷲」。
車板:「雲に朱雀」。
土呂幕:正面は「扉に夫婦虎」、左右・後ろは「源平合戦」。
見送り:(三枚板)後正面は「大国主命 怪鳥退治」、右は「日本武尊 唐獅子退治」、左は「日本武尊 飛龍退治」。
土台平台:「波に鯉」。
猫木:「波」。
 平成9年(1997)創建、当時の生田実区長の作で16年使われた。


中野新町
(中野新町子ども育成会)⇒収納庫は中野公民館(中野本町3−46)。
布団太鼓。
蔀屋(蔀屋蒲団太鼓保存会)⇒収納庫は蔀屋児童遊園地内(蔀屋本町10)。
=地車に代わって戦後登場。現在2代目。三段。午前は蔀屋本町。午後は蔀屋新町、大字蔀屋地区を巡行する。
 【地車廃絶】
蔀屋
=大正末期に焼却処分にするが、彫物は各家庭で分けた。

逢坂=鎮守の大上宮は貞享元年(1684)に国中神社より分祀するが、大正6年(1917)再び合祀。
合祀以前には地車があったらしい。

南野2−18−1 住吉平田神社 10/連休日曜 神輿
地車3台(北河内型) 畑中、雁屋、二丁通
氏地は旧称で畑・中津川・川崎・楠公・雁屋・二丁通
畑中(畑中地車保存会)⇒地車小屋は南野3丁目1−21。地名は南野。旧称では畑と中津川
=北河内型。天保年間制作。大工不詳。彫師は服部清七。
平成20年(2008)9月21日、修復入魂式。泉谷工務店(泉谷浩文)による。

雁屋
(雁屋地車保存会)⇒地車小屋は雁屋南町21−31。
=北河内型。明治16年3月制作。完全完成18年春。大工不詳。彫師は小松源助。42戸で561円50銭の寄附金で制作。
鬼板:「獅噛み」。
車板:「龍」。脇障子:「楠木正行」。
前幕は「高松水攻め」、後ろ幕は「楠木正行」。
 先代は二丁通と共有。明和年間(1760〜70)の作と思われる。明治12年以前に廃絶。

二丁通
(南出会)⇒地車小屋は小学校前の広場。
=雁屋の枝村にあたる。明治13年に購入。大工不詳。彫師は花岡一門。宮入りはしない。

 先代は雁屋と共有。
楠公(楠公子供育成会)⇒太鼓部屋は楠公公民館横(楠公1丁目6−21)。
 子供太鼓。日曜の10:00〜12:20頃曳行。宮入りはしない。地名では楠公通1丁
目。
川崎=地名では楠公2丁目。
南野6−12−1 御机神社 10/連休土日 神輿
地車2台 北出、木間
木間(木間地車保存会)⇒地車小屋は正願寺敷地内(南野5丁目8−8)。
北河内型。天保10年(1839)制作。大工不詳。彫師は小松源蔵。

平成27年(2015)修復。文化庁認定 文化遺産を活かした地域活性化事業により隆匠が修復。
肩背棒新調、提灯、雪洞 などの装飾品の新調。
以前は平成24年(2012)
3/25、修復入魂式。金剛組による
 飾り幕
は平成27年の修復に合わせて(有)祭禮懸装品研究所(前田好雄)により復元新調。
この費用は宝くじ助成金を利用。


北出
〔向之町〕(北出懇話会)⇒地車小屋は江瀬美町12−17。
=北河内型。昭和16年800円で寝屋川市河北より購入。所曳きのみ。
 先代は室戸台風で壊れる。
 【地車廃絶】
=北河内型地車を永らく保存していたが、平成13年ついに解体して大屋根を摂社稲田社、神明社のの屋根に、彫物6点を本殿の外側に陳列した。

塚脇米崎
=共に大正期に廃絶。
塚米(塚米地区自治会)⇒収納庫は南野中児童遊園地(防災倉庫・四條畷市塚脇町6)
=太鼓台。
上田原235 田原住吉神社 10/2土日 神輿2基  
地車1台 上田原
布団太鼓1台 下田原
上田原(上田原地車保存会)⇒地車小屋は境内(上田原235)。曳行は神社境内のみ。
=北河内型。明治13年購入。石切から牛で牽いて来たと伝わる。昔使っていたという御幣には石切剣箭神社と書かれている。
初代は文政10年(1827)制作。大工は木間村 浅右衛門。
 
下田原(下田原天神祭実行委員会)=布団太鼓。3段屋根。
地車廃絶。大正期に東大阪市布市に売却。現・東大阪市松原へ。
南野村の年中行事、習慣、主要建造物を記した文献があり、その1文書に「文化14年乙亥歳改邑鑑 南野村」がある。
そこには明和年間(1764年〜)から地車が出来始め文化14年(1817)には南野郷7ヶ村にあると記されている。

 ≪大東市≫
 【大東市だんじり集結プロジェクト】
平成29年(2017)4月2日、大東中央公園で開催。これは平成28年(2016)に市制60周年を迎え、多くのイベントが行われたがその最後を飾るものと言える。
大東市の地車26台と神輿1基が登場した。
 ■四条地区
野崎2−7−1 南條神社 10/3土日 地車1台(北河内型) 野崎第一
野崎第一(野崎第一地車保存会)=北河内型。天保年間制作。大工は不詳。彫師は相野一門。
平成16年(2004)大下工務店で全面修復。
野崎1−13 宝頭神社 10/3土日 地車1台 野崎第二
野崎第二(野崎第二秋まつり実行委員会)=住吉型。昭和58年(1983)10月8日、奉納式。詳細不詳。
 以前は神輿を担いでいた。
北条5丁目11 北條神社 10/3土日 地車4台 北条東之町、北条北之町、北条中之町 、北条辻之町、北条四条之町
北条東之町(東之町地車保存会)=北河内型。昭和27年(1952)制作。彫師は野村清太郎、野村一宝(富山県井波)。
高さ5.4m。幅3m。長さ4.4m。台棒長さ10.5m。
 先代は明治36年に枚岡の五条より購入し昭和26年まで曳かれるが大和の天理方面に売却されるが、直後に事故?のため処分される。

北条北之町(北之町地車保存会)
=北河内型。明治初期制作。
高さ5.1m。幅2.7m。長さ3.6m。
 平成19年(2007)9月22日、修復入魂式。大下工務店で修復。

北条中之町(中之町地車保存会)=北河内型。明治12年(1879)10月27日制作。
大工は北条の木本与三郎。
彫師は小松源助。後ろの車板に刻銘あり。
明治22年江ノ口南へ売却するが、大正4年に400円で買い戻す。
平成24年(2012)9月23日、修復入魂式。大下工務店により垂木、柱の交換。高さを12cm高くする。
 飾り幕
は平成24年の修復時に辰美工芸により新調。

北条辻之町(辻之町地車保存会)
=北河内型。明治3年5月制作。大工は北条大工。見送り裏に墨書きあり。小松源■とある。■は不明だが、助ではないかと思われる。ただ飾り幕に氏神と違う神社名と紋があり中古で購入かもしれない。大和方面に売却後買い戻す。

北条四条之町(四條之町地車保存会)=
堺型。昭和63年(1988)太鼓正の作。彫忠より地車を購入。
彫物は服部清七作など他の地車下取り分か?が入っている。
 先々代は東大阪市善根寺へ。
 先代は城東区天王田へ。昭和9年、室戸台風で流された。
寺川5−17−30 大谷神社 10/3土日 地車1台 北河内型
寺川(寺川地車保存会)=北河内型。幕地車。明治20年制作。高さ4.6m。幅2.5m。
これは懸想品の箱に「明治20年」という墨書きがあるからである。
飾幕:「夫婦龍」。見送り幕:「竹に虎」。 
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「朱雀」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「朱雀」。
車板:「牡丹に夫婦唐獅子」。
枡合:「牡丹に親子唐獅子」。
土呂幕:「狐格子」。
中垣内2−7−1 須波麻神社 10/3土日 神輿
地車1台 北河内型
中垣内(なかがいと)(地車保存会)=北河内型。文久元年(1861)頃制作。彫師は西岡一門。 
 【四条ふるさとまつり】
日曜日10:00〜17:00。野崎参道商店街周辺。地車9台集合。太鼓ショー、パレード、抽選会 など。
 ■住道地区
三箇5−2−3 菅原神社 10/19頃の土日 神輿
地車6台(北河内型) 江ノ口南、江ノ口北、西ノ口、下野、大箇、押廻[栄和町]
地車廃絶 津之辺
昭和46年に神社前に地車倉が作られ1箇所に地車が集められたが、それから曳行は無くなり祭礼日は扉が開かれ囃子をするのみだったが、平成5年に22年ぶりに江の口北が曳行を再開し、翌年に大箇。平成7年に下野。平成9年、西ノ口が曳行復活。そして平成10年には6地区全てが曳行を再開した。
地車曳行は土日で、18、19日は神事。地車小屋を開けて囃子鳴らす。また町によっては夕方に曳行する町もある。
江ノ口南(江ノ口南若中地車保存会)=北河内型。三代目。天保年間作。昭和7年四条畷市砂より購入。大工は不詳。彫師は小松一門。平成9年、曳行復活。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「松に鶴」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「鷲に猿」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
土呂幕:「狐格子」。

 先々代は新田西。
 先代は大正5年に北条中之町に売却。
江ノ口北(江ノ口北若中地車会)=北河内型。文化14年(1817)制作。大工は不詳。彫師は美濃村?
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「梅に朱雀」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「梅に鴬」。
車板:「獅子の子落とし」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「牡丹に親子唐獅子」。
土呂幕:「狐格子」。
西ノ口(西ノ口若中)=北河内型。明治初期制作。門真市岸和田上より購入。大工は不詳。彫師は服部清七。一部は小松源助。
平成18年(2006)、大下工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「松に鶴」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「梅に朱雀」。
車板:「獅子の子落とし」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:「夫婦唐獅子」。
土呂幕:「狐格子」。
下野(下野地車保存会・下野地車若中・住道青年団)=北河内型。江戸末期制作。大工は不詳。彫師は相野一門。
昭和40年頃に本伝寺の火災のため備品を焼失のため曳行はされなくなったが、平成7年に曳行復活。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「牡丹」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「鷲に猿」。
車板:「牡丹に親子唐獅子」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
虹梁:「牡丹づくし」。
大箇(大箇だんじり会)=北河内型。明治12年制作。大工は田中重太郎。彫師は彫清。また車板の裏より大和屋(松尾吉右衛門)という墨書きあり。
平成6年、23年ぶりに復活。平成15年池内工務店にて修復。 高さ4.8m。幅2.9m。長さ4m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「松に三鵲」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
出人形:「力士像」。
脇障子:「唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「松に猿」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
土呂幕:「狐格子」。
押廻[栄和町](押廻地車保存会)=北河内型。天保年間(1830〜43)の作と思われる。大工は不詳。彫師はのみ跡から小松源蔵とその一門と思われる。
昭和7年頃門真市古川橋の寺に置いていた。八坂神社。門真一番下村の地車か?。
昭和7年購入。
平成24年(2013)10月8日、修復入魂式。植山工務店により勾欄、腰組の部材交換 等を行う。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「朱雀」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。
拝懸魚:「鷲に猿」。車板:「親子唐獅子」。
枡合:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「夫婦唐獅子」。
土呂幕:「神話伝説」。
勾欄:「唐子二十四孝」。

 先代は堺市東山へ。現存せず。
 【地車廃絶】
津の辺町=明治期新調するも、昭和7年に東大阪市加納に売却して廃絶。現在は河南町南加納へ。
 【住道だんじりまつり】
日曜日11:00〜13:00に末広公園に地車6台が集合。
平野屋1−8 坐摩太神宮 10/3日曜 神輿
地車3台(北河内型) 平野屋、南新田、谷川
平野屋(平野屋地車保存会)⇒地車小屋は神社内。
=北河内型。安政期制作。大工は不詳。彫師は小松福太郎?。

南新田(南新田・元町青年団)
=北河内型。明治4年制作。大工は不詳。彫師は小松福太郎。
 かつては1つの地域だが、現在は大東市南新田と東大阪市河内屋南(地図上は元町)と行政は分かれている。往古は東大阪市布市まで曳行したこともある。
高さ3.9m。横幅1.2m、2.55m(担い棒含む)。長さ3m、7m(担い棒含む)。
平成9年、京都府精華町の清水工務店で修復。

谷川(谷川地車保存会)⇒地車小屋は村はずれの川の横にある。
=北河内型。明治14年?制作。大工は不詳。彫師は彫清と思われる。

平成19年、大改修。
御供田2−3−20 八幡神社 10/3土日 神輿
地車1台 北河内型
御供田(ごくでん)(八幡神社奉賛会)=北河内型。明治15年(1882)制作。大工は不詳。彫師は作風から彫清一門という人もいる。
平成23年(2011)10月2日、修復入魂式。前回は昭和61年に同じく梶内だんじり店による修復。
梶内だんじり店により、洗い・締め直し・破損個所の修復・金物の再メッキなどの修復。

 先代地車の懸魚が宮に残っている。
 【住道だんじりまつり】
日曜日12:30〜13:20。泉公園に坐摩太神宮の地車3台と八幡神社の地車1台の計4台が集合。
 ■南郷地区
新田東本町6 山王宮神社 10/19、20(毎年) 神輿
地車2台 新田西、新田東
新田西(新田地車保存会)=北河内型。天保年間制作。
泥幕は菱格子。

新田東(新田地車保存会)=北河内型。天保年間制作。明治初期に幕式⇒三枚板式に改造。その時の彫師は西岡弥三郎。改造前より一回り小さい。
平成14年に寺田工務店(大東市)で修復。
 ≪大屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚:「牡丹」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。拝懸魚:「朱雀」。
車板:「竹に虎」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
土呂幕:「竹に虎」。
見送り:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左右は「賤ヶ岳の七本槍」。
太子田2−130 大神社 10/19、20(毎年) 神輿
地車1台
子供みこし 平成24年は登場しなかった。
太子田(たしでん)⇒地車小屋は神社境内。北河内型。文政〜天保年間制作。彫師は花岡,小松源助 他。昭和初期に東大阪市江ノ口南より購入。
 先代は桜ノ宮へ。戦災で焼失。


子供だんじり=昭和56年、地元の中村常男の作。聖心保育園に寄贈するが、平成2年7月に聖心保育園が寄贈する。
子供みこし=昭和63年、地元の人の作。平成20年(2008)には出ていたが、平成24年(2012)には見かけなかった。
御領1−253 御領菅原神社 10/3土日 神輿
地車1台 北河内型
御領(御領地車保存会)=平成28年(2016年)8月7日、新調入魂式。北河内型地車としては64年ぶりの新調。
大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は辰美工芸(中村行宏)。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲に鶴」。
拝懸魚:「鳳凰」。
桁隠し:「鶴」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「麒麟」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲に鶴」。
拝懸魚:「親子の鶴」。
桁隠し:「鶴」。
車板:「獅子」。
枡合:「獅子」。

間仕切り車板:「鶴」。
脇障子:右は「新田義貞 稲村ヶ崎」、左は「村上義光 錦の御旗奪い返す」。
三枚板:正面は「楠公父子 櫻井の駅の別れ」、右は「後醍醐天皇 隠岐より帰る」、左は「児島高徳 桜木に歌を詠む」。
勾欄:「唐子に二十四孝」。
縁葛:「御領水路の風景 お助け地蔵」。
泥幕:正面は「平井保昌 土蜘蛛退治」、右前は「仁田四郎 猪退治」、右後ろは「上総助廣常 九尾の狐退治」、左前は「隠岐次郎広有 悪鳥退治」、左後ろは「猪早太広直 鵺退治」、後ろは「鬼若丸 怪鳥退治」。
台木:「波濤に鯉」。
猫木:「波濤」。


 先代は文政〜天保年間制作。鴻池善右衛門より大正12年8月に購入。
平成27年(2015)11月29日、昇魂式を行い解体され大東市歴史民俗資料館に寄贈。
大工は不詳。彫師は「彫又」2代目西岡又兵衛。銘は花台「唐獅子」裏に墨書きあり。
大東町583 氷野北野神社 10/3土日 地車2台(北河内型) 氷野、赤井
氷野(ひの)(氷野地車保存会)⇒地車小屋は神社内。
=北河内型。明治28年制作。大工は地元の西村氏?。彫師は彫清。

赤井(赤井地区消防団)
⇒地車小屋は会所横。
=北河内型。明治14年?制作。元・東大阪市枚岡地区の額田の地車。大工は不詳。彫師は彫清?。高さ4.8m。
平成25年(2013)8月31日(土)、修復入魂式。大下工務店による。本体の洗い、締め直し、肩背棒の新調。足踏みブレーキ新設 等。
 【南郷まつり】
日曜日12:00〜14:30。南郷町ふれあい広場(南郷町12)に地車6台が集合。
例祭日固定の太子田と西諸福も参加。だんじり囃子、獅子舞、龍踊りを披露。
 ■南大東連合会
灰塚3−7−13 素盞鳴神社 10/3土日 地車1台 灰塚
神輿2基 北灰塚
灰塚(灰塚だんじり保存会)=住吉型。明治期制作。平成17年(2005)9月19日、購入入魂式。購入に先立ち、北本工務店で改修。大工は大佐。彫師は彫又。
この地車の経路は堺市平井⇒芦屋の社長(死去につき売却)⇒「梶内」だんじり店⇒河内長野市西代⇒大東市灰塚へ。

 先々代は東大阪市北蛇草より購入。戦後に東大阪市横枕に1、000円で売却。東大阪市中小阪に譲渡されるが、あまりの老朽化のため曳かれずに消息不明。
 この間はお迎え提灯を掲げ、太鼓と鉦をリヤカーに乗せ、宮入りしていた、
 先代は昭和58年、太鼓正よりの町内地車を購入。河内長野市の汗成塾育成会へ。
北灰塚(北灰塚御輿保存会)=平成28年5月購入。鞄本木工振興の作。
大野町1丁目3 大野神社 10/3土日 地車1台 大野
大野(大野地車保存会)=岸和田型。平成12年(2000)1月30日に大阪市鶴見区諸口より購入。
北河内唯一の岸和田型。購入の一因は役員に畑町出身の人がいたのもあると聞く。
大正4年、岸和田市畑町新調。大工は泉佐野の藤太郎と伝えられる。
平成26年(2016)9月4日、修復入魂式。大工は岸和田の北本工務店。修復時に岸和田藩の焼印が確認された。からくりの跡も残っているそうで、古い地車の部材を流用したのであろう。
 【彫物】
小屋根:獅噛みは諸口の先々代。この地車の前に諸口が曳行していた地車のもので、平成の大修復で派が付け替えられる。
松良:「?」。
脇障子:「武者」。

 以前は昭和49年、地元の木口公(きぐち いさお)の作の樽神輿。平成24年現在、地車庫の上の棚に保管されている。
これは大野神社が昭和47年に創建したのに合わせて制作。
朋来(朋来地車保存会)=氏神なし。
=平成19年10月、保存会会長山中治 他有志数名の自作。
平成13年(2001)創建。保存会会長の自作。1年で解体。
先代は翌年、保存会会長の自作で平成20年、東大阪市島之内に寄贈。
 【南大東連合会パレード】
日曜日13:30。水道局付近を出発。14:30〜15:30、末広公園に地車3台、神輿が集合。だんじり囃子、龍踊りを披露。
 ■諸福地区
諸福1−7−13 諸福天満宮 10/24、25(毎年) 神輿
地車2台 東諸福、西諸福
小地車1台 東諸福
東諸福(東諸福地車保存会HP)=北河内型。明治初期制作。寝屋川市国守より購入。彫師は彫清。平成12年、寺田工務店で修復。
飾幕は「五条大橋 牛若と弁慶の出会い」。見送り幕:「一の谷の合戦」。  
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鷲に猿」。
桁隠し:「松に猿」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦麒麟」。
出人形:「大阪相撲の力士」。
 ≪小屋根廻り≫
獅噛み。車板:「牡丹に夫婦唐獅子」。
枡合:右は「親子獅子」、左は「夫婦獅子」。
西諸福(西諸福地車保存会)=平成28年(2016)9月4日、新調入魂式。
大工は大下工務店。彫師は辰美工芸。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海に龍」。
懸魚&隣懸魚:「勿入淵」。
車板:「宝珠を掴む龍」。
横槌:「青龍」。
隅出し:前は「天の岩戸」、後ろは「素戔嗚命 八岐大蛇退治」。
枡合:正面は「富士の人穴に入る仁田四郎」、右は「安宅の関 弁慶 義経を徴打す」、左は「頼光 木渡り」。




正面泥幕は「鍾馗」。
見送りは「知盛の亡霊」。

 先々代は北河内型だったが、失火で焼失。
 先代は大阪型。明治期制作。彫師は辻田友次郎

地元の人のメールによると、大正初期に東大阪の稲田から購入。
新調に伴い、大下工務店が預かる。
平成30年(2018)6月3日、松原市阿保へ。
小地車=北河内型。昭和60年10月制作。大工&彫師は地元出身の橋本義史。
 ■深野北秋まつり
深野北1−517 深野北菅原神社 10/3土日(元・21) 神輿
地車1台 北河内型
深野北深野北西ノ宮地車保存会)=北河内型。天保〜明治期制作。明治34年頃に寝屋川市木田より購入。そのときに、獅噛み、懸魚、桁隠、泥幕の彫物を取替え追加されたらしい。
大工は不詳。彫師は元の彫物は花岡系?追加分は彫清。

平成27年(2016)12月23日、修復入魂式。植山工務店にて洗い・締直し、彫刻繕い、柱・台木の取替など。
 【2012のコース】
■土曜 19:00〜20:00頃
菅原神社→深野北→深野→緑が丘→菅原神社
■日曜 11:00〜16:00頃
菅原神社→深野北→深野→緑が丘→菅原神社
深野1−589 両皇大神社 10/3日曜(元・21) 地車1台(西村) 休止中。 
西村(深野西村若中)北河内型。明治10年頃に門真市野口より購入。
昭和43年を最後に曳行休止。当時は寝屋川沿いを新深野橋まで北上したのち、来た道を南下し、恩智川を渡り、現・総合文化センター近くにあった鐘紡まで曳行した。
現在は例祭日ですら地車小屋の扉は空いていない。
 ■龍間秋まつり
龍間888(龍間前田) 龍間神社 10/3土日(元・22) 手作り地車1台 昭和55年制作。
地車廃絶 龍間
龍間 住吉神社 地車廃絶 経寺
龍間には2台の北河内型の地車があった。1台は龍間若中(東谷垣内・南谷垣内)で龍間神社に宮入り。もう1台が経寺若中で住吉神社に宮入りした。
昭和34年に地車が2台並んだの写真があるのでこの年までは2台曳いていたと分かる。
現在は合同で昭和55年制作の簡易地車を曳いている。
経寺=北河内型。明治12年(1879)8月制作。大工は不詳。彫師は小松源助と一門。
神社の地車小屋に保管されていたが、平成27年11月に重機で解体処分される。
龍間(龍間自治会)町内地車。昭和55年制作。10年ぶりの復活。ブレーキ付きのタイヤ車輪。高さ2、2m。幅1、4m。長さ5m。重さ1.5トン。

 先代は北河内型。明治9年制作?。大工は不詳。彫師は長谷川亀造?。昭和58年に曳行不能になり解体され、彫物は境内に保存されている。
拝殿脇に彫物(懸魚、脇障子、枡合、土呂幕)と葺地の一部が保存。
 【2012のコース】
■土曜 14:00〜16:30頃
龍間児童公園→龍間神社
■日曜 10:00〜12:00頃
龍間神社→龍間児童公園
 【大東市歴史民俗資料館】
大東市野崎3−6−1。大東市立 歴史とスポーツふれあいセンター内 2階。10:00〜20:00。
休館日は第1・3火曜。年末年始(12/29〜1/3)。

 市内御領の先代地車を保管。
文政〜天保年間制作。鴻池善右衛門より大正12年8月に購入。
平成27年(2015)11月29日、昇魂式を行い解体され大東市歴史民俗資料館に寄贈。
大工は不詳。彫師は「彫又」2代目西岡又兵衛。銘は花台「唐獅子」裏に墨書きあり。

 ≪大屋根≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「鶴」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。枡合:「麒麟」。
 ≪小屋根≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。
車板:「牡丹に夫婦唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
土呂幕:「戦記物」。
見送り:「太平記」。

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